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誰にも書けなかった戦争の現実 [USA]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ポール・ファッセル著の「誰にも書けなかった戦争の現実」を読破しました。

4年前にほとんど無意識で買っていた1997年発刊で485ページの本書。
自分でも「なんでこんなの買ったんだろ・・?」と目次をペラペラめくってみると、
第二次大戦時の英米軍の前線兵士の実態や、チョンボ集大成といった内容で、
改めて、「コリャ、面白そうだ」となりました。
まぁ、買ったときもまったく同じことを思ったんでしょうが・・。
著者は1944年のヨーロッパ戦線に従軍し、ブロンズスターを受勲するものの、
負傷して除隊・・という経歴の持ち主です。

誰にも書けなかった戦争の現実.jpg

「はじめに」では英米兵士の心理と感情を文化的側面から考察し、
異常に高まった欲求不満を解消するための手段も述べていることが書かれ、
18章から成る「目次」も、「味方を狙う兵士たち」、
「また誰かがドジを踏む」、
「学校で習った町々をぼくらは焼いた」、
「アルコールを浴び、性に飢える」、
「弾丸は睾丸にも当たる」など、興味深い章タイトルが列挙されていますが、
今回は本書全体から、特に印象に残ったエピソードを紹介しましょう。

Army troops on board a LCT.jpg

ナチス・ドイツとの「まやかし戦争」の真っ只中であった1940年4月、
イングランド東部の町にハインケル爆撃機が墜落して、ドイツ兵4名が死亡した事故。
女性たちがすすり泣くなか、ドイツ兵の死体は英空軍の制式軍葬の手順で葬られ、
勇敢なる敵に対し、「英空軍全兵士より」、「ある母親より、衷心よりの同情をこめて」
といった言葉と共に献花が添えられます。
この時点ではまだ第1次大戦の「レッド・バロン」リヒトホーフェンを埋葬したときと、
ほとんど変わらない雰囲気ですね。

この第2次大戦時の爆撃機による爆弾投下の精度の悪さを検証しながら、
1944年のノルマンディにおける「コブラ作戦」の援護爆撃によって、
味方の米軍に死傷者150名以上を出し、その翌日には再び米軍の頭上に爆弾が降り注ぎ、
マクネア中将を含む111名が死亡し、500名の負傷者が・・という有名な話を紹介します。

General McNair (left) and Maj. Gen. George S. Patton, Jr., Studying a Map.jpg

味方を殺すのはこのような作戦や通信の不備といった問題だけではなく、
兵士個人の恐怖心が主な原因にもなっています。
1943年のシチリア侵攻時の輸送機とグライダー23機が味方の対空砲によって
撃墜された件にも触れながら、カナダ軍爆撃機パイロットの証言も掲載します。
「素人同然の地上砲手たちはいつだって脅えてすぐ撃ってくる。
こちらが北から南へ800機もの編隊で飛んでいることなんかお構いなしにだ。
どんな馬鹿でも俺たちがドイツ軍でないことはわかりそうなものを・・」。

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識別ミスということでは兵士vs兵士のパターンもあります。
ノルマンディで戦ったカナダ人は「昔、米兵を殺っちまったことがある」と語ります。
「向こうが自分をドイツ兵だと勘違いして、どうしても殺そうとしていることが分かった。
本能的にこれは殺るしかないと思って撃った。殺るか殺られるかだった。馬鹿な奴だ」。

Normandy_Canadian Boys.jpg

またドイツ軍の拠点で捨てられていた軍服を見つけ、仲間に見せびらかせようと
そのドイツ軍の軍服を着込んでトーチカから出てきた英航空兵。
「不幸にも、彼の身振りは仲間に伝わらず、すぐに撃ち殺されてしまった」。

他にもパラシュートで落下してきた兵士が集まってきた人々に向かって外国語でまくしたてると、
それがドイツ語だと思った英国人たちは棒で叩き殺してしまいます。
しかし実はこの兵士は英空軍に所属するポーランド兵だったのでした。。

このような知られざるエピソード以外にも、1944年のノルマンディ上陸作戦の演習として実施され、
偶然に紛れ込んできたドイツ海軍のEボートの前に大混乱となった「タイガー演習」も紹介します。

