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アドルフ・ヒトラー 五つの肖像 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

グイド・クノップ著の「アドルフ・ヒトラー 五つの肖像」を読破しました。

先日、お風呂に入りながら「どうしてヒトラーは後継者にデーニッツを選んだんだっけ・・」と
急に疑問が浮かびました。
その時、思ったのがヒトラーの多面性です。
ナチ党党首としてのヒトラー、国防軍最高司令官としてのヒトラー、
国家元首としてのヒトラー、最後に私人としてのヒトラー。
いままで独破してきた経験から、自分ではこの4つに分類しました。
最初はイデオロギー的な問題、いわゆるユダヤ人問題やホロコーストにかかわること。
その次は純粋に軍人として戦争に勝利すること。
そして国家元首ヒトラーはドイツ国民と外交にかかわる部分ですが、
この国家元首ヒトラーがデーニッツを選んだのか・・?

そういえばそんな感じの本があったな・・と考えながらのぼせそうになりました。。
風呂上りにモウロウとしながらも早速、本書をamazonで注文してみると、
煽動者、私人、独裁者、侵略者、犯罪者という「5つの顔」でした。
こりゃ、クノップ先生とのタイマン勝負になりそうですね。

五つの肖像.jpg

2004年に発刊された419ページの本書は、「ヒトラーの共犯者-12人の側近たち〈上〉〈下〉」、
ヒトラーの戦士たち-6人の総帥-」、「ヒトラーの親衛隊」などの後に出たものですが、
ZDFのTVドキュメンタリーとしては一番最初のもので、
日本でもNHKで「ヒトラー」として放映されたことがあるようです。

序文ではまず、現代のドイツ人にヒトラーが今なお与えている暗い影を
「依然として知名度はサッカーの英雄ベッケンバウアー、ドイツ統一時の首相コール
ウィンブルドンの覇者ボリス・ベッカーを凌ぐ」として、
自分が反ナチであることを日々、証明しなければならないかのように
ナポラ」ばりエリート養成教育を思い出させるために、才能ある人を特別に支援するのを避け、
「安楽死殺人」の記憶のために、尊厳死について冷静に議論することができず、
「支配人種」というヒトラーの妄想のために、遺伝子工学の研究に拘りなく取り組むことが出来ない・・
としています。とても印象的な出だしですね。

hj_dient.jpg

「煽動者」の章は、ナチ党の類稀なる演説家としてのヒトラー分析です。
壇上での激昂が自然発生的に見えるように、入念に練習を重ね、
専属写真家のホフマンに「握りこぶし」や「突き出した指」のポーズ写真を撮らせて研究し、
本番前には鏡の前で自分の姿を確認しながらリハーサルを繰り返したと
従卒のリンゲも証言しています。

よくドキュメンタリーなどで激昂するヒトラーのシーンがありますが、
去年、DVDで「意志の勝利」の演説シーンをじっくり見たら、
結構、原稿に目を落としながらやってるんで印象に残っていますね。。

Hitler persuasive movements.jpg

講演の内容は基本的に同じながらも、聴衆によって複数のバリエーションを駆使。
大学や知識人の前では、外来語や抽象概念がちりばめられ、
北ドイツでならハノーファー風の「方言」を真似して、好意を得ようとします。
外見も同様、商工会議所ではお馴染みの党の制服を脱いで、上品なモーニング姿で演説・・。

しかし演説技術にどれだけ長けていようと、聴衆が密かに考えていることを
ヒトラーがあからさまに語る・・という、聴衆との「意見の一致」が成功につながったとし、
やがて完全無欠となった「総統神話」は、ヒトラー自身、次第に自分の神話を信じ込んでいった・・
と結んでいます。

Hitler speaking at the Lustgarden in Berlin, May 1938.jpg

次の章は「私人」です。
ヒトラーの両親の微妙な問題から、母クララが生んだ3人の子供が早くに死んだため、
アドルフくんは「まさに甘やかされ、ちやほやされて」育ちます。
リンツ時代の唯一の親友といわれるクビチェクくんについては、
「救いようのないほどヒトラーの言いなりで、だからこそ友人として適していたのだろう」。
結局は、後の副総裁ヘスと同様に、ヒトラーの語ることに一生懸命耳を傾けるような
人だったんでしょうか。

