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ニセドイツ〈2〉≒東ドイツ製生活用品 [ドイツの都市と歴史]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

伸井 太一 著の「ニセドイツ〈2〉」を読破しました。

去年の10月に紹介した「ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品」のレビューが意外なほど好評で、
その〈1〉と同時に2009年に発刊された159ページで個人的にも楽しみにしていた一冊です。
可能な限りカラー写真を使用したカタログ形式のようなこのシリーズ。
著者やダジャレなど、本書の特徴は〈1〉のレビューを読んでいただくとして、
早速、内容を紹介してみましょう。

ニセドイツ2.jpg

「生活用品」がテーマの本書。まず最初に登場するのは買い物するための
国営スーパー「HO(ハーオー)」です。
1948年から東ドイツ政府の管理下として組織された商業組織であるこの「HO」。
1958年には全国統一価格が導入されたため、大安売りセールなどといったものもなく、
「ちょっと奥さん、あそこのスーパーのじゃがいも安いわよー」と盛り上がることもない社会。。

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続いては、そのスーパーなスーパーで買える品々。
パンとケーキでは「小麦粉」に「バウムクーヘン」、
チョコレートも「代用コーヒー」と同様、不足するカカオ豆の代わりに麦芽や大豆が混ぜられて
ショコラーデとは言わず、公式には「ヴィタラーデ」と呼ぶ代用チョコレートです。
ちなみにハンバーガーも東ドイツでは「グリレッタ」と呼ばれたそうですが、
これは「ハンバーガー」があまりにもアメリカ的過ぎる・・という理由のようです。

食べ物に付き物なのは、もちろん飲み物です。
1941年の米国の参戦までは、第三帝国でも人気のあった「コカコーラ」の話と、
その後のドイツの発明品である「ファンタ」の話も以前に紹介していますが、
1958年に東ドイツ初のコーラ、「ヴィタ・コーラ」が発売されます。
特許申請から4年を要したこのコーラ製造の会社名は「ミルティッツ化学工場」。。
現在でも販売されているこの「ヴィタ・コーラ」ですが、
当時の味を知る人は、「まったくの別物」であるとして、
東ドイツに子供連れて旅行したことのある西ドイツのヘルガさんによると
「コーラが不味くて、子供が旅行を嫌がった」というほど、恐るべきコーラだったそうです。

vita cola DDR.jpg

ヴィトゲンシュタインも日々の生活には欠かせないビール。
ドイツビールも大好きで、その製法「ビールは麦芽、ホップ、水、酵母のみを原料とする」
ということをキッチリ守って国産ビールを呑んでいます。
日本の伝統的な製法である「米」や「コーンスターチ」が入っているものは好きじゃなく、
「モルツ」と「ヱビス」専門です。発泡酒とか第3の・・とかいう怪しい飲み物は一切ダメで、
いくら檀れいさんが好きでも「金麦」を買ったことすらありません。檀さん、ゴメンね・・。

金麦_檀れい.jpg

そして原料不足でも昔ながらの製造法にこだわり続けた東ドイツのビール醸造所もあり、
特に東ドイツの「レーベンブロイ」は気になりました。
日本でライセンス生産されている「レーベンブロイ」は西ドイツはバイエルンのビールですが、
このレーベンブロイは「ニセドイツ〈1〉」に出てきたような戦争による分割といったことではなく、
ライオン(レーベ:Lowe)はザクセン州の由緒正しき紋章であり、
それにブロイ(醸造所)をくっつけただけの東ドイツの「本家」だということですね。

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洗剤、石鹸、歯磨き粉と続いた後に出てきたのは、トイレット・ペーパーです。
「拷問道具」とダジャレで紹介され、「私は出来る限りトイレに行きたくなかった」と
当時の思い出を語る人・・。
新聞をクシャクシャに柔らかくしてから使った方がマシという証言もあるほどで
東ドイツのトイレット・ペーパー・ジョークもあります。

「どうして東ドイツのトイレット・ペーパーは堅いんだい?」
「それはケツの先まで真っ赤にするためさ。」

DDR Toilettenpapier.jpg

東ドイツのファッションは当時の綺麗なモデルさんのカラー写真も何枚か、
アンチ・アメリカの代名詞ジーンズの章では、
19世紀にバイエルンから米国に移住した「レヴィ・シュトラウス(Levi Strauss)」が
ジーンズを発明し、英語読みするとリーヴァイ・ストラウスとなる彼のブランド名が
「リーヴァイス(Levi's 」であることを紹介します。
そしてそんな西側の「本物」のジーンズに憧れる、東ドイツの若者たち・・。

Levi-Strauss-Co_-501.jpg

スポーツの章も興味深かったですねぇ。
あの「コマネチ」が活躍した1976年のモントリオール五輪では、メダル獲得数で
3位の米国、4位の西ドイツを押さえ、1位の親分ソ連に次ぐ、第2位と躍進した東ドイツ。
ドーピングなんかは当たり前で、練習中の筋肉作りに多量の薬物が用いられたと言われ、
選手たちは引退後にその副作用に悩まされます。。

「カティ」という愛称で親しまれ、ホーネッカー書記長のお気に入りでもあったカタリナ・ヴィット。
2大会連続金メダルという1980年代のスケート界の女王です。
世界を飛び回る彼女は秘密警察シュタージから要請を受け、各国での情報収集をさせられます。
また、亡命を危険視されて、家族は人質として国内に留まらなければなりません。

