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空軍元帥ゲーリング -第三帝国第二の男- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロジャー・マンベル著の「空軍元帥ゲーリング」を読破しました。

いままで読んできたいわゆるナチ本でも、「ダメ国家元帥」とか、「デブの帝国元帥」などと、
散々に言われてきたゲーリングの第二次世界大戦ブックスです。
ゲーリング本としては過去に「ゲーリング -第三帝国の演出者-」と
ゲーリング言行録 -ナチ空軍元帥おおいに語る-」を読みましたが、
著者は同じ第二次世界大戦ブックスの「ゲシュタポ -恐怖の秘密警察とナチ親衛隊-」の方で
アレはかなり内容が良かったですから、本書も期待できます。

空軍元帥ゲーリング.jpg

1893年1月生まれのヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング。
カッコ書きで明治26年と書かれているところが第二次世界大戦ブックスです。
父はハイチ駐在の総領事という家庭ですが、その父が引退し、
まだ若い母は友人の金持ち独身男の愛人となって、
ベルデンシュタインのお城でヘルマン少年は成長。
12歳でカールスルーエの士官学校に入り、軍事訓練大学に進学。
19歳の時に第112プリンツ・ヴィルヘルム連隊に勤務することになります。

young Göring.jpg

2年後には第1次大戦が始まり、国境近いアルザスで戦いますが、
親友のブルーノ・レルツァー少尉が飛行訓練学校に転属すると、彼も後を追いかけることに。
は~、後のレルツァー将軍とはこんな付き合いでしたか・・。
そして1918年にはプール・ル・メリット章を受章するエース・パイロットとなり、
戦死した"レッド・バロン"・リヒトホーフェン飛行隊の指揮官に任命されるのでした。

Bruno Loerzer _ Hermann Göering.jpg

そういえば、去年WOWOWで放送された映画、「レッド・バロン」をようやく観ました。
複葉機の空中戦もCGで迫力あるものに仕上がっていましたし、
リヒトホーフェンを演じたマティアス・シュヴァイクホファーくんも良かったですね。
後半にはウーデットも登場し、従弟のヴォルフラムも初戦でドキドキ・・。
リヒトホーフェンが撃墜され、英軍によって埋葬されるシーンも欲しかったですが、
エンド・クレジットでヴォルフラムについて、「第1次大戦を生き延びた」とだけで、
その後の「コンドル軍団」、電撃戦の要として、ナチス空軍の元帥にまでなったことが
紹介されていないところが、イヤラシイ・・とも思いました。

DER ROTE BARON.jpg

戦後はスウェーデンで最初の奥さんとなる、カリンと出会い、
1922年に初めてヒトラーの演説を聞くことに・・。
ゲーリングの経歴を気に入ったヒトラーが29歳の彼に任せたのは、
ドイツ陸軍飛行隊の将兵の代わりに、
失業者の群れである初期のSA(突撃隊)の訓練です。
しかし36歳の「党参謀長」であるエルンスト・レームは自分の方が上と考え、
ヒトラーはそのレームを押さえるためにゲーリングを必要とし、
ゲーリングを押さえるためにレームを操る・・という、得意技をすでに駆使しています。

Röhm Goering Hitler.jpg

ビアホール一揆で太腿の付け根に銃弾を受けたゲーリング。
逮捕を逃れながらも国外で治療を受け、やがてモルヒネ中毒に・・。
1931年には選挙戦に明け暮れるなか、
ヒトラーは愛する姪であるゲリを失って打ちひしがれ、
ゲーリングもまた最愛の妻カリンを失うという非常事態・・。
そんな彼らは1933年に政権を奪うまで、がむしゃらに選挙で戦い続けるのでした。

Goering delivers a speech ibn Weimar.jpg

プロイセン州の内相となって「ゲシュタポ」を創設する部分を書かれていますが、
本書では「国会議長」としてのゲーリングの役割が良く書かれていました。
しかしヒトラーの独裁が始まれば議会が開かれることはもうありません。
女優のエミー・ゾンネマンと愛し合うことになりますが、
「再婚してもカリンを裏切ることにはならない」と説得されて、
ようやく1935年にエミーとの結婚を決意し、カリンとの思い出のために
大きな別荘、カリンハルを建てるのです。

Göring and his wife Emmy showing off pet lion cub to Benito.jpg

贅沢三昧を始めたゲーリング。
ゲシュタポはヒムラーに譲って、ドイツ空軍の創設に乗り出します。
派手で飽きっぽい性格からして、ゲシュタポのような陰険な仕事には向かず・・
という話も良く聞きますが、確かにそう思いますね。

himmler göring.jpg

狩猟嫌いのヒトラーから、森林、および狩猟長官にも任命されます。
総統とは違って狩猟大好きゲーリングですが、著者は彼の狩猟法の改正は
大変優れたもので、彼のやった仕事の中で唯一の恒久的なものであり、
この狩猟法の条項は今日もなお、効力を持っているとしています。
それらは生きたまま皮をはいだり、肉をとったり、残酷な罠の禁止・・。
ゲーリングは鳥獣に対するフェアプレイと、保護や繁殖にも注意を払います。

