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ヒトラー暗殺 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロジャー・ムーアハウス著の「ヒトラー暗殺」を再度読破しました。

11月に「戦時下のベルリン: 空襲と窮乏の生活1939-45​」というタイトルの
530ページの大作が出ましたが、著者の名に聞き覚えが・・。
調べてみると5年ほど前に読んだ2007年発刊、405ページの本書の著者でした。
ヒトラー暗殺というテーマでは、トム"シュタウフェンベルク"クルーズの映画「ワルキューレ」や
クノップ先生の「ドキュメント ヒトラー暗殺計画」が有名ですが、
すっかり内容を忘れてしまっていましたので、「戦時下のベルリン」に挑む前に
著者のスタイルを確認するうえでも、今回、再読してみました。

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序文では過去の政治的暗殺事件・・、
第1次世界大戦のキッカケとなったサラエヴォでのフェルディナント大公暗殺事件に、
米国南部にとって悲惨な結果となったリンカーン殺害事件、
キャヴェンディッシュ卿暗殺事件はアイルランド独立を1世代逆戻りさせてしまった・・と、
暗殺は、決して暗殺者が予期したような具合に歴史を変えたことはないとしています。
そして「ヒトラーほど暗殺計画の対象となった指導者は、まずいない」として、
ドイツの歴史家は少なくとも42件の陰謀があり、そのうちの20件は
本書に取り上げるに値する重要なもの・・ということで、第1章へ。

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1933年1月30日、ドイツ共和国の首相となったヒトラー。
この章では1920年代からのナチ党党首であったヒトラーの警護が、
それまでのSA(突撃隊)から、ゼップ・ディートリッヒのSS護衛隊、
やがてそれが「ライプシュタンダルテ」へと拡大すると
ヒムラーは自分の支持母体からヒトラー警護を実施するために
「帝国保安防諜部(RSD)」を発足させ、ヒトラーを含む各種要人の警護に当たることに・・。
その司令官にはずんぐりとしたバイエルン人、ラッテンフーバーを登用と、
ヒトラー警護を巡る綱引きがなかなか詳しく書かれています。

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そしてユーゴスラヴィアのユダヤ人、ダヴィド・フランクフルターが
ヒトラーを標的とすることを諦め、スイスのナチ指導者、ヴィルヘルム・グストルフを暗殺した経緯、
スイス生まれのモーリス・パヴォーが1938年、ビアホール一揆25周年を祝うパレードで
ヒトラーを射殺すべく、陰謀を企てる話が語られます。

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第2章は、「ゲオルク・エルザー」です。
1939年の「ビュルガーブロイケラー」での爆弾事件の犯人として、有名ですね。
彼については、1989年に米映画で製作されていました。
「ヒットラーを狙え!-独裁者 運命の7分間」という邦題で、残念ながらビデオのみ・・。

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第3部「国防軍防諜部(アプヴェーア)」では、部長のカナリス提督にもかなり触れていますが、
主役となるのは「ドイツ抵抗運動の『魂』」と呼ばれるハンス・オスター大佐です。
キリスト教徒で愛国主義者、君主制主義者で正義感が非常に強く、
上司のカナリスとは正反対に自己顕示欲があり、背が高く優雅で、肝が太く、短気・・。
1938年のズデーテンラント問題で、戦争勃発を危惧した彼らによるヒトラー排除計画。
首相官邸を乗っ取り、ヒトラーを逮捕する約20人の「特別攻撃班」を組織するものの、
英首相チェンバレンによって、「交渉の結果の平和」が成立。
陸軍総司令官のブラウヒッチュに「クーデターを認可する命令を・・」と要請していた
参謀総長ハルダーら、陰謀者たちは挫折するのでした。

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次の「ポーランド地下抵抗運動」はかなり面白かったですね。
1944年にワルシャワで蜂起した「国内軍(AK)」のエリート秘密情報部員たちによる、
ドイツ人将校の数々の暗殺事件を紹介します。
総督管区の保安責任者フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガーが2回も命を狙われるものの、
なんとか生き延びますが、パヴィヤク刑務所の副所長、
ゲンシュフカ強制収容所の所長らが抹殺されます。
そしてSS准将フランツ・クッチェラがワルシャワ管区のSSおよび警察指導者に任命されると、
ヒムラーの妹が情婦だったというこのSSの新星がターゲットになります。
1944年2月、クッチェラの乗ったオペルのリムジンを火炎瓶と機関銃で襲撃して暗殺に成功。

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一方、総統大本営であるヴォルフスシャンツェに潜入して、主を殺害するために、
SSの将軍ビットリッヒの情婦であったワルシャワ社交界の淑女をスパイに転向させると、
ビットリッヒと一緒にヴォルフスシャンツェに宿泊させて、
敷地の様子から警備に至るまでを報告させるのでした。
その他、総統専用列車「アメリカ」を狙ったものまで、実にいろいろとやっています。

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第5章はソ連によるヒトラー暗殺計画です。
本書の良いところは、単に暗殺計画犯の行動だけではなく、1933年からの
ナチス・ドイツの歴史と戦争の推移を遡るように、様々な情勢や、事件が
述べられているところでしょう。例えばこの章では、
スターリンの人命を軽視した冷淡で歪んだ性格を紹介するエピソードとしてこんな話を・・。
「スターリンの秘書の妻、ブロンカがNKVD長官の好色で嗜虐的なベリヤに言い寄られて
それを撥ねつけると逮捕され、2年間拘留された後、処刑された。
彼女の夫は何度となく妻の助命を懇願したが、スターリンにこう慰められるだけだった。
『心配するな。別の女房を見つけてやる』」。

