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コマンド -奇襲!殴り込み作戦- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ピーター・ヤング著の「コマンド」を読破しました。

今回紹介する「第二次世界大戦ブックス」からの一冊は、
昨年、「狼群作戦の黄昏」を独破した際に印象的だった「チャリオット作戦」について
書かれている・・というコメントを戴いて購入していたものです。
「コマンド」と聞くと、昔、ロードショーで観た映画、「コマンドー」のようなシュワルツェネッガーの
筋骨隆々の姿をイメージしてしまいますが、
本書ではナチス・ドイツに嫌がらせをするために英国で生まれた「特殊部隊」、
コマンドの「奇襲」と「殴り込み」の全貌が明かされます。

コマンド.jpg

まずはコマンド誕生の歴史から・・。
といっても1940年、フランスを蹂躙するドイツ軍の前に、英国の大陸派遣軍が
ダンケルクから屈辱的な撤退を余儀なくされたなか、
参謀総長副官のクラーク中佐によって考え出されたものだそうです。
そしてこの案はジョン・ディル参謀総長からチャーチル首相に提出され、6月8日には承認。
英国本土へのドイツ軍の上陸が懸念される中、逆にドーヴァー海峡を渡って、
ドイツ軍に奇襲を仕掛けるゲリラ部隊・・・というのが、このコマンドです。

Weekend at Dunkirk_1964.jpg

向う見ずな暴挙とも思える任務に就くのには、既存の部隊の指揮官では40代と
歳を取り過ぎていることから、自動車の運転ができ、
船酔いもしない若い最良の兵士たちの志願によって編成。
早速、6月23日にはフランス北部のブーローニュへの奇襲作戦が実行されます。
そして翌年の2月にはノルウェーのロフォーテン諸島に奇襲をかけ、
魚油工場を破壊し、ドイツ軍の艦船を撃沈して英国内で結成されたノルウェー義勇隊への
参加者を募って、ノルウェーのナチ、クヴィスリングの支持者を捕えるという作戦を決行。

vidkun-quisling.jpg

見事、工場を爆破し、11隻の船艇を撃沈し、60人の売国奴を捕虜にするという
コマンドの完勝に終わったこの作戦は初めて知りましたが、この奇襲作戦の写真が
多いことに驚きます。そしてその中には、第3コマンド隊のピーター・ヤング少佐の姿も・・。
早い話、著者はコマンド創立当初からの将校なんですねぇ。

Peter Young.jpg

英国王ジョージ6世の従兄弟である、41歳のマウントバッテン卿が特殊部隊の総指揮を執る
共同(連合)作戦部長に就任。
著者はエネルギーと頭脳、そして決断力を持ったマウントバッテンを
「コマンド部隊の同世代のリーダー」と賞賛しています。

Louis Mountbatten and General Montgomery.jpg

中東に派遣された3個コマンド隊からなる部隊の指揮官は、タフで火のような闘志を秘めた
レイコック中佐です。写真付きですが、まるで俳優のようなカッコ良さですね。
ドイツ軍が侵攻し、英軍守備隊との激戦が繰り広げられているクレタ島へ上陸し、
英軍の撤退を援護せよという任務に就くと、夜間に嫌がらせのような襲撃を繰り返し、
部下の旅団副官と共に、戦車に飛び乗ってドイツ兵に突進するなど、
レイコックという名はドイツ軍にとって「極悪人」の代名詞となったそうです。

Major_General_Robert_Laycock.jpg

そしてこの「極悪人」指揮による次の任務とは、「砂漠の狐」ロンメルを殺して、
戦局に転機をもたらそう・・というものです。
以前に「砂漠の狐を狩れ」というフィクション小説も紹介しましたが、
英第8軍の指揮下でロンメル司令部を直接襲撃する任務には
キーズ中佐が志願し、11月17日に作戦決行。
ロンメル司令部と思われた場所は、実はロンメルが一度も住んだことのない
補給部隊の司令部でしかなかったものの、
銃弾を浴びて戦死した、勇猛なキーズ中佐に対して、ドイツ軍は騎士道精神で扱い、
ピンボケですが、ドイツ・イタリア軍の兵士と従軍牧師が葬儀を執り行う写真まで登場。。

