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イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

キャサリン・メリデール著の「イワンの戦争」を読破しました。

5月に発売されたばかりの520ページの本書を本屋さんで偶然見つけた瞬間、
「うぉっ!」と変な声を漏らしてしまいました。
この厚さといい、タイトルと副題から簡単に内容が想像出来るところといい、
「赤軍記者グロースマン」、「ベルリン終戦日記」、「グラーグ―ソ連集中収容所の歴史」といった
ソ連がらみの名著を発刊している白水社であることといい、
漏らしたのが声で済んだだけでホッとしました。。
「イワン」といえば、赤軍兵士を指すのは皆さんご存知だと思います。
「トミー」なら英国兵士の総称ですし、ドイツ軍兵士は「フリッツ」、米国兵士は「ヤンキー」??
第2次大戦におけるジューコフやロコソフスキーといったソ連の大将軍ではない、
一般のソ連兵士たちの真実に迫った一冊ということで、
やはり名著「戦争は女の顔をしていない」の男版のような感じカナ?と
とりあえず図書館の予約待ちに登録・・。だって定価4620円なんですよ・・。

イワンの戦争.jpg

「序章」では、1939年から1945年までに招集された赤軍兵士は3000万人を超え、
「肉挽き機」とも呼ばれた彼らの物語はまだ語られておらず、ソ連が公式に認める物語は
長い間、ソ連邦英雄の神話しかなかったとし、あのグロースマンのような作家たちも
兵士の恐怖を描くことが禁じられた・・と語ります。
「招集し、訓練し、そして殺した」とされるスターリン時代の兵士の生き残りたちから
クルスクやセヴァストポリで直接話を聞き、彼らが書き綴った手紙、NKVDの文書などを駆使して
英雄神話を超越するために、英国人の女性著者はこの著作に取り組んだとしています。

To Defend USSR,  in 1930.jpg

第1章は1930年前半からのスターリン体制下の様子・・。
農場の国有化により大飢餓が発生し、クラークと呼ばれた豊かな農民は追放。
まさに先日の「グラーグ」を思い出します。
そしてその一方では欧州最大の工業国へと変貌を遂げながらも、
赤軍のトハチェフスキー元帥を筆頭とした「大粛清」も紹介。

第2章はその赤軍の最初の試練、1939年のフィンランド侵攻です。
最初の1ヶ月で18000人が死亡、行方不明となり、その半数は初日に国境を越えた者たち・・
ということですから、シモ・ヘイヘらの格好の餌食となったのでしょうね。
この短い戦争で12万人が戦死、30万人が負傷。対するフィンランドは合計でも9万人です。
12月21日のスターリンの誕生日を祝して、意味のない攻撃を数多く仕掛けたことも・・。
この結果は赤軍将校の多くが粛清されたことも大きな原因ですが、
同時に全土から兵士が招集され始め、赤軍は拡張。
しかし、その訓練やひどい食事から脱走、士官候補生は「責任を問われる恐怖」から自殺、
といった若い兵士たちの事情が・・。

talvisota.jpg

第3章から1941年6月のドイツ軍の奇襲攻撃「バルバロッサ」の前に
総崩れとなるソ連軍の実情が語られます。
ウクライナなどの反ソ的な心情を抱く兵士などが次々に降伏。
NKVD特殊部隊は6月最後の3日間だけで700名の逃亡兵を捕え、
第26軍からは4000名もの兵士が脱走。。
兵士は士官を恨み、命令は信用せず、仲間は脱走を目論んでいるのでは・・と疑心暗鬼です。
攻撃中の自分の部隊を銃撃して指揮官を殺そうとする兵士がいたかと思えば、
対空戦闘を命じた指揮官は、戦闘が始まると車に乗って逃げ出します。

In the initial months of Barbarossa millions of Russian soldiers surrendered.jpg

スモレンスクの戦いでは30万人が捕虜となり、3000両の戦車が失われますが、
自軍の兵士にさえ極秘とされていた兵器「カチューシャ・ロケット」が初めて火を噴きます。
エレメンコ元帥の回想では、「効果は凄かった。ドイツ軍はパニックを起こして逃げた。
我が軍の兵士でさえ、前線から一目散に逃げた」。

Stalinorgeln.jpg

それでも逃亡者は相変わらず減りません。
そこでスターリンは逃亡軍人の家族も逮捕する命令を打ち出します。
しかし、河川で撃ち殺されたり、バラバラに吹き飛んだり、ネズミに遺体を食い散らかされた
数万名に達する行方不明者も「不名誉な逃亡者」として扱われるのです。

1941-woman-be-a-hero.jpg

ドイツ軍が占領したポーランド、白ロシア、ウクライナでは収容所が新設され
政治委員とユダヤ人は見つかり次第射殺。
ロシア人以外の民族も選び出されて、彼らの憎むべき敵であるボルシェヴィキ、
ユダヤの極悪人を打倒するためにナチの手先となり、警官業務でユダヤ人を摘発したり、
アインザッツグルッペンなどの射殺部隊にも参加することになるわけですね。

