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第三帝国の興亡〈2〉 戦争への道 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ウィリアム・L.シャイラー著の「第三帝国の興亡〈2〉」を読破しました。

第2巻は1933年、ヒトラーが政権を取った「第三帝国における生活」から始まります。
特にカトリックが迫害され、第1次大戦時のUボート艦長からプロテスタントの有名な牧師となった
マルティン・ニーメラーや、ヒトラー崇拝者のルートヴィッヒ・ミュラー牧師、
そしてプロテスタントの偉大な創設者、マルティン・ルターが熱烈な反ユダヤ主義者であり、
4世紀をへだてて、この影響がヒトラー、ゲーリング、ヒムラーによって実行された・・という話は、
著者もプロテスタントなだけに、かなり込み入った展開です。

第三帝国の興亡〈2〉.jpg

「頽廃芸術」の烙印を押されたのは、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンピカソ・・。
1937年、ヒトラーはミュンヘンに「ドイツ芸術の家」を開館し、900点の作品の最後の選択に
ヒトラー自身が当たりますが、実際に入館した著者によれば
「どこの国でも見たことないような愚劣なガラクタ揃いだった」。

Haus der Deutschen Kunst.jpg

しかしゲッベルスが人民に示すためにシャガールなどの近代絵画を展示した
「随落した芸術展」は大入り満員で、腹を立てたゲッベルスは間もなく閉鎖してしまいます。。
ちなみに ↓ はその頽廃芸術を鑑賞して唖然とするヒトラー・・の図です。

Adolf Hitler-Entartete Kunst-Ausstellung.jpg

活発になったヒトラー青年運動も、著者の見たままを語っているのが面白いですね。
女の子たちが所属するBdMでは18歳のなると、農園での1ヵ月間の奉仕義務があります。
しかし農家で妊娠してしまう娘や、近くに設けられている青年キャンプも妊娠問題の原因でもあり、
婦人指導者たちもドイツのために子供を産む義務について、
「やむを得ない場合は結婚しないでも良い」と説いていた・・。

BDM_in_der_Landwirtschaft.jpg

そして金持ち貴族から労働者の家庭で育った都会の若者が、6ヵ月間の労働奉仕を一緒に行い、
筋肉労働の価値を知ることは良いことであり、健康的であったことは否めず、
信じられないほどのダイナミックな青年運動であったと認めざるを得ないとしてます。
それは1940年5月、日焼けして凛々しいドイツの兵隊と、2つの戦争の間、
無責任に放置していた、なで肩で青ざめた顔の英兵捕虜が好対照であった・・とし、
ドイツ軍に占領されたパリジェンヌが「ドイツ軍兵士は格好良かった」と語っていたのも
まんざらウソではないように感じました。

Thousands of young men flocked to hang upon the words of their leader.jpg

さらに「歓喜力行団」KdFの話も詳細で、「国民車」ことフォルクスワーゲンにも言及。
米国が5人に1台の割合で保有している自動車ですが、ドイツでは50人に1台持ってるだけ・・。
990マルクで買える自動車をポルシェ博士の監督下に設計し、
年間150万台の世界最大の工場建設にも着手して、「フォード以上だ」と総統はご満悦。。
労働者は毎週5マルクを前払いし、750マルクで注文番号票が受け取れるシステムですが、
結局、ただの1台も購入者には渡らず、フォルクスワーゲン工場は陸軍のために量産するのでした。

Volkswagen cars as KdF.jpg

また、ヴィルヘルム・グストロフ号ロベルト・ライ号の2隻のクルーザーが
べらぼうに安い費用で休暇旅行に・・。著者シャイラーも参加したそうですが、
「船上生活は拷問に近いまで規律化されていたが、ドイツの労働者たちは、結構楽しそうだった」。

Gustloff.jpg

ヴェルサイユ条約で制限されていた10万人陸軍は、ヒトラーによって36個師団、50万人と拡大。
しかしこの数字は、もっと小さい陸軍から出発したい参謀本部には相談もされず、
ラジオで知ることに。。フォン・マンシュタインは、「相談を受けたならば21個師団を提案しただろう」。
こうしてラインラント進駐・・、その行動における国民投票で98.8%の承認を得ますが、
あの爆発事故で有名なツェッペリン飛行船「ヒンデンブルク号」で各都市を巡航したゲッベルスは
「船中の賛成票42票」と発表。しかし乗員は2票足りない40名しかいないのでした・・。