Geoffrey Keyes.jpg

一方、マウントバッテン卿が手掛ける最初の大型奇襲作戦は、再び、ノルウェーに向けられます。
ボクセイ島という島への奇襲作成も詳しく書かれており、
このように執拗なノルウェーへの攻撃から、ヒトラーは連合軍の大規模な上陸を危惧し、
ノルウェー司令官フォン・ファルケンホルスト将軍も4個師団の増強を要請し防御態勢を強化・・。
1944年に連合軍がノルマンディに上陸するまで続けられていたノルウェー強化による
ドイツ軍駐屯部隊の総兵力は37万人にまで膨れ上がり、
コマンド側から見れば、まさに「してやったり・・」。

Nikolaus von Falkenhorst.jpg

後半は「サン・ナゼール奇襲」の登場です。
「チャリオット作戦」として知られるこの作戦は、ドイツ海軍の誇る戦艦
ティルピッツ」を収容することが出来る
フランス大西洋岸の大ドックを破壊してしまおう・・という決死の大作戦で、
英駆逐艦キャンベルタウンが水門に突っ込み、なんとか任務は完了しますが、
コマンド隊員たちにも多くの死傷者が出ることに・・。

St. Nazaire, britische_Kriegsgefangene.jpg

本書では倒れたコマンドの横を通り過ぎるドイツ兵の写真や、
捕虜となったコマンド隊員たちの写真ばかりではなく、
捧げ銃をしたドイツ兵とユニオン・ジャックの掛けられた棺に、
敬意を表して通過する生き残りコマンド・・。
また敬礼するドイツ海軍士官たち・・、という写真も掲載されています。
ドイツ軍が敵兵の葬儀をやる写真ていうのはほとんど見たことないんですが、
現場ではちゃんとやってるんですねぇ。
ヒトラーが発した「コマンド死刑命令」という、テロリスト扱いにもなっていましたから
あまり出回らないようにされていたのかも知れません。

St. Nazaire, britische Kriegsgefangene.jpg

最後の作戦は、1942年8月の「ディエップ奇襲」こと、「ジュビリー作戦」です。
この作戦が詳しく書かれた「グリーン・ビーチ」という本を読んでいますが、
この「グリーン・ビーチ」とは、主役のカナダ軍が上陸するビーチの通称で、
ちょっと調べてみましたが、第4コマンドの上陸するビーチは「オレンジ・ビーチ」、
著者ヤングが所属する第3コマンドは「イエロー・ビーチ」と呼ばれていたようです。

Operation Jubilee.jpg

本書ではこの作戦全般についても書かれていますが、さすが当時、
第3コマンド隊副指揮官であった著者の体験談も印象的です。
そして一般的に「失敗」とされているこの作戦自体に「大きな意義があったとは言えない」として、
被った損害・・、ドイツ軍の戦死者591名に対して、英海軍550名、英陸軍は3670名と
数字も挙げています。

Dieppe,_Landungsversuch,_tote_alliierte_Soldaten.jpg

「ディエップ奇襲」で終わってしまう本書ですが、コマンドが解隊されたわけではありません。
この後、連合軍による北アフリカ侵攻と、イタリア、ノルマンディと大規模な攻勢が始まると、
コマンド部隊が中心となった小規模な奇襲作戦の必要がなくなり、
彼らは再編成されて、各々の上陸作戦に参加して転戦、そして多くが戦死するのです。

今回は特に写真というものの影響を感じました。
ほとんどがコマンド作戦中の生々しい写真ですが、初見のものが多く、
特にドイツ軍による葬儀の写真は、どれだけ文章で前線の兵士たちの騎士道精神を書こうが、
ピンボケの写真一枚でも、その事実が伝わるということですね。
改めて写真掲載の有無によって理解度が違ったり、興味を持ったり、本が面白かったり、
新たな発見があったりする・・という写真の重要性を考えさせられました。



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ヒムラーとヒトラー -氷のユートピア- [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

