SSブログ

第二次世界大戦〈上〉 リデル・ハート [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

リデル・ハート著の「第二次世界大戦〈上〉」を遂に読破しました。

本書を知ったのはもう何年前になるでしょうか・・。
この「独破戦線」をはじめる何年か前、第二次大戦と第三帝国モノを読み始めたときから、
古書店で良く見かけていたフジ出版の函入りの分厚い旧版が気になっていました。
以来、その1978年の旧版と1999年に分冊で再刊された本書のどちらを買おうかと
悩み抜いた末、この再刊の方の綺麗な古書を上下巻あわせて4300円で購入。
しかし、それからは未読本棚の主役として飾りっぱなしにしていました。
いま確認してみたら、購入したのはおととしの誕生日・・。自分へのプレゼントだったのかな・・?
なんとなく、憧れだった本書を1ヶ月ほど前からそろそろ・・と考えていましたが、
それなりに勉強してきましたし、いい加減、読んでもバチは当たらないでしょう。

第二次世界大戦上.jpg

著者リデル・ハートをいまさら紹介することもないかと思いますが、簡単に・・。
1895年生まれで、第一次大戦勃発により、19歳で英陸軍に志願。
大尉で退役後は、軍事評論家として活躍し、その戦術理論にはグデーリアンなど
ドイツの新進気鋭の軍人たちも影響を受けたと云われています。
第二次大戦後は捕虜となった彼らとも面会し、「ナチス・ドイツ軍の内幕(ヒットラーと国防軍)」など、
以前ココでも紹介した著作も・・。

1970年に本書の第一稿を仕上げて亡くなったリデル・ハートを支えた奥さんが
彼の代わりに序文を書いています。
ドキュメント ロンメル戦記」が故ロンメル元帥の奥さんの方から依頼された件など、
興味深い話でテンションも上がってきます。

Sir Basil Henry Liddell-Hart.jpg

第1章はいきなり1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻に伴う、英仏の宣戦布告からです。
2ページ目には「大戦の勃発と拡大の原因をすべてヒトラーの侵略に帰するのは
あまりにも単純であり、浅薄である。
そもそもヒトラーは2度目の大戦を引き起こすことなど願ってもいなかった」
この出だしを読んだだけで、本書がどのような展開になるのか・・若干、想像できました。
そして「いったい何故ヒトラーはあれほど避けたがっていた大戦争に巻き込まれたのか。
答えは、ヒトラーの侵略性のみではなく、長期に渡るその"従順さ"で彼を増長させていた
西側列強が、1939年春、突然彼を"裏切った"ということに見出せる」

Hitler receives the salute of the columns, Nuremberg 1938.jpg

第3章の「ポーランド侵攻」の戦記部分は、2ページぶち抜きの戦況図付きですが、
10ページ程度と割とあっさり・・。
これは騎兵を主体としたポーランド側の軍事思想が
「80年遅れていたと言っても過言ではない」と、一刀両断にしてますので、
著者にとってはこの戦役を細かく分析する必要が無いようにも思います。

germany-invades-poland-1939-polish-cavalry-01.jpg

宣戦布告はしたものの、ドイツに対して一向に攻撃してこない英仏・・。
連合国首脳たちは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドからドイツの背後を叩き、
ベルギーからルール地方も叩きつつ、ギリシャとバルカン諸国から東側に攻撃を加えるといった
「まことに驚くべき"白日夢の寄せ集め"の大計画を冬の間中、練っていたのである」
一方のドイツ軍は、ご存じのとおり、マンシュタイン・プランから
グデーリアンの装甲部隊まで準備は着々・・。

panzer1.jpg

西方「電撃戦」の前に、ソ連によるフィンランド侵攻が・・。
ここでは最初の攻撃で敗れたソ連について、「一大攻勢の充分な準備をせず、
不人気な政府に対するフィンランド国民の蜂起が起これば事足りると考えていた」としています。
確かに、前線の兵には「我々は解放軍だ」と教え込んでいたという話もありましたからねぇ。

Finländska soldater.jpg

ノルウェーでの独英との戦いの様子は、海戦も含め、かなりしっかりと書かれています。
それでも細かい戦記よりも、著者独特の表現が良いですね・・。例えば
「しかしドイツ軍のほうが終盤の追い込みが素早く、強力だった。
ほとんど写真判定と言っていい、"鼻の差"の勝利だった」
そして最後にはディートル将軍の「巧妙な用兵」にも触れて、
「肝心の場では兵力の劣勢を補ってあまりある迅速性と勇敢さを発揮したのである」

Ferdinand Schörner , Colonel General Eduard Dietl and General Georg Ritter von Hengl.jpg

国土のほとんどがドイツ軍に蹂躙されたベルギーではレオポルド国王が休戦を決意しますが、
ダンケルクからの脱出を図って退却中の英首相チャーチルから
「なんとか持ちこたえて欲しい」と訴えられます。
これは即ち「我々のために犠牲になって欲しいという頼み」に他なりません。
そして若き国王は飛行機での脱出という忠告も聞き入れず「軍と国民とともに留まる」という
名誉ある選択を選ぶのでした。

LeopoldIII.jpg

フランスでの「現代史に例を見ないドイツ軍大勝利」については40ページほどを割いていますが、
その要因は”一にも二にも”「グデーリアンと装甲部隊」にあるようです。
「グデーリアンの早すぎる突進という"違法行為"がなければ、この侵攻作戦は
おそらく失敗に終わっただろう。そして世界史の流れも今とは違った方向を・・」

panzer Guderian.jpg

続く「バトル・オブ・ブリテン」も40ページほど。
イタリアがエジプトの英軍と戦い出すと、ロンメルがトリポリへと飛び立ちます。
ドイツ軍の輸送船からは偵察大隊などわずか2個大隊が到着しただけ・・。
そこでフォルクスワーゲンに急造の張りぼてをかぶせたニセ戦車で兵力の水増しを図ります。。
英第8軍が「張りぼて戦車」をたくさん作ったというのは知っていましたが、
先にロンメルがやってたんですねぇ。
本書ではこの国民車ならぬ"国民戦車"の写真も掲載されていました。

afrika-korps-dummy-tank.jpg

イタリア軍の戦いということでは「エチオピアの戦い」も出てきますが、
コレは初めて読んだ気がします。「ムッソリーニの戦い」に出てたかな??
その次は「今次大戦における勇猛果敢な"離れ業"として際立った光を放っている」
ドイツ降下猟兵による「クレタ島占領作戦」です。

37-mm-antitank-pak-dropped-by-triple-parachute.JPG

そして「主として状況の産物であった西部制圧」から、
「ヒトラーの脳裏から常に離れることのなかったソ連撃滅の願望」へと移って行きます。
第13章「ソ連侵攻」の出だしでは、「独ソ戦における戦闘の成否は戦略や戦術よりも、
国土の広さ、兵站の問題、部隊の機械化の程度いかんにかかっていたと言える」

