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世情を映す昭和のポスター -ポスターに見る戦中・戦後の日本- [切手/ポスター]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

昭和館 監修の「世情を映す昭和のポスター 」を読破しました。

昨年、初めて「昭和館」に行った際に一番惹かれたのが展示されていたポスター類です。
古い割には綺麗で、まさに昭和レトロなデザイン・・。
このBlogでもナチス時代のポスターや、古い映画のポスターを度々紹介しているように、
個人的に大好きなんですね。
本書はその昭和館が秘蔵する1800点のポスターから、昭和10年~30年の200点を厳選し、
テーマ別にカラーで紹介した2011年、96ページの大判の一冊です。

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まずはマスメディアがテーマですが、戦前、戦中はラジオ、しかもNHK(日本放送協会)一色です。
そんなポスターで真っ先に気になったのは、昭和25(1950)年頃の「ラジオ日本」のポスター。
「設立準備完了」、「許可を待つばかり」、「待望の民間放送」の文字。
キャプションでは「毎日新聞社によって開局を目指したものの、行政指導によって頓挫した」
と書かれ、詳しく調べてみると、各社と統合されて「ラジオ東京」⇒TBSになっていったようです。
しかし、「聴かされるラジオから聴くラジオへ!」のコピーが良いですね。The 戦後って感じです。

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金融では貯蓄が国策として、これまでにも様々な広告を見てきましたが、
大日本青年団」が団員向けに貯蓄を呼びかけたポスター・・。
日本中のヨイコドモガ毎日一銭ヅツ貯蓄スレバ、一年四百余機ノセントウ機ガツクレマス」。
昭和19(1944)年のポスターですから、その苦しさは伝わるものの、
ソノワケハ先生にウカガッテ下サイ」っていうのはズルい気がするなぁ。。

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寄付・供出では、朝日新聞社が軍用機献納のための献金を呼びかけます。
「軍用機献納運動強化」として、「全日本号100機、千機!二千機!われらの手で!
メディアが軍用機を献納するという、現在では考えられないことだったとか・・。

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プラチナ、ダイヤモンドが必要だという広告は紹介しましたが、今回は「金製品の売却」です。
お國の為めに金を政府に賣りませう」金の文字色と、
金も総動員」が襷がけというデザインが見事です。

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昭和20(1945)年の引揚者への衣類寄付を呼びかけたポスター。
木枯らし舞うなか当てもなくさすらう薄着の母子。。
お母さんのスカートボロボロ、女の子の袖も破れて・・の絵はあまりに切な過ぎるじゃないか。。

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昭和13(1938)年の「銃後後援強化週間」のポスターは、「名誉の負傷に変わらぬ感謝」です。
胸には「軍人傷痍記章」を付けて・・と書かれているとおり、
この軍人さんは描かれていない手の先や下半身に大怪我をしているのかも知れません。

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確か「しょうけい館」でも見た「軍人傷痍記章」について調べてみると、
甲種は戦傷、乙種は公傷の2種類があり、色も金と銀に分けられていたそうですが、
このような件について、wikiでは写真もなく、申し訳程度に3行書かれているだけ・・。
なのにドイツの「戦傷章」だと、日本語版でも写真が4枚も載っています。どういうことなのか??

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行政では、「松根油 緊急増産」のポスターがかなりインパクトありますね。
これも昭和19(1944)年という苦しい時期で、この松根油から航空機用ガソリンを製造しようと、
全国の山林で大規模かつ計画的な松根の伐採が行われたそうです。
埋もれた戦力・松根掘出せ」と、母親と少年が奮闘。双発機に乗っているのは父親かな。。

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記念日としては、9月20日が「航空日」になっていたそうです。
1944年のその航空日のポスターは、「米鬼 断じて撃つべし」。
「アメリカ人らしき人物が憎らしげに描かれている」とキャプションにはありますが、
ど~見たってルーズヴェルト大統領でしょう。。
昭和館的にハッキリその人と書けないんでしょうか??
そしてその大統領似の憎らしげなアメリカ人は叫んでいます。
日本人を殺せ! 日本人を地球から抹殺せよ!」。

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募集からは2枚紹介しましょう。
1枚は昭和18(1943)年の「海軍志願兵徴募」です。
市町村役場などにこのようなポスターが掲示されていたようで、
起て!! 青少年 米英撃滅の為」。そして艦砲射撃・・。
大統領似の憎きアメリカ人を地球から抹殺したくもなるでしょう。

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もう1枚は、「陸軍・海軍・航空局の志願者募集」ポスターです。
空の兵隊にならう」と、スマートな印象です。
陸軍なら、特別幹部候補生と少年飛行兵、
海軍なら、乙種飛行予科練習生、
航空局なら、航空機乗員養成所・・が空への進路となっています。

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広告・食品飲料ならやっぱりお酒ですね。
陸海軍将校が乾杯を交わしている昭和13(1938)年の寶焼酎のポスター。
コピーは「朗らかな酔 召し上れ焼酎」。
まだまだ陸海軍は前途洋々といったムードが出ています。

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一方、戦後の昭和30(1955)年、ニッポンビールのポスター。
「戦後、10年・・」を、「あれから10年・・」と読ませるのがミソですね。
ニッポンビールは、ラベルの★印でわかるように後のサッポロビールだそうです。

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好きなスポーツのポスターが出てきました。
昭和16(1941)年の「日本野球秋季公式仕合」のポスター、沢村栄治に似てますね。
阪急西宮球場でのカードが掲載され、「イーグルス」はすでに「黒鷲」に変更。
若い人には「阪急-南海」って言っても、何のことやらわからないかも・・。

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戦後は力道山がスーパースター。
昭和33(1958)年の蔵前国技館に於ける、「プロレス国際大試合」。
"マットの殺し屋"を迎え世紀の血戦!」と銘打って、憎き米国人レスラーを叩きのめすのです。
小さく書かれていますが、「全国戦争犠牲者後援会基金募集」と
興行収入の一部は、寄付にあてられたようです。

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本書で一番気になったポスターはコレです。
昭和18(1943)年の 「敵国アメリカ映画謀略展」。
「大東亜戦争二周年記念」と書かれているように、日米開戦後は敵性映画として
一切の米国映画が上映禁止となりますが、それまで上映されていた映画の35%が米国産。
禁止されても観たことのある日本人は大勢いて、そのような人々に
「米国映画の毒害」について遅ればせながら啓蒙を図った展覧会と思われるそうです。
撃て 心の米英」と、美しいハリウッド女優に奪われた心を取り戻すことが肝心。。
ほとんどゲッベルスが考えそうな展覧会です。
う~ん。この謀略展・・、詳しいことが不明なだけに、出来ることなら調べ上げて、
売れないノンフィクション作家としてのデビュー作にしたいほど、気になりました。

