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東京裁判 〈下〉 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「東京裁判 〈下〉」を読破しました。

251ページの下巻は昭和22(1947)年の新春から始まります。
元旦こそ、法廷はお休みですが、欧米らしく1月2日からは開廷です。
監房の小窓が大破していたものの、一向に修理されず、寒風にさらされていた
66歳の元軍令部総長、永野修身元帥はこの日、寒気を覚えて入院しますが、
5日に急死してしまいます。

東京裁判下.jpg

米人弁護人は上巻でも登場したような「熱心組」がいる一方で、
怠け者のアル中にしか見えない「スパイ組」と呼ばれる弁護人も多く、
被告たちも「米人弁護人に本当のことを話して差し支えないか」と心配です。
そこで三文字弁護人は、米人弁護人の心構えを直し、日本側に引き付けるため、
天皇の弟である高松宮臨席のもと、お座敷洋食店で飲めや歌えやの宴会を開催。
米本国では皇室廃止の声も高いなかでのギャンブルですが、
玄関に慣れぬ正座をして高松宮を迎える米人弁護人軍団。
数日後には千葉御料地の鴨猟にも招待する、「洗脳作戦」が続きます。

Emperor Shōwa,Hirohito,Chichibu,Takamatsu and Empress Teimei.jpg

巣鴨プリズンでの被告の生活は、ゲーリングの自殺の一件が大きく影響し、
夜も電灯をつけたままで就寝。
監視兵は靴音を立てて終夜、廊下を歩き、数回は目が覚めます。 
法廷から帰ってきて獄舎用衣服に着替える際には、
検査官に肛門まで調べられる屈辱に毎日、耐えねばなりません。
そして粗暴な米兵たちは転任が決まると、戦犯No.1である東條にサインをねだるのでした。

The International Military Tribunal for the Far East.jpg

2月、8ヶ月に渡った検事側の苛烈な論告に対する、弁護団の冒頭陳述が始まります。
「満州事変、支那事変、太平洋戦争は原因も別なら、当事者も別であり、
一貫した世界征服計画によるものではないことは容易に証明される」。
盧溝橋事件は事前の中国側の激しい挑発行為によるもので責任は中国側にある。
ノモンハン事件は「協定済」の事件であり、ソ連侵攻の意図はなかった。
逆にソ連は「日ソ中立条約」を無視して対日参戦する、明らかな中立条約違反ではないか。
太平洋戦争の開戦は米国の経済圧迫、英、蘭、中国と連結した日本包囲体制から
免れんとする自衛のあがきにほかならなかった・・。と熱く語る清瀬弁護人。

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「南京虐殺事件」の反証も始まり、中国側は第6師団による市民殺害23万人、
第16師団によるものが14万人、その他が6万人の、計43万人と主張していますが、
著者は「正確な数字は確かめようもないが、43万人は拡張であろう」としています。
しかし、南京警備司令官を命ぜられた中島中将が第16師団に
峻烈な残敵掃討を命じたこと、一部の兵による、掠奪、放火、強姦が行われたのは
間違いなく、12月17日に方面軍司令官の松井大将が南京城に入って、
初めて虐殺行為を知り、不心得者の処罰、被害者に対する補償などを下命したということで、
日本軍以外の、中国側敗残兵、一部市民の蛮行も推測されるそうです。

IJA_tanks_attacked_Nanking_Chonghua_gate.jpg

この事件は20年位前から興味があるんですよね。
個人的な感覚では本書の見解は正しく思います。
すなわち、日本兵による蛮行は少なからずあった。
あまり言いたくありませんけれど、11月のフィリピン・レイテ島の台風被害で
市民が略奪に走っている姿を見ると、火事場泥棒じゃありませんが、
混乱に乗じて盗みや強姦を犯す現地人がいないと考える方がおかしいと思いますね。
「松井石根と南京事件の真実」という本があるので読んでみようかな。。

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そして中国側は、すでに第6師団長の谷寿夫中将を南京法廷で裁き、
第6師団が攻略した南京城外で両腕を押さえて跪かせ、
後頭部に銃弾を叩き込んで処刑済み・・。

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一見残酷に感じる谷中将の公開処刑ですが、判決はともかくとして、
当時の中国の基準からすれば、人道的な処刑方法だと思います。
ズラッと並んだ銃殺隊による銃殺では即死せずに、トドメの一発が必要な場合もあり、
後頭部から脳髄を狙う一発は、確実に即死します。
また、ヨーロッパでは一般的な犯罪者に適用され、死亡するまでに数10分もかかる
絞首刑ではなく、貴族や軍人に対しては名誉ある銃殺刑が適用されており、
ニュルンベルクではカイテル元帥が銃殺を希望したものの拒否されて、
全員絞首刑・・という経緯もありました。
まぁ、「図説 死刑全書」や、最近、「図説 公開処刑の歴史」をコッソリ読んだ限りですが・・。

東條大将と同等の「大物」被告とされているのが、天皇の側近第一人者である木戸内大臣です。
天皇の意志を誰よりも良く知っており、上巻でも宮中、軍部、政府の各最高首脳の動きを
緻密に描いた克明な「日記」を提出しています。コレ、本として出てるんですね。

Kōichi Kido.jpg

そしてこの日記と口供書は、陸軍関係の被告にとってはそれまでの立証を吹き飛ばす
まことに厄介なものであり、武藤、佐藤両中将は、往復のバスの中で木戸内大臣を指さします。
「笹川くん、こんな嘘つき野郎はいないよ。
『戦時中、国民の戦意を破砕することに努力してきました』とは、
なんということを言うヤツだ。この大馬鹿野郎が・・」。

