ドイツ高射砲塔 連合軍を迎え撃つドイツ最大の軍事建造物 [ドイツ空軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
広田 厚司 著の「ドイツ高射砲塔」を読破しました。
過去に「WW2ドイツの特殊作戦」や「武装親衛隊」、「ドイツ列車砲&装甲列車戦場写真集」
を紹介している著者の一冊がまたまた登場です。
去年の暮れに出た257ページの本書は、今年の2月に「ベルリン 地下都市の歴史」という本で
ベルリンの3つの高射砲塔について勉強したのもあって、すぐに読むつもりでいましたが、
なんとなく時間が経ってしまいました。
正直、著者の本はちょっと雑に感じるので、好きと言うわけではありませんが、
他にはない興味深いものがテーマとなっているので、読まざるを得ません。
「はじめに」では、読者に予備知識を与えるために、若干のポイントを整理します。
それによると高射砲塔とは「二塔」で一組構成となっていて、
高射砲が配備された塔は「G戦闘塔」、もうひとつは「L指揮塔」と呼ばれ、
それぞれ500mの間隔をもって立っていたということです。
そしてベルリンの3ヵ所だけでなく、ハンブルクに2ヵ所、ウィーンにも3ヵ所建造され、
これらも時期によって第1世代から第3世代と分類。
いきなり写真も盛りだくさんで、なかなか理解しやすいですね。
本文は1940年の西方電撃戦後、ドイツによるロンドン爆撃に対抗する形で始まった
英爆撃機によるベルリン爆撃が・・。
その時の様子をウィリアム・シャイラーの「ベルリン日記」から抜粋します。
この第三帝国の首都爆撃にショックを受けたヒトラーが重高射砲を装備した
巨大な防空塔を建設することが命じ、総統自らスケッチ。
このデッサンの写真も掲載されています。
建築責任者はアルベルト・シュペーアで、この若き建築家が進めていた「ゲルマニア計画」の中に
巨大な高射砲塔も偉大な建造物として組み込まれるのでした。
最初の高射砲塔はティーアガルテン公園内に建てられた有名な「動物園(ツォー)高射砲塔」です。
1941年4月に完成し、一辺が70.5m、高さ39m。指揮塔は2/3ほどのサイズですが、高さは同じ。
1943年以降の武装は連装128㎜砲四基計八門に、4連装20㎜機関砲もタップリと装備。
指揮塔にも4連装20㎜機関砲の他に、37㎜砲数門が配備されていますが、
こちらはレーダー装置や光学式測距儀、高射算定機の装備がメインです。
敵爆撃機の接近は指揮塔から戦闘塔の2次指揮所へと送られ、
第1高射砲師団第123高射砲大隊の要員たちが5Fの待機所から飛び出して、
らせん階段を駆け上がって戦闘準備・・という仕組みです。
外壁2.5mのコンクリートで覆われた高射砲塔には装甲弾薬室のほか、
3Fには空軍病院や美術品の保管庫も兼ね、空襲時には市民の退避壕としても活躍。
収容人数は15000名ですが、実際にはその倍の数の市民が押し寄せたそうです。
「ベルリン 地下都市の歴史」では地下に防空壕を作るより、
地上の方が建築費用が安く上がるという理由もあって、
このような巨大な防空壕が作られるようになった・・といったことだったと思いますが、
敵爆撃機を撃墜するのに、このような巨大建築物が必要なのか・・? とも考えていますので、
そうなるとやっぱり、この巨大高射砲塔は、防空壕に高射砲塔の機能を持たせたモノ・・
ということで良い気がします。本書ではさすがにそうは書いていませんが・・。
ティーアガルテンから東へ7㌔離れた軍需工場地帯に2番目の高射砲塔として建てられたのが
フリードリヒスハイン高射砲塔です。
レーダーやサーチライトはBdMの若い女性たちによって操作されていたそうですが、
戦争後半には砲自体もヒトラー・ユーゲントや14歳以上の空軍補助員の少年が操作したりと、
このあたりも第6章で詳しく書かれています。
3番目に建てられたベルリンの高射砲塔はフンボルトハイン高射砲塔です。
そしてここからはベルリンの高射砲塔を巡るエピソードが登場し、
ハンナ・ライチュが終戦間際に上空から見た「ドイツ敗戦の象徴のよう」という話や、
「戦車キラー」のルーデル大佐が片足を失って、ここの病院へ運ばれた件など・・。
