人間機雷「伏龍」特攻隊 [日本]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
瀬口 晴義 著の「人間機雷「伏龍」特攻隊」を読破しました。
「桜花―極限の特攻機」の時にも書いた4月の「遊就館」見学の話。
「桜花」自体を知らなかったのもそうですが、特攻ってゼロ戦と回天だけだと思っていました。
その遊就館でも目撃した緑色の「伏龍」についても実は気になっていて、
今回、2005年に出た 229ページの本書を読んでみました。
著者は中日新聞(東京新聞)の記者で、隊員名簿もなく、存在自体がほとんど知られていない
伏龍部隊の元隊員を探り当て、直接取材を申し込み、新聞に連載を書き、
最終的に本書になったということです。
この伏龍の各部隊が正式に編成されたのは1945年(昭和20年)8月5日。
まさに終戦直前ですね。
しかし、訓練は3月ごろから始まっていたようで、横須賀の久里浜・野比を中心に、
呉や佐世保といった場所で、終戦時には3000名の若者が潜水訓練を受けていたそうです。
指令や大隊長を除けば海軍兵学校卒の士官は少なく、予備学生出身者が大半で、
実際に人間機雷と化す兵の主力は海軍飛行予科練習生(予科練)の
10代の少年飛行兵と10代の志願兵です。
大空を飛翔することを夢見ていた少年たちが搭乗できる飛行機は、
すでに日本にはないのでした。
この特攻隊の戦術は、懸念される米軍の日本本土上陸作戦を水際で「死守」するために
上陸前の激しい艦砲射撃を奥行200mにもなる「洞窟陣地」で凌ぎ、
上陸用舟艇が押し寄せる前に潜水服を着た兵隊たちが海の中に進んで
3m足らずの竹竿の先に付けた重さ15㎏の撃雷で、やって来た舟艇の底を突き上げ、
自爆する・・というものです。
本書ではそんな自爆攻撃の訓練を受けた元隊員の証言をいろいろと紹介。
重さ80㎏にもなる潜水服を着ての訓練は、まず呼吸法などの基礎訓練が必要ですが、
そんなことさえまともに教えてもらえず、重い潜水具を付けて、
浜辺から歩いて海に入れという無謀な命令が・・。
17、18歳の2人の少年兵は「怖い」、「嫌だ」と泣き叫び、テントの細い柱にしがみつきますが、
「命令だ」、「すぐに潜らせろ」と怒声。
しかし2人は抱き合うようにして、石のように動かず・・。
「特攻」に志願したこのような少年兵も、「伏龍」のような特攻はもちろん知らされておらず、
航空機特攻で華々しく散ることを望んでいます。
何で空から海の中へ・・というわけで、まだ爆装モーターボートである「震洋」を
希望する者も多く、騙されたと憤慨する者も。。
「「震洋」は音ばかりデカくてスピードも遅い。ロクなもんじゃないことは分かっていたけど、
どうせ死ぬならまだそっちの方がいいと思った」。
まぁ、気持ちはわかりますね。最後の最後になって原始的な「竹槍作戦」。
しかも水中での竹竿特攻は地味すぎますからね。。
実験では最長5時間も潜り続けたこの潜水具は、海上からの送気装置を必要とせず、
無気泡で敵にバレないのがウリ。
「あまちゃん」の南部ダイバーとは根本的に違います。
そのため背中に酸素ボンベ2本の他に、苛性ソーダの入った空気清浄缶を背負い、
鼻で吸って口から排出された炭酸ガス混じりの呼気を清浄するする仕組みです。
しかし、鼻から口という呼吸法を間違えて、炭酸ガス中毒になったり、
清浄缶に水が入って逆流してきた沸騰した苛性ソーダが肺や胃に入ったら
まず助からないという非常に危険な潜水具であり、訓練中の事故も度々発生します。
また50m間隔で隊員を配して敵舟艇を討ち漏らさないようにという発想も、
1人が自爆したら周りの隊員も水圧でやられる・・といった意見も相次ぎ、
2人乗りの特殊潜航艇「海龍」と連携したり・・と議論も交わされます。
この伏龍部隊というのは潜水兵と呼ばれ、各国でも「フロッグマン」として存在。
もちろん特攻のフロッグマンは日本ならではであるわけですが、
以前に紹介したイタリアのフロッグマンの活躍も本書では紹介しています。
そして話は伏龍構想の立案者や、「桜花」を含めた特攻作戦全般の推移、
