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戦争と飢餓 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リジー・コリンガム著の「戦争と飢餓」を読破しました。

去年の12月に出たばかりの600ページの大作を紹介します。
タイトルと表紙の写真もなかなかインパクトのあるものですが、
原題は「The Taste of War」、戦争の味ってところでしょうか・・。
「第2次大戦中、軍人の戦死者数1950万人に匹敵する、2000万人の人々が、
飢餓、栄養失調、それにともなう病気によって悲惨な死を迎えた。」
という、食糧から戦争を見つめ直す、興味深い一冊です。

戦争と飢餓.jpg

全4部から成る本書はまず、「食糧 -戦争の原動力」からです。
戦争を始めた当事国であるドイツと日本がなぜ他国に侵攻したのかを分析。
ドイツの章では18世紀から19世紀にかけて小麦から肉へと食事が変化し、
英国を中心に植民地が食料供給として重要となっていった歴史に、
第1次大戦のドイツの敗北の大きな要因として、連合軍による海上封鎖を挙げ、
ドイツが悲惨な飢餓状態に陥ったとしています。
そして若きヒトラーも、市民が飢えることの危険性を身を持って実感するのです。

やがてナチスが政権に就くと農業食糧相のヴァルター・ダレが「土に戻る」ことを奨励しますが、
彼の提案した農業改革案はヒトラーにとって退屈なものになってしまいます。
ヒトラーの考えは米国と同じ水準の富と繁栄を築くには、米国西部に匹敵する場所・・、
すなわち、東部の領土を拡大、「レーベンスラウム(生存圏)」の征服です。
そしてこの考えを共有するのはダレの古い友人でもあったヒムラーなのでした。

Walther Darré_Hitler.jpg

しかし本書ではこの農業とレーベンスラウムに関わる責任者は彼らではなく、
ドイツの農業と工業を若返らせ、大規模な再軍備プログラムに着手する
4ヵ年計画の責任者ゲーリングと、ダレの後任である
ヘルベルト・バッケ農業食糧相を中心に展開します。
バッケはグルジア生まれで1914年に敵性外国人としてウラル地方に拘留された経験から、
根っからのロシア嫌いであり、本書の主役の一人です。
バルバロッサ作戦の前、1941年2月にバッケによって策定された「飢餓計画」は
ゲーリングとヒトラーの承認を得ます。
それは「住民の存在を無視すれば、ソ連は巨大な資源基地に変貌させられる」。

Herbert Backe.jpg

もともとウクライナの占領を目論んできたヒトラーにはピッタリの提案です。
ウクライナの食糧を遮断して、行先をドイツの食卓へと変更すれば、
結果的に信じがたいほどの飢餓がロシアの都市と工業地帯を見舞い、
「いわば死滅するだろう」。

しかしポーランド、ウクライナ、白ロシアからユダヤ人を追放し、
アインザッツグルッペンが虐殺し、無人と化した農地に民族ドイツ人が入植しても、
農学者たちが期待したほどの効果は表れません。
土地を追われた人々が復讐に燃えて戻ってきて、家を焼いたり、殺したり・・。
戦争開始から2年半が経っても、予定の4万人の移住者に対して、
移住を申請した農民はわずか4500人に留まるのでした。

German troops picking up rations of fresh meat.jpg

続いて日本の状況です。
ナチスドイツの場合と同じく、食糧供給の問題が戦争の火種・・。
天然資源に恵まれない島国で、米国からは石油など輸入の1/3を依存。
1930年代の大恐慌や国内の飢饉に触れ、日中戦争と朝鮮半島、満州開拓などの
実情を解説します。そして東南アジアのヨーロッパ各国の植民地に目を付けるのでした。