Katarina Witt 1988.jpg

フィギア・スケートって良くTVで観ますが、最近、あまりにもジャンプ偏重じゃないですかね?
もちろん「要素」として必要なことはわかりますが、いったいどれだけの観客が
トウループ、ルッツ、フリップ、サルコウ、ループ、アクセルといったジャンプの違いを
解説なしでわかるというんでしょう。。
トリプル・アクセル飛ぶとか、飛ばないとかが話題になっていますが、特に女子の場合は、
もっとプログラムのオリジナリティや美しさをアピールして欲しいですね。
トリノ五輪の荒川静香なんて、観てる途中で泣きそうになったほど綺麗でしたよ。

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ロック、宝くじ、たばこと続いて、「共産主義エロス」の章へ・・。
東ドイツ刑法では「ポルノを広めた者は罰金、執行猶予、もしくは2年以下の禁固刑に処す」と
共産主義にとってポルノは「労働者を堕落させる悪」と考えられていたそうです。
そんな国で、「ダス・マガツィーン」、訳すと「ザ・雑誌」という名の月刊娯楽誌が
50万部を売り上げます。主に文化や生活が書かれたお上品なものですが、
「芸術作品」として女性や男性の裸体写真が数枚程度付いているのがミソ・・。
このあたりは「愛と欲望のナチズム」と似た感じがしますね。

das magazin  -1976.jpg

テレビゲームの章も面白い。
西側に遅れること10年。1980年に家庭用ゲーム機「BSS01」を発表しますが、
お値段500マルクと超高価。しかし世界広しと言えども自国製のゲーム機を開発している国は
米国、日本、そして東ドイツだけです。
ですが、西ドイツの若者が「スペース・インベーダー」で地球を守っていた時に、
東では白い棒を動かして球を打ち合う「ポン(Pong)」が人気となっています。
いや~、懐かしいですねぇ。子供の頃、家で良くやりました。

poly play.jpg

ゲーセンまでも政府によって認可されていたそうですが、
唯一にして伝説の東ドイツ製アーケードゲーム機「ポリプレイ」が誕生。
そして最高の人気を誇ったゲームが「ウサギとオオカミ」で、
超有名ゲーム「パックマン」のパクリである・・。

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ディズニーとナチスの関係といった本を紹介したことがありますが、
やはり東ドイツにもミッキーらしきキャラクターが存在していました。
しかし色は黄色だったり、青かったりとちょっと不気味・・。
まるで隣のデカい国における「ドラえもん」モドキの泣けるデザインを彷彿とさせます。

Micky die Maus DDR.jpg

その他のキャラクター、それから家具の章と続いて、東ドイツをテーマにした映画。
2003年製作の「グッバイ・レーニン!」には本書で紹介されたモノも登場する良作として
最初に紹介。一度TVで観た記憶があるんですが、今見直したら、確かに面白そう。
2006年の「善き人のためのソナタ」はシュタージの監視体制がテーマになっているそうで、
コレはビックリしました。こんな邦題じゃストーリーわからんよ。。

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「ニセドイツ〈1〉」でコメントいただいた1991年の「ゴー・トラビ・ゴー」も登場。
「ザクセン人が行く」という副題が良いですねぇ。
1992年には2作目も作られ、ゲーム化もされて、爆音響かせながらトラビで「ゆっくり」と走る、
謎のレースゲームということです。
いま調べたら「体験版」がダウンロードできるようですよ。

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最後は東ドイツの博物館を紹介。
ベルリンの「シュタージ博物館」は行ってみたい。。
ホテルやレストランも紹介し、まるで旧東ドイツの観光ガイドです。
日本にある東ドイツ雑貨店も紹介していて、東京の「マルクト」というお店はワリと近いので
一度、覗きに行こうと思っています。

Stasi-Museum Berlin.jpg

〈1〉が「工業品」、〈2〉が「生活用品」と分けられた2冊ですが、
このように通して読み終えてみると、〈1〉を読破したときと若干、印象が違いますね。
〈1〉では共産主義国家「東ドイツ」の歴史も含めた全体像を知ることができ、
本書ではそのような国で、共産主義者に成りきれない国民の生活を知ることになります。
その意味では、東ドイツに特別詳しくない一般の日本人に向けては、
この順番と構成が絶妙だと思いました。

なので、〈1〉と〈2〉のどっちが面白かったか・・?? と聞かれても、答えはありません。
〈1〉と〈2〉のセットで一冊というか、本として完成しているわけで、
同時発売の意味もわかりました。
過去の共産主義国家を眼でも楽しく学べる・・という、まず他に類を見ない本であり、
写真とダジャレ満載で、一見、軽く見えそうな2冊ですが、
実はシッカリとした目的を持ち、巧妙に編集された、とても優れた2冊ですね。

Berlin Wall, showing the famous kiss between Brezhnev and Honecker.jpg

ちなみに本書は副題??が「共産趣味インターナショナル VOL 3」となっていて、
実は「アルバニアインターナショナル―鎖国・無神論・ネズミ講だけじゃなかった国を・・」
というさらにマニアックな、というか、ほとんど変態的な本がVOL 1としてありました。。
う~む。。アルバニア・・。気になるなぁ。。
「ニセドイツ〈3〉ヴェスタルギー的西ドイツ」を次に読むつもりでいますが、
こちらは西ドイツですから、ちゃんと「資本趣味インターナショナル」になっているトコが笑えます。













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ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈下〉 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アドルフ・ヒトラー著の「ヒトラーのテーブル・トーク〈下〉」を読破しました。