始まった「バルバロッサ作戦」も各軍集団の戦闘の様子が分析され、
南方軍集団司令官ルントシュテットの頼みとするところは、
「奇襲、スピード、空間、および敵司令官の無能ぶりだけだった」として、
その敵対するロシア革命当時に偉功を立てた老将軍ブジョンヌイについて
「途方もなく大きな口髭を生やした、ちっぽけな脳ミソの持ち主」という
部下の極めて適切な評言を借用・・。

Russland.jpg

グデーリアンは成すべきことを明確に認識し、全速力でモスクワへ突進すべき・・
と考えていたのに対し、ヒトラーとドイツ軍統帥部は、貴重な8月の一ヶ月間を
次に打つべき手の議論に空費します。その結果は
「ヒトラーのソ連侵攻失敗の根本的原因は、スターリンが広大な領土の深みから
どれだけの予備軍を生み出すことが出来るのか、その予測を誤った点にあった」

1941_soviet-russian-army.jpg

北アフリカ戦線については、東部戦線より、具体的に書かれている気がしました。
「バトルアクス作戦」から「クルセイダー作戦」と、双方の将軍から戦車の台数、
ドイツの88㎜砲だけではなく、50㎜砲の存在の重要性も挙げていますが、
これは、著者が英国人であり、特に興味深かった、或いは英独双方の資料収集と
インタビューが可能だったことが理由なのかも知れません。
また度々、ロンメルが何を考えていたかを「ドキュメント ロンメル戦記」から抜粋しています。
東部戦線はその戦線の大きさから、いちいち細かい作戦にまで言及していたら
キリがないことなども要因なのかも知れませんね。

rommel_11.jpg

日本軍がメインとなった「太平洋戦争」の部分も知らないことばかりで逆に楽しめました。
中国大陸に進出していた日本が、なぜ「真珠湾攻撃」を実行するに至ったか・・から、
「マレーの虎」こと山下奉文中将も登場。
「ガダルカナル島の戦い」も詳しいことは初めて知りました。
何年も前に「最悪の戦場に奇蹟はなかった―ガダルカナル、インパール戦記」
という本を買ったんですけど、完全に放置プレーですから。。

マレーの虎 山下奉文.jpg

そして海戦では「マレー沖海戦」で「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈。
この戦艦はビスマルクと一戦交えたことで知っていましたが、こんな運命だったんですねぇ。
さらに「ミッドウェー海戦」。
「世界のミフネ」が山本 五十六を演じた映画「ミッドウェイ」をなんとなく観た程度の
知識しかないヴィトゲンシュタインも、本書は楽しめました。
だいたい「大和」が参加していたことも知らなかったくらいですから、
「そんな非国民が語るな」と怒られそうですが、
この海戦において大鑑巨砲の時代は終わって、空母の時代となったことを
本書を読んだ印象として持ちました。果たして正しいのか・・?

他にも「比叡」や「霧島」が撃沈されたり、コレくらい有名な戦艦の名前くらいは知っていますが、
その最期について読んだのは初めてですし、大型艦以外の駆逐艦なども
なかなか格好良い名前がついているなぁ・・とつくづく思いました。

霧島_赤城.jpg

また、太平洋戦争ということで米軍のマッカーサーとニミッツ提督との確執も興味深かったですし、
戦力の少ない英連邦軍がヨーロッパや北アフリカだけでなく、
東南アジアにも戦力を割かざるを得ない状況などは、チャーチルの回顧録も含めて
いままで読んできた本では、なかなか理解仕切れなかった部分でもありました。

Roosevelt, MacArthur,Nimitz.jpg

1942年、東部戦線では「ブラウ作戦」が発動され、カフカスの油田奪取を目論むヒトラー。
やがて吸い寄せられるように副次的な戦場であるスターリングラードで第6軍が壊滅。
北アフリカでもロンメルの絶頂期から、次第に暗雲が立ち込めてきます。
しかし非常に面白かったのが、連合軍の北アフリカ上陸の「トーチ作戦」です。
以前チャーチルの「第二次世界大戦〈3〉」でも、フランス側のドロドロぶりが印象的で
「これはちょっと何かの本で勉強したいですねぇ。」なんて書いていましたが、
本書でやっと詳しく知ることができました。

EISENHOWER , DARLAN, General Clark.jpg

米軍側はアイゼンハワーにマーク・クラーク。
フランス側は連合国寄りのドゴール、ジローの両将軍に、
ヴィシー政府のペタン元帥、ダルラン提督、さらにその他、北アフリカの現地の司令官たち・・。
彼らが個人の思惑と、米国、ドイツ双方の顔色を伺いながら作戦が進みます。
1回読んだだけでは複雑すぎて、ちょっと理解できませんでしたが・・。

元々「ジムナスト(体育家)作戦」と命名されていたこのトーチ作戦ですが、
その後、一旦「スーパー・ジムナスト」に改名していたようです。
「超体育家」って感じなんでしょうか?まったく意味不明ですね・・。
チュニスではネーリングが少数の部隊と"秘密兵器"ティーガー戦車で連合軍を苦しめ、
フォン・アルニムも派遣され、戦力を増強して、北アフリカに踏みとどまります。

Tunesien_Panzer_VI_Tiger_I.jpg

最後は「大西洋戦争」です。
気がつけば、ここまでドイツ海軍による「通商破壊戦」には触れられず・・でしたが、
1939年、U-47のプリーン艦長によるスカパフローでの戦艦ロイヤル・オーク撃沈から、
グラーフ・シュペーアドミラル・シェアといったポケット戦艦、
巨大な戦艦ビスマルクにティルピッツの最期、
そしてデーニッツのUボートによる狼群作戦とアメリカ東海岸での「パウケンシュラーク作戦」、
シュノーケルの発明に新時代のエレクトロ・ボート「XXI型」の登場・・といった
1945年の終戦までの主だったドイツ海軍の興亡がそれぞれ概要程度ですが、
しっかりと書かれています。
Uボート好きにとってはちょっと物足らなくもありますが、まぁ、しょうがないでしょう。
コレを詳しく書いていたら、300ページ増量となってしまいますからね。。

Bismarck_nazi-supership.jpg

628ページの上巻はココまでです。
1970年に、この第一稿を仕上げたリデル・ハートが他界したことで、
多少の間違いやその後に新事実が出てきたり・・ということもあるようですが、
それらに対しては各ページの下段に注釈がありますし、
各国の将軍連やティーガーなどの戦車の写真も掲載されています。
戦記部分も読み応えがありますが、なによりも本書の一番の特徴は
章ごとに簡潔に整理するリデル・ハート独自の戦略的、または戦術的解釈の部分でしょう。







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

ドイツ機甲師団 -電撃戦の立役者- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ケネス・マクセイ著の「ドイツ機甲師団」を読破しました。