谷 喬夫 著の「ヒムラーとヒトラー」を読破しました。

2000年発刊で250ページの本書は以前から気になっていた一冊です。
それと言うのも、タイトルが「ヒトラーとヒムラー」ではなくて、「ヒムラー」が先・・ということなんです。
だいたい、「ヒトラーなになに・・」という本は世の中に氾濫していて、「独破リスト」でも増殖中・・。
しかし、ヒムラーうんぬん・・というタイトルの本はほとんどありません。
副題の「ユートピア」からイメージされるように、ヒムラーが東方に求めた
オカルト的なユートピアと、その思想について研究しているもののようです。

ヒムラーとヒトラー.jpg

序文では、「本書はナチズムをユートピアとして理解しようとする試みである」と述べ、
その対象はヒトラーとヒムラー、2人の口から語らせようとしています。
すなわち、「わが闘争」や演説など、記録に残っている物を分析していこうという姿勢ですね。

第1章では、彼らのユートピア思想を理解する前に、帝国主義や社会ダーウィン主義、
第1次大戦に参加したドイツ・ユダヤ人10万人、
そのうち1/10以上が戦場に散った・・という話を紹介。
ナチスの反ユダヤ主義が始まる前に、ちょっとお勉強という感じです。
続く第2章では、ヒトラーがナチ党党首となり、1920年頃の演説の反ユダヤ主義に関する部分を
2ページほど抜粋し、「ユダヤ人は国民の血を吸うヒル」、
「国際金融資本とボルシェヴィズムはユダヤ人に操られている・・」という妄想を解説します。

Typical of Nazi propaganda, Der Ewige Jude.jpg

ヒトラーと電話をするときさえ、直立不動の姿勢を取ったというヒムラー
その生い立ちから、8歳年上のマルガレーテとの結婚から別居までを簡単に・・。
そして1931年、30歳以下の社会民主党員の割合が19%だったのに対し、
40万人を越えたナチ党員のその割合は40%であったという、若い世代に魅力があったとする数字。
官僚制支配を嫌うヒトラーによって、ある程度の自由裁量を持った適任者が都度、任命され、
巨大な国家と社会制度の中で、複雑な権限と機関、幹部との競合、
そして混乱をもたらすことになった・・と簡単にわかりやすく記述しています。

Hitler, Heinrich Himmler, Viktor Lutze, Adolf Hühnlein and other Nazi leaders attend a cornerstone ceremony at the Fallersleben Volkswagen Works on 25th June 1938.jpg

詳しく書かれるのはヒムラーの権限です。
ゲシュタポの歴史から武装SSブロムベルクとフリッチュ事件
片腕ハイドリヒも写真付きで登場し、
「われわれの闘争の変還」という1935年に出版された小冊子でハイドリヒが述べた、
SS隊員に向けた心構えともいえる内容を1ページほど掲載。
「敵をあらゆる領域から最終的に駆逐し、壊滅させ、血においても精神においても、
ドイツを敵の侵入から護るために、なお数年の激しい闘争を必要としている」。

Reinhard Heydrich and Werner von Blomberg at party.jpg

レーム率いる巨大で野蛮なSA(突撃隊)を粛清し、黒服に「忠誠こそ我が名誉」という
マゾヒスティックなスローガンで、中世の騎士団風エリート集団を作り上げようとするヒムラー。
さらに怪しげな歴史神秘主義と似非ロマン主義化を試み、敬虔なカトリック家庭で育った彼は、
キリスト教とゲルマン人についても都合の良いように解釈。
自らをハインリヒ一世の生まれ変わりと考え、ヴェーヴェルスブルク城での神秘的な儀式も・・。

Heinrichs-Feier, Heinrich Himmler.jpg

また「その祖先だけを信じている民族がどれほど勇敢か・・。日本を見よ!」と戦士階級であり、
家系を名誉として自決さえためらわないサムライのあり方からもアイデアを得るのでした。
「日本人からサムライの刀を贈られた・・」というシュペーアの回想録での話も思い出しますね。

samurai.jpg

情け容赦ない、非情な絶滅戦争となった独ソ戦については、
もとはアジア由来のチンギス・ハーンによってもたらされた野蛮への防御と考え、
「スターリンは新しいチンギス・ハーンであるとヒトラーは考えていた」・・というのは面白いですね。
そしてチンギス・ハーンの書物を総統からプレゼントされたヒムラーは
このモンゴル帝国の王が戦時に示した残忍さ、皆殺しに徹底的な破壊に魅せられ、
人間の生命をネズミほどにしか考えなかったハーンに
恐れと尊敬の入り混じった感情を持ったということです。