「1941‐1944」となっているわりには、上巻は1941年7月~1942年2月までと
半年程度の期間が収められているだけでした。
ということは、この下巻では戦局が悪化していく過程でのヒトラー談話となるわけですね。
イライラが募った談話が多くなるのか、または逆に、現実逃避的に音楽や芸術といった
話が繰り返されるのか・・、果たしてどうでしょう。

ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈下〉.jpg

この下巻の始まる日付は1942年3月1日です。
まずは「ヒムラーSS国家長官」をゲストに迎えて、またまた女性について語るヒトラー。
「ご婦人の着飾る喜びには必ずトラブルが伴う。
いつだったか、突然、1人のご婦人が、オペラ劇場から立ち去った場面を目撃したことがある。
ライバルが同じドレスを着て升席に座った途端だった。
曰く『なんて図々しい! わたくし帰りますわ!』
こんな女心を変えようなんて甘いぞ。女は女なのだ。
スタイルを異常に気にする女もいる。ただし、男を見つけるまでの間だ。
結婚するまではスタイルのことしか頭になく、グラム単位で体重の目盛を睨んでいる。
ところが結婚した途端、キロ単位で太り出すのだ」。

Hitler, Buerckel, Goebbels, Seyss-Inquart, Bormann at the Opera in Vienna.JPG

総統後継者問題については、次のような結論に達しています。
「世襲君主主義は生物学的に衰弱の運命にある。
行動的な男は一般に女性的資質に富んだ女をめとり、
息子には母親の柔和さと消極性が遺伝するからだ。
どうしようもない馬鹿が元首に座る危険性を回避するためには自由選挙が望ましい。
ローマ法王庁は、その狂気としか思えない教義にも関わらず、
現世レベルにおける組織体としてのカトリック教会は驚異的体制である」。

そして小さな都市国家でありながら、960年に渡って存続したヴェネチア共和国の体制に触れ、
「ヴェネチア方式では低能や12歳の小僧っこが権力の座に就くなんてありえなかった。
ルーマニアの若きミヒャエル王、あの青年は根っからの馬鹿者だ。
ユーゴスラヴィアのペータルもこうして出来上がった不良品というわけだ」。

The King of Romania. Mihai I.jpg

ヒトラーは何度も暗殺未遂に遭いながらも、ナチスが起こした暗殺事件は聞きませんね。
「つい最近もトルコ駐在のフォン・パーペンの暗殺未遂があったばかりだ。
私自身は、これまでの政治闘争の中で暗殺命令を出したことがない。
暗殺というのは不適切な闘争手段で、例外的にのみ用いられるべきものだ。
事実、暗殺の結果が政治的大勝利に結びついたためしはない」。

「私の愛情はといえば、まず第一に前線の兵士たちに向けられる。
彼らはあの極寒の冬を耐えなければならなかったのだ」と、振り返ります。

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「政治家は軍人以上に勇猛果敢であってほしい。現実に、1人の政治家の
勇敢な決断が多数の兵士の生命を救うことが往々にしてあるのだ。
悲観主義者を徹底的に追放しようじゃないか。この冬がいい例だった。
教科書的知識の豊富なタイプの司令官にとっては、この冬はテスト期間だったわけだ。
彼らは過去の実例からの状況判断に捕らわれ、悲観的見通しを立てた。
しかし、困難を乗り越えるには相当な楽観主義者でないと無理なのだ」。

「さて、レニングラードの将来についてだが、私に言わせればあの都市は滅びる運命にある。
最近聞いたのだが、レニングラードの人口は飢餓ですでに200万まで減ったそうじゃないか。
レニングラード港など潰れてしまえばいいのだ!」

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教会には反対姿勢のヒトラーですが、その必要性も認めたうえで慎重な態度です。
「戦争が終わったら、僧侶の新規採用を非常にやりにくくする処置をとるつもりでいる。
特に10歳からの子供が教会に生涯を捧げる決心をする許可は与えない。
その年代では自分がしようとしていることの、例えば禁欲の誓いなどの意味が分かっていないのだ。
24歳を過ぎ、勤労奉仕と兵役を終えた者だけが、聖職の道を選ぶことが出来る。
この年齢で禁欲の誓いを立てようと思う者がいるなら、僧侶になるがいい!」

「今日の我々は教会よりもはるかに思いやりがある。
我々は十戒を守っている。『汝、殺すなかれ』・・・だから殺人犯を逮捕し、処刑する。
だが教会が刑を執行する時は、十字架にかけ、八つ裂きにし
恐ろしい拷問の挙句に死に至らしめるのである」。
まぁ、確かにナチス・ドイツは人道的な「ギロチン」ですからね・・。

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ローゼンベルクの『二十世紀の神話』は党の教義の公式な表現と見なすべきではない。
この本が出版された時から私はそう考えることを慎重に避けた。
面白いことに、党のメンバーの中にはローゼンベルクの本の読者は比較的少ない。
実際、出版社は第一版の1万部を売り尽くすのにずいぶん苦労したのだ。
そして教会がローゼンベルクの思想に反駁する論説を出版すると
『二十世紀の神話』は20万部を売り尽くしたのである。
この本を詳しく研究しているのは我々の敵だと思うと楽しい気分になる。
大管区指導者のほとんどもそうだが、私も斜め読みしただけである。
あれは難解すぎるのだよ」。

Rosenberg, Lammers, and Hitler at FHQ Wolfsschanze.JPG

上巻のトレヴァ=ローパーの解説では「総統大本営での談話」と書かれていましたが、
4月30日の場所は「ベルクホーフ」であり、戦争が小休止のこの春は、
ヒトラーの好きなベルヒテスガーデンの山荘に戻っています。