第二次世界大戦ブックスのなかでも、副題の「電撃戦の立役者」といい、かなり有名な1冊ですが、
なぜか読んだ気になって、スッカリほったらかしていたものです。
表紙の写真も良く見かけるもので、
これは「第10戦車師団戦場写真集」の表紙とほぼ同じですね。
1971年発刊の本書の原題は「Panzer Division」。
著者はあの名著「ドイツ装甲師団とグデーリアン」のケネス・マクセイで、
訳者さんも個人的に好きな加登川 幸太郎氏とのコンビですから、
もう、読む前から面白いのは保証されているようなものです。。

ドイツ機甲師団.jpg

最初の章ではヒトラーの一声によって、生みの親であるルッツ将軍
グデーリアンフォン・トーマの革命的な大仕事の結果生まれたドイツ装甲部隊の歴史。
Ⅱ号、Ⅲ号、Ⅳ号戦車が誕生するも、これらは当初、30㎜以上の装甲は持っておらず、
大部分の外国軍が採用し始めていた37㎜対戦車砲で貫通されるものですが、
時速40㎞で絶えず動き回ることそのものが防御の役を果たすと考えていたということです。

そして、戦後の軍事評論家たちが注意を払わなかったと著者の言う、エリート戦車兵たち。
保守的な国防軍内部から抵抗の強かったこの新兵種。
騎兵は馬の鞍から戦車のシートに座り替えさせられるのは、屈辱だったろう・・と
書かれているように、民間から直接、戦車学校入った多くの隊員たちは、
グデーリアンにトーマの熱烈な指導者の理想と決意をしっかりと叩き込まれ、猛訓練を受けて
空軍と並ぶ、ドイツ軍のエリートとして、黒い戦車服に黒ベレーを身にまとうのです。

Guderian in discussion with a young armored troop Leutnant, summer 1941.jpg

こうして1939年、ドイツ装甲部隊の初陣となるポーランド戦が・・。
グデーリアンらの装甲師団を中心とした簡単な戦記のあと、この戦役で学んだ教訓では、
2個装甲師団の良き相棒として、1個自動車化歩兵師団が1個装甲軍団に結合されて、
コレが良く活躍したとする一方、軽機械化師団は失敗であった・・と評価します。

Pz1 Poland 1939.jpg

翌年の西方戦は、マンシュタイン・プランから、ヘプナーにホト、ラインハルトの装甲軍団の内訳、
話の中心となるのは、もちろんグデーリアンの装甲軍団です。
戦車兵力も細かく分析し、英仏の装甲の厚い優秀な戦車も紹介して、
数の上では連合軍が優勢。しかし質の点では互角。。
始まった電撃戦もクライストによる停止命令に憤慨するグデーリアンといった定番に
第7装甲師団を率いるロンメルが独走し、戦車連隊が歩兵連隊と切り離された結果、
アラスの戦いで英軍と激突し、20両以上の戦車を失ったことが、
ヒトラーと軍首脳部にショックを与え、その後、装甲軍団の突進を鈍らせた・・としています。

Advancing through Holland and Belgium 1940.jpg

見事、フランスを席巻し、気を良くしたヒトラーから「2倍にせよ」と命令された、今や花形の装甲部隊。
しかし生産量が突然上がるわけもなく、砲塔の無い簡単な突撃砲の生産を拡大し、
Ⅲ号、Ⅳ号戦車の装甲を厚くして、また長砲身砲を搭載して充実を図ります。
1937年から計画されていた新型重戦車の開発もお預けにして、
歩兵師団の自動車化のために装甲ハーフトラックも優先的に生産されます。

East front 250ez1.jpg

ロンメルが北アフリカで見事な戦車戦を繰り広げるなか、
ギリシャ戦では、ペルシア戦争のテルモピュライの戦いの起こった場所で英独が戦った・・
という話がありましたが、この場所は映画「300 〈スリーハンドレッド〉」のことですね。
スパルタが英軍で、ペルシア遠征軍がドイツ軍ということになるようですが、
むぅぅ。。こんなところで戦いの歴史が繰り返されていたとは・・。

German soldiers, Battle of Thermopylae, 1941.jpg

始まった対ソ戦ではグデーリアン以外にも、第56装甲軍団を率いるマンシュタイン爆走の様子も・・。
あ~、なにかコレは久しぶりに読みましたねぇ。
まぁ、でもドイツ装甲部隊の快進撃がモスクワを前にして停止すると、グデーリアンも解任され、
ドイツ・アフリカ軍団英第8軍の前に敗れ、「スターリングラード争奪戦」の章となると
ここまでの楽しさもどこへやら、若干、暗い気持ちになってきます・・。

Barbarossa-juin1941.jpg

1942年の夏季攻勢。B軍集団の先鋒を努めるヘルマン・ホトの第4装甲軍。
それまでの「装甲集団」という曖昧な表現から、「装甲軍」となった装甲部隊は、
もはや「軍」に従属するものではなくなり、事実、第6軍も完全なる脇役であり、
第4装甲軍が突破した後、占領するだけであった・・と著者は語ります。
当初の順調な作戦もヒトラーによる命令変更によって、第4装甲軍がA軍集団に派遣され、
クライストの第1装甲軍のそばで補給路の渋滞を引き起こすだけ。。
これによってスターリングラード攻略には第6軍が向かうことに・・。

battle-of-stalingrad.jpg

長引く戦いにパウルスは装甲部隊の戦法の原則を破り、戦車と装甲車両を
市街戦に投入するという最後の手段に出ますが、
コレに抗議した装甲軍団長ヴィッテルスハイムとシュベドラー将軍は逆にクビ・・。
このスターリングラード戦ではパウルスの戦術にダメ出ししている感じですが、
全体的に、タイトルどおり、ドイツ機甲師団=「正義」、それをうまく運用できないヤツ=「悪」、
という図式が徹底しています。

german-forces-move-towards-stalingrad.jpg

1943年のクルスク戦に向けては、新型の中戦車と重戦車開発の様子から。
特にポルシェ博士については面白い評価でした。
「ヒトラーの歓心を買おうとして、風変わりな設計を考え、もっと緊急かつ重要な諸計画に必要な
資源と生産施設を横取りしてしまったのである」

また相変わらず写真は豊富で、戦車の転輪はゴム製なのでココで寝た・・という写真は
笑っちゃいましたねぇ。戦車の下に潜り込んで寝た・・というのは良く聞きますが・・。
まぁ、ちょっとヤラセ臭くもあります。。

sleep-tracks.jpg

そしてドイツ装甲部隊にとって、最も重要な出来事が・・。
装甲兵総監としてのグデーリアンのカムバックです。
ティーガーパンターエレファントが開発されますが、1942年の大損害の穴は埋められず、
歩兵の支援兵器として砲兵科に属する「突撃砲」を装備せざるを得ません。

stug-iii-ausf-g-01.jpeg

クルスク戦が終わると、勢い乗ったソ連軍の攻撃の前に退却が始まったドイツ軍。
装甲師団の戦車戦力は発足以来、激減し、陸軍装甲師団ではわずか103両を
保有しているに過ぎません。
しかし武装SSのエリート師団ゲーリングの装甲師団は優先的に最新の戦車が配備され、
その数も充足していますが、陸軍にも唯一、ケタ外れの装甲師団である
グロースドイッチュランド」が存在します。
このページにはマントイフェルのシブい写真が掲載されていて、そのキャプションは
「ドイツ機甲軍の指導者:"大ドイツ"機甲師団長マントイフェル将軍」。う~ん。シブ過ぎるぜ・・。