Hindenburg1937-hanger.jpg

ここからヒトラーの軍事を絡めた政治戦略へと続いています。
「無能で怠け者で自惚れが強くて傲慢でユーモアが無くて、そのような地位を与えたのは
ゲーリングが言うように、この上ない間違いだった」と紹介されるのはリッベントロップですが
1937年、ヒトラーが密かにオーストリア侵攻を打ち明けた時の外相はノイラートです。
国防相ブロムベルクと陸軍総司令官のフリッチュの3人は、このような戦争と破滅の危機に反対。
やがてこの3人はその地位から追われることになります。

Hitler,Blomberg,Fritsch.jpg

まずはブロンベルクの再婚の奥さんが売春婦であったとして、次にフリッチュが同性愛者として・・。
ついでに陸軍上層将官連、ルントシュテット、レープ、ヴィッツレーベン、クルーゲクライスト
16名は指揮権を解除され、その他44名はナチズムに対する献身の熱意が足りないと転任。。
外相ノイラートもリッベントロップと交代させられ、外交、軍事は反対者が一掃されるのでした。

ちょうど真ん中から、1938年のオーストリア併合(アンシュルス)が始まりますが、
ヒトラーがオーストリア首相シュシュニクをベルヒテスガーデンに呼び出して恫喝し、
それに抵抗するシュシュニクが「国民投票を実施する」と言い出す展開は
今まで読んだことがないほど詳細でした。

Schuschnigg.jpg

コレは前年の終わりに本拠地をベルリンからウィーンに移していた著者という偶然もあって、
当時、占領される側からこの「強奪」を観察することが出来たということですが、
本書でも語っているとおり、だからと言って全てを見たどころか、実際に知ったことの少なさに
驚いていて、本書の記述のほとんどは1945年以降の証言、証拠に基づくとしています。

ということで、シュシュニクの実施しようとした国民投票も、1933年以降独裁的だったオーストリアは
ヒトラーが行っていたものと比べても民主的ではなく、国民に4日間の予告が与えられただけで、
反対党のナチスや、そのナチスよりシュシュニクの方が害が少ないとする社会民主党も
宣伝戦を行う準備も出来ず、シュシュニクに勝利をもたらすことは疑問の余地がなかった・・と
公平な書き方ですね。

Nazi Propaganda Postcard-Anchluss of Austria.jpg

結局、併合されたオーストリアが「オストマルク」となると、ヒトラーとドイツ軍だけではなく、
SSのヒムラーハイドリヒもやって来て、ユダヤ人を片っ端から逮捕。
何万人もドイツ国内の強制収容所に輸送するのは面倒なことから
マウトハウゼンに巨大な収容所を設置します。
ルイ・ド・ロートシルト男爵は、銀器や絵画が豪華な邸宅からSSによって運び出され、
その製鉄工場をヘルマン・ゲーリング工場に引き渡し、ようやくウィーンから出ていく許可が・・。
また、逮捕されたシュシュニクの運命も印象的です。

Himmler in Graz, Austria during Hitler's Austrian election campaign, April 1938.jpg

ゲシュタポのでっち上げと判明したフリッチュ事件は、このアンシュルスが起こったことで
ウヤムヤにされていましたが、免職となったフリッチュはゲシュタポの首領に決闘状を・・。
参謀総長ベックが厳格な軍の名誉律に則って書き上げ、先任陸軍将校である
ルントシュテットに提出。しかしSSの隊長に手交するのに逃げ腰となったルントシュテットは
何週間もそれをポケットの中で温めた挙句、しまいには忘れてしまうのでした。。

Hitler von Rundstedt.JPG

気を良くしたヒトラーの次なるターゲットはズデーテンラントです。
コレもいろいろな本を読んできましたが、本書では100ページ以上当てていて知らない話も・・。
特にチェコスロヴァキアの軍事力とフランスの介入を危惧するベック率いる参謀本部が
「ヒステリーの元首が腹立ちまぎれに大きな戦争の危険を冒しており、
このままではドイツは破滅する」とヒトラーの逮捕と裁判を計画する件は随所に登場します。

