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ヒトラーの代理人 -ルードルフ・ヘス- [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

W.シュヴァルツヴェラー著の「ヒトラーの代理人」を読破しました。

10月から密かに続いている「独破戦線」のヒトラー側近シリーズ。。
ヒトラーを操った男 -マルチン・ボルマン-」、「ゲッベルスの日記」、「ゲーリング言行録」、
エヴァ・ブラウン」ときて、今回は、第三帝国のゲジゲジ眉毛こと、ルドルフ・ヘスです。
この副総裁ヘスの本というのは、本書と同じ1976年発刊の
「囚人ルドルフ・ヘス―いまだ獄中に生きる元ナチ副総統」と
1981年の「ルドルフ・ヘス暗殺―シュパンダウ囚人第七号の秘密」の3冊があって
ナニにすべきかずっと悩んでいたんですが、
結局のところ本書の訳者さんが「松谷 健二」氏というのが決定打です。
上下2段組、257ページの綺麗な本が、amazonで1000円で買えましたし・・。

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原著の発刊時点(1974年)で80歳になろうとするルドルフ・ヘスは、
前世紀に600人の囚人を収容すべく建てられたベルリン=シュパンダウ監獄の
縦2メートル、横3メートルの第七監房の囚人。
このただ一人の囚人を贅沢にも、旧連合軍、英、米、ソ、仏の4ヵ国が
彼らの同盟の最後のシンボルとして、
兵士33名、看守12名、文官17名、医師4名、僧侶1名、所長4名で守っています。

シュパンダウの職員は退職しても5年間は、その様子を喋ってはならない規則があるそうですが、
著者は、この匿名の人物や、ヘスの妻、そして息子と話をし、手紙も紹介しながら、
この囚人のシュパンダウでの生活ぶりを披露します。

Rudolf Hess in the grounds of Spandau Prison.jpg

月ごとに管轄の変わる警備。3月、7月、11月の「ソ連の月」になると
要望する特別料理が作られず、1週間ぶっ続けの「ニシン料理」に激しい発作を起こすヘス・・。
ヘス以外の「終身受刑者」、レーダー提督は健康上の理由で1955年、
9年間の刑を勤めただけで出所し、その2年後には経済相フンクも11年で。。
1966にシュペーアフォン・シーラッハが20年の刑期を全うし、釈放される時まで、
生きて出られる希望を持ち続けた彼ですが、それも叶わず、一人きりとなって
己の殻に閉じこもってしまいます。

Erich Raeder and his wife on the date of his release from Spandau prison 1955.jpg

「ユダヤ人絶滅を私は望んだことはなく、総統もそのおつもりがなかったことは確かだし、
そんな命令を出された筈はない。我々が思い描いていたのは
南アフリカのアパルトヘイトのような政策であり、
抹殺収容所の蛮行は他の勢力の所業だったのだ」とヘスは語ります。
そして午後にはどんな荒天でも看守をお供に、庭での1時間の散歩を欠かしません。

このあと、1894年生まれのヘスの生い立ち・・・、エジプトのアレキサンドリアで
ドイツの大貿易商の両親のもとに生まれ、厳格な父を恐れ、やさしい母との関係・・というのは
ヒトラーと同じですね。
14歳になるとドイツへと戻りますが、学校では「エジプト人」という綽名を頂戴し、
感受性の強いヘス少年は思い悩みます。
そして20歳のとき、第1次大戦が勃発すると、商人見習いの彼は初めて父に反旗を翻し、
バイエルンの第47野砲連隊に志願するのでした。

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歩兵に転属されるも、血気にはやる新兵は大喜び。
白兵戦での功績により、2級鉄十字章を受章。
「ぞっとするような戦い」と語るヴェルダンの塹壕戦にも巻き込まれます。
3年目には重傷を負い、数ヵ月の入院の末、少尉に昇進。
リヒトホーフェンの活躍に憧れた彼は飛行隊への転属が叶えられ、
その前のひと仕事、予備歩兵中隊をリスト連隊に連れて行く任務を遂行しますが、
到着した連隊長の傍らに立つ、口髭を蓄えた貧相な伝令の兵長と対面・・。
このヒトラーとの初めての出会いはいろいろな方面から否定されているそうですが、
奥さんのイルゼ・ヘスが著者には肯定しているそうです。

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戦後はトゥーレ協会に属してミュンヘンの動乱で共産主義のスパルタクス団と戦い、
大学に戻ると、第2の父となる元将軍、カール・ハウスホーファー教授と知り合います。
彼の地政学的発想やヴェルサイユ条約への反対などの考え方に多大な影響を受け、
家族ぐるみの付き合いを始めたヘスですが、フォン・エップ将軍の参謀長、
レーム大尉が党員になっているというドイツ労働者党の演説会に行ってみると、
20名程度の男女の中から立ち上がった党首ドレクスラーは
「では、今夕の報告者、我が同志にして宣伝面の責任者、画家のヒトラー君・・」と紹介します。
そして、その2時間にも及ぶ演説に息をのみ、恍惚と聞き入るヘス・・。

