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東京裁判 〈上〉 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「東京裁判 〈上〉」を読破しました。

「ニュルンベルク裁判」モノは3冊やっつけて、そろそろ「東京裁判」モノを・・と
考えていたところ、本書をオススメされましたので、早速、購入しました。
著者は「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」の児島氏なので安心感があります。
本書は1971年初版が出た後、最近では2007年に改訂版が出ています。
しかしヴィトゲンシュタインはなぜか間を取って、1982年の文庫を選んでみました。

東京裁判上.jpg

この285ページの上巻を読む前に、どれだけこの裁判の予備知識があるかというと、
恐ろしいことに「東條英機が死刑になった」ことだけです・・。
かなりの冒険のような気もしますが、個人的な基準はニュルンベルク裁判であって、
アレと比較してどのような違いがあるか??
または日本人として特別に感じることはあるのか??
ということを楽しみにして読んでみたいと思います。

Hideki Tojo.jpg

昭和20年8月30日、厚木の日本海軍飛行場に到着したマッカーサー元帥
コーンパイプを手にしたその姿は、カラーのニュース映像でもお馴染みですが、
その専用機の名前は「バターン」。は~、あのバターンでしょうね。。
そんな彼の最初の命令は「トウジョウ将軍を逮捕して監禁しろ」。

The nose of Bataan.jpg

米官憲の接近を予感した当の東條英機大将は、
「生きて虜囚の辱を受けず」との戦陣訓を制定したのは自分であり、
召還を受ければ自決する・・という決意。
訪ねてきたAP通信記者から、「マッカーサー将軍をどう思いますか?」と質問されると、
「フィリピンで部下を置き去りにして豪州へ逃げた。指揮官としてあるまじき行為だ」。
占領軍司令官を批判する発言に慌てる通訳・・。
とりあえず「立派な政治手腕を持つ軍人だと思う」と誤訳して一同、満足げです。

しかし、逮捕の為に2個分隊がやってくると、一発の銃声が・・。
自らを撃った弾丸は左肺を貫通したものの、辛うじて心臓は外れ、
野戦病院で手術が行われて、一命を取り留めるのでした。

Tōjō had shot himself in the chest with a pistol.jpg

「トウジョウ・ショック」はご免・・とするマッカーサーですが、自決者が続きます。
杉山元帥は胸に四発もの弾丸を撃ち込み、夫人も短刀で胸を突きます。
小泉親彦中将は軍刀で自刃。橋田邦彦元文相は服毒自殺・・。

General Hajime Sugiyama Saluting.jpg

敗戦処理皇族内閣である東久邇宮政府は
「戦争犯罪人には日本側で審理・判定したうえで引き渡そう」としますが、
この自主裁判構想には天皇が反対。
天皇の名で戦争をして、今度は天皇の名で裁く・・というのは、不可能なのです。
そして9月27日、「挨拶に来い」という態度のマッカーサーを訪問する天皇。
ツーショット写真は新聞にも掲載された有名なものですが、
ノータイで腰に手を当てたマッカーサーの態度を「無礼」と感ずる国民もいただろうが、
共通していたのは「敗けた」という想いであったに違いない・・と、
占領軍司令官の日本国民に対する「心理作戦」の成果にも言及しています。

macarthur_hirohito.jpg

12月、健康を取り戻した東條ら戦犯が、大森捕虜収容所から巣鴨拘置所へ移されます。
監房のドアに書かれた番号を見た東條は眉をしかめます。
「四四」・・。「死死」とも読める縁起の悪さです。「東條は二度死ぬ」みたいな・・。

Sugamo Prison.jpg

貴族院議員を中心に新たに9人の逮捕命令が出され、そのなかには大島元駐ドイツ大使の名も。
三度も総理を務めた近衛侯爵は出頭することに怒り心頭。
「戦勝国が何でもでき、誰でも逮捕できるというなら、
ヒューマニズムも法律もあったものじゃない」。
そして青酸カリで自殺した姿を夫人が発見するのでした。

