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ポルシェ博士とヒトラー -ハプスブルク家の遺産- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

折口 透 著の「ポルシェ博士とヒトラー」を読破しました。

第三帝国モノにはある意味、「付き物」であるポルシェ。
ポルシェ・ティーガーにエレファント、マウスといった訳あり戦車に
国民車であるフォルクスワーゲン
1988年発刊で195ページの本書は以前から知っていましたが、
ニセドイツ<3>」と「宮崎駿の雑想ノート」で
ポルシェ博士が紹介されたこともあって、本書を読んでみることにしました。

ポルシェ博士とヒトラー .jpg

著者はモーター・マガジン誌の編集長を務めた方で、
「はじめに」では、フォルクスワーゲンという矛盾に満ちた車の創られた動機、
その技術の流れを、ポルシェとヒトラー、2人を通じて解き明かそうとした・・、
ということで、1875年生まれのフェルディナント・ポルシェの生い立ちへ。

hitler_Ferdinand Porsche.jpg

オーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア地方のマッフェルスドルフ生まれ。
チェコスロヴァキアの首都プラハよりも、ドイツ国境まで10キロ満たず・・という場所です。
当時、実用化されつつあった電気に興味を示し、屋根裏部屋で実験を繰り返す少年。
18歳でウィーンへ上京し、電気装置のメーカーに勤めます。
23歳の時にローネル・ポルシェという電気自動車を製作し、
1900年のパリ万博にも出品されて大反響・・。
その5年後にはオーストリア最大の自動車メーカーである
アウストロ・ダイムラー社の技師長に抜擢されます。

ferdinand-porsche-in-the-lohner-porsche-car.jpg

そんな頃、やっぱり18歳でウィーンへ上京してきたのは14歳年下のヒトラーです。
画家を目指して挫折、浮浪者のような生活・・と、若きアドルフくんをしっかりと紹介。
そしてヒトラーの家系も元をたどればチェコに近く、ポルシェと同じボヘミア系であり、
いずれにしろ2人ともハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国出身なわけですね。

そして本書はオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊する第1次世界大戦と、
20世紀初頭のT型フォードに代表される自動車開発の歴史などを織り込みながら進み、
ヒトラーの台頭、ポルシェのダイムラー・ベンツでの業績へと続きます。
メッサーシュミットに搭載されたDB600エンジンの設計などもやってるんですねぇ。
しかし一癖も二癖もある技術屋ポルシェは、1931年、遂に独立します。

Bayern,_Hitler.jpg

その翌年、火の車状態のポルシェの元にやって来たのはソ連の技術使節団です。
「ソ連政府の技術的進歩、動力化および電気設備と
その可能性を貴殿の目で判断して頂きたい・・」。
好奇心旺盛なポルシェは申し入れを快諾してキエフ、クルスク、オデッサへと旅をし、
自動車工場に戦車、トラクター、航空機工場を視察。
本書ではスターリンの目的は、ポルシェ本人を手に入れることであり、
「国家設計家」の称号を与えようとした・・としています。

1923_Ferdinand_Porsche.jpg

第1にレーシングカーをつくること。
第2に大衆のために廉価な乗用車をつくること。
第3が優れた農業用トラクターをつくること、というのがポルシェの夢。
第3だけならその可能性はあるにしても、それ以外は難しいと悟った彼は丁寧にお断り・・。

ドイツではナチスが政権をとって間もない1933年2月に開催された
恒例のベルリン・モーターショーでヒトラーが演説します。
「国家を真に支えている国民大衆のための自動車であってこそ、文明の利器であり、
素晴らしい生活を約束してくれる。我々は今こそ「国民のための車」を持つべきである」。

1933  Adolf Hitler admires the new Mercedes-Benz W25.jpg

暫くして総統官邸に呼び出されたポルシェ博士。
ヒトラーは国民車についてのアイデアを述べ、1000マルク以下の自動車開発計画の提出を求め、
1934年6月、ドイツ帝国自動車産業連盟(RDA)とポルシェ設計事務所は正式に契約を交わします。
その翌年のモーターショーではヒトラーの演説にもプレッシャーが・・。
「私は優れた技術者、ポルシェ博士がその才能のすべてを注ぎ込んだドイツ大衆車の
設計を完了し、試作車のテストを行うまでになったことを大いに喜びとするものである」。

