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死闘ケーニヒスベルク -東プロイセンの古都を壊滅させた欧州戦最後の凄惨な包囲戦- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マクシム・コロミーエツ著の「死闘ケーニヒスベルク」を読破しました。

今回でやっと5冊目となった「独ソ戦車戦シリーズ」からの1冊です。
1945年初頭のケーニヒスベルクの戦いは、今まで何冊かの主に最終戦モノに書かれていました。
そしてこの東プロイセンというのは、ソ連軍がはじめてドイツ本土に侵攻し、
その後のベルリンを凌ぐほどの暴虐の限りを尽くしたとも言われており、
また、シュタウフェンベルク大佐が仕掛けた爆弾が破裂したのも、
この東プロイセンにあった総統大本営「ヴォルフスシャンツェ」だったことでも有名ですね。

死闘ケーニヒスベルク.jpg

第1章は「独ソ双方の兵力と計画」で、1945年初頭のソ連軍による東プロイセン計画と
防衛体制を敷くドイツ軍を細かく分析します。
西へ主攻勢を取る第3ベロルシア(白ロシア)方面軍は第2親衛軍を含む5個軍から成り、
方面軍司令官はチェルニャホフスキー上級大将です。

soviet-280mm-artillery-east-prussia-january-1945.jpg

コレ対するドイツ軍中央軍集団は第3装甲軍と第4軍で総兵員数は20万人。
このなかには精鋭の降下装甲擲弾兵師団「ヘルマン・ゲーリング2」や
第5装甲師団など16個師団ですが、国民擲弾兵師団や警察連隊といった部隊の名も。

German soldiers in Königsberg with a MG 151 20 gun. The winter of 1945.jpg

また南からは第2ベロルシア方面軍が北西に進撃します。
こちらに対してもホスバッハ大将の第4軍と、ヴァイス大将の第2軍が対峙。
第2章では準備状況を説明して、第3章で1月13日の「ソ連軍攻勢開始」です。
しかし、この攻勢を予期していたドイツ軍は、40個大隊に上る砲兵によって
強烈な先制攻撃を仕掛けるのでした。

Friedrich Hoßbach.jpg

それでも兵員数、装備に圧倒的に勝るソ連軍は攻勢を進めます。
写真も撃破されたパンターや突撃砲などが登場してきますが、
必死の防戦でソ連軍の進撃も失速。

Танк ИС-2 преодолевает бетонные противотанковые.jpg

相変わらずこのシリーズはソ連側は異常に詳しく書かれているものの、
ドイツ軍側はやや大雑把だぁ・・と思いながらも日本の「監修者注」も合わせて読んでいましたが、
40ページほど読んで、第5装甲師団は1月15日だけで敵戦車40両、
翌日は84両を撃破・・と報告し、ハイマン少尉は単独で敵戦車25両撃破して、
騎士十字章を授与されたとなると、この情報の細かさに思わず表紙の「監修者」を確認・・。
するとソコには「高橋 慶史」氏の名前が。。
なるほど~。完全に「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」並みの書きっぷりでした。

east-prussia-A Panther from the 31st Panzer Regiment of the 5th Panzer Division.jpg

第2ベロルシア方面軍の攻勢に立ち向かうのはグロースドイッチュランド師団です。
しかしその抵抗も打ち砕かれ、バルト海に進出するソ連軍。
ココでも撃破されたグロースドイッチュランドのティーガーの写真に、
表紙の沼に沈み込むⅣ号突撃戦車ブルムベアの別角度の写真が登場。
このブルムベアもグロースドイッチュランドのようですね。

2月にはソ連軍の手に落ちたエルビングの大規模な修理工場の写真や
鹵獲された対戦車砲、そして綺麗に山積みされたモーゼル98Kの写真が印象的でした。
いったい何丁あるのかなぁ。1000丁以上は軽くあるように見えますね。。

После боя в районе Кенигсберга - StuG III G.jpg

第25フォルクスシュトルム大隊(国民突撃隊)というのも登場しますが、
「監修者注」では大管区ごとに編成された国民突撃隊は、
その大管区の番号が付与されているということで、
この第25は「東プロイセン国民突撃隊」となるそうです。
いやいや、とても勉強になりました。

TiburzyErnst_Deutscher Volkssturm Bataillonsführer from Königsberg.jpg

第3ベロルシア方面軍の進撃の前に第4軍のホスバッハは、独自の判断で退却し、
西プロイセンに撤退中の第2軍と合流すると中央軍集団司令官ラインハルト上級大将に報告。
ラインハルトもヒトラーの承認を受けないままに同意すると、
コレを知ったヒトラーによって2人揃って罷免・・。
レンドリックとフリードリヒ=ヴィルヘルム・ミュラー大将が後任となるのでした。