Exercise Tiger_damage.jpg

兵士による「噂話」の類も実に豊富です。
ドイツ軍が流したにも関わらず、海外の英国兵に広く流布し、冷笑的に楽しまれた
「自分たちの妻や彼女が侵攻準備中の米兵に慰めを見出し、
夫の棒給があまりに低いので生活に困り、米兵相手の売春宿を始めた」というものや、
グレン・ミラーが死んだのは墜落ではなく、フランスの売春宿での喧嘩によるものだ」、
婦人部隊員たちが男たちをレイプして回るのがいくつかの基地では慣行になっている」、
北アフリカでは「ドイツ軍はサッカーボールを蹴っている人間は撃たない」というのは
まだホノボノしてますが、1944年になると
V-1ロケットを発射する度に爆風で死亡するドイツ兵が6人はいる」という
慰めの噂に変化します。

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そして1945年4月、パットンの司令部に「ドイツ軍が米軍の野戦病院を襲撃し、
患者に至るまで男は全員殺され、看護婦全員が強姦された」という報告が入ります。
しかし夜が明けてみると、死亡したのは将校1名と兵士2名と判明。
パットンは「夜の報告は真に受けてはならない。必ず拡張されている」と結論するのでした。
こういう「噂」が双方の怒りの捕虜虐殺に繋がっていくのは、容易に想像できますね。

軍隊用語もいろいろなバリエーションを詳しく紹介します。
特に「クソ(shit)」と、「ケツ(ass)」が含まれるものは無限に存在します。
牛肉の細切れのホワイトソースは「砂利のクソ和え」と呼ばれ、マスタードなら「赤ん坊のクソ」。
単に「移動せよ」は、「食堂へケツを運べ」ですし、「休むな」は、「ケツを動かし続けろ」、
「退去せよ」なら、「ここからケツをどけろ」、「勝手に休むな」は、
「愛と青春の旅立ち」でルイス・ゴセット・ジュニアがリチャード・ギアをシゴく時に
叫んでいたような、「誰がここにケツを置けと言った?」になるわけです。

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兵士への酒の配給も細かく書かれていますが、アルコール欲しさのあまり、
捕獲したV-1ロケットから燃料のメチルアルコールを取り出して飲み、
死んだ米兵が何人もいた・・という話は、日本やソ連軍でも起こっていますね。
そして大陸侵攻が近づくと、セックスが顕在化してきます。
ロンドンにはあらゆる年齢の売春婦が溢れて、兵士を公園に連れ込んだり、
ピカデリーの路上の暗がりで「壁立ち」や、「中腰」に応じるのでした。

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弟が戦死したり、当番兵が砲弾に当たって死んだりすれば、
両親やその家族、妻に手紙を書かなけばなりません。
ドイツ兵なら「総統のために・・」とか、「ボルシェヴィキと戦って・・」と書くことが出来ますし、
日本兵も「天皇陛下のために名誉の戦死を遂げた。家の誉れである」と書けばよかったものの、
米兵の場合にはそのようなイデオロギー面の問題があります。
「我々はどう言えば良いのか? 自由のためとでも言うのか?」。

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士気を高めるための命名や言い換えというのは、ほとんど必然のようでもあります。
ドイツ軍が戦車に獰猛さを感じさせるパンターやティーガーと名付けたのに対し、
中世の騎士道精神や防衛を主たる任務とすることを匂わせた米軍の傑作は、
B-17爆撃機「空の要塞」であり、英軍戦車も「クルセイダー(十字軍)」と
志の高い方へ向かうことがあると推察します。
ハンブルクが爆撃の被害を受けると英国の新聞の見出しでは
「ハンブルク、ハンバーガーに!」という洒落をお披露目するまでに・・。

hamburg hamburger.jpg

連合軍が士気にこだわった理由としては、その脱走率の高さを挙げ、
イタリア戦線だけで12000名が脱走し、そのうち2000名が英国兵。
米軍で確定している脱走兵19000名のうち、1948年までに発見されたのは、わずか9000名。