VW Porsche_Hitler.jpg

ドイツ労働戦線に直属するフォルクスワーゲン生産会社が設立され、
フリッツ・トート率いる建設部隊によってハノーヴァー近くの荒地に
生産台数100万台を目標とする超近代工場が設立。

Construction of the power plan complex at Wolfsburg.jpg

戦後、この場所が日本代表キャプテンのいるヴォルフスブルクとなるわけですね。
メインスポンサーは当然、フォルクスワーゲン。

Hasebe Wolfsburg.jpg

そしてこの工場の起工式でヒトラーは、この大衆車を「KdF」と命名します。
KdFとはドイツ労働戦線の下部組織である「歓喜力行団」のことであり、
確かに当時のポスターは「KdF Wagen」となっていますね。

KdF wagen.jpg

毎週6マルク、4年間払い込めば手に入る予定のこの国民車ですが、
1939年には戦争が勃発し、結局は国民の手には渡らず、
「キューベルワーゲン(たらいの車)」として、軍事用に大量生産されるのでした。

kubelwagen.jpg

後半には「独裁者と自動車レース」という章が出てきました。
自動車好きのヒトラーだけではなく、兄貴分のムッソリーニも自動車レースを重要視。
1927年にはミッレ・ミリア(1000マイル)レースを企画し、1933年にはアルファ・ロメオを国有化。
「イタリアのためにレースに勝て」という電報をチーム監督のエンツォ・フェラーリに送るほど・・。

The Racing Team Alfa Romeo,Enzo Ferrari, Benito Mussolini,.jpg

そんなイタリア車に勝つべく、政権をとったヒトラーはダイムラー・ベンツととポルシェに
レーシングカーの設計を打診し、すでに設計図の完成していたポルシェ・エンジンを
アウト・ウニオン社で製作させます。この会社は後のアウディなんですね。
こうして、ベンツとポルシェのPワーゲンと呼ばれるレーシングカーは
グランプリ・レースでイタリア勢を圧倒・・。
レーサーとしてはフォン・ブラウヒッチュ陸軍総司令官の甥マンフレートもご活躍です。

Manfred von Brauchitsch.jpg

一度もレース場には姿を見せなかっヒトラーですが、
ベルリン・モーターショーの開幕式典では総統官邸の前にレーシングマシンを整列させ、
ショー会場までベルリンの街中を走らせて満足するのでした。

1939, A racing car passing by Hitler.jpg

最後は戦車の章です。
ポルシェ博士は1943年ごろに「ドイツ戦車委員会」の議長を務めていたそうで、
お馴染みポルシェ・ティーガーがヘンシェル社に敗北した話や、
クルスク戦に向けて回転砲塔を持たないフェルディナンド(エレファント)の製造、
そして超重戦車マウス・・と、ポルシェ寄りの本書でもダメ出しされます。

Ferdinand Porsche Tiger(P).jpg

戦後はフランス軍占領下で対独協力者として逮捕されたルイ・ルノー
別荘の門番小屋に幽閉されたという出来事まで書かれていました。
ヴィトゲンシュタインは自動車に乗らないので、本書にも多く書かれている
自動車開発の話やフォルクスワーゲンのエンジンやデザインの特性は端折りましたが、
なかなか幅広く書かれていて、初めて知った興味深いエピソードもありました。

Adolf Hitler was presented with his own volkswagen convertible.jpg

同じ、グランプリ出版からは2007年に「ポルシェの生涯―その時代とクルマ」
という本が出ていました。
コレを書いている今、気がつきましたので、タイトルからもひょっとすると本書よりも
ポルシェ博士の人生については詳しく書かれているのかも知れませんね。





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幻の英本土上陸作戦 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リチャード・コックス著の「幻の英本土上陸作戦」を読破しました。

先日の「ナチを欺いた死体」を読んでいた際に、たまたま見つけた
1987年、262ページの朝日ソノラマからの一冊を紹介します。
「英本土上陸作戦」とは、いわゆる「あしか(ゼーレーヴェ)作戦」のことであり、
その作戦の実行は「幻」に終わったことはご存知だと思いますが、
単なる「もしも本」と思って軽い気持ちで買ってみたところ、
序文では本書の内容は、英国の一流紙デイリー・テレグラフと英陸軍士官学校で企画された
陸軍大学校での「図上演習」というシッカリした「もしも」だということです。