August Kubizek.jpg

思わず笑ってしまったのが、貧乏な青年ヒトラーが「宝くじ」を買ったときのエピソードです。
それだけでもうすっかり「大当たり」を射止めた気になって、極上の甘い生活を送ることを夢想し、
その夢の城の調度品やパーティーに迎える人々のことを夢中になって話します。
しかし数週間後、現実はヒトラーをどん底へと突き落とすと、半狂乱に陥った彼は、
自分と人々の騙されやすさと、国が仕組んだペテンを非難攻撃して
何週間も自己憐憫に耽ったのでした。。

En 1908 se traslada a Viena.jpg

女性関係については、「私を踏んでくれ」と懇願する"マゾヒスト総統"などの説は
バカバカしい話として、姪のゲリエヴァ・ブラウンとは長期的に、
その他、20人ほど女性と一時的に性関係を持っていたと思われると
正常な男性であったことを強調しています。
この20人のなかにインゲ・ライを含んでいるのがなんとも・・。

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「独裁者」の章は楽しめました。
1932年当時、ゲーリングは39歳、ゲッベルスが36歳、ヒムラー30歳、
そして党首ヒトラーは43歳。
ワイマール共和国の高齢の実力者に比べて、新生ドイツの若々しさがみなぎっています。

Hitler&Hess-1933.jpg

「国会議事堂放火事件」についてはヒトラーとゲーリングの陰謀説にも触れつつ、
「フォン・デア・ルッベが実際にひとりで火を放ったようにもみえる」としながらも、
「それでも断定するには若干の疑問が残る」と以前紹介した
ナチス第三帝国辞典」と同様の解釈ですね。

ヒンデンブルク大統領が徐々にヒトラーを信用するようになっていったという解説から
SAのレーム粛清、そして単一政党の「ナチス国家」の誕生・・。
アウトバーン」ではヒトラーの発明ではないと前置きしたうえで、
「特筆すべきは近代的な機械を使って早く、安価に建設することを選ばず
路上に放置されていた数十万の失業者を労働力として投入したことである」

autobahn.jpg

やがて国民はお互いを監視し、お互いを警戒し始めます。
近所の人や同僚、友人、ヒトラー・ユーゲントに所属する我が子がスパイとなり、
密告者として活動・・。
わずか3万人の人員しかいない「ゲシュタポ」は、単に"反抗的な国民同胞"を
「迎えに行く」だけでよかった・・。

Gestapo45.jpg

基本的には特別、目新しいことはありませんでしたが、
国防軍とヒトラー」に書かれていたような、シュライヒャーやパーペンの絡んだ
政治的なゴチャゴチャを簡単明瞭に解説しているので、非常に理解しやくなっています。
未読のクノップ本、「ヒトラー権力掌握の二〇ヵ月」は、このあたりが詳しいと思われますので
近々、いってみようと思います。

hitler-and-hindenburg.jpg

「侵略者」の章は最高司令官としてのヒトラーを分析していますが、
全体的に手厳しいですね。。
ミュンヘン会談で平和に分割されたズデーテンラント問題については
ヒトラーは戦争を望んでいて、武力で勝ち取りたかった・・という解釈です。
これは1945年2月の発言を根拠にしていますが、
個人的には敗北の見えたこの時期の発言は信用していません。

西方戦役では、保守派の将軍たちの意見を押し切って、戦車と装甲部隊を拡大し、
マンシュタイン・プランを認めるといった目の付け所は評価するものの、
実際の作戦指揮については完全にダメ出し。。ダンケルクの停止も諸説挙げますが、
「ヒトラーがヒステリックになって度を失ったとする説が最も多い」としています。

Der Fuehrer besucht der Front.jpg

個人的にヒトラーの良いトコだと思っているのは「勲章」についてです。
軍人としては、第一次大戦時の「1級鉄十字章」と「黒色戦傷章」しか身につけず、
その一方で、騎士十字章から様々な勲章を制定し、
ナチ党の最高勲章である「ドイツ勲章」などは自身でデザインしたとされています。
そのようなヒトラー流のコダワリのある勲章を自分ではほとんど受章しないところが
その他の軍事独裁者と違うところではないでしょうか。

