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ヒトラーと退廃芸術 -「退廃芸術展」と「大ドイツ芸術展」- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

関 楠生 著の「ヒトラーと退廃芸術」を読破しました。

去年の8月にウィリアム・L.シャイラー著の「第三帝国の興亡〈2〉」を読んだ際、
面白かった話のひとつとして、「退廃芸術展」と「大ドイツ芸術展」を書いていました。
その時以来、本書が気になっていたわけですが、
まぁ、ドイツ人芸術家をたいして知っているわけでもなく、
果たして独破できるのか・・と心配でしたが、
1992年発刊で253ページの本書に、とりあえずチャレンジしてみました。

ヒトラーと退廃芸術.jpg

「私は生来の芸術家だ」と、度々語ってきたヒトラー。
1907年、18歳の時にウィーン美術学校の入学試験落ち、その評は、
「知力貧弱、デッサンは文句なく、画家への不適正」という酷評です。
そんな屈辱を味わってきた彼ですが、1933年に政権を奪取すると、
第1次大戦中に描いた7枚の水彩画が編集されて、ホフマンによって出版され、
ミュンヘン美術学校の教授はおべっかいっぱいの賛辞を述べます。
「総統が画家としても、芸術家の才能に恵まれていることの証左であり、
当時のウィーンの美術学校を恥じ入らせる」。

hitler-gallery.jpg

しかし総統の絵の質を見抜いていた宣伝大臣ゲッベルスは、
これらを公に展覧することを思いとどまらせ、同意見のボルマンと共に
ヒトラーがかつて描いた300点もの絵を多額の金を使って買い集めて保管するのでした。
本書では白黒ながら、写真や絵画が所々に出てきます。
キャプションもしっかりと書かれていて、
この ↓ 水彩画は複数意見があるものの、ミュンヘンの「アルター・ホーフ」としています。

1914-Hitler-aquarell-hof-alte-residenz-Muenchen.jpg

そんな偉大な芸術家が独裁者になってしまったドイツ。
早速、ゲッベルスの音頭により、「非ドイツ的著作物の焚刑」が華々しく行われ、
プロイセン芸術院のボスであり、ドイツ印象派の巨匠でもあるマックス・リーバーマンも
ユダヤ人の出自により、名誉総裁の称号を返上するなど不幸のなかで死んでいきます。

Nazi book burnings.jpg

また、このようなゲッベルスに対抗する別の勢力が存在。
それは芸術観を異にしたうえに文化面でも、「ナチ党の精神的、世界観的な訓練と
教育の監督」を総統から依頼されているライバル、ローゼンベルクです。
しばしば激しく口論した2人ですが、最終的には総統がローゼンベルクの肩を持つのです。

本書では彼の芸術観を紹介するために、著作「二十世紀の神話」の翻訳版から抜粋。
1ページほどゴッホやゴーギャン、ピカソの名も挙げながら、
「混血児芸術はその不具者の私生児、即ち、精神的梅毒症と画工としての
発育不全との間に生まれたものを、精神の表現として・・うんぬん」
コリャ、やっぱり読むのはムリですね。。

Goebbels Rosenberg.jpg

首都ベルリンのガウライター(大管区指導者)でもあるゲッベルスは1935年、
ナチ党の本拠地ミュンヘンで「ベルリン美術展」を開催します。
実は非公式ながらも近代美術に共感を抱いていたゲッベルスは、
最近、攻撃された芸術家の作品も選抜しますが、
ミュンヘンのガウライターであるアドルフ・ワーグナーが突然介入してきて
気に入らない作品を取り外してしまいます。
書物と違って美術品はそれを見る人によってとらえ方が違いますから、
まだこの時点ではナチにとって何が良くて、何が悪いのか、統一されていないんですね。

adolf-wagner.jpg

やがて”表現主義”は純ユダヤの発明であると公式に言明され、
それらの「退廃芸術」がドレスデンを皮切りに各地を巡回。
ナチ党員たる者は必ずこの展覧会を見に行くように・・と、お達しも出され、
全国にある美術館幹部の首のすげ替えも相次ぎます。