Hitlers Berghof.jpg

夕食時には気分も一新したかのように、音楽と指揮者について語るヒトラー。
「ブルーノ・ワルターの指揮するオペラを聞くのは、まさに苦行そのものだった。
哀れなソリストたちはオタマジャクシの一段のように見え、
指揮者自身も気違いのようなジェスチャーに没頭しているから、見るのはやめた方がいい。
身振りが馬鹿げて見えないただ一人の指揮者は、フルトヴェングラーである。
彼の動きは、彼の存在の深みから出てくるものである。
経済的な援助はほんのわずかだったが、彼はベルリン・フィルをウィーンのものより、
はるかに優れたアンサンブルに作り上げた」。

ふ~ん。やっぱり「第三帝国のオーケストラ―ベルリン・フィルとナチスの影」
読んでみましょうかねぇ。

Hitler,Wilhelm Furtwangler.JPG

ナチ党の政策による女性の境遇改善の成果を語り始めたヒトラー。
「私が何より憤慨したのは踊り子たちの待遇である。
いわゆるコメディアンという連中は、ほとんどがユダヤ人だが、ベルリンの劇場で
15分ほど品のないお喋りをしただけで、月に3000とか4000マルクも稼ぐ。
それなのに踊り子たちには70、80マルクしか支払われない。
しかも彼女らは15分の出番ために実力を保つべく、文字通り、一日かけて
訓練や練習をするのである。このような矛盾は恥ずべきことだ。
このため、可哀想な女たちは街角に立つしかなく、劇場は売春宿と変わりなくなってしまうのだ。
私は踊り子たちの給料を200マルクほどに引き上げ、踊りにだけ集中できるようにしてやった。
これで35歳くらいになった時、引退して結婚し、落ち着くことが出来る」。

The Hiller Girls, one of the most famous ballet groups in the world, backstage. 1941.JPG

1933年1月の首相就任の裏話をヒトラーは熱く語り出します。
「政府組織のための交渉はシュライヒャー将軍とその一派がぶち壊そうとしたおかげで、
一層複雑になってしまった。
陸軍最高司令官のハマーシュタイン将軍はもっと馬鹿な男で、厚かましくも私を電話に呼びつけ、
「国防軍がヒトラーの首相就任に賛成することはあり得ない」と言ったものだ!
シュライヒャーが辞任した午後遅く、彼とその仲間が気違いじみた行動をとって我々を驚かせた。
ハマーシュタインがポツダム駐屯部隊に警戒態勢を取らせ、
ヒンデンブルク大統領が介入できないよう東プロイセンに追いやって、
国防軍を動かしてナチ党の政権奪取を力づくで阻止しようとしたのである。
私は即座にベルリンSAの指揮官グラーフ・ヘルドルフを呼び、
ベルリンSA全員に警戒態勢を取らせ、同時に、信頼のおける警察のヴェッケ少佐に
警察の6部隊でヴィルヘルム通りを占拠する準備をするよう指示した」。

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う~む。このヴェッケ少佐は、ヘルマン・ゲーリング戦車師団の元となった
警察大隊「ヴェッケ」のヴァルター・ヴェッケでしょうねぇ。

General der Luftwaffe Walther Wecke.jpg

「戦時下の恥ずべき犯罪には厳罰をもってあたる・・」という話・・。
「例えば、灯火管制下での犯罪だ。これに野蛮とも思えるほどの厳しい処罰を科さずして、
灯火管制の暗闇でのひったくり、婦女暴行、空き巣狙いなどをどうやって防げるというのだ。
こんな犯罪に対しての処罰は死刑のみ。犯人が70歳だろうが17歳だろうが関係なしだ。
厳罰に処さないとどういうことになるか・・、まともな人間が前線で死に、
銃後では犯罪者が生き延びるという矛盾が起きる。
犯罪者というものは、この程度の罪だと刑法何条で懲役何か月などと熟知しているのだ」。

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1942年6月4日。ハイドリヒが死亡したというニュースを聞いたヒトラーのコメントです。
「今後、危険に身をさらしている幹部には安全保障規則への絶対服従を命ずる。
今の世の中は強盗だけではない。暗殺者もうろついているのだ。
それなのにプラハの街中を武装もしないオープンカーに乗ったり、護衛なしで歩いたりと
一見英雄風の振る舞いは実に愚かしい。これっぽっちも国家の利益とならない。
ハイドリヒほどのかけがえのない人間が、己の身を不必要な危険にさらすとは!
大馬鹿者! と怒鳴りつけてやりたいくらいだ」。

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ゲッベルスが話題を「ロンメルの人気の凄さ」に向けます。すると総統は・・。
「彼が国民的人気を博している理由は次の2つだろう。
今やドイツ国民もこの戦争の背景を良く理解し、対英戦の勝利を特に喜ぶようになった。
英国のマスコミが意図的にロンメルを持ち上げた
彼の軍人としての能力の卓越性を宣伝することによって、
英軍敗北の多少の言い訳になるだろうと期待してのことだ。
もちろん、ロンメルの有能さに関しては、疑問の余地なしだ」。

さらに翌月には「外務省はエジプト総督を誰にするか考える必要はない」と語ります。
「ロンメルは戦争史に名を残す不滅の名将だ。外務省ごときが彼のやり方に
干渉するのはどう考えても不合理だろう」。

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今度はボルマンが総統に贈った本について、彼に話しかけます。
「あの本で君が印をつけてくれた部分は実に興味深かったよ。
あのような本が、全ドイツ人、特に将軍や提督と言った指導的地位にある人間に
広く読まれるようになれば最高なんだがな」。
いや~、コレは「ヒトラーを操っていた男」に書かれていたボルマンのインチキ作戦が
まんまと成功した・・という話ですね。。

