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エヴァ・ブラウン -ヒトラーの愛人- [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ネリン・E.グーン著の「エヴァ・ブラウン」を読破しました。

以前に紹介した「エヴァ・ブラウンの日記」があまりにもXXXXでしたので、
ちゃんとしたエヴァものを読みたいなぁ・・と思っていました。
先日の「アドルフ・ヒトラー」もそれほどでもなく、今回、文華堂で見つけた
1973年発刊の400ページという本書。
1979年には「エヴァの愛・ヒトラーの愛―独裁者を恋した女の生涯」という本も出ているんですが、
こっちの方がページ数もあるし、古書でも安かった・・というのが本書を選んだ理由です。

エヴァ・ブラウン.jpg

やっぱりエヴァ・ブラウンには興味がありますね。
そういう方も多いんじゃないかと思いますが、それでも、ヒトラーが愛した女として見るのか、
なぜ、彼女はヒトラーを愛したのかと見るのか、見方は人それぞれだと思います。
ヴィトゲンシュタインは両方ですね。ヒトラーがエヴァのどこに特別なものを見たのか。
エヴァはヒトラーの男として以外の部分、政治的なことまで知っていたうえで愛したのか。
実はエヴァが強烈な反ユダヤ主義者で、
「あんた、ユダヤ人なんてラインハルトに全部殺させちゃいなさいよ」
なんて言っていたとは、とても想像できないですから・・。

本書には30枚ほどの写真が掲載されていますが、「ヒトラーのお気に入りの写真」と書かれた
19歳のエヴァを見ると、なんとなくゲリに似ているような気もしますね。

Geli_Eva.jpg

著者は中立国の特派員として活躍中に捕えられ、終戦とともにダッハウ強制収容所から解放され、
米国に帰化後、フリー・ジャーナリストとして活動・・という数奇な経歴の持ち主です。
序文では、ヒトラーの専属カメラマンのホフマンや、娘のヘンリエッテ、その旦那である
フォン・シーラッハらの証言と、トレヴァ・ローパーなどの研究者によって
エヴァが甚だしく誤って描かれているとし、ヒトラーの秘書たちやエヴァの唯一の親友だったヘルタ、
20年間、口を閉ざしていたエヴァの家族からもインタビューを行い、本書を書き上げたそうです。

Eva and her sister Ilse (1908 - 1979) in a childhood photo from 1913.jpg

第1章はヒトラーの19歳年下の姪、ゲリの死から始まります。
ここではヒトラーの最初の運転手で、世話好きのヒトラーから「早く妻をめとるように」との
忠告を受け入れ、ゲリと婚約した結果、ヒトラーの逆鱗に触れてクビになったモーリスの
「ヒトラーはゲリに惚れてましたよ」と断言する話を紹介します。
一方、女中で管理人だったアニー婦人の話・・、「ヒトラーの愛は父親の愛情であり、
ゲリはヒトラー夫人になることを望んでいた」という様々な話も・・。
そしてゲリが自殺の直前「親愛なるヒトラー様」と書かれた手紙を発見。。
その最後には「あなたのエヴァより」と書かれていたのでした。

ゲリより4歳若い、1912年生まれのエヴァ。姉のイルゼ、さらに妹グレートルとの3姉妹は
ミュンヘンの学校教師の家庭で育っていきます。
やがて教育の総仕上げに修道院に送り、礼儀作法などを教えるのが一家のしきたりです。

this is supposed to be Eva Braun as a young girl at Simbach Convent.jpg

17歳で修道院をあとにし、就職先を探すふっくらと太ったエヴァ。
求人広告を見てやって来たのは「ハインリヒ・ホフマン美術写真商会」。
近くには「フェルキッシャー・ベオバハター」の印刷所とナチ党幹部が集うイタリア料理店があり、
ナチ党員の店主ホフマンは、ウサギ飼育業者を自称するヒムラー
泥だらけの長靴を履いたボルマン、向かいの薬局に長生きの万能薬を買いに行くヘス
しきりに女たちを怖がらせるシュトライヒャーらの写真を撮り、
3週間後にはヒトラーも遂に姿を現します。

Teenager Eva Braun.jpg

政治に無知な彼女は「ヒトラーってどんな人なの?」と父に尋ねます。
「あいつは自分のことを全能だと思い込んでいて、世界を改造したがっている低能児だよ・・」
しかし23歳年上のヒトラーに度々会っていたエヴァは、
ゲリの自殺に精神錯乱となって悲観に暮れ、姿を現さないヒトラーと、
彼のために命を捨てる女性がいたことに感動し、
このことが、ヒトラーを愛することになった決定的な要因と本書では推測しています。

Die 21-jährige Eva Braun.jpg

そして時は1932年、まさにヒトラーとナチ党にとっては政権奪取に向けて多忙を極める毎日。
20歳の小娘とちょいちょい逢引きしているヒマはありません。
やがて短い便りさえ届かないことにシビレを切らしたエヴァは1年前のゲリと同様、
ピストル自殺を図ります。
2人の関係を決して口外せず、タクシー代も自分が払うと言い張り、
贈り物にも控えめなお返しをするエヴァに「これからは気を付けてやらないと・・」と、
ヒトラーもホフマンに打ち明けます。
ちなみに日本で「ヒトラーの愛人」とされるエヴァですが、別に独身の男女ですから
「愛人」というのも変ですよね。まぁ、昔は「恋人」のことを「愛人」とも言っていたようなので
その名残りなんでしょうか?