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最後には平成11年に開館した昭和館のポスター・コレクションについての解説が・・。
開館が新しく、収集においても後発組になっているものの、
昭和のポスターならなんでも収集しているわけではなく、
時代の特性を感じさせるようなもの、そして展示に耐えうるコンディションであることが条件で、
痛みの激しいものは修復作業も行っているそうです。

ですから、本書に掲載されたポスターは実に美しく、新品と見紛うほどです。
これまでの白黒の新聞雑誌広告とは違い、著名な画家によるものもあるなど、
デザイン性、色合い、キャッチコピーを含めて楽しめるのが、このカラーポスターですね。



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深海の使者 [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

吉村 昭 著の「深海の使者」を読破しました。

時々、無性に読みたくなるUボートもの・・。
そんな本を一心不乱に探していると、本書がヒットしました。
聞いたことのあるタイトルなので、内容を確認してみると、
日本とナチス・ドイツの連絡をつけるべく、命がけの航海をした
遣独潜水艦の活躍を描いたもので、最初に出版されたのは1973年。
本書は2011年の427ページ、文庫改訂版です。
この遣独潜水艦は何度か独破戦線でも取り上げていますし、
著者は「関東大震災」の方ですから、まず、間違いなさそうですね。

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昭和17(1942)年4月22日、一隻の大型潜水艦がマレー半島西海岸のペナンを出港。
2ヵ月前に呉海軍工廠で完成したばかりの新造潜水艦、伊30です。
米・英・ソ・中の連合国側は共同作戦のための連絡会議や、兵器技術の交流、
軍事物資の支援を活発に行っているものの、対照的に枢軸国側、
特に日本とドイツ、イタリア両国間の連絡はまったくの杜絶状態であり、
双方の連絡は無線通信以外にないのです。
そんな状況を打破すべく、海面下のルートを開発しようという日本。
その第1便の遺独艦が伊30なのです。

ドイツの驚くべき電波深信儀(レーダー)を譲渡してもらうこともレーダー元帥が承諾済み。
ドイツ側へのお土産は生ゴムなどの物資に空母の設計図。
そのドイツ側が実物の譲渡を熱望する極秘の「酸素魚雷」だけは拒絶して、
代わりに航空魚雷の設計図を積み込みます。
そして8月6日、インド洋、大西洋を突破して、遂にロリアン軍港に近づいた伊30。
巨大なブンカーに向かって、艦の乗組員は紺の第1種軍装に着替えて舷側に整列。
彼らはドイツ海軍軍楽隊の「君が代」の吹奏に感動し、目を潤ませるのでした。

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出迎えたデーニッツは遠藤艦長と握手し、その行動に賛辞を送ります。
基地内の歓迎会場では祝宴が繰り広げられ、
深い森に包まれたフランスの豪壮な館で疲労を癒す乗組員たち。
さらにパリ観光に、ベルリンのヒトラーに招待されて「クロス勲章」を授与された遠藤艦長。
「クロス勲章」って何でしょうね。1級鉄十字章あたりかな?

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この伊30について調べていたら、「ドイツ週間ニュース」の映像を見つけました。
デーニッツにレーダー、ドイツ海軍兵と交流する伊30の乗組員たちの姿です。



Uボート関係者をまず驚かせたのが、伊30の大きさです。
主力UボートのⅦ型は700㌧級で全長67m、900㌧級のⅨ型でも77m。
それに比べ、伊30は2198㌧で109mという大きさゆえ、
Uボートブンカーに収まりきらず、艦尾がブンカーの外にはみ出すほど・・。

大きいエンジンを積み、その騒音に眉をしかめるドイツ士官。
しかし、作戦する海域の大きさと、戦艦などの機動部隊と共に行動する日本潜水艦には
水上での速度が必要であり、ジ~ッと身を潜めて通商破壊戦を行うUボートとは、
その設計思想が違うのです。
いや~、初めて知りましたが、これはデカい潜水艦です。
小型水上偵察機まで格納しているくらいですから・・。

Yokosuka E14Y-11 Glen launches from a submarine.jpg

8月22日にはレーダー元帥じゃない方のレーダーを積んで日本へ向けて出港。
無事シンガポールに帰着し、お土産のひとつ、エニグマ暗号機を陸揚げしますが、
内地への帰航の際、港内で機雷に触れて沈没してしまいます。。
死者は13名と少なかったものの、せっかくのレーダーや機密兵器類が
設計図と共に海中へ没してしまうという大失態です。

ちょうどそのころ、日伊の連絡路が空路によって開かれます。
イタリア軍首脳によるこの発案は、ドイツに後れを取る名誉挽回の策であり、
サヴォイア・マルケッティ SM-75という三発の長距離機で、
ドイツ軍占領下のクリミア半島から、日本軍占領下の中国北部へ無着陸飛行を行うというもの。
しかし日本としては、中立であるソ連領内の侵犯だけは絶対に避けなければならず、
それには距離も長く、気象条件も悪いペルシャ湾~インド洋コースを取るしかありません。
ソ連を挑発したくないという日本の危惧を了承したイタリア。
7月1日、東の空に消えて行った三発機は、ソ連領南部へ機首を向けるのでした・・。

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この1942年の夏といえば、イタリア軍は東部戦線でソ連と戦っているわけですから、
日本の要望が受け入れられないようで、結局、この連絡ルートは消滅。
ここからインド独立の為に対英戦を唱えて、ドイツへと亡命していたチャンドラ・ボースを
日本へと招く計画へと進み、洋上での移乗作戦が始まります。
日本側からはあの友永技術中佐らが伊29に乗り込んでドイツへと向かい、
チャンドラ・ボースを乗せたU-180とマダガスカル島沖で見事、会合を果たすのでした。

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この話は何度か紹介していますが、「Uボート ファイティングシップ・シリーズ」を読んでから、
Uボートのエンブレム(紋章)がいつも気になって、U-180を調べてみると、
なぜか「メルセデス・ベンツ」でした。