7月8日はあの「PQ17船団」の報告を受けたところ・・。
「ロシアのアルハンゲリスクに向かっていた38隻からなる英艦隊を
我がドイツ軍がすでに32隻まで撃沈したとの朗報だ。
なんとも痛快この上ないじゃないか」。

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国会議員が私企業の重役の職に就くことを違法化するための手続きが
まだ取られていないことに激怒するヒトラーは印象的でしたね。
「大管区指導者、国会議員、党指導者は誰一人として私企業の重役であってはならぬ。
名誉職であるか有給職であるかは無関係だ。
一般市民というものはこの種の問題に驚くべき嗅覚を持っているのだ。
私がベルクホーフかシュタインガーデンのどちらの土地を買うかで迷ったとき、
もしシュタインガーデンを選んでいれば、有名なシュタインガーデンチーズが値上がりでもすると
巷ではきっとこう陰口を叩かれたろう。
『当然だろ、チーズの値段が上がれば総統が儲かるんだからな』」。

さらには「公務員の退職後、前職に関連する業界に天下るのは禁止すべきだ」と
この天下りシステムがユダヤ人に従う悪魔の道であると力説します。

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「私を不快にする人間がいるとすれば、それはベルギー人だ。
百戦錬磨の悪党で、キツネのようにずるくて狡猾だ。現在、彼をそのいるべき場所に入れてある。
しかし1940年には馬鹿な失敗をしてしまったが、それは私自身の愚かさが原因なのだ。
当然、彼を捕虜として扱うべきだったのだが、彼の妹がイタリアの皇太子妃だった。
彼女はイタリア宮廷の中でただ一人、魅力的で明るい女性で、
しかも精神的にひどい冷遇を受けていたのである!」

レオポルド3世と、妹のマリア・ジョゼーの件は以前から気になっているんですが、
相変わらず断片的にしかわかりませんね。
若きベルギー王とイタリア皇太子妃、そしてヒトラーという3つ巴の物語って
なかなかドラマチックな本になりそうですけどね。

duc de Brabant_Léopold III,PrincessMaria Jose.JPG

上巻にもあったウサギ狩りの話が再燃します。
「ある男が動物虐待の罪で3ヵ月の禁固刑を言い渡されたそうだ。
庭に迷い込んできた鶏を蹴っ飛ばしたらしい。まぁ、賛成しかねるな。
私に言わせれば、野ウサギを銃で撃つ方が遥かに残酷で恐怖の行為だ。
あるタイプのサディストを賞賛しておきながら、別のタイプを刑務所へ入れるなど
国としてするべきではない。
狩猟家は殺したいという欲望を満足させるために猟をするのだ。
鶏を蹴とばした男は自分の庭を守りたかっただけで、殺そうという意図はなかった。
鶏が庭に入って来るのは本当に苛立たしいし、追い払ってもまたやって来るのだ!」

Goering auf der Jagd.jpg

8月の米国に触れた話には思わず笑ってしまいました。
「もし突然、宇宙船が米国に着陸したら、我々人間はどんなに周章狼狽するかと思うと
笑えてくる! この地上のちっぽけな戦争など即座に中止になるだろうな!」
・・・さすがUFO開発を進めていただけのことのある発言ですか?

Hitler with Alien.JPG

そして「ハチハチ」こと88㎜高射砲についての総統の見解です。
「高射砲で一番良いのは8.8センチ砲である。10.5センチ砲は弾薬を使いすぎ、
砲身の寿命が短いという欠点がある。
ゲーリング国家元帥12.8センチ砲の生産を続けたがっている。
この砲は2重砲身で面白い形をしているが、技術者の眼で見ると12.8センチ砲は別にして
8.8センチ砲が最も美しい兵器であることに気付く」。

12.8cm Flak40.JPG

ここまでが1942年9月の談話ですが、423ページになっていきなり1943年6月となりました。
前年の冬の「スターリングラード包囲」と第6軍の壊滅の時期は一切なしで、
「ツィタデレ作戦」、いわゆる「クルスク大戦車戦」の直前という時期ですね。
この下巻は456ページですから、最後の1944年3月、5月、11月の談話まで、ほんのちょっと・・、
しかも1943年6月から1944年3月までも飛んでおり、戦局に関する話題も無く、
ウィーンの文化はどうたらこうたら・・と特筆すべき話はなく、オマケといった印象でした。

ですから、「1941‐1944」となっていても、事実上は「1941年6月-1942年9月」の
テーブル・トークということですね。。
この歯抜けとなっている期間については説明が無いのでわかりませんが、
今まで読んできたヒトラー伝を思い起こしても、食事の場や夜会での談話が全く無くなった
なんてことはなく、せいぜい国防軍将校とは一緒に食事しなくなったということですから、
速記者がいなかったか、ボルマンがあえてどこかにやったか、
あるいは、1952年に発見された時に何らかの理由で抜け落ちたか・・と推測されます。

Hitler eats with his personal physician, Professor Theodor Morell.jpg

今回は本書の内容に極力手を加えずに個人的に興味深かった部分のみを
抜粋してみました。ただし、通して読んでみると、ヒトラーの知識の豊富さ・・、
例えば、「日本人が年間、魚をどれだけ食べてるか」とか、
「フランスのなにそれは51%である・・」とか、数字を挙げて解説するところは、
国防軍将校が兵器生産の報告でヒトラーから細かい数字を挙げられてダメ出しされた
という有名な話も、なるほどねぇ・・こういうことか・・と納得しました。
正直、これくらい面白いことを知っていたなら、もうちょっと早く読んでも良かったですねぇ。