本土決戦に備え、飛行訓練まで辿り着けなかった「パイロットの卵」たちが
人間機雷要員に回されていった経緯へと移ります。
軍令部第2部長の職にあり、一億玉砕を唱えていた黒島亀人の責任にも言及しますが、
神風特攻での戦死者2524名のうち、佐官以上は神雷部隊の野口五郎少佐ただ一人・・
といった件や、「お前たちだけを殺すことはしない。必ず俺たちも後に続く」と送り出した
指揮官のうち、敗戦時に自らの命を絶った将官・佐官は「特攻の父」と
祭り上げられた大西中将だけ・・という件は興味深かったですね。
訓練中の伏龍部隊には鈴木貫太郎首相も見学にやってきます。
「鈴木首相はすぐに帰ってしまいましたよ。あの訓練を見れば本土決戦はダメだと
思ったんじゃないですか。がっかりしただろうと思いますよ」。
海軍軍令部第1部企画班が6月12日付で示した「決戦作戦に於ける海軍作戦計画大綱(案)」も
簡単に噛み砕いて解説します。
「初動約10日間で約半数を海上で撃沈破し、残敵は地上で掃滅する。
すべての戦闘は特攻を基調として遂行する」。
まずは本土決戦用に温存されていた虎の子の「特攻機」が出撃。
続いて爆装モーターボートである「震洋」、人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「蛟龍」、
小型潜水艦「海龍」からなる特攻戦隊が岩陰などに構築された基地から殺到。
「伏龍」は海の中での最後の砦・・。
陸上では上陸してきた敵戦車に対して、歩兵部隊が「特攻」です。
蛸壺に潜んだ陸軍部隊や海軍の陸戦隊が地雷や爆雷を背負って、
次々に敵戦車の下に飛び込んで自爆する「一人一台」を合言葉にした「人間地雷」です。
またの名を「もぐら特攻」・・、海軍のもぐら特攻には「土竜」という名称もあったそうです。
う~ん。ソ連の「地雷犬」は知っていましたが、「地雷人間」とは恐ろしい・・。
ショッカーのもぐらベースの怪人のようです。。「爆裂!もぐら男」。
米軍上陸の可能性がある全国各地で行われていたという訓練の様子も書かれていました。
しかし最終的には本土決戦にはならずに日本は降伏し、雑音交じりの「玉音放送」が・・。
16歳の少年兵は思わず口から言葉を漏らします。
「もう死ななくてもいいのかな・・」。
そして復員命令。
「急いで郷里に帰れ。米軍が上陸すると特攻隊員は銃殺か、全員、金玉を抜かれる」。
最後にはやくざ映画でお馴染み、元安藤組組長だった安藤昇が登場し、
19歳の伏龍隊員として、死ぬことが当たり前と覚悟したと話します。
中盤では特攻全般の話にもなった本書ですが、その道に詳しい方なら
邪魔くさいと思われるかも知れません。
逆に特攻に明るくない読者には親切な作りとなっています。
穿った見方をすれば、伏龍だけでそれほど書けるネタが無かったと言えるかも。。
しかし、なんですね。実戦投入されることはなかったにしても
こうして読んでみて、とても戦果を挙げられたとは思えません。
その竹槍戦術をバカにすることは簡単ですが、
それを本気で実行しようとした軍令部と、
訓練で事故死した少年兵数十人を笑うことは出来ません。
個人的には「震洋」、「蛟龍」、「海龍」といった特攻兵器を知ることが出来たのは
良かったですね。
また、「人間地雷」はインパクト大でしたから、何か探してみようと思ってます。
瀬口 晴義 著の「人間機雷「伏龍」特攻隊」を読破しました。
「桜花―極限の特攻機」の時にも書いた4月の「遊就館」見学の話。
「桜花」自体を知らなかったのもそうですが、特攻ってゼロ戦と回天だけだと思っていました。
その遊就館でも目撃した緑色の「伏龍」についても実は気になっていて、
今回、2005年に出た 229ページの本書を読んでみました。
著者は中日新聞(東京新聞)の記者で、隊員名簿もなく、存在自体がほとんど知られていない
伏龍部隊の元隊員を探り当て、直接取材を申し込み、新聞に連載を書き、
最終的に本書になったということです。
この伏龍の各部隊が正式に編成されたのは1945年(昭和20年)8月5日。
まさに終戦直前ですね。
しかし、訓練は3月ごろから始まっていたようで、横須賀の久里浜・野比を中心に、