Fumimaro Konoe.jpg

年も明けた昭和21年1月22日、「極東国際軍事裁判所」条例が布告されます。
すでに始まっていた「ニュルンベルク裁判」との唯一、かつ最大の相違は、
「裁判が完全にマッカーサー元帥の管理下に置かれた」点にあります。
裁判には米、英、ソ、中国、蘭、ニュージーランド、加、豪、後に印、比が参加し、
それぞれに判・検事を送ってきますが、各国の戦犯、
特に天皇に対する態度は一致していません。
しかし米国はすでに、天皇を戦犯法廷に引き出さない方針を定めていたのです。

その対策として、首席検察官は米国のキーナン検事としたものの、
裁判長も米国人にしたのでは、あまりにも「米国色」が強すぎます。

joseph-b-keenan-us-chief-prosecutor-at-the-international-military-tribunal-for-the-far-east.jpg

そこで連合国の裁判という体裁の為、オーストラリア代表判事のウェッブを裁判長に・・。

人選が決まれば、次は場所です。
法廷は戦争末期に陸軍省、参謀本部となった市ヶ谷の旧陸軍士官学校大講堂に定められ、
ニュルンベルク裁判の写真を見せられた「鴻池組」が突貫工事・・。

courtroom of the International Military Tribunal for the Far East.jpg

4月になってようやくソ連巡洋艦が東京港にやって来ます。
ソ連判事ザリヤノフ少将、ゴルンスキー検事ら46名ですが、
歓迎しようと愛想良く話しかけるマッカーサーにもぶっきらぼうな態度。
そして、起訴状の準備がすでに完了しているにも関わらず、
如何にも強情そうな名前のソ連検事は、改めて容疑者を審問し、
被告の選別をやると言い出して、米国のキーナン検事と対立するのです。
いやいや、このような図式はニュルンベルクでもありましたね。。
マッカーサーも怒気をあらわに「ソ連の馴染みのやり方だ。
対日参戦もそうだったが、ギリギリの時に出てきて、獲物を欲しがる」。

Gen. Douglas MacArthur roars orders.jpg

起訴状には昭和3(1928)年~昭和20(1945)年9月2日という満州事変前から
降伏文書調印の日までに、いかに日本が国際的非道の限りを尽くしたか・・が述べられ、
28人が起訴されます。
日本人弁護団に加え、米国からも6人の弁護団がやって来ますが、あまりに非力。。
しかしファーネス大尉は公正を尊ぶ弁護士精神にあふれた人物で、
バターン 死の行進」の責任を問うた本間裁判では、
その時の敗者が、いまや勝者となり、かつての勝者を裁くということに、
「偏見を抜きにした裁判は不可能であり、ゆえに裁判は無効だ」と主張。
マッカーサーが負けた戦いという表現に上官が慌てて訂正を命じたほど。。

Defense Counsels with Japanese General Homma.jpg

5月3日、ようやく開廷です。
しかし大川周明被告の様子がおかしく、前に座る東條の禿げ頭を叩いたり、
ケラケラ笑い出す始末。

Ōkawa_Tojo.jpg

東大病院神経科などで診断を受けた結果、脳梅毒。
免訴となって裁判から除外されますが、この発狂には偽装説も根強いそうです。
こんな話は、まさに日本版ルドルフ・ヘスですね。



清瀬弁護人は法廷に与えられた裁判管轄権の非理を1時間半に渡って指摘します。
すなわち「ポツダム宣言」を受諾して降伏した以上、その条約に明言してある
「我等の俘虜を虐待した者を含む戦争犯罪人」だけが対象となるべきであり、
「平和に対する罪」や、「人道に対する罪」など、ポツダム宣言後に考え出された戦争犯罪は、
ヒトラーも死に首都ベルリンも占領されて
無条件降伏したドイツには適用できても、日本には適用できない筈である・・。

Kiyose-Keenan.jpg

米人弁護人のブレイクニー少佐も「戦争に伴う人命殺傷は犯罪者の殺人とは違う」と発言。
「検事側はあたかも、戦勝国の殺人は合法的だが、敗戦国の場合は非合法だというに等しい」。
さらに現在でも議論となっていることまで強調します。
「もし真珠湾空襲による被害が殺人行為であるならば、
我々はヒロシマ上空に原爆を投下した人物、この投下を計画した人物の名前を知っている。
彼らも殺人者ではないか?」