Manteuffel.jpg

ノルマンディ上陸作戦を迎え撃つ、ルントシュテットのドイツ西方軍。
第21装甲師団に戦車教導師団、そして第12SS装甲師団 ヒトラー・ユーゲントの奮戦。
B軍集団ロンメルも出てきますが、装甲軍司令官のシュヴァッペンブルクについては
「幕僚たちと金ピカ服で連合軍の爆撃機を見るためにぶらつきまわり、
遂に彼ら自身が目標にされて、司令部はほとんど粉砕されてしまった」

Panzer der 12.SS Panzerdivision Hitlerjugend beim Stellungswechsel.jpg

バルジの戦いでは主役であるゼップ・ディートリッヒ第6SS装甲軍の攻撃が
地形の入り組んだ、連合軍の最も堅い地域に向けられたことで攻撃が頓挫してしまい、
脇役であるマントイフェルの第5装甲軍が連合軍の抵抗をはね飛ばして前進を続けます。
ヒトラーは「花を持たせたい」SS装甲軍の戦力を割いて、
陸軍の装甲軍に増援させるということをしぶしぶ認めますが、時すでに遅く・・。

king-tiger-heavy-tank.jpg

最後はベルリンに迫るソ連軍に対するキュストリンの戦いです。
ティーガーとパンター数10両を揃えた、ドイツ軍、最後にして最強の装甲部隊が
ソ連軍の進撃路に立ち塞がります。
60両の戦車を撃破されたソ連軍はあえなく退却・・。
このドイツ軍の勝利を本書では、「ドイツ装甲師団の物語のラストシーンを飾るにふさわしい」
としていますが、残念ながら部隊名がわかりません。。
おそらく「ミュンヘベルク装甲師団」なんかだと思いますが・・。

Jagdpanther, Germany 1945.jpg

まさに「ドイツ機甲師団」の歴史に特化した一冊でしたが、このように彼らの戦いそのものが
第2次大戦のドイツ軍の戦いであったことが良くわかります。
本書にも度々登場した「第10戦車師団戦場写真集」も、そろそろ行ってみようか・・とも
思いました。

ケネス・マクセイの著作では、同じ第二次世界大戦ブックスの「ロンメル戦車軍団」も有名ですが、
これも読んだ気になっていただけで、持ってもいませんでした。
朝日ソノラマの「ノルマンディの激闘」は持ってるんですけどねぇ。。









nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

将軍たちの戦い -連合国首脳の対立- [USA]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デイヴィッド・アーヴィング著の「将軍たちの戦い」を読破しました。

著名な歴史家として知られますが、近年はすっかりその評判を落としているアーヴィングの1冊です。
「独破戦線」では翻訳されている2冊、「狐の足跡」、「ヒトラーの戦争」とも紹介済みですが、
残った3冊目は副題からもわかるとおり、連合軍モノとなっています。
1986年発刊でハードカバー上下2段組の421ページの表紙も
アイゼンハワーにモントゴメリーとくれば、ギスギス感満載なのが想像できますね。
「ヒトラーの戦争」はともかく、本書については悪い評判は聞いたことがありませんので、
数日間は米英仏ソの陰険な対立を、苦笑いしながら楽しむことになりそうです。。

将軍たちの戦い.jpg

1944年1月、孤独だった英国本土に続々と上陸するかつての英植民地の若い兵士の軍団。
英国人は米軍の到来を喜ぶものの、この血の繋がった2つの国民の間には、
国民性の違いと18世紀の怒りがまだ残っていて、常にためらいの感情が存在します。
アイゼンハワーが到着した時にはすでに87万もの米兵が・・。
ロンドンでは米兵が群れ、英国人と違いチップをはずむ「ヤンキー」に対する苦情も聞かれます。

Churchill inspecting American troops in England.jpg

マッカーサーの右腕として9年を過ごした後、好きになれなかったこの将軍から別れて
ワシントンへ呼び戻されたアイゼンハワー大佐。
米国陸軍参謀総長マーシャルに抜擢されてヨーロッパへと渡り、北アフリカで司令官に。
しかしシチリアでは見事な後退を指揮している「ナチの司令官」フーベではなく、
英軍のモントゴメリーを敵とみなしているパットンが、「アイクの英国贔屓は酷過ぎる」とぼやきます。

patton-montgomery.jpg

1944年の5月に予定されている「オーヴァーロード作戦」。
果たして司令官は誰になるのか?
スターリンも気にするこの司令官は英参謀総長のアラン・ブルックが候補に挙がりますが、
英軍の3倍の兵員になるであろう米国からが適任とされ、米参謀総長マーシャルという案も、
ルーズヴェルト大統領でさえ畏怖し、「君をジョージと呼びたい」と言われても断るという、
鉄のような自己規律と超然さを持つこの軍人には、最高司令官という地位さえ「小さすぎる」
と見られたことから、結果的にアイゼンハワーが任命されることに・・。

eisenhower_marshall.jpg

連合国遠征軍最高司令部(SHAEF)の長となったアイゼンハワー。
最も重要なスタッフのひとりは彼の参謀長でマネージャー役のベデル・スミス
そして2年前から彼につく34歳の英国人女性の運転手兼ホステスのケイ・サマーズビー
本書は彼女の日記を大量に活用して進むところがポイントですね。

eisenhower-summersby-Bradley.jpg

モントゴメリーだけではなく、大の英国人嫌いのパットンも意気揚々と到着しますが、
ビンタ事件」の影響もあって、侵攻作戦の指揮は取らせてもらえず・・。
戦略爆撃戦争の大物たちも次々と登場し、英空軍のアーサー・ハリス
「自分の重爆撃機部隊でヒトラー帝国を粉砕し、勝利をもたらす」と約束し、
チャーチルの支持を得る一方、米側の爆撃機部隊責任者スパーツも同様な考え方です。
しかし、最高司令官のもと、海軍司令官にはラムジー提督が、地上軍部隊の指揮は
当初、モントゴメリーが任命されたように、空軍の司令官も任命することに・・。

time_harris_arthur.jpg

英国の押す、リー=マロリーは戦闘機部隊しか指揮したことがないことから、
爆撃信奉者のハリスとスパーツは頑なに拒否。
それでも地中海の連合国空軍を指揮していたテッダー空軍大将が、陸海空の各司令官の
上位者であるアイゼンハワーの副司令官という立場のため、なんとかなるものの、
英空軍内ではテッダー派とリー=マロリー派という問題も起こります。
このあたりは初めて知りましたが、英米の摩擦ではなく、戦闘機vs爆撃機の争いで
なかなかグチャグチャしてて面白いですね。ドイツ空軍も仲悪いですが・・。