Hitler is presented with a painting of his hero, Frederick the Great, by Heinrich Himmler.jpg

チンギス・ハーンについてはあまり詳しくないんですが、個人的には日本(アジア?)では
反町隆史が演じた「蒼き狼」という映画も作られたりと英雄扱いで、
ヨーロッパでは残忍で野蛮な征服者と、イメージされている気がしますね。
それにヴィトゲンシュタインの世代はどうしてもチンギス・ハーンと言うより、「ジンギスカン」。
となると、まるでテーマ曲のように「ジン、ジン、ジンギスカ~ン。エ~ラカ、ホ~ラカ・・・」と
頭の中で曲が流れてしまいます。。脱線してすいません。ウッ!ハッ!

gengfis khan.jpg

いよいよ東方へのユートピア・・。
長期的には北方人種を含む、1億人のゲルマン人を占領した東方の地に開拓者として入植させ、
ロシア人、その地の劣等民族は教育も受けさせずに奴隷として扱う・・、
このようなヒトラーの考えを「ヒトラーのテーブル・トーク」を抜粋しながら進みます。
ここでは「スターリンのような容赦なき措置によってのみ、目標を達成できる・・」と
ヒトラーが語っているのが印象的です。まさに「グラーグ」を知っていたんでしょうね。

ポーランド戦以降、占領地で絶滅作戦を繰り広げるハイドリヒ指揮するアインザッツグルッペン。。
その一方でポーランド人やチェコ人であってもゲルマン的血を引いていると思われる子供を
ドイツに連れ帰ってゲルマン化したい・・という「生命の泉」にも触れています。

Himmler_Wolff and boy.jpg

ベルリン大学教授でSS大佐でもある、コンラート・マイヤー=ヘトリンクを中として作成された
「東部総合計画」の見取り図も3枚掲載され、具体的なSSのユートピア計画にも言及。
ヒムラーの夢想するユートピアは、彼らしい農業を中心とした世界です。
引退したら、ソコで牧場を営みたい・・なんて語っていたというのも何かで読みましたね。

Planung und Aufbau im Osten_Heß und Himmler,Bouhler, Daluege,Konrad Meyer.jpg

しかし、戦局の悪化やパルチザンの抵抗などによって占領地に入植するどころではありません。
当初、ユダヤ人はマダガスカル島へ強制移住させると計画していたものの、
制海権を掌握する英国に勝利する見通しも喪われ、計画は夢の彼方へ・・。
ウラル山脈の向こう、シベリアやアラスカへユダヤ人を追放しようとする案も、
対ソ戦に手こずっている現状では、やっぱり夢の彼方です。

poland-ghetto-warsaw-persecution-of-jews-nazi-germany.jpg

本書では「ヒトラーがユダヤ人絶滅指令を(おそらく口頭で)出したのは1941年」としています。
そしてこの命令にはさすがのヒムラーも動揺。。
いくらユダヤ人が世界支配の陰謀を企み、ゲルマン民族の血を汚染する寄生虫だと言われても、
多くの無防備なユダヤ人、しかも老人や、必死に子供を守ろうとする母親を
子供もろとも射殺し続けるには、格別の「正当化イデオロギー」が必要になります。
こうしてSS隊員に対し、「ユダヤ人駆除はシラミ駆除と同様であり、
世界観の問題ではなく、衛生上の問題である」と説くヒムラー。

Einsatzgruppen35.jpg

そう言ってはみたものの、大量射殺現場に立ち会って卒倒しそうになったSS全国指導者・・、
忠誠と服従をモットーにした騎士団であるSSは、いかなる非人道的な、
過酷な任務にも耐えられねばならず、耐えがたいほど残酷な命令であればあるほど、
ヒムラーの自虐的ヒロイズムは燃え上がります。