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この「図上演習」には英独の有名軍人らが出席しており、
例えばドイツ側の審判員では1944年、B軍集団司令官ロンメルの海軍副官を勤め、
ノルマンディのロンメル」の著者でもあり、実際のあしか作戦の準備にも携わった 
戦後の初代ドイツ連邦海軍総監、フリードリヒ・ルーゲ提督。
そして空軍からはアドルフ・ガーランドも審判員として出席しており、
いやいや、コレは気合が入りますねぇ。

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英独空軍同士の熾烈なバトル・オブ・ブリテンが一息ついた1940年9月22日の明け方、
英国南部ハイスの海岸上空に姿を現した"ユンカースのおばさん"こと、Ju-52の編隊。
真っ先に飛び降りるのはマインドル大佐です。
彼は第7空挺師団の最強の大隊を率いて先陣を務めますが、
この師団の名前は架空のようで「第1降下猟兵師団」をイメージしているのかも知れません。

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そして対岸のカレーで無線連絡を聞くのは、第16軍司令官のブッシュ上級大将であり、
彼の参謀長は「できる男」、モーデル少将です。
A軍集団ルントシュテット元帥がこの「あしか作戦」にほとんど確信を持たなかったことから、
部下であるブッシュが事実上の責任者となって、計画立案も立てているのです。
第1戦術目標はロンドン南部からポーツマスに至る、ケント州など4州の確保に8日間。

Ernst Busch.jpg

降下猟兵が無事に降り立つと同時にドイツ海軍の船団も上陸します。
ドイツ中から曳き船や艀が集められ、間に合わせに大砲を装備した沿岸貿易船に、
Sボートの護衛によってダンケルクから海峡をなんとか渡って来たのです。その数、180隻。
そしてこのぶざまな隊列船団から6人乗りの突撃ボートで
陸軍兵士(第17(歩兵?)師団)は上陸を敢行するのでした。

German fishing boats.jpg

また第26戦闘航空団(JG26)を指揮する騎士十字章拝領者のガーランド中佐も
ミッキーマウスが描かれたBf-109に自ら乗り込み、空から陸海軍を支援。

一方、ドイツ軍の本土進攻の知らせを受けた英首相チャーチルは、
バッキンガム宮殿へと赴きますが、国王は爆撃下にあるロンドンから避難することを拒否。
国内軍総司令官のアラン・ブルックとともに反撃作戦を検討しますが、
南部にはわずか3個師団しかおらず、国内軍の装備は「ダンケルク」から立ち直ってはいません。

Churchill with King George VI and Queen Elizabeth inspecting the damage caused by bombs which hit Buckingham Palace at the beginning of the Blitz.jpg

昼にはドイツ軍の水陸両用戦車がSF小説の怪物のように海から這い上がってきます。
そして雑多な船団は侵攻第2波のために、50隻の損害を出しながらも帰路につくのでした。
しかしレーダー海軍総司令官にとっては、英本国艦隊の所在が気がかりです。
4月にはノルウェー戦で多くの損害を被っており、重巡ヒッパーと、ポケット戦艦シェア
アイルランド沖で陽動作戦に出て、本国艦隊を引き離そうとしています。
ドイツ海軍としては機雷原とデーニッツのUボートに頼るしかありません。

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それでも英巡洋艦と駆逐艦が海峡に現れると、ドイツ空軍のシュトゥーカ50機が舞い降ります。
罠を張っていた"スカバフローの雄牛"こと、ギュンター・プリーンも潜望鏡から確認すると、
駆逐艦2隻をたちまち撃沈。
そんなこんなでブッシュの第16軍の他にも、シュトラウス上級大将の第9軍の2個師団も上陸。
9万人の兵員で橋頭堡を拡大し、第1撃は成功と考えるドイツ軍最高司令部とヒトラー。

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翌日の夕方、簡単な特別任務の志願者をためらいながらも募るガーランド。
その任務とは早速、英占領地の総督に任命されたラインハルト・ハイドリヒを護衛して
無事に英国本土へ送り届けることです。
彼の不安はパイロットの誰かが、護衛するよりも撃墜したいと考えるのでは??

