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映画大臣 -ゲッベルスとナチ時代の映画- [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

フェーリクス・メラー著の「映画大臣」を読破しました。

第三帝国と映画・・というテーマだと「ミッキー・マウス ディズニーとドイツ」という本を
以前に紹介していますが、2009年発刊で562ページの本書は
そのボリュームといい、白水社だったり、と
いくら古い映画も観てきたヴィトゲンシュタインでも独破できるのか不安でした。
定価も4725円ですし、安い古書も見つからない・・。
そんなビビった場合には、図書館で借りるのが一番ですね。

映画大臣.jpg

著者はドイツ人の映画史家で、本書の主役ゲッベルスが1924年~1945年まで
丁寧につけていた日記を出版されていない読みにくい自筆のマイクロフィルムを含めて読み倒し、
その他の資料と比較しながら10年かけて仕上げた労作だそうで、
その結論は「序章」に書かれています。
「これまでのように日記を批判せずに使用することはやめるべきだろう。
主観的な誠実さを持った"個人的な日記"ではなく、ナチスのプロパガンディストのトップによって、
"未来の世代"を念頭に置いて作成されたものなのである」。
すなわち、将来、読まれることを想定した"偉人の日記"をということで、コレは同意見です。

Dr. Josef Goebbels.jpg

ゲッベルスは1897年生まれですから、まさに娯楽映画の発展と共に青年時代を過ごしたわけで、
1929年の日記では日本でも無声映画『メトロポリス』でも有名な
フリッツ・ラング監督の『ニーベルンゲン』について、
「ドイツの最高傑作だ。このドイツの力、偉大さ、そして美が壮大に映写された作品」と大興奮し、
米国の初期のトーキー映画『シンギング・フール』を観ても、
「トーキーの遥かに進歩している技術に驚いた。ここには未来がある。
だから米国の作り物だと言って何でも拒絶してしまうのは間違いだろう」。

となれば、ソ連の『戦艦ポチョムキン』も「この映画の出来は素晴らしい」となります。
未見だった『ニーベルンゲン』は最近、WOWOWで放送したんですが、
2部あわせて、トータル4時間半という非人道的な長さに敗北しました。。

Die-Nibelungen-1_-Teil-Siegfried-1924.jpg

第1章はこのようにフリッツ・ラングの『M』や、マレーネ・ディートリッヒ主演の『嘆きの天使』など、
さまざまな映画の感想が出てきます。『M』は昔に観ましたけど、
知らない映画も多くてこりゃ大変です。
フランス映画ではジャン・ギャバン主演の『望郷』について、「典型的な退廃作品だ。」と一蹴し、
ヒトラーもファンだったスウェーテン女優、グレタ・ガルボ主演の米国映画、
『グランド・ホテル』や『アンナ・カレニナ』、『征服』がお気に入りです。
他にはフランク・キャプラの『オペラハット』では、
主演のゲーリー・クーパーについて、「名演技だ。感激した。」
そんな彼にとって米国映画の頂点に位置していたのは『風と共に去りぬ』です。
「何度でも観なければならない作品だ。これを手本にしよう」。

Greta Garbo in Grand Hotel  1932.jpg

1930年代の娯楽映画についてはこのような感想を書き記しているゲッベルスですが、
1939年に戦争が始まると「娯楽」という観点だけでは映画は受け入れられません。
1940年のヒッチコックの『海外特派員』は、「第一級の駄作だ。
必ずや敵国の幅広い観客層にある種の印象を与えるだろう」としています。
紹介される映画のストーリーは本書には書かれていないため、
その映画の内容をある程度知っている映画好きじゃないと厳しいですね。。
ヒッチコックはほとんど観てますが、どんな内容だったかなぁ・・。

Foreign Correspondent 1940.jpg

第2章では、「宣伝大臣」となったゲッベルスが大手映画会社の「ウーファ」などを
支配下に置き、映画産業界からユダヤ人が追放され、
1933年に創設された「帝国映画院」の国有化などの経緯が詳細に書かれ、
「帝国映画総監督」などの重要なポストの人事も大ナタが振るわれます。
まぁ、でも知ってる名前が全然出てこないのがツライ。。

