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帝国日本とスポーツ [スポーツ好きなんで]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高嶋 航 著の「帝国日本とスポーツ」を読破しました。

9月の洋書写真集「第三帝国のスポーツ」と偶然にも似たタイトルの300ページの本書は、
昨年に発行された時から、そのレトロ雰囲気の表紙からして気になっていました。
戦前、戦中のプロ野球や、大相撲についても読んできましたので、
明治神宮競技大会を中心とした、大日本帝国のスポーツとは如何なるものであったのかを
キッチリ勉強してみたいと思います。

帝国日本とスポーツ.jpg

第1部は「極東選手権競技大会の系譜」です。
1910年にフィリピンのYMCA体育主事に就任したエルウッド・ブラウンによって
「極東オリンピック」が提唱されます。
19世紀末にフィリピンを領有することになって、アメリカ化を推進していた米国は、
中国や日本をまわり、極東オリンピック協会の設立を協議しますが、
大日本体育協会の会長であり、IOCメンバーでもある嘉納治五郎は、この提案に消極的。
その理由は、
①フィリピン、中国にいるアメリカ人が主導権を握っている。
②キリスト教の宣伝に利用されている。
③オリンピックで充分である・・など。。

20代のころは講道館の近所に住んでいましたので、嘉納治五郎の銅像とは
毎日のように顔を合わせていました。当時は「柔道の父」とだけ知っていましたが、
オリンピックにも深く関わって、「日本の体育の父」とも呼ばれていたんですね。

Kanō Jigorō.jpg

1913年に開催された極東オリンピックは、本家のクーベルタン男爵からクレームを付けられて、
第2回から「極東選手権競技大会」へと改称することに・・。
そして隔年で東京や大阪でも開催され、アメリカ人の影響もなくなって
日本、中国、フィリピンの3国の極東人の手による極東大会となりますが、
審判の不公平によって選手団が試合放棄するなどの問題も・・。

Far Eastern Championship Games 1923.jpg

また1931年に満州国が誕生すると、中国ともこじれ、独立を目指すフィリピンの立場など、
3ヶ国の外交はキナ臭くなってきます。
そして1936年、次回1940年の東京オリンピック開催権を獲得した日本。
ベルリン・オリンピックで導入されたギリシャのオリンピアからの聖火リレーも、
「聖火」ではなく、天孫降臨の地か、神社で採火した「神火」をリレーすべきとの意見も。。
これもオリンピックが皇紀2600年の奉祝行事の一環であるという認識からですが、
結局、日中戦争の勃発によって1938年には開催権を返上することに・・。

ポスターまで作ってたのに残念ですが、ハニワってセンスが凄い。。
1936年のガルミッシュパルテンキルヒェン冬季オリンピック切手を彷彿とさせますね。

1940 Tokyo Olympics.jpg

「極東選手権競技大会」も消滅し、「東京オリンピック」も返上することになった日本。。
満州国と中華民国臨時政府という、日本の傀儡国との国際スポーツ競技会を開催します。
「紀元2600年奉祝東亜競技大会」と銘打って、1940年6月に東京と大阪で開催。
日本選手294名、満州国から196名、中国82名、フィリピン77名、ハワイからも17名、
蒙古から12名、在留外国人が26名の、総勢704名です。
実施競技は陸上、サッカー、テニス、ホッケー、ボクシング、バレーボール、ラグビー、
バスケットボール、ヨット、レスリング、自転車、卓球、野球など。

東亜競技大会.jpg

「勝てばよいという西洋の競技中心主義を根こそぎ捨てて、東亜スポーツ精神を昂揚させた」
と言いつつも、「盟主日本の面目にかけて優位に立つ」ことが必要です。
結果は、35種目の競技のうち、25種目を制する日本の圧勝。
しかし準備不足も手伝って、観客も不入り。開会式でさえバックスタンドの芝生席はがら空きで、
ベルリン・オリンピックの再現は「夢想」に終わるのでした。

the 26th centenary asia athletic meet 1940.jpg

第2部は「明治神宮大会の系譜」です。
1924年10月、完成間もない神宮外苑競技場で内務省主催による
「第一回明治神宮競技大会」が挙行されます。
これは名称を変えながらも1943年まで続き、
戦後は「国民体育大会(国体)」に形を変えて、現在に至っているわけですね。
本書は白黒ながらも所々で当時の写真や、ポスター、参加章などが掲載されていて、
今は無き、明治神宮外苑競技場の全景も・・。

Athletic Grounds at the Outer Precincts of Meiji Shrine.jpg

先の「紀元2600年奉祝東亜競技大会」もここで開催されており、
1956年に取り壊され、1964年の東京オリンピック向けて、「国立競技場」が建設されます。

National Olympic Stadium (Tokyo).jpg

東京オリンピックの時には姿形も無かったヴィトゲンシュタインですが、
1995年のトヨタ・カップなど、3,4回は足を運んだことがあります。

ajax_TOYOTA_cup.jpg

しかしこの「国立」も、来年には取り壊し工事が始まり、
2020年のオリンピックに向けて「新国立競技場」となるんですね。
近未来的なデザインも悪くはないですけど、50年もすれば、また古臭くなるんだから、
日本らしい、例えばお城などをイメージできるような外観も良いと思うんですけどね。