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またドイツ海軍は突如、「2隻のUボートを贈呈するから、取りに来て」と言ってきます。
あ~、コレはヒトラーがデーニッツへの相談なく、勝手に決めたってヤツですね。
1隻はドイツ海軍の手で日本へ送るが、もう1隻は日本海軍で回航して欲しいという要望に、
1943年6月1日、またしても大型の潜水艦である伊8が呉軍港を出港。
100名の乗組員の他、Uボート回航要員の60名も載せて、ギュウギュウ詰め。。
上等水兵一人が熱帯性マラリアで死亡するなど、2ヶ月に及ぶ航海です。

8月20日、アゾレス諸島でU-161と会合することに成功。
最新式の電波探知機を受け取ったお礼に、コーヒーの一斗缶を送った内野艦長。
コーヒー大好きなのにコーヒー不足のドイツ兵は大喜びです。
ちなみにU-161のエンブレムは「ブラック・バイキング」でした。

emblem-u161 _Black Viking Ship.jpg

ようやく、ブレストのブンカーに辿り着いた伊8。
整列する彼らに、やっぱり日本国歌とドイツ国歌が演奏され、胸を熱くします。
出迎えには西部管区海軍長官、あのクランケ提督がやって来て、祝辞を述べるのでした。

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Uボートの2隻のうち1隻、U-511はすでに7月、ドイツ海軍によってペナン基地へと辿り着き、
翌月、呉軍港に入って、シュネーヴィント艦長南雲中将らの出迎えを受け、
9月、日本の乗員に引き継がれたU-511は、呂500と命名されます。

Reception in honor of the sailors of U-511 in Penang.jpg

ドイツがUボートを譲渡した目的は、コレを大量生産して欲しいというものですが、
現実には金属材料の不足、工作機械も不備であり、魚雷なども日本海軍のとは寸法も違うため、
U-511は研究対象としてしか存在意義はないのです。
しつこいようですが、U-511のエンブレムは秤・・。

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10月、伊8はブレストをひっそりと出て、12月にはシンガポールまで帰ってきます。
しかしその間に遣独潜水艦の3番艦として出港した伊34は、英海軍潜水艦によって撃沈・・。
潜水艦によるドイツとの連絡は、このように確実性がないばかりか、
片道に2ヵ月を要し、往復の期間となると、半年という長丁場です。
そこで日本軍も長距離飛行機に目を向け、「キ77」を開発します。
なんと言っても2ヶ月どころか、2日で到着できるんですから・・。
ですが、7月シンガポールから飛び立った双発の「キ77」は行方不明に・・。

ki-77.jpg

すでにイタリアは降伏し、戦局が悪化する中、ドイツとの連携のためには
やっぱり潜水艦しかないことを悟った日本軍は、チャンド・ボースを乗せて帰って来た伊29を
遣独潜水艦の4番艦として送り出します。
襲いくる英軍機から必死の思いで逃れながら、ドイツ駆逐艦4隻と戦闘機の護衛を受け、
なんとかロリアンに辿り着いたのは昭和19(1944)年3月。
シンガポールを出港後、実に86日間の航海です。
この時期にUボートがどれだけやられているか知っていれば、奇跡的に感じますね。

u183_u1224 Rising sun and Kriegsmarine flag.jpg

と、ココでそういえば・・の、ドイツが贈呈したもう1隻のUボートの話がありました。
乗田艦長の指揮のもと、バルト海で急速潜航訓練も行ったU-1224。
ロケット戦闘機Me-163、ジェット戦闘機Me-262に関する資料の譲渡をミルヒから承諾され、
2月、キールにて正式にU-1224を受領。呂-501と命名して翌月、出港します。
しかし悲しいかな、大西洋上で米海軍駆逐艦の餌食になってしまうのです。

IJN Submarine RO-501 (Ex-U-1224).jpg

4月にロリアンから帰路についた木梨艦長の伊29は、7月にシンガポールに到着します。
もっとも機密性の高い設計図などは降ろされて、空路、東京へ向かいます。
そして内地帰投を目前に、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて轟沈する伊29・・。
それでもこのとき、東京に送られた設計関係資料をもとに、「秋水」、「橘花」が試作され、
桜花」が誕生するのでした。

まだまだ終わらない遣独潜水艦。
連合軍がノルマンディに上陸・・という時期になって向かっているのは5番艦の伊52です。
最新レーダーなどの電波兵器は日本軍に必要不可欠であり、そのような機密兵器入手と
ヨーロッパ駐在員の活動費として、金の延べ棒2㌧を積み込んでいます。
ロリアンへの到着予定日は8月1日・・。
そこへ向かって「ガソリンある限り前進」しているのはパットンです。ドキドキするなぁ。。

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ノルウェーに向かうよう暗号電文を打ちますが、結局、伊52は2度と姿を現すことはありません。
本書は1973年と古いモノですから、伊52は撃沈されたもの・・と推測するだけですが、
近年、深海に眠る伊52が発見されたそうです。
2㌧の金の延べ棒は手つかずだそうな・・。

Japanese submarine I-52.jpg

1945年にはもうドイツへ向かう遣独潜水艦はありません。
それでも最後のクライマックスはU-234で日本に向かう友永、庄司両技術中佐が・・。
天才的な潜水艦技術士官であり、「海軍技術有功章」を唯一、2回授与された
友永技術中佐はガッチリと書かれており、
以前に読んだ「深海からの声」は、本書の影響を受けてたんですね。

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クドいようですが、U-234のエンブレムは「ライジング・デビル」・・。

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大島大使らドイツ駐在員らの脱出行もなかなか詳細です。
ハインケルの工場からジェット戦闘機He-162の技術資料を入手して、
スウェーデンに脱出を図る一行もいれば、
日本大使館には河原参事官と、あの新関欽哉氏の2人が留まり、
大使館付首席補佐官渓口大佐と安倍中将が4月20日に総統ブンカーを訪れて、
総統誕生日を祝する記帳を行っていたり・・。

ドイツ降伏時に、東洋地域には6隻のUボートがいたそうです。
通商破壊戦を行うと同時に、南方資源の輸送に従事していたそうで、
U-511で日本に来たシュネーヴィントも、U-183の艦長となって1945年に戦死。。
これらはいわゆる「モンスーン戦隊」のことでしょう。
日本軍ともかなり連携していたようで、もっと詳しく知りたいですね。
Uボートではないですが、
帰れなかったドイツ兵 -太平洋戦争を箱根で過ごした誇り高きドイツ海軍将兵-」も
なかなか感動しましたから。。