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ゲーリングには国家元帥という唯一の階級に応じる形で「大十字鉄十字章」を授与しましたが、
普通の独裁者だったら、自分にさらに上の「大十字鉄十字星章」でも与えたりしそうです。
軍服に勲章ビタビタの他国の国家元首と並んでも、物怖じしていませんし、
部下の将兵がコレ見よがしに付けていても、まったく気にしないという態度ですね。
せいぜい「血の勲章」と、ヒトラー暗殺未遂事件の被害者に制定した
特別な「戦傷章」を自ら授与したという話くらいです。

Adolf_Hitler_and_Prince_Paul_of_Yugoslavia_(1939).jpg

ちょっと話が横道にそれましたが、最後の章は「犯罪者」。
ミュンヘン一揆」の失敗以来、待つことを知り、近道を通らず、段階を踏むことを学んだヒトラー。
「法律をはなから無視するのが自慢で、良心のかけらもない家来」ヒムラーと、
「その腹心で、あるじヒトラーの優秀な弟子だった」ハイドリヒによって
ユダヤ人問題の「最終的解決」が進められていきます。

Heydrich conversa en un Cocktail delante de un busto de Adolf Hitler.jpg

さらに「一番の優等生」でベルリン大管区指導者ゲッベルスもヒトラーに
「首都ベルリンは"非ユダヤ化"されましたと報告したい」という、熱狂的な意思を持っています。
こうして「水晶の夜(クリスタルナハト)」事件が起こりますが、外国からの信用を失うと、
ヒトラーも一転、ゲッベルスを避難する側に回るのでした・・。

Hitler with officers at dinner. Dr. Joseph Goebbels is seated at his left.jpg

ホロコースト、大量虐殺に対するヒトラーの責任を裏付ける書類は残っていないと
認めている本書ですが、「総統がご存じでないことは、私は何一つしない」と言う、
ヒムラーの言葉を「絶滅のシナリオを口で指示した」と解釈し、「証拠」としています。

hitler_and_himmler_by_hermiteese-d3aogee.jpg

まぁ、クノップ先生はどんな本でも取り上げた人物に対しては厳しいので、
本書のヒトラーに対しても、だいたい予想はついていましたが、やり過ぎな気もします。
ちょっとした良いところも紹介しつつ、その後に大きな間違いを指摘する・・
という展開で進みますが、一見、公平な書き方のように見せながら、
「悪」という結果ありきなんですね。
ドイツのTVでヒトラーを褒めるわけにもいかないですから、ソレもしょうがないでしょうが・・。

Adolf Hitler and Joseph Goebbels visit The House of German Art during the annual Festival of German Art in Munich.jpg

話は最初のお風呂での疑問に戻りますが、結局、デーニッツを最も権力のある
「大統領」兼「国防軍最高司令官」に任命したヒトラーの意図はなんだったのか・・?
残念ながら、そう都合よく、本書に書かれているわけはありませんでした。

「唯一の友人」だったといわれるシュペーアが薦めた・・という話もありますが、
ゲーリングとヒムラーがボルマンによって「裏切り者」と信じ込まされた結果、
もはや誰でも良い・・、弱いドイツ国民はどうせ滅亡するのだから・・、
それとも完成した「最後の新兵器」UボートXXI型で、ドイツ海軍が滅びるまで
戦い続けることを希望したのか・・、
あるいは心の底で、連合軍と和平交渉が出来るのは、犯罪的行為に関わっていない
デーニッツしかいない・・と思ったのでしょうか?

hitler_mussolin_Dönitz.jpg

それにしてもヒトラー選んだ最後の内閣は、なかなか興味深くもあります。
デーニッツには全権を与えず、「首相」にはゲッベルスを選ぶあたりは、
それまでヒトラーがず~とそうだったように「権力の分散」を
この期に及んでもしているようですし、
ナチ党党首としては後継者を選ばず、ボルマンを「ナチ党担当大臣」とするところは、
この「ナチ党党首」が彼の最も大事な、政治人生と根本的な立場と認識していた気もします。