そんな戦時中にも映画が作られ、1943年にはハンフリー・ボガートの
「サハラ戦車隊」などが製作されます。
もちろんコレは政府による介入もあり、軍も使用する軍艦や戦車を使わせるために
予め脚本をチェックさせなければ協力しないと言って、内容を書き直させ、
立派な、勇気ある行動と成功といった作品にすることが出来ますが、
このようなことは戦中戦後だけではなく、1969年になっても「レマゲン鉄橋」で
ある部分をカットしなければ撮影に協力しないと言い出します。それは、
「ひとりのGIがドイツ兵の死体から双眼鏡と腕時計を外す」場面です。

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待機する兵士向けに胸ポケットに入る小さいペーパーバックの本が流行します。
軍の評議会によって決定された発行品目を見ると、
もちろん士気に影響を与える恐れがある本はNGです。例えば、
「西部戦線異状なし」、ヘミングウェイの「武器よさらば」など第1次大戦の幻滅を描いたもの、
両手足を失った兵士の苦悩を描く「ジョニーは戦場へ行った」に至っては問題外です。。
まぁ、ヴィトゲンシュタインが子供の頃にTVで偶然見てしまった「ジョニーは・・」は、
いまだにトラウマになっているくらいですからねぇ・・。
でも原作は一度、チャレンジしてみますか。。

Johnny_Got_His_Gun.jpg

そしてそんな手足がバラバラになった米兵の写真などというものは公式には存在しません。
しかし兵士たちは宣伝とは逆に、いざと言う時に頼りになる武器や装備が
ドイツ軍より劣っていることを知っており、性能の良いドイツ軍の軽量の機関銃、
ドイツ軍の戦車とモロに遭遇してしまったら、とても勝ち目がないこと、
この戦争の最大の武器といえば、ドイツ軍の88㎜砲であり、
世界最大の工業国を自任する米国に、これらの兵器がないことも知っています。

88pak.jpg

そのため、最前線では歩兵が腰に括り付けて運んでいた地雷に銃弾が当たり、
爆発によってその兵士の身体は頭と胸と下半身の3つに千切れ、
内臓が地面に四散するという現実が見過ごされがちなのです。
マーケット・ガーデン作戦に参加したパラシュート兵も、隣で降下している兵の腹から
腸が飛び出してブラブラ揺れている姿を目撃し、
ドイツ兵も「ディエップ奇襲」のとき、浜辺に打ち上げられたカナダ兵の
首のない胴体、腕、脚が散乱している光景を語ります。

Dieppe,_Landungsversuch,_tote_alliierte_Soldaten.jpg

ある師団では1/4の兵士が「恐怖心から嘔吐、あるいは便意をもよおしたことがある」と答え、
失禁の経験者が1割ということです。
そして「男らしさ」や「ガッツ」という概念からは、吐くのは許容できても、
失禁・脱糞となると、そうは大目に見られません。
この子供ような形で「恐怖心」を人前に曝け出してしまうことへの「恐怖心」は、
階級が上に上がるほど強くなり、砲撃を受けている最中に大佐が失禁するのは、
上等兵が失禁するより、遥かに大きな失態となるわけです。

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やがて恐怖心が狂気へと変わっていく将兵も紹介されますが、
「米国人がこの戦争でしたことのなかで最も胸が悪くなるもの」として紹介される例は、
沖縄戦での若い海兵隊将校の行動です。それは、
「死んだ日本兵にまたがり、死体の口めがけて放尿したのである」。

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思っていたより遥かに面白い1冊でした。
今回は端折りましたが、米国兵と英国兵との考え方や「Fuckワード」の使い方の違い、
比較対象となるドイツ兵以外にも、日本兵と太平洋戦争なども紹介し、
幅広く前線の兵士たちの苦悩を知ることが出来ました。
そろそろ、アントニー・ビーヴァーの「ノルマンディー上陸作戦1944」でもいきますかねぇ。



















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虐殺!アウシュビッツ -ユダヤ人集団殺害-戦慄の記録- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ワード・ラザフォード著の「虐殺!アウシュビッツ」を読破しました。