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証人訊問のために、この大物被告のケンカに巻き込まれてしまった笹川くんとは、
「世界は一家、人類は皆兄弟」でお馴染みの、笹川良一です。。
A級未起訴組だったということしか書かれていない、エキストラ・レベルの脇役ですが、
気になったので、ちょっと調べてみると、国粋大衆党の総裁として
イタリア、ファシスト党に似せた黒シャツを私兵に着せ、
崇拝するムッソリーニとも会見してるんですねぇ。

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11月までかかって、被告たちの個人反証が続き、ついに東條の出番です。
日本文の口供書は220ページに達する大作で、弁護人の朗読には3日を要します。
イヤホーンを付け、証言台に座る東條大将。

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その姿を見つめる米主席検事のキーナンは、すでに「東條工作」の手を打っているのです。
それは米政府、およびマッカーサーは天皇の起訴は望んでいない・・というもの。
占領政策の成功と日本の赤化防止、日本の団結の為に、天皇は必要であり、
弁護人を通じて、「この戦争は陛下の命令に背いて始めたものだ」と証言するよう頼むのです。
しかし、「それは無理な注文ですよ。陛下の御裁可があったからこそ開戦した」と答える東條。。
それでも「陛下は嫌々ながら開戦をご承認になった」と証言することを了承します。

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また年も明けて2月になり、検察側の論告文が読み上げられます。
その次に待っているのは「判決」ですが、その判決文が英文で1200ページ超えであり、
8月から26人体制で行われている翻訳作業に時間がかかっているのです。
11月になって、やっとウェッブ裁判長のよる判決文の朗読が・・。
オーストラリア人裁判長が読み終わるのは、1週間後と推測され、
その間には、誰が助かって、誰が死刑かの憶測が飛び交うのです。

そんな被告たちに家族らの最後の面会。
死刑を悟っている東條は夫人に語ります。
「日本で処刑されることは日本の土になるのだからうれしい。
特に敵である米人の手で処刑されるのがうれしい。
自分も戦死者の列に加わることができるであろう」。

武藤中将も極刑を悟り、夫人と令嬢に語りかけます。
「千代子は早晩結婚しなければならぬが・・、検事だとか、判事だとかは避けるが良い。
今度の経験で彼らは人間の屑だということが判った・・」。

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こうしていよいよ判決の時。
被告席のドアから一人づつ姿を現し、ウェッブ裁判長が宣告文を読み上げます。
「被告荒木貞夫・・、被告を終身の懲役刑に処する」。
続く土肥原賢二大将は、「デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」。
広田弘毅元総理、東條大将ら、7人に死刑判決が下るのでした。



この結果は、ニュルンベルク裁判以上の過酷さ・・と評価されます。
「平和に対する罪」、「殺人に対する罪」など、起訴内容の大部分が立証不十分とみなされ、
死刑はせいぜい2~3人に留まり、無罪者も出ると見込まれていたものの、全員が有罪。
弁護人らは怒りをぶちまけます。
「法廷は愛国心を頭から退け、有罪とみなした。
愛国者を処罰する国際法があってはたまらないではないか」。

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不満をあらわにするのはキーナン検事も同様です。
「なんという馬鹿げた判決か。重光は平和主義者だ。無罪が当然だ。
松井、広田が死刑などとは、まったく考えられない」。
またオランダ、インドなど、少数派ながら死刑反対の判事も存在します。
「落日燃ゆ」って聞いたことがありましたが、広田弘毅の生涯を描いたものだったんですね。

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12月23日早朝に巣鴨プリズンにおいて死刑執行が行われることが決定。
まず土居原、松井、東條、武藤の4人が手錠をかけられて登場します。
武藤中将は万歳を三唱しようということで、松井大将が音頭を・・。
「大日本帝国バンザイ、天皇陛下バンザイ、バンザイ、バンザイ・・」。
そして黒のフードが被せられ、ロープが首に、
フェルプス大佐の号令と共に瞬時に落下する4人。
死亡が確認されると、第2組の板垣、広田、木村の番です。

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著者は、生死も不明なウェッブ裁判長にオーストラリアで会うことができ、
米国でも関係者から取材したことを「あとがき」で語ります。
新たな調査・研究によって出版される第2次大戦関連本も悪くはありませんが、
戦後、これだけの時間が経ってしまうと、
どうしても過去の文献からの抽出作業になってしまいます。
ヴィトゲンシュタインが古い本を好きなのは、本書のような著者の実体験や
当事者への直接インタビューなど、より生々しい記述に惹かれるからなんですね。

天皇陛下が裁かれることだけは、なんとしても避けなければ・・という被告たち。
一方、ドイツではほとんどの被告が、責任をヒトラーに押し付けています。
この違いはなんなのか?? 国民性の違い?? 君主制度と歴史の違いなのか??
もしヒトラーではなく、皇帝ヴィルヘルム2世であってもそうしたのか??
或いはヒトラーと天皇、自殺したのが逆でも、彼らは同じことを言ったのでしょうか??

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本書を読む前に自分の知識でもって「ニュルンベルク裁判」と比較したい・・と
思っていましたが、予想以上に本書でも比較がなされ、
また、裁判当時も法廷や被告、関係者が意識していたのは驚きでした。
映画「東京裁判」も観てみたくなりました。

そしてA級戦犯に関連した、いわゆる「靖国問題」とは何なのか・・?? ということでも、
本書で裁かれた被告たちをもっと知らなければ語れないことだと改めて思いました。












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