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8月15日、「一切の敵対行動を停止すべし」との電文を受けた伊401。
3機の小型水上偵察機が格納できる3500㌧の巨大な最新艦です。
「全員自決」が日本海軍軍人の取るべき態度・・と全員が同調しますが、
無条件降伏は天皇の命令であり、それに反することは天皇に背くことを意味します。

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結局、自決は中止され、米潜水艦の監視のもと、横須賀に回航する伊401。
そして乗艦していた指令、有泉大佐は、1人軍刀を掴んで椅子に座り、
左手で掴んだ拳銃を口にくわえて自決を決行します。その遺書には、
「最も誇りとする軍艦旗を下ろして、星条旗を掲揚しなければならないことが忍びない」。

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このように本書はドイツへ命がけの航海に挑んだ伊号潜水艦が主役ですが、
日本へと向かうUボート、長距離機で空路、枢軸の連絡を図ろうとする努力、
そして友永技術中佐など、ドイツへ派遣された軍人や武官たちの運命にまで言及し、
単なる第2次大戦の潜水艦戦記を超えた、とても充実した一冊でした。
あえて「名著」と呼んでも差し支えないでしょう。

ドイツの潜水艦を描いた「Uボート」という超が付く名作映画がありますが、
日本においても映画の題材となって然るべき、このような伊号潜水艦が存在したのです。
大和や零戦ばっかりで、これを映画化できない現在の日本映画界は、
あえて腑抜けと言わせてもらいます。
戦時中のエピソードのひとつ、アクション映画として製作すればいいのであって、
特攻や反戦だったり、映画の中で終戦を迎えて悲しむ必要はないと思います。
「真夏のオリオン」、アレは・・。



吉村 昭氏の作品を調べてみると、興味深いドキュメンタリー小説や短編が沢山あります。
大正4年12月に北海道で起った、巨大ヒグマが6人を殺したという「羆嵐」、
タイトルだけは知っていた「漂流」と、「破船」、
ソ連参戦で宗谷海峡を封鎖された南樺太の危険な脱出行を描いた「脱出」。
そんななかで、帰艦できずに銃殺刑を怖れて逃亡した海軍機関兵の話である「帰艦セズ」。
沈没した[伊33号]を襲った悲劇、樺太の看護婦の集団自決事件などが収められた
「総員起シ」を購入してしまいました。














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世界反米ジョーク集 [ジョーク本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

早坂 隆 著の「世界反米ジョーク集」を読破しました。

先日の「世界の紛争地ジョーク集」に続くジョーク本です。
2005年、213ページの本書は「イラク戦争」の時期のジョークが中心で、
中東に取材に訪れていた著者が蒐集したブッシュ大統領が主人公のジョークです。
米国を「叩く」のでもなく、「こきおろす」のでもなく、「笑う」とまえがきに書かれた本書。
日本にいてはわからない視点で、傲慢かつ、独善的な米国を風刺します。

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早速ですが、「アメリカンドリーム」というジョークはこんな感じ・・。

アメリカは自由とチャンスの国であり、かつてのイラクのような独裁国家とは違う。
どんな人間でも大統領になれるチャンスのある国なのだ。
ブッシュ大統領が自らそれを証明したではないか。

「演説の効用」というジョークだと・・

合衆国大統領の演説は、しばしば若者に大切なことを教える。
リンカーン大統領の演説は、世界中の若者に民主主義を教えた。
ブッシュ大統領の演説は、世界中の若者に勉強の必要性を教えた。

と、このように、基本的にはブッシュ大統領は「頭が悪い」というのが前提のようです。

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呑兵衛のヴィトゲンシュタインのお気に入りは次のジョークです。

ブッシュ大統領がとある酒場へと入った。
カウンター席に座ったブッシュの右隣の客がバーテンに向かってこう言った。
「ジョニー・ウォーカー、シングル」

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続いて左隣の客がこう言った。
「ジャック・ダニエル、シングル」

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バーテンがブッシュに向かって聞いた。
「お客さまは?」
ブッシュはニヤリと笑みを見せて答えた。
「ジョージ・W・ブッシュ、既婚」

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世界の紛争地ジョーク集」にもあった食人族を使ったジョーク。

米国人の人類学者が食人種の村を訪れて調査をしていた。
ある日、彼はイラクで起きている戦争について村人たちに話をした。
すると村人たちは眉をひそめ、口を揃えて彼に聞いた。
「そんなに大量の人肉をどうやって食べるのですか?」
人類学者は苦笑いしながら答えた。
「米国人はそんな野蛮なことはしません。殺した敵の肉など食べませんよ」
村人たちはさらに驚いて囁きあった。
「食べもしない敵を殺すなんて、米国人というのはなんて野蛮な人種なんだろう」

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良いジョークですね。
本来、自然界の動物は食べるために殺す。
しかし米国に限ったことではなく、人間は紛争や憎しみ、お金の為に殺すんですね。

「世界最強の軍隊」というジョークも面白い。

世界のどこの軍隊が最も優れているのかを決めるコンテストが行われ、
ドイツ軍とロシア軍、米軍が参加した。
競技内容は1羽のウサギを森に放して、それを早く捕まえた軍が優勝というもの。
まず、ドイツ軍が挑戦し、森の面積、木と土の種類、ウサギの習性等を精密に分析し、
1週間後に見事、ウサギを捕獲することに成功した。
次にロシア軍が挑戦。彼らは森に火をつけて焼き払い、
僅か3日で焼け野原からウサギの死体を発見した。
最後に米軍が森の中に入って行ったが、たった2時間ほどで戻って来た。
手には滅多打ちにされて叫び声を上げ、首根っこを掴まれた一匹のアライグマがいた。
競技審査員が疑問に思って聞いた。
「それはどう見てもアライグマではないですかな?」
そこで米国人はアライグマの顔をじっと睨むと、アライグマが言った。
「いえいえ、私はウサギです! 私はウサギです!」

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米軍の非道さを物語ったジョークをもうひとつ紹介・・。

イラク人の親子が雌羊を買いに市場へと出かけた。
父親は手頃な雌羊を見つけると、羊の身体中を手で撫で、乳房を丁寧に揉み、つまみ、
頭の先から尻尾、穴という穴まで詳しく調べた。
「雌羊を買う時はこうやって良く調べるんだ。悪い羊を買わないようにな」
それから数日後、息子が父親の所に慌てて駆け込んできた。
「お父さん。大変だ!すぐ来てよ!」
息子は続けた。
「米兵がやって来て、お姉ちゃんを納屋の裏へ連れて行ったよ。
買って行くかどうか、調べてるみたい」