我が家の未読本棚に1冊だけ残っていたホロコースト物の本書は
いかにも第二次世界大戦ブックスらしく、実にオドロオドロしいタイトルです。
表紙も死体とおぼしき写真ですし、本文も写真タップリなシリーズですから、
読むのを躊躇っていましたが、勇気を振り絞ってペラペラ覗いてみると、
思っていたほどでもなし・・。
原著のタイトルもホロコーストではなく「ジェノサイド」。
どうやらアウシュヴィッツ絶滅収容所に限定したものとは一味違う、
ユダヤ人迫害の歴史から、ナチス・ドイツによる虐殺の過程を追及したものでした。

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第1章は「ユダヤ人迫害の歴史」として20ページほど勉強です。
紀元前11世紀のダビデ王のもとで建設されたイスラエル王国ですが、
自分の宗教の方が優れていると考える無礼な小国を我慢ならなかったのはローマ人です。
エルサレムから追放され、西ヨーロッパのユダヤ人はキリスト教徒から迫害されます。
十字軍の戦士たちによって虐殺され、中世のスペインではゲットー制度が始まり、
耐えられなくなったユダヤ人たちは東ヨーロッパと移り出します。
しかしポーランドとロシアの間で紛争が起こると、
ポーランドではユダヤ人はロシアに味方している言われ、
一方、ロシアではポーランドに味方していると言われて、結局、虐殺の憂き目に・・。

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再び、西を目指し、ドイツやフランスまで移動するユダヤ人ですが、
キリスト教会はユダヤ人を脅威と考え、誰からも歓迎されず、身を寄せ合って生きるのみ。。
19世紀には反ユダヤ主義が大きく広がり、第1次大戦の敗戦は
ドイツやオーストリアにとってさらに根深いものとなるでした。

こうして第2章「ヒトラー政権の台頭」へと進みます。
ヒトラーの反ユダヤ思想に触れ、「小柄で近視のババリア人」ヒムラーが紹介されます。
ココでは1ページフルフルのヒムラーのポートレートのような写真が出てきますが、
初めて見るものですねぇ。相変わらず、写真は素晴らしい。。
1933年にダッハウに「模範的な」強制収容所を開き、
秩序と規律がヒムラーらしく徹底されます。
鞭打ちや絞首刑をいかに行うか・・から、死刑執行人の労務に対しては
「ダバコ3本」が支給されるといった細かな規定です。。
また、SSに編成された看守部隊の名は「死人の首」部隊です・・。
もちろん「トーテンコップフ」、普通、和名では「髑髏部隊」ですが、これにはビックリしました。

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1935年には「ニュルンベルク人種法」が制定され、ナチス・ドイツでのユダヤ人迫害が、
政府の政策とも呼べるものになると、「水晶の夜」事件が発生し、
パリの暗殺者グリューンシュパンくんも登場しながら話は進みますが、
本書では彼はゲシュタポの手先ではなかったとしても、そそのかされて、
この事件を引き起こしたのであろう・・・としています。
まぁ、この事件もいろいろな説があるもんですねぇ。

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ドイツ、ポーランド、ルーマニアの3国は自国からユダヤ人を除きたいと世界に説明。
1938年7月、ルーズヴェルト大統領のイニシアチブによって
スイスで32ヵ国による会議が開かれるものの、
どの国も、ユダヤ人の子供でさえ引き取るつもりがない、と述べ、結論は出ず。。
ヒトラーはこの会議の失敗から、世界はユダヤ人の運命に対して、
極めて冷淡であると理解するのでした。

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フランス外相からは彼らの植民地である「マダガスカル」にユダヤ人1万人を移住させるという
有名な計画を考慮しているとも伝えられますが、
オーストリア併合によってナチスの支配下にあるユダヤ人は18万人であり、
ヒトラーの手に落ちたチェコでは30万人と膨大な数です。

追い出し作戦を能率よく行おうと、てきぱきと一生懸命に働くのは、
ユダヤ人問題の責任者アイヒマン
しかし高い代価を支払い、自由を求めて出国しようとするユダヤ人は、
時には直接SSに支払い、それは国家保安本部(RSHA)の腐敗した担当者のポケットに入って、
彼らは偽造した書類を渡すのです。