呉や佐世保といった場所で、終戦時には3000名の若者が潜水訓練を受けていたそうです。
指令や大隊長を除けば海軍兵学校卒の士官は少なく、予備学生出身者が大半で、
実際に人間機雷と化す兵の主力は海軍飛行予科練習生(予科練)の
10代の少年飛行兵と10代の志願兵です。
大空を飛翔することを夢見ていた少年たちが搭乗できる飛行機は、
すでに日本にはないのでした。
この特攻隊の戦術は、懸念される米軍の日本本土上陸作戦を水際で「死守」するために
上陸前の激しい艦砲射撃を奥行200mにもなる「洞窟陣地」で凌ぎ、
上陸用舟艇が押し寄せる前に潜水服を着た兵隊たちが海の中に進んで
3m足らずの竹竿の先に付けた重さ15㎏の撃雷で、やって来た舟艇の底を突き上げ、
自爆する・・というものです。
本書ではそんな自爆攻撃の訓練を受けた元隊員の証言をいろいろと紹介。
重さ80㎏にもなる潜水服を着ての訓練は、まず呼吸法などの基礎訓練が必要ですが、
そんなことさえまともに教えてもらえず、重い潜水具を付けて、
浜辺から歩いて海に入れという無謀な命令が・・。
17、18歳の2人の少年兵は「怖い」、「嫌だ」と泣き叫び、テントの細い柱にしがみつきますが、
「命令だ」、「すぐに潜らせろ」と怒声。
しかし2人は抱き合うようにして、石のように動かず・・。
「特攻」に志願したこのような少年兵も、「伏龍」のような特攻はもちろん知らされておらず、
航空機特攻で華々しく散ることを望んでいます。
何で空から海の中へ・・というわけで、まだ爆装モーターボートである「震洋」を
希望する者も多く、騙されたと憤慨する者も。。
「「震洋」は音ばかりデカくてスピードも遅い。ロクなもんじゃないことは分かっていたけど、
どうせ死ぬならまだそっちの方がいいと思った」。
まぁ、気持ちはわかりますね。最後の最後になって原始的な「竹槍作戦」。
しかも水中での竹竿特攻は地味すぎますからね。。
実験では最長5時間も潜り続けたこの潜水具は、海上からの送気装置を必要とせず、
無気泡で敵にバレないのがウリ。
「あまちゃん」の南部ダイバーとは根本的に違います。
そのため背中に酸素ボンベ2本の他に、苛性ソーダの入った空気清浄缶を背負い、
鼻で吸って口から排出された炭酸ガス混じりの呼気を清浄するする仕組みです。
しかし、鼻から口という呼吸法を間違えて、炭酸ガス中毒になったり、
清浄缶に水が入って逆流してきた沸騰した苛性ソーダが肺や胃に入ったら
まず助からないという非常に危険な潜水具であり、訓練中の事故も度々発生します。
また50m間隔で隊員を配して敵舟艇を討ち漏らさないようにという発想も、
1人が自爆したら周りの隊員も水圧でやられる・・といった意見も相次ぎ、
2人乗りの特殊潜航艇「海龍」と連携したり・・と議論も交わされます。
この伏龍部隊というのは潜水兵と呼ばれ、各国でも「フロッグマン」として存在。
もちろん特攻のフロッグマンは日本ならではであるわけですが、
以前に紹介したイタリアのフロッグマンの活躍も本書では紹介しています。
そして話は伏龍構想の立案者や、「桜花」を含めた特攻作戦全般の推移、
本土決戦に備え、飛行訓練まで辿り着けなかった「パイロットの卵」たちが
人間機雷要員に回されていった経緯へと移ります。
軍令部第2部長の職にあり、一億玉砕を唱えていた黒島亀人の責任にも言及しますが、
神風特攻での戦死者2524名のうち、佐官以上は神雷部隊の野口五郎少佐ただ一人・・
といった件や、「お前たちだけを殺すことはしない。必ず俺たちも後に続く」と送り出した
指揮官のうち、敗戦時に自らの命を絶った将官・佐官は「特攻の父」と
祭り上げられた大西中将だけ・・という件は興味深かったですね。
訓練中の伏龍部隊には鈴木貫太郎首相も見学にやってきます。
「鈴木首相はすぐに帰ってしまいましたよ。あの訓練を見れば本土決戦はダメだと
思ったんじゃないですか。がっかりしただろうと思いますよ」。
海軍軍令部第1部企画班が6月12日付で示した「決戦作戦に於ける海軍作戦計画大綱(案)」も
簡単に噛み砕いて解説します。
「初動約10日間で約半数を海上で撃沈破し、残敵は地上で掃滅する。
すべての戦闘は特攻を基調として遂行する」。