Galland.jpg

英独の空中戦は苛烈さを増しています。
英空軍の戦闘機隊を仕切るダウディング大将は予備も繰り出して徹底抗戦し、
ドイツ空軍参謀総長のイェショネクは、ゲーリングに提出する報告書の作成に大わらわ。。
敵機の撃墜数をチェックしながら苦々しげに語ります。
「この数字が正しければ英空軍には戦闘機が200機しか残っていない。
だが今もカレーやシェルブールを空襲している。5割かた多めにみている」。
こうしてゲーリングは「私の空軍は夜を徹して船団護衛を続ける」と
レーダー提督とヒトラーに宣言してしまうのでした。

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そして迎えた24日の朝、兵士と補給の弾薬、そして戦車を積んだ第2波の艀船団が出航。
そこへ姿を現す英駆逐艦隊。無力な艀に直撃弾を浴びせかける海上の大殺戮。
護衛の戦闘機からの支援要請を受けたドイツ中型爆撃機600機が空に舞い上がり、
英空軍もすべての飛行隊を投入する大空戦も始まります。

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やがて弾薬不足に陥った侵攻軍は各所で崩壊の兆しを見せ始めます。
やる気満々で、手榴弾を使用した猛烈な突撃を敢行するオーストラリア軍の前に、
また銃剣と素手で戦う以外の術がないとカナダ軍に降伏する部隊も・・。
遂に自信満々だったゲーリングもヒトラーに撤退を要請します。
これは飛行隊の損害ではなく、彼の私兵である降下猟兵たちを救うための進言なのでした。

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原著は1974年に「オペレーション・シーライオン」として発表されたもので、
英側にも多くの人物が登場しますが、本書の主役となるのはマインドルです。
なぜかはわかりませんが、実にシブイ人選で、
「国防市民軍はスパイとして銃殺」といった総統命令に苦しんだり・・と、
好感が持てました。
戦局の動きは「図上演習」どおりだとは思いますが、結構なストーリー仕立てで、
その部分や、特に会話などは著者の創作だと思われます。

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特に前半から中盤にかけてはドイツ侵攻軍の作戦が順調で、
ひょっとしたら・・と何度も思ってしまいましたが、
最後はやっぱり海軍力の差が致命的でしたね。。
いままで何度も読んだ「あしか作戦」が実現していたら・・というのは
なんとなく考えたことがありますが、このように具体的に書かれていると
結果はどうあれ、スッキリした気分になりました。



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戦争と飢餓 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リジー・コリンガム著の「戦争と飢餓」を読破しました。

去年の12月に出たばかりの600ページの大作を紹介します。
タイトルと表紙の写真もなかなかインパクトのあるものですが、
原題は「The Taste of War」、戦争の味ってところでしょうか・・。
「第2次大戦中、軍人の戦死者数1950万人に匹敵する、2000万人の人々が、
飢餓、栄養失調、それにともなう病気によって悲惨な死を迎えた。」
という、食糧から戦争を見つめ直す、興味深い一冊です。

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全4部から成る本書はまず、「食糧 -戦争の原動力」からです。
戦争を始めた当事国であるドイツと日本がなぜ他国に侵攻したのかを分析。
ドイツの章では18世紀から19世紀にかけて小麦から肉へと食事が変化し、
英国を中心に植民地が食料供給として重要となっていった歴史に、
第1次大戦のドイツの敗北の大きな要因として、連合軍による海上封鎖を挙げ、
ドイツが悲惨な飢餓状態に陥ったとしています。
そして若きヒトラーも、市民が飢えることの危険性を身を持って実感するのです。

やがてナチスが政権に就くと農業食糧相のヴァルター・ダレが「土に戻る」ことを奨励しますが、
彼の提案した農業改革案はヒトラーにとって退屈なものになってしまいます。
ヒトラーの考えは米国と同じ水準の富と繁栄を築くには、米国西部に匹敵する場所・・、
すなわち、東部の領土を拡大、「レーベンスラウム(生存圏)」の征服です。
そしてこの考えを共有するのはダレの古い友人でもあったヒムラーなのでした。