Bradley,Ramsay,Leigh-Mallory, Bedell Smith,Tedder,Eisenhower,Montgomery,.jpg

「最高司令官、つまりチームの主将はアイゼンハワー将軍である」と宣言し、
オーヴァーロード作戦の詳細を会議で説明するモントゴメリー。
西方のB軍集団司令官となったロンメルが大西洋防壁を強化していることに触れ、
「彼は果敢な司令官であり、機甲部隊を投入するのが好きである。
しかし、機甲部隊はルントシュテットの指揮下にあるから時間がかかる可能性もある」

その後、チャーチルや「英国王のスピーチ」こと、ジョージ6世までも出席した5月の最終点検でも、
「精力的で断固としたロンメルが指揮をしてから状況はすっかり変わった。
衝動的で牽制攻撃の名手である彼は、わが方の戦車の陸揚げを阻止することに
全力を尽くして、ダンケルクの二の舞を狙うだろう」と、この恐るべき敵対者に
感嘆の言葉を惜しまないモントゴメリー・・。

erwin-rommel.jpg

いよいよノルマンディへ・・となって登場するのは、
その国の新たな大統領の地位を目論むドゴール将軍です。
1940年の屈辱的な敗北をルーズヴェルトの支持不足のせいにし、反米的な顧問に囲まれ、
「基本的に英国は、ドイツと同じくフランス代々の敵であり、戦争に勝つソ連におもねり、
ソ連とアングロ・サクソンの衝突から得られるものだけを得るようにすべき」
と考えている抜け目のない男・・。
ルーズヴェルトもチャーチルも尊大に要求を突き付けてくるドゴールにうんざりです。
また、アイゼンハワーにとってもフランス国民に対する呼びかけやレジスタンス活動に
ドゴールの存在は無視できません。

Churchill-de-Gaulle.jpg

上陸作戦の様子は「戦記」と言っても良いくらい詳しく書かれていました。
オマハ・ビーチでの死闘も米独双方の様子が語られ、
ヒトラーの報復兵器であり、英国人が「スポーツマン的ではない」と恐れた
空飛ぶ爆弾「V1」がロンドンを襲いだすと、アイゼンハワーとSHAEFのスタッフも
一日に25回もの警報に苛立ちと疲れを隠せません。
パットンも配下の大佐を含む、200名の将兵が礼拝中にV1で殺されると、
「戦場以外で殺されるのはゴメン」と、帰国を言い出します。

V1 London WWII.jpg

なかなか進まないモントゴメリーの攻撃。。ドイツ戦車300両を破壊したと主張するものの、
実際はティーガーとパンターにはシャーマン戦車は歯が立たず、
そのような前線からの記事はモントゴメリーによってカットされていることを
アイゼンハワーは知り、調査を命じます。

Panther der 12. SS-Panzer-Division.jpg

ドイツ軍が頑強に守るカーン市に重爆460機で爆弾の雨を降り注いでから前進・・。
艦砲射撃も加わって徹底的に叩きのめしますが、それでも陣地から這い出し、
対戦車砲を立て直しては、英軍戦車186両を撃破するドイツ軍。
この陸海空からの攻撃に信じられないような大損害を出しながらも
鬼神のように奮戦する若者たちの様子には、読んでいて思わず応援してしまいました。。

hitlerjugend 1944.jpg

そして「予定通り・・」、「作戦通り・・」と言い続けていたモントゴメリーのグッドウッド作戦は
中止に追い込まれ、それを聞いた米軍司令官ブラッドレー
「われわれはニヤリと笑って我慢しなければならない」。
読んでるコッチも思わずニヤリ・・。
いや~、「 ヒットラー・ユーゲント―SS第12戦車師団史」が再読したくなってきました。

der 12.SS Panzerdivision Hitlerjugend.jpg

このようにしてドイツ軍から「解放」されたノルマンディの町。
無傷の家はなく、住民がほとんど逃げ出した奇妙な「解放」・・。
アラン・ブルックは、この国の作物は良好で、肥えた馬や鶏がいることに驚き、
「彼らはいままでも満足していたのであり、我々が荒廃をもたらしたのだ」と記します。
しかしアイゼンハワーは良心の呵責を感じず、すべては敵のせいに・・。
さらにはドイツ軍の品行方正を口にするフランス人女性を強姦する米兵も出現・・。

そういえば「恐るべき敵対者」だったハズのロンメルは、モントゴメリーと連合軍相手ではなく、
上陸作戦の日にちとカブってしまった、愛する奥さんの誕生日の前に屈するわけですが、
もし奥さんが12月生まれなんかだったら、少しは歴史が変わっていたんでしょうか・・?

A British soldier in Caen after its liberation, gives a helping hand to an old lady amongst the scene of utter devastation.jpg

ブラッドレーが指揮する米軍の巨大な第12軍集団ですが、
相変わらず彼に命令するのは英軍第21軍集団を率いる地上軍司令官、モントゴメリー。
米軍将兵だけでなく、米国民にもコレが面白くありません。
そこで9月からは両軍集団ともにアイゼンハワーが最高指揮権を取ると発表。
ここからはこの地上軍の指揮と作戦を巡る、アイゼンハワーvsモントゴメリーの戦いが
中心なっていきます。
ファレーズ包囲パリ解放と続き、モントゴメリーが元帥に昇進すると
アイゼンハワー大将指揮下の将軍たちはビックリ・・。
米陸軍には「元帥」という階級は存在しないのでした。。

Paris1944.jpg

アントワープはモントゴメリーが掃討するのを怠ったためにドイツ第15軍が強力な陣地を築き、
物資の陸揚げが遅れてガソリン不足も始まります。
そしてブレストでは「最も頑強なナチ落下傘部隊司令官、ヘルマン・ラムケ」が
トート機関の技師や労働者を含む4万の兵力で何週間もの爆撃に耐えています。
このラムケは落下傘事故で歯を失ったため「鋼鉄の歯を持つ男」などと書かれていますが、
007の「ジョーズ」みたいな感じなんでしょうかねぇ?

