SSブログ

慈しみの女神たち <上> [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョナサン・リテル著の「慈しみの女神たち <上>」を読破しました。

昨年の5月に発売された本書は、神保町の大きな本屋さんでも当時、何冊も積まれていて、
手に取ったことがありますが、ハードカバーの上巻だけでも560ページ、4725円という
ほとんど犯罪的な小説なので、気になりつつも指を咥えるしかありませんでした。
図書館では上下巻が1冊ずつありましたが、予約件数が上昇の一途を辿るにつれ、
4冊へと増量・・。試しに予約してみたら2日後には上下巻が借りられました。
原著は2006年の発刊で、当時38歳の米国人著者による仏語。
アカデミー・フランセーズ文学大賞などを受賞した、ナチスの殺人者の回想という形式の小説です。

慈しみの女神たち 上.jpg

「ユダヤ人に対して、銃5丁は多すぎる」と指示を出す第6軍司令官のフォン・ライヒェナウ元帥
「かしこまりました。閣下」と敬礼するSS大佐のブローベル・・。
主人公の"わたし"は、彼らに追随するSS中尉のマキシミリアン・アウエ博士ですが、
彼が特に1941年6月の「バルバロッサ作戦」におけるルントシュテットの南方軍集団に属する、
ラッシュ博士のアインザッツグルッペCのゾンダーコマンドのSD部員である・・ということは
事前に紹介されないので、読み進めながら理解していくことになります。
そして銃2丁で確実に射殺するには頭部を狙う必要もあり、
射殺しなければならないウクライナのユダヤ人の数は膨大・・。
このような状況で早々に精神に異常をきたし、一時送還される
ゾンダーコマンド隊長のブローベルSS大佐。

einsatzgruppen-nazi-death-squads-006.jpg

所々で主人公の子供時代や青年時代の回想が出てきますが、
彼が1939年に法学の博士課程を修了し、SD(SS保安部)に入った経緯はこんなところです。
同性愛者である彼がその容疑で検挙されますが、
ゲシュタポの「男色撲滅課」課長マイジンガーが知ったら大変だよ・・と
脅されて、しぶしぶSDに・・。

幕僚部に配属されているアウエは、直接、ユダヤ人を射殺することはありませんが、
隊員はサディズムの反応を見せる者も出る反面、自殺者も2名・・。
武装SSによる死刑囚の公開処刑は銃殺ではなく、見せしめのための絞首刑。。

German troops take snaps as an alleged partisan is hanged in a Belarussian town.jpg

処刑命令はライヒェナウによるものですが、国防軍兵士はSSの残虐なやり方に苦情をあげる始末。
「卑怯な連中だ。国防軍の糞野郎どもは手を汚したくないんだ・・」
やがて作戦対象はユダヤ人から、住民全員へと拡大。
隊長ブローベルも含め、このSS全国指導者ヒムラーの命令に将校全員が愕然とするのでした。

Eine Frau flieht während eines Pogroms in Lwow.jpg

そして始まった「大作戦」。
警官やウクライナ人の「アスカリ」も動員して、休みなく続く処刑。
疲労困憊して休憩に戻ってきた隊員が缶詰をを開けると、それは「腸詰」。
「こんな食べ物はないだろう!」と怒り狂い、嘔吐する隊員たち・・。
遂にアウエにも交代要員として「止めを刺す」仕事が回ってくるのでした・・。

このユダヤ人を集めて銃殺するシーンはなかなか壮絶なものがありますが、
これは「普通の人びと -ホロコーストと第101警察予備大隊-」とかなり似ていましたので、
参考にしている可能性もありますね。

einsatzgruppen-nazi-death-squads-005.jpg

キエフではベルリンでの知人、ユダヤ人担当の課長となったアイヒマンと再会。
アウエはここで、ユダヤ人問題について全般的な詳しい説明を受けることになります。
さらにミンスクでの爆発物を使ったテスト結果が散々であったことで運ばれてきた
新方式の「ガス・トラック」・・・、
これを思いついたのは保安警察長官でアインザッツグルッペB司令官のネーベです。