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しかし本書ではこの農業とレーベンスラウムに関わる責任者は彼らではなく、
ドイツの農業と工業を若返らせ、大規模な再軍備プログラムに着手する
4ヵ年計画の責任者ゲーリングと、ダレの後任である
ヘルベルト・バッケ農業食糧相を中心に展開します。
バッケはグルジア生まれで1914年に敵性外国人としてウラル地方に拘留された経験から、
根っからのロシア嫌いであり、本書の主役の一人です。
バルバロッサ作戦の前、1941年2月にバッケによって策定された「飢餓計画」は
ゲーリングとヒトラーの承認を得ます。
それは「住民の存在を無視すれば、ソ連は巨大な資源基地に変貌させられる」。

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もともとウクライナの占領を目論んできたヒトラーにはピッタリの提案です。
ウクライナの食糧を遮断して、行先をドイツの食卓へと変更すれば、
結果的に信じがたいほどの飢餓がロシアの都市と工業地帯を見舞い、
「いわば死滅するだろう」。

しかしポーランド、ウクライナ、白ロシアからユダヤ人を追放し、
アインザッツグルッペンが虐殺し、無人と化した農地に民族ドイツ人が入植しても、
農学者たちが期待したほどの効果は表れません。
土地を追われた人々が復讐に燃えて戻ってきて、家を焼いたり、殺したり・・。
戦争開始から2年半が経っても、予定の4万人の移住者に対して、
移住を申請した農民はわずか4500人に留まるのでした。

German troops picking up rations of fresh meat.jpg

続いて日本の状況です。
ナチスドイツの場合と同じく、食糧供給の問題が戦争の火種・・。
天然資源に恵まれない島国で、米国からは石油など輸入の1/3を依存。
1930年代の大恐慌や国内の飢饉に触れ、日中戦争と朝鮮半島、満州開拓などの
実情を解説します。そして東南アジアのヨーロッパ各国の植民地に目を付けるのでした。

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こうして第2部「食糧をめぐる戦い」へ・・。
真珠湾攻撃への憎悪からカリフォルニア州の10%の生産高を生み出していた
日系米国人は、いい機会とばかりに収容所へ入れられ、
多くの農場が捨て値で売り払われます。
また英国では戦時下の過酷な農場での労働に就いたのは
8万人に上る婦人農耕部隊「ランドガール(若い農婦)」です。

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英国vsドイツの大西洋の戦いもレーダー海軍総司令官とデーニッツらが登場し、
著者は女性ですが、Uボート戦についてもなかなか書いていますね。
また、英国の重要な植民地、インドのベンガル地方で起こった「大飢饉」には
かなりのページを割き、ガンジーらインド人と、その独立運動を激しく嫌悪していた
首相チャーチルに自国の備蓄で生き延びるようにされた結果、
この飢饉で300万人が死んだということです。

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一方、ドイツ国内の食糧事情といえば、英国のランドガールのような女性ではなく、
農場での働き手は「外国人労働者」です。
ポーランドとウクライナからは女性を中心に130万人、
フランスとソ連の戦争捕虜120万人が農家で働きます。
本書でも人種法によって、ドイツ人と恋愛関係になったら死刑・・といったことも
紹介されていますが、農家の中にはこのような制度をバカバカしいとして
無視する人も大勢いたそうです。ある手紙にはこう書かれています。
「待遇を良くすれば監視しなくても良く働きます。食事も私たちと一緒にとっています。
本当は禁じられていることですけど」。
このような農場では、都市部のドイツ人より、食べ物に恵まれていたそうです。

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そんなドイツも長引く戦争で配給も滞り、ベルギーやフランスといった占領国に
「飢餓を輸出」します。
自国民が飢える前に、まず占領国が飢えるべし・・という理屈ですね。
同盟国のイタリアは軍事面で無能、かつ人種的に劣るとみなされ、
ほとんど敬意を払われないものの、逆に占領国のデンマークは同胞アーリア人として、
ナチスは特別に農業行政にさほど干渉しません。
結果、デンマークの農家は牛肉、牛乳、豚肉、ベーコンの生産を増やすのでした。

En tous cas, il y en a qui sont attirés par l’odeur alléchante !.jpg

東部戦線のドイツ軍は、早々に補給線が伸びすぎたことから、
「現地の食糧で生活する」ことを余儀なくされます。
これは早い話が、部隊が日常的に村から略奪する・・という意味ですね。
しかし戦争1年目はまだしも、2年も3年も続くとなると、そうはいきません。