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米国の外交政策を皮肉ったジョークも・・。

米国とイラクの首脳が今後のイラクの復興政策について話し合い、
長い議論の末、両国が協力し合うが、あくまでもイラク人が中心となる米国案が採用された。
以下は、その要領である。
①戦後政策について大きな問題はイラク人が決定し、小さな問題は米国人が決定する。
②何が大きな問題で、何が小さな問題かは米国が決定する。
③具体的には、経済政策、外交態度、行政の実施など微細な問題は米国が決定する。
一方、地球外生命体からの侵略、大洪水などの不測の天変地異のような
大きな問題については、イラク人がこれを解決する。

The Day the Earth Stood Still.jpg

後半は、「悩めるアメリカの内側」と題した、国内問題にまつわるジョーク集です。

米国人とフランス人が話をしていた。米国人が言った。
「私は米国人として生まれたことに誇りに思っている。
だから最後まで米国人として生き、そして米国人として死にたいね」
それを聞いたフランス人がこう答えた。
「しかしね、あんたには向上心ってものがないのかい?」

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フセイン大統領が誘拐されたジョークが「世界の紛争地ジョーク集」ではありましたが、
本書で誘拐されるのは、やっぱりブッシュ大統領です。

ニューヨークの街をクルマで走る青年。信号待ちをしていると見知らぬ男が・・。
青年は窓を開けて聞いた。
「どうかしましたか?」
「ニュースを見ていないのかい? ブッシュ大統領がテロリストに誘拐されたんだよ。
100万ドルを払わないと、大統領にガソリンをかけて火をつけるって言っている。
だからこうしてクルマを回って寄付を集めているのさ」
青年は驚いて聞いた。
「で、どれくらい出せばいいのかな?」
男は答えた。
「まぁ、5リットルから10リットルくらいで十分だよ」

George W. Bush holds onto his umbrella during a rainstorm.jpg

「人間の矛盾」というジョーク。

人間はしばしば矛盾を冒す生き物である。
それはファストフード店にいる米国人を見れば一目瞭然である。
彼らはダブルチーズバーガーとポテトのLサイズ、
そしてダイエットコークを注文するのだ。

Burger and fries with diet Coke.jpg

ある男が娘の誕生日にバービー人形をプレゼントするためにおもちゃ屋を訪れた。
男は店員に聞いた。
「どんなバービー人形があるのかな?」
「いろいろありますよ。この舞踏会へ行くバービーは19ドル、テニスをしているのは20ドル、
海水浴へ行くバービーは21ドル、離婚したバービーは445ドルとなっております」
「ちょっと待って。どうして離婚したバービーだけそんなに高いんだい?」
店員はニヤッと笑って答えた。
「離婚したバービーには慰謝料で取った家と車とボートがセットになっておりますので」

The Divorced Barbie Doll.jpg

本書はジョーク集ではありますが、実は2001年9月11日の「同時多発テロ」によって、
見えざる敵であるテロリストに対する戦いが始まった経緯から、アフガニスタン空爆、
そして「大量破壊兵器を保有している」イラクとの戦争について、章ごとに解説します。
しかしコレはなかなか辛辣なものであり、本書の1/3以上は占めているでしょうか。
そういう意味では、213ページほどはジョークが掲載されていないと言えますが、
なぜ反米国家が存在するのか・・を楽しく勉強できる一冊であるとも言えるでしょう。

ブッシュからオバマへと大統領も変わり、ウクライナ問題もニュースで大きく取り上げられ、
ちょうど国賓として来日するというタイミングですが、
アメリカ=善、ロシア=悪・・といった日本の報道姿勢に疑問を持つことも大事なのでは・・。
国際的な視野で見るということでは、「世界の日本人ジョーク集」もかなり気になりますが、
先日「おかしなジパング図版帖」のコメントで教えていただいた、「ニンジャスレイヤー」。
早速、「ネオサイタマ炎上1」を独破して、「ネオサイタマ炎上2」を読んでいるところです。



米国人著者による「サイバーパンク・ニンジャ活劇小説」で、
短編ですから、気楽にちょこちょこ読めるところが良いですね。
「カチグミ・サラリマン」とか、「クローンヤクザ」など固有名詞が笑えます。
そのうち、"ど~も"ではなく、"ドーモ"と書いてしまうかも・・。







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軽駆逐戦車 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴァルター・J. シュピールベルガー著の「軽駆逐戦車」を読破しました。

ラスト・オブ・カンプフグルッペ」でお馴染みの高橋慶史さんの新作でも出ないかなぁ・・と、
淡い期待で検索していたら、翻訳されているシュピールベルガーの本書に辿り着きました。
以前に「特殊戦闘車両」を読んでいるこの大型本シリーズですが、すっかり忘れていました。
「重駆逐戦車」という、もっと面白そうなタイトルもありますが、
フェルディナンドにヤークトティーガーについては「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」、
ヤークトパンターも「第654重戦車駆逐大隊」を読んでいますし、 
1996年、191ページの本書で紹介されるのは、あまり知らない「ヘッツァー」と、
Ⅳ号駆逐戦車」です。
特にⅣ号駆逐戦車は、あの何とも言えないシルエットに妙な魅力を感じているんですね。

軽駆逐戦車.jpg

1ページ目は「著者による序文」ではなく、「訳者から読者へ」です。
高橋さんがシュピールベルガーの「装甲戦闘車両シリーズ」に出会ったのが学生時代であり、
ドイツ留学の際、教科書より先に購入したのが「ティーガー戦車」で、
学生寮の机の上に、誇らしげに置いた・・と、相変わらず楽しいお話から始まります。
そして本書は、その原著の「装甲戦闘車両シリーズ」の14巻目にあたるそうです。




本文はまず「概要」から・・。
ここでは「駆逐戦車」という、恐ろしくややこしい名称についての解説があり、
戦争後期には必然的に防衛を重視することから、攻撃用戦車よりも強力な装甲と火力を持つ、
防御用戦闘車両を造らざるを得ない状況となり、このようにして誕生した戦闘車両は、
砲兵が名付けた場合は「突撃砲」、戦車部隊の場合は「戦車駆逐車」と称し、
さらに旧式な軽装甲の対戦車自走砲である「戦車駆逐車」とは違う、
新式の重装甲戦車駆逐車を「駆逐戦車」と称し、これを本書のタイトルとしたということです。