まずは本土決戦用に温存されていた虎の子の「特攻機」が出撃。
続いて爆装モーターボートである「震洋」、人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「蛟龍」、
小型潜水艦「海龍」からなる特攻戦隊が岩陰などに構築された基地から殺到。
「伏龍」は海の中での最後の砦・・。
陸上では上陸してきた敵戦車に対して、歩兵部隊が「特攻」です。
蛸壺に潜んだ陸軍部隊や海軍の陸戦隊が地雷や爆雷を背負って、
次々に敵戦車の下に飛び込んで自爆する「一人一台」を合言葉にした「人間地雷」です。
またの名を「もぐら特攻」・・、海軍のもぐら特攻には「土竜」という名称もあったそうです。
う~ん。ソ連の「地雷犬」は知っていましたが、「地雷人間」とは恐ろしい・・。
ショッカーのもぐらベースの怪人のようです。。「爆裂!もぐら男」。
米軍上陸の可能性がある全国各地で行われていたという訓練の様子も書かれていました。
しかし最終的には本土決戦にはならずに日本は降伏し、雑音交じりの「玉音放送」が・・。
16歳の少年兵は思わず口から言葉を漏らします。
「もう死ななくてもいいのかな・・」。
そして復員命令。
「急いで郷里に帰れ。米軍が上陸すると特攻隊員は銃殺か、全員、金玉を抜かれる」。
最後にはやくざ映画でお馴染み、元安藤組組長だった安藤昇が登場し、
19歳の伏龍隊員として、死ぬことが当たり前と覚悟したと話します。
中盤では特攻全般の話にもなった本書ですが、その道に詳しい方なら
邪魔くさいと思われるかも知れません。
逆に特攻に明るくない読者には親切な作りとなっています。
穿った見方をすれば、伏龍だけでそれほど書けるネタが無かったと言えるかも。。
しかし、なんですね。実戦投入されることはなかったにしても
こうして読んでみて、とても戦果を挙げられたとは思えません。
その竹槍戦術をバカにすることは簡単ですが、
それを本気で実行しようとした軍令部と、
訓練で事故死した少年兵数十人を笑うことは出来ません。
個人的には「震洋」、「蛟龍」、「海龍」といった特攻兵器を知ることが出来たのは
良かったですね。
また、「人間地雷」はインパクト大でしたから、何か探してみようと思ってます。
対比列伝 ヒトラーとスターリン〈第1巻〉 [ナチ/ヒトラー]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
アラン・ブロック著の「対比列伝 ヒトラーとスターリン〈第1巻〉」を読破しました。
去年の夏に神保町の古書店で3巻セット、3000円で購入した大作にやっと挑戦です。
この2003年に出た第一巻が573ページということは単純計算で1700ページ・・。
オクスフォード大学副学長を務めた著者は最初のヒトラーの伝記を書いたことでも有名ですが、
その、みすず書房の「アドルフ・ヒトラー(1・2)」も未読で、今回が初体験となります。
強烈な「スターリン―赤い皇帝と廷臣たち」も読みましたし、
ヒトラーとスターリンは似ていると思うこともあるだけに、
どのような「対比列伝」なのか、楽しみです。
原著の初版は1941年のナチス・ドイツのソ連侵攻50周年を記念として
1991年に出版されたそうで、本書は1998年の版となるようです。
巻頭にはヒトラー、スターリンの幼少期からの写真が12ページほど。
第1章は「出自」。公式には1879年生まれのスターリンと、
10歳違いの1889年生まれのヒトラーのそれぞれ19歳までを対比します。
マケドニア人のアレクサンドロス大王、またはコルシカ人のナポレオンのように
ヨーロッパとアジアの境、グルジア生まれのスターリン、
そして上オーストリアのハプスブルク帝国臣民として生まれたヒトラーは、
どちらも自分が支配することになる国の周縁地域で誕生。
こういうことが書かれているだけで、彼らがエリートではなく
雑草根性というか、ガッツでのし上がっていったのがイメージできますね。
ヒトラーの生い立ちはトーランドの「アドルフ・ヒトラー」などである程度知っていますが、
「粗野な乱暴者で、大酒を飲み、妻子に暴力を振るい、