Death Truck.jpg

あくまで小説ですが、登場実物は第6軍を率いるライヒェナウに
ヒムラー、ハイドリヒ、アイヒマンといった有名人が登場します。
気になって調べてみると、アウエの上官たち、パウル・ブローベルや、
その後任のエルヴィン・ヴァインマンなども実際、アインザッツグルッペCに属する
ゾンダーコマンド4aの司令官なんですね。
ただ、このアインザッツグルッペを構成する「アインザッツコマンド」と「ゾンダーコマンド」の
任務の違いがいまひとつ理解できませんでした。

SS-SD unit Somewhere in Russia.jpg

翌年の夏季攻勢ではSS大尉に昇進し、カフカスに派遣されたアウエ。
そこではA軍集団リスト元帥が解任され、総統自らが後任になったと知らされます。
国防軍将校は「すでに国防軍と陸軍を指揮しておられる総統が、一軍集団の指揮をするとは・・」と、
「そのうちひとつの軍、師団となって、最後には前線で伍長となっているかも・・」
しかしバリバリの国家社会主義者であるアウエは「無礼な言い方だ」と冷たく返答します。
やがて殺されたSD将校の後任として、包囲されたスターリングラードへの移動命令が・・。

Hitler,H_Hiimmler&R_Heydrich.jpg

すでにヘルマン・ホトの救援「冬の嵐作戦」は頓挫したとの情報を知ったアウエですが、
前線では兵士たちが「マンシュタインは来てくれるんですよね?」
「万全の備えをしておくように・・」と情けない思いで言葉を濁すしかありません。
ソ連のスパイとして捕えられた2人の少年は、まるで救ってもらえるかのように
アウエを見つめますが、何もしてやることは出来ず、銃殺刑に処せられます。
これは映画「スターリングラード」でエド・ハリスに殺された少年を思い出しました。

Frozen German soldiers at Stalingrad 1943.jpg

このままパウルスの第6軍と運命を共にするしかないアウエ。
しかし彼は頭に銃弾を受けたものの、一命を取り留め、最後の飛行機で脱出に成功。
偶然の巡り合わせで後遺症も残らず、見舞いにはヒムラーとカルテンブルンナーの姿も・・。
SS少佐へと昇進し、戦功十字章に加え、戦傷章に冷凍肉勲章1級鉄十字章も授与されます。

Kaltenbrunner, Himmler.JPG

退院後は3ヵ月の休暇でベルリンへ。
当初SDで面倒を見てもらったヴェルナー・ベストや、希望する勤務地であるフランスを仕切る
クノッヘンらと面談しますが、適当なポストは見つかりません。
そんなこんなでフランスに住む母と義父を訊ねることにしたアウエ。
しかし翌朝、惨殺された2人の姿を発見するのでした。

werner_best.jpg

この上下2段組みで訳者さんも4人がかりという膨大な文字数の小説を
一字一句ジックリと読んだか・・というと、そうでもありません。
精神の参った主人公の見る「夢」は、トイレから大便がモリモリと溢れ出したりしますし、
少年時代の同性愛を振り返るシーンでは「陰茎を・・」とか、
いくら文学的であろうが、個人的にホ~モの話には興味なし!ですし、
知りたいとも思いませんから、こういう場面は流し読みしてしまいました。

しかし、いくらなんでも冗長すぎるような気もしますね。
よく小説家のデビュー作は、それまでの10数年間溜め込んできた知識を
気合入れて織り込んでしまうから、長く専門的になりがち・・ということも聞きますが、
本書もそれの典型のようにも感じます。
もちろん、最後まで読むと、意味の無いと思っていた箇所が
重要な複線だったりする可能性もありますので、コレは下巻のお楽しみ・・にしておきます。