Joseph Goebbels movie.jpg

第3章はナチ党が政権を握った1933年から34年にかけての映画製作です。
1933年6月にヒトラーも臨席した党映画第1作目の『突撃隊員ブラント』の完成披露上映。
ゲッベルスはその前日にようやく試写を観ることができたようで、
「恐れていたほど悪くない。ほとんど耐えがたい部分もあるが・・。」
ミュンヘンのナチ党機関紙である「フェルキッシャー・ベオバハター」紙が
好意的な評価をしたのに対して、ゲッベルスの手中にあるはずの
ベルリンの「デア・アングリフ」紙が酷評を載せるなどナチ党の報道にも混乱が見られます。

SA mann brand.jpg

結局、不評に終わった「突撃隊員ブラント」に続く、10月公開予定の『ホルスト・ヴェッセル』は
ゲッベルスが一旦編集室に戻し、いくらか手を加えた後で、
『ハンス・ヴェストマー』という新しいタイトルで公開されるのでした。

Hans Westmar.jpg

1938年はゲッベルスに危機が訪れます。
それは「水晶の夜」事件と、反ユダヤ人プロパガンダをどう展開するかという問題に
心を奪われていたと同時に、女優のリダ・バーロヴァとの情事による離婚問題です。
妻のマグダはヒトラーに仲介を依頼し、宣伝大臣を辞職することも選択肢に・・。
「何本か映画を観た。しかし真の関心はなかった。もうこれ以上、続けたくない」。

Lída Baarová_original.jpg

1936年にスペイン内戦に参加したドイツ空軍の英雄詩『コンドル部隊』も
撮影が順調に進んでいます。
しかし独ソ不可侵条約が結ばれた1939年というこの時期、
「残念ながら、ハッキリとした反ボルシェヴィズムの傾向があるために使えない。
全てを中止させよう」と、ヒトラーの大胆な政策のためにポシャってしまう映画も・・。

legion-condor-on-its-return-from-spain-in-berlin-6-june-1939.jpg

こうして第4章「戦争がテーマを与えてくれる」へ進みます。
「初の本格的反ユダヤ主義映画」とゲッベルス自ら語る『ユダヤ人ジュース』には
脚本から参加し、数少ない友人であり、安楽死「T4作戦」の責任者のひとりである
フィリップ・ボウラーの管轄下で始まった『告発』は、
不治の病を患った医師の妻が、夫に致死量の投薬によって
自分を"解放する"ことを依頼し、それを実行する・・という内容の映画だそうです。

Philipp Bouhler, Robert & Inga Ley.jpg

1941年2月から6月にかけてドイツ各地の映画館で封切られたのは、
「見事な空中撮影」の『急降下爆撃隊』に、ノルウェー奇襲の『斥候隊ハルガルテン』、
その他、『リュッツオ爆撃隊』、『潜水艦西へ』、『6日間の1時休暇』などなど・・。
そしてヒトラーユーゲント映画、『元気を出せ、ヨハネス』も封切られますが、
「上映することは出来ない駄作」という感想のゲッベルス。
彼の立場であっても党関係の映画となると、絶対ではありません。
実際、文化関連の最大のライバルであるローゼンベルクや、
副総裁ルドルフ・ヘスゲーリングボルマンとのバトルも繰り広げています。

Goebbels_Hess and Sleepy Hitler.jpg

ゲッベルスは検閲官としてではなく、「ファイナルカット」権を有する最終判断者、
全能のプロデューサーとして君臨していたわけですが、
それを上回る立場の人間も存在しています。
映画好きの総統はスリリングな筋立ての映画を好み、犯罪映画などがお気に入り。
米国映画も西部劇に、チャップリンやバスター・キートン、
特に好きだったのは、やっぱりディズニー映画です。
つまらない映画はすぐに飽きてしまい、上映をストップさせ、
役者の演技や「監督が良くない」、そして「真の生活環境描写」も重視しています。

そういえば先日、TVで「チャップリンの独裁者」を初めてちゃんと観ましたが、
1940年ですからゲッベルスなんかは、取り寄せてコッソリ観たんでしょうかねぇ?
内相兼宣伝相ガービッチなんかはゲッベルスのパロディでしたし、
勲章をいっぱい付けたデブ戦争相のヘリング元帥には大笑いしました。
そうか、ヘルマン・ゲーリングを縮めた名前ですね!