開拓団.jpg

こうして第2部「食糧をめぐる戦い」へ・・。
真珠湾攻撃への憎悪からカリフォルニア州の10%の生産高を生み出していた
日系米国人は、いい機会とばかりに収容所へ入れられ、
多くの農場が捨て値で売り払われます。
また英国では戦時下の過酷な農場での労働に就いたのは
8万人に上る婦人農耕部隊「ランドガール(若い農婦)」です。

land  Girl.jpg

英国vsドイツの大西洋の戦いもレーダー海軍総司令官とデーニッツらが登場し、
著者は女性ですが、Uボート戦についてもなかなか書いていますね。
また、英国の重要な植民地、インドのベンガル地方で起こった「大飢饉」には
かなりのページを割き、ガンジーらインド人と、その独立運動を激しく嫌悪していた
首相チャーチルに自国の備蓄で生き延びるようにされた結果、
この飢饉で300万人が死んだということです。

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一方、ドイツ国内の食糧事情といえば、英国のランドガールのような女性ではなく、
農場での働き手は「外国人労働者」です。
ポーランドとウクライナからは女性を中心に130万人、
フランスとソ連の戦争捕虜120万人が農家で働きます。
本書でも人種法によって、ドイツ人と恋愛関係になったら死刑・・といったことも
紹介されていますが、農家の中にはこのような制度をバカバカしいとして
無視する人も大勢いたそうです。ある手紙にはこう書かれています。
「待遇を良くすれば監視しなくても良く働きます。食事も私たちと一緒にとっています。
本当は禁じられていることですけど」。
このような農場では、都市部のドイツ人より、食べ物に恵まれていたそうです。

Russian men freed from a Nazi POW.jpg

そんなドイツも長引く戦争で配給も滞り、ベルギーやフランスといった占領国に
「飢餓を輸出」します。
自国民が飢える前に、まず占領国が飢えるべし・・という理屈ですね。
同盟国のイタリアは軍事面で無能、かつ人種的に劣るとみなされ、
ほとんど敬意を払われないものの、逆に占領国のデンマークは同胞アーリア人として、
ナチスは特別に農業行政にさほど干渉しません。
結果、デンマークの農家は牛肉、牛乳、豚肉、ベーコンの生産を増やすのでした。

En tous cas, il y en a qui sont attirés par l’odeur alléchante !.jpg

東部戦線のドイツ軍は、早々に補給線が伸びすぎたことから、
「現地の食糧で生活する」ことを余儀なくされます。
これは早い話が、部隊が日常的に村から略奪する・・という意味ですね。
しかし戦争1年目はまだしも、2年も3年も続くとなると、そうはいきません。

germaninfantrymanmilking.jpg

ソ連の民間人には最低限の食糧しか与えず、ユダヤ人の他、
戦争捕虜は収容所で意図的に餓死させられます。
包囲されたレニングラードでは100万人が死に、ハリコフでも45万人のうち15万人が・・。
そのような仕打ちに闇市が横行し、ドイツは自らの首を絞めることになるわけです。
「レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44」という新刊が出ましたので、
こりゃまた、読まなきゃなりませんね。

Waffen SS troops and  chicken.jpg

まぁ、とにかく読んでいてお腹が減ってきますねぇ。。
200ページ程度読んだ晩には、ジャガイモたっぷりシチューを作ってしまいました。
「シチュー大砲」と呼ばれる野戦炊事車に群がる、
前線のドイツ軍将兵のような気持ちです。。

gulaschkanonen.jpg

第3部「食糧の政治学」。「天皇のために飢える日本」という章からです。
ここでは1920年代、陸軍で食糧改革が行われ、中華や洋食の献立を・・
という話が面白かったですね。
カレー、シチュー、炒め物、中華麺、豚カツ、から揚げなど、
農民の生活ではお目にかかれなかった料理が兵士たちに提供され、喜ばれます。
安価でタンパク質や脂肪摂取量を増やせるという利点があるわけですが、
日本食というのは地方ごとに味の違いがあり、味噌汁ひとつとってみても、
全員に好まれるように作るのはとても難しい・・。

ちなみにヨーロッパでも各国によって豚肉を多く食べるドイツ、
羊肉が多い英国など、伝統的に好みは分かれていて、
それは当然「パン」にも当てはまります。
そしてそんな好みのパンの原材料となる小麦などは各国とも輸入に頼っており、
品質を維持するためには国政レベルでの努力が必要なのです。