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カフカスの防衛 -「エーデルヴァイス作戦」ドイツ軍、油田地帯へ- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マクシム・コロミーエツ著の「カフカスの防衛」を読破しました。

今回が4冊目となった「独ソ戦車戦シリーズ」からの1冊です。
このシリーズは古書で安く出たのを見つけては買っているので、順番はメチャクチャですが、
2004年発刊のシリーズ5作目に当たるようです。
まぁ、シリーズ自体が時系列でもないので、特に問題はないでしょう。

カフカスの防衛.jpg

タイトルの「カフカスの防衛」はシリーズ中、最も地味ですが、副題でわかるとおり
1942年のドイツ軍夏季攻勢がテーマとなっています。
しかし「カフカスへの攻勢」ではなく、「防衛」であることからして、
ソ連軍中心なのもこのシリーズの特徴ですが、パッと思い浮かぶのは、
山岳部隊が作戦とは関係なく最高峰であるエルブルス山に登頂したことでヒトラーが激怒し
リスト元帥が解任されたことぐらいですから、しょうがありません。。

Gebirgsjäger 1.jpg

発動されたブラウ作戦でグロズヌイとバクーの油田を目指すリストのA軍集団。
第1戦車軍(装甲軍)と第17軍を中心に第4戦車軍の一部も含まれて、計22個師団で展開します。
第5SS師団ヴィーキングや、第2ルーマニア山岳師団、スロヴァキア快速師団など、
編成も細かく書かれていますが、なぜか軍司令官級の名前は出てきません。
第1戦車軍はフォン・クライストというのは割と知られていますが(元々クライスト装甲集団ですね)、
第17軍と聞いても・・?? 正解はルオフ上級大将でした。ご存知でしたか?
ちなみに第4戦車軍はお馴染みのホト上級大将です。

richard_ruoff.jpg

このような編成のドイツA軍集団が航空部隊の支援も得て、ほぼ一方的に進撃し、
ソ連軍は撃破されていくという戦闘の推移を写真と共に細かく解説。
しかし、独ソ双方が入り乱れて記述されているので、かなり混乱します。
いきなり「ドン集団」とか出てくると、うっかりドイツ軍だと思ってしまいましたが、
コレはソ連軍でした。。マンシュタインの「ドン軍集団」が編成されるのは、
スターリングラード包囲後でしたね。。

さすがソ連寄りの本書ですから、赤軍司令官や旅団政治委員は名前で登場し、
再編成された兵力6個軍の北カフカス方面軍司令官にはブジョンヌイ元帥が任命されます。
8月になってもドイツ軍の進撃を止めることが出来ず、マイコープの油田を放棄。
しかし施設の疎開と破壊を済まされて、ドイツ軍は何も手に入れることは出来ません。
後退戦闘を繰り広げてカフカス方面にA軍集団の全兵力をおびき寄せることに成功したソ連軍。
このスキにグロズヌイやバクー、ウラジカフカス、トビリシの守りを強固にするのでした。

Буденный Семен Михайлович.jpg

もちろん独ソ戦車戦シリーズですので、戦車による戦いや写真も多く掲載されています。
ソ連側ではT-34にKV重戦車が基本ですが、T-26やT-60といった軽戦車も多く配備され、
また、西側連合軍の米国からはM3軽戦車、カナダからはヴァレンタイン戦車が送られて、
本書の写真でも何枚か登場しています。

T-34_1.png

ソ連軍は中尉レベルまで名前が出てきますが、ドイツ側でも9月の下旬になってようやく、
ランツ集団なるものが登場。コレは第4山岳師団長のランツ将軍が率いる各山岳連隊と
オートバイ中隊、歩兵大隊からなる作戦集団です。
このランツ将軍は後にランツ軍支隊を率いた人ですね。
そういえばエルブルス山登頂~リスト元帥解任・・なんて話はちっとも出てきませんでした。。