Eva Braun in the office of Heinrich Hoffmann.jpg

彼女を特別な存在と認めたものの、政権を握ったヒトラー総統の前には
様々な女性たちが群がってきます。
以前に紹介したレニ・リーフェンシュタールユニティ・ミトフォード・・。
本書ではこのような女性たちにも1章を割いて紹介していますが、個人的には
「うっとりとさせるような金髪のインゲ・ライは、いつもヒトラーの胸をかきたてていた」とされる
ドイツ労働戦線全国指導者ロベルト・ライの奥さんの話が印象的でした。
呑んだくれの旦那との不幸な結婚生活をヒトラーは常に話題にし、やがて彼女は1943年、
窓から飛び降りてしまいます。綺麗な人ですよねぇ。。

Hitler. Inge Ley.jpg

例の「エヴァ・ブラウンの日記」についても書かれていました。
1947年に発表されたこの日記は「ずうずうしいイカサマ」であるとして、一刀両断にしています。。。
しかし1935年の20ページから成る本物の日記が発見され、
姉のイルゼが「本物」と言い切るこの日記が本書には収められていました。
「彼が愛すると言う時、そのことを彼は、しばらくの間は、と考えているに過ぎない。
約束にしても同じこと。彼がそれを守ったためしはないんだもん」

注釈で著者は、のちに世界中の政治家がヒトラーを信じ、そして裏切られたことを
彼女はこの時点で理解していたのだ・・と褒め称えています。。
しかし愛に悩む、23歳の女の子の日記ですから、読んでるコッチが照れくさいですね。。

Eva Braun um 1935.jpg

中盤からは数々の困難とライバルを押しのけ、「ベルヒテスガーデン」の女主人の地位まで
上り詰めたエヴァと、ヒトラーの取り巻きたちとの生活の様子、
副総裁ヘスが英国に飛び立った事件で、ヘス婦人のためにヒトラーに懇願するエヴァ。
さらにその他のナチ党高官婦人との関係が・・。

リッベントロップ夫人はエヴァごときには見向きもしないものの、
「第三帝国のファーストレディー」を自負するエミー・ゲーリング
「エヴァを村八分にしましょう」とスローガンを掲げるナチ政府女性群の総帥格。。
シュペーア婦人とボルマン婦人とは仲が良かったようですが、
互いにヒトラーを征服しようと企むエヴァとボルマンは敵同士です。
また、パパ・ブラウンからは「中年男の妾に成り下がり、結婚のあてもないのに
同棲するとは何たる不真面目!」と、2度と実家に足を踏み入れるなと言い渡されるのでした・・。

Hitler Eva Magarete Speer.jpg

エヴァはヒトラーのことを皆と同じく「マイン・フューラー」と呼び、
使用人にも仲の良い友人であると思わせるために演技を続けます。
ヒトラーも毎朝、階段で出会うごとにうやうやしく挨拶をし、手にキスをするという
礼儀正しい振る舞いを見せ、書斎からエヴァの部屋へ直接入れるにも関わらず、
彼女の部屋をノックしてお伺いを立てます。
「フロイライン・エフィー、着替えはお済ですか、お会いできますか?」
しかし侍従長のリンゲはヒトラーのベッドで抱擁する2人に不意打ちを喰わせてしまったことを
証言しているそうです。

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豪華なレセプションや紳士淑女の集いに招待してくれと頼むエヴァですが、ヒトラーは答えます。
「エフィー、きみは社交的な生活をするようにできてないんだよ。きみは私の大事な宝・・。
私にはきみの清らかさを守る義務がある。外の世界は汚物の山なんだ」
そんなことで諦めないエヴァは、山荘を訪れるウィンザー公爵夫妻を紹介してくれるよう
ヒトラーに迫り、うんざりさせます。
「だって、あの方は一人の女性のために大英帝国を惜しげもなく捨てたんですもの・・」

The Duke and Duchess of Windsor with Hitler.jpg

さらに映画「風と共に去りぬ」が公開されると、自分をスカーレット・オハラに見立て、
衣装をまとって一場面をパントマイムで演じて見せ、ヒトラーにも映画を鑑賞させて、
口を開けば「クラーク・ゲーブル、なんて素敵な男でしょう」と、自室に写真も飾り、
食卓でも声マネで英語を喋るという大変なのぼせよう・・。
とうとう嫉妬心に掻き立てられたヒトラーはレット・バトラー役になることもなく、
ドイツでの公開許可を取り消す旨を指示・・。
本書では、このようなエヴァの行為を「遠回しに・・」としていますが、
男からしてみれば、十分、直接的です。。。

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うっぷん晴らしにベルリンの商店で一番値の張る品物を注文し、
総統官邸に届けさせるという行動で商店主たちを悩ませます。
靴はイタリアから、下着はパリから取り寄せ、ドレスも何十着と注文し、見せびらかします。
当初は「なんて優雅なんだ」と鼻が高かったヒトラーも、「密輸業者からでも買ったのかね?」