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「ユダヤ人虐殺の黒幕」として紹介されるのは、ラインハルト・ハイドリヒです。
オーストリア併合やズテーテンラント進駐時の「アインザッツグルッペン」の行動にも触れて、
黄色いダビデの星の着用、ポーランドへの移住、大量処刑、ゲットー
そしてヴァンゼー会議における「最終的解決」へ・・。

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しかしポーランドでは、クラクフのヴァヴェル城に陣取り、中世の王のよう振る舞う
SS嫌いの総督ハンス・フランクが自分の領地である総統府に
ユダヤ人を移住させることに激しく抗議。
ヒムラーとの対立はハイドリヒの計画を遅延させるのでした。

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また、同じくポーランドではルブリンのSS隊長で警察長官のグロボクニク
「アル中で嘘と誤魔化しにかけては天才的」と紹介されるとおり、
自分と同様に腐敗しているドイツ企業と手を組んで、ユダヤ人の強制労働によって
ひと財産を築きあげます。

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しかし、対ソ戦が始まると、再度、アインザッツグルッペンが大活躍・・。
オーレンドルフも登場し、酒飲みの建築家パウル・ブローベルが「大ガス室」を設計したと
紹介され、彼はキエフでの大虐殺にも関与します。
また、同盟国ルーマニアでも虐殺が始まり、あっという間に7000人のユダヤ人が死亡。
アントネスクは我々よりもずっと過激なやり方で問題を片づけている」と
ヒトラーも賞賛します。

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ハイドリヒがチェコで暗殺された後も、アイヒマンは命令を忠実に実行。
しかしオランダでは混血ユダヤ人8000人が追放の代わりに「断種」を申し出ます。
首尾よく行われた「断種」手術を聞かされたアイヒマンは怒り心頭です。
彼の任務は全ヨーロッパのユダヤ人を東の強制収容所へ移送することなのです。
ワルシャワのゲットーもシュトロープによって駆逐され、生き残った者はトレブリンカ送り。

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金持ちや著名なユダヤ人は、まず中継収容所であるテレージエンシュタット収容所へ
送られるわけですが、本書ではこの収容所で発行された「紙幣」が載っていました。
こんなの初めて見ましたねぇ。。

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こうして後半の第6章になって、本書のタイトルである「アウシュビッツ」が・・。
所長のルドルフ・ヘースもなかなか詳しく紹介され、
3つの離れた収容所から成り立っていたことなどにも触れられます。

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そしてフランス、オランダ、ベルギー、ノルウェーのユダヤ人の運命の他、
デンマークでは、そのナチスの政策が失敗した理由として、
クリスチャン国王の勇敢な態度を挙げています。
それは、「ダビデの星を付けさせようとするのであれば、
私と宮廷は真っ先にそれを付けるであろう」と語り、
コペンハーゲンのユダヤ教会の儀式にあえて出席する・・といった行動です。
この話も初めて知りましたが、とても印象的でした。

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最後はソ連軍の迫るポーランドの絶滅収容所からの撤退と、
ユダヤ人を身代金としての交渉に臨むヒムラーの哀れな姿。。

ダッハウのガス室の写真など、現在、一般的にはガス室はなかったとされている
強制収容所についても、その存在を肯定している本書でしたが、
まぁ、古い本なのでここらへんは軽く流してOKでしょう。
というわけで、最新のホロコースト研究書ではもちろんありませんが、
古くからのユダヤ人迫害の歴史から、ナチスの崩壊までをコンパクトにまとめた1冊で、
まさに原題どおり、ジェノサイドの入門編といったところでした。

ちなみに最新のホロコースト研究書ということでは、
「ホロコースト・スタディーズ: 最新研究への手引き」という本がつい最近、出ました。
様子を見ながら来年にでも読んでみようかと思います。





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ベリヤ -スターリンに仕えた死刑執行人 ある出世主義者の末路- [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴラジーミル・F. ネクラーソフ編の「ベリヤ」を読破しました。