Ben Blakeney an American Defense Lawyer in Japan.jpg

5月10日には陸軍参謀総長となっていたアイゼンハワーが来日していました。
マッカーサーはキーナン検事に語ります。
「彼はフィリピン時代に私の副官だったが、なにか計画をやらせると全然使い物にならなかった」。
ほほう、コレは知りませんでした。当時は少佐でしょうかねぇ。

mac and ike.jpg

さらにマッカーサーの欧州連合軍最高司令官アイゼンハワー評は続きます。
「彼は国王や女王とお茶は飲んだが、ヨーロッパでは戦ったことがない。
ただ連合軍のとりもちをしただけだよ」。
こうして、かつての上官の占領業績を褒めてサッサと帰って行くアイゼンハワー。

MacArthur Eisenhower_spent time in Japan 1946.jpg

衰弱しつつも無理して出席していた松岡元外相が肺結核によって死亡。
また広田弘毅元総理の妻、静子が薬物によって自決・・というのは切ないシーンです。

8月16日、ソ連側の証人として、元満州国皇帝、溥儀が姿を現します。
「満州国なるものは私も含めて全然自由がなく、日本の支配下に置かれていた」と、
日本非難を展開。しかも明らかなウソも多いといった具合です。
しかし弁護人のしつこい反対尋問攻撃の前に、悲鳴に似た叫び声をあげて撃沈。。
ウェッブ裁判長にも検事団にも、皇帝溥儀が法廷に残していったものは、
ただ「不快」と、「無駄」という印象でしかありません。

Puyi at the International Military Tribunal for the Far East in Tokyo, Japan, mid-Aug 1946.jpg

溥儀は1963年に「わが半生」という回想録を書いているようで、
そのなかで、東京裁判における偽証についても告白しているそうです。
う~む。。やっぱり「ラストエンペラー」のジョン・ローンはカッコ良すぎだな。。

the-last-emperor.jpg

抑留されていたハバロフスク収容所から遥々東京までやって来たソ連側の証人、
第4軍司令官の草場辰巳中将は証言台に立つことなく自決してしまいます。
詳細は不明ですが、溥儀の「狂態」に続き、中将の「謎の死」と、
ソ連側の証人の異常さが際立ちます。

しかし今度の問題児はフランス検事です。
東京裁判での公用語は「日英語」と定められているにも関わらず、
堂々とフランス語で論告を始めるオネト検事。
弁護側が理解できないのは問題だとして、英語で話すよう求めるウェッブ裁判長。
それでも負けない頑固で知られるフランス人。
「世界で最も美しく、かつ文化的であるフランス語を話すのは、フランス国民の義務である」。
「休廷します」と金切り声を上げる裁判長。
「明らかに侮辱である。偉大なるフランス国家の名誉を守る措置を・・うんぬん」。

Webb presiding over the International Military Tribunal for the Far East in 1946.jpg

また、法廷通訳の能力には格差があります。
和英両速記録を対照しても、日本人証人の発言はしばしば大雑把に意訳され、
BC級裁判では「捕虜にゴボウを食わした」という証言が、
「木の根を食わした」と通訳されて虐待の証拠とされたり、
わざわざ英語でRICE(ライス)と言ったら、
発音の悪さゆえ「LICE(シラミ)」を食べさせたと解釈され、
やっぱり虐殺行為の自白とみなされたという例も・・。

そんなこんなで10月を迎えると、ニュルンベルク裁判での死刑執行が伝わってきます。
外相リッベントロップに始まり、シュトライヒャーらが次々に・・。
その直前に見事、看守の目を欺いて青酸カリを飲んだゲーリング

死刑判決を受けたゲーリングが獄中に妻子を迎え、6歳のエッダが
指で算術をして見せる姿に泣いた・・という新聞記事に感銘していた重光元外相は、
手向けの句を捧げます。

