悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉 -スターリンの農業集団化と飢饉テロ- [ロシア]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ロバート・コンクエスト著の「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉」を遂に読破しました。
一昨年の9月に「スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-」を読んだ際に知った本書は、
このBlogでも何度となく取り上げた「ホロコースト」に匹敵するジェノサイドとして、
「ホロドモール」と呼ばれる、ウクライナでの恐るべき大飢饉の全貌を描いたものです。
2007年に発刊された638ページの大作ですが、すでに廃刊でプレミア価格・・。
区内の図書館にも置いていませんでしたが、よその区からお取り寄せしてもらいました。
3部から成る本書、まずは第1部「主役たち・・党、農民、国家」です。
キエフ大公の時代からモンゴル軍の手に落ち、今度はモスクワ公国へ・・といった
災難をいくつも乗り越えてきたウクライナ人の歴史を紹介し、
「10月革命」後、その資源に期待を寄せ、なんとしても自分の新体制の中に
ウクライナを編入したいと望むレーニン。
1919年、1人当たりの消費量を130㌔とし、それを超えるすべての「余剰」穀物を
無料で徴発するよう命じます。
ナチス・ドイツもそうですが、この肥沃な土地は魅力があるんですね。
ウクライナでは4ヵ月間で300回もの暴動が起こり、まだ内戦の最中ですから、
白軍の攻撃からも撤退を余儀なくされるボルシェヴィキ・・といった構図です。
「国家が必要」という観点から、農民の手元にどれだけ残るかということには関係なく、
徴発されることとなり、「食料徴発隊」が45000名に増員。
村々ではそんな食料徴発隊が到着すると発砲して交戦。
これに農民パルチザンの「緑軍」も加わって大掛かりな反乱へと発展していきます。
この1918年~20年の「農民戦争」における死者数は900万人。
さらに1921年~22年にかけて大飢饉が発生します。
天候が悪かったのに加え、農民が生存していくための最低条件となる農産物まで
ソ連政府が没収したことで、500万人が命を落とすのでした。
都会人のボルシェヴィキはもともと農民を「恐ろしく貪欲で負けず嫌い」と見ており、
スターリンも「農民は屑」と語っています。
そんな農民、特に地主貴族の延長上である「クラーク(富農)」は共産党の敵であり、
階級的にも許されず、反革命家であるわけです。
しかし富農の定義は曖昧であり、1927年、最も豊かな農民でも7人家族で
2,3頭の雌牛と10haの耕地を持っているだけ・・。
そして日雇い労働者などの「貧農」、その間に存在する「中農」も定義しようと四苦八苦。
「弱い」中農と、「豊かな」中農に分けると、党内も大混乱です。
第2部は「農民蹂躙」。
1929年、スターリンが「富農撲滅運動」に着手します。
これまでの、ただ穀物を収奪しただけの政策から大きく転換。
富農を3つのカテゴリーに分け、第1カテゴリーの10万人の富農を銃殺、または禁錮。
第2カテゴリーはシベリア、ウラル地方、カザフスタンなどの遠方地への強制移住で、
その数、15万世帯。。カラシニコフ一家もコレに該当したんでしょうね。
第3カテゴリーは政府に忠実な富農として、財産没収は部分的。
労働予備軍として政府の支配下に置かれます。
第1カテゴリーの「強情な階級の敵」とレッテルを貼られた富農は、
25人用の監房に140人が詰め込まれ、またある監房では7人用に36人が・・、
そしてキエフの刑務所では一夜に100人が銃殺された記録もあるそうです。
また、強制移住もこれだけの世帯数ですから計画もずさんで、
北半球におけるもっとも寒い地域であるマガダンのキャンプに送られた数千人と
監視人や番犬までが、その恐ろしい冬によって一人残らず全員が死亡。
北カザフスタンの無人地に送られた富農たちが目にしたのは、