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ソ連の民間人には最低限の食糧しか与えず、ユダヤ人の他、
戦争捕虜は収容所で意図的に餓死させられます。
包囲されたレニングラードでは100万人が死に、ハリコフでも45万人のうち15万人が・・。
そのような仕打ちに闇市が横行し、ドイツは自らの首を絞めることになるわけです。
「レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44」という新刊が出ましたので、
こりゃまた、読まなきゃなりませんね。

Waffen SS troops and  chicken.jpg

まぁ、とにかく読んでいてお腹が減ってきますねぇ。。
200ページ程度読んだ晩には、ジャガイモたっぷりシチューを作ってしまいました。
「シチュー大砲」と呼ばれる野戦炊事車に群がる、
前線のドイツ軍将兵のような気持ちです。。

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第3部「食糧の政治学」。「天皇のために飢える日本」という章からです。
ここでは1920年代、陸軍で食糧改革が行われ、中華や洋食の献立を・・
という話が面白かったですね。
カレー、シチュー、炒め物、中華麺、豚カツ、から揚げなど、
農民の生活ではお目にかかれなかった料理が兵士たちに提供され、喜ばれます。
安価でタンパク質や脂肪摂取量を増やせるという利点があるわけですが、
日本食というのは地方ごとに味の違いがあり、味噌汁ひとつとってみても、
全員に好まれるように作るのはとても難しい・・。

ちなみにヨーロッパでも各国によって豚肉を多く食べるドイツ、
羊肉が多い英国など、伝統的に好みは分かれていて、
それは当然「パン」にも当てはまります。
そしてそんな好みのパンの原材料となる小麦などは各国とも輸入に頼っており、
品質を維持するためには国政レベルでの努力が必要なのです。

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しかし、ニューギニア島で飢えによりゆっくりと崩壊に向かう日本軍の話になると
とても笑ってはいられない、壮絶なサバイバルが繰り広げられます。
コウモリ、ヒル、ミミズ、ムカデ、それ以外のあらゆる昆虫と命あるものは食され、
ひとつ紹介すれば第18軍司令官が1944年12月に発した命令。
「連合軍兵士の死体は食べても良いが、同胞の死体は食べてはならない」。

日本本土でも食糧難となり、特にコメ不足は深刻です。
そういえばヴィトゲンシュタインの実家からも近い、
後楽園球場は畑になったり、不忍池も水を抜いて水田になったという話を
聞いたことがあります。ほとんどヤケクソですね。。

不忍池 昭和22年.jpg

ソ連では「ウクライナ大飢饉」を経験していることもあって、生き延びる術も知っています。
死んだ馬を掘り返して、その肉を食べる姿に驚くドイツ兵・・。
また、米国からは武器貸与法によってトラックや戦車だけでなく、
大量の食糧が届いてきます。
前線では唯一のタンパク源だった「干し魚」に代わり、「スパム」の缶詰が登場。

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「ゲーリングがゲッベルスのズボンをはけるようになるまで戦いは終わらない」と
ベルリン市民がジョークを言っていたように、ゲーリングお気に入りのレストラン
「ホルヒャー」に怒れる群衆を焚きつけて襲わせるゲッベルスに対し、
そうはさせじとドイツ空軍の分遣隊をレストランの護衛に付けるゲーリング。
この戦いは、最終的に食材が無くなってレストランが閉店したことで、
ゲーリングの敗北。。

米国はというと一応、配給制度となっていますが、以前の生活とはほとんど変わりません。
工業も農業も世界中の需要に応えるために、市民生活は好景気で、
「戦争がもっと続けばよいのに・・」と言った女性が、紳士に傘で叩かれるエピソードも。。
そんな状況に出てくるのは、やっぱり「コカ・コーラ」。
「戦争努力の最大化における休憩時間の重要性」と題して、政府に取り入り、
ケンタッキーの砲弾工場では「どの建物にもコカ・コーラはあるものの、水は一滴もない・・」。

