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ハリコフ攻防戦 -1942年5月死の瀬戸際で達成された勝利- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マクシム・コロミーエツ著の「ハリコフ攻防戦」を読破しました。

今回が6冊目の「独ソ戦車戦シリーズ」ですが、
相変わらず順番はメチャクチャで、シリーズとしては第3巻目になります。
ハリコフ戦というのは第4次まで続いた攻防戦であり、
以前に紹介した「ハリコフの戦い 戦場写真集」は第3次攻防戦。
本書は第2次攻防戦をソ連側から描いた2003年、135ページの一冊です。

ハリコフ攻防戦.jpg

第1章は「ソ連軍のハリコフ奪回作戦の準備と実施」です。
ソ連南西方面軍のティモシェンコ元帥による発案で、
冬以降、停滞している戦線に攻勢をかけ、ハルコフを奪還しようとするものですが、
敵であるドイツ軍も、カフカスとヴォルガを目指す夏季攻勢のための
環境創出を目的とした作戦「フレデリクス1」を準備中・・。

General Timoshenko visiting the front_1942.jpg

共に64万名程度の将兵と1000両の戦車、1000機の航空機、1万門以上の砲を揃えますが、
前年の夏と秋の戦いで壊滅的損害を受けていたソ連側は
充分な訓練も受けていない新兵たちによる、新設された師団が中心。
そのような方面軍の戦車旅団単位で保有戦車台数も表を使って細かく紹介し、
BT快速戦車、T-60、T-26T-34KV-1以外にも
レンドリースによるマチルダ、ヴァレンタインM3「リー(グラント)」戦車も多く含まれています。

the infantry tank Matilda II.jpg

ドイツ軍はハリコフ地区に集結していた第3、および第23装甲師団が
「ブライト集団」として一緒に行動した・・など、文章で解説。
いきなり「ブライト集団」と書かれても何のこっちゃ・・? ですが、
第3装甲師団長のヘルマン・ブライト将軍のことのようですね。
またソ連側には南方面軍も参加していて、ココは集中して読まないと後が辛くなります。。

the second battle of Kharkov in 1942.jpg

写真はさすがにソ連軍中心ですが、鹵獲したBMWサイドカー「R12」に乗る
戦車偵察兵が良いですね。
ヘッドライトは割れているものの、サイドカーの前面には「ヒトラーに死を」の文字が・・。

こうしてパウルス将軍の第6軍とクライスト装甲集団に対し、
5月12日、ソ連軍が攻勢を開始します。
まったくややこしくて大変なのは、この攻勢をかける「南西方面軍」は、
正面55㎞の前線で攻撃する「北部突撃集団」と
35㎞の前線で攻撃する「南部突撃集団」とに分かれるんですね。
「北部突撃集団」だけでも狙撃兵師団14個、戦車旅団8個など、
これらの部隊が軍、軍団として、バイラークとか、クピエヴァーハとか、
ヴァルヴァーロフカといった聞いたこともない場所で戦いますので、
いくら戦況図が度々、出てくるにしても「南西方面の北部」なんて方角も含め、
よっぽど好きじゃないと耐えられません。。

Ewald von Kleist.jpg

「南部突撃集団」の攻勢でも、ソ連「第6軍」が出てきたり、もう嫌がらせのようですね。
救いなのは参謀総長ハルダーの日記が出てきて
フォン・ボック(南方軍集団司令官)がクライストの戦線から3~4個師団を外し、
ハリコフ南方の突破口を封鎖するために使用するよう提案してきた」など、
ドイツ側の話も忘れたころに出てくるところです。

そのフォン・ボックのメモも何回か使われていて
「第8軍団のところがいくつか突破され、その左翼でハンガリー人たちが後退した。
極めて悪い事態だ」。
しかし第2章は「ドイツ軍の反撃と包囲戦」。
5月17日から28日までのドイツ軍の大逆襲です。

Hitler_and_von_bock.jpg

予備も繰り出してソ連軍の攻撃に耐えたドイツ軍は、再編成を終え、
1時間半の準備砲撃に続き、歩兵と戦車がシュトゥーカなど400機の航空機の支援を受けて
5月17日の朝から攻撃に移ります。
主攻撃の矛先となって前進したのは、フーベ将軍率いる第16装甲師団。
ソ連第9軍の参謀長も負傷し、ドイツ空軍の活躍によって通信も切断。
ばらばらの防御戦闘、予備部隊投入の命令も受領されず、
軍司令官も統帥能力を失います。
ソ連寄りの本書ですが、読んでいてもドイツ軍の攻撃はまさに「電撃戦」の戦法ですね。