「ドイツ人と戦っているのはロシア人だけだ」と言われ始めたウクライナ兵は
別の人種に責任転嫁します。
「中央アジアから来た連中は地面にひれ伏して例の"おー、アラー"を始める。
祈るだけで敵には突進しないし、戦闘にも巻き込まれないようにしていた」。

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いよいよ有名な「一歩も引くな」というスターリン命令が発せられます。
これによって選抜した要員をNKVD部隊と共に前線部隊の背後に配置し、
遅れをとったり、逃げる兵士を容赦なく射殺することになるのです。

1942年になると、スターリンはお荷物無能将官の排除にも着手。
盟友だったヴォロシーロフにクリミア司令官のメフリス、
内戦時代の老ヒーロー、ブジョンヌイらが左遷され、ジューコフコーネフ
そして42歳の野心家チュイコフらが登用されるのでした。

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そのチュイコフが指揮するスターリングラード攻防戦
ヴォルガ川を背後にし、撤退することは不可能です。
数週間で13000名が臆病な裏切り行為で銃殺され、新設された懲罰大隊もやってきます。
7月には50万を超える将兵が集結しますが、このうち30万人を優に超える人名が失われます。
この戦いはいろいろと読んでいますが、このソ連側の損害の数字はとんでもないですね。。
もちろんこのような膨大な損害はソ連国内では一切、発表されず、
何百人も埋葬した墓地が記録では35人などと、埋葬した遺体の数も少なく記録します。

Сталинградская битва.jpg

検閲の対象となるのは人間の感情にも及びます。
復讐心を煽る「悲しみ」はOKですが、危険や苦痛がもたらす感情を語ってはなりません。
1943年春、包囲されていたレニングラード戦線から移ってきた兵士が新しい戦友に
「飢餓」について言及。すると彼の姿は消えてしまうのでした。。

Soviet troops of the 3rd Ukrainian front in action amid the buildings of the Hungarian capital on February 5, 1945.jpg

また飢餓といえば、ソ連全土にも広がっています。
収容所からも駆り出された余命幾ばくもない懲罰部隊では、
スプーンで4回もすくえば終わる程度の量しかないスープ。
科学者たちは様々な種類の肉を調べ、イタチや豚に比べても肉質は美味で、
どんな肉より栄養価が高いのは「リス」の肉であることを主張・・。

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クルスク戦ではパンター、ティーガーに、T-34といった戦車も紹介しますが、
やっぱり主役は人間です。
会戦前半の守勢段階だけでソ連軍の犠牲者は7万人に達したそうで、
「原始的な技術で戦車を操り、あらゆる困難を克服するロシア兵には驚くばかりだ」と語るのは
マックス・ジーモンSS中将です。
そしてこの大勝利は彼らに新たな自信と熱意をもたらし、勝利への道に突き進むのです。

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1944年2月、西へと進む赤軍ですが、そこからは徐々に規律が失われていきます。
「盗みは当然だ。さもないと生き残れない・・」。
闇市場では戦争でもなければ手に入らない、性能の良いドイツ製品が最も珍重されます。
ある兵士は語ります。「私はドイツ兵の遺体から財布を取った。写真の他にコンドームがあった。
我々には避妊してセックスするヤツなんていなかった」。

そして「前線妻」。隠語では「野戦行軍妻」と呼ばれていたというこの話は、
一人の男が5人以上の「妻」を持つのも珍しくなかったなど、
まぁ、男の勝手というか、男の性というか・・。
また、女の方といえば、「将来を考えて、禁を犯して男と付き合う」。
あの「戦争は女の顔をしていない」と違って、インタビューや告白形式ではなく、
それらのちょっとしたエピソードを数行織り交ぜながら、本書は進みます。

Soviet sniper's in Kursk 1943.jpg

赤軍兵にとって酒の価値は品質ではなく、アルコール度数の強さで決まります。
ポーランドでナチの兵舎を占領し、ワイン貯蔵庫を見つけますが、
「どれも"炭酸飲料"ばかりだ」と落胆。。
彼らにとってはシャンパンより、サマゴンと呼ばれる「密造酒」の方が上のようですね。
ある中尉は、「我が軍がこんなに酒に溺れなければ、2年前に勝っていただろう」。
そして士官による大掛かりな盗みや転売も頻繁に起こります。
モスクワの上官への賄賂に「豚肉267㎏、羊肉125㎏、バター114㎏」を一度に送ったり・・。

Soviet Troops in Budapest.jpg

ドイツ軍によるバルバロッサ作戦から、ちょうど3年が経った1944年6月22日、
お返しの大攻勢「バグラチオン作戦」が開始。
兵士たちは勢いづきます。ドイツ軍機を撃墜すれば現金、1週間分が、
ドイツ士官を捕虜にすれば2週間の休暇の権利が(建前上)与えられます。
しかしルーマニアでは情報担当者を偽って選び出した女性をレイプしたうえ、頭を撃ち抜き、
ハンガリーでは精神病院に押し入った一団が16歳から60歳までの女性患者をレイプして殺します。