Panzerjager Marder III.jpg

最初に紹介される軽駆逐戦車は、「駆逐戦車38」です。
一般にチェコ製の38(t)戦車の足回りを流用した「ヘッツァー」として知られていますね。
1943年11月のベルリン大空襲によってアルケット社のⅢ号突撃砲生産が完全に中断され、
チェコのプラハにあるBMM社に生産を移行しようとすることで開発が始まります。
しかし工場では24㌧のⅢ号突撃砲を生産する能力がないことから、
旧新38(t)戦車のコンポーネントから成り立つ、13㌧の新型突撃砲を生産することに・・。

Jagdpanzer 38(t).jpg

本書では様々な角度から撮られた木製モックアップの写真に、
1944年1月7日の「軽戦車駆逐車38(t)型」から、「軽突撃砲38(t)型」など、
1944年11月まで16回くらいの名称変更の推移が掲載され、
最終的には「Jagdpanzer 38(駆逐戦車38)」となります。

前面装甲は60度の傾斜角で60㎜の厚さ、側面は40度~50度で20㎜。
そして48口径7.5cm PaK39は中心部から、かなり右寄りに設置されます。
指揮戦車仕様の最初の1両が工場から出てくる写真に、
試験走行中の写真、詳細な設計図なども含め、かなり細かく解説します。

Jagdpanzer 38_ Hetzer.jpg

ヒトラーは1944年における軍需メーカーの最重要任務として、
「駆逐戦車38」生産の重要性を強調し、すぐに1000両の生産が決定。
4月20日の総統誕生日にはヒトラーの査閲を受け、
計画では1945年3月には、「月産1000両」という極めて野心的な目標が・・。
BMM社だけでなく、シュコダ社も生産を開始しますが、連合軍の爆撃に遭いながらも、
1945年1月には434両を生産するという大奮闘・・。

Hetzer_hitler.jpg

生産開始から3ヵ月後の7月、第731軍直轄戦車猟兵大隊が編成され、
45両を装備した最初の戦闘部隊として北方軍集団に配属されます。
しかし本来、駆逐戦車は敵の突破の際の反撃や、歩兵援護のために投入すべきであり、
大多数は歩兵や国民擲弾兵師団などの戦車猟兵中隊に配備されます。



そんな1944年の西部戦車集団司令部の戦訓報告はとても興味深い内容です。
ちょっと抜粋してみましょう。
「新しく就役した戦車猟兵中隊が残らず潰滅するというケースが発生している。
兵器の特性を考慮せず、また中隊長や戦車猟兵大隊指揮官の提案や、
当然とも言える抗議を受け入れず、出撃命令を下した戦術上の指揮官にも連帯的な責任がある。
特に歩兵大隊の管轄下では、初めから実行不可能な任務を要求される危険性があり、
例えば、局地防衛のために命令された夜間出撃は、明らかに拒否すべきものであった。
砲身の旋回範囲が狭いため、駆逐戦車の出撃準備のためにはエンジンを
動かしておかなければならず、そのため戦車は自らの存在をその騒音で暴露してしまう・・」。

German tank destroyer Hetzer.jpg

いや~、火消し役として無理やり投入させられる駆逐戦車・・。
まさに「続ラスト・オブ・カンプフグルッペ」の世界です。。

その他、1200mの距離でスターリン重戦車(JS-Ⅱ)と戦い、
側面直撃弾を喰らわせて、見事炎上させた話も・・。
また、回収戦車や火炎放射戦車といった改良車両も写真と共に解説しています。
現存数の多いヘッツァーですが、個人的にはこの ↓ ロシアのクビンカの1両が好きですね。

Hetzer_Kubinka.jpg

本書に掲載されている写真はヘッツァー単独か、せいぜい兵士などが一緒に写っているだけ。
表紙の写真なんて、良く見ないとなんだかわかりませんが、
コレはヘッツァーの斜め後姿です。どんな写真なんだか・・。
そこで軽駆逐戦車ってどれくらいの大きさなのか、
ケーニッヒスティーガーと一緒の写真を見つけました。確かに大人と子ども。。

Tigre royal Hetzer_Saumur Museum.jpg

さぁ、続いては「Ⅳ号駆逐戦車(Jagdpanzer IV)」です。
戦車戦におけるⅢ号突撃砲の驚くべき戦果によって、1942年9月には、
Ⅳ号駆逐戦車構想が具体化します。
ヘッツァーと同じ、48口径7.5cm PaK39が搭載できるように改修したⅣ号戦車F型のシャーシを
流用することが計画され、軟鉄製試作型は1943年12月にヒトラーの査閲を受けます。

当初の「新型突撃砲」といった名称はやっぱり何度も変更されて、
特に「突撃砲43とは記載しないこと」という注意もあり、
「総統による紀元年号の禁止と、すべての型式番号43は従来の8.8㎝砲に用いられる」
というのがこの理由のようです。8.8cm PaK43のことかな??
正面からの写真がありましたが、コレも若干、右に寄ってるんですねぇ。

Jagdpanzer_IV.jpg

上部車体は新設計で、前面装甲は50度の傾斜角で厚さ60㎜、側面は30度で40㎜。
フォルマーク社によって1944年1月から生産開始されますが、毎月のように改造が行われ、
例えば、5月には前面装甲の厚さが60㎜から80㎜に増強されます。

最初に「Ⅳ号駆逐戦車」を受領したのは戦車教導師団です。
その他、ヘルマン・ゲーリング装甲師団の3個中隊に10両ずつ、
ヒトラー・ユーゲントやゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン 、ホーエンシュタウフェン、
フルンツベルクといった西部戦線の武装SS師団と、思っていたより広く配備されています。
ノルマンディの戦いだけでなく、バルジの戦いでも投入され、
東部戦線でも陸軍の各装甲師団の他、武装SSもトーテンコップやヴィーキングが・・。

Jagdpanzer IV.jpg

1944年11月の東部戦線における「戦車部隊ニュース」での考察は面白いですね。
「連隊のような小規模の歩兵部隊へ配属された場合、安易に少数車両が個別に投入され易く、
往々にしていらざる損害を招いた。このため、Ⅳ号駆逐戦車の部隊指揮官たる者は、
部隊の集中投入と指揮権を手放すつもりがないことを明確に申し入れることが肝心である。
走行不能の駆逐戦車を固定対戦車砲陣地にせよ、という上官の命令が下されることがあるが、
Ⅳ号駆逐戦車の部隊指揮官たる者は、機動性のない駆逐戦車の投入は無意味であること、
つまり、エンジンが掛からない車両は方向転換が不可能であり、その機動力を奪うことによって
敵に容易に鹵獲される状況に陥る旨、全精力を傾けて上官を説得しなければならない」。