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連合軍がノルマンディに上陸したニュースに起こされて、「ついに来た。これこそ本物の敵だ」と
歓声を上げ、軍事地図を求めて白木綿のナイトシャツのまま、飛び出そうとするヒトラーを
最高司令官にふさわしくないと躍起になって引き留めるエヴァ・・。
この頃になると女主人のモラルも変貌を遂げ、熱烈なナチ党支持者となり、傲慢にもなっていきます。
姉のイルゼがヒトラーの方針に批判を投げかけると
「総統があなたを強制収容所に送ったとしても、わたしは救い出してあげませんからね」と
宣言するほど・・。

Eva Braun with her parents, Friedrich 'Fritz' and Franziska (centre) and her sisters Ilse (left) and Margarethe Gretl (second from right) in 1940.jpg

そうはいっても、女性に関することにはヒトラーに喰ってかかります。
ヒムラーが美容院の閉鎖を命じると、ヒトラーを説得して再開させ、
主婦が闇市で食品を買うことを禁止する法令も撤回・・。
地下鉄で立っている女性を尻目に、のうのうと座っている将校たちを目撃すると、
「軍人は公共の乗り物を利用するにあたって常に騎士道精神に則った振る舞いをすべし」
という布告をヒトラーに出させるといった具合・・。

ヒトラー暗殺未遂事件では、2通の手紙・・。ヒトラーの書いた
「わたしは大丈夫。じきに帰れて、君の腕の中で休むことができれば・・」という手紙と
シュムント将軍はお気の毒に・・。命ある限りあなたを愛します」というエヴァの手紙を紹介します。

eva13.png

ヒトラーのたばこ嫌いは有名ですが、コレにまつわるエピソードが豊富でした。
エヴァの妹グレートルに対し「たばこをやめなさい。そしたらあなたに別荘をあげるから」
それをあっさりと断られると、エヴァを含む20名の女性たちには
「1ヶ月間禁煙したら、スイス製の金の時計と宝石を送るから」
そして、いつかすべてのたばこの箱には「危ない!喫煙はあなたを殺す。危ない!ガンになる!」
と印刷したラベルを張るよう法律で定めると宣言しています。

Eva Braun's Sister, Gretl.jpg

そのグレートルはSS副官のフェーゲラインと1944年に結婚するわけですが、
本書のフェーゲラインの紹介は、「ベルヒテスガーデンの女性を尽くなで斬りにしており、
自分と寝ることを承知しない女を仇敵とみなすという、まことにあっぱれな男性の典型だったのだ」
また、この結婚式の様子も新婦が語ったと思いますが、エヴァの雇ったSS護衛兵の楽団が
軍服もヨレヨレで、その演奏はさらにボロボロだったという話や、
舎弟の結婚に気を良くしたボルマンがシャンパンを飲み過ぎて担架で退場したなど・・。

Fegelein_Gretl_Hitler_Eva.jpg

ベルリンは爆撃によって廃墟となった建物が目立ち始め、エヴァも不安におののき始めます。
著者はカイテル元帥のような人物が「クリスマスのためのとっておきの大勝利」を約束し、
愛する軍事の天才が明けても暮れても「エフィー、これほど勝利の確信が湧いたことは一度もない」
と宣言するに及んでは、彼女がむやみに楽観的になったり、
熱狂的になったりするのは異常なことではなく、
当時のドイツの若い女性はみんな同じように考えていたのだとしています。

Eva with Speer.jpg

1945年になると、ベルリンからの疎開をヒトラーから命じられたエヴァ。
しかし33歳となった彼女はすぐにベルリンの総統のそばに戻ることを決断します。
ダイムラー・ベンツ社を訪れて「総統から大至急ベルリンに来るように命じられているんです」
とウソをつき、以前の運転手がエヴァを運ぶ役目を引き受けます。
そんなエヴァの顔を一目見たヒトラーは叱りつけようとするものの、彼の喜びは傍目にも明らか。。

最後の地下壕の様子は、「私はヒトラーの秘書だった」のユンゲ嬢らの証言で構成されており、
だいたい、過去に読んだ「ヒトラーの最期」本と同じ展開です。
ただし、親友のヘルタや、妹のグレートルに宛てた最後の手紙が印象的でした。

Hitler's mistress Eva Braun.jpg

実に濃くて面白いエヴァ・ブラウン伝でした。原著は1968年と古いものですが、
逆に当時だからこそ、彼女を知る当事者にインタビューが可能だったのも事実ですね。
いくつか知っているエピソードもありましたが、コレは本書がネタ本になっているのかも知れません。
今回はかなり長くなりましたが、これでも結構、端折ったつもりなんですね。
不思議なのは、本書を読んでエヴァという女性を理解できたか・・というと、そうでもないことです。
なぜなら、本書は事実と思われるエピソードの積み重ねであり、
著者がエヴァの人間像を自分なりに作り上げて、それを読者に強制していないからです。
可愛らしいエヴァもいれば、おいおい・・というエヴァも混在しますが、
人間の本性なんて当然、一冊の本で表せられるわけもない複雑なものですからね。





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ナチス第三帝国事典 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェームズ・テーラー/ウォーレン・ショー著の「ナチス第三帝国事典」を読破しました。

