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ヒトラーに抱きあげられて -あるドイツ人少女の回想記- [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

イルムガルド・A. ハント著の「ヒトラーに抱きあげられて」を読破しました。

このBlogでも何度かヒトラーが幼い少女と一緒に写っている写真を載せていますが、
2007年に出た370ページの本書の著者もそんな少女の一人です。
彼女が労働力配置総監フリッツ・ザウケルの息子とクラスメイトで、
ニュルンベルク裁判により父親の死刑が執行されたと聞いて卒倒した・・
なんて話が書かれていると知ってから、本書がず~と気になっていました。

ヒトラーに抱きあげられて.jpg

1910年に祖父母が結婚し、第1次大戦が勃発すると、祖父は西部戦線へ・・。
ティーンエイジゃーの母親の1920年代は大インフレ。
1923年には、1ドルが4兆2千億ライヒスマルク換算というレートです。
そんなドイツ国民が貧しい時代にヒトラーとナチスが台頭し、
同じく貧しいマックスという青年と恋に落ちた母親アルビーネ。
マックスは磁器の絵付師としてバイエルン州の発展途上の観光の町、
ベルヒテスガーデンの工房で働き始めると、1933年1月に結婚します。
この1933年1月といえば、まさにヒトラーが首相になった時ですね。
そして山の山腹には「ヒトラーの別荘」が・・。

erwirbt Hitler Haus Wachenfeld.jpg

翌年の1934年に誕生した著者のイルムガルド。
ベルヒテスガーデンはカトリックの伝統が浸透しており、マリアやアンナ、エリザベトなどの
聖人の名を娘の洗礼名にする人が多かったものの、
生活のあらゆる面に介入するナチスは、親が子に与える名前にまで指示を与えます。
ドイツ民族の優越性を強調し、ヘルガやグズルーン、ヒルデガルド、イングリッドといった名前が
付けられるようになり、イルムガルドという名もドイツ語起源の名です。
ほうほう、SS女看守の定番、イルザ、オルガ、ヘルザなんかもこの路線なんですね。

クリスマスはドイツ語では「Weihnachten」と言うようですが、
ナチスは新たに「冬至祭」という名前を広めようとします。
しかしバリバリのヒトラー信奉者の両親ですら、そんな呼び方は使いません。
サンタクロース(聖ニコラウス)は12月6日の夜に子どもたちの前に現れるそうで、
白と金の司教の衣装をまとって杖を持ち、頭にはミトラを冠っているという姿・・。
また、聖ニコラウスは荒々しい悪魔を連れているのが伝統なんだそうです。

1901-christmas-postcard-santa-krampus.jpg

そして角の付いた木製のマスクをかぶった悪魔に震え上がる幼いイルムガルド。
聖ニコラウスに一年間良い子でいたことを伝えれば、クッキーやチョコが貰える仕組みです。
そんな伝統も極寒の北欧からやって来る赤い服を着た髭の男、
「サンタクロース」に変えようとしたのがナチスなんだそうです。
ふ~ん。時期も時期だし、面白い話で調べちゃいました。。
まさかサンタさんが何者なのかという夢のないことを調べる時がくるとは・・。
日本で言うと、クリスマスというより、「なまはげ」に近い気もします。

Nikolaus-Krampus-Grossarl-Advent.jpg

イブにはクリスマスを祝う射撃クラブの射手たちが古びた大きな銃で大騒ぎ。
火薬を入手する権利を持つこのクラブが悩みの種なのはボルマンです。
他の多くのクラブと同様にナチス組織に組み込もうとしますが、上手く行きません。
それはヒトラー自身が射撃クラブの「名誉会員」だったからです。

Hitler firma autografos en 1934_jpg.JPG

父の手書きで描いたエーデルヴァイスやリンドウなどの陶磁器が
「ヒトラーの山荘」で使う正餐用食器として納品されていることに誇りを持つ家族。
素朴な花の柄を好んでいる・・ということで、ますますヒトラーは地元民に慕われます。
わずか3歳にして正しいナチ式敬礼「ハイル・ヒトラー」を父親から仕込まれるイルムガルド。

nazi-children-salute.jpg

こんなヒトラーの城下町のようなベルヒテスガーデンですが、変な噂も聞こえてきます。
近所のダウン症の子供が医療施設に行ったら、風邪で亡くなった・・とか、
1933年まで住んでいた2家族のユダヤ人は突撃隊(SA)の嫌がらせに堪えられず、
売り払うと、家屋と農場は破壊されて、ボルマンの庭になった・・など。

berghof-obersalzberg-alps-1936.jpg

オーバーザルツベルクへの散歩の途中、山荘へとやって来たヒトラーと出くわします。
大勢の人々の叫び声、彼らと一緒に喜んで腕を上げ、
「ハイル・ヒトラー」と立派に叫ぶことに成功。。