Keitel,Goring,Donitz,Himmler,Bormann.jpg

またブラウヒッチュ辞任以降、兼務していた「陸軍総司令官」の座にシェルナー元帥・・。
戦争の期間、軍人としてのヒトラーを支えてきた、カイテルヨードルを完全無視するところも
如何にあの2人を信用していなかったかが、わかるようです。。

Keitel, (right). Looking on are Major Deile, (holding paper), and General Jodl.jpg

2月に出た最新のクノップ本、「100のトピックで知る ドイツ歴史図鑑」も興味をそそられますね。
「カール大帝の戴冠から21世紀の現在までの、1200年に及ぶドイツ史の中から、
時代の行く末を決定したり、人々の心を大きく揺り動かした出来事100」
という内容で、あまり詳しくないドイツ史の勉強になりそうです。









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Uボート作戦 [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

W.フランク著の「Uボート作戦」を読破しました。

リデル・ハートの「第二次世界大戦」でお腹一杯、ちょっとグッタリ気味ですが、
Uボートについてはそれほど触れられていなかったこともあって
3年以上前に購入していた1970年発刊の本書を選んでみました。
著者のW.フランクは、名著「デーニッツと「灰色狼」」の著者というのは知っていましたが、
去年8月の「Uボート部隊の全貌」以来、実に久しぶりのUボートものなので、
本書がどのような内容なのか不明のまま、とりあえず中毒患者の如く、
一心不乱に読み進めます。。。

Uボート作戦.jpg

まずは潜水艦の誕生から第1次大戦でのヴィディゲン大尉のU-9の活躍などを簡単に紹介。
1935年、英独海軍協定によってレーダー提督の新生ドイツ海軍は
排水量250㌧の「カヌー」と呼ばれる小型U-ボートの建造を開始。
Uボート隊指揮官には前大戦のUボート艦長で、巡洋艦「エムデン」艦長となっていた
デーニッツが任命されます。

Karl Dönitz.jpg

500㌧の大型Uボートである「Ⅶ型」も完成し、Uボート部隊も徐々に拡大しますが、
1939年9月、寝耳に水の英国による宣戦布告がデーニッツに衝撃を与えます。
そしてシュウハルト少佐のU-29が早速、英空母カレイジャスを見事撃沈。
しかしレンプのU-30は誤って、客船「アセニア号」を沈めてしまいます。。

HMS Courageous sinking after being torpedoed by U-29.jpg

5本の魚雷しか積んでいない「カヌー」で4隻の商船を沈めたU-19の艦長は、
後の大エース、ヨアヒム・シェプケです。
さらに「死んだふり」を決め込んで、英国に「U-9号を撃沈した」と発表させたのは、
これまたダイヤモンド章受章者となるヴォルフガング・リュート
これら当初の1941年までの攻勢期が数々の戦記とともに語られます。

Joachim Schepke22.jpg

しかし英戦艦ロイヤルオークを撃沈した”スカパ・フローの牡牛”こと、U-47のプリーンの話になると
「あら?この書きっぷりは読んだことあるなぁ・・・」
原題はなんだろう・・とペラペラ捲りますが、通常ページの最初に書かれているハズのものもなく・・。
まあ、「デーニッツと「灰色狼」」の著者だし、アレとかぶっているかと思いつつ、読み進めますが、
「やっぱり、読んだことある」と確信し、今度は後ろを捲ってみると、
ソコには、「Die Wölfe und der Admiral」。
お~と、これは「デーニッツと「灰色狼」」そのものですね。
ちなみ表紙にもちゃんと・・。独破後にカバー外して気づきました。。

U-46 Mise en peinture de l'emblème de la 7e Flottille.jpg

本書についてハッキリしたことは謎のままなんですが、フジ出版から1975年に出た
「デーニッツと灰色狼―Uボートの栄光と悲劇」は542ページの大作で、
それより5年も古い本書は284ページです。
ということは1957年の原著の最初の翻訳版が本書ということなのかも知れません。
ただし、完訳ではなく、1/3から1/5程度の抄訳のような感じです。