9月の「スターリン―赤い皇帝と廷臣たち」で、スターリンに負けず劣らずのベリヤの強烈さを知り、
ベリヤ本を物色していたところ、神保町の古書店で本書を1800円で発見。
1997年発刊で、ソフトカバーながら上下2段組、365ページ、定価3000円の大作です。
amazonでは、なんと9500円という値段が付いていますが、レア本なんですかねぇ。

ロシア語の原著は1991年、本書は翌年のドイツ語の翻訳で、
ネクラーソフ編となっているように、編者はモスクワ大学の歴史学教授で、
本書には様々な人物の書いたベリヤに関する回想、論文、記録が収められています。

ベリヤ.jpg

第1部は「出世の道程-ベリヤの横顔・素描」と題して、ベリヤの生い立ちから死までを
エジョフ時代に父を粛清され、その後任、ベリヤによって1943年に逮捕された経験を持つ、
オフセーエンコという人物が紹介します。

スターリンと同じグルジアの出身であるベリヤがスフーミ市内の学校で起きた盗み、
密告の類で係わらなかったものは1件もなく、子供の頃から
「下劣さと卑劣さが彼の身上であった」と書かれているほどです。
例えば、生徒の成績簿が入った鞄を盗み、、担当教師を解雇に追い込む・・。
もちろん、代理人を通して、成績簿を売りつけようと、ちゃっかり図ったり・・。

第1次大戦中の1917年に軍に招集されますが、半年後には健康上の理由という
公の認定をもらってうまく除隊。1919年、20歳のときにボルシェヴィキ党に入党しますが、
後に彼はこの記録を1917年に繰り上げます。
特に何年生まれという記述はありませんでしたが、1899年生まれなんですね。
よく比較されるヒムラーの1つ年上です。
ともあれバクーにあった党のカフカス支部の書記という地位から、彼の出世街道がスタートします。
翌年には秘密警察チェーカーの副議長となり、1923年にはグルジア・チェーカーの
秘密工作部隊を指揮する立場に・・。
そしてアゼルバイジャンとアルメニアを含めた南カフカス・チェーカーの最高位に就き、
モスクワへの飛躍の踏み台のために必要な、この地方の党委員会第1書記の地位も狙うのでした。

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1936年アルメニアの中央委員会書記のハンジャンを自分の執務室で射殺し、自殺したと発表。
大粛清」が始まると、人望の高かったアブハジア自治共和国人民委員部議長のラコバが
ベリヤ宅で食事をした後に急死。。ラコバ未亡人は拷問の末、死亡。。
このスターリンの地元での活躍により、スターリンの憶えもめでたく、
スターリンが各地の別荘で休暇を過ごす際には同伴者、または警護者として過ごすことに・・。

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湖を目指す高速艇が湖畔に辿り着けば、一発の銃声が鳴り響きます。
さっと立ち上がり、スターリンの身をかばったベリヤ。
しかしこのようないくつかの暗殺未遂事件は、ベリヤの演出によるものですが、
もちろん大いに点数を稼ぎ、スターリンの信頼は不動のものになるのです。

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1938年、スターリンの執務室でベリヤはNKVD長官の粛清マシーンであるエジョフと会談。
エジョフは「君が裏切り者であることを暴露する証拠を所持している。
だから職務に従って、君を告発しなければならない」を宣言しますが、
調停役の仮面をつけたスターリンは、「いろいろあるが、同志ベリヤを信用している。
内務人民委員の第1代理に推薦したい」と語り、
ジェルジンスキー、ヤーゴダ、エジョフなどは結局のところみなアマチュアであり、
内務人民委員部にはプロが必要であると考えているのです。

Lavrenty Beria, Nikolai Yezhov and Anastas Mikoyan.JPG

ハサン湖事件(張鼓峰事件)で日本軍と戦ったばかりのブリュヘル元帥を日本のスパイとし、
シベリア東部を日本に併合すると画策しているとして、逮捕。
ベリヤ直々の監督を受けた4人の取調官によって16日間に渡り、拷問が繰り返され、
自白を強要されます。
その姿は「何度もトラクターに轢かれたような感じ」であり、
ブリュヘルは「なんでこんなことまでするんだ」と眼球のなくなった目を指さします。