1993年発刊で大きめのハードカバー、368ページで定価7800円という本書ですが、
綺麗な古書を1300円という安い値段で手に入れられましたので、なんとなく読んでみました。
著者は英国人でBBCの放送作家、第三帝国の研究で第4級勲功章を受勲したという2人です。
まぁ、「事典」というくらいですから、著者による無茶な記述や新説を期待するわけではなく、
要は第三帝国で起こった事柄や、人物、組織について、現在の一般的な解釈を理解しよう・・
というのが、個人的な目的です。
ですから、興味のある部分を抜粋して読んだり、つまらなそうな部分は飛ばしたりすることなく、
最初の「あ」からジックリと読んでみました。

ナチス第三帝国辞典.jpg

上下2段組で写真も無く、ビッチリと書かれた本文で最初に登場するのは「アイケ」です。
原著はアルファベット順なんでしょうけど、日本語版だとこの人物からになるんですねぇ。
もちろんアイケというカタカナに続いて、「Eicke,Theodor」と表記されているので、
彼が強制収容所の総監を勤めたテオドール・アイケであることはすぐにわかります。
本書での記述は「恐るべきナチ強制収容所システムの草案者。」という始まりです。

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その後は「アイヒマン」、「アインザッツグルッペン」、「アウシュヴィッツ」と
ホロコースト的な項が続きますが、
あいだには「アイゼンハワー」や「アインシュタイン」なども出てきます。
このような展開ですから、ひとつひとつの項を読む度に、頭をリセットしていかないと
とてもスムーズには読み進められません。

「アーネンエルベ協会」はちょっと気になりました。
ヒムラーが設立したSSによる先史時代研究機関ですが、
「科学とロマン主義の両要素が混合しており・・」、と、オカルト的、インディ・ジョーンズ的で
以前から興味があるんですよねぇ。このあたりがテーマとなっているらしい
「ヒトラー第四帝国の野望」という、恐ろしく怪しい本をついつい買ってしまいました。。

Das Ahnenerbe in Greece.jpg

ついでに「インディ・ジョーンズ」を検索したら、
「ミス・淫ディジョーンズ/失われたアクメ」という1996年のスペイン映画がヒット・・。
よくこんなバカな邦題を考えつくよなぁ・・。まぁ、決してキライじゃありませんが・・。

Arnold Ernst Toht.jpg

軍人はそれほど出てこないと思っていたら「グデーリアン将軍」の項が出てきました。
1ページちょっと・・と本書の基準では大きい扱いです。
「機甲部隊および電撃戦戦術の用兵に精通したドイツの将軍。」から始まって、
参謀総長などの経歴が書かれますが、最後はこう締めくくられています。
「他の多くのドイツ軍の将軍と同様、天賦の才を有する、しかし視野の狭い一軍人であった。」
彼の回想録の原題、「一軍人の回想」に引っ掛けた評でしょうか?

Guderian_wearing_Panzerkampfabzeichen.jpg

ゲシュタポ」の項も面白いですが、次の「決闘」が最高です。
1935年にヒムラーがSS隊員に規定した決闘とは次のように明文化されています。
「決闘の申し込みは侮辱を受けてから4時間以内に行われなければならず、
日曜祝日の決闘は禁止。果たし状は書留郵便で送るべし。」

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いまだにハッキリしたものを読んだことのない「国会議事堂放火事件」ですが、本書でも
「SA分遣隊の犯行であるという有力な証拠はあっても決定的ではなく、結論的には、
やはり精神薄弱で、錯乱していたファン・デル・ルッベにも同等の疑いがある。」
このような複数の説や、謎の残る事件についても、本書では無理やり白黒つけずに
なんとか「事典」らしくまとめている感じですね。

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「裁判」の項では、あのフライスラー裁判長についても書かれているものの、
個人的には、「死刑を受ける年齢も1941年には、14歳まで引き下げられた。」
というのが印象的です。

「女性」の項も第三帝国の女性政策がうまくまとめられており、
ドイツ少女団(BdM)といった組織の他に、成功を収めた女性はごくわずかで、
レニ・リーフェンシュタールハンナ・ライチュくらいとしていますが、
「全国婦人指導者」のショルツ=クリンクがちゃんと紹介されていました。
終戦後、3年間も連合軍の追跡から逃れていたという彼女について書かれたものは
初めて読んだ気がします。

Kaltebrunner_Friedrich Wilhelm Krüger_gertrud-scholtz-klink.jpg

親衛隊」にはボリュームたっぷりに割いて、「略史」に「機構図」も掲載しています。
ここでも「女性部隊」が気になりましたが、SS看護婦とか、収容所の女性看守などを解説。
特にイルゼ・コッホの有名な「囚人の皮膚で出来たランプ笠集め」については、本書では肯定し
(トーランドの「アドルフ・ヒトラー」では否定していましたが・・)、
悪霊に取りつかれた色情狂と精神科医に判定された彼女が、
「戦後、刑務所で米軍の看守をまんまと誘惑して、子供を産んでいる。」という話まで・・。
ケイト・ウィンスレットの「愛を読むひと」は、イルゼがモデルという噂もありますね。