定住地5番とか、6番と書かれた小さな標識の付いた杭が地面に打たれているだけ。
建物も何もないこの土地で、「以後、自分のことは自分でせよ」と命令を受けます。
彼らは地面に穴を掘りますが、無数の人間が飢えと寒さで死んでいくのでした。
「富農は人間じゃない。蛆虫だ」という言葉によって、このような大量虐殺が起こります。
ナチスが「ユダヤ人は人間ではない」と言ったように・・と、所々で、
ウクライナ生まれの、あのグロースマンの文章からも引用しています。
また、ウクライナ共産党第一書記でスターリンの側近だったカガノーヴィチや、
モロトフ、カリーニン、トロツキー、そしてフルシチョフの報告や命令、回想も随所に・・。
富農のいなくなった農場は「コルホーズ(集団農場)」に変身。
しかし農民たちは家畜の大量殺処分で抵抗します。
また、巨大な官僚ネットワークによって派遣されたコルホーズ責任者の無知や怠慢によって、
大抵のところでは不効率を極め、例外的に模範的なコルホーズも、
その穴埋めのために農民の分の穀物まで取り上げるのです。
まして農民に支払われる1年間の現金は、靴一足が買えるかどうかという程度。。
当然、ガッカリした農民の労働意欲は失われていきます。
例えば日本の大企業であっても、工場長と熟練の技師たちをクビにして、
代わりにデスクワークが取り柄の素人主任と、時給激安のバイトが来たところで、
生産能率が上がるとは、とても思えませんね。
大規模に導入された機械トラクターも故障が多く、そのくせ部品のスペアがないために
農業全体の生産はガタ落ちです。
ですが、スターリンはこれらの政策によって1932年には生産高が50%も上昇するだろうと予測。
新たに導入された「生物学的収穫高」によって、見積もりが行われますが、
これは利用可能な最大限の土地に対して、理論的に可能な最大の収穫高を当てはめ、
他方、収穫の際の、気候も伴うさまざまな損失は無視する・・というもの。
すなわち、「凶作」だろうが関係なく、「大豊作」の供出を要求するということですね。
中盤ではウクライナ以外の国、ウズベキスタンやカザフスタンなど中央アジアにおける
「集団化」についても触れられます。
元来、定住すらしていない遊牧民を集団化させようという無茶な政策で、
その多くが砂漠など充分な水の供給すらない場所があてがわれます。
カザフ人の馬賊はコルホーズを襲撃してOGPUの武装隊と戦い、家畜を連れ去ります。
共産党のもう一つの敵が「教会」です。
革命前のロシア正教会は、1億人の正規信徒、5万の教会と同じだけの司祭を抱えていますが、
集団化は、地元教会の閉鎖も伴います。
イコンは没収されて、聖器具と一緒に燃やされ、教会そのものは「穀物倉庫」に変身。
以上を踏まえて、360ページからメインとなる第3部「飢饉テロ」が始まります。
1931年、ウクライナ嫌いのスターリンによって収穫高の42%に当たる
770万㌧の供出が要求され、さらに翌年も同じ数字をウクライナに求めます。
畜牛に穀物といったコルホーズのすべての財産は国家の保有とすることが定められ、
農民の70%がコルホーズで働いていたウクライナでは、法的な飢餓が始まります。
自分の自営地で実ったトウモロコシを100個ほど刈り取った農婦は10年の禁固刑を言い渡され、
集団農場から10個のタマネギを掘り出した別の農婦も同じ道を辿ります。
オマケに財産まで没収ですから、家族は餓死・・。
情状酌量の余地がなければ銃殺で、ハリコフ法廷の1ヶ月だけでも死刑判決が1500件。。
ある村では多数の農民が埋められた馬を食べたために銃刑に・・。
これは鼻疽病などの伝染病を恐れるGPUの手によるものです。
しかしスターリンの手先として農民のわずかな食料を徹底的に捜査する「作業班」のなかには、
腫れ上がった足を抱えて絶望し、毎日、死体が運び出されるさまに、
神経が耐えられなくなる者も出てきます。
慈悲深く、ジャガイモやサヤエンドウを家族の食糧として残してやることもあれば、
「これがスターリンの政策の結果だとしても、正しいやり方なのか・・」と。。
う~ん。。「普通の人びと -ホロコーストと第101警察予備大隊-」を思い出しますね。
もちろん町には共産党員の官吏らのための大食堂があり、
