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ヒトラーとスターリン -死の抱擁の瞬間- 〈上〉 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アンソニー・リード, デーヴィッド・フィッシャー共著の「ヒトラーとスターリン〈上〉」を読破しました。

「ヒトラーとスターリン」というタイトルだと、アラン・ブロックの全3巻「対比列伝ヒトラーとスターリン」
の方が有名かもしれませんが、本書の原題は表紙のイラストが物語っているとおり、「死の抱擁」。
「悪魔の契約」とも云われる、1939年のポーランド侵攻直前に締結された
「独ソ不可侵条約」の全貌を英国BBCのジャーナリストが追ったものです。
2001年発刊で2段組の上下巻を購入したのはほぼ3年前・・。
今、最初から読み始めたところですが、どうも30ページほど読んだ形跡が・・。
覚えていませんが、購入当時にちょっと読んで、挫折していたようですね。。

ヒトラーとスターリン上.jpg

その30ページほどを再び読んでみると、生涯、一度も会うことのなかったヒトラーとスターリン。
多くの歴史家が語る「もしも2人が会っていたならお互いを理解しえただろうし、
戦争も起こらなかった」などという都合の良い考えは、
両国を取り囲む現実を無視したモノである・・、として
紀元前5世紀の初期のスラヴ族とチュートンの一部族であるゴート人の話まで遡って、
両種族間の反目が現代まで絶えることがなかったと解説します。

そしてスラヴ民族を劣った人種としながらも、彼らに席捲される恐怖に脅えていたドイツ民族。
20世紀初頭の帝政ロシアの人口が1億7千万人だったのに対して、
ドイツの人口は約1/3・・。さらにその差は広がるばかり・・。
その理由はスラブ人の出生率がドイツ人の3倍だったからという話では、
ヒトラー政権が、なぜあれほど出産を激励し、「母親十字章」まで制定したのか・・が
わかったような気がしました。

mutter und kind.jpg

続いて第1次大戦に敗北した、ドイツとロシア。
その両国から多くの領土を奪ったばかりでなく、その住人までさらって誕生した新生ポーランドには
「存続の権利はない」という考えで一致していた両国。。
ヴェルサイユ条約で10万人に制限されたゼークトのドイツ軍とロシア軍が
友好的な軍事協力と貿易を続けますが、ヒトラーの台頭によってそれも半減・・。
外交に暗いヒトラーは外国生活経験者のリッベントロップを特命大使に任命し・・
という1938年のオーストリア併合までの独ソ両国の外交を中心に解説されます。

ズデーテンラント要求では、独英仏伊の4ヵ国によるミュンヘン会談が・・。
当該国であるチェコの会議参加も認められなかったという話は良くありますが、
ココでは共産主義を頑として憎しみ続けた英首相チェンバレンによって、
ソ連の会議出席が無視されたことが、スターリンの心に焼きついた・・としています。

Klapp-Postkarte zum Münchner Abkommen 1938.jpg

2人の怒りっぽい巨人に挟まれているポーランドの中心人物は
偉大な英雄ピウスツキー元帥のお気に入りとしてのし上がった、44歳の外相のベック大佐です。
彼らの外交政策の原則は2つの隣国と友好関係を結び、決してどちらか一方に与しないこと・・。
そのベックは1939年早々にヒトラーの山荘に招かれ、独ポの懸案となっている
ダイツィヒと回廊問題を話し合い、両国が以前から目を付けているウクライナをを奪取して
分け合おうなどというヒトラーの提案が・・。

hitler_Jozef beck.jpg

興味深かったのは当時、ポーランドではユダヤ人に対する暴力行為が激しくなり、
ドイツよりも多い、40万人のユダヤ人がポーランドから逃げ出し、
さらにポーランド政府はマダガスカル島へ追放する案を出したとして、
コレがナチスがこの有名な案を検討し始める以前のことだとしています。

1939年3月、ズデーテンラントだけではなくチェコそのものまで飲み込んでしまったヒトラーを危惧し、
英ポ仏ソの4ヵ国が協議を検討しようとすると、
ソ連が関わることはヒトラーを怒らせてしまうことを理由にポーランドのベックは拒否しますが、
英仏ソと組んで対抗しようと英国の圧力が・・。
ここから、ポーランドを巡る大国の思惑が激しくなり、
ヒトラーは東西の大国が今まで同様、傍観してくれることを望んで侵攻作戦を立て、
スターリンは英仏とヒトラー、どちらと組むことが利益になるのか・・?