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毎日のようにヒトラーに付きまとい、ビラ張り、ビラ配りに恋人イルゼも引っ張り出す熱の入れよう。
ヒトラーも呼べば飛んでやって来て、賛同を持って熱心に話を聞く、この坊ちゃん大学生に
悪い気がしません。
新たにナチ党となって党のマーク、ハーケンクロイツも出来上がりますが、本書によると
もともとトゥーレ協会のマークであり、歯科医のクローン博士がデザインしたものの、
十字の鉤の向きが気に入らないヒトラーが右向きに変更したということです。

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このナチ党創成期・・ドレクスラーやエッカート、シュトライヒャーらとの関係や派閥争いは
詳しく書かれていて勉強になりました。
こうして1923年の「ミュンヘン一揆」へと進み、オーストリアに脱出していたヘスは
ヒトラーの判決を新聞で読み、自分の刑が総統より重いことはないだろう・・と自首します。

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ヒトラーがヘスに原稿を口述し、タイプさせたといわれる「我が闘争」ですが、
本書ではそれを否定し、ヘスの役目は、ヒトラーの思考の流れを整え、忠告を発し、
原稿整理/組み換えをし、自分の考えもはさんだとして、
ヘスを共著者といっても拡張ではない・・としています。

釈放後、私設秘書にならないかと持ちかけられた31歳のヘス・・。
ハウスホーファー教授からも地政学研究所の助手の話を持ちかけられていましたが、
未来の教授への道を断り、新たな父である、ヒトラーの秘書を選びます。
「マイン・フューラー」という呼びかけや、昔のオーストリアの登山家の挨拶「ハイル!」から
「ハイル・ヒトラー!」を作ったのがヘスだという説も紹介。

Heil!!.jpg

シュトラッサー兄弟との対立のなか、ナチ党が勢力を拡大していく過程で
グレゴールを追放し、彼の仕事を引き継ぎ、党の関係事を処理する全権を与えられたヘス。
もはや私設秘書ではなく、党で第二の存在となったのでした。
ヒトラーがドイツを旅行中のチャーチルから会いたいと言われたものの、
「このチャーチルは影響力はもたん。野党だからな」と素っ気なく断った話なども織り交ぜて、
このナチ党が政権を奪取するまでも、なかなか面白く書かれています。

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1933年に誕生したヒトラー内閣でも、12月には「党の代表」として無任所大臣で入閣。
ゲッベルスのように新聞は持たず、レームのように40万の私兵も指揮せず、
ゲーリングのように警察部隊を持たないヘスの実権はヒトラーその人であり、
疑い深いヒトラーが彼を完全に信用する一方で、
ヘスもヒトラーの害になるような決定をするハズもありません。

Hitler_at_Reichstag_with_Rudolf_Hess_&_Joachim_von_Ribbentrop2.jpg

疑心暗鬼の渦巻く党内ではヒムラーがハイドリヒの書類を作成し、ハイドリヒはヒムラーについての、
ゲーリングはシュトライヒャーについて、シュトライヒャーはゲッベルスについて・・。
シュトライヒャーのファイルには、「少女団(BdM)の生きのいい少女を2人、用立てろ」と言われたいう
ヒトラーユーゲント団員の報告が記載され、「ヒトラー」と書かれたファイルには
1918年の野戦病院の病状報告があり、そこには毒ガスによる嘔吐症状ではなく、
「梅毒感染による眼の障害」と記されています・・。
しかし酒も飲まない「徳の鑑」、ヘスのファイルには、個人的スキャンダルは一切ありません。

Nazi leaders liked to be photographed with children, as Streicher.jpg

長いナイフの夜」事件では、SA幕僚長のレームがヒトラーを「くそ兵長」と決めつけ、
「この臆病者と縁が切れればな!」と語っていたことを
ハノーファー地区のSA隊長、ルッツェがヘスに報告し、
彼はこういうことをヒトラーにも話していたということですが、
事件当日の朝まで、この計画をヒトラーから打ち明けられず、ショックを受けてしまいます。
「ゲーリングやゲッベルス、ヒムラーも知っていたというのに・・」

膨大な量の仕事も正確にこなし、秘書や女性タイピストにちょっとしたミスや怠慢を注意するものの、
決して怒鳴ったりすることなく、騎士的に丁寧に接します。
このようなことは大きなストレスとなり、胃や肝臓、心臓の痛み、痙攣と不眠に悩まされますが、
ここで登場するのが、仕事熱心なマルティン・ボルマンです。
そして段々とこの部下に仕事を任せるようになっていくヘス・・。

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1938年からのユダヤ人選挙権はく奪などの反ユダヤの政令に次々と署名をしたヘス。
それでも「水晶の夜」事件を激しく非難し、仲の良くないゲッベルスの責任をヒトラーに進言します。
また、外国の社会形態や政治、住民のメンタリティに疎いヒトラーが
シャンパン商人のリッベントロップを「英国通」として抜擢したり、
バルト系でモスクワを知っているローゼンベルクを外交専門家としたりすると、
エジプト生まれのヘスも当然のように外交専門家とされてしまいます。
そんな訳でハウスホーファー教授の息子、アルブレヒトを相談役にしますが、
ヒトラーからはチェコ危機でも「きみは悲観的すぎだよ」と軍配はリッベントロップに・・。