Hanna Schmitz (The Reader) - Ilse Koch.jpg

「戦略的空爆」の項は3ページに渡って書かれています。
「1939年から45年までに推定50万人の人々の命が奪われた。」というドイツ本土無差別爆撃。。
著者は英国人であるということを念頭に置いて読んでいましたが、
「英国側において、多くの人々が恥ずべき政策とみなしていた。」として
「連合軍による恐怖爆撃の目的が一般市民を殺傷すること以外にあるなどとは誰も信じず、
残念ながら、アーサー・ハリス卿のとった戦略に関する非難に反駁するのは困難である。」

Germany, 1945.jpg

「ディートリッヒ、ヨーゼフ("ゼップ")」では、1945年5月に米軍に投降した結果、
「米国の法廷で裁かれ、禁固18ヶ月を宣告された。彼がソ連の法廷から告訴されなかったのは
実に幸運であったと言うしかない。」と結んでいます。
確かにそうですねぇ。ソ連からしてみればヒトラーの武装親衛隊の親玉ですから、
告訴しなかったのも謎ですし、そうなっていたら間違いなく「死刑」でしょう。。

Kurt Meyer, Jochen Peiper, Otto Günsche, Josef  Dietrich,A first meeting after the war.jpg

本書の真ん中には、まとめて30数枚の写真が掲載されていました。
ミュンヘンの雪の降り積もる路上で演説する若きヒトラーの写真など珍しいものもありますが、
エヴァとダンスを踊るフェーゲラインの写真のキャプションでは「エヴァの義兄」となっています。
さらにその下の有名な写真は「ベーメン・メーレン保護領総督ハイドリヒ
ポーランド総督ハンス・フランク」と書かれていますが、
これも副官の国務大臣だったカール・ヘルマン・フランクの間違いですね。
1ページに2つの基本的なチョンボがあると、つい本文も疑ってしまいますが、
フェーゲラインはちゃんと「義弟」となっているので、日本語版のポカミスなのかも知れません。

Reinhard Heydrich with Carl Hermann Frank.jpg

その「ハイドリヒ」は2ページ強という特別扱いで登場します。
そして最後には「ハイドリヒこそ総統の地位をヒトラーから受け継ぐ人物だと多くの者が信じていた。
もしそうであったなら、世界は頭の切れる恐ろしい敵を相手に戦わなければならなかっただろう」と、
特別扱いに恥じぬ評価を得ています。

ハルダー」では、このヒトラー暗殺すら考えた反ヒトラー派の参謀総長が、西方戦役後は
ドイツ人の命運はもはやヒトラーに握られている・・と考えるようになったとして、
「ハルダーは多くの上級将校がヒトラーに対して抱いていた、愛憎共存する感情を有していた
興味深い一例である。」と、う~ん。なかなか上手い書き方だと感心しました。

Adolf Hitler mit OKW Offiziere.jpg

「ヒトラー」はさすがに8ページほど書かれていますが、女性関係の部分では
「間違いなく彼は姪のゲリと、ある種の肉体的交渉をもった様子である。」として、
ゲリが自殺した件でも「彼が彼女に無理な要求を・・」、さらにヘンリエッテ・シーラッハ
「ヒトラーの性的欲求を満たすため、彼を鞭打ったり、悪口を浴びせたことがあると言われている。」
う~む。。これは噂の域を出ない気もしますが、幼少の頃に厳しい父に鞭打たれたことを
根に持っていたのは本当だと思いますし、そういう思い出がのちにSMの世界へと繋がっていく・・
というのも、昔聞いたことがありますね。

hitler and Girls.jpg

また、ゲリの死の真相についても本書の所々で書かれていて、整理すると
党にとって邪魔で迷惑な存在となったゲリを、ヒムラーの命令によって殺し、
その捜査をした警部をボルマンが金の力で解雇させ、
後のゲシュタポのミュラーを連れてきてスキャンダルを揉み消した・・という感じです。

Gestapo-Chef Heinrich Müller.jpg

なかなか「事典」らしくしっかりと、公平に書かれた一冊で、いろいろと勉強になりました。
特に人物ではwikiの日本語版にも書かれていない人も結構登場し、
あまり知らなかった古参党員や共産主義者、反ヒトラー派の人物などを知ることができました。
今後も近くに置いて、参照することも多いと思います。

その反面、軍事的なことは思っていたほどではなく、
将軍連も有名な元帥や、歴代参謀総長といった程度・・。
パイロットではガーランド 、Uボート艦長はクレッチマー(たった4行・・)だけでした。
有名な装甲師団なども出てきませんし、兵器についても、V1ロケットやジェット戦闘機Me-262など
メジャーな新兵器のみとなっており、ティーガー戦車などは無視。。。
まぁ、それでも700余りの項目があって、どこまで載せるかはキリがないですし、
特に軍事面の細かいことを知りたい人向けでないのは確かです。
定価は充分高いですが、いまは古書が安く出ているので
3000円くらいなら、手元に置いてあっても良いんじゃないでしょうか。







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砂漠の戦争 [英国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アラン・ムーアヘッド著の「砂漠の戦争」を読破しました。