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メキシコへと逃れていた政敵トロツキーを1940年に暗殺した実績のあるスターリンは、
早くも1934年には共産主義を弾圧しているヒトラー政権にも目を向け、
プロイセン州内相のゲーリングの暗殺を計画。
さらにミュンヘンでのヒトラーご贔屓の小さなレストランでもあり、
英国少女ユニティ・ミトフォードと食事をしたり、エヴァ・ブラウンを口説いた場所でもある
「オステリア・バヴァリア」での暗殺も計画します。
しかしこの計画も実行直前に「独ソ不可侵条約」が締結されたことで、棚上げに・・。

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戦争が始まるとドイツ兵に変装したソ連のスパイが後方に潜入。
標的となった東方相ローゼンベルクとウクライナ総督エーリッヒ・コッホは難を逃れますが、
白ロシアの総弁務官、ヴィルヘルム・クーベは、女中のエレーナが
ベッドの下に仕掛けた英国製の磁気機雷によって吹き飛ぶのでした。
は~コレは「ドイツ武装SS師団写真史〈1〉」で気になっていた件ですね。

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ちなみに1942年に駐トルコ大使であるフォン・パーペン暗殺未遂事件にも触れられていました。
命を受けたマケドニア人暗殺者は、アンカラの通りでパーペンの尾行するものの、
誤って自分を爆弾で吹き飛ばしてしまいます。
軽傷を負い、暗殺者の血を浴びたパーペンには何が起こったのかはわからずじまい。。

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一方の西側、英国人による「汚い戦争」では、チャーチル首相の肝いりで発足した
「特殊作戦執行部(SOE)」を中心に語られます。
「007」で有名な英国秘密情報部の外国部門MI6と、陸軍省、外務省からの
人材の寄せ集めで誕生した組織ですが、「紳士のスパイ」を自任する古参の情報部員からは
「手際の悪い素人連中」と見られています。
そして1942年、英国のチェコ亡命政府は、SOEの訓練を受けた2人を
本国に送り込む「類人猿作戦」を発動。
こうしてベーメン・メーレン保護領副総督ハイドリヒが暗殺されるのでした。

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さらに1944年にはB軍集団司令官ロンメル元帥誘拐チームがパラシュート降下しますが、
その直前、標的は自軍戦闘機の機銃掃射によって重傷を負い、病院送り・・。

第7章は「回復された名誉」。
トレスコウシュタウフェンベルクら参謀たちによるヒトラー暗殺計画の数々を紹介します。
これは有名なので端折りますが、知らなかった話もありました。
1943年2月、ハリコフの死守命令を受けたランツ中将は、自殺任務に等しいと判断。
参謀長のシュパイデルグロースドイッチュランド戦車連隊長のシュトラハヴィッツ大佐と相談し、
ヒトラーは抹殺しなければならないと結論付けます。

命令違反に激怒したヒトラーが早速、飛行機で飛んできますが、
彼らの誘拐計画・・・シュトラハヴィッツはヒトラーの護衛隊を圧倒するために
グロースドイッチュランド師団が必要な武力を提供すると請け負います・・・は、
ヒトラーがランツの上官であるマンシュタインの所へ行ってしまい、
ランツは解任されるという結果に終わるのでした。。

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最後の章では「ヒトラーの唯一の友人」であった軍需大臣シュペーア
ニュルンベルク裁判で「ヒトラー暗殺を目論んだ」と証言した話の信憑性を検証。
総統ブンカーに毒ガス「タブン」をぶちまけようとした・・という計画ですが、
証拠がないだけに、連合国検事たちへの印象を良くしようした作り話・・
という解釈も根強いようですね。

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本書でも1943年にマンシュタインを陰謀に引き入れようとしたものの、
「プロイセンの元帥は反乱を起こさない!」と一蹴された件も紹介しています。
そして陰謀組の志と大義の高貴さは良しとはしますが、首尾よくヒトラー暗殺をした後、
果たしてすぐさま戦争終結、めでたし、めでたしとなったのか??
というヴィトゲンシュタインが以前から思っていた疑問にも言及していました。

ドイツ国民の支持だけではなく、国際的な共感も得ておらず、
膨大な数のSS隊員と警察、ゲシュタポも威圧せねばならず、
ヒムラー、ゲッベルス、ボルマン、ゲーリングらの行動も予期できない・・。

国防軍の将軍たちがユダヤ人の虐殺を知っていたにも関わらず、
抵抗運動に参加しなかったという事実を取り上げて、
彼らは腰抜けであり、ホロコーストに加担していたも同然である・・
というような評価も聞きますが、そんなのはまったくもって短絡的な考え方で、
ヴィトゲンシュタインは賛成しかねますね。

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1944年に西側連合軍に降伏・・と考えたと云われるロンメルやクルーゲはともかく、
1943年の東部戦線でギリギリの攻防を続けている時に、
「ヒトラーが死んだから戦争は終わりにしましょう」と言って、
「そりゃ、めでたい! おめでとう」と賛成するほどスターリンは間抜けじゃありませんし、
それこそ兵士が士気を失って全戦線が崩壊し、ここぞとばかりにソ連軍が怒涛の進撃を続け、
ドイツ本土だけでなく、ヘタしたらノルマンディまでポルシェヴィキ化されてしまいます。
ヴィトゲンシュタインですら、そんなことを考えるくらいですから、
プロイセンの元帥がそんな無責任なことは出来ない考えるのも無理はありません。

と、前回読んだ時から5年も経つと、それなりに知識も増えていて
久しぶりにちょっとした意見も言ってみたくなる良書でした。
ひょっとしたらシュタウフェンベルクやワルキューレ作戦について
初めて詳しく知ったのは本書だったのかもしれません。
「戦時下のベルリン: 空襲と窮乏の生活1939-45​」も期待できますね。







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