新国立競技場.jpg

さて、明治神宮大会は「国民の祭典」として、広く国民すべてが同じ土俵で戦おうというもので、
当時、日本で唯一のプロ・スポーツである「相撲」のみ、素人限定とされます。
オリンピックもアマチュア・スポーツと定義されていますが、
1920年のオリンピック日本予選では、長距離競争のプロが排除。
彼らは「車夫、郵便配達夫、牛乳配達夫、魚屋」であり、
脚力を職業としている「プロ」扱いなわけです。
しかし、この明治神宮大会では彼らのマラソンへの参加などが認められるのでした。

jinguugaien-jyuyo.jpg

「明治神宮国民体育大会」と改められた1939年の第10回大会。
これまで「明治天皇を敬慕し、平素の鍛錬の成果を奉納する」ことであった大会の趣旨は、
日中戦争が始まったいま、「体育国策」として、「国民精神総動員の具現」へと変化・・。
国家にとっての重要性を示す序列化が行われ、
剣道、柔道、弓道、相撲、国防競技、集団体操、陸上、馬術、射撃、体操、蹴球、
ラグビー、野球、排球、籠球、漕艇、庭球、ホッケー、卓球、ヨット、自転車と、
武道が上位に、球技と乗り物が下部に置かれます。
人気スポーツのサッカーやバレーボールが、集団体操にも負けるわけですね。。

10th medal.jpg

また、ボクシングに至っては除外されてしまいます。
「日本には武道があるから、そういう外来の拳闘などはいらん」。
参加を申請していたフェンシングとレスリングも同じ理由で不承認です。
ちなみに「国防競技」には、行軍競争、障碍通過競争、手榴弾投擲突撃、土嚢運搬継走、
牽引競争といった種目があるそうですが、種目単位しかないんでしょうか?
現在の陸上十種競技のように、得点に換算して勝者は
「キング・オブ・国防」と称えられたり・・、なことはないですね。。

手榴弾投擲.jpg

1941年の第12回大会になると、さらに戦時色が濃くなってきます。
軍事的見地から、「体力章検定級外甲合格」を大会参加資格としますが、
1939年に制度化されたこの運動能力テストは15歳~25歳の男子を対象とし、
合格ラインとなる初級の場合、100m走を15秒、2000m走を9分、走幅跳を4m、
手榴弾投を35m、40kg運搬を50mで15秒、懸垂を5回・・。
こりゃ結構、キビシイですね。ナチス・ドイツでも似たことやってましたっけ。。

体力章検定 .jpg

さらに競技種目の整理。
前回大会で朝鮮人選手の独壇場となった重量挙げが除外され、
ホッケーやハンドボールも。
あらゆる階層に浸透しつつあった卓球も同様ですが、戦時下のスポーツとしては、
「女わらべのお手玉遊びに類する競技をもって、真摯敢闘の精神云々も・・・」。

1934_Table tennis team.jpg

この12月に太平洋戦争が始まると、翌年は「明治神宮国民錬成大会」と改称されます。
厚生省、文部省が主導する各種大会も開かれ、スポーツ界は活況を呈する反面、
民間主催の大会は中止を余儀なくされ、朝日新聞社も野球の甲子園大会を中止。
「錬成」の主たるものは「体操」で、明治神宮大会に占める比重は大きくなり、
各種集団体操の多さにスタンドからも「また体操か」との声も上がります。

jingu taiso.jpg

本書では大会ごとの体操を一覧表で・・。
鉄道省体操団1300名による「国鉄体操」に、土浦海軍航空隊1000名の「海軍体操」、
女子専門学校連合1200名の「女子専門学校体操と大日本女子青年体操」などなど・・。

明治神宮国民練成大会 1942.jpg

最後の第3部は「大東亜会議と明治神宮大会」と題して、
神宮外苑競技場ではよく映像でも流れる「学徒出陣」にも言及します。
また、1943年の最後の大会はより詳細に分析し、
最後に残ったのは集団訓練と体操、そして演武形式による相撲と武道。
スポーツといった対等に勝敗を争い、ときに偶然が勝敗を決める競技ではなく、
指導者の号令に従い、ただ黙々と身体を動かす体操には偶然性や自主性が
つけ込むスキはありません。そしてそれが戦時下では大きな利点だとしています。

学徒出陣_明治神宮.jpg

予想以上に楽しめた一冊でした。
集団体操など、思わず喰いつくような写真がいい塩梅で出てくるあたりも
読んでいて興味が途切れない理由でしょう。

著者は中国史の研究者である京大の准教授の方ですが、
ありがちな論文のような書き方ではなく、この時代のアジア全般についても
非常にわかりやすく書かれていて、勉強になりました。
とはいえ、中国の傀儡政権だけは、ど~もややこし過ぎますね。
コレを理解するのには、「ニセチャイナ」を読んでみる必要がありそうです。

ニセチャイナ.jpg

英米的、自由主義的、個人主義的という言葉を冠せられた「スポーツ」。
外来のスポーツは日本において発展するどころか、
戦局と共に武道と体操、軍事訓練に場所を譲る羽目になったのです。
2020年の東京オリンピックに向けて、本書のように
日本スポーツの歴史を振り返ることも大事なことかもしれませんね。





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