そんななかで、ナチ党の求める芸術家も、これ幸いとのし上がってきます。
純粋な北方人種の淡いブロンドの男女の半身像を多く描いたヴォルフガンク・ヴィルリヒは
アーリア人思想のヒムラーに認められ、兵士らの絵葉書を書くことに・・。

wolfgang-willrich-1940_ss-oberscharfuhrer Ludwig Kepplinger.jpg

また彼は名高い美術館の壁面から、長年に憎み続けてきた作品を取り外す使命にも燃え、
この退廃芸術品狩りで5000点の絵画に、12000枚のデッサンと版画を押収するのでした。

こうして1937年7月、ミュンヘンに新たに完成した神殿のような姿の「ドイツ芸術の家」で
ナチス芸術を謳った「大ドイツ芸術展」が開かれることになります。

Haus der Deutschen Kunst-muenchen.jpg

全国造形美術院総裁アドルフ・ツィーグラーが審査委員を組織しますが、
ヒトラーが「世界で最も優れた肉体画家だ」と語る、姪のゲリの肖像も描いた古参党員です。
しかし彼の描く女性は表情に乏しく、全体としてまったく生気に欠け、
"あの部分"だけを精巧に描いたことから、「ドイツ恥毛の巨匠」、「全国恥毛画家」と
あだ名されていた人物だそうです。

ziegler.jpg

審査委員のひとりにはコンラート・ホンメルという画家もおり、
彼は1927年からヒンデンブルク大統領を始めとして、シュライヒャーパーペン
ゲーリングシャハト、そしてヒトラーらお歴々の肖像画を描いてきた人物です。
こんなのは ↓ 有名ですね。

Der Führer im Kampfgelände _ Conrad Hommel.jpg

彼の手にかかれば、ヒムラーもこんな ↓ 英雄風・・。

Conrad Hommel _himmler.jpg

そんな審査員たちのお眼鏡に適った芸術作品ですが、ゲッベルス、トロースト夫人
審査結果を見たヒトラーは「芸術家による審査委員会でやればこんなものだ」と激怒します。
「こんなガラクタを展観するくらいなら、一年延期した方がいい」。
「ドイツ恥毛の巨匠」、ツィーグラーは蝶ネクタイで、「どうですか!」と自信満々なものの、
ゲッベルスは内心「やっちまった・・」と思いつつも、「総統、そうっすね~!」という表情です。。

Hitler, Goebbels, and Adolf Ziegler, Gerdy Troost.jpg

紆余曲折の末、7月18日にいよいよ3ヵ月に渡る「大ドイツ芸術展」の開会式。
並々ならぬ力を入れていたヒトラーは、1時間にも及ぶ長広舌をふるいます。
「キュービズム、ダダイズム、未来派、印象主義等々は、我々ドイツ国民と何の関係もない!」
では、ナチスの求める芸術は・・・? というと、
「美しいものを好ましく・・描く使命を有し、真実に忠実な描写を心がけるべきだ」。
ということで、大地や農民を描いたものが多く、
女性の裸体は「愛と欲望のナチズム」にあった「農村のヴィーナス」も出てきました。

Arno Breker bei der Arbeit an Prometheus, Fotografie, ca. 1935.jpg

そして筋肉隆々の巨大彫刻もナチ党のお気に入りで、巨大建造物には欠かせません。
本書で紹介されるアルノ・ブレーカーという彫刻家を調べていたら、
2011年の「パリとヒトラーと私 - ナチスの彫刻家の回想」 に辿り着きました。
あ~、この有名な写真でヒトラー、シュペーアと一緒に写っている人なんですね。
そういうことなら、コレも読まなければ・・。