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ポーランドとの開戦に伴い、国会で演説するヒトラーは
「第1の後継者はゲーリング、次の後継者はヘスである」と、正式にNo.3の座に・・。
そして想定外の英仏による宣戦布告。。
ヘスは石のような顔でヒトラーに歩み寄り、許可を願い出ます。
「予備役少尉として空軍に入隊し、即刻戦線に・・」
しかしヒトラーは「絶対に許さん!」と1年間の飛行禁止を命令します。

Rudolf Hess and test pilot Hanna Reitsch, Feb 1939.jpg

翌年、西方戦役が終わると、ハウスホーファー教授からハミルトン公のことを聞き、
勝手にこの公こそ、平和使節交渉相手と決めかかってしまったヘス。。
このあたりも本書ではとても具体的に書かれていますが、
1941年の対ソ戦が近づくと、1年間の飛行禁止命令が切れていたこの外交専門家は
メッサーシュミットで英国に飛び立つのでした。

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この件を果たしてヒトラーが知っていたのか・・?
本書では妻イルゼは知らなかったと語りますが、空軍のボーデンシャッツ将軍は
「ヒトラーの驚きは実にうまい芝居だった」と語っています。
ヘスの複座機のMe-110の練習相手を勤めたのは総統専属パイロットのバウアです。
このあたりも非常に詳しく書かれていて、とても面白かったですね。

本書の見解としては、「知っていた」ですが、ヴィトゲンシュタインもバウアということなら、
ヒトラーが知らなかったとは考えにくく感じましたし、
「ヒトラーの命令」ではなく、あくまでヘスが自らの計画を伝えており、
ヒトラーは一か八かの案として、黙認していた・・という意味ですね。

Messerschmitt Bf-110 _ Rudolf Heß.jpg

ヘスからのヒトラーヘの手紙の結びには
「失敗した場合には、私は狂人であると声明してください」と書かれ、
英国で戦時捕虜扱いとなり、虚しい尋問を受けるヘスに対し、その通りに表明するヒトラー。

ゲーリングはメッサーシュミット教授も尋問します。
「ああいう男に機を用立てる前に、調査しておくべきだったなぁ」
「じゃあ、閣下が来られても総統に許可を求めるわけですか?」
「事情が違うだろう!私は空軍大臣だ!」
「でもヘスは総統代理です」
「しかしだな、あの男が狂気だと気づいてしかるべきだったよ」
「狂人が要職に就いているなんて、そちらこそ辞職を迫ってしかるべきだったんじゃないですか!」

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スコットランドから「ロンドン塔」に移され、そしてまた、別の別荘に移されたヘス。
12月には記憶喪失となり、やがて回復しますが、1943年にも
ヒステリー性健忘症と診断された、この記憶喪失に再び逃れます。
こうして1946年のニュルンベルク裁判を迎え、終身刑の判決が・・。
「ロンドン塔」は見物したことがありますが、ヘスが囚われていたとは知りませんでしたね。

Nuremberg trial in 1945.jpg

1967年、「ルドルフ・ヘスに自由を」という団体が誕生し、
ニュルンベルク裁判の英国主席検察官らも署名。
英米でもこれ以上の拘禁は人道にもとる・・という論調が起こります。
ヘスがこのまま死ねば、「殉教者」になる危険があることを承知していて、
この無害の老人をこのまま拘禁し続けることもすこぶる迷惑と考えている西側ですが、
ソ連だけはナチの最後の生きたシンボルに対する解釈が違い、
4ヵ国の同意がなければ釈放は許されないのでした。

Rudolf Hess in the prison.jpg

前半のシュパンダウでの生活では米所長のユージーン・バード大佐が
ヘスと親交を深めていた結果、ソ連の圧力によって辞職に追い込まれた・・
という話がありましたが、この人は
「囚人ルドルフ・ヘス―いまだ獄中に生きる元ナチ副総統」の著者ですね。

もう一冊の「ルドルフ・ヘス暗殺」は、替え玉説といったちょっと変わったもの・・、
1987年、93歳のヘスは首に電気コードを巻き付けて自殺したとされていますが、
コレにも暗殺説があったりと、本書以降も謎が残されています。

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昨年の7月にもネオナチの巡礼地化が続くことを阻止するために、
彼の墓が撤去されるなど、話題にもなりましたね。
しかし1974年の時点で、「殉教者」としてネオナチの象徴となることを
本書が予言していたことに驚きましたし、非常に多面的に分析している一冊でした。
ちょっと「ヒトラーの共犯者」を読み返して、クノップ先生の解釈も再確認してみますが、
最新のヘス本が出ても良さそうなものなんですけど・・。







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