生計を立てることもままならなかった」というスターリンの父や、
彼の子供時代を詳しく知るのは本書が初めてです。親父、似すぎですね。。
神学校で過ごした少年は禁制の本を読み耽り、札付きの学生となって退学。
このような生い立ちもなんとなく、ヒトラーと似た感じもありますね。
第2章は「修業時代」です。
共に学校から社会に出て、第1次大戦が終わるまでの時期。
ウィーンでの挫折とともに、スラヴ人、ユダヤ人、マルクス主義者が
支配的人種であるドイツ人を脅かしていると見なして、
熱烈なドイツ民族主義を確固たるものとしたヒトラー。
しかしミュンヘンに移った24歳の彼には何の見通しもなく、
第1大戦に熱狂的に参戦するしかないのに対し、
スターリンは革命家としての修業を始めています。
1908年から1917年のうちに逮捕、投獄、流刑、逃亡を繰り返し、
ロシア革命の伝統の中では、多くの政治犯にとってこのような経験は
「大学」の役目を果たします。
数年に渡る収容所生活では広範に読書をし、急進主義の知識と理念を身に付け、
囚人仲間同士の討論会にも参加。
このような政治犯として戦争には参加しなかったスターリンですが、
ここでもなんとなく、ミュンヘン一揆で逮捕されたヒトラーが「わが闘争」を口述しながら、
己の政治理念をゆっくり整理していたのと似ている気もしました。
また、すでにレーニンから指導を受けていたスターリンは勉強のために
1913年の1月からウィーンに1ヶ月滞在します。
そしてこの時期は、まだヒトラーがこのオーストリアの首都にいたとき・・。
「あるいは2人は人ごみの中ですれ違ったかも知れない」。
第3章は、10月革命とミュンヘン一揆ですが、
前者はスターリンというよりも、主役はレーニンであり、
反革命とサボタージュを取り締まる最初の政治警察組織「チェーカー(非常委員会)」が創設され、
ジェルジンスキーが長となったり、スターリンが後継者として台頭するまでに充分確立されて
1924年のレーニンの死までの5年間に、チェーカーによって行われた処刑は
少なくとも20万件・・といったことが語られます。
一方、小さいながらもナチ党の党首となったヒトラーの周りには、ゲーリング、
ヘス、ローゼンベルク、シュトライヒャーといったお馴染みさんたちの他、
プッツィ・ハンフシュテングルなどの裕福な知人らとの付き合いにも言及します。
第4章は「書記長」。
そもそもヴィトゲンシュタインが子供の頃・・、え~、ブレジネフ書記長ですが、
米国の「大統領」に対して、なんでソ連は「書記長」が一番エライのか・・?
と大いに疑問に思っていました。
ですから、クラスで「書記」に任命されると、なんとなくエラくなったような気がしたことも。。
この章では1917年から1921年までに死者1000万人を出した内戦が終わり、
トロツキーとのライバル争いをするスターリンの仕事っぷり、
国の行政や国有化された産業など、党がなすべき仕事は山積みで、
他の幹部たちが気乗りがしない仕事も、スターリンは引き受ける気があるといった具合で、
トロツキーまでが喜んで仕事を差出します。
次々と職務と役職を兼務し、最終的には各書記の仕事を統括する責任者に任命。
そしてこれこそが「党の書記長」であり、当時はレーニンをはじめ、
スターリン自身もこの新しい職務を発展させられるのかも不明なのでした。
そして発作に倒れたレーニンは後継者問題を危惧し、覚書をしたためます。
「スターリンはあまりに粗暴である。
書記長である者の欠点としては容認し得るものではない。
何らかの方法を講じて書記長の地位から更迭するよう提案する」。
しかし、最終的にスターリンは後継者として勝利するわけですが、
この力を蓄えたタイミングでレーニンが死んでしまうというのも、
ヒトラーが首相になったばかりのときにヒンデンブルクが死んでしまうことと、
あまりに同じような展開のように思います。
1917年の10月革命はレーニンの手になるもの・・、
スターリンには自ら手掛けるスターリン革命によってその地位を完全にする必要があります。
そして国民の80%を占める農民と、その農村社会に依存していることからの脱却のため、