Speer, Hitler, Arno Breker  in Paris.jpg

「大ドイツ芸術展」から一日遅れて始まったのが「退廃芸術展」です。
「ドイツ芸術の家」からそれほど離れていない、石膏模型の収容場所だった建物・・。
3日前にはヒトラーも下見に訪れ、10分ほどで退場。
ゲッベルス曰く、「これまで見たうちで最もひどいもの。まったくの狂気だ」。
ヒトラーの目も完全に死んでいますね。。

degenerate art hitler_Goebbels.jpg

そして「青少年には見せられない、いかがわしい代物」ということで、
18歳以下は入場禁止。それが逆にセンセーションを呼び、
「大ドイツ芸術展」の一日の入場者数6000人に対して、多い時には4万人が押し寄せます。
4ヵ月で200万人を動員する大ヒットにゲッベルスも大満足で、
著者はシャイラーの「ゲッベルスが腹を立てて閉鎖した」のは間違いだと指摘します。

degenerate art.jpg

どんな最悪の退廃芸術だったのかというと、シャガール作「ラビ」、ディクス作「傷痍軍人」。
ルードルフ・ベリングの作品は、「大ドイツ芸術展」にも有名なヘビー級ボクサー、
マックス・シュメリングのブロンズが出ていたことで、問い合わせが相次いだために撤去。
また、数点あった「叫び」でお馴染みのムンクの作品も、
ノルウェー公使館から異議を唱えられて、やっぱり撤去・・。

Otto Dix, Kriegskrüppel 1920.jpg

パンフレットの表紙に使われたのはオットー・フロイントリヒの「新しい人間」で、
彼は1943年に南フランスで逮捕され、ポーランドの収容所で死亡・・。

Die Entartete Kunst Ausstellung.jpg

会期を終えた「退廃芸術展」はベルリン、ハンブルク、ウィーン、フランクフルトと
1941年まで各都市を巡回し、大盛況。
そしてここにもう一人の偉大な美術品蒐集家が登場。ご存じ、ゲーリングです。
退廃芸術作品の中から、カリンハル用に国際的に評価の高いものを選ばせて、
ゴッホとムンクを各4点、セザンヌ1点を手に入れるのでした。

Göring vor einer Skulptur in der Ausstellung Entartete Kunst in Dresden..jpg

さらに国外追放にするため、もちろん外貨獲得の意味も込めてオークションが開かれます。
そのなかにはマチスとピカソが各4点、シャガール、ゴーギャン、ゴッホなど豪華125点。
ピカソは「ソレル一家」、「二人のアルルカン」、「女の胸像」、「アブサンを飲む女」。
ゴッホは「自画像」です。

Degenerate-Auction_Vincent van Gogh 1939..jpg

最後は戦後に3回開かれた「退廃芸術展」の様子。
名誉委員会のメンバーは、当時、退廃芸術家の烙印を押されたオットー・ディクスらです。
そして1974年には再現した「大ドイツ芸術展」が・・。
もちろんナチス時代の芸術を鑑賞することに賛否両論、ボイコットも起こり、
芸術作品の立場は逆転するのでした。

1991年にドイツと米国で「退廃芸術:ナチス・ドイツにおけるアバンギャルドの運命展」が開かれ
1995年には日本でも縮小した形の 『芸術の危機 - ヒトラーと≪退廃芸術≫展』が
開催されていたようです。
このパンフレット、446ページもあって、ちょっと読んでみたいですね。

芸術の危機.jpg

最初にビビッていたのがウソのように、一日で独破してしまいました。
著者はドイツの芸術に詳しいだけでなく、ナチス・ドイツについても良く知っています。
ミュンヘン大管区指導者ワグナー、科学・教育・文化相のベルンハルト・ルストなど、
シブい人物が登場する度に調べたり、
知らない画家や、その絵画もWebでカラー写真を探しながら楽しみました。
最後に著者の経歴を見てみたら、あの「ヒトラー・ジョーク」の方でした!

1930年代にはナチスによる弾圧、戦後はその逆が起こるという、
ナチ時代に評価を得たからダメっていうのもおかしな話で、
例えば、ヒトラーと同じような巨大建築志向をもっていたら、ダメなのかと思いますね。
美術、芸術、建築物に対する趣味は千差万別ですから、
どういう形であれ、それを押し付けるのは良くありませんが、
余計にゲルマニア計画なんかを詳しく知りたくなってしまいました。





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