Vasily Konstantinovich Blucher.jpg

1940年、ヒトラーの対ソ攻撃準備が始まりますが、参謀本部の偵察総局長のゴリコフは、
「英国の謀略」であるとスターリンに報告します。
しかし、この事態を憂慮した情報部長のノヴォブラネツは客観的な情勢報告を作成し、
赤軍幹部全員に送付。
ヒトラーの友好的な確約があるときに戦争の危機を吹聴するとは何事か・・と、
メレツコフ参謀総長が解任され、「ベリヤの保養地」と呼ばれる特殊拘置所送りに・・。

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「誤った情報を流す有害な諜報員どもは、ドイツとの仲違いを企む、国際的挑発者の共犯者として、
強制収容所に入れて、無害化しなければならない・・」と、1941年6月21日に書き込むベリヤ。
スターリンに届けられた情報はルビヤンカを経由していたことから本書では、
「ヒトラーの意図を見抜けないまま、誤った情報解釈に耽った最大の責任者は、
スターリンの寵児、ベリヤだったのである」としています。
そしてスターリンに承知させて、英雄的行為を行ったゾルゲが日本で処刑されるのを
救おうとはせず、ゾルゲの近親者も弾圧します。

Lavrentij Berija afgiver sin stemme ved valget i Georgien i 1938.jpg

ドイツ軍の攻撃を喰らったパヴロフ将軍とクリモフスキフ将軍は銃殺。
航空偵察長ズブイトフがモスクワへ敵が接近していると説明すると、
ベリヤは彼を「挑発者」と呼んで、他の偵察将校らと一緒くたに逮捕。
戦々恐々となったソ連の将軍たちがこんな悪条件の中で、どのようにして
戦闘を遂行できたかは永遠の謎として残るだろう・・として、
著者は、「大量の自国民を粛清した後、スターリンとその手下たち・・
モロトフ、ベリヤ、マレンコフ、ジダーノフなど・・は、
全軍団を確実な死に追いやった」としています。

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本書の例でも何人もが発狂する刑務所の「独房」の様子に、強制収容所にも触れています。
ひとつ紹介すると、プロの泥棒が一家の財産すっかり盗んでも、最高1年の禁固刑だったこの時期、
国家財産の窃盗は、ささいな窃盗でも5年です。空腹の子供のために
コルホーズからトウモロコシを数本盗んだ母親が5年の収容所行きになるわけですね。

Kolkhoz 1934.jpg

やがて戦争も終わり、スターリンも死を迎え、後継者を自負するベリヤ。
しかし過小評価していたフルシチョフに出し抜かれて逮捕され、
特別法廷によって死刑判決を受けるのです。
そこではベリヤに凌辱された女性たち長いリストが・・。
そしてここに載っている2/3の女性は、いまの政府官僚の妻たちなのでした。

Лаврентий Павлович с женой Ниной Теймуразовной.JPG

と、ここまで130ページがラヴレンチー・ベリヤ伝です。
写真も一切なしで上下2段組みですから、なかなかのボリュームで
これだけで1冊の本として成り立ちますね。
次は第2部「スターリンの犯罪を執行した男」として、数ページ毎に、
さまざまな証言者によって語られます。

そのうちの一人はベリヤによって暗殺されたラコバの孫です。
部下のベリヤに食事に招かれ、その後、「あの陰険なベリヤのヘビ野郎に一服盛られた・・」と
何度も語り、心臓発作により享年43歳で死亡と発表されますが、胃や肝臓、脳髄など
すべての内臓はベリヤの医師によってすべて摘出され、喉仏さえ切り取られていたそうです。

Stalin Beria Lakoba.jpg

それから、メキシコでトロツキーを暗殺したモルナールの弟、ルイ・メルカデールのインタビュー。
そして「カティンの森」でのベリヤの関与。
また、スターリンの死後、ベリヤと共に「悪党2人組」と呼ばれていたマレンコフを
閣僚会議議長に推薦し、自分はマレンコフによって
第1副議長に任命される・・という戦略なども詳しく解説してくれます。