とびきりの安価でパンや牛肉、フルーツ、ワインが提供されています。
このオアシスに飢えた農民や子供たちが入ってこないよう、警察が守りを固め、
農婦たちは食物欲しさに官吏らを相手に売春をするのです。
国家からハッパをかけられて、虐殺行為が広がっていくウクライナの村々。
小麦を引き抜いたり、トウモロコシを拾い集めているところを見つかっただけで、
武装した警備員に14歳の子どもでも銃殺されてしまいます。
1941年のレニングラードのように犬や猫も食べて、ミミズや砕いた骨も食べる農民たち。
食料を求めて、キエフやハリコフ、オデッサの諸都市にやって来た農民も、
歩道に倒れ、飢えたまま転がっているだけ・・。
医師には農民に医療を施すことを禁じる命令が出され、
党員と警察が飢えた農民を駆り集めて、汽車で窪地に運んでそのまま放置。
ある街路では毎日、150もの死体が集められます。
2500万人というウクライナの農業人口の1/4から1/5、約500万人がこのようにして死亡。
その死亡率は村や地域によって異なりますが、10%~100%です。
・・・「100%」って凄いですね。。村ひとつが飢餓で全滅したということです。
飢餓の肉体的症状についても詳しく語られます。
もうちょっとシンドくなってきましたので、詳しい話はパス。。
自殺も増え、主な方法は首つりです。
母親たちは、しばしば子供の首を絞めて、悲惨な状況から子供を解放してあげるのです。
しかし、人間の顔をしながら、狼の目をした母親も・・。
そう、気が狂って、自分の子どもを殺して食べる「人食い」です。
人食いを禁じる法律はないものの、「こいつは人食いだ。射殺しなければ・・」となります。
ですが、そう言う彼等こそが母親が子供を喰うほど、狂気に追い込んでいるのです。
トドメとばかりに「子供たち」という章も出てきて、餓死しただけでなく、
親と生き別れた子供たちが浮浪者となって・・と、もう書く気がしません。。
1933年3月、ウクライナの穀物徴発はついに中止が決定します。
ミコヤンが軍隊の保存していた穀物の一部を農民に解放する指令を出しますが、
パンを与えられた農民が、あまりに沢山、しかも早く食べ過ぎて、死者が出た・・という話も。。
こうして農民と教会が破壊されただけでなく、文化人のほとんども粛清され、
ウクライナは蹂躙され尽くすのでした。
ウクライナの国旗が、青色は空、黄色はステップ(草原)に豊かに実る小麦・・
ということは知っていましたが、本書を読んでから改めて眺めると、
何とも言えない気持ちになります。
「結論」として著者は、1930年~37年までのソヴィエト農民の死亡者を1100万人、
この時期に逮捕され、その後、強制収容所で死亡した者を350万人、
合計1450万人が死亡したとしています。
「エピローグ」ではその後の出来事が語られます。
1936年~38年に起こった次のテロ。「大粛清」です。
10年の刑で刑務所にいた富農や農民がこの時期に銃刑となり、
また、コルホーズの議長や役人を告発することが期待されます。
告発された議長は自分の委員会を告発し、委員は監督や作業班長を告発・・。
もちろん、ブハーリンやルイコフといった党の主要人物も銃刑に処せられ、
ウクライナのNKVDの部長、バリーツキーらも同様です。
1938年のウクライナ共産党大会では86人のうち、前年から残っていた者は3人だけ。。
スターリンを始めとして、本書には写真が一枚も掲載されておらず、
細かく挙げられる収穫高や死者数も表や一覧にまとめられていないのは不親切に感じました。
その分、登場する人物については訳注として生没年月日から党での役職、
エピソードが書かれていて、コレはなかなか参考になりました。
しかし恐ろしいのはこのような党員・・、80人くらいは出てくるでしょうか、
ざっと8割方が1937年前後に、「銃刑」、「自殺」、「獄中死」となっていることです。
ロシアに滞在していた海外メディアによる飢饉報道に対しても、
そんなものは存在しない・・と頑なに否定していたスターリン。
もうスターリン自身とモロトフ、カガノーヴィチ以外の関係者も粛清してしまってますから、
この問題は長い間、闇に葬られることになるのです。