Heinrich Himmler.jpg

中止となった「安楽死計画」に使用されていた「青酸ガス」方式を導入し、
アウシュヴィッツトレブリンカ、ゾビボルなどの絶滅収容所が誕生。
ゾンダーコマンドに選ばれたユダヤ人が死体の処理も行うという、
ユダヤ人によってユダヤ人を絶滅させる、地獄のシステムが完成するのでした。

Death Gate_ auschwitz.jpg

著者の経歴を見ると、あの強烈だった「普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊」の
訳者さんなんですね。後半のホロコーストはさすが、詳しく書かれていました。
正直、ヒムラーとヒトラーが東部の生存圏をユートピアとしてどのように考えていたか・・
については知っていたことと、さほど変わりはありませんでしたが、
もともとはヒトラーの思想であった東部のユートピア構想に、ヒムラーのオカルト的な要素が加わり、
戦争が激化する中、そのユートピアの夢は挫折し、とにかくユダヤ人だけでも絶滅させようという
本来の目的とは違う方向に進んでいった・・という面白い視点でよく研究された一冊だと思います。









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炎の騎士 -ヨーヘン・パイパー戦記- [戦争まんが]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

小林 源文 著の「炎の騎士」を読破しました。

ル・グラン・デューク」以来、次のまんがは何にするか・・?
大分、検討しましたが、「世界の戦車」にもチョコっと書かれていたり、
オススメのコメントを戴いていた著者の一冊を選んでみました。
ヨアヒム・パイパーは「ヨッヘン」とか「ヨーヘン」などと呼ばれ、
映画「バルジ大作戦」のヘスラー大佐のモデルとも云われている超有名人で、
洋書では彼に関する本が何冊か出ているものの、残念ながら翻訳されていません。
同じ武装SS「ライプシュタンダルテ」のヴィットマンが2冊、
パンツァー・マイヤーも回想録が翻訳されているのに、コレはどうゆう扱いなんでしょうね。
そんなわけで、まんがでパイパーを勉強してみました。

炎の騎士.jpg

1940年のフランス戦から始まる本書。
先遣中隊長パイパーSS大尉の活躍が描かれた後、彼の経歴が文章で書かれています。
1938年にSS少尉として、SS全国指導者ヒムラーの副官を務めたという有名な経歴の他に、
このフランス戦のあとに、師団長ゼップ・ディートリヒの副官となったと紹介されています。
コレは初めて聞いた話ですが、師団史には書かれてないものの、種々の写真から
著者が判断したとして、副官飾緒を下げた ↓ の写真を掲載しています。

Jochen_Peiper_HStuF_und_Sepp_Dietrich_1940-1942.jpg

SS‐LEIBSTANDARTE―第1SS師団の歴史」にもヒムラーとゼップ、
そして副官パイパー3人が写った写真を載せていますが、
どちらも1級鉄十字章を着用していることから、フランス戦後だと思いますが、
上の写真も近くにヒムラーがいるのかも知れませんし、
コレだけだと、「パイパーがゼップの副官」だったとは断言できませんね。

1941年に対ソ戦が始まると、戦車部隊への転属をゼップに願い出るパイパー。
しかしゼップはあっさりダメ出しして、SS少佐へ昇進し、
擲弾兵連隊の第3大隊長となったことを告げるのでした。

Joachim Peiper,.jpg

スターリングラードで第6軍が降伏し、東部戦線に危機が迫ると、
西部での休養から第3次ハリコフ戦へと駆り出されます。
所々で連隊長のフリッツ・ヴィットSS大佐の2ショット写真などが組み込まれているのが
面白いですね。そして孤立しているパンツァー・マイヤーの救援に向かうパイパー。

Kurt Meyer bei Charkov mit Sepp Dietrich.jpg

また、「世界の戦車」のように兵器について、ストーリーとは別に細かく紹介するのも
著者ならではのようです。
「歩兵の対戦車兵器」として、「吸着地雷」や「ライフルグレネード」などの使用法も・・。
本書ではパイパー自らライフルグレネードでT-34を屠るシーンもあったりして。。