chamberlain hitler.jpg

ヒトラーの2時間にも及ぶ演説は、ソ連に対しての批判や悪口が一言もなく終わると、
ユダヤ人のソ連外相リトヴィノフが突如解任され、首相のモロトフが外相に・・。
このようにヒトラー、スターリン双方がお互いに対してサインを送り出しますが、
派手に手を差し伸べて断られるような、みっともない真似だけは避けねばなりません。

モスクワではロシア人からも好かれ、尊敬されている貴族のドイツ大使、シューレンブルクが
頻繁にモロトフを訪ね、リッベントロップと外務省の次官、57歳のヴァイツゼッカーらが、
スターリンの本心を探ろうと懸命です。
ヴァイツゼッカーの息子は、後の大統領で知られていますが、シューレンブルクも
ベルリン・ダイアリー」で主人公の「おじさま」的人物で印象に残っていた人です。
2人とも反ヒトラー派なんですね。。

Graf von der Schulenburg.jpg

英国では海外総軍監督で15ヵ国語を操るアイアンサイド将軍がポーランド軍を視察し、
騎兵隊が草原を疾走するロマンチックで感動的な姿に怒りを覚え、
その作戦計画と装備のお粗末さに呆れかえり、「武器調達の金を早く送れ」と
ロンドンを急き立てますが、内閣はフランスも出すなら・・と渋るのでした。。
しかし、この将軍も「ダンケルク」で登場する人物で、本書は今まで
ちょっと気になっていた人物が多く出てくるのが、実に楽しめます。

Edmund_Ironside.jpg

ポーランド侵攻まであと1ヶ月となった7月末、ヒトラーはバイロイト音楽祭に出席し、
10日間のワーグナー浸けの日々を送る一方、英国では議会が8月4日から休会し、
チェンバレンと外相のハリファックスも夏休みの釣りと狩りの準備に大わらわ・・。
再開は10月3日です。。
しかし英仏はこの間に、軍事使節団をモスクワに送り、ソ連との軍事協定についての交渉を
だらだら長引かせる戦略を立てているのでした。

Berchtesgaden, Germany, 1939, Hitler hosting a charity concert at his home.jpg

以外に面白かったのが、この英仏の軍事代表団がモスクワを訪れ、
ヴォロシーロフを中心としたソ連側軍事代表と連日、暑苦しい攻防を繰り広げるシーンです。
特に、いざ戦争となった際にどれだけの兵力を投入できるのか?と聞かれた英仏ですが、
ソ連が裏でドイツと繋がっていて、スパイの役目をしているのでは・・という疑念が拭えません。
一旦、席を外して「作戦会議」。
「とりあえず、3倍に水増しして言っておけ。どうせ向こうは1/3に見るだろうから・・」。
しかし、その水増しの数字でも「少なすぎる!」と信用しないヴォロシーロフ。。
もちろんその後、提示されたソ連側の戦力もまったく信用しない英仏です。

Kliment Voroshilov.jpg

さらに全権を委任している証明として自らの経歴を説明する英国代表団団長ドラクス。
ガーター勲章の説明では、その歴史にソ連側も畏怖の念を感じるものの、
バス勲章がそのままロシア語に訳されると、さしものヴォロシーロフ元帥も
「風呂勲章とはいったい・・?」と驚きを隠せません。。

Order of the Bath  Breast Star.jpg

その間にも侵攻に向けてポーランドを挑発し続け、英仏の介入が起こらないことを確信し、
モスクワでの英仏の交渉が不調であることから勇気づけられたヒトラー。
スターリンは英仏と軍事交渉する反面、政府としてはドイツと密かに交渉中・・と、
どちらのカードに賭けるか、未だ思惑中・・。
しかし、ドイツ軍の攻撃日程まであと1週間余りとなって、東へ進出したドイツ軍が
どこで停止するかは誰もわかることではなく、「不可侵条約」が調停されれば、
ソ連国境の手前で停止してくれる・・とスターリンは信じるのです。