Die Wölfe und der Admiral.jpg

そうは言っても「デーニッツと灰色狼」の内容を全部暗記しているわけではないので、
忘れていたエピソードも楽しめました。
あえて艦名の明かされない、とあるUボートが英国潜水艦を撃沈し、
唯一の生存者である一等水兵のペスターを収容します。
同僚のすべてを失ったペスターに「おい、君は気の毒だね」と英語で語りかけ、
彼の衣類を乾かし、チョコレートを振る舞い、司令塔でタバコを吸うことも許し、
思いに沈む彼の沈黙も邪魔しないUボート乗組員たち・・。
明日は我が身と知っている彼らには、他人事とは思えないのでした。

U-Boot-Besatzung mit Gewehren posiert an Bord mit totem Eisbär.jpg

やがて3大エースと呼ばれたプリーンとU-100のシェプケ、 U-99のクレッチマーが揃って撃沈・・。
クレッチマーは本書では「クレチュメル」と書かれているので、一瞬、見逃しました。。
ネイティブの発音ならクレッチュマーが正しいんでしょうか。

Two U-Boat aces together. Gunther Prien, with Otto Kreschmer behind him.jpg

U-556のヴォールファルトと巨大な戦艦ビスマルクとの楽しくも悲しい運命的なエピソード。
「仮装巡洋艦」アトランティスが撃沈され、U-68のメルテンとUAのエッカーマンが
戦時中最大の海難救助を行なったシーンも出てきますが、
ローゲ艦長の書いた「海の狩人・アトランティス」の共著者も、このW.フランクだったんですね。
あれは実に面白い本でした。最初の頃のレビューなんで、超ザックリですが・・。

The Encounter between U-556.jpg

「デーニッツと「灰色狼」」では、フォン・マンシュタインというU-753の艦長の名が衝撃的でしたが、
本書にもちゃんと登場します。
しかし、彼は別に商船をバンバン撃沈したりして活躍するわけではなく、
ただノルウェーに移動するUボートのうちの一隻に過ぎないんですが、
ちょっと気になって調べてみると、1943年の5月に北大西洋で撃沈されています。
スコアは5隻撃沈、3万㌧。享年35歳でした・・。

u753.jpg

1944年の8月にフランスを席巻する連合軍からUボート基地であるブレストを守り抜く様子は
最近、パットンやら、なんやらを読んだので興味深かったですね。
分厚いコンクリートで覆われたUボート・ブンカーは1000ポンド爆弾を数十発喰らっても
ビクともせず、退却してきたドイツ軍部隊が、この要塞と化したUボート・ブンカーに流れ込み、
Uボートクルーたちも海上での時と同様に、陸上でも勇敢に戦い続けます。
サン・ナゼールとロリアンも終戦まで持ちこたえられたのは、
この「Uボート・ブンカー要塞」の存在が大きかったんでしょうね。
これらの戦記に特化した本があってもよさそうなものですが・・。

Die U-Boot-Bunker von Brest.jpg

ブレストにいた2人のUボート隊司令のうち、映画「Uボート」のモデルといわれる
レーマン・ヴィレンブロック大佐は大破していたおんぼろのU-256に
間に合わせのシュノーケルを取り付け、予備の兵員と技術者をかき集めて出港。
数週間後に無事、ノルウェーに辿り着くのでした。

Heinrich Lehmann-Willenbrock.jpg

ヒトラーの後継者に任命された・・というボルマンからの電報を受け取るも、
そんなことも知らずに武装したSS将校の護衛と共にデーニッツのもとに現れた
後継者を自負するヒムラーとの対談が・・。
デーニッツは机にピストルを隠し持ち、U-333の元艦長のクレーマーが指揮をする
「デーニッツ護衛大隊」も隠れて待機しています。
今回、クレーマーの綽名が「生命保険」だったことを思い出しましたが、
まさかそれが理由でデーニッツの警護を命ぜられらたんじゃないでしょうね。。

Peter Erich Cremer.jpg

本書でもかなりの数のUボートと、有名無名に関わらずUボート艦長が登場してきますが、
その人数とエピソードはある程度に絞られています。
例えば、U-156ハルテンシュタイン艦長の有名な「ラコニア号事件」はありませんでしたし、
剣章受章者のテディ・ズーレン艦長についても同様です。
ただミルヒクーの老艦長、フォン・ヴィラモーヴィツ・メレンドルフの最期は、
相変わらずジ~ンとしましたね。。