Hans_Valentin_Hube_in_Panzer_III.jpg

フォン・ボックも日記で満足げ。
「クライスト集団の攻勢は非常にうまく進行している。
ハルダーが西に転ずるべきだと言ったとき、そのような進路変更は不可能だと反論した」。
いや~、やっぱりハルダーは参謀総長であっても、元帥相手では分が悪いようですね。

ブライトの第3、および第23装甲師団も戦車140両で包囲戦に登場。
5月22日にはソ連軍部隊の包囲を完了するのでした。

Hermann Breith.jpg

途中には「塗装とマーキング」のカラーイラストが4ページ。
ドイツ側はⅡ号Ⅲ号戦車、ソ連側はBT快速戦車にT-60戦車、
それから米国製M3「リー」に英国製マチルダ。もちろんT-34とKV-1戦車も登場し、
裏表紙にはそのT-34とKV-1戦車が描かれています。
下のKV-1の砲塔には「ザ・ロージヌ」、「祖国のために」という定番の文句です。

ハリコフ攻防戦2.jpg

5月26日には、上記の戦車による「ソ連混成戦車軍団」が
包囲線の外環を突破すべく攻撃に出ます。
イメージ的には「逆スターリングラード」ですね。
包囲陣内の部隊も夜間に個別に突破し、第5親衛戦車旅団が先導した
22000名のうち、夢が叶ったのは5000名のみ。
5月30日までに包囲陣から生還できたのは27000名。

soviet POW's.jpeg

ソ連側の資料でさえ、包囲されたのは20万名にも及び、
この作戦期間中の損害は将兵26万名、戦車652両という大惨事です。
包囲陣で戦死した将軍も書かれているだけで10名。
その他、政治委員や多数の司令官も失ったそうです。

一方のドイツ側の資料では、24万名の捕虜、1249両の戦車を破壊、または鹵獲。
ドイツ兵の損害は2万名としています。
戦闘が終わったばかりの地区を訪れたクライスト将軍は、
「見渡す限り、人馬の死体で埋め尽くされている。
あまりにギッシリと埋まっているため、乗用車が通過できる場所を見つけるのに苦労した」。

Ein Stoßtrupp bereitet sich vor. Charkow im Mai 1942..jpg

もちろんこの結果を知らされたスターリンは怒り心頭です。
「わずか3週間ばかりの間で、南西方面軍はその軽率さのおかげで
半ば勝ちえていた作戦に敗れたのみか、
20個師団も敵にくれてやったとは・・、これは大惨事だ」。

Stalin.jpg

「おわりに」では、ソ連軍部隊の失敗の原因を簡単に分析し、
戦車を旅団単位に分散して、狙撃部隊に分配するという挙に出て
ドイツ軍防衛第1線の突破で戦車兵力を「使い果たしてしまった」。

実は副題の「1942年5月死の瀬戸際で達成された勝利」って
独ソどっちのセリフなのか・・? と思いながら読んでいましたが、
これは将来に対して懐疑的な見方をするドイツ人が出てくる中で、
「勝利は死の瀬戸際にて達成された」と戦闘後の報告書に書いた
第3装甲軍団司令官のフォン・マッケンゼンのセリフでした。

Max von Weichs, Adolf Hitler, Friedrich Paulus, Eberhard von Mackensen and General Field Marshal Fedor von Bock. June 1942.jpg

まぁ、ボリュームはそれほどない本書ですが、ちょっと苦労しましたね。。
ソ連側の記述が細かいし、後半になっても包囲されているハズのソ連軍が
まるで「勝っている」かのような印象すら持ちました。
と、文句を言いつつも、このシリーズはとりあえず、
「モスクワ防衛戦―「赤い首都」郊外におけるドイツ電撃戦の挫折」
「ドン河の戦い―スターリングラードへの血路はいかにして開かれたか?」
「重突撃砲フェルディナント―ソ連軍を震撼させたポルシェ博士のモンスター兵器」
「東部戦線のティーガー―ロストフ、そしてクルスクへ」
「ベルリン大攻防戦: ソ連軍最精鋭がベルリンへ突入」
のあと5冊は読んでみるつもりです。
あぁ、「クルスク航空戦」も気になりますね。。















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