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米国兵士も基本糧食は4300キロカロリーと膨大です。
太平洋の熱帯地で戦っていた日本軍はその半分以下であり、受け取れることすらまれです。
野戦炊事向けに栄養バランスのとれたBレーションやKレーションも考案。
また米国は英国にも大変な量の食糧援助もしています。

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最後の第4部は「戦争の余波」です。
第2次大戦が終わったからといって、世界の生活が急に元に戻るわけもなく、
そこには「腹ペコの世界」が広がっています。
1948年からはじまった「マーシャルプラン」によって西欧は自立をはじめ、
日本では以前の雑穀や大麦からなる農民食から、配給されていた米が
主食としての地位を確立したとして、こう締めくくります。
「白米を日本国民の主食に変貌させたのは、第2次世界大戦なのだ」。

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後半120ページは出典となっていますので、本文は実際480ページです。
また、原著から3割程度削った短縮版とのことですが、それでも十分に読みごたえがあり、
各国の食糧事情だけでなく、女性ながら戦争の推移もよく書けていました。
そしてこのような食糧問題が第2次大戦の勃発と勝敗を決めたわけではなく、
あくまで要因の一つとして、その観点で研究されたことも明確でした。

ドイツ軍だけでなく、同じ立場で日本軍にも言及していたことから、
やっぱり日本人としていろいろ気になることも多かったですねぇ。
つい先ほど、「写真で見る日本陸軍兵営の食事」という本を発見しました。
コレはちょっと読んでみたくなります。







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宮崎駿の雑想ノート 【増補改訂版】 [戦争まんが]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

宮崎 駿 著の「宮崎駿の雑想ノート」を読破しました。

このBlogの栄えある第1回目の「まんが」といえば一昨年の誕生日に紹介した
泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート」ですが、
特に「雑想ノートも面白いですよ」といったコメントもいただきました。
本書はもともと「月刊モデルグラフィックス」に1984年から連載されていた短編をまとめ、
1992年に発刊され、1997年に128ページの【増補改訂版】として出された
オールカラーの大型本でてす。

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序文ではいきなり「この本に資料的価値はいっさいありません」と大きく書かれ、
「ようするに、自然保護の問題をどうのこうのとか、
少女の自立がどうのこうのとかね、そういうのは一切ヌキ!」。

ということで、「第1話 知られざる巨人の末弟」です。
ヨーロッパの小国であるボストニア王国の、若き国王ペトルⅢ世。
この飛行機気違いの青年によって、ユンカース四発旅客機J-38(G-38)を
軍用機に仕立て上げる・・というお話です。

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ボストニア王国は架空の国で、ボスニアのイメージかな? とか、
ペトルⅢ世は、何度か紹介したことのあるユーゴのペータル2世がネタかな?
などと、完全なフィクションではなく、虚実の混じった凝った話ですが、
3ページで終了。。まんがって感じじゃないですね。

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「第2話 甲鉄の意気地」は南北戦争での世界初の装甲艦による海戦で、
さすがに南北戦争は疎いので、どこまでホントの話なのかは不明ですが、
「第3話 多砲塔の出番」になると、ヴィトゲンシュタインの出番ですね。
夢の200㌧超重多砲塔戦車のその名は「悪役1号」。
悪役大佐に率いられた反乱軍の活躍が8コマ程度でやっとまんがらしくなりました。

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最後には「このようなマンガ映画を観たい方は、2億円ほど持参してください。
1年ほど待って下されば、70分の総天然色マンガ映画を創って差し上げます(PR)」。
コレは確かに興味ありますね。実際、1/72モデルなんか売ってます。。

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以降、徐々に1話ごとのページ数も増え、まんがらしくなっていきますが、
「第7話 高射砲塔」が良いですねぇ。
1943年に建設されたキール軍港に近いリュースバルク市の高射砲塔
これは街も塔の形も架空のものですが、128㎜2連装高射砲が据えられ、
ストーリーも面白く、最後のオチも現実味があります。
なかでも「キルマークをかくのも途中でやめた」っていう絵が印象的ですね。

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続く「第8話 Q.ship」では、第1次大戦のUボート大エース、ド・ラ・ペリエールが登場。
プール・ル・メリットも付けていますが、顔はブタ・・。
最後に「第2次大戦中にQシップ(囮船)は使われなかった」と書かれていますが、
1941年くらいまでのUボート戦記では、たまに出てきますね。