Hubert Lanz.jpg

10月にはソ連第4親衛騎兵軍団の進出を察知して、第1戦車軍の左翼を守るために
砂漠戦の特殊訓練を受けた「F特殊軍団」が急派されます。
こんな軍団も初めて聞きましたが、「F」はこの部隊を組織したフェルミ将軍に由来しているそうで
編成は自動車化歩兵大隊3個、戦車大隊、砲兵大隊、工兵大隊が各1個、
さらに突撃砲中隊に、なんと航空隊まで1個保有しているという、まさに特殊部隊ですね。
そして首尾よく、ソ連第4親衛騎兵軍団を撃退しますが、本書では騎兵軍団側に問題あり・・と。
「ソ連第4親衛騎兵軍団は優柔不断かつ緩慢で、与えられた任務を遂行できず・・」

Russland_032.jpg

個人的には度々登場する「ソ連装甲列車」が大変楽しめました。
独立装甲列車大隊というのがいくつかあって、ドイツ軍戦車と航空機による攻撃を受けた
友軍列車を助けるべく、別の大隊の装甲列車が救援に向かったり、
戦闘の推移も時間単位で、直撃弾によって走行不能になると、戦闘車が放火されて誘爆、
砲身に敵弾が命中して、砲座担当班が全員戦死、その他の戦闘車も破壊されて、
生き残りは残存兵器を取り出して、遂に列車を放棄・・。

Бронепоезд_1942.jpg

一方、ドイツ軍も戦車5両、Ju-88が2機が撃破/撃墜されていますし、
別の装甲列車との対決では戦車23両が撃破され、Ju-87も2機が撃墜・・。
昔、ゲームでやりましたが、装甲列車との戦いは燃えるんですよねぇ。

Бронепоезд 1942.jpg

ドイツ軍の戦車はⅢ号戦車が中心に、Ⅳ号戦車もちょこちょこと。
鹵獲されたり、撃破されたりした写真がほとんどですが、
鹵獲したⅢ号戦車を何両か、ソ連軍は使用していました。

11月から12月になると、補給も苦しくなったA軍集団は、ソ連の戦車攻勢にもあって
防御戦闘が続き、部分的には包囲壊滅の危機も訪れますが、なんとか脱出突破に成功します。
南方軍集団の片割れB軍集団がスターリングラードで包囲されると、
第1戦車軍をスターリングラードの救援に向かわせないよう、壊滅を目指すソ連軍ですが、
戦車旅団と歩兵のスピードが調整できず、砲兵による支援砲撃も砲弾が無いことで、実施されず。。
このような詰めの甘さから逆に反撃を喰らったりとバタバタ感はぬぐえません。

5-SS-Wiking.jpg

スロヴァキア師団は同じスラヴ民族として、あまりソ連軍との戦いには積極的ではなかったそうで、
前線での逃亡や、ソ連軍に寝返る兵なども続出したため、ドイツ軍は建設部隊に
改編したそうですが、本書でも捕虜となったドイツ兵とルーマニア兵を護送する、
薄笑いを浮かべた寝返りスロヴァキア兵の写真が掲載されています。

155ページの本書ですが、さすが、あまり知られていない戦役だけあってしんどかったですね。
歴史に残るようなメインとなる戦いがないというのも要因のひとつですが、
特に地名・・。真ん中にカラーの戦況図がありますが、本文は聞きなれない地名がほとんどで
例えば「12月19日にはミトロファーノフ~ドブラートキンの東3㌔~アヴァーロフの東4㌔~
シェファートフの北東3㌔~レンポショーロク~ストデレーフスカヤの東1㌔の線に進出した」
こんな感じがほとんどですから、後半は地図見る気も起きません・・。
だいたい、いま書いたこの地名に誤字があるのかどうかも、確認する気にならず・・。
それでも写真も多くて楽しめる部分もありますので、今後もこのシリーズは読んでみるつもりです。




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ヒットラー売ります -偽造日記事件に踊った人々- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロバート・ハリス著の「ヒットラー売ります」を読破しました。