まずは歩兵部隊の中佐や大佐と戦わなければならない、戦車部隊の中尉や大尉という構図・・。
う~む。やはり「ラスト・オブ・カンプフグルッペIII」の世界です。。

Jagdpanzer IV Panzermuseum Thun.jpg

続いては「Ⅳ号戦車/70(V)」です。
第2次大戦の対戦車兵器の中では傑出した存在である「70口径7.5㎝戦車駆逐カノン砲42」を
搭載した「Ⅳ号駆逐戦車」で、70は口径、(V)はフォルマーク社を現します。
そしてヒトラーは1944年7月、この駆逐戦車の名称を「Ⅳ号戦車ラング」とすることを命令。
「ラング」は長砲身という意味ですが、通常のⅣ号戦車にも長砲身が存在し、
名称からも「駆逐」を外すモンですから、余計にややこしくなってしまうのでした。

Panzer IV 70 (V).jpg

そしてこの「Ⅳ号戦車/70(V)」こそが最初に書いたように、
何とも言えない「巨大な虫」のようなシルエットに妙な魅力を感じているわけですが、
1944年4月にこの車両の写真を見たヒトラーが、
「これこそ戦車工学が生んだ究極的形態である」と確信したんだそうです。。
うへ~、総統と趣味が似ているというのはちょっと複雑・・。

本書でも度々「ノーズヘビー」と書かれているⅣ号戦車/70(V)。
ライプシュタンダルテに配属され、バルジの戦いで投入された写真も良い感じです。

View of German soldiers aboard a Jagdpanzer IV-70 tank destroyer from the SS Panzer Division during the Battle of the Bulge.jpg

そんな1944年後半には月産100両を超え、総計では930両が製造。
補助転輪の数が「Ⅳ号戦車の証の4個」から、3個に減らされているのがポイントですね。
そして次々と襲来するT-34/85とSU-85を片っ端から撃破する戦闘日誌に燃えるのです。

Panzer IV/70(V) is in a museum in Ottawa, Canada.jpg

さらに「「Ⅳ号戦車/70(A)」というバリエーションも存在します。
アルケット社によるこのⅣ号戦車/70(A)は、生産を中断せずに転換するために
Ⅳ号戦車シャーシに改修を加えることなく製造されたもので、
様々な理由によって、上部車体の高さがフォルマーク型の620㎜に対し、
1020㎜と背が高くなってしまっています。

Panzer IV 70 (A).jpg

1944年8月~1945年3月までの計画数は510両ですが、製造されたのは278両のみ。
主に突撃砲旅団に配備され、「グロースドイッチュランド」は3個中隊分も受領します。
そして第311突撃砲旅団のハルトマン中尉が騎士十字章を受章した1945年3月の戦いで
ISU-152など13両の敵戦車を撃破するという戦記に再び、燃えるのです。

Panzer IV 70 (A)_Saumur Museum.jpg

ヴィトゲンシュタインは自動車にも乗らないので、エンジン、その他については
あまり興味がありませんが、それでもなかなか楽しめるシリーズです。
特に戦争の末期に向けて、様々な形式の戦車を計画、生産する過程、
そこには防御優先で、敵の重装甲をぶち抜くことが可能な砲を搭載することを基本とし、
各メーカーの思惑と、既存シャーシの流用に生産台数の増加を目指すなか、
連合軍による生産工場への空襲、ヒトラーの細かい口出し・・というドラマがあるのです。

「パンター戦車」、「ティーガー戦車」、「重駆逐戦車」も読んでみたくなりましたが、
一番、興味があるのは「捕獲戦車」ですね。
しかし、その前にやっつける必要のある大日本絵画の大型本は、
「西方電撃戦: フランス侵攻1940」です。まぁ、重いですよ・・。








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共産主婦 -東側諸国のレトロ家庭用品と女性たちの一日 [欧州諸国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

イスクラ 著の「共産主婦」を読破しました。

このBlogでも人気のある「ニセドイツ〈1〉」、「ニセドイツ〈2〉」の共産趣味インターナショナル。
本書は3月に出たばかりのシリーズ"vol.4"です。
内容は表紙の帯に書かれたとおり・・としか、言いようがありませんが、
当時の雑貨だけでなく、各国の文化や旅行などにも言及しており、
「ニセドイツ」を彷彿とさせる部分も多々あります。

共産主婦.jpg

まずは「東ドイツ」から・・。
帯のかわいい人形さんが1980年の東ドイツの生活を紹介してくれますが、
彼女の名前はモニカ、ライプツィヒ在住の22歳で電話局勤務、
夫のジークフリートと2人暮らしで、趣味はお菓子作り・・としっかりしたプロフィール。。

朝の5時起きで生活がスタート。
東ドイツのどこの家庭でもあったというコルディッツ社製のコーヒーカップ、
勤務先の食堂で使える「食事補助券」などがオールカラーで紹介されます。
「いつ何時食材が買えるか分からないので、主婦は折り畳んでバッグを忍ばせて・・」と、
デデロン素材の買物袋が・・。
関西のおばちゃんは折り畳んだレジ袋をいつも持ち歩いている・・というのを
聞いたことがありますが、同じ感覚なのかな??

共産主婦_1.jpg

夜の10時、夫婦での語らいの時間。
「ジギー! 私の予想では「トラバント」はあと5年で来るわ!」。
と、あのボール紙の車と揶揄された東ドイツ車も。

「旧共産圏共通コラム」では、いきなり生理用品について詳しく解説します。
東ドイツのタンポンもカラー写真で、こりゃ公共の場所で読むのはちと恥ずかしい。。
いや~、でもタンポン。。
この話題に中年男が触れるのもはばかれますが、ちょっとした思い出があります。
中3当時、女子の机の中からタンポンを発見した奴がいて、
帰りにヴィトゲンシュタインの部屋に4人ほどが集まって、この未知の品を研究・・。
筒を一度外したら元に戻らなくなったり、悪戦苦闘の末、
「水に浸してみようと!」と、コップにの中に入れてみたら、ブア~!と広がって「うぁ~!」。。