それからヒトラーの好きな音楽家としては、あのモーツァルトがおり、
2回はモーツァルトを絶賛する談話がありました。
曰く、「彼ほどの人物が共同墓地に葬られ、いまやその場所すらわからないのだ」。
ヴィトゲンシュタインは映画「アマデウス」が大好きですから、
この2人が絡んだ新刊、「モーツァルトとナチス: 第三帝国による芸術の歪曲」は
とっても気になります。







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ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。明けましておめでとうございます。ヴィトゲンシュタインです。

アドルフ・ヒトラー著の「ヒトラーのテーブル・トーク〈上〉」を読破しました。

一昨年の9月に「ヒトラーの遺言: 1945年2月4日―4月2日」を読んだ際に、
本書の経緯についてもいろいろと確認し、最終的には
「こんな感じなら「ヒトラーのテーブル・トーク」も読んでみようか・・という気にもなりました。
でも、古書でも結構高いなぁ・・。」などと書いていました。
半年ほど前に、この1994年発刊で上下巻あわせて931ページという大作が
2冊セット、1000円で売り出されていたのを見逃さずゲット。。
ヒトラーの側近たちが、繰り返し語られるヒトラー談話に睡魔と戦いながら付き合わされる・・
といった話もよく聞きますが、果たしてヴィトゲンシュタインもやられてしまうのでしょうか?

ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉.jpg

序文で本書の解説をするのは、ヒトラーの研究の権威、トレヴァ=ローパーです。
「偶然の悪戯が頂点に押し上げた山師」、「妖術使いの催眠術師」といったヒトラー評に異を唱え、
オーストリアの田舎町で生まれ、教育は不十分、確固たる後ろ盾もなく、
ウィーンのスラム街で浮浪者同然の青春を送ったヒトラーが、あれだけの強大な権力を手中にし、
世界征服にあと一歩まで迫った事実に注目します。
それは「無限の権力欲に支配された悪魔的冒険家」ではなく、
「ヒトラーには思想があった」ことを主張したいと述べます。

独ソ戦の期間、総統大本営である東プロイセンの「ヴォルフスシャンツェ」と
ウクライナの「ヴェアヴォルフ」におけるこの談話は、昼食時、夕食時、または夜会と呼ばれる
真夜中の長いお茶の時間の談話が速記者によってノートを取られ、「ヒトラーの遺言」と同様に
総統の思想の最も信頼のおける解釈者たるボルマンが訂正、承認、保管をしていた物で、
ですから本書は「アドルフ・ヒトラー著」となっていますが、もちろんそんなことはなく、
どちらかと言えば「マルティン・ボルマン記」としても良いでしょう。

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談話の最初には日付が書かれており、最初は1941年7月5日です。
6月22日に始まった「バルバロッサ作戦」から2週間後ですね。
作戦も順調に進んでいることもあってか、
「クリミアは美しい。アウトバーンで行けるようになれば、クリミアはドイツ人とっての
リヴィエラになるだろう。戦争が終われば娯楽には事欠くまい」と上機嫌です。
しかし7月11日には、「歴史的に見てもスターリンは特筆すべき人物である。
名もない党書記としてスタートしたが、無名のままで終わりはしなかった」と、
この時点で高く買っていますね。

出席者は明記されていませんが、おそらく女性秘書たちに外務省のヘーヴェル
モレル医師写真家ホフマン、OKWのカイテルとヨードル、その他、側近たちに
当然ボルマンといった面々でしょう。
軍事作戦的な話は予想していたより出てこないので、
以降は興味深かった「談話」を挙げていきたいと思います。

Hitler discussing with Prince Philipp of Hesse and Goebbels.jpg

9月、チェコ人が母なるロシアに期待をかけていたという話では、
「旅順港陥落の授業の時、私のクラスにいたチェコ人の子供は泣いていた。
他の子はみんな興奮して喜んでいた! 
この時から私は日本人対して好意を抱くようになったのだ」。

10月、犠牲の多さから一つの攻撃作戦を中止したと語り始めます。
「指揮官は想像力と先を見通す目を持たなければならない。
私は部隊が直面している状況を頭に思い浮かべることが出来、それが私の強みである。
それが出来るのは私自身が普通の兵士だったからである。どんな状況にあっても、
適切な判断を素早く下せるようになったのもそのためである」。

Hitler and Keitel in meeting with Finnish General Öhquist in Germany, 1941.jpg

そして前年の西方電撃戦を思い起こすヒトラー。
「敵が全戦線に沿って前進しているというニュースを聞いたとき、
私は喜びで涙が出そうになった。敵は罠にハマったのだ!」
う~ん。。すでに同じことが起こらないことを理解したんでしょうか・・。
ちなみ「電撃戦」という言葉についてはこんなことも言っていました。
「『電撃戦』というのはイタリアが作った用語だ。こっちは新聞で知ったのだ」。

Compiegne, France, June 1940, Hitler and Goering before the signing.jpg

キリスト教に対する辛辣な発言と、戦後に実施しようと語る宗教政策の話は多いですね。
「現在の学校教育システムでは、こんなおかしなことが起こる。
午前10時、生徒は聖書に基づいて世界創造を学ぶ。
午前11時、科学の時間に進化論を学ぶ。
しかもこの二つの説は完全に相反しているのである。
少年時代に私はこの矛盾に悩まされて、頭を壁に打ち付けたこともあった。
教師の誰彼に、さっき習ったことと違うと文句を言い、教師もまた困り果てていた」。