1930s Nazi Fuhrer Adolf Hitler Greeting Crowds at Obersalzberg.jpg

それにしても「ヒトラーの山荘」と一口に言いますが、実に様々な表現があります。
ベルヒテスガーデンにオーバーザルツベルク、ベルクホーフにイーグルズ・ネストなど、
種類が豊富でコンガラガッてきましたので、一度整理してみたいと思います。

ベルヒテスガーデン・アルプス山脈の一地域にあるのが「オーバーザルツベルク」です。
その山腹にあった「ヴァッヘンフェルト・ハウス」という別荘を気に入ったヒトラーが
1929年に買い取り、改築後の1936年から「ベルクホーフ」と呼ばれることとなって、
コレがいわゆる「ヒトラーの山荘」を指します。
そして近郊の町の名が「ベルヒテスガーデン」であり、
また1940年にボルマンがヒトラーの50歳を記念して、ケールシュタイン山頂に立てた
ティーハウスが「ケールシュタインハウス」で、
「イーグルズ・ネスト」という名称は、1945年に占領した米軍が名付けたものですね。

adlerhorst_berchtesgaden.jpg

そして遊びに来ていたヒトラー嫌いの祖父母も一緒にベルクホーフまでハイキング。
観光客で溢れかえり、山荘の写真を撮ろうと場所取りにやっきになっている人々。
すると突然、ヒトラーが現れ、イルムガルドを膝の上に抱きかかえます。
この時の写真は公表されなかったようで、
数10枚の写真が掲載されている本書にも載っていません。
そもそも「ヒトラーに抱きあげられて」というタイトルは日本版であり、
原題は「On Hitler's Mountain」でした。

それでも町に戻った彼女は、周囲から称賛を浴び、美貌の眼差しを受ける女の子となって、
彼女自身、心の中でヒトラーを好ましく思う感情が芽生えるのです。

Haus Wachenfeld.jpg

1938年になるとドイツ軍を熱狂的に歓迎しているオーストリア人の写真を見せられて、
ベルヒテスガーデン付近のオーストリア国境が開かれたことで、
「これからはパスポートがなくてもザルツブルクへ行けるよ」と喜ぶ父。

Schwarzach_(St__Veith)_during_Hitler's_Austrian_election_campaign_1938e.jpg

しかし翌年のポーランド侵攻によって、34歳の父に招集令状が・・。
そして1941年7月、「フランスで総統の為に戦死した」という電報が届くのでした。

11月9日の「英雄記念日」の式典に出席し、ドイツ国歌に続いて、
ホルスト・ヴェッセル・リート」を右腕をいっぱいに伸ばして力強く唄うイルムガルド。
父を含む戦死者の名前が読み上げられた後、
私には戦友がいた。たった一人の親友だった」という
もの悲しい歌が演奏されると、我慢できずに泣き崩れます。

Irmgard Hunt fam.jpg

悲しいクリスマス・イブ。
ツリーの下の段ボール箱の中にはフランス製の美しい人形が2体。
サイズがぴったりのコートやドレスまで詰まったこのプレゼントの送り主は、
ベルクホーフのすぐそばに住んでいるエミー・ゲーリングです。
戦争で父親を失ったオーバーザルツベルクの子どもたちに、隣人としてプレゼント。
敬意を表して妹イングリッドの人形には「エミー」、
自分の人形にはゲーリング夫妻の娘の名である「エッダ」と名付けて可愛がるのでした。

Göring med hustrun Emmy och dottern Edda.jpg

小学校のクラスの席の近くにはアルベルト・シュペーアが座っています。
父親の軍需相と同じ名前で、愛想がよく、金髪をきちんと横分けにした「Jr」です。
山にいるナチエリートは平等を重んじ、地元の学校に通わせていて、
彼女の親友も一度、ボルマンの子どもと遊ぶように招待されたことも・・。
はにかみ屋のアルベルトJrもごく普通の子どもですが、唯一の違いは、
SSが運転するピカピカの黒いメルセデスに乗って通学しているところ・・。

Hitler, together with Albert Speer Jr. and Hilde Speer in the Obersalzberg, 1942..jpg

1944年、10歳になって「ユング・メーデル(少女団)」に入ります。
行進は退屈ですが、ドイツの女の子たちが同じ制服を着て一致団結しているという一体感、
そして姉としての権威を小さい妹に示すことが出来て大満足。
もちろん「総統は無敵であり、ドイツの唯一の救世主だと信じなければならない」
と、教え込まれるのです。

Winterhilfswerk.jpg

7月20日にはヒトラー暗殺未遂事件のニュースがラジオから流れてきます。
総統が奇跡的に助かったことを知り、安心する母。。
稼ぎ頭の父も亡くなり、生活も困窮、配給もギリギリです。
ある日には道路の上手に住んでいたSSの「霧の兵士」を昼食に招待し、
煙草と引き換えに丸太をストーブ用に割って欲しいとお願い。。
「霧の兵士」とは化学薬品で霧を作り、空襲からヒトラーの山荘を守る兵士のことだそうです。
もちろん未亡人にはSS兵も優しいですな。