これはドイツ週間ニュースでもベッドでインタビューに答えるシーンを見たことがあります。
第4章は西側連合軍による「ベルリン爆撃」がどのように行われたのかに20ページほどを割き、
続く第5章も「ベルリン包囲戦と高射砲塔」と題して、東から迫るJS重戦車やT-34といった
ソ連軍戦車を迎撃する高射砲の活躍・・。このような目標は爆撃機迎撃より
遥かに容易だったそうですが、ハチハチの威力を知っていれば、それも当然です。
それにしてもソ連軍203㎜砲の重榴弾の直撃を受けてもビクともせず、
逆に敵戦車を狙い撃ちという最終戦の1シーンは、想像するだけでグッ・・ときますね。
第7章では「高射砲塔の武装」として、ハチハチから105㎜砲、
そして128㎜高射砲の性能や運用などが述べられ、
第8章は指揮塔の「迎撃管制システム」でレーダーやサーチライトを紹介します。
これらを踏まえて第9章では「高射砲防空戦」として、高射砲塔から離れて、
ドイツ高射砲部隊のドイツ各地での戦いへ・・。
中盤から後半にかけては「高射砲塔」とはちょっと気色の違う展開となっていましたが、
第10章になってようやく「ハンブルクの高射砲塔」が。。
ベルリンの3基が完成後、造船所と海軍基地のあるハンブルクにも高射砲塔を建設することを
命じたヒトラー。ヘイゲンガイストフェルト高射砲塔はベルリンと同じ第1世代形式ですが、
ヴィルヘルムスブルク高射砲塔は、改良された第2世代で、
一辺は57mと小ぶりですが、高さは41.6mと若干高くなります。
砲台も角型から耐弾性の良い円筒型に改められているのも大きな特徴です。
ちなみに4基の砲台はABCDで、一番砲はアントン、以下、ベルタ、シーザー、ドーラと
ドイツ軍の一般的な呼称です。確かBは「ブルーノ」というのも良く聞きますが、
海軍も同じというのがなんとなく不思議なんですけどね。
この章では有名な「ハンブルク空襲」についても詳しく書かれています。
連合軍側でいうところの「ゴモラ作戦」としても知られている、
長期間に渡って徹底的に繰り返され、市の75%が壊滅した・・という
非人道的な無差別爆撃です。
最後の章は「ウィーンの高射砲塔」です。
1942年9月になってから、オーストリアの首都、ウィーンを空襲から守るために
ヒトラー命令が出されますが、物資と労働力不足から完成時期もまちまちに・・。
そりゃ、第6軍がスターリングラードで戦っている時期ですから大変です。。
アーレンベルク高射砲塔は、ハンブルクのヴィルヘルムスブルク高射砲塔と同じ第2世代ですが、
シュティフトカセルン高射砲塔とアウガルテン高射砲塔は第3世代である、
43m四方の基礎上に54mの円筒状の塔と、その姿は大きく変わっています。
そして戦後の高射砲塔・・。
ベルリンの3基は英仏ソの各国が破壊したのは「ベルリン 地下都市の歴史」でも書きましたが、
ハンブルクのヴィルヘルムスブルク高射砲塔は内部爆破されて、現在は外壁が残っているだけ。
ヘイゲンガイストフェルト高射砲塔は、ドイツ放送局がスタジオとして利用した後、
音楽学校やナイトクラブとして使用しているそうです。
ウィーンのシュティフトカセルン高射砲塔はオーストリア陸軍の施設となり、
アウガルテン高射砲塔もソ連軍が破壊に失敗し、現在もその姿のまま。。
アーレンベルク高射砲塔は美術関係の保存所として活用されているとのことです。
ドイツ空軍による「ベルギーのロッテルダム爆撃」と数回出てきたり、
軍需相のフリッツ・トートがいちいち「SS大将」と書かれていたりと、
正しくは「SA大将」だと思いますが、どちらにしてもトート博士にこの肩書きを
あえてつける必要性は感じませんし、書かれたものも読んだ記憶が無いので
相変わらず、ちょっとどうなの・・?? と思わせるところがあります。
独破した感想としては、もっと「高射砲塔」に絞って欲しかったですが、
それだけで250ページの分量が書けるだけのネタがなかったのかも知れません。
個人的には高射砲塔以外の高射砲部隊や子供、女性の補助部隊の話にまで
及んでいるなら、「高射砲戦功章」ぐらいには触れて欲しかったですけどねぇ。