Hunting Goering.jpg

カリンハルの写真も多い本書。
贈り物の高価な芸術作品に溢れ、2階の部屋には大きな鉄道模型が・・。
ほほぉ、ゲーリングも"テッチャン"だったんですね。。
カリンハルはショルフハイデという広大な領地にあるそうですが、
ここの広さは横浜市ほどもあるという、ハンターの楽園です。
自分を偉大な行政官と自負する彼ですが、公式には総統に次ぐNo.2ではありません。
もともとはナチ党の「副党首」という立場だったルドルフ・ヘスが、
ヒトラーが国家元首の総統になると、自動的に「副総統」ということになっていたのです。

Hermann Goering with his Märklin model railway at Carinhall. The other fellow could well be Franz von Papen.jpg

戦時経済立て直しの4ヶ年計画の責任者となり、「大砲かバターか」の問題に直面すると、
彼は演説で「バターが我々のためにしてくれたことは、太らせただけだ!」と喚き、
己の突き出た腹を叩いて聴衆を笑わせる国民の人気者ヘルマン・・・。

「戦争か平和か」という1938年になっても愛妻や、
6月に生まれた愛娘のエッダと過ごすことが楽しみであり、
平和的手段によってドイツの地位が向上できるならば、楽で贅沢な生活が維持できる・・
と考えているのです。

Hermann Emmy Edda Göring.jpg

オーストリア併合ではザイス=インクヴァルトとの緊迫した電話でのやりとりが詳細で
楽しめましたし、英国に盗聴させようとしたロンドンにいるリッベントロップとの
長い電話も印象的でした。
そして英仏との外交にも積極的なゲーリングですが、
外務大臣となったリッベントロップとのライバル争いと、ヒトラーの独断政治の前に
徐々にその存在感は薄くなり、ポーランド侵攻が始まってしまいます。

Ribbentrop Hitler Goering,Berlin, Germany, August 1939.jpg

そのポーランド戦ではゲーリングの空軍は急降下爆撃機の活躍もあって完勝したものの、
ダンケルクバトル・オブ・ブリテンから、英国本土上陸作戦と失敗続き・・。
英国征服がすっかり自分だけに任されきって、誰もバックアップしてくれない・・。
孤立していることを悟った彼は前線から引っ込んで、ガーランドに任せるのです。。

Poland, September 1939, Goering with airforce officers at the front..jpg

翌年に独ソ戦が始まると、英国へと飛んで行った副総統ヘスに代わり、
めでたく副題のとおりの「第三帝国第二の男」となった国家元帥。
「ユダヤ人問題の全面的解決」をヒムラーの第一の子分であるハイドリヒに引き継ぎ、
手詰まりとなったドイツ空軍も盟友ウーデット、参謀総長イェショネクが相次いで自殺。
ケルンは大爆撃に遭いマルタ島の征服も失敗、ロンメルへの補給にも失敗。
ゲーリングは自分への批判は一切無視し、ドイツの戦時経済と、
空軍への利益になるモノ、そして個人的な道楽・・のあいだを彷徨います。。

Wonderful Porcelain Plaque Depicting Hermann Göring in Uniform.jpg

スターリングラード包囲に対する空中からの補給を約束しても
1943年1月という第6軍が崩壊して死に直面しているその時、
ベルリンで恒例の誕生パーティを開き、美術品などの贈り物が続々と届きます。
レンブラントにルーベンス、ゴヤなどの名作絵画コレクション。
本書ではシュペーアシェレンベルクが語るゲーリングの話もあり、
ヒムラーに言わせれば、「闇市の帝王」ということです。

Goering, three-quarter length, in Slavic attire.jpg

1945年4月、死を覚悟しているヒトラーに電報を打ち、それがライバルであるボルマンによって
「裏切りである」と認定され、罷免されたうえ、SSに逮捕されたゲーリング。
5月6日には新大統領となったデーニッツにメッセージを送ります。
「あなたがヨードルを交渉のためにアイゼンハワーの元へ派遣すると聞いております。
わたしも元帥対元帥としてアイゼンハワーと正式に接触することが、
わが国民の利益にとって重要であると考えます。
わたし固有の雰囲気を添えることで、成功することを請け負います」。

Goring_on_what_appears_to_be_a_subsequent_day,_sitting_down_with_U_S__forces.jpg

結局、このようなメッセージはゲーリング嫌いのデーニッツに無視され、米軍の捕虜となり、
ニュルンベルク裁判へと続き、ここでもジャクソン検事との応酬が詳細です。
そして最後には1967年に明らかにされた刑務所長のアンドラス大佐に宛てた
ゲーリングの遺書を掲載し、彼が毒薬のカプセルを如何に隠し持っていたか・・。

goering  hess  ribbentrop_nuremberg.jpg

ふーむ。。かなり出来の良いゲーリング伝でしたねぇ。
珍しい写真も多かったのも「第二次世界大戦ブックス」らしいですが、
この223ページというボリュームながら、生い立ちから、その死の様子まで
余すことなく、公平に書かれていました。
コレは最初にも書きましたが、やっぱり著者が良いんでしょうね。。
モズレーの「ゲーリング -第三帝国の演出者-」の方がボリュームもありますが、
ややレア本で古書価格も高くなっていますから、ゲーリングに興味のある方は、
古書価格もお手頃の本書をまず読んでみることをオススメします。









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