1953 Beria,  Malenkov & Voroshilov.jpg

第3部「犠牲者と同時代人の回想」では、サッカー好きのベリヤの話が出てきました。
スパルタク・モスクワの名選手が語るところでは、1939年のソ連邦杯、準決勝で
ディナモ・トビリシを撃破し、決勝でもザーリャ・レニングラードを破って優勝したものの、
その1ヵ月後、党中央委員会からディナモ・トビリシとの準決勝をやり直すことを命ぜられます。
「決勝の後で準決勝をやり直すだなんて、一体、どこの世界にそんなこがあるのです」と抗議するも、
「ディナモ」は内務省のチームであり、「トビリシ」はグルジアの首都ですから、
この世界ではあり得るのです。
そしてその結果はまたしてもスパルタクの勝利に終わり、憤懣やる方なく椅子を放り投げて
競技場を去っていくベリアに、この名選手は逮捕されるのでした。

ちなみにこのグルジアはトビリシ出身の有名なスポーツ選手と言えば、
この人・・200kgの巨体で空中戦を挑む、「臥牙丸」でこざいます。

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第4部は「逮捕」です。
この件についてまず書くのはフルシチョフ。
ベリヤを危惧して、そのベリヤと仲の良いマレンコフに、ブルガーニン、
モロトフにヴォロシーロフ、カガノーヴィチに、個別に計画を打ち明けるフルシチョフの策謀と、
逮捕の瞬間、そしてベリヤが「自分は誠実な人間です」と慈悲を乞う手紙を紹介します。

続いての証言者はベリヤを逮捕したジューコフ元帥です。
興奮気味の国防相のブルガーニンにいきなり呼びつけられ、「これからクレムリンに来てもらう」
というシーンから始まり、隣室で刻一刻とその時を待つ緊張感・・。
これは1990年に改訂された彼の回想録からの抜粋のようですね。

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最後の第5部は「法廷」です。
1953年12月18日から23日まで非公開で行われた裁判の記録と、
調書からもベリヤとのやり取りを紹介します。
裁判長はコーネフ元帥で、ベリヤの長年の部下である、
メルクーロフ、コブロフ、ゴグリーゼ、そしてあのデカノゾフも裁かれます。
もちろん彼らは自らの罪をボスであるベリヤに着せようと、その発言は辛辣です。
そして全員に死刑の判決が下されるわけですが、その罪状の中には
1941年秋、スターリンの命を受けたベリヤが、ヒトラーに戦争終結の条件を打診しようと試みたとか、
ドイツ軍の南カフカス侵攻を可能にするため、カフカス山脈の防衛体制を弱めさせた・・
というものまであるそうです。

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逮捕を実行したモスクワ地区空軍防衛司令官のモスカレンコ将軍の回想では
クレムリン内の警備員に合図を送ろうと何度もトイレに行かせてくれとせがむベリヤが実に厄介で、
日が暮れてから、数台の自動車で軍刑務所へ連行することが出来たという、
ナチス・ドイツでいえば、SS警備兵がいる中で国防軍がヒムラーを逮捕したようなものだと
その危険極まる状況も理解できました。

非常に面白い構成の本でした。
ベリヤの生涯は第1部で理解でき、それ以降は時系列でエピソードを紹介するといった感じですが、
部分的に重複箇所はあるものの、ベリヤの全てを網羅している気がしました。

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結局のところ、このベリヤという人間は、権力に憑かれた人間であり、
のし上がるためには、自分を引き立ててくれた義理のある人物だろうが、
謀略を働いてあの世送りですし、共産主義者としてのプライドもなく、
あくまでスターリンの庇護を受けたNo.2の座を求めた人間で、
ヒムラーと比較するとすれば、彼が個人ではなく、SSという自分の率いる組織の地位を
上げようとしたのに対し、人々の虐殺についても、ベリヤが自らの手を下し、
好みの女性は少女から拉致して強姦、拒めば殺害・・という
ヒムラーが聞いたら卒倒しかねない人物です。
あえて言うならヒムラーよりも、ゲーリング、ゲッベルス、ボルマンにハイドリヒ、
さらにシュトライヒャーの変なところを足したような恐るべき人間ですね。

もう1冊のベリヤ本である「ベリヤ―革命の粛清者」も読むつもりでしたが、
結構お腹いっぱいになってしまいました。





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