This poster celebrates the liberation of Prague by Soviet troops.jpg

ポーランドではナチの収容所が解放されます。
ドイツ兵が死んだ犬を投げ込むと、ロシア人捕虜は気違いのように喚き立て、その死骸に殺到し、
素手で八つ裂きにして、配給された戦闘食のように犬の腸をポケットに詰め込んだ・・という話や、
カニバリズムで飢えを凌いできた彼らには、すでに人間らしささえありません。。
この件は詳しく書かれているわけではありませんが、以前に読んだ本では、
ガリガリに痩せ細ったわずかな人肉ではなく、生きた「肝臓」を食うことが目当てだったと・・。

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そして遂にドイツ本土。野獣の巣窟である東プロイセンに踏み込む時・・。
ラビチェフという若い士官はドイツ軍が遺棄した救護施設を宿舎にあてがわれますが、
どの部屋も子供や老人の死体だらけ・・。
レイプの後に身体を切断された何人もの女性の遺体の性器にはワインボトルが挿入されています。
捕らわれの身の脅えきったドイツ娘の中からひとり選べと言われたラビチェフ。
拒否すれば部下から「臆病者」と思われかねず、もっとマズイのは「不能者」と見られることです。

Tag der Befreiung.jpg

やがて辿り着いたベルリンでもそのレイプと強奪は激しさを増します。
ここでは「ベルリン終戦日記」からも引用していますが、
アレはこの手の本には必ずと言っていいほど出てきますね。
さすがに気になったので映画版の「ベルリン陥落1945」を買ってしまいました。

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1945年5月、長かった戦争は終わりを告げようとしてます。
喜びを抑えきれない国境警備隊の兵士は、たまたま見つけたメタノールを試し呑み・・。
料理係やら次々に現れて、彼らを巻き込みながら呑み続けます。
そして3人が翌日に死に、残りの連中もカイテルが降伏文書に調印する前に死んでしまうのでした。
確かイタリアでも喜び過ぎて死んでしまった人がいましたねぇ。。

手を取り合った2つの超大国。当時の末端兵士は束の間の友情を育みます。
ロシア人のおおらかさ、呑んで歌ってすぐに打ち解けるところを米軍兵士も気に入ります。

Soviet officers and U.S. soldiers during a friendly meeting on the Elbe River.jpg

最後には「裏切り者」である捕虜が今度は自国の労働収容所へと送られ、
またウラソフ派の最も悲惨な運命にも言及し、
まともに帰国が出来る兵士にも、死亡率や残虐行為についてのかん口令が敷かれます。
さらに275万人という傷痍軍人は義足も義手も足りず、物乞いとなるしかありません。
1947年、スターリンは路上の物乞い排除命令を出し、ラドガ湖対岸のヴァラーム島へと流刑。
多くがその地で生涯を閉じるのでした。

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後半はやはり・・というか、ソ連軍兵士による強姦、暴行、略奪が中心となっていきますが、
本書のように戦争の始まる前から、彼ら「イワン」たちがどのような祖国に生き、
ドイツ軍に国土を蹂躙され、戦友が殺され、迫害されて生き別れとなった家族を心配しつつ、
敵の数倍の血を流しながらも反撃する姿を時系列で追っていけば、
今までのように単純なイメージの「酔っ払った強姦魔のソ連兵」では片付けられません。

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11章から成る実質450ページの本書。
ただ、章ごとに特定のテーマがあるわけではなく、特定の時期の様子・・、
すなわち前線でのイワンの様子に、彼らを監視するNKVD、占領地の市民、
ドイツ側の証言といった事柄と細かいエピソードがふんだんに語られる展開ですので、
読破後の印象は、ややもするとボンヤリした風にもなってしまいました。

興味深いエピソードは多々ありましたが、それらをもっと深く掘り下げて欲しいという希望も・・。
しかしソレをやってしまうと、ボリュームが倍になってしまいますからしょうがないですね。
その意味で個人的には、このページ数でもあくまで「概要レベル」でしかないと思いましたが、
それだけ、「赤軍兵士の記録」というものは、今まで紹介されてこなかったということであって、
独ソ戦好きの方であっても驚くことが多いですし、
ドイツ軍ファンの方でも知られざる敵を知るのにうってつけの、必読の書と言えるでしょう。
例えればUボート好きが「Uボート部隊の全貌」を読まなければならないのと一緒です。
赤軍記者グロースマン」とセットで読んでも良いですね。
たぶん、一年くらいしたら再読したくなるハズなので、そのときにはキッチリ購入しますし、
今年の1月に出た、グロースマンの「人生と運命」全3巻も読んでみようかと思っています。








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