マルティン・ボルマン記の「ヒトラーの遺言」を読んで、いろいろと調べていた最中に見つけた本書。
30年ほど前に世間を騒がせた、「ヒトラーの日記」事件の顛末を綴ったモノ・・ということで、
騙す方、騙される方の心理、特に「本物のヒトラーの日記であってほしい・・」という
騙された側の心理を知りたくて、1988年発刊の本書を読んでみました。
著者の名はロバート・ハリス。。
聞き覚えがあると思っていましたが、あの「ファーザーランド」の著者ですね。
コレも今回、触手が動いた要因のひとつです。

ヒットラー売ります.jpg

まずは終戦直後の1945年、ヒトラーの死を調査するトレヴァ=ローパーが主人公です。
英国情報部員の彼は、ヒトラーの側近たちなどを尋問し、ヒトラーの従兵ハインツ・リンゲの日記も
資料として役立て、映画「ヒトラー 最期の12日間」のシーンにもあったヒトラーの遺言も
発見するなどして、「ヒトラー最期の日」を発表。ヒトラー関連の第一人者になります。
1952年には1000ページの「ボルマン・ノート」が世に現れると、トレヴァ=ローパーも
編集を手伝い、いわゆる「ヒトラーのテーブル・トーク」や「ヒトラーの遺言」として発表。
1970年代には、鉄のカーテンの向こうの謎めいた筋から1万ページの「ゲッベルスの日記」が・・。
当然、編集の依頼を受けるのは「ヒトラーの専売特許権」を持っているようなトレヴァ=ローパーです。

GOEBBELS DIARIES Trevor-Roper.jpg

この1970年代はナチス記念品を扱う市場が空前の活況を呈し、
ヒトラーのメルセデスは、アリゾナで15万ドルで売れ、
総統地下壕にあったヒトラーの私物の入った籠には、ネヴァダの富豪が6万ドル投げ出し、
自殺したヒムラーが掛けていた眼鏡を手に入れる英国人、エヴァの頭髪一房を3500ドル、
ニュルンベルク裁判で絞首刑に使われた縄を死刑執行官から入手して、
これを細切りにして売りさばく米商人・・。

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そんな英米中心のナチス・コレクター市場ですが、ゲーリングが所有していたヨット
カリンⅡ」号を手に入れたのが41歳のドイツ人で本書の主役、ゲルト・ハイデマンです。
「シュテルン誌」の平凡なジャーナリストである彼は自宅を抵当に入れてまで
16万マルクで購入したものの、ヨットの損傷が酷く、修復費はかさむばかり・・。

Carin II_Heidemann.jpg

手放す決意をして購入希望者を求めて、さまざまな関係者やコレクターと接触するうち
ゲーリングの娘、魅力的なエッダと知り合い、徐々に旧ナチスの人々が・・。
それらは最後まで総統官邸を守った元SS少将で63歳となったモーンケに、
ヒムラーの幕僚長を務めた元SS大将で74歳のカール・ヴォルフ
さらにリンゲや女流パイロット、ハンナ・ライチュといった面々です。
やがて実業家のコレクターと知り合って彼の自宅を訪れると、膨大な第三帝国の記念品が・・。
そして一冊の黒いA4ノート・・。1935年の半年分の「ヒトラー日記」と出会うのでした。

1981年、デーニッツの葬儀に訪れたハイデマン。
公的禁止令にも関わらず、昔の制服に身を固めた老人たちが多数参列しています。
ヒトラーの副官だったオットー・ギュンシェらに「日記」の存在を伝えるも、
「それはあり得ない」という解釈です。それでもハイデマンの確信は頑として揺るぎません・・。