German rifle grenade.jpg

続く、クルスク戦はプロホロフカの戦いなど大戦車戦として知られていますが、
擲弾兵のパイパーは戦車の乗って戦うわけではありません。
それでも走ってくるT-34目掛けて対戦車地雷を投げつけて撃破・・。
大隊長自らの捨て身の活躍に部下たちも「ブラヴォー!」
まぁ、パイパーは右腕に「戦車撃破章」を付けているくらいですから、大したモンです。

peiper_reggio-aug-1943.jpg

降伏したイタリアへ武装解除に向かうことになったパイパー。
ドイツの政治指導者に虐められているユダヤ人ラビを救ったかと思えば、
イタリア兵に連れ去られた2名の部下を救うため、ボヴェス村に救出に向かい、
それと引き換えに戦闘によって33名の民間人が死亡したというエピソードも・・。

Paul_Guhl_Jochen_Peiper_Werner_Wolff_Reggio_march_aug1943_1.jpg

再び、地獄の東部戦線へと向かうことになったパイパーですが、
戦死したシェーンベルガーSS中佐の後任として、念願の戦車連隊長に任命されます。
双眼鏡で戦況を確認し、「あのティーガーはやるな。戦車長は誰だ?」
の問いに「ヴィットマンです」。
こうしてヴィットマンたちに騎士十字章を授ける有名なシーンも登場・・。

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1944年になるとベーケ重戦車大隊とともに「チェルカッシィ包囲」にも突撃します。
そして消耗した「ライプシュタンダルテ」は休養のためにフランスへ向かいますが、
そこには連合軍が上陸して来るのでした。

しかしヤーボの前に前進すらままならないパイパー。
進撃する連合軍に包囲された味方を救うために20両しかなくなった戦車で
脱出戦の援護を努めるのみ・・。

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そんなパイパーの名を不動のものとする「バルジ大作戦」こと、「アルデンヌ攻勢」が始まります。
パンターとケーニヒスティーガーを揃えたパイパー戦闘団が一路アントワープを目指して発進。。
やがて投降してきた米軍捕虜に対する「マルメディ虐殺」が起こってしまいます。
本書ではこのシーンは「偶発的な事故による惨劇」と・・。

Massacre de Malmedy.jpg

剣章も受章し、SS大佐へと昇進したパイパーは1945年、ハンガリーでの戦いに挑み、
最後は米軍に投降・・。
パイパーの写真は世の中に多くありますが、実はSS大佐の写真は一度も見たことがありません。
もちろん本書では襟に柏葉が一枚づつ描かれています。

炎の騎士2.jpg

その捕虜キャンプは人権を無視する命令が出されて、多くのドイツ軍捕虜が命を落とした・・と
消えた百万人」バリのことも書かれていますが、
レジスタンスが外から発砲したり、外に連れ出してリンチにしたり・・という話も。。
さらにイスラエルの手によってSS専用の収容所のパンに毒が混入され、
数百名が毒殺されたという凄い話もありました。

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裁判では悪逆非道の武装SS指揮官とされて「ボヴェス村の虐殺」と
「マルメディ虐殺」の責任を問われ、弁護側の証人として、パイパーが救った
ユダヤ人ラビが証言するものの、1957年になってやっと釈放。。
偽名を使い、フランスで余生を送るパイパーですが、
1976年、フランス極左テロリストに家を放火され・・。

Peiper_smiles_1970s.jpg

著者は「彼の死を信じない!」そうですが、
それよりもこれだけ戦って一度も負傷していない・・というのは信じがたいですね。。
独破後、彼の写真をいろいろと見てみましたが、確かに「戦傷章」を付けたものはありません。
甘いマスクに戦車撃破章、白兵戦章まで付けた剣柏葉付き騎士十字章受章者。
「炎の騎士」というタイトルも良いと思いましたが、幸運の騎士か何かが彼に乗り移っていたのでは・・
とも思わせる174ページのパイパー戦記でした。

Peiper_pool_lightened.jpg

ただ、個人的にはパイパーの最期の(と思われる)ところまで描かれているなら、
彼の生い立ちやSSに入隊した経緯、ヒムラーの副官に任命・・という経歴部分も
文章ではなく、まんがで描いて欲しかったですねぇ。
ヴィトゲンシュタインのは1990年の版ですが、2004年に再刊されています。
違いがあるのかは不明です。。勉強不足でスイマセン・・。













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