Hermann Ramcke.jpg

慎重なモントゴメリーによる冒険的な作戦、「マーケット・ガーデン」に
これまた慎重なアイゼンハワーがめずらしく承認を与えるも、作戦はあえなく失敗。
アーネムで捕虜になったのが英軍の空挺部隊だったことに米将官は喜び、
「傲慢な英軍司令官が当然の報いを受けたのだ」

A_Bridge_Too_Far_Anthony Hopkins.jpg

やがて秋が訪れ、1941年にモスクワ前面でヒトラーに起こったことが
アイゼンハワーにも起こる可能性が出てきます。問題は「補給の停滞」。
そしてドイツ装甲軍による起死回生の反撃が起こり、「バルジの戦い」へ・・。
ここではモントゴメリーとの釣り合いを取るために元帥に昇進した
アイゼンハワー暗殺の任務を帯び、スコルツェニーと60人のドイツ兵がパリに向かった・・
という情報が伝わったとしています。

battle-of-the-bulge-1966.jpg

ちなみに英軍での元帥は「マーシャル」ですが、
米軍では「ジェネラル・オブ・ザ・アーミー」という階級名にあえてしたことについて、
参謀総長のマーシャル大将をまず元帥にすると「マーシャル・マーシャル」になってしまう・・、
なんて話をどこかで聞いたことがあります。。。
まぁ、どこまでホントかわかりませんが・・。

George Marshall_Dwight Eisenhower.jpg

そして「バルジの戦い」で結果的にブラッドレーを救ったモントゴメリーが
調子に乗り始めて、さらに尊大な要求を出し始めると、
アイゼンハワーはモントゴメリーの解任も検討。
最終的には合同参謀本部のマーシャルが首を突っ込むわけですが、
アイゼンハワー、モントゴメリー共に、参謀総長や参謀総長会議という、
上級者と上級機関の存在も大きく、彼らの方針も両国の対立の源でもあるようです。

bernard-montgomery-.jpg

1945年3月、遂にドイツ本土へと侵攻した連合軍。
モントゴメリーは自分の軍集団が主導権を握って一刻も早くベルリンを落とすことを主張しますが、
アイゼンハワーはスターリンに「ベルリンは目標ではなくなった」というメッセージを送り、
チャーチルを筆頭とした英国の戦争内閣に「V2」が落下したような衝撃を与え、
ブルックは「彼にスターリンと直接話す権限などない」と息巻きます。
モントゴメリーにしても、英連邦軍だけでは戦力が足りず、米2個軍の助けが必要・・。

Alan Brooke.jpg

彼ら英側の考えをまとめると、兵力の少ない英軍が極力、損害を被らないようにしつつ、
戦後を見据えてソ連の手に渡る前に、英軍司令官によって、首都ベルリンを奪取したい・・
というかなり我がままな戦略に思えましたが、
ベルリン戦で想定される米兵10万人の損害はアイゼンハワーには容認できず、
「戦術的価値も戦略的価値もなく、何千人ものドイツ人や連合軍捕虜などの 面倒を見ることになる」と
パットンにも語るのでした。

Churchill, Eisenhower, and Montgomery.jpg

最後は戦後の彼らの戦いの様子、暴露合戦というか、証拠隠滅というか・・。
面白かったのは、ユーゴスラヴィアのチトーが北イタリアを要求して
問題を起こしているということで、パットンに「そっちに行って、サーベルをガチャつかせろ」。
するとチトーはあっさりと思いとどまって・・という一件です。

general_eisenhower_with_generals_patton_bradley_and_hodges.jpg

物凄いボリュームの本書でしたが、良い意味でも悪い意味でもアイゼンハワーが主役でした。
ですが、モントゴメリーにパットン、ブラッドレー、その他、大勢の将軍たちの誰かを
贔屓しているわけでもなく、容赦なく、赤裸々に綴っています。
確かにアイゼンハワーが勝利に向けて何をしたのか・・、
「オーヴァーロード作戦」にしても決まっていたわけで、決行日を決めただけ・・。
フランス市民の爆殺も仕方なし、あとはアッチだ、コッチだと戦力をチョコチョコ動かし、
冒険的な「マーケット・ガーデン作戦」を承認し、最終的にはベルリンも捨てる・・。

French children watch as U.S. jeeps transition through the devastation in Saint-Lô following liberation, 1944.jpg

後半は著者アーヴィングは米国人だったっけ?英国人だったっけ?と
思い出せないままに読み進めていましたが、
戦後のヨーロッパをソ連の手に渡したくないとする英国の考え方を理解しない米国・・
という図式は、やや英国寄りに感じましたし、
アイゼンハワーについては「やっちまった男・・」と考えている印象を持ちました。

Dwight_D_Eisenhower.jpg

ただ、本書と離れて考えてみると、ここ20年ほどでも米国は
自分たちの国から遠く離れた大陸の国に自分たちの都合で軍事介入し、
その政府をメチャクチャにしては、勝手に勝利宣言と自国兵士の損害を理由にテキトーに撤退・・。
内紛の続く当該国や、その近隣諸国については、あとは自分たちで頑張ってね・・という態度です。
そのような意味では、この当時から、その体質は変わっていないようにも思いました。

また1945年2月の「ドレスデン爆撃」については触れられず・・でした。
最高司令部とアイゼンハワーの関与も知りたかったのにちょっと残念・・。
ただ、アーヴィングはこの「ドレスデン爆撃」で作家デビューしているようなので、
そっちに詳しいのかも知れませんが、いまさら彼の翻訳本が出るとも思えないですねぇ。。

半年前に出たアントニー・ビーヴァーの上下巻の大作、「ノルマンディー上陸作戦1944」も
いよいよ読みたくなってきましたね。





nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

ロケット・ファイター [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

M・ツィーグラー著の「ロケット・ファイター」を読破しました。

Me-163、通称「コメート」と呼ばれるロケット戦闘機についての本、
「ドイツのロケット彗星」を読んだ感想の最後に
「朝日ソノラマ/航空戦史シリーズの「ロケット・ファイター」も読んでみますかねぇ。」
なんて、お気楽に書いていました。。
結局それから2年近く経ってしまいましたが、1984年発刊の本書をやっと購入・・。
著者はこのMe-163のテスト・パイロットだった人物で、
こういう当事者の回想録っていうのは、個人的に大好きなんですね。

ロケット・ファイター.jpg

1943年7月、著者であるツィーグラー中尉がオルデンブルクにある
「第16テスト攻撃隊(第16実験飛行隊)」に出頭するところから始まります。
Bf-109戦闘機乗りだった彼は35歳。戦闘機乗りの水準ではすでに「老人」です。
部隊長は柏葉騎士十字章拝領者のシュペーテ。とても友好的な彼に早速、惹かれますが、
このシュペーテは、もちろん「ドイツのロケット彗星」を書いた人物です。

Wolfgang Spate.jpg

翌日からは銀行の金庫室のような扉の小部屋で低圧訓練が始まります。
8000mの高度の気圧で死の一歩手前を体験しますが、
映画「ライト・スタッフ」でもこんな訓練があったような・・。
そして30人のひよっこロケット・パイロットたちは連日、グライダーによる着陸訓練も・・。