「富農(クラーク)こそ、農村の資本主義者」として弾圧。
経験豊富な農民たちは家族もろともシベリアや中央アジアの
このうえなく辺鄙な荒野へと追放され、集団農場(コルホース)として国有化。
そのノルマも非現実的で、1930年末までに780万ケ所の個人所有地を集団化・・。
農民側も、牛や豚、羊などの家畜を1/4、1/3と屠殺してこの政策に抵抗。
スターリンは人間がどれだけ死のうと気にもしませんが、
貴重な国の財産である家畜類を失うと動揺を隠しきれません。
特に民族主義の意識が強いウクライナでは20万人以上の農民が追い立てられ、
ソ連全土向け、赤軍の備蓄向け、輸出向けに収穫した穀物の供給を求められ、
その非人道的なノルマによって、自分たちが食べる分を失って、
1932年から大飢饉が訪れるのでした。
う~ん・・、やっぱり「悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉」読んでみたいですね。
このような農民戦争と並行して、工業化の5ヵ年計画も異常なノルマで進められ、
秘密警察(OGPU)は、独断的な逮捕と拷問で矯正労働収容所(グラーグ)送り。
もちろん、ナチス・ドイツのSSと強制収容所システムを連想させます。
さらに「巨大なものへの異常な憧れ」に取りつかれていたスターリン。
工業コンビナートの建設を命じても、規模が大きすぎて、操業できなかったり、
完成を見ずに放置されるかのどちらか・・。
そういえば「ソヴィエト宮殿」とかいう、世界最大のビルの建築計画もありましたね。
こんなところも「ゲルマニア計画」と似ているのというのは、言わずもがな・・。
最後の第9章は「ヒトラーの革命」です。
褐色の突撃隊(SA)が夢見た伝統的な革命の手法、すなわち、武力によって
外から現政権の転覆を図る・・といったやり方ではなく、
スターリンが党書記長として内部から政権を奪取したのと同様、
ヒトラーも合法的な右翼連立政権の首相という地位から、最終的に政権を獲得します。
しかしソ連共産党が国家を取り込んだのに対して、
ナチ党はあくまで国家とは別の関係であり続けます。
当初はナチ党員ではない大臣の方が多いくらいですが、
ゲーリングの4ヵ年計画と空軍、ゲッベルスの宣伝と文化面、ライの労働、
そしてヒムラーの警察とSS・・、これらの分野がお互いの縄張りを奪おうと、
常にしのぎを削り、独自の帝国を築き上げ、それをヒトラーが統治するのです。
そんなヒトラーの合法的な革命に異を唱えるのが幕僚長レーム率いる突撃隊(SA)。
ヒトラーにとっては、すでに闘争のときは終わり、
正規の武力を擁する「国防軍」と手を結ぶ段取りも着々と進行中です。
SAは300万人の隊員を抱え、10万人軍隊の国防軍との対決も辞さない構え・・。
1934年1月、プロイセンのゲシュタポ長官ディールスを呼び、
レームの交友関係や犯罪の証拠を洗い出すようにヒトラーは指示します。
こうしてトラブルメーカーであったレームとSAの粛清へと進みますが、
昔の恨みとライバル潰しの絶好のチャンスとばかりにゲーリングと
ヒムラーが作成する標的リストは長くなる一方、
ヒトラーにとっては、長い間、貢献を果たしてきた同志と手を切り、
憎んでいたドイツの保守的な分子を安心させることになるのです。
その結果、ドイツ全土から総統に対する批判の声は聞こえず、
逆に彼の力ずくのやり方を賞賛する声すらあります。
これは我が物顔で傍若無人に振る舞っていたSAがドイツ市民から
「いかに憎まれていたかがわかる」という一文でわかったような・・。
〈第1巻〉 はこれにて終了です。
まぁ、すごいボリュームでしたねぇ。
ヒトラー、スターリンともに半々程度に主役を務めていますが、
ヒトラーについては、このBlogでだいぶ書いてきましたし、
知らなかったスターリンの権力闘争の部分が今回は多くなってしまいました。
〈第2巻〉以降は、「独ソ不可侵条約」から、「バルバロッサ作戦」と
直接しのぎを削る2人ですので、その対比ぶりは、より楽しめそうです。
アラン・ブロック著の「対比列伝 ヒトラーとスターリン〈第1巻〉」を読破しました。