The Great Dictator_Herring.jpg

また、国防軍を扱った映画になると、最高司令部による検閲が必要です。
『最後の一兵まで』の場合には、国防大臣ブロムベルクから電話が・・。
「艦隊が激しい攻撃を受ける場面を取り除いてほしい」との要望です。

Joseph Goebbels, Werner v. Blomberg.jpg

1934年からすべての映画館では本編の前に「ドイツ週間ニュース」、
それともうひとつ副番組という形で短編の「文化映画」の上映が義務付けられ、
自然と科学、芸術と民族、職人技と技術、軍事と政治が題材の教育映画です。
数多くの党組織に国境警備隊、爬虫類の世界に古ゲルマンの農民文化・・。
ゲッベルスはこのような15分の短編にもプロパガンダとしての力を注ぎます。
1940年には『ドイツの兵器製造所』、『防空』、『助っ人労働者』といったタイトルが・・。

Filmberichter mit Askania-Stativkamera.jpg

個人的なお楽しみ「ドイツ週間ニュース」もかなりのページが書かれていました。
1930年代はオリンピックや党のパレード、ヒトラーや党指導者の演説などですが、
1938年にプロパガンダ中隊(PK)が誕生し、報道素材のすべてを供給します。
戦争が始まると、ヒトラーももちろんこのニュース映像に大きな関心を寄せ、
1941年1月の号の試写では「総統のお気に召さなかった」と意気消沈・・。
ナレーションと音楽のまだついていないバージョンから試写し、
週に4回は詳細な箇所にまで編集作業に時間を費やすゲッベルス。。

Propagandakompanien.jpg

全体的な効果はナレーションの投入、音楽、モンタージュの完璧な構成、
効果音による信憑性、トリック撮影や地図の挿入といったことで発揮され、
派手な戦闘シーンがない場合には、テキストの調子を強め、
豊かな伴奏音楽で埋め合わせる・・。
ヒトラーが最良のものと考えている号は「ディエップでの戦闘」で、
V2の映像」の号には、ことのほか興味を示したということですが
ゲッベルスが何度も要望した総統本人の登場は、頑なに拒まれるのでした。

久々のオマケで、1944年の「ドイツ週間ニュース」を5分ほどご鑑賞ください。
出演者は、西方B軍集団司令官ロンメルに、OKW作戦部長のヨードル
JG26司令のプリラー、そして夜戦エースのプリンツ・ヴィトゲンシュタインです。



最後には女流映画監督、レニ・リーフェンシュタールとゲッベルスの関係。
本書では戦後のレニの発言は「嘘が多い」として、
ゲッベルスは彼女の仕事を賞賛し、個人的にも高く買っている。
しかし彼女とヒトラーの直接的な関係や、輝かしい映画の作り手としての姿勢が
ゲッベルスの気に障ったのは確実である・・としています。

Goebbels, Riefenstahl & Hitler.jpg

監督という立場からすると、大好きな『未来世紀ブラジル』という映画での
テリー・ギリアム監督の「ファイナルカット」権を巡る戦いを描いた
「バトル・オブ・ブラジル」という本を昔読んだのも思い出しましたが、
お気に入りの監督や俳優はゲッベルスから十分な報酬を授かり、
スターリングラードで敗北した1943年以降は、国民が現実逃避できるような
楽しい映画を製作し、「ドイツ週刊ニュース」のカラー化も実験します。
しかし戦局の悪化、爆撃の影響とともに前線からのフィルムは遅延を余儀なくされ、
1945年にもなると、戦闘シーンは一切なくなってしまうのでした。

Die Deutsche Wochenschau.jpg

中盤は知らない映画と人物が多くて、かなり苦労しましたが、
後半はなかなか楽しめました。
ゲッベルスの考えるプロパガンダ映画というのは終始一貫していて、
「突撃隊員ブラント」といった、タイトルからしてナチス・・という押し付けのものではなく、
あくまで国民が観たいと望む映画、そのなかにさりげなくプロパガンダを織り込む・・
といった手法だと感じることができる一冊でした。



























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