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ドイツ戦闘機開発者の戦い -メッサーシュミットとハインケル、タンクの航跡- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

飯山 幸伸 著の「ドイツ戦闘機開発者の戦い」を読破しました。

著者は「英独航空戦」や「ソビエト航空戦」など興味深い本を書かれている専門家の方ですが、
ヴィトゲンシュタインは今回が初めてです。
2004年の発刊で444ページの本書をなぜ購入したのか・というと、
もう2年半ほど前なので、良く覚えていません・・。
おそらく兵器よりも人間に興味がある体質ですから、
タイトルに釣られて買ってしまったんでしょう。。

ドイツ戦闘機開発者の戦い.jpg

第1次大戦後に小さな製造工場を興したエルンスト・ハインケル。
水上機の開発では日本海軍の求めに応じて、来日し、HD25が14機製作されます。
やがてルフトハンザ航空向けの高速郵便旅客機となったHe-70の高性能ぶりが注目され、
注文依頼が拡大するものの、すでに注文主はルフトハンザではなく、
ナチス政権下の新生ドイツ空軍であり、社屋にもナチ党の党旗を掲揚するよう圧力をかけてきます。
しかしこれに恭順を示さなかったハインケルは嫌がらせを受け始めますが、
制式採用された複葉の戦闘機、He-51は1936年のスペイン内戦のコンドル軍団向けに
135機が派遣され、あの「ゲルニカ爆撃」でも活躍します。

He 51 of the Kondor Legion.jpg

また、爆撃機開発ではHe-70をベースとして、He-111が完成し、
スペインでも試験されて上々の結果を得ます。
そしてHe-51の後継主力戦闘機としての最有力候補に挙げられていたHe-112ですが、
メッサーシュミットのBf-109の前に敗北・・。
当然、採用されるもの・・と思っていたハインケルのプライドを大いに傷つけるのでした。

He112.jpg

初代空軍参謀総長ヴェーファーの主張する戦略爆撃思考に答えて開発した
四発爆撃機He-177グライフは、ヴェーファーの事故死と
技術局長ウーデットの異常なまでの急降下爆撃思考に翻弄され、開発が難航・・。
それを知ったヒトラーですら、さすがに激怒して四発爆撃機を急降下させるという
無理難題の要求を取り下げさせたということです。

He.177a-1 Greif.jpg

1939年に第2次大戦が勃発すると、ジェット・エンジン開発に力を入れるハインケル。
He-178、He-280と初のジェット機を作り上げますが、
ジェット機を信用しない空軍上層部に、ハインケル側も空軍のテストパイロットの搭乗を
拒否し続けるなどして、両者の関係は悪化・・。
これには空軍No.2の次官である、あのエアハルト・ミルヒの存在も大きいようで、本書でも
「意に沿わない会社の仕事を防げるためならば、国の滅亡も辞さず・・というところまで
その権勢欲はエスカレートしていた」
また、「先に作り上げた方が最良の航空機とは言えない」という理由からも、
このジェット機でもメッサーシュミットのMe-262にその座を奪われてしまいます。

Udet, Milch, Heinkel.jpg

さらに双発戦闘機開発ではあの「ル・グラン・デューク」の主役機、He-219ウーフーを製作。
夜戦エースのヴェルナー・シュトライプ少佐が実用試験型のウーフーで
ランカスター爆撃機5機を撃墜するも、またしてもミルヒの妨害・・、
アルミ資材の供給妨害を行って、生産機数の少なさから不採用。。
その悪代官ミルヒも味方を失って1944年に遂に失脚すると、軍需相シュペーアによって
軍用機生産は単発戦闘機とジェット、ロケット戦闘機に限定。
こうして、最後の最後になって「国民戦闘機」こと、単発ジェット戦闘機He-162が・・。

A line up of Heinkel He 162 A-2s at Leck May 1945.jpg

1923年に「メッサーシュミット航空機製造」を設立した"ヴィリー"・メッサーシュミット
モーター・グライダー中心の会社ですが、4年後にはバイエルン州政府が設立した
バイエルン航空機製造(BFW)に吸収合併されてしまいます。
そして設計部門はメッサーシュミットの技術陣が占める新会社の10人乗り旅客機M20が
相次いで墜落死亡事故を起こしてしまうと、その後の態度がルフトハンザの専務であった
後の悪代官ミルヒに、拭いようのない悪印象を与えてしまいます。

m20b.jpg

天才的な幕僚であるものの、敵視した相手を巧妙に失脚させる才能にも恵まれて、
権力をこよなく愛し、ゲーリング譲りの贅を尽くした日常を望んだというミルヒ。。
ある意味、本書の主役の一人です。

次期主力戦闘機の開発はハインケル、アラド、フォッケウルフ各社に要求されますが、
BFWの単発スポーツ機Bf-108タイフンを認めたウーデットの要請によって
ミルヒも渋々メッサーシュミットと開発計画を結びます。
そして誕生したのが名機Bf-109。続く双発のBf-110はバトル・オブ・ブリテンでは
苦労をしますが、それでも夜間戦闘機として活躍し続けます。