著者は英国のソヴィエト史家であり、「スターリンの恐怖政治」、
「誰がキーロフを殺したのか」、「スターリン -ユーラシアの亡霊」も書いている専門家です。
キーロフの本は読んでみたいと思っていたんですよねぇ。
本書は確かに、スターリン体制下のソ連について、ある程度知っている方向きです。
例えば頻繁に名称の変わる、KGBの前身であるいわゆる秘密警察・・、
GPU→OGPU→NKVDということを知っていた方が読みやすいですし、
また、個人的には知らなかった名称・・、
国営農場の「ソフホーズ」や、「村ソヴィエト」などは勉強になりました。
「ソヴィエト」って何の意味だっけ?? と、新鮮な感じでした。
それに純粋に「ホロドモール」について知りたければ、第3部だけでもOKでしょう。
しかし、なぜそれが起こったのか?? は、やはりウクライナの歴史と農民、
そしてボルシェヴィキのイデオロギーを前半で理解する必要があると思います。
現在、ウクライナで激しいデモによって多数の死者が出ていると伝わっていますが、
EUとの連合協定締結協議を停止して、ロシアとの経済協力強化を進めようとする政府に
抗議する形で始まったようです。
政府側と戦っているのは、つい最近までボクシングのヘビー級チャンピオンだった
野党ウダル(UDAR)の党首、"鋼鉄の拳"ビタリ・クリチコです。
いくら10試合くらいは見たからといって、ウクライナの野党が正しいなんて言えませんが、
こんな本を読んだ後だけに、ロシアとの関係も含めて早く落ち着いてほしいものです。
訳者あとがきでは「餓鬼(ハングリー・ゴースト)―秘密にされた毛沢東中国の飢饉」
という本を紹介し、そちらでも本書が比較参考にされているそうです。
中国の大飢饉は「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962」を
チェックしていましたが、ちょっと気になるところです。
また「北朝鮮飢餓の真実―なぜこの世に地獄が現れたのか?」というのもあるそうで、
「北朝鮮人喰い収容所―飢餓と絶望の国」というホラー映画みたいな本もあったり、
レニングラード包囲、ガダルカナル島、そして本書と続いてきた飢餓シリーズは
今後どうするか、悩ましいですね。
桴
ロバート・コンクエスト著の「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉」を遂に読破しました。
一昨年の9月に「スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-」を読んだ際に知った本書は、
このBlogでも何度となく取り上げた「ホロコースト」に匹敵するジェノサイドとして、
「ホロドモール」と呼ばれる、ウクライナでの恐るべき大飢饉の全貌を描いたものです。
2007年に発刊された638ページの大作ですが、すでに廃刊でプレミア価格・・。
区内の図書館にも置いていませんでしたが、よその区からお取り寄せしてもらいました。
3部から成る本書、まずは第1部「主役たち・・党、農民、国家」です。
キエフ大公の時代からモンゴル軍の手に落ち、今度はモスクワ公国へ・・といった
災難をいくつも乗り越えてきたウクライナ人の歴史を紹介し、
「10月革命」後、その資源に期待を寄せ、なんとしても自分の新体制の中に
ウクライナを編入したいと望むレーニン。
1919年、1人当たりの消費量を130㌔とし、それを超えるすべての「余剰」穀物を
無料で徴発するよう命じます。
ナチス・ドイツもそうですが、この肥沃な土地は魅力があるんですね。
ウクライナでは4ヵ月間で300回もの暴動が起こり、まだ内戦の最中ですから、
白軍の攻撃からも撤退を余儀なくされるボルシェヴィキ・・といった構図です。
「国家が必要」という観点から、農民の手元にどれだけ残るかということには関係なく、
徴発されることとなり、「食料徴発隊」が45000名に増員。
村々ではそんな食料徴発隊が到着すると発砲して交戦。
これに農民パルチザンの「緑軍」も加わって大掛かりな反乱へと発展していきます。
この1918年~20年の「農民戦争」における死者数は900万人。