Schule im Nationalsozialismus.jpg

この10月にはSS全国指導者ヒムラーがゲストとして滞在してます。
そしてハイドリヒも同席した夕方。。
「ところで我々がユダヤ人根絶を計画しているという噂だが、悪くないな。
恐怖はなかなかいいものだ」。

続いてドイツでは男性より200万人も多いという女性問題について・・。
「女の子の目標は結婚である。
オールドミスで終わるより子供だけでも持ちたい!
2人が婚姻届を出したかどうかなどは、自然は全く気にしない。
子供を持たない女は、心も伏し目がちとなり、「ヒステリー女!」と言われたりもする。
年老いていくよりは、私生児を生んで生きがいを得る方が何千倍もいいのである」。
なるほど。レーベンスボルン的な考え方ですね。。

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「狩猟がよくないとは私は言わない。だが情けないスポーツだと思う。
密猟者は少なくとも命を懸けている。
鹿に戦いを挑むなど弱虫の出来損ないである。
連発銃とウサギとの対決も、不公平極まりない。
ウサギと足で競争して勝った者がいれば喜んで敬意を表そう」。

Hermann Goring during hunt in Jasnitz 1935.jpg

この2日後、チアーノ外相のためにリッベントロップが企画し、ヒムラーとフンクが参加していた
ズデーテンラントでの狩猟から帰ってきたヴォルフSS中将が報告に訪れてしまいます。

総統 「何を撃ってきたのかね? 鷲とかライオンとか・・・」
ヴォルフ 「いえ、普通のウサギです。狩猟は素晴らしい気分転換です」
総統 「気分転換にウサギやウズラを殺す必要があるのかね?
ウサギの言葉がわからなくて幸いだな。あーだこーだ・・」。

ここでヨードルが「人間には気晴らしが必要です」と一生懸命フォローしているところが笑えます。

Karl Wolff hitler.jpg

続いては、たっぷり金を出してるのになんの報告もない「外務省」がターゲット。。
「以前の米大使ドッドの娘をモノに出来る男が一人もいなかったとは!
しかもあの娘は難物ではなく、あっという間に征服できるハズだった。
現実に娘は征服された。ただし、よその国の男にな。
そのとき、ドイツ外務省の爺むさい男どもは雁首揃えて何をしていたというのだ。
あのうすのろのドッドも娘を陥落させればこっちのモノだったのに・・」。

そこでカイテルが質問。「ドッドの娘はさぞかし別嬪だったんでしょうな」。
海軍副官のフォン・プットカマーが答えます。「ひどいのなんのって!」

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11月、勲章について語るヒトラー。
「ドイツの勲章で本当に価値があり、なかでも最高のものが金の母親十字章で、
百姓のおかみさんであれ、大臣の奥さんであれ、社会的地位に関係なく与えられる」。
そして「騎士十字章には年金を付けるべきだろう」と語った後、
「勲章の価値低落を考えて、例外的にしか与えない我が党独自の勲位を導入しようと
思っている。党の金の勲章は国家のどの勲章よりも上位に置かれるべきだ」。
これは、ヒトラー自らデザインしたとされる「ドイツ勲章」のことでしょうね。

Mutterkreuz_hitler_Scholtz-Klink.jpg

年も明けた1942年1月3日。話題はSSです。
「SSは隊員募集の窓口を広げ過ぎてはいけない。大切なのは高いレベルを維持し、
女どもが惚れ惚れするような雰囲気を身に付けたエリート集団でなければならない」。

ゼップ・ディートリッヒの役割はユニークなものだ。
私はいつも彼を難しい微妙な任務にばかり就かせてきた。
彼はエネルギッシュで残酷、かつ狡猾、しかしその悪漢然として容貌にもかかわらず、
根は真面目で良心的、実直な男であり、闘争初期からのかけがえのない同志なのだ」。

Hitler, Julius Schaub,Sepp Dietrich&Kurt Daluege.jpg

そのゼップがゲストに登場し、彼に話しかけるヒトラー。
「ホフマンが彼のモデル農場を訪ねて欲しいとしょっちゅう言っている。
何を狙っているか見え見えじゃないか。私が奴さんの牛小屋に入るところを
写真に撮ろうとしているのだよ。牛乳の宣伝にはもってこいだからな。
こうして彼の乳製品のすべてに私の写真が使われるというわけだ」。

Hitler and his photographer Heinrich Hoffmann.jpg

そして久しぶりに軍事的な話も・・。
ロンメルはあと200台は戦車が必要だ。もしマルタの中立化に成功して、
アフリカに新しい戦車を送れれば、ロンメルは先手攻撃が出来るようになるのだがな」。

「もしブラウヒッチュが、あとほんの数週間でも総司令官の地位に留まっていれば
事態は収拾のつかない大惨事になっていただろう。
あれは軍人なんかじゃない。ただの臆病な老人だ。
将来、あの4週間が私にとって何だったのかを皆、わかってくれるだろう」。

何が起こったのかといった解説はないので、日付から戦局を理解できないと
なんの4週間かはわかってあげられません。。

von Brauchitsch_Hitler.jpg

「今更言うまでもないが、我々ドイツ人は日本人に親近感など抱いていない。
日本は生活様式も文化もあまりにも違和感が大きすぎるからだ。
しかし米国に対する私の感情は違和感でなく、憎悪と反感だ。
米国社会の行動様式は、半分ユダヤ化、半分黒人化しているのだ。
収入の80%が国庫に流れるような国! すべてがドルで動くような国!
そんな国がどうやって持ちこたえられると思うのだ。
だから私は英国の方がずっと優れた国だというのだ」。