5月に紹介した「神々の黄昏」の著者、ムーアヘッドの有名な北アフリカ戦線モノである本書は
もともと3部作であったものが1965年にまとめて出版され、翻訳版は1977年ですが、
子供の頃から本屋さんのハヤカワ文庫のコーナーには必ず置いてあったものです。
最終戦を描いた「神々の黄昏」がとても良かったので、その後、すぐに購入していました。
ロンメルを中心としたドイツ・アフリカ軍団の戦いは、結構読んでいますが、
著者はオーストラリア人の従軍記者であり、英軍から見た北アフリカの戦いというのは
モントゴメリー回想録」を除いて初めてなので、新鮮で楽しめそうな予感がします。

砂漠の戦争.jpg

1940年5月にエジプト入りしたロンドンの「デイリー・エクスプレス」紙の海外特派員、
それがオーストラリア生まれの35歳の著者ムーアヘッドです。
カイロでは英国人士官たちがクリケット見物に興じ、戦争の気配すらありません。
しかし1ヶ月後には、フランスの降伏と、イタリアの参戦のニュースがもたらされます。
早速、エジプト=リビア国境へ向かうと、ウェーヴェルの英軍は胸が痛くなるほどの劣勢で
グラツィアーニ率いるイタリア軍と相対している状況・・。

British intelligence agents monitor the movements of the enemy on the Western Desert near the Egyptian-Libyan border in Egypt.jpg

出来る限り、威信を傷つけずに撤退する英軍。
ムッソリーニは11月にギリシャにも侵攻し、ただでさえ戦力の少ない英軍はピンチが続きます。
それでもイタリア軍の根本的な問題・・、英軍が攻勢に出るなどということは考えられず、
何でも拡張したがるという国民性によって、1発2発の銃声が何の根拠もなく
自分は敵兵を殺して追い払ったと報告されると
中隊本部から大隊、旅団、師団へと報告されるうちに次々と一大作戦に拡張され、
イタリア軍総司令部では話半分に聞いても、真相と作り事の区別がつかない事態に陥ります。

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始まった英軍の攻勢の前に撤退に撤退を続けるイタリア軍。ムーアヘッドは部隊に同行し、
イタリアのトマトピューレで味付けしたスパゲッティやシチューとパルメザンチーズという
鹵獲した豪華な食事を味わいながら、イタリア軍をエジプトから追い払います。
新たにやって来たオーストラリア軍はやる気満々で、
ローマ放送は「英軍はオーストラリアの野蛮人を砂漠に放った」と報じ、
捕虜となったイタリア兵は、「弾丸が通らない」と噂される、彼らの革ジャンに触れてみます。。

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遂にトブルクを占領し、一路ベンガジまで・・。
25万のイタリア軍を壊滅させたウェーヴェルはトリポリまでを目論むものの、
補給やギリシャのドイツ軍の問題もあって断念するわけですが、
このイタリア軍が如何にしてエジプトに侵攻し、後に英軍によって駆逐され、
ロンメル出動・・となったかをここまでの100ページほどで始めて詳しく知りました。
ロンメル主役の戦記では、イタリア軍敗走・・っていうところから始まりますからね。

それにしても本書に出てくる地名・・「リビア」や「トリポリ」、「トブルク」っていうのは、
今年、何回もニュースで聞いただけに、読んでいて不思議な気持ちになりました。

The Desert Fox.jpg

リビアに上陸した「ナチの将軍、エルヴィン・ロンメル」は3月には早々に反撃を仕掛け、
ウェーヴェルの戦略を逆に実行し、ベンガジを襲って、英軍を撃退します。
しかし勝利の上げ潮に乗った枢軸軍は、まともにトブルクに突っ込んで行き、逆に撃退・・。
イタリア軍がこれほど弱く、ドイツ軍がこれほど強かったとは・・と語る本書ではここら辺りは
概要程度となっていますが、これはムーアヘッドが前線にいなかったことのようです。
その分、執念で留まるトブルク守備隊の様子などが語られます。

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どうにか中東を守り通した英連邦軍。本国軍をはじめ、オーストラリア軍に
ニュージーランド軍といった精鋭以外にも、南アフリカ軍、インド軍、亡命ポーランド軍、
チェコ軍、自由フランス軍、パレスチナ軍、キプロス軍、スーダン軍、ベルギー軍、エチオピア軍、
東西両アフリカ軍からなる混成50万の軍となり、米国からも武器まで送られてきます。
そして司令官も交代し、ウェーヴェルからオーキンレックに・・。

Armored vehicle Bren Carrier was in service with the Australian mounted troops in North Africa.jpg

この「砂漠の狐 ロンメル」に対し、一般的に評価の低いオーキンレックをムーアヘッドは評しますが、
最終的に砂漠の戦いで20名近い司令官・・・オコナー、ゴット、キャンベルという
優れた司令官たち以外にも本国に送り返されたり転出した将軍たちも呼び戻すわけにはいかず、
砂漠で指揮を取る司令官がいなくなったことの「不運」を第一に挙げています。

Auckinleck _ Wavell.jpg

11月、ムーアヘッドら従軍記者を集めて、「明後日、攻撃を開始する」と宣言するのは、
英第8軍を率いるカニンガムです。
ハニー戦車(M3 スチュアート)が、もはや砂漠では行われなくなった突撃を敢行し、
ドイツ軍のⅢ号戦車やⅣ号戦車の間を通り過ぎてしまい、再び向きを変えて突っ込みます。