ちょっと悪口を書きましたが、それでも文庫で安いですし、写真もタップリですから、
興味のある方は読まれてみてはどうでしょうか。
広田 厚司 著の「ドイツ高射砲塔」を読破しました。
過去に「WW2ドイツの特殊作戦」や「武装親衛隊」、「ドイツ列車砲&装甲列車戦場写真集」
を紹介している著者の一冊がまたまた登場です。
去年の暮れに出た257ページの本書は、今年の2月に「ベルリン 地下都市の歴史」という本で
ベルリンの3つの高射砲塔について勉強したのもあって、すぐに読むつもりでいましたが、
なんとなく時間が経ってしまいました。
正直、著者の本はちょっと雑に感じるので、好きと言うわけではありませんが、
他にはない興味深いものがテーマとなっているので、読まざるを得ません。
「はじめに」では、読者に予備知識を与えるために、若干のポイントを整理します。
それによると高射砲塔とは「二塔」で一組構成となっていて、
高射砲が配備された塔は「G戦闘塔」、もうひとつは「L指揮塔」と呼ばれ、
それぞれ500mの間隔をもって立っていたということです。
そしてベルリンの3ヵ所だけでなく、ハンブルクに2ヵ所、ウィーンにも3ヵ所建造され、
これらも時期によって第1世代から第3世代と分類。
いきなり写真も盛りだくさんで、なかなか理解しやすいですね。
本文は1940年の西方電撃戦後、ドイツによるロンドン爆撃に対抗する形で始まった
英爆撃機によるベルリン爆撃が・・。
その時の様子をウィリアム・シャイラーの「ベルリン日記」から抜粋します。
この第三帝国の首都爆撃にショックを受けたヒトラーが重高射砲を装備した
巨大な防空塔を建設することが命じ、総統自らスケッチ。
このデッサンの写真も掲載されています。
建築責任者はアルベルト・シュペーアで、この若き建築家が進めていた「ゲルマニア計画」の中に
巨大な高射砲塔も偉大な建造物として組み込まれるのでした。
最初の高射砲塔はティーアガルテン公園内に建てられた有名な「動物園(ツォー)高射砲塔」です。
1941年4月に完成し、一辺が70.5m、高さ39m。指揮塔は2/3ほどのサイズですが、高さは同じ。
1943年以降の武装は連装128㎜砲四基計八門に、4連装20㎜機関砲もタップリと装備。
指揮塔にも4連装20㎜機関砲の他に、37㎜砲数門が配備されていますが、
こちらはレーダー装置や光学式測距儀、高射算定機の装備がメインです。
敵爆撃機の接近は指揮塔から戦闘塔の2次指揮所へと送られ、
第1高射砲師団第123高射砲大隊の要員たちが5Fの待機所から飛び出して、
らせん階段を駆け上がって戦闘準備・・という仕組みです。
外壁2.5mのコンクリートで覆われた高射砲塔には装甲弾薬室のほか、
3Fには空軍病院や美術品の保管庫も兼ね、空襲時には市民の退避壕としても活躍。
収容人数は15000名ですが、実際にはその倍の数の市民が押し寄せたそうです。
「ベルリン 地下都市の歴史」では地下に防空壕を作るより、
地上の方が建築費用が安く上がるという理由もあって、
このような巨大な防空壕が作られるようになった・・といったことだったと思いますが、
敵爆撃機を撃墜するのに、このような巨大建築物が必要なのか・・? とも考えていますので、
そうなるとやっぱり、この巨大高射砲塔は、防空壕に高射砲塔の機能を持たせたモノ・・
ということで良い気がします。本書ではさすがにそうは書いていませんが・・。
ティーアガルテンから東へ7㌔離れた軍需工場地帯に2番目の高射砲塔として建てられたのが
フリードリヒスハイン高射砲塔です。
レーダーやサーチライトはBdMの若い女性たちによって操作されていたそうですが、
戦争後半には砲自体もヒトラー・ユーゲントや14歳以上の空軍補助員の少年が操作したりと、
このあたりも第6章で詳しく書かれています。
3番目に建てられたベルリンの高射砲塔はフンボルトハイン高射砲塔です。
そしてここからはベルリンの高射砲塔を巡るエピソードが登場し、
ハンナ・ライチュが終戦間際に上空から見た「ドイツ敗戦の象徴のよう」という話や、
「戦車キラー」のルーデル大佐が片足を失って、ここの病院へ運ばれた件など・・。
これはドイツ週間ニュースでもベッドでインタビューに答えるシーンを見たことがあります。