Churchill,Roosevelt.jpg

有名なヒトラーの菜食主義についても熱く語ります。
「動物でも肉食より、草食のものの方が優れている。
ライオンはせいぜい15分しか走れないが、象は8時間も走り続けることが出来る!
日本の相撲取りは、世界でも最強に数えられる闘士であるが、彼らも野菜しか食べない」。

ふ~ん。まぁ、野菜タップリのちゃんこ鍋を知っているんでしょうけど・・、そういえば
ヒトラー・ユーゲントが来日した時、大横綱の双葉山を表敬訪問したりしていますし、
ヴィトゲンシュタインも読んでみたい相撲本があるんですね。
双葉山もそうですが、特に江戸時代の「雷電 爲右エ門」にすごく興味があります。

雷電爲右エ門.jpg

「私にとっては党大会は大変な努力を要する、1年で最も苦しい時である。
最も苦しいのは分列行進の時だ。何時間もじっと立っていなければならないのだよ。
何度かめまいを起こしたこともある。長時間、身動きもせず、
膝をピッタリ合わせて立っているのが、どんな難攻苦行か想像できるかね?
しかも腕を伸ばして敬礼しているのだよ。前回はやむなく少し誤魔化してしまった。
その上、全員と視線を合わせるようにしなければならない。その内、日除けも必要になるだろう。
戦争が終われば、縦隊を今までの12人から16人にする方が良いだろう。
行進は6時間ではなく5時間ですむ。大きな進歩ではないか!」

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総統専属運転手のケンプカが「機甲部隊に入らせてくれ」と頼んできた話。
「敵の戦車を打ち倒すことは彼でなくてもできることだ」と結論。
「私のために9年も働いており、賞賛の言葉以外なく、彼は非常に慎重に運転する。
ただし、片思いで悩んでいる時は別である。私にはすぐわかるんだ」。

また、「彼は世界中のあらゆる車について知っている!」と車好きのヒトラーにとって
かけがえのない存在であるのが伝わってきます。
ちなみに長く侍従長を務めているリンゲについてはこんな感じ。。
「リンゲはいい奴だが、あまり頭が良くないし、おまけにボンヤリしている」。

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そして自分が結婚しない理由を説明するヒトラー。
「結婚の欠点は権利が生じることである。その点では愛人の方が遥かにいい。
義務は少ないし、何もかもプレゼントという次元で話が済む」。

この時、秘書のヴォルフ夫人とシュレーダー嬢が気落ちした表情に気がつく総統。。
すぐに話題を変えて「ドーラは可愛い娘だが、ケンプカが彼女と幸せになれるとは思えない。
ケンプカは機械にしか興味を持っていない。彼女は彼の相手としては頭が良すぎる!」
もちろん、この時にはエヴァとの関係が続いているわけですが、
さすがに大本営に彼女は来ていなかったので、割と言いたい放題ですね。。

Christa Schroeder.jpg

「道楽半分で政治に口を出す女は大嫌いだ。軍事問題にまで口を出されると耐えがたい」
と、女性について語ります。
「特筆すべき女性を挙げるなら次の4人である。トロースト夫人、ワーグナー夫人、
ショルツ=クリンク夫人レニ・リーフェンシュタールである」。

Gerdy Troost (the wife of Paul Troost) and Adolf Hitler.jpg

2月、「英国人はフェアプレーを良く口にするが、自分たちの敗北を認めようとしない」と
お怒りの様子です。
「時速750㌔の爆撃機があれば勝利は間違いなしだ。こんな爆撃機は武装の必要さえない。
どんな戦闘機より早いのだからな。高速爆撃機は最優先課題だ。
ここで敵に差をつけなくてはいけない。決定的な時点で技術的優位を保っていること、
これが大事なのだ。そう、私が技術、技術とうるさいのは確かだ。
常に新技術の開発に努め、敵が驚愕するような新技術を見せつけてやれ」。

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上巻の最後に紹介するのは各国の王たちについてです。
「スウェーデンのグスタフ5世ときては、テニスで体を鍛える以外のことは何もしない。
もしデンマーク王がこの真似をすれば恐ろしく長生きするだろうな。
ベルギーのレオポルド3世・・・畜生! どうしようもない奴だ。
他の馬鹿王どもと一緒に消えてさえくれれば!
あの美人の愛人も一緒につけてやったのに!」

残念ながら、どうしてレオポルド3世にこんなに腹を立てているのかは不明です。
妹のイタリア皇太子夫人、マリア・ジョゼーも兄の件をヒトラーに持ち込んでいますから、
ややこしい問題があるのは想像できるんですけどねぇ。。

KING GUSTAV V ON THE TENNIS COURTS.jpg

思っていたよりも面白いですねぇ。
この上巻の期間は「バルバロッサ作戦」の開始から、モスクワ侵攻が潰え、
前線の建て直しを図る・・という時期なわけですが、そのような軍事的な話はほとんどなく、
女性秘書らも同席する夜会でヒトラーの好きな、建築、音楽、美術、ローマ史の話になると
延々と続いたであろうことがよく伝わってきます。実際、そっちの話も多く、
本書では「繰り返される話」は割愛しているそうですが、
確かに聞き手に興味が無ければ睡魔との戦いが勃発してしまいますね。。
個人的には、運転手ケンプカその他の側近やナチ党古参党員などの話が楽しめましたが、
気が付くとまるでカイテルのように「落ちた」ことも3度ありました。。





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