六歳の 娘の顔をゲーリング 母とみくらべ 顔をそむけぬ
男泣く 淋しき秋や ゲーリング

Hermann Goering consults with his lawyer.jpg

ま~、面白い本ですね。
ドキュメンタリーですが、部分的には短編小説のような雰囲気も見せ、
さすが、「ヒトラーの戦い」を10巻立て続けに飽きることなく読ませるだけのことはあります。
また、日本側だけでなく、連合国側についても詳しく書かれているのも好感が持てますし、
古今東西、「裁判」というテーマは良質なドラマになり得るということを立証しているかのようです。
パーシコ著の「ニュルンベルク軍事裁判」に似ているようにも思いました。

「まえがき」では旧制高校3年生当時の著者が、週に2、3回も
この東京裁判を傍聴したことなどが書かれています。
ふ~ん。。すごい学生ですね。
しかし、そのような著者が「生」で感じた体験が、そのまま迫力となっていることも確かです。












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スペイン戦争 [欧州諸国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
明けましておめでとうございます。

三野 正洋 著の「スペイン戦争」を読破しました。

スペイン内戦というテーマには数年前から挑戦してみたいと思っていました。
ナチス・ドイツの「コンドル軍団」派遣や、「ゲルニカ爆撃」程度は読んできましたが、
ど~も、本腰を入れづらい・・というか、背景や組織がややこしそうと、いつまでも敬遠・・。
そんなヘタレの独破戦線は、今年は勝手にチャレンジがテーマ。
そこで今回、本格的に理解するための取っ掛かりとして、
1997年、436ページの朝日ソノラマを選んでみました。

スペイン戦争.jpg

「まえがき」では、日本でも10数点のスペイン戦争に関する著書が出版されているものの、
革新的な勢力を心情的に支持しているために、イタリア・ドイツを含む
フランコ側に対する非難の色合いが強いとしています。
また、単純に「ファシズム = 悪」とも叫びたくないと、本書の中立性を宣言します。
いきなり難しい問題ですねぇ。
独破戦線は完全なドイツ寄りですから、戦記としてはフランコ・ファシスト軍を応援したいですが、
個人的に20数年のFCバルセロナ・ファンであり、レアル・マドリー嫌いという、
サッカーにおいては「反フランコ」なんですね。。
この精神的アンバランスが、今までスペイン内戦を掘り下げようとしなかった理由かも・・。

FC Barcelona 1994.jpg

第1章は「スペインの予備知識」です。
スペイン地図を掲載して、各地方と各都市を理解します。
「バルサとレアル スペイン・サッカー物語」というアンダルシアやバスクにも
言及した本を以前に読んでいますし、リーガ・エスパニョーラも毎週観ていますから、
行ったことのないスペインですが、この地理関係はOKですね。

それから「用語集」。
反ファシスト軍の総称が「人民戦線」であるとか、「コミンテルン」、
「無政府主義(者)、アナーキズム(アナーキスト)」、「ファシズム」といった言葉の意味。
恐らくこのBlogで初登場の「アナーキスト」ですが、
これについても少年時代セックス・ピストルズを毎日聞いていただけに、まったく問題なし。
ご存じない方に「anarchy in the u.k.」を英語とスペイン語歌詞でど~ぞ。



しかしさらに細かく組織単位の解説になると、コレがなかなか大変です。
政府である人民戦線側は、共産党、社会党、無政府主義者が主であり、
クーデターを起こした反政府側は、カトリック教会、軍人、ファシズム支持派が中核です。
真っ赤な共産党はカトリックを弾圧しますから、教会が反政府につきますし、
軍人と言っても一枚岩ではなく、フランコらはスペイン陸軍の正統派である王党支持グループ。
陸軍とは犬猿の仲の海軍士官は、政府側につく・・という分裂も起きています。

Generalissimo Franco TIME.jpg

第2章は「戦争前夜のスペイン」で、内戦に発展した政治的背景を解説します。
1920年代から始まった労働条件改善のストライキ、
共産主義者とアナーキストによる扇動、バスクやカタルーニャ分離主義者の存在、
政治テロによって1800人以上が殺されるという混乱続きのなか、
1936年の総選挙で左派の人民戦線側が勝利。
それによって貴族や地主、資本家に教会関係者らは国外に脱出。
イメージ的にはソ連の革命そのものですね。こうして軍部による反政府クーデターへ。