第4章は西側連合軍による「ベルリン爆撃」がどのように行われたのかに20ページほどを割き、
続く第5章も「ベルリン包囲戦と高射砲塔」と題して、東から迫るJS重戦車やT-34といった
ソ連軍戦車を迎撃する高射砲の活躍・・。このような目標は爆撃機迎撃より
遥かに容易だったそうですが、ハチハチの威力を知っていれば、それも当然です。
それにしてもソ連軍203㎜砲の重榴弾の直撃を受けてもビクともせず、
逆に敵戦車を狙い撃ちという最終戦の1シーンは、想像するだけでグッ・・ときますね。
第7章では「高射砲塔の武装」として、ハチハチから105㎜砲、
そして128㎜高射砲の性能や運用などが述べられ、
第8章は指揮塔の「迎撃管制システム」でレーダーやサーチライトを紹介します。
これらを踏まえて第9章では「高射砲防空戦」として、高射砲塔から離れて、
ドイツ高射砲部隊のドイツ各地での戦いへ・・。
中盤から後半にかけては「高射砲塔」とはちょっと気色の違う展開となっていましたが、
第10章になってようやく「ハンブルクの高射砲塔」が。。
ベルリンの3基が完成後、造船所と海軍基地のあるハンブルクにも高射砲塔を建設することを
命じたヒトラー。ヘイゲンガイストフェルト高射砲塔はベルリンと同じ第1世代形式ですが、
ヴィルヘルムスブルク高射砲塔は、改良された第2世代で、
一辺は57mと小ぶりですが、高さは41.6mと若干高くなります。
砲台も角型から耐弾性の良い円筒型に改められているのも大きな特徴です。
ちなみに4基の砲台はABCDで、一番砲はアントン、以下、ベルタ、シーザー、ドーラと
ドイツ軍の一般的な呼称です。確かBは「ブルーノ」というのも良く聞きますが、
海軍も同じというのがなんとなく不思議なんですけどね。
この章では有名な「ハンブルク空襲」についても詳しく書かれています。
連合軍側でいうところの「ゴモラ作戦」としても知られている、
長期間に渡って徹底的に繰り返され、市の75%が壊滅した・・という
非人道的な無差別爆撃です。
最後の章は「ウィーンの高射砲塔」です。
1942年9月になってから、オーストリアの首都、ウィーンを空襲から守るために
ヒトラー命令が出されますが、物資と労働力不足から完成時期もまちまちに・・。
そりゃ、第6軍がスターリングラードで戦っている時期ですから大変です。。
アーレンベルク高射砲塔は、ハンブルクのヴィルヘルムスブルク高射砲塔と同じ第2世代ですが、
シュティフトカセルン高射砲塔とアウガルテン高射砲塔は第3世代である、
43m四方の基礎上に54mの円筒状の塔と、その姿は大きく変わっています。
そして戦後の高射砲塔・・。
ベルリンの3基は英仏ソの各国が破壊したのは「ベルリン 地下都市の歴史」でも書きましたが、
ハンブルクのヴィルヘルムスブルク高射砲塔は内部爆破されて、現在は外壁が残っているだけ。
ヘイゲンガイストフェルト高射砲塔は、ドイツ放送局がスタジオとして利用した後、
音楽学校やナイトクラブとして使用しているそうです。
ウィーンのシュティフトカセルン高射砲塔はオーストリア陸軍の施設となり、
アウガルテン高射砲塔もソ連軍が破壊に失敗し、現在もその姿のまま。。
アーレンベルク高射砲塔は美術関係の保存所として活用されているとのことです。
ドイツ空軍による「ベルギーのロッテルダム爆撃」と数回出てきたり、
軍需相のフリッツ・トートがいちいち「SS大将」と書かれていたりと、
正しくは「SA大将」だと思いますが、どちらにしてもトート博士にこの肩書きを
あえてつける必要性は感じませんし、書かれたものも読んだ記憶が無いので
相変わらず、ちょっとどうなの・・?? と思わせるところがあります。
独破した感想としては、もっと「高射砲塔」に絞って欲しかったですが、
それだけで250ページの分量が書けるだけのネタがなかったのかも知れません。
個人的には高射砲塔以外の高射砲部隊や子供、女性の補助部隊の話にまで
及んでいるなら、「高射砲戦功章」ぐらいには触れて欲しかったですけどねぇ。
ちょっと悪口を書きましたが、それでも文庫で安いですし、写真もタップリですから、
興味のある方は読まれてみてはどうでしょうか。