Bakery_company.jpg

しかし、ニューギニア島で飢えによりゆっくりと崩壊に向かう日本軍の話になると
とても笑ってはいられない、壮絶なサバイバルが繰り広げられます。
コウモリ、ヒル、ミミズ、ムカデ、それ以外のあらゆる昆虫と命あるものは食され、
ひとつ紹介すれば第18軍司令官が1944年12月に発した命令。
「連合軍兵士の死体は食べても良いが、同胞の死体は食べてはならない」。

日本本土でも食糧難となり、特にコメ不足は深刻です。
そういえばヴィトゲンシュタインの実家からも近い、
後楽園球場は畑になったり、不忍池も水を抜いて水田になったという話を
聞いたことがあります。ほとんどヤケクソですね。。

不忍池 昭和22年.jpg

ソ連では「ウクライナ大飢饉」を経験していることもあって、生き延びる術も知っています。
死んだ馬を掘り返して、その肉を食べる姿に驚くドイツ兵・・。
また、米国からは武器貸与法によってトラックや戦車だけでなく、
大量の食糧が届いてきます。
前線では唯一のタンパク源だった「干し魚」に代わり、「スパム」の缶詰が登場。

Russian WW II Spam with Military Label.jpg

「ゲーリングがゲッベルスのズボンをはけるようになるまで戦いは終わらない」と
ベルリン市民がジョークを言っていたように、ゲーリングお気に入りのレストラン
「ホルヒャー」に怒れる群衆を焚きつけて襲わせるゲッベルスに対し、
そうはさせじとドイツ空軍の分遣隊をレストランの護衛に付けるゲーリング。
この戦いは、最終的に食材が無くなってレストランが閉店したことで、
ゲーリングの敗北。。

米国はというと一応、配給制度となっていますが、以前の生活とはほとんど変わりません。
工業も農業も世界中の需要に応えるために、市民生活は好景気で、
「戦争がもっと続けばよいのに・・」と言った女性が、紳士に傘で叩かれるエピソードも。。
そんな状況に出てくるのは、やっぱり「コカ・コーラ」。
「戦争努力の最大化における休憩時間の重要性」と題して、政府に取り入り、
ケンタッキーの砲弾工場では「どの建物にもコカ・コーラはあるものの、水は一滴もない・・」。

Coca-Cola circa 1942 'Pause...Go refreshed'.png

米国兵士も基本糧食は4300キロカロリーと膨大です。
太平洋の熱帯地で戦っていた日本軍はその半分以下であり、受け取れることすらまれです。
野戦炊事向けに栄養バランスのとれたBレーションやKレーションも考案。
また米国は英国にも大変な量の食糧援助もしています。

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最後の第4部は「戦争の余波」です。
第2次大戦が終わったからといって、世界の生活が急に元に戻るわけもなく、
そこには「腹ペコの世界」が広がっています。
1948年からはじまった「マーシャルプラン」によって西欧は自立をはじめ、
日本では以前の雑穀や大麦からなる農民食から、配給されていた米が
主食としての地位を確立したとして、こう締めくくります。
「白米を日本国民の主食に変貌させたのは、第2次世界大戦なのだ」。

白米.jpg

後半120ページは出典となっていますので、本文は実際480ページです。
また、原著から3割程度削った短縮版とのことですが、それでも十分に読みごたえがあり、
各国の食糧事情だけでなく、女性ながら戦争の推移もよく書けていました。
そしてこのような食糧問題が第2次大戦の勃発と勝敗を決めたわけではなく、
あくまで要因の一つとして、その観点で研究されたことも明確でした。

ドイツ軍だけでなく、同じ立場で日本軍にも言及していたことから、
やっぱり日本人としていろいろ気になることも多かったですねぇ。
つい先ほど、「写真で見る日本陸軍兵営の食事」という本を発見しました。
コレはちょっと読んでみたくなります。







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