去年の夏に神保町の古書店で3巻セット、3000円で購入した大作にやっと挑戦です。
この2003年に出た第一巻が573ページということは単純計算で1700ページ・・。
オクスフォード大学副学長を務めた著者は最初のヒトラーの伝記を書いたことでも有名ですが、
その、みすず書房の「アドルフ・ヒトラー(1・2)」も未読で、今回が初体験となります。
強烈な「スターリン―赤い皇帝と廷臣たち」も読みましたし、
ヒトラーとスターリンは似ていると思うこともあるだけに、
どのような「対比列伝」なのか、楽しみです。
原著の初版は1941年のナチス・ドイツのソ連侵攻50周年を記念として
1991年に出版されたそうで、本書は1998年の版となるようです。
巻頭にはヒトラー、スターリンの幼少期からの写真が12ページほど。
第1章は「出自」。公式には1879年生まれのスターリンと、
10歳違いの1889年生まれのヒトラーのそれぞれ19歳までを対比します。
マケドニア人のアレクサンドロス大王、またはコルシカ人のナポレオンのように
ヨーロッパとアジアの境、グルジア生まれのスターリン、
そして上オーストリアのハプスブルク帝国臣民として生まれたヒトラーは、
どちらも自分が支配することになる国の周縁地域で誕生。
こういうことが書かれているだけで、彼らがエリートではなく
雑草根性というか、ガッツでのし上がっていったのがイメージできますね。
ヒトラーの生い立ちはトーランドの「アドルフ・ヒトラー」などである程度知っていますが、
「粗野な乱暴者で、大酒を飲み、妻子に暴力を振るい、
生計を立てることもままならなかった」というスターリンの父や、
彼の子供時代を詳しく知るのは本書が初めてです。親父、似すぎですね。。
神学校で過ごした少年は禁制の本を読み耽り、札付きの学生となって退学。
このような生い立ちもなんとなく、ヒトラーと似た感じもありますね。
第2章は「修業時代」です。
共に学校から社会に出て、第1次大戦が終わるまでの時期。
ウィーンでの挫折とともに、スラヴ人、ユダヤ人、マルクス主義者が
支配的人種であるドイツ人を脅かしていると見なして、
熱烈なドイツ民族主義を確固たるものとしたヒトラー。
しかしミュンヘンに移った24歳の彼には何の見通しもなく、
第1大戦に熱狂的に参戦するしかないのに対し、
スターリンは革命家としての修業を始めています。
1908年から1917年のうちに逮捕、投獄、流刑、逃亡を繰り返し、
ロシア革命の伝統の中では、多くの政治犯にとってこのような経験は
「大学」の役目を果たします。
数年に渡る収容所生活では広範に読書をし、急進主義の知識と理念を身に付け、
囚人仲間同士の討論会にも参加。
このような政治犯として戦争には参加しなかったスターリンですが、
ここでもなんとなく、ミュンヘン一揆で逮捕されたヒトラーが「わが闘争」を口述しながら、
己の政治理念をゆっくり整理していたのと似ている気もしました。
また、すでにレーニンから指導を受けていたスターリンは勉強のために
1913年の1月からウィーンに1ヶ月滞在します。
そしてこの時期は、まだヒトラーがこのオーストリアの首都にいたとき・・。
「あるいは2人は人ごみの中ですれ違ったかも知れない」。
第3章は、10月革命とミュンヘン一揆ですが、
前者はスターリンというよりも、主役はレーニンであり、
反革命とサボタージュを取り締まる最初の政治警察組織「チェーカー(非常委員会)」が創設され、
ジェルジンスキーが長となったり、スターリンが後継者として台頭するまでに充分確立されて
1924年のレーニンの死までの5年間に、チェーカーによって行われた処刑は
少なくとも20万件・・といったことが語られます。
一方、小さいながらもナチ党の党首となったヒトラーの周りには、ゲーリング、
ヘス、ローゼンベルク、シュトライヒャーといったお馴染みさんたちの他、
プッツィ・ハンフシュテングルなどの裕福な知人らとの付き合いにも言及します。
第4章は「書記長」。
そもそもヴィトゲンシュタインが子供の頃・・、え~、ブレジネフ書記長ですが、
米国の「大統領」に対して、なんでソ連は「書記長」が一番エライのか・・?