6時にもなると夕闇が訪れ、何も見えなくなった両軍は引きあげますが、
ドイツ軍の回収班は素早く仕事を進め、修理可能な戦車は英軍のものまで引っ張って行き、
激戦で撃ち捨てられた衣料や食料も残らず、持ち去ります。
そして戦車の残骸の傍らで力なく横たわっている英軍の負傷兵に対しても、
暖かい飲み物を与え、毛布を掛け、寒さで死なないように気も配ります。

Anti-tank guns on wheels had a high mobility and can move quickly through the desert.jpg

やがて夜明けとともに再び、敵の姿を見つけると手袋をはめて戦闘開始。
ドイツ兵と英兵が夜通し隣り合って寝ていたような場所では、
彼らは物陰に駆け込みながら機関銃の応酬で戦端を開きます。
兵士たちは3度も4度も捕虜になったり、逃亡したり、あるいは捕虜から監視兵に変身したり・・。

野戦包帯所では英軍、ドイツ軍、イタリア軍の負傷兵を無差別に受け入れ、
戦線の移動によって管轄が変わるという状況を繰り返します。
この大混乱は、それぞれに鹵獲した戦車や車両、銃砲を使っていることで、
英軍捕虜を満載したドイツ兵の運転する英軍トラックに、近づいたイタリア軍トラックから
ニュージーランド兵が飛び降りてきて、英軍捕虜を解放した・・という例でも紹介します。

The guard protects the wounded German officer, found in the desert in Egypt in the early days of the British attack.jpg

この北アフリカ戦記ではおなじみの、英軍が発動した「バトルアクス作戦」やら、
「クルセーダー作戦」などという作戦名は本書では一切出てきません。
本書はそのような歴史的な観点から見た戦記ではなく、
現場で見聞きした生々しい個々の戦いがメインであり、
ムーアヘッドも砂漠を命からがら逃げまどったり、仲間の記者たちが死んだり、捕虜になったり・・。
「クルセーダー作戦」が落ち着いた時点でも
「どちらが勝ったのか、まだ誰も断言できない」と記しています。

Australian troops marching behind the tanks during a rehearsal of the offensive in the sands of North Africa.jpg

翌年の5月には「ガザラの戦い」が始まります。
英軍の防御陣を地図と共になかなか詳しく解説し、ドイツ・アフリカ軍団の攻撃の前に
秘密兵器の75mm砲を備えたグラント戦車が偽装をかなぐり捨てて、
ドイツ戦車部隊をたじろがせますが、応援に駆け付けたドイツの誇る万能兵器、
88㎜高射砲の前に戦局はまたしても行ったり来たり・・。

grant.jpg

ロンメルは遂にガザラの全戦線で勝利を謳歌し、再度、トブルク攻略を目指します。
ドイツ軍戦車と対等に戦えるグラント戦車も数が少なく、ヴァレンタイン戦車やハニー戦車では
射程距離などから、ドイツ軍のⅢ号戦車やⅣ号戦車とは勝負にならず、
まるで駆逐艦や巡洋艦が戦艦に立ち向かうようなもの・・と、
この遮るもののない広大な砂漠での戦車戦は、海戦と同じようだと表現しています。
それでも英空軍はスピットファイアこそ少ないものの、ハリケーン戦闘機を中心に、
Bf-109Fシュトゥーカ急降下爆撃機に執拗な戦いを挑んでいます。

Talisman Squadron Royal Air Force UK in Libya, monkey named Bass, plays a fighter pilot «Tomahawk» in the Western Desert.jpg

勢いに乗ってエジプトまで攻めこむロンメル。
カイロでは「アレクサンドリアは持ちこたえられないだろう」との推測も・・。
しかし3週間戦い続けてきたロンメルの軍団は、その入り口で力尽きてしまうのでした。。
そして、アラメイン・ラインと呼ばれる陣地で相対することとなった両軍。
英軍は新たにモントゴメリーが登場し、充分な物量を持ってエル・アラメインの戦いが始まります。

PanzerIIIAfrika.jpg

このあとは押しに押しまくられる枢軸軍はロンメルが帰国し、フォン・アルニムが奮戦しながら
最後にはチュニジアで降伏するまでが書かれていますが、
コレはまぁ、いろいろと書かれてますので割愛します。
本書では英軍、ドイツ軍を総括しますが、それはエル・アラメインの戦いの前です。
まだ英軍が劣勢の段階で反省の意味を込めて書くムーアヘッドの思いが現れていて
なかなか面白いものでした。

German POW.jpg

戦車の性能の違い、砲も88㎜に勝てるものなく、細かいところでは水と燃料の容器・・。
コレは通称「ジェリ缶」のことだと思いますが、彼自身も砂漠の移動で苦労したので
実感として伝わってきますね。

さらに将軍の差はなく、訓練と組織力の差であったとして、トブルク陥落後にある将軍は
「我々はアマチュアなんだ。ドイツ軍はプロだよ」と語った話も紹介し、
空軍の地上部隊との連携、まず急降下爆撃機、それから砲撃、次に歩兵、次が戦車、
最後に急降下爆撃機が追い打ちをかけてくるという戦術も評価し、ひとたび戦闘が始まると
時間のかかる暗号連絡を止めて、部隊にアレコレ命令を下すロンメル自身の声が
ラジオを通じて聞こえてくることも珍しくなかった・・としています。