いよいよMe-163Aでの訓練を開始。
ロケットエンジンは完ぺきではなく、まだまだ多くの問題を抱えています。
特に燃料となるT液はちょっと触れただけで燃え上がり、人間をも溶かしてしまう恐ろしいもの・・。
離陸と同時に車輪を落とし、機体下部の「橇」で着陸するというこのロケット戦闘機。
ツィーグラーはこの2000馬力の怪物での初飛行を冷や汗をかきながら成功しますが、
シュペーテ隊長の副官で騎士十字章を持つヨッシは、落とした車輪が跳ね返って当たり、
ロケットエンジンが止まるというトラブルに見舞われ、墜落・・。
爆発はしなかったものの、駆け付けたときには操縦席にヨッシの姿はありません。
T液が操縦席に浸み出して、彼を生きながら消滅させてしまったのでした・・。

me163-006.jpg

数週間後、肥満体に近い流線型のMe-163Bが遂に到着。
すると伝説的女流パイロットでドイツ航空界のアイドル、ハンナ・ライチュもやってきます。
このハンナが「新型機に乗せて!」という話は、シュペーテが「我がまま女」と語っていましたが、
本書でも「飛行禁止」命令を受けて、泣きじゃくるハンナをツィーグラーが慰める・・
というシーンが登場します。
しかし、前日にも離陸時に爆発し、乗り込んでいたヴァルターの膝から下の片足しか
見つからなかったという事故が起こった後では、コレもしょうがありません。

Hanna Reitsch.jpg

ツィーグラー自身もMe-163Bのテスト飛行中に操縦室に蒸気が立ち込める異変に遭遇します。
なんとか着陸し、安全ベルトを外すと同時に爆発。
全力で飛び出して九死に一生を得ますが、眉毛と一緒に髪の毛も1/3は消え失せて・・。

me163 cockpit.jpg

このような命がけのテストを繰り返し、遂に実践部隊として「第400戦闘航空団」が編成。
連合軍爆撃機を迎撃するためには、スピードだけではなく、火力も必要です。
そこで登場してくるのはラングヴァイラー博士。彼はあの「パンツァーファウスト」の発明者で、
ここでも、感光性電池を引き金として、翼の付け根に垂直に発射する武器を発明。
爆撃機の下を猛スピードで通過しつつ、50㎜高性能爆薬弾を発射するというこの兵器。
気球の下を400㌔のスピードで通り過ぎるテストを繰り返し、上々の結果を得ます。

Me163-B1.jpg

通じないことがあきらかな冗談にも礼儀正しく笑う、日本人視察団一行のエピソードや
事故を目撃し、転属願いを出してきたひよっこパイロット28人を集めて
すでにベテランとなったツィーグラーが訓示を述べるものの、
何人もが恐れをなしてたった7名しか残らなかった話・・。
そして陽気で図太く、「われらが戦闘機隊の将軍」ガーランド似のフランツの着陸時の事故。
「おれの身体に水をぶっかけろ!」と突っ立ったまま叫び声をあげるフランツ。
その顔には眉毛も髪もなければ皮膚もなく、自慢の口髭のあたりはボロボロの切り株のように・・。

me163B.jpg

基地の上空に現れたB-17の編隊に向けて緊急出撃するシーンも印象的でした。
ツィーグラー自身は発進しませんが、2機を撃墜し、コメートは3機とパイロット2名を失います。
というようなところで、割とあっけなく230ページの本文は終わってしまいますが、
このあと、多賀一史氏の「日本のロケット・ファイター」の章が・・。

ME163Komet3.jpg

35ページほどのこの章は、昭和19年(1944年)のベルリンで、日本人にロケット戦闘機と
ジェット戦闘機の説明資料が配られるところから始まり、
巌谷英一海軍技術中佐が伊29潜水艦で無事、資料を持ち帰って、
陸海軍を通して、初めての共同開発としてロケット戦闘機が選ばれた話などが紹介されます。
陸軍では「キ-200」、海軍では「J8M」と付けられますが、コレが「秋水」なんですね。

秋水.jpg

昭和21年までに3600機を大量生産し、東京を中心とした防空戦力の主力機にしようという
計画が立てられ、T液(日本では「甲液」)製造の触媒としてプラチナが必要なことから、
国民にその用途を知らされることもなく、全国的な「白金供出キャンペーン」を展開・・。
そしてドイツからの資料到着後、わずか1年でオレンジ色に塗られ、垂直尾翼に
小さい日の丸が描かれた試作機が完成。いよいよ初飛行のとき・・。

陸海の特別部隊では訓練を開始し、陸軍の特兵隊には「秋水」の他、
ジェット戦闘機Me-262の日本版の準備も・・。
これは陸軍では「火龍」、海軍では「橘花」というそうですが、
もう、日本の話にはまったく疎いので、楽しめた・・というより、正直ビックリしました。

Mitsubishi J8M.jpg

ちょっと調べてみても、「秋水」もいろいろ本が出ているようで、
「有人ロケット戦闘機 秋水―海軍第312航空隊秋水隊写真史」なんか読んでみたいですねぇ。
第二次世界大戦ブックスでも「ロケット戦闘機―「Me163」​と「秋水」」というのがありますし、
オスプレイの「第400戦闘航空団: ドイツ空軍世界唯一のロケット戦闘機、その開発と実戦記録」も
大変気になります。

シュペーテの「ドイツのロケット彗星」よりも、「空対空爆撃戦隊」とか、「U‐ボート977
などに似た印象で、事故死していく仲間、一刻も早くコメートを駆って戦いたい願望など、
青春モノの苦悩が大きなウェイトを占めている一冊でしたが、
これは少佐の隊長と、いちパイロットの中尉という立場の違いも大きいでしょう。
同じコメート回想録でも、観点が全然違いますので、
この「コメート」に興味のある方なら、どちらも別の読み物として楽しめると思います。











nice!(2)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

慈しみの女神たち <下> [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョナサン・リテル著の「慈しみの女神たち <下>」を読破しました。

ナチス殺人者の回想という形式の膨大な小説の下巻になんとか辿り着きました。
アインザッツグルッペンの一員として大量殺戮に関与し、
その後、スターリングラードで九死に一生を得た主人公のアウエSS少佐。
ベルリンで次の任務を待つ彼のもとへやっと届いた召喚状・・。
それは「ライヒスフューラー幕僚部」への配属命令です。
ライヒスフューラーとはSS全国指導者ヒムラーのことなのはご存知かと思いますが、
本書はSSだけでなく国防軍兵士もみんなドイツ読みの階級で呼び合い、
例えばSS中佐だと「オーバーシュトルムバンフューラー(SS中佐)殿。」と、会話するので
ちょっと読みにくくもあります。

慈しみの女神たち 下.jpg

ヒムラーから直接与えられた具体的な任務は、強制収容所のシステムが
懲罰から労働力の供給へと変更されたものの、「軋轢」のために完遂できておらず、
この「軋轢」の源を解消して、人的資源の生産力を最大化することです。
とは言っても、SS大将ポールのSS経済管理本部が管轄する強制収容所、
その強制収容所を担当するD局のグリュックスもSS少将とお偉いさんたちが仕切っており、
主人公が所属するRSHA(国家保安本部)でも、担当者はアイヒマンSS中佐と階級は上・・。
さらにヒムラーはポールのような重鎮は怒らせないよう指示します。