Berghof Obersalzberg  color post cards.jpg

オーバーザルツベルクの劇場はヒトラーによって土曜の午後は無料開放され、
ゲッベルスが選んだ恋愛ものから家族向けドラマ、オペラといった映画が上映。
地下壕建設に従事している外国人労働者の劣悪な居住区を通り、
SSの衛兵所を抜けて、薄暗い簡素なホールに到着。
しかしまずは「ドイツ週間ニュース」から観て、戦局を理解しなければなりません。

Egaes Nest Hitler House.jpg

そして1945年4月25日、英爆撃機300機による空襲が始まります。
家に帰る途中で通り掛かったSSの運転手が呼びかけます。「早く乗れ!」
化学薬品は底をついていて「霧」を発生させることが出来ず、
対空砲の弾薬も尽き、山のナチス居住地はほとんどが破壊されてしまいます。

Berghof Under attack.jpg

その後は様々な噂が飛び交い、遂に総統が死んだことがハッキリすると、
人々の関心は、どこの国がナチスに取って代わるのか・・??
恐ろしいロシア人だけはゴメンです。。
SSが爆破しようとしていた兵舎のカーテンと寝具用の生地、黒と灰緑色の制服用布地、
そして山ほど蓄えていた黒いブーツは市民に配分されることとなり、
以後数年間、この地の女性たちはこれらSSの生地から作られたドレスやコート、
大きすぎるブーツを履いて過ごすことになります。

Berghof ss guard.jpg

ベルヒテスガーデンに進軍してきたのは恐れていたロシア軍ではなく、米軍。
付近のケーニヒス村に本部を設けていたケッセルリンク元帥は、
ヤーコブ群長の「降伏しましょう」という説得に同意し、
山岳隊の兵舎にいた国民突撃隊の少年たちも武器を置いて、すぐさま解散。
SS部隊も直接対決を回避するために山から去りますが、
あの優しい「霧の兵士」が家にやってきて、大好きだった父の私服を
母が与えるのを見ると、怒りを抑えられません。
しかし、大人の男女のタダならぬ関係は、まだ理解できないのです。

While the 101st Airborne liberated Berchtesgaden in 1945.jpg

米第101空挺師団に降伏後も、占領軍に何をされるかわかったものではありません。
略奪と強姦の噂のあるフランスとモロッコの分遣隊も同時に到着し、
16歳の女の子が米兵に輪姦されたという証言も・・。

Berghof after it was bombed on April 25, 1945.jpg

オーバーザルツベルクの廃墟からは大量の食糧や贅沢品が発見され、
イルムガルドもリュックを背負って略奪に向かいます。
ザルツブルクまでの未完成のトンネルの中にはゲーリングの専用汽車が止まったまま。
やっぱりシャンパンにコニャック、葉巻、トリュフなど極上の品々が・・。
ヒトラーの銀製食器類も市民によって盗み出され、秩序回復を図ろうとする米軍は、
「貴重な品々は返却しなければならない」と通知するものの、
彼ら自身が「記念品」と称して、略奪をしているのです。

Berghof Pattern Adolf Hitler .925 silver cocktail coasters.jpg

1946年10月、ニュルンベルク裁判で戦争犯罪者に天罰が下ったことを先生が告げます。
すると前の席に座っていたベルンハルト・ザウケルが椅子から落ちて失神・・。
ニュルンベルクで父親とお別れをして、昨日戻って来たばかりだったのです。

fritz-sauckel.jpg

別の席に座っているギーゼラ・シュムントは明るくて活発な女の子。
彼女は7月20日事件の巻き添えで死亡したヒトラーの副官ルドルフ・シュムントの娘で、
アルムガルトとレナーテの双子は、フリッツ・ディートロフ・フォン・デア・シューレンブルクの姪。
シューレンブルクはベルリン警察長官代理として、事件に関与し、処刑された人物です。
まさしく第三帝国のカオスと化しているクラスですね。
それでも子供たちはそんなこと、たいして知りもしなければ、気にもしていないのです。

Fritz-Dietlof von der Schulenburg.jpg

アルプスの麓で育った少女の回想録ですが、
ご近所さんがヒトラーでは、「アルプスの少女ハイジ」のようには育ちません。
田舎の貧しい人たちが、なぜナチスを支持したのか。
彼らの生活にナチスがどのように関与していったのか。
カトリック教会とナチスの絶妙なバランスや、学校でのガスマスク訓練など、
興味深いエピソードが盛りだくさんで、ほとんど一気読みでした。
ナチスに馴染みのない女性でも読める回想録ですが、
ナチスに詳しいおじさんでも楽しめる回想録だと思います。



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