Karl Wolff.jpg

そして彼は遂に「日記」を手に入れられる人物、コンラート・クーヤウと接触することに成功。
しかし子供の頃から芸術的才能に恵まれたクーヤウは、ヒトラーの絵の贋作を60点も作成し、
東ドイツから密輸した本物に、自ら偽造した文書を織り交ぜて、闇市場で売る詐欺師です。。
表紙に赤蝋のシールを付け、ヒトラーの所有であると保証するヘスの署名の入ったラベルも・・。
なかのページには紅茶を振りかけて、年代物のように。。
そんなクーヤウは兄が東ドイツの将軍で、数冊づつ、密輸できるとハイデマンに語るのでした。

Hitlers_falsche_Tagebuecher.JPG

思い込みの激しいハイデマンと、彼の会社では5人だけがこの「日記」の存在を知らされます。
この「日記」全27巻を1冊、8万5千マルクで買い取ることが決定。
直接クーヤウと売買を行うこととなったハイデマンはクーヤウに1冊5万マルクを提示して、
差額の3万5千マルクを毎回かすめ取り続けます。
その金は彼の個人的蒐集として、(クーヤウの描いた)ヒトラーの絵から、
「ヒトラーが自殺のときに使用した」とボルマンの保障が書かれたベルギー製のピストル、
ブローニング までもホイホイ購入します。。
すっかり得意のハイデマンはコレを見せびらかしますが、
実際はワルサーだったことを知っているギュンシェからはたしなめられる始末・・。
なんでも信じてしまう実に騙されやすい男ですね。。

GUNSCHE.JPG

こうしてクーヤウが1962年に出版された「ヒトラー演説・声明集1932~1945」という
年表を抜粋して書き続ける「ヒトラー日記」。センセーショナルな記述のない、退屈極まる代物・・。
本書ではいくつか抜粋して紹介しますが、ココで書く価値もないので割愛します。。

シュテルン誌では日記の鑑定を行うことにしますが、この日記の存在は極秘であり、
情報漏れを恐れて、おおっぴらに鑑定が依頼できません。
警察などに部分的な筆跡鑑定を依頼して、一応「本物」との結果にシャンパンの栓が弾けます。

Generalmajor der Waffen-SS Wilhelm Mohnke Heidemann.JPG

しかし、英米での権利を獲得したメディア王、ルパード・マードックは
「タイムズ」紙の名誉役員であるトレヴァ=ローパーを鑑定に向かわせるのでした。
そしてドイツ語の専門家ではない彼には大方のドイツ人でさえ読みこなせない
古い筆記体で書かれた日記は解読不能で、翻訳してもらわなければなりません。
表紙のゴシック文字の「FH」の組み合わせは全員が「F」を「A」と勘違いしているほどです。
紙質も化学検査を受けて問題ないなどの明らかな嘘でミスリードされたヒトラー専門家。
彼は徐々に本物であると確信していくのでした。

いよいよ世界に向けて「ヒトラーの日記発見」の声明が・・。
ライヴァル紙が信憑性を求めて問い合わせるのは、「ヒトラーの戦争」をこき下ろされ、
妻との離婚で財産を失っていたデイヴィッド・アーヴィングです。
まさに衰退していた彼に救いの手を差し伸べたヒトラー。。。

Stern Presents Hitler’s Diaries (April 22, 1983).jpg

1983年4月24日、サンデー・タイムズ紙にトレヴァ=ローパーお墨付きの「日記」が掲載されると、
信憑性に対する攻撃が高まります。
ヒトラーの空軍副官だったフォン・ベローや秘書のクリスタ・シュレーダーが「大うそ」と証言し、
翌日発売するシュテルン誌の記者会見場に意気揚々と乗り込むアーヴィング。

April 1983 hielt Heidemann während einer Pressekonferenz in Hamburg stolz eines der angeblichen Tagebücher in die Kamera.jpg

モーンケも出席した会見場では日記を抱えてポーズをとるハイデマンの姿が・。
そしてトレヴァ=ローパーへ質問が集中すると、出所は明かされず、検証用のコピーも届かず、
「ボルマンが本物だと証明しに来る」と言い切るハイデマンに疑惑を抱き、
徐々に疑わしさを拭いきれなくなっていた彼は、「日記は本物かもしれない。
しかしずっとイカサマ臭い。つまるところは完ぺきな偽作と呼ぶべきものでしょう」