Panzer IV Ausf. A tanks parading in Sudetenland, Germany, Oct 1938.jpg

一方のヒトラーはスターリンの「じらし作戦」の前に地獄の責苦のような緊張が続きます。
そしてスターリン宛ての「私信」を書くという、型破りな行動に打って出ます。
翌8月21日、「スターリンが呑んだ!モスクワへ飛んで奴と条約を締結するぞ!」と
スターリンから届いた返信に大興奮するヒトラー。
この私信が「型破りな行動」だった理由とは、当時、西側では公的地位を持たないスターリンの
存在を公式に認めておらず、国家元首ではなく、首相ですらなく、単なる党書記長に過ぎない
スターリンに誰も手紙を書いたり、話をしたりしたことがなかったということです。

the day he was elected as a Chancellor.jpg

まさに同じ国際社会の除け者の独裁者心理を嗅ぎ取った、ヒトラーの動物的直感力が
この「独ソ不可侵条約」が締結したカギのようですね。
そしてヒトラーから「何でも呑め」と言われて早速、モスクワへ飛ぶリッベントロップ。
ヒトラーの連絡官ヘーヴェルに通訳のシュミット、ヴァイツゼッカーに写真家ホフマンが従い、
大使のシューレンブルクも長年モスクワにいながら、初めてスターリンと対面することに・・。

Abschluß des Hitler-Stalin Paktes.jpg

英仏が誰も知らない軍人たちを送って来てグズグズするのに対して、
ドイツが全権を持った外相を送って来たことも、ソ連のプライドをくすぐり、
空港にはモスクワ映画撮影所の「反ナチ映画」の撮影に使われていた
「鉤十字の旗」が集められ、なかには古い逆向きの「」の旗も・・。
ソ連の軍楽隊はにわか仕込みの「世界に冠たる我がドイツ」も演奏します。
万が一、この曲を知らない方は ↓ をどうぞ・・。



いかがでしたか?
ヴィトゲンシュタインは3番しか歌えません・・。
ちなみにソ連の軍楽隊はナチ党党歌「ホルスト・ヴェッセル・リート」も演奏しようと
奔走したそうですが、楽譜が手に入らず断念・・。

この電撃的な協定の結果、日本では衝撃を受けた平沼内閣が倒れ、
ドイツ国内ではナチ党員がイデオロギー的な裏切り行為であるとして、
ナチ党本部である「褐色の家」に外した腕章を投げ込んで抗議したことに心を痛めるヒトラー。。
ソ連でもそれまで「ファシストのハイエナ」と報道されていたナチスは、
「ドイツ当局」という表現へとすぐさま変更・・。
スターリンは語ります。「これはもちろんどっちが巧く相手を騙すかというゲームだ。
ヒトラーは巧く出し抜いたと思っているだろうが、実は出し抜いたのは私の方だ」

Newsweek_1939 Stalin Ribbentrop.jpg

上下2段組の文字が326ページ、ビッシリと続く本書ですが、
途中2箇所で10数枚ずつ写真が掲載されています。
ポーランドの騎兵隊の写真では、「ベルリンのウンター・デン・リンデンまで疾駆突撃すると自信満々」
という切ないキャプションが笑えますし、条約を締結させたリッベントロップを
「でかした!」大喜びで迎えるヒトラーとその面々の写真。
SS副官当時のあのマックス・ヴュンシェも右端で嬉しそうですね。
しかしキャプションではSS副官なんぞには触れず、
リッベントロップの背中越しの「ヴァイツゼッカーの表情が気乗りしない様子・・・」と。

Ribbentrop und Hitler freuen sich über den Abschluss des Freundschafts und Wirtschaftsvertrages mit Stalin, inklusive seiner geheimen Zusatzabkommen.jpg

前半の100ページあたりまでは、なかなかシンドイ展開で、
「こりゃ、2~3年前に挫折したのもしゃあないなぁ・・」と自己正当化・・。
しかしソコを過ぎると、本書ではじめて知った重要な登場人物たちにも慣れてきて、
独ソと英仏、ポーランドといった当該国以外のイタリア、日本の思惑なども絡んだ
国際政治の駆け引きがコレでもか・・と続き、良い悪いは別にして、
各国の方針・・それが必ずしもひとつではない・・ことが楽しみながら理解できました。

他にもドイツ国防軍では陸軍最高司令官のブラウヒッチュに参謀総長のハルダー
防諜部(アプヴェーア)のカナリスに、SSのハイドリヒと"やくざ者"ナウヨックス仕掛けた作戦
英国と陰で交渉するゲーリングと、その友人でスウェーデン実業家ダーレルス。
危機の迫るダンツィヒの様子と大管区指導者フォルスターといった面々も登場します。

Albert_Forster.jpg

予想に反し、この上巻で「死の抱擁の瞬間」を迎えてしまいましたが、
下巻はポーランド戦と1941年、スターリンに殴りかかるヒトラーまでが描かれているようです。



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