Oswald Pohl bei seinem Besuch in Auschwitz.jpg

それでもアイヒマンとは旧知の仲、家に招かれて奥さんたちと食事をしたり、愚痴を聞いたり、
シュトロープのワルシャワ蜂起鎮圧の写真アルバムを嬉々として見せられたり・・。
ポーランドのルブリンでは「ラインハルト作戦」を取り仕切っているSS中将グロボクニクに面会。
「そうかい、ライヒスフューラーは俺にスパイを送って来たってわけだ。
貴様は労働力不足を口実にして、ユダヤ人を救いたがっている厄介者の一人だな」

Himmler_Globocnik.jpg

このようにしてユダヤ人を労働力として生かそうとする機関と、
相変わらず抹殺しようとする機関が交わる、複雑怪奇なSS機構にメスを入れていくわけですが、
結局のところ、個人の横領が根本的な問題でもあります。
ブッヘンヴァルト強制収容所のコッホの横領と、証人を殺害する手口を追及する
モルゲンSS判事とも意気投合するアウエ。
あの変態的に悪名高いディルレヴァンガーが科学実験と称して、少女たちを毒殺し、
その断末魔の様子をタバコをくゆらせながら見つめていたという事件もモルゲンが語ります。

そして彼はいよいよアウシュヴィッツへ・・。
所長のSS中佐、ルドルフ・ヘースに丁寧に迎えられ、SS大尉メンゲレ博士も登場。
列車で辿り着いた収容者の没収財産が分類保管される通称「カナダ」。
アウシュヴィッツものではお馴染みの場所ですが、ここからは高価な物が横領されたり、
ヘース所長の妻の下着や子供の服が選ばれています。

Auschwitz_Canada.jpg

軍需大臣のシュペーアとも顔を合わせることになり、強制収容所の生産性向上という目的のために
意見の一致を見る2人。ただし、決して、ユダヤ人を救うのが目的ではありません。
シュペーアの言い分は「まず、戦争に勝とう。その後で、ほかの問題を解決すればいい」
そんな折、グロボクニクを公金横領の罪で逮捕しようとしたヒムラーですが、
グロボクニクはどっさりと用意した「資料」にモノを言わせ、黄金の引退生活を勝ち取った
ということです。コレは初めて知りました。まぁ、小説ですけど・・。

albert-speer-Reichsministerium-Ruestung.jpg

再びベルリンに戻ったアウエを襲ったのは、連日のベルリン大空襲です。
また、上巻の最後で死んだ母と義父の殺人容疑もかけられ、執拗な刑事の追及も・・。
そして双子の姉との関係・・。それは近親相姦であり、
独身で30歳の立派なSS将校アウエの周辺には女性も寄ってきますが、
同性愛者で近親相姦でもある彼はすべての女性を拒絶するのでした。
色っぽいSS女アマゾネスとか、外務省勤めの女性との恋とか、結構、いい展開にもなって
「今度こそ、やるか?」と期待を持たせるんですけどねぇ。

Bombing of Berlin.jpg

陸軍のドルンベルガー将軍から、SS大将カムラーの管轄となっていた
ミッテルバウ=ドーラ強制収容所の地下にあるV2ロケット組立工場
シュペーアの希望によって視察する場面は印象的でした。
フランス人、ベルギー人、イタリア人ら各国の政治犯が最悪の環境で労働に従事・・。
あまりの酷さに怒りを爆発させるシュペーアですが、
「物資がいただけないのです」と返答する責任者のSS将校。
どこの収容所でも食料の改善を図ろうとしても、あまりに官僚的な機構がそれを妨げます。

Mittelbau-Dora.jpg

今度はアイヒマンとともにハンガリーに向かうSS中佐に昇進したアウエ。
これは手つかずだったハンガリーのユダヤ人を生産力として活用しようとするものですが、
複数の機関の命令が混在し、結局、ほとんどがアウシュヴィッツへ・・。
そのアウシュヴィッツが絶滅を完了し、西へと撤退する任務も監視することに。

Hungarian women who have been selected to work at Auschwitz-Birkenau.jpg

ソ連軍がベルリンへと迫ると、国防軍最高司令部(OKW)との連絡将校に任命されます。
そして最後までベルリンを死守するSS将校に総統自ら、ドイツ十字章を授与することになり
アウエも末席ながら選ばれます。
ヒトラーが彼のもとに近づき、初めて近くで見た総統の顔に憤慨したアウエは
トレヴァ=ローパーも知らなかった暴挙に・・。

Deutsches Kreuz Gold.jpg

本書は年老いたアウエが回想する小説ですから、翌日、独房に放り込まれてきた
SS中将フェーゲラインのように処刑されることはありませんが、
結末はさすがに端折りましょう。
史実がベースになっているものの、小説は小説ですから、
本書の本質的な感想は他のところの書評にお任せして、
「独破戦線」らしい読書レビューにしてみました。

Hitler,Himmler,Fegelein.jpg

訳者あとがきによると、歴史家が一致して認める資料調査の精密さがあるとのことで、
確かに読んでいても戦争とホロコーストのエピソードに違和感はありませんでした。
また、本書の構想が生まれた経緯は、モスクワ付近でドイツ軍に殺された
美しくも無残なパルチザン女性の写真に触発された・・ということだそうで、
このエピソードは本文中にも出てきましたが、おそらく「モスクワ攻防1941」で紹介した 
ゾーヤ・コスモジェミャーンスカヤのことではないかと思います。

ヴィトゲンシュタインもその本から彼女の「美しくも無残な」写真を知ったんですが、
この「独破戦線」ではあんまり死体写真は載せたくないので、処刑前のをUPしていました。
しかし、今回はそのような特別な理由があるので、あえて載せてみます。

Космодемьянская.jpg

それから、主人公アウエの家族関係の部分は古代ギリシャ悲劇の3部作
「オレステイア」がベースになっていて、第3部が「慈しみの女神たち」だそうですが、
これはまったくわかりません。。
まぁ、母親殺しに双子の姉との近親相姦と同性愛者・・という特殊な主人公ですから、
感情移入が出来るかどうかは、人それぞれでしょう。
ヴィトゲンシュタインは正直、この変態には苦労させられましたが・・。

RSHA内の派閥もあり、主人公はちょくちょく出てくる兄貴分のようなオーレンドルフ派で、
風見鶏のシェレンベルクは真の国家社会主義者ではないので嫌い・・という感じ。
他にも登場人物はゲシュタポのミュラーに、「救出への道 -シンドラーのリスト・真実の歴史-
に出ていたマウラーと、全部挙げてたらキリが無いほどで、
あのパウル・カレルも本名で、SSの通行人程度に出てきます。
と、ある程度、SSに精通していないと(例えば「髑髏の結社 SSの歴史」を楽しく読める人)、
本書を読破することが出来るのか・・疑問ですが、知識と時間とお金のある方は
上下巻合わせて1000ページの本書に挑戦してみてはいかがでしょうか。

ちなみに今年の1月に出たばかりの、アインザッツグルッペンのSDに焦点を当てた
「ナチスの知識人部隊」を購入しましたので、コレも楽しみにしています。





nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。