第3章では始まった「戦争の経緯」を簡単に年表と共に振り返り、
第4章で「各国の態度と介入の度合い」へ。
早速、フランコ側についたイベリア半島の隣国ポルトガルに、
コンドル軍団を派遣したドイツ。

LEGION CONDOR.jpg

最大級の介入を行ったのはファシスト・ムッソリーニのイタリアで、
5万人の遠征軍(CTV)を送り込みます。
総司令官はロアッタ将軍で、正規のリットリオ師団の他、
黒シャツ、黒い矢、黒い焔の名の付いた急造3個師団です。

Mussolini and Francisco Franco.jpg

一方の政府側には当然、共産党のボスであるソ連が、1000人の軍人と、
ポリカルポフI-16戦闘機、T-26戦車を派遣して全面バックアップ。
この当時としては世界屈指の最新兵器です。
また、フランスもこの時、右左に政治が揺れ動いており、左派のレオン・ブルム内閣が誕生。
同じ人民戦線としてスペイン政府支援に立ち上がるのでした。

第5章は「主要な戦闘」と題して、マジョルカ島を中心としたバレアレス諸島の争奪戦に、
内戦勃発から33か月間続いた首都マドリード攻防戦などを紹介。
なかでもグアダラハラの戦闘では、例の恐ろしげな黒シャツ、黒い矢、黒い焔師団が
見かけ倒しの民兵隊以下であり、先に逃げ出すのは常にイタリア軍人であった・・と。
最新鋭の装備を持ちながらも、敵の強力なT-26、BT5戦車70両の攻撃の前には
敵味方のスペイン人から笑いの種にされてしまうのもしょうがないですね。
この戦闘で戦死者2000人も出している位ですから・・。

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悪名高い「ゲルニカ爆撃」については4ページほど。
著者は「軍事的に見るかぎり、特別に非難されるものではないように思える」との感想です。
まぁ、この攻撃の真意についてはいろんな説がありますからねぇ。。

Dis Guernica nadat dit gebombardeer was in April 1937.jpg

ビルバオの戦闘ではフランコと共に反乱軍の指導者だったモラ将軍が、
飛行機事故で死亡します。
ゲルニカ爆撃に対するバスク人の復讐説に、フランコ将軍のライバル暗殺説など、
さまざまな噂がスペイン中を駆け巡りますが、
何はともあれ、フランコにとっては、その独裁的な地位が確立されたわけです。

Emilio_Mola.jpg

このちょうど半分が過ぎたところで、戦争自体は終わってしまいます。
以降の章は航空戦、海上戦闘、機甲戦単位で、より詳細に振り返りますが、
ど~も、どこまでが概要で、どこから本文なのかが良くわかりません。
その航空戦、まずコンドル軍団の解説では後期に投入されたJu-87が有名になったものの、
最も活躍した急降下爆撃機として、Hs-126を挙げています。

hs126.jpg

旧スペイン空軍では1000人のパイロットのうち70%がフランコ側につき、
反対に3000人の整備員の大多数が共和国(人民戦線)側につくという、大分裂が・・。
これは、パイロット = 士官(貴族・上流階級)、整備員 = 兵士(労働者階級)という図式です。
そしてフランコ空軍のスペイン人パイロットであるホアキン・ガルシア・モラト少佐が、
40機撃墜のトップエースということです。なかなかの数字ですねぇ。

GARCIA MORATO.jpg

無敵艦隊と云われたスペイン海軍も内戦が始まると混乱に見舞われます。
戦艦ハイメ一世の艦上では、空軍と同様に士官vs水兵に分かれた戦闘となりますが、
当然、人数の多い水兵側の勝利。80名の士官の全員が殺されてしまいます。
しかし、士官のいなくなった軍艦を水兵だけで操るのは大変で、行動不能になったり・・。

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そしてドイツ海軍も最新のポケット戦艦ドイッチュラントを地中海に送り込み、
共和国政府が維持している湾岸都市や軍事施設に艦砲射撃を実施。
しかしマジョルカ島でツポレフSB-2爆撃機の攻撃を受け、死者31人、負傷者83人を出し、
設備の良い病院があるとの理由で、英海軍勢力下のジブラルタル軍港へ逃げ込みます。