DONITZ award ceremony.jpg

全体的に、原題「オオカミたちと提督」のとおり、数多くのUボート艦長たちの戦いと、
最初から最後までUボート司令官だったデーニッツとその苦悩、
そしてUボートそのものにもシッカリと光を当てた、とてもバランスの良い一冊で、
Uボート入門書としても、うってつけですし、
「デーニッツと「灰色狼」」がボリュームあり過ぎ・・と腰の引けている方にも、
最適なものではないでしょうか。
名作本っていうのは、何度読もうが、抄訳であろうが、面白いことに変わりありませんね。







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第二次世界大戦〈下〉 リデル・ハート [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リデル・ハート著の「第二次世界大戦〈下〉」を遂に読破しました。

ヨーロッパにおける戦いだけでも陸海空それぞれに分かれているものが普通の
第二次世界大戦記。それらを一緒にして、かつ太平洋戦争までも網羅している本書・・。
1999年再刊のこの下巻は、上巻よりも100ページ以上も薄いですが、それでも519ページ・・。
同じ中央公論社の「砂漠のキツネ」が488ページ、「呪われた海」が572ページですから、
まったく「薄い」という気はしませんね。。

第二次世界大戦下.jpg

1943年から始まる下巻は、連合軍がすでに上陸した北アフリカの掃討戦からです。
ロンメルに代わってアルニムバイエルラインが奮戦し、戦力も「アフリカ軍集団」に
増強されて、再び、ロンメルもこの地に上陸します。
しかし、ロンメルにとってはアルニムとの指揮系統の確執だけではなく、
上官のケッセルリンク、イタリア軍、ヒトラーらの意見と命令の前に、またもや挫折・・。
遂に降伏したアフリカ軍集団の捕虜の数は10万人を超える膨大なものとなり、
これら枢軸軍の歴戦の兵士たちが次の連合軍のシシリー島上陸に投入されていたら
連合軍を早い段階で挫折させていたかも知れないとしています。

Tunisia 1943 250.jpg

そしてシシリー島上陸のハスキー作戦へと続いていくわけですが、
ヒトラーがもともとロンメルに対し、勝利を可能とするような戦力を送らなかったのに、
最後の最後になって、大部隊を送り込み、それが結局、
「ヨーロッパ防衛の見込みを失ったのは最大の皮肉」とする解釈は納得のいくものでした。
通常、北アフリカ戦史とシシリー・イタリア戦史は別々ですから、この一連の流れと
それらの関連性がとても良くわかります。

1943 Britische und amerikanische Truppen landen auf Sizilien.jpg

そのヒトラーが連合軍の上陸はシシリー島ではなく、サルディーニャ島だと推測していた話では、
スペイン海岸に漂流してきた「英軍将校の死体」にあった書類が決定的となり、
連合軍がまんまと成功させたこの有名な「欺瞞工作」にも触れていますが、
去年の10月に「ナチを欺いた死体 - 英国の奇策・ミンスミート作戦の真実」という本が
出てますので、今度、読んでみようと思っています。

Mussolini_Hitler_Ciano.jpg

チュニスでの二の舞は避けて、さっさとイタリア本土へと撤退したドイツ軍。
盟友ムッソリーニが失脚すると、寝返ったイタリア軍兵士を「全員捕虜にすべし」との
ヒトラー命令が・・。しかし南方のC軍集団司令官のケッセルリンクは
イタリアの降伏を受け入れ、ローマを無防備都市とすることも了解します。
そして彼の言う「モントゴメリーの極めて用心深い進撃」にも助けられて、
ゆっくりと、徐々に北へと撤退する遅延戦術を駆使して、最小限の損害にとどめつつ、
悪魔の旅団」にも書かれていた、2か月間の山岳地帯での防衛戦で
米軍だけでも5万人の損害を与え、舞台はモンテ・カッシーノへ・・。