Friedrich-Wilhelm Müller.jpg

そして「第4軍は逃げようとしているが、私は国民突撃隊を伴って、東プロイセンを死守する」と
威勢の良い報告をヒトラーに送ったガウライターのエーリッヒ・コッホ
ケーニヒスベルクが包囲されるやいなや、高速ボート数隻に家財道具一式を乗せ、西方へと脱出。。
実はワリと有名なこんな2つの話も、書かれているのはやっぱり「監修者注」なのです。

Koch Königsberg, 27. Deutsche Ostmesse, Ausstellung.jpg

古都ケーニヒスベルクへの近接路は、1932年から数々の要塞地帯が構築されています。
それらを攻撃、壊滅させながら、「本丸」ケーニヒスベルク要塞へと向かうソ連軍。
ソ連空軍によって破壊された装甲列車の写真も登場しつつ、
この要塞を残すだけとなり、第2ベロルシア方面軍はお役御免。
しかし第3ベロルシア方面軍司令官チェルニャホフスキーがメルザス地区で重傷を負って死亡。
方面軍司令官ともあろう者がドコにいたのか・・? 以前から不思議に思っていましたが、
本書でも「壮絶な戦いで・・」と書かれているだけでした。

chernyakhovsky.jpg

こうしていよいよ117ページからケーニヒスベルク要塞へ・・。
市の中心から8~15キロのところに外環状防衛戦が走り、
その内側6~8キロに第1防御線が配されています。
鉄筋コンクリートのトーチカなどで築かれた15個の堡塁は、それぞれ名前が付けられ、
「フリードリッヒ・ヴィルヘルムⅠ世」や「グナイゼナウ」など実に強そうな堡塁です。
そして市の周緑を走る第2防御線、さらに中心部である旧市街を囲む第3防御線から成っていて、
要塞図にトーチカ、古城の角塔の写真も掲載されており大変、結構です。

A destroyed German Stug 3 lies near the Kronprinz Barracks. April 1945. The barracks were one of the strongest German fortifications in Koenigsberg.jpg

4月6日、ソ連軍攻撃開始。
本作戦のために全ソ連空軍の1/3が集められたという、圧倒的な空爆。
そして砲兵に戦車、歩兵が突入。
本文ではケーニヒスベルクのドイツ軍守備隊は10万名としていますが、
例の信憑性の高い「監修者注」では多めに見積っても3万5千名としています。
その結果、要塞司令官のラッシュ将軍は4月10日には降伏。
そのラッシュ将軍のコメントも掲載されていました。

German POW in Koenigsberg. April 1945.jpg

とにかく、このシリーズはソ連側から見た独ソ戦車戦ですが、
本書は訳者あとがきにも述べられているとおり、高橋 慶史氏のドイツ軍に関する
徹底した情報が過去に読んだシリーズとは一線を画していました。
すなわち、本文で戦局の状況を攻撃するソ連軍中心で理解しつつ、
ドイツ軍ファンは同ページにある「監修者注」で、ドイツ軍の耐えっぷりをマニアックに楽しむ・・
ということですね。

Battle of Königsberg.jpg

また、このあとがきでは、念願の東プロイセン北部を占領したソ連は、
ドイツ人住民ほぼ全員を強制退去させ、自国から50万人を移住させて「カリーニングラード」へ改名。
この土地を帝政ロシア時代から憧れだったとして、プロイセンとロシアの歴史と因縁。
さらにケーニヒスベルク王宮にあった「琥珀の間」は、ソ連軍が奪還すべく突入した時には
忽然と姿を消し、現在もその行方知れず・・という話も紹介します。
この話、好きなんですよねぇ。コッホが持ち去ったとか、いろいろ説がありますが、
「ロシアの秘宝「琥珀の間」伝説」という本も以前から読んでみようと思っています。

Amber Room.jpg

そもそも攻城戦というのは個人的に好きなテーマであり、
ケーニヒスベルク要塞が、ココまでちゃんとした要塞だったというのも、
本書の写真を含めて改めて理解できました。
こうなったら、ぜひ、守備側のドイツ軍から描いたものを読んでみたいですねぇ。
ですが、その前に高橋 慶史氏の「ラスト・オブ・カンプフグルッペIII 」が遂に
今月の26日に発売になるので、当然、コッチです。速攻、買いますよ!







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