と大いに疑問に思っていました。
ですから、クラスで「書記」に任命されると、なんとなくエラくなったような気がしたことも。。
この章では1917年から1921年までに死者1000万人を出した内戦が終わり、
トロツキーとのライバル争いをするスターリンの仕事っぷり、
国の行政や国有化された産業など、党がなすべき仕事は山積みで、
他の幹部たちが気乗りがしない仕事も、スターリンは引き受ける気があるといった具合で、
トロツキーまでが喜んで仕事を差出します。
次々と職務と役職を兼務し、最終的には各書記の仕事を統括する責任者に任命。
そしてこれこそが「党の書記長」であり、当時はレーニンをはじめ、
スターリン自身もこの新しい職務を発展させられるのかも不明なのでした。
そして発作に倒れたレーニンは後継者問題を危惧し、覚書をしたためます。
「スターリンはあまりに粗暴である。
書記長である者の欠点としては容認し得るものではない。
何らかの方法を講じて書記長の地位から更迭するよう提案する」。
しかし、最終的にスターリンは後継者として勝利するわけですが、
この力を蓄えたタイミングでレーニンが死んでしまうというのも、
ヒトラーが首相になったばかりのときにヒンデンブルクが死んでしまうことと、
あまりに同じような展開のように思います。
1917年の10月革命はレーニンの手になるもの・・、
スターリンには自ら手掛けるスターリン革命によってその地位を完全にする必要があります。
そして国民の80%を占める農民と、その農村社会に依存していることからの脱却のため、
「富農(クラーク)こそ、農村の資本主義者」として弾圧。
経験豊富な農民たちは家族もろともシベリアや中央アジアの
このうえなく辺鄙な荒野へと追放され、集団農場(コルホース)として国有化。
そのノルマも非現実的で、1930年末までに780万ケ所の個人所有地を集団化・・。
農民側も、牛や豚、羊などの家畜を1/4、1/3と屠殺してこの政策に抵抗。
スターリンは人間がどれだけ死のうと気にもしませんが、
貴重な国の財産である家畜類を失うと動揺を隠しきれません。
特に民族主義の意識が強いウクライナでは20万人以上の農民が追い立てられ、
ソ連全土向け、赤軍の備蓄向け、輸出向けに収穫した穀物の供給を求められ、
その非人道的なノルマによって、自分たちが食べる分を失って、
1932年から大飢饉が訪れるのでした。
う~ん・・、やっぱり「悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉」読んでみたいですね。
このような農民戦争と並行して、工業化の5ヵ年計画も異常なノルマで進められ、
秘密警察(OGPU)は、独断的な逮捕と拷問で矯正労働収容所(グラーグ)送り。
もちろん、ナチス・ドイツのSSと強制収容所システムを連想させます。
さらに「巨大なものへの異常な憧れ」に取りつかれていたスターリン。
工業コンビナートの建設を命じても、規模が大きすぎて、操業できなかったり、
完成を見ずに放置されるかのどちらか・・。
そういえば「ソヴィエト宮殿」とかいう、世界最大のビルの建築計画もありましたね。
こんなところも「ゲルマニア計画」と似ているのというのは、言わずもがな・・。
最後の第9章は「ヒトラーの革命」です。
褐色の突撃隊(SA)が夢見た伝統的な革命の手法、すなわち、武力によって
外から現政権の転覆を図る・・といったやり方ではなく、
スターリンが党書記長として内部から政権を奪取したのと同様、
ヒトラーも合法的な右翼連立政権の首相という地位から、最終的に政権を獲得します。
しかしソ連共産党が国家を取り込んだのに対して、
ナチ党はあくまで国家とは別の関係であり続けます。
当初はナチ党員ではない大臣の方が多いくらいですが、
ゲーリングの4ヵ年計画と空軍、ゲッベルスの宣伝と文化面、ライの労働、
そしてヒムラーの警察とSS・・、これらの分野がお互いの縄張りを奪おうと、
常にしのぎを削り、独自の帝国を築き上げ、それをヒトラーが統治するのです。
そんなヒトラーの合法的な革命に異を唱えるのが幕僚長レーム率いる突撃隊(SA)。
ヒトラーにとっては、すでに闘争のときは終わり、
正規の武力を擁する「国防軍」と手を結ぶ段取りも着々と進行中です。
SAは300万人の隊員を抱え、10万人軍隊の国防軍との対決も辞さない構え・・。
1934年1月、プロイセンのゲシュタポ長官ディールスを呼び、
レームの交友関係や犯罪の証拠を洗い出すようにヒトラーは指示します。
こうしてトラブルメーカーであったレームとSAの粛清へと進みますが、
昔の恨みとライバル潰しの絶好のチャンスとばかりにゲーリングと
ヒムラーが作成する標的リストは長くなる一方、
ヒトラーにとっては、長い間、貢献を果たしてきた同志と手を切り、
憎んでいたドイツの保守的な分子を安心させることになるのです。
その結果、ドイツ全土から総統に対する批判の声は聞こえず、
逆に彼の力ずくのやり方を賞賛する声すらあります。
これは我が物顔で傍若無人に振る舞っていたSAがドイツ市民から
「いかに憎まれていたかがわかる」という一文でわかったような・・。
〈第1巻〉 はこれにて終了です。
まぁ、すごいボリュームでしたねぇ。
ヒトラー、スターリンともに半々程度に主役を務めていますが、
ヒトラーについては、このBlogでだいぶ書いてきましたし、
知らなかったスターリンの権力闘争の部分が今回は多くなってしまいました。
〈第2巻〉以降は、「独ソ不可侵条約」から、「バルバロッサ作戦」と
直接しのぎを削る2人ですので、その対比ぶりは、より楽しめそうです。