Monte Cassino.jpg

一方、東部戦線の1943年の状況は、ドイツ第6軍がスターリングラードで包囲され、
カフカスから慌てて撤退するクライストのA軍集団と、ソ連軍のロストフへの競争が・・。
ソ連軍より3倍も遠いクライスト軍の側面を援護する、新設されたマンシュタイン
ドン軍集団の活躍もあって、退却軍の勝利・・。なんとか罠から抜け出すことに成功します。
そして本書ではパウルスの第6軍が1月末まで降伏しなかったことによって、
ドイツ軍は更なる崩壊から大いに救われたとしています。

Helmets of the Germans.jpg

「太平洋における日本軍の退潮」の章は、マーシャル諸島などの島々での戦いがメインですが、
B-29が登場したり、キング提督やスプルーアンス提督が出てきたりして、
「はぁはぁ、聞いたことがある名前だナァ・・」なんて感じで読んでいました。
スプルーアンスは軍事古書店に行くと「提督スプルーアンス」という分厚い本が必ず
置いてあるので知っていたんですね。
片や日本軍では山本五十六連合艦隊司令長官が戦死すると、
後任の古賀峯一について触れられていますが、この人すら始めて知りました・・。

Nimitz-King-Spruance.jpg

ノルマンディに上陸した連合軍とドイツ軍の戦い、そして並行して語られる英米の「ののしり合い」。
英軍と肩を並べて進撃するパットンは電話でがなり立てます。
ファレーズまで行かせてくれ。そうすりゃダンケルクのように英軍を海へ突き落してやるから」。
相変わらず、パットンは楽しいですね。。
このあたりの連合軍の作戦については、当時のドイツ西方軍参謀長だったブルーメントリット
後任のヴェストファールの戦後のインタビューを多用して、ダメ出しする展開です。

東部戦線でもドイツ軍はソ連の攻勢の前に退却を続けます。
チェルカッシィ包囲」、「ワルシャワ蜂起」と続き、ヒトラー暗殺未遂事件に将校団の粛清。。
罷免したマンシュタインの毒舌よりも、粗削りな性格で渡り合う勇気を持った54歳の若い将軍、
モーデルを好み、大抜擢するヒトラー。

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対ドイツ戦略爆撃」は個別に1章設けています。
1942年から始まった英爆撃機司令官ハリスによる「1000機爆撃」は、
まず「ケルン」を瓦礫の山にし、1945年にはドレスデンを壊滅させます。
そしてハリスの言う、「爆撃によってドイツ国民の士気を挫いて戦争を早期に終結させる」
この戦略について「戦略上の誤りと基本的モラルの無視にもかかわらず、重要な役割を果たした」
としながらも、「ドイツ市民の士気は萎えることがなく、
戦争末期まで理由もなく地域爆撃を続けたことは問題であり、
製油工場と後方連絡路の攻撃に的を絞っていれば、
戦争を少なくとも数ヵ月は短縮させることができたことは明らかである」と結論付けています。

Homeless refugee German woman sitting w. all her worldly possesions on the side of a muddy street amid ruins of Köln, Germany 1945.jpg

「レイテ沖海戦」というのはかなり有名ですが、コレの詳細も本書が初めてです。
戦艦「武蔵」の最期にも触れられていますが、この「武蔵」っていうのは
小学生の頃、プラモデルを作った思い出があるんですねぇ・・。
おそらく、1/700スケールだったんじゃないかと思うんですが、
あまりのデカさと細かさに挫折したような苦い記憶が甦ります。。

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また「大和」ではなく、なぜ二番艦の「武蔵」が良かったのか・・というと、
ヴィトゲンシュタインは三男坊でしたから、「一番」ていうのに抵抗があったんでしょう・・。
例えば「なんとかレンジャー戦隊」でも赤レンジャーじゃなくて「青レンジャー」が好き。
「新撰組」なら近藤勇じゃなく、鬼の副長「土方歳三」が好き、
男組」なら流全次郎よりも「高柳秀次郎」が好き・・といった具合で
表舞台に立つNo.1ではなく、日陰で補佐する実力あるNo.2に惹かれるんですね。