さらに1921年~22年にかけて大飢饉が発生します。
天候が悪かったのに加え、農民が生存していくための最低条件となる農産物まで
ソ連政府が没収したことで、500万人が命を落とすのでした。
都会人のボルシェヴィキはもともと農民を「恐ろしく貪欲で負けず嫌い」と見ており、
スターリンも「農民は屑」と語っています。
そんな農民、特に地主貴族の延長上である「クラーク(富農)」は共産党の敵であり、
階級的にも許されず、反革命家であるわけです。
しかし富農の定義は曖昧であり、1927年、最も豊かな農民でも7人家族で
2,3頭の雌牛と10haの耕地を持っているだけ・・。
そして日雇い労働者などの「貧農」、その間に存在する「中農」も定義しようと四苦八苦。
「弱い」中農と、「豊かな」中農に分けると、党内も大混乱です。
第2部は「農民蹂躙」。
1929年、スターリンが「富農撲滅運動」に着手します。
これまでの、ただ穀物を収奪しただけの政策から大きく転換。
富農を3つのカテゴリーに分け、第1カテゴリーの10万人の富農を銃殺、または禁錮。
第2カテゴリーはシベリア、ウラル地方、カザフスタンなどの遠方地への強制移住で、
その数、15万世帯。。カラシニコフ一家もコレに該当したんでしょうね。
第3カテゴリーは政府に忠実な富農として、財産没収は部分的。
労働予備軍として政府の支配下に置かれます。
第1カテゴリーの「強情な階級の敵」とレッテルを貼られた富農は、
25人用の監房に140人が詰め込まれ、またある監房では7人用に36人が・・、
そしてキエフの刑務所では一夜に100人が銃殺された記録もあるそうです。
また、強制移住もこれだけの世帯数ですから計画もずさんで、
北半球におけるもっとも寒い地域であるマガダンのキャンプに送られた数千人と
監視人や番犬までが、その恐ろしい冬によって一人残らず全員が死亡。
北カザフスタンの無人地に送られた富農たちが目にしたのは、
定住地5番とか、6番と書かれた小さな標識の付いた杭が地面に打たれているだけ。
建物も何もないこの土地で、「以後、自分のことは自分でせよ」と命令を受けます。
彼らは地面に穴を掘りますが、無数の人間が飢えと寒さで死んでいくのでした。
「富農は人間じゃない。蛆虫だ」という言葉によって、このような大量虐殺が起こります。
ナチスが「ユダヤ人は人間ではない」と言ったように・・と、所々で、
ウクライナ生まれの、あのグロースマンの文章からも引用しています。
また、ウクライナ共産党第一書記でスターリンの側近だったカガノーヴィチや、
モロトフ、カリーニン、トロツキー、そしてフルシチョフの報告や命令、回想も随所に・・。
富農のいなくなった農場は「コルホーズ(集団農場)」に変身。
しかし農民たちは家畜の大量殺処分で抵抗します。
また、巨大な官僚ネットワークによって派遣されたコルホーズ責任者の無知や怠慢によって、
大抵のところでは不効率を極め、例外的に模範的なコルホーズも、
その穴埋めのために農民の分の穀物まで取り上げるのです。
まして農民に支払われる1年間の現金は、靴一足が買えるかどうかという程度。。
当然、ガッカリした農民の労働意欲は失われていきます。
例えば日本の大企業であっても、工場長と熟練の技師たちをクビにして、
代わりにデスクワークが取り柄の素人主任と、時給激安のバイトが来たところで、
生産能率が上がるとは、とても思えませんね。
大規模に導入された機械トラクターも故障が多く、そのくせ部品のスペアがないために
農業全体の生産はガタ落ちです。
ですが、スターリンはこれらの政策によって1932年には生産高が50%も上昇するだろうと予測。
新たに導入された「生物学的収穫高」によって、見積もりが行われますが、
これは利用可能な最大限の土地に対して、理論的に可能な最大の収穫高を当てはめ、
他方、収穫の際の、気候も伴うさまざまな損失は無視する・・というもの。
すなわち、「凶作」だろうが関係なく、「大豊作」の供出を要求するということですね。
中盤ではウクライナ以外の国、ウズベキスタンやカザフスタンなど中央アジアにおける
「集団化」についても触れられます。
元来、定住すらしていない遊牧民を集団化させようという無茶な政策で、