雑想ノート 4.jpg

「第9話 特設空母 安松丸物語」は8ページのしっかりした2回連載のまんがで、
英補給路の分断にアフリカ沖へと向かうストーリーです。
英雷撃機ソードフィッシュを味方と間違えたり、逆に英船団は96式艦攻を
ソードフィッシュと間違えたりと、機体に描かれた「赤丸」のエピソードが楽しいですね。
「これ以降アジア方面の英軍機は赤丸を消すのである」とか、
日の丸を「ミートボール」と英兵が言うところなど、ホントかどうかは良くわかりませんが・・。
最後の「ドイツ・アフリカ軍団にとび・・」というオチも良し。

Fairey Swordfish.jpg

「第10話 ロンドン上空 1918年」に登場する、戦略爆撃機「ツェッペリン・シュターケン」は
あまりにリアルなので、さすがに気になって途中で調べてしまいました。
すると、この話は結構、史実に則っているんですねぇ。
なかなか勉強になるなぁ。。
整備兵長のハンスが大活躍しますが、彼は「泥まみれの虎」の「ハンスの帰還」なんですね。

Zeppelin-Staaken R.VI.jpg

「第11話 最貧前線」は太平洋戦争末期に、木造漁船が特設監視艇として
配備されるお話です。平均年齢40歳の年寄りに14歳の機関助手とくれば、
まさに「国民突撃隊」の日本海軍版といった趣ですね。
B-24 リベレーターを「コンソリ」と呼んだというのは初めて知りましたが、
主人公の「吉祥丸」がお隣さんの「三鷹丸」を助けに向かったり、
反対側は「荻窪丸」、「阿佐丸」、「高円寺丸」、「中野丸」と東京の人間はウケますね。

「第12話 飛行艇時代」は3回連載のボリュームで、これは知っています。
アニメになった「紅の豚」ですね。といっても実は観ていません。。
フィオという名の少女も出てきたりと、いかにも宮崎アニメの雰囲気が出ています。
当時、映画館の予告編を観た時、「豚の声が刑事コジャックだ・・」と驚いたもんです。。
こういうタイミングでTV放映してくれれば、じっくり観るんですけどねぇ・・。

紅の豚.jpg

ラストを飾る「第13話 豚の虎」の主役はポルシェ・ティーガーです。
ポルシェ博士はマッド・サイエンティストとして描かれ、お馴染みハンスと、
ドランシ予備大尉が登場。「A7V以来の生残りはオレだけだ」と語る戦車ジジィ。。
「P虎実験小隊」として第656重駆逐戦車連隊(象部隊)に編入されて
1943年のクルスク戦に向かい、大量のT-34と戦うシーンは迫力満点です。
この話も最後の「マウス」のオチが最高に笑えました。

VK4501(P).jpg

最後にはミリオタの著者と、「ジャーマンタンクス」、「ティーガー・無敵戦車の伝説」、
パンツァー・フォー」、「奮戦! 第6戦車師団」の訳者さんである富岡吉勝氏との対談。
とてもマニアックなトークに終始していますが、悲しいかな「イシシシシシ!」という
笑い声が印象に残ってしまいます。。

オマケとして答え合わせとばかりに1話ごとに虚構と現実の種明かしが・・。
「ボストニア王国」はボスニアとエストニアの合成語だそうで、
そうか・・エストニアは「泥まみれの虎」の舞台だしなぁ・・と思ったり、
「甲鉄の意気地」も実話。
いや~、欧州の第2次大戦の話なら見極められますが、
日本軍や第1次大戦の話だと、まんまと騙されるくらい虚虚実実の勝負でした。

雑想ノート 5.jpg

こうして一通りの話の裏まで確認して、一番面白かったのは・・??  と考えると、
「第3話 多砲塔の出番」と、「第7話 高射砲塔」のどちらかですねぇ。
あくまでストーリーとしてどうか・・という問題なんですが、
やっぱりまんがですから、実話よりもファンタジーを求めてしまうんでしょうか。
多砲塔はスポンサー募集に対して実際に名乗りを上げた会社があり、
アニメ化が進行していたものの、「悪役大佐」の性格を巡った問題で製作は中止に・・、
ということもあったそうです。残念なエピソードですね。







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