共産主婦_2.jpg

そんなことはど~でもいいですね。
次は1972年のポーランドの生活で、22歳のアグニエシュカが登場。
1932年にと、戦後の1965年にイタリアのフィアット社とライセンス契約を結んだという
「ポルスキ・フィアット」という自動車が面白いですね。
走りが軽快で、英国などの西側にも大量に輸出されたそうですが、初めて知りました。

Polski_FIAT 126p.jpg

お休み前にビールを一杯。
彼女の住むクラクフには、1856年に創業された「ジヴィエツ」という
有名なビール醸造所があり、クラクフ地方の民族衣装がデザインされたラベルも2枚。
世界各国のビールを呑んできたヴィトゲンシュタインですけど、コレは知らなんだ。。

piwo-zywiec.jpg

「休暇の過ごし方」では、ワルシャワの文化科学宮殿が印象的です。
1955年に完成したスターリンの贈り物という42階建ての大建築。
まさしくスターリン様式であり、ソヴィエト支配を象徴する建造物ゆえ、
住民は嫌悪感をもっているそうです。

Pałac Kultury i Nauki.jpg

続いては共産主義のボス、ソ連をイルクーツクに住む30歳のナターシャが紹介。
ロシアでなく、「ソ連邦」の各共和国が入り組んでいますから、
例えば、お昼にはウクライナの「ボルシチ」、お茶の時間にはやっぱりウクライナの
ドヴビッシュ社の白に朱色の水玉模様でお馴染み・・という陶器。
凄い柄ですね。ツール・ド・フランスの山岳ジャージだな。。
そして、このティーカップで飲むのは、スターリンの故郷であるグルジアのお茶であり、
さらにこのお茶は「レーニン製茶工場製」という徹底ぶりです。

共産主婦_3.jpg

そんなグルジアには、「スターリン博物館」が存在し、生家まで復元されていると・・。
う~む。。グルジアにおけるスターリンの評判はどんなもんなんでしょうね。

Stalin Museum.jpg

1972年にはペプシコーラのソ連で独占販売が合意に達し、
ソ連における初めての米国製品となり、
モスクワ・オリンピックの前年、1979年にペプシは大々的な販売を開始したそうです。

Pepsi-Cola USSR.jpg

次は1976年のハンガリー主婦事情です。
ブダペストに住む32歳のアンナが紹介します。
これまで各国とも朝昼晩の食事にも触れられていましたが、
どこもお昼にタップリ食べて、夜は軽く・・なんですね。
これは共産主義ではなく、東欧の文化なんだと思いますが・・。
このハンガリーでは「ベーチ・セレット」と呼ばれるハンガリー風カツレツ。
そしてハンガリーのソウルフードという牛肉のスープ「グヤーシュ」。
ドイツで言うところの「グラーシュ」ですね。うへー、美味そう・・。

共産主婦_4.jpg

フルシチョフによる「スターリン批判」を発端とした1956年の「ハンガリー動乱」にも
触れながら進みます。
ちょうど白水社の「ハンガリー革命 1956」を読んでみたいと思っているんですよねぇ。




こうしてハンガリー人の休暇といえばココ。
独ソ戦記好きなら誰でも知っている「バラトン湖」です。
中欧最大の湖であり、ハンガリー人は「海」と言っているそうで、
会社所有の保養所も多く、海外からバカンスで来る人も多いのだとか・・。

Balaton.jpg

26歳のヴェロニカが語る、1987年のチェコスロバキアの生活。
ここでも気になったのは自動車で、第三帝国好きのお馴染みメーカー、「シュコダ」です。
第2次大戦後に国営企業となったシュコダは、大衆車「シュコダ」を生産。
英国だけでなく、ニュージーランドやオーストラリアにも輸出されたそうです。

Škoda 110ls.jpg

途中2回の「コラム」では、紙のパッケージ入りで保湿ができたか怪しいソ連製コンドームと、
紙質が固くて、お尻が痛かったという各国のトイレットペーパー事情を・・。
なぜかコラムは「下ネタ」ですね。

共産主婦_5.jpg

1970年のルーマニアは24歳のマリチカが紹介。
もちろんマリチカ自身もドール(人形)ですが、ルーマニアの誇るレジェンド・オブ・10点満点、
コマネチ公認の「コマネチドール」がウケますね。似てなさ加減がなんとも。。

Nadia Comăneci _and_doll.jpg

最後は1981年のブルガリア。24歳のニナが紹介するのは
東ドイツの「ロボトロン」を凌いだというパソコン、「ブラヴェツ」です。
その他、農業国らしい野菜の切手シリーズもいい味出してます。
東ドイツの交通安全の切手とか、チェコスロバキアの毒キノコ切手など、
各国のデザインも個性的で、切手好きも楽しめます。

Czechoslovakia stamp Mushroom.jpg

4つめのコラムは「タバコ」。
家事、労働、育児とこなす共産主婦たちの息抜きがお茶とタバコの時間だとし、
特にロシアは伝統的に女性の喫煙率が高かったそうです。
そんなロシア製のタバコ、ドゥカット社の「トロイカ」は可愛いパッケージ。
しかし2007年には日本のJTに買収されたそうです。
エストニアのタバコ、「タリン」もJT傘下となり、ルーマニアの「ドゥナレア」も同様。。
JTは世界各国、荒らしまくってるんですねぇ・・。

Troyka.jpg

本書は当時の「共産主婦」の目線から生活雑貨を紹介したものですが、
このように"一般的日本中年男"が読んでも楽しめる内容となっています。
ただし、客観的に考えても、このレビューが本質をついているなどということは、
決してありませんので、騙されずに女性らしい雑貨を楽しんだり、
あまり知られていない「共産主婦」の日常を自分に置き換えて夢想してみたり、
東欧の歴史と文化を学んでみるキッカケにしてみたり・・と、
人それぞれの楽しみ方がある一冊だと言えるでしょう。

共産主婦_6.jpg

実は本書の他、「ニセドイツ」、「世界軍歌全集」、「消滅した国々」を手掛けた
編集者さんと最近お会いすることができ、2時間ばかりお話させていただきました。
ヴィトゲンシュタインが数ある書籍Blogと同じのは嫌だと思って始めたように、
この編集者さんも、世に出ていないような本を出版する・・という信念がベースにあり、
企画立案、組み版、カバーまで行っているというコダワリようです。
本書が男性でも楽しめる仕上がりになっているのは、お世辞ではありませんが、
この編集者さんのお力も大きいのでは・・と、読み終わって改めて思いました。



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