その多くが砂漠など充分な水の供給すらない場所があてがわれます。
カザフ人の馬賊はコルホーズを襲撃してOGPUの武装隊と戦い、家畜を連れ去ります。
共産党のもう一つの敵が「教会」です。
革命前のロシア正教会は、1億人の正規信徒、5万の教会と同じだけの司祭を抱えていますが、
集団化は、地元教会の閉鎖も伴います。
イコンは没収されて、聖器具と一緒に燃やされ、教会そのものは「穀物倉庫」に変身。
以上を踏まえて、360ページからメインとなる第3部「飢饉テロ」が始まります。
1931年、ウクライナ嫌いのスターリンによって収穫高の42%に当たる
770万㌧の供出が要求され、さらに翌年も同じ数字をウクライナに求めます。
畜牛に穀物といったコルホーズのすべての財産は国家の保有とすることが定められ、
農民の70%がコルホーズで働いていたウクライナでは、法的な飢餓が始まります。
自分の自営地で実ったトウモロコシを100個ほど刈り取った農婦は10年の禁固刑を言い渡され、
集団農場から10個のタマネギを掘り出した別の農婦も同じ道を辿ります。
オマケに財産まで没収ですから、家族は餓死・・。
情状酌量の余地がなければ銃殺で、ハリコフ法廷の1ヶ月だけでも死刑判決が1500件。。
ある村では多数の農民が埋められた馬を食べたために銃刑に・・。
これは鼻疽病などの伝染病を恐れるGPUの手によるものです。
しかしスターリンの手先として農民のわずかな食料を徹底的に捜査する「作業班」のなかには、
腫れ上がった足を抱えて絶望し、毎日、死体が運び出されるさまに、
神経が耐えられなくなる者も出てきます。
慈悲深く、ジャガイモやサヤエンドウを家族の食糧として残してやることもあれば、
「これがスターリンの政策の結果だとしても、正しいやり方なのか・・」と。。
う~ん。。「普通の人びと -ホロコーストと第101警察予備大隊-」を思い出しますね。
もちろん町には共産党員の官吏らのための大食堂があり、
とびきりの安価でパンや牛肉、フルーツ、ワインが提供されています。
このオアシスに飢えた農民や子供たちが入ってこないよう、警察が守りを固め、
農婦たちは食物欲しさに官吏らを相手に売春をするのです。
国家からハッパをかけられて、虐殺行為が広がっていくウクライナの村々。
小麦を引き抜いたり、トウモロコシを拾い集めているところを見つかっただけで、
武装した警備員に14歳の子どもでも銃殺されてしまいます。
1941年のレニングラードのように犬や猫も食べて、ミミズや砕いた骨も食べる農民たち。
食料を求めて、キエフやハリコフ、オデッサの諸都市にやって来た農民も、
歩道に倒れ、飢えたまま転がっているだけ・・。
医師には農民に医療を施すことを禁じる命令が出され、
党員と警察が飢えた農民を駆り集めて、汽車で窪地に運んでそのまま放置。
ある街路では毎日、150もの死体が集められます。
2500万人というウクライナの農業人口の1/4から1/5、約500万人がこのようにして死亡。
その死亡率は村や地域によって異なりますが、10%~100%です。
・・・「100%」って凄いですね。。村ひとつが飢餓で全滅したということです。
飢餓の肉体的症状についても詳しく語られます。
もうちょっとシンドくなってきましたので、詳しい話はパス。。
自殺も増え、主な方法は首つりです。
母親たちは、しばしば子供の首を絞めて、悲惨な状況から子供を解放してあげるのです。
しかし、人間の顔をしながら、狼の目をした母親も・・。
そう、気が狂って、自分の子どもを殺して食べる「人食い」です。
人食いを禁じる法律はないものの、「こいつは人食いだ。射殺しなければ・・」となります。
ですが、そう言う彼等こそが母親が子供を喰うほど、狂気に追い込んでいるのです。
トドメとばかりに「子供たち」という章も出てきて、餓死しただけでなく、
親と生き別れた子供たちが浮浪者となって・・と、もう書く気がしません。。
1933年3月、ウクライナの穀物徴発はついに中止が決定します。
ミコヤンが軍隊の保存していた穀物の一部を農民に解放する指令を出しますが、
パンを与えられた農民が、あまりに沢山、しかも早く食べ過ぎて、死者が出た・・という話も。。