Der britische Historiker und Hitler-Experte Hugh Trevor-Roper, Stern-Chefredakteur Peter Koch, Redakteur Dr. Thomas Walde und Reporter Gerd Heidemann auf der Stern-Pressekonferenz.jpg

予想外の展開に顔面を強張らせて黙り込むシュテルン誌のメンバー。。
そのとき、中央のマイクに突進したアーヴィングは、コピーを振りかざし「偽物だ」。
日本のTVクルーが混乱に輪をかけ、会場は椅子やライトが飛ぶ事態に・・。

Der britische Historiker David Irving bezeichnete schon auf der Pressekonferenz des Hamburger Magazins Stern am 25. April 1983 die Tagebücher als eine Fälschung.jpg

こうしてドイツ政府までが乗り出して、連邦公文書館で行われた鑑定の結果、
紙やインク、記述の間違いなど、真っ赤な偽物であることが正式に立証され、
彼が信じていたすべてが崩壊したハイデマン。
クーヤウとともに禁固4年の判決を受けるのでした。。

Die Angeklagten Konrad Kujau (r) und Gerd Heidemann (l) am 21. August 1984 vor dem Hamburger Landgericht. Sie wurden wegen schweren Betrugs verurteilt..jpg

ハードカバーの2段組、356ページと、思っていたよりボリュームのある本書。
後半のドタバタ振りは映画にでもなりそうだなぁ・・と思いながら読んでいましたが、
調べてみると案の定、1992年にドイツで「Schtonk!」という映画になっていました。
日本未公開だと思いますが、なんとなくドタバタコメディのような感じもしますね。

Schtonk!_1992.jpg

本書でもいくつか「ヒトラー日記」の内容が紹介されていますが、
せいぜい英首相チェンバレンを褒めていることやヘスが英国に飛び立つことを知っていたこと
程度が新発見であり、この日記を読んだ誰もが「恐ろしく退屈なもの・・」という感想を持ちます。
では、なぜこの日記が大騒ぎになったのかというと、日記はつけなかったとされていたヒトラーが
「日記をつけていた」ということが、彼のそれまで言われてきたことを覆す
「人格の新発見」になるんだそうです。

また、その「内容」はともかくとして、「ヒトラーが書いた本物の日記が手元にある」ことが、
携わった人々を興奮させた・・ということですが、この心理はわからなくもないですね。
ヒトラーや第三帝国関連のオリジナル収集家だけではなく、
「なんでも鑑定団」を見ててもわかるとおり、なんだかわからなくても「本物」と信じていたり、
興味も無く、読めない掛け軸でも有名な誰それが書いた「本物」なら有難がるわけで、
個人的にはあのTV番組での鑑定結果は100%正しいのか・・?と以前から疑問にも思っています。

Konrad Kujau.jpg

大富豪の米国の収集家が発表したヒトラー絵画の本の1/3程度が
クーヤウの描いた贋作だった・・という切ない話も出てきますし、
最近もオークションで1913年にヒトラーが描いたとされる「夜の海」が
3万2000ユーロ(約323万円)で落札されたというニュースがありましたが、
ど~も、この絵・・。本書を読む以前にネットの記事で見たときから「胡散臭い・・」と
思っているんですよねぇ。
ヒトラーの絵画はいくつか見ていますが、素人目にもタッチが全然違うし、
波間の感じなんか、ちょっと上手すぎる・・。

ヒトラーの風景画落札_20120129.jpg

この絵がどのような鑑定をもって「本物」とされたのかはわかりませんが、
購入したのは純粋な美術品収集家ではなく、第三帝国マニアでしょうから、
本書のように贋作を騙されて・・なんて気が余計してしまいます。。





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