「硫黄島の戦い」は、さすがに栗林"渡辺謙"中将の「硫黄島からの手紙」を
ロードショーに観に行っているので、本書の太平洋戦争の章で唯一、
「お~、そうそう・・」なんて上から目線で読めました。。

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「沖縄の戦い」も双方の兵力が細かく記載されて進みますが、
戦艦大和の海上特攻も、ドイツ海軍の誇る戦艦ティルピッツと同様に、
敵戦艦に向かってその巨砲を放つことなく沈んだ・・という記述が印象的でした。
特に注釈で、この日独の巨大戦艦の比較があり、
ティルピッツの排水量43000㌧、38cm砲8門に比べ、64000㌧に46cm砲9門というのは、
素人が見た数字としても、ちょっと格が違う?と思わせるものがありますね。

それから「特攻隊」・・。
米海軍の艦艇34隻を撃沈し、368隻に被害を与えた、その主なるものが「神風機」であったとして、
「その苦い経験が、日本本土進攻に強い警戒心を生み、原爆投下の決断を即したといえる」

KAMIKAZE! A Japanese Zero kamikaze fighter about to crash into the battleship Missouri off Okinawa,.jpg

しかしB-29による「東京大空襲」から「原爆投下」という話になってくると、
なかなか客観的に読むのが難しくなりました。
もともと太平洋戦争ではなく、ヨーロッパの戦争を勉強しようと思ったのは、
日本人である自分に直接、関係がないことで、客観的に戦争を知りたかったからです。
東京下町の人間として、このような「焼夷弾の雨」の必要性を連合軍サイドになりきって
「まぁ、戦術として妥当だナァ・・」などと解釈するのは大変なんですね。。

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1000ページ超えの上下巻を読み終わって、やっぱり太平洋戦争が印象的でした。
ほとんど知らなかったのもありますが、ドイツ降伏後のクライマックスに、
日本に歴史的な大きな山場が来るのも印象に残った理由のひとつだとは思います。

それに比べて、ヨーロッパの終結はワリとあっさり・・。
バルジの戦い」と「レマゲン鉄橋」まではドイツ軍も奮闘していますが、
ベルリン掃討戦ヒトラーの自殺なんてのはチョロチョロです。
しかしこれは本書の一貫した取り上げ方であるようにも感じました。
すなわち、戦局において「決定的な出来事」を戦略的、戦術的に分析するという姿勢です。
1945年4月の1ヵ月間は、ドイツ軍が軍事的に頑張ろうが、ヒトラーがどんな命令を出そうが、
東西連合軍がどのように攻めようが、ドイツの降伏は時間の問題であって、
それらをいちいち分析する必要がないという意味ですね。

Battle of Berlin.jpg

また、戦役ごとに双方の戦死者などの損害も検証しますが、
特に日本の場合はその比率が高く、戦艦と運命を共にする艦長に対しては、
日本海軍の伝統としながらも、生き残って、別の艦を指揮したほうが
よっぽど自軍のためになる・・という考え方ですし、
陸軍でも「バンザイ突撃」や司令官の自決、そして「カミカゼ特攻」と続くと
都度、「日本人らしく・・」とあきらめ顔のようにも感じました。

これらについても軍事評論家からしてみれば、無益な死であり、
彼らが命を捨てても戦局は変わらなかったということのようですね。
そしてそれは最後の「原爆投下の必要性は存在しなかった」にも繋がっていきます。

Sailors in Pearl Harbor,  Japan surrender_A Japanese soldier walks through a completely leveled area of Hiroshima.jpg

「この戦争で勝利をしたのは中央ヨーロッパへ進出をしたソ連である」
と締めくくられた本書。
公平に客観的に書かれているのは間違いありません。
その意味では、自分が今まで「独破戦線」を続けてきて、本書の見解とほぼ同じだったことに
逆に疑問を持ちましたが、40年前の本書が第2次大戦における底本となっているからなのかも
知れません。読んでいなかったものの、さまざまな書物で間接的に読んでいた・・ということです。
今回、太平洋戦争も含めて、第2次大戦全体を振り返るという経験をしたことで、
なにかしら自分の中で、一区切りついたような気もしています。
第2次大戦について勉強されている方なら、これは決して外してはならない1冊だと思います。













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