こうして農民と教会が破壊されただけでなく、文化人のほとんども粛清され、
ウクライナは蹂躙され尽くすのでした。
ウクライナの国旗が、青色は空、黄色はステップ(草原)に豊かに実る小麦・・
ということは知っていましたが、本書を読んでから改めて眺めると、
何とも言えない気持ちになります。
「結論」として著者は、1930年~37年までのソヴィエト農民の死亡者を1100万人、
この時期に逮捕され、その後、強制収容所で死亡した者を350万人、
合計1450万人が死亡したとしています。
「エピローグ」ではその後の出来事が語られます。
1936年~38年に起こった次のテロ。「大粛清」です。
10年の刑で刑務所にいた富農や農民がこの時期に銃刑となり、
また、コルホーズの議長や役人を告発することが期待されます。
告発された議長は自分の委員会を告発し、委員は監督や作業班長を告発・・。
もちろん、ブハーリンやルイコフといった党の主要人物も銃刑に処せられ、
ウクライナのNKVDの部長、バリーツキーらも同様です。
1938年のウクライナ共産党大会では86人のうち、前年から残っていた者は3人だけ。。
スターリンを始めとして、本書には写真が一枚も掲載されておらず、
細かく挙げられる収穫高や死者数も表や一覧にまとめられていないのは不親切に感じました。
その分、登場する人物については訳注として生没年月日から党での役職、
エピソードが書かれていて、コレはなかなか参考になりました。
しかし恐ろしいのはこのような党員・・、80人くらいは出てくるでしょうか、
ざっと8割方が1937年前後に、「銃刑」、「自殺」、「獄中死」となっていることです。
ロシアに滞在していた海外メディアによる飢饉報道に対しても、
そんなものは存在しない・・と頑なに否定していたスターリン。
もうスターリン自身とモロトフ、カガノーヴィチ以外の関係者も粛清してしまってますから、
この問題は長い間、闇に葬られることになるのです。
著者は英国のソヴィエト史家であり、「スターリンの恐怖政治」、
「誰がキーロフを殺したのか」、「スターリン -ユーラシアの亡霊」も書いている専門家です。
キーロフの本は読んでみたいと思っていたんですよねぇ。
本書は確かに、スターリン体制下のソ連について、ある程度知っている方向きです。
例えば頻繁に名称の変わる、KGBの前身であるいわゆる秘密警察・・、
GPU→OGPU→NKVDということを知っていた方が読みやすいですし、
また、個人的には知らなかった名称・・、
国営農場の「ソフホーズ」や、「村ソヴィエト」などは勉強になりました。
「ソヴィエト」って何の意味だっけ?? と、新鮮な感じでした。
それに純粋に「ホロドモール」について知りたければ、第3部だけでもOKでしょう。
しかし、なぜそれが起こったのか?? は、やはりウクライナの歴史と農民、
そしてボルシェヴィキのイデオロギーを前半で理解する必要があると思います。
現在、ウクライナで激しいデモによって多数の死者が出ていると伝わっていますが、
EUとの連合協定締結協議を停止して、ロシアとの経済協力強化を進めようとする政府に
抗議する形で始まったようです。
政府側と戦っているのは、つい最近までボクシングのヘビー級チャンピオンだった
野党ウダル(UDAR)の党首、"鋼鉄の拳"ビタリ・クリチコです。
いくら10試合くらいは見たからといって、ウクライナの野党が正しいなんて言えませんが、
こんな本を読んだ後だけに、ロシアとの関係も含めて早く落ち着いてほしいものです。
訳者あとがきでは「餓鬼(ハングリー・ゴースト)―秘密にされた毛沢東中国の飢饉」
という本を紹介し、そちらでも本書が比較参考にされているそうです。
中国の大飢饉は「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962」を
チェックしていましたが、ちょっと気になるところです。
また「北朝鮮飢餓の真実―なぜこの世に地獄が現れたのか?」というのもあるそうで、
「北朝鮮人喰い収容所―飢餓と絶望の国」というホラー映画みたいな本もあったり、
レニングラード包囲、ガダルカナル島、そして本書と続いてきた飢餓シリーズは
今後どうするか、悩ましいですね。
桴