Ludwig August Theodor Beck.jpg

戦争準備をやめるようにヒトラーに最後通牒を突きつけ、将校団のストライキを行えば・・と
考えるベックですが、フリッチュの後任、ブラウヒッチュと将校連にはそんな勇気はありません。
参謀総長と総司令官が揃ってヒトラーに辞表を提出しようとするも、
熱狂的なナチの奥さんの影響を受ける陸軍総司令官は
「俺は軍人だ。従うのが義務である」と語り、ひとり辞任した参謀総長ベックは
「ブラウヒッチュは私を見殺しにした」とつぶやきます。

Milch,Keitel,Brauchitsch,Raeder.jpg

ベックの反乱の意思を引き継いだ新参謀総長のハルダー
彼らの計画のキモは、3人の陰謀者が重要な部署の指揮権を持っていることです。
ヴィッツレーベンは首都ベルリンを含む最重要の第3軍管区司令官であり、
ブロックドルフ=アーレフェルトはポツダム駐屯部隊の司令官。
そしてチューリンゲンの装甲部隊を指揮するヘプナーは、
ミュンヘンからベルリンの救援に赴こうとするSS部隊を撃退できる立場です。

von Witzleben.jpg

しかしハルダーはヒトラーが攻撃命令を出すと、直ちにこれを打倒する中心人物でありながらも、
参謀総長たるもの、そのチェコスロヴァキア侵攻作戦計画を立てなければならず、
その説明を聞いたヒトラーに計画をズタズタに引き裂れては、
臆病と軍事的無能をこき下ろされると、不愉快な立場に置かれることとなる・・
という、実に摩訶不思議な状況です。

Generaloberst Franz Halder.jpg

西の壁、ジークフリート線も視察し、チェコと協定を結んでいるフランス軍の侵攻に備えるヒトラー。
実はソ連もチェコと協定を結んでいますが、まずフランスが軍事介入したら・・という条件付き・・。
口やかましいアダム将軍に西部軍の指揮全体を任せつつ、9月には陰謀組の2人、
ベックとハマーシュタインが退役から呼び戻され軍団司令官に・・。
この理由は今までナゾのままで、本書でも残念ながら書かれていませんが、
この一世一代の大作戦の前に、信用できない将軍だろうが全員動員しようとしたんでしょうか?

Hitler and Heinrich Himmler inspect the West Wall (Siegfried Line) in August 1938.jpg

一方、英首相チェンバレンが和平のためにヒトラーの元を訪れ、
最終的にムッソリーニとダラディエも交えた4ヵ国首脳のミュンヘン会談が行われ、
ズデーテンラントがドイツに引き渡されるまでも詳しく書かれていますが、
3ヶ国語を操る「不撓不屈の通訳官シュミット」の記録も多用しています。
それにしても「不撓不屈」って書いてある本、初めてです。まさに通訳界の横綱ですね。

chamberlain_mussolini_paul_schmidt_hitler.jpg

初めてといえば、外務次官ヴァイツゼッカーも、「ヴァイツゼッカー男」と書かれていて、
最初は脱字と思ってましたが、3回も4回も出てくると、「あ~、これは男爵のことなのね・・」。
伯爵の時には「○○○○伯」というのがありますからね。。

最後には「ミュンヘンにおける英仏の降伏は必要だったのだろうか?」と検証します。
OKW長官カイテルニュルンベルク裁判で、「軍事的見地からすると
チェコの国境要塞を突破する攻撃手段を欠いていました」と証言し、
マンシュタインも当時の情勢を同じ場で証言します。
「戦争が勃発していたなら、東西国境を防衛することは出来なかったでしょう。
チェコが防戦したならば、その要塞によって食い止められたことにはいささかの疑いもありません」。

The Czech crisis of 1938.jpg

政治的な話は思いっきり割愛しましたが、過去に読んだヒトラー中心ではなく、
このように裏で激しく動いていた軍事クーデター計画の様子と、
果たしてヒトラーは武力に訴えるつもりはなく、「ハッタリ」をかましていたのか・?
という疑問にも多面的に挑んでいました。







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