Messerschmitt Milch udet.jpg

その後も大型戦略輸送機Me-323ギガント、ロケット戦闘機Me-163コメートと続き、
ジェット戦闘機Me-262へと進みます。
爆撃機の失敗機の話も出てきますが、メッサーシュミットはミルヒとの確執があっても
ゲーリングには信用されていたために、採用され続けたように感じました。

Me163.jpg

バイエルン航空機製造(BFW)という名前で思い出しましたが、
発動機製造の会社が、あの「BMW」ですね。
本書ではエンジンについても詳しく書かれているため、ダイムラー・ベンツなども
頻繁に出てきます。

また、1938年にメッサーシュミットが独立会社となったことで、会社記号がそれまでの
バイエルン航空機製造(BFW)の「Bf」から「Me」に変更になったことも書かれていて
メッサーシュミットの戦闘機がBf-109だったり、Me-262だったりしていることも理解できます。
戦闘機に興味を持ち始めた頃は、コレが良くわからなかったんですよねぇ。
基本的にMe-109とするのは、まぁ、OKですが、Bf-262というのはNGです。。
ちなみに"-"ハイフンを付けるのかというと、正式にはブランクが正しいのかも知れません。

Bf109.jpg

メッサーシュミットがワイン商の息子だったというのは知りませんでした。
25年来のワイン呑みですので、ちょっと調べてみましたが、
現在では特に生産、販売をしているわけではないものの、
バイエルンのバンベルクでメッサーシュミット家がホテル経営をしているようです。
その名は「ロマンティック-ホテル ワインハウス メッサーシュミット」 。
死ぬまでにバイエルンに行けたら、泊まってみたいですね。。

Romantik-HotelWeinhausMesserschmitt.jpg

1930年、BFW社に移ってきたクルト・タンク技師。
彼は航空機設計だけではなく、テスト・パイロットとしての技量を高めることも希望しています。
1年後にはメッサーシュミットと袂を別ち、新興のフォッケウルフ社へ・・。
次期主力戦闘機開発要求に応えるため、Fw-159を開発しますが、
性能不足により、あえなく落選・・。
双発戦闘機でもFw-57やFw-187が不採用・・と苦難の時が続きます。

fw159.jpg

しかし1936年、ルフトハンザから依頼された四発長距離旅客機Fw-200コンドルがヒット。
世界各地でデモ・フライトを行い、ベルリン=ニューヨーク間を無着陸で翔破。
東京まで飛行すると、大日本航空から5機の注文が・・。
さらに日本海軍から長距離洋上偵察機転用が打診されると、
ドイツ空軍にとっても「眼から鱗」となり、その後はUボート好きにはお馴染みの展開に・・。

Fw 200 C Condor.jpg

単発戦闘機の制式機はBf-109ではあっても、制式機に致命的な欠陥が見つかった場合、
改善されるまで全機が使用不能という事態に陥りかねないというリスクを解消するため、
英空軍でもスピットファイアとハリケーンが用意されていたように
ドイツ空軍でもBf-109と併用できる単発戦闘機の開発が指示されます。

Josef Priller Kurt Tank JG 26.jpg

He-112の不採用に納得のいかないハインケルが、画期的なHe-100で勝負してきますが、
今度はクルト・タンク作、Fw-190の前に再び、敗北。。
Fw-190は、Bf-109にも決して劣ることのない名機として、配備されるのでした。
さらに新技術を加えた高性能戦闘機が要望されると、
高高度戦闘機として知られるTa-152が誕生します。この「Ta」は、会社記号から、
貢献度が評価されたタンクの個人名に変更されたという「説」が多いようですね。

fw190-flight.jpg

3人の生い立ちは、第1章で1898年生まれの"ヴィリー"・メッサーシュミットと
クルト・タンク、彼らより10歳年長のエルンスト・ハインケルが
如何にして飛行機に夢を持ち、グライダー設計や第1次大戦の複葉機開発に携わったかが
30ページほど簡単に書かれていますし、戦後についても各章で語られています。

しかし開発者3人の生涯を扱ったというほどでもなく、どちらかというと各機の開発過程がメインで
「開発者の戦い」というほど人物の苦悩などに焦点を当てているものではありませんでしたが、
なかなか読みやすく、専門的な部分も初心者向けに気が利いていて勉強になりました。
また、本書では競争相手として、ユンカースにドルニエといった老舗メーカーが度々登場してきます。
こうなってくると、短い章でも良いからゴータやヘンシェルも含めて書いて欲しかったですね。

個人的にはハインケルが最も開発者として戦っていたのが印象的でした。
彼の回想録「嵐の生涯―飛行機設計家ハインケル」が
フジ出版から松谷 健二氏訳で出ているので、手を出してみようと思っています。





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