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陸上の機甲戦の主役はソ連製の10㌧級最新戦車T-26とBT5です。
これに対してイタリアはL3軽戦車を600両も送り込みますが、1/3程度の3㌧しかないうえ
7.9㎜機関銃だけしか火力がなく、到底、太刀打ちできません。

cv33.jpg

フォン・トーマの指揮するドイツ装甲部隊もⅠ号Ⅱ号戦車では歯が立ちませんが、
1200門にも及ぶ、37㎜対戦車砲(PaK36)がソ連戦車を撃破。
また、フランコ側には鹵獲したソ連戦車も30両はあったということですから、
スペイン内戦でのT-26の写真だからといって、人民戦線側とは限らないようですね。

tanks in Spain.jpg

第9章は「国際旅団と外人部隊」です。
フランコ軍の反乱から共和国を守るために、世界54ヶ国から数万人が駆けつけ、
8個の国際旅団が編成されます。
ファシズムの蔓延に強い嫌悪感を抱いた知識人や労働者、学生たち、
または思想とは関係なく、単に冒険を求める若者たちの集まりですが、
スペイン語も話せず、軍事訓練も受けたことがない連中ばかりですから大変です。

中立を装っている英米からも大勢参加しているだけでなく、
ヒトラーやムッソリーニの政策に反発しているドイツ人、イタリア人の姿まで・・。
もちろんヘミングウェイも人民戦線側の取材記者として参加し、
帰国後、「誰がために鐘は鳴る」を発表するのです。
子供の頃にこの映画をTVで1回観ただけで、ほとんど覚えてないのが悔しいところ。。
ゲーリー・クーパーとヒトラーが好きだったというイングリッド・バーグマンですね。
ありゃ、これは「真昼の決闘」のペアじゃないの?? と思ったら、
あっちはグレース・ケリーでした。

For Whom the Bell Tolls_japan.jpg

また、ロバート・キャパの有名な「崩れ落ちる兵士」も含め、
こういうところからも、共産・共和国政府が「善」とされるんでしょうね。

Carteles de la Guerra Civil Española.jpg

函館出身とされるニューヨークの料理人、ジャック白井について9ページ割いています。
米共産党の義勇兵としてスペインへと向かい、食事だけでなく機銃手としても活躍。
しかし、そんな「戦うコック」も狙撃兵の銃弾を頭に受けて、戦死・・。
ちょうど10月に「ジャック白井と国際旅団 - スペイン内戦を戦った日本人」が
文庫化されました。ちょっと気になりますね。

jack shirai.jpg

内戦も2年目の1938年になると、フランコ軍の優勢は明らかとなり、
たいした戦闘力のない国際旅団は大隊単位で全滅することもしばしば・・。
本国で「大粛清」の始まったソ連軍も粛清されるために装備を残して引揚げ、
人民戦線内部でも共産主義者とアナーキストが殺し合い・・。
指導者たちはピレネー山脈を越えてサッサとフランスへ亡命します。。
ツール・ド・フランスのピレネー・ステージのような必死さでしょうか。

FALANGISTAS EN EL DESFILE DE LA VICTORIA.jpg

最後の章ではこの戦争を分析し、登場人物を改めて詳しく紹介します。
さて、本書は評価が分かれる気がしますね。
半分過ぎまで読んで、「お~、この展開で最後まで行くのか・・」と心配になりましたし、
実際、戦記らしい盛り上がりもなく、なんとなく終わってしまいます。

Four female Loyalists patrol the street with rifles over their shoulders, 1937.jpg

しかし、こうして振り返って見ると、それもまたアリなのかなぁ~と・・。
今まで、なかなか理解できなかった各々の組織とその関連性、
この内戦を理解するにはコレ位の基礎知識が必要だとも思います。
本書が面白かったか・・?? というよりも、本書を読んで、
スペイン内戦が頭の中でイメージできるようになったのは確かです。
これでいよいよ、ビーヴァーの「スペイン内戦―1936-1939」いけるかな? 

それとも上下巻で1575ページ!のボロテン著「スペイン内戦 革命と反革命」。。
いやいやコレは無理だ。
とりあえず元旦早々、パエリア食べて気合だけは入れました。



















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