Rommel06.jpeg

士気の問題でも彼らがドイツ、イタリアの2ヵ国だけであったのに対し、
「我々は少なくとも7つの国籍と5つの言語が使われていて、
生活習慣や国内の政治情勢など、誤解も生じた」と語ります。

The Men of Five Nations.jpg

そういえばイタリア兵については、面白い話がちょいちょい出てきました。
降伏しようとしているイタリア兵とすれ違った英兵。
しかし両手を挙げたイタリア兵よりも、その先にある戦利品で頭が一杯な英兵は彼らを無視し、
銃を投げ捨てて追いかけ、自分たちの意図をなんとかわかってもらおうとするイタリア兵・・。

また、駐屯軍として使われるような弱体の「サブラタ師団」が降伏した後に
またしても降伏してきたイタリア師団。
「我々はブレシア師団のものです。弱い兵隊だと思うでしょう?でもサブラタ師団よりマシですよ」
彼らは地方ごとの部隊ですから、こういうライバル心だけは強かったんでしょうね。

Italian gunners sit near field gun among the thickets of cactus in Tunisia.jpg

さすが従軍記者だけあって、戦場の現場での目線もさることながら、
戦争報道のあり方・・ということにもしっかり触れて、ドイツ軍にやられたことは記事にできず、
さも英軍が勝っているような報道を強いられることに悩んだり、
トブルクが陥落しそうだ・・との放送をしたBBCにも触れて、立て籠もっている兵士の士気低下や、
逆にそれを聞いているドイツ軍が盛り上がるだけだと憤慨します。
赤軍記者グロースマン」もちょっと思い出すようなところもあり、
このような個人的な経験から語った戦記というのは、重みがありますね。



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ナチスドイツの映像戦略 -ドイツ週間ニュース 1939‐1945- [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

三貴 雅智 著の「ナチスドイツの映像戦略」を読破しました。

15年前に発刊された本書。ちょっと仰々しいタイトルなので敬遠していましたが、
副題の「ドイツ週間ニュース」、さらには帯に書かれている「ガイドブック」の文字が
本書の内容を表しているものでした。
15巻ほど??ビデオ化され、後に一部はDVD化もされている「ドイツ週間ニュース」。
1巻も持ってはいないものの、YouTubeなどではいくつか見ていて興味がありましたので、
DVDを購入する手引きとして、古書を500円で手に入れてみました。

ナチスドイツの映像戦略.jpg

「はじめに」では、この「ドイツ週間ニュース」とは如何なるものかと、
「宣伝中隊」について簡単に解説しています。
国内での啓蒙用に映画館などで定期的に上映されていた戦場ニュース「Wochenschau」。
そしてこの素材となる映像を前線で撮影したゲッベルス主導による
宣伝中隊「Propaganda Kompanie」、通称、「PK」ですが、
(ペナルティ・キックと間違えてはいけないので、ちゃんと「ペーカー」と記されています)
彼らはもともと純粋なアナウンサーやカメラマンであり、軍事訓練を受けたうえで
戦う報道員として配属され、その数は延べ、陸軍で40個、海空に各10個中隊もあったそうです。
また、武装SSは有名なクルト・エッガース連隊がPKマンとして活躍しました。

Propaganda Kompanie.jpg

本文は「MGビデオ ドイツ週間ニュース」を1939年から順に紹介していくわけですが、
ビデオ自体が時系列で発売されておらず、最初に紹介されるポーランド戦が「第6巻」にあたります。
実際のニュースの内容に触れる前には、著者による当時の戦況が解説され、
その後、ニュースのポイントや兵器など映像についてコメントするといった展開で進みます。
ページの下部は注意書きと映像の一部が小さいながらも掲載され、キャプション付き。
自由都市ダンツィヒでのSSダンツィヒ郷土防衛部隊が旧式装甲車で郵便局を襲うシーンも
「降伏しないポーランド兵に業を煮やしたSS部隊は、ホースでガソリンを撒いて放火するという
ゴロツキまがいの戦法で決着をつけた」という書きっぷりです。

danzig 1939.jpg

次は第4巻の西方フランス戦です。
ドイツ週間ニュースは時折、映像とナレーションの不一致・・というか間違いがあるようで、
コレは「捏造」ではなく、編集者が単に兵器に明るくないという理由のようです。
その一例として炎上した戦車が映し出されるシーンでナレーター氏は「フランス戦車」と言うものの、
著者によると「間違えようのないドイツⅢ号戦車である」

Die Deutsche Wochenschau.jpg

第7巻のハリコフの戦いに続き、第10巻の栄光の戦場スターリングラードでまず紹介されるのは
ハイドリヒ暗殺事件」です。
プラハの広場に集まった6万人を超える大観衆が映り、その後、遺体がプラハ城に安置され、
SSの衛兵に囲まれたベルリンへの護送風景と続いていきます。
これは1巻50分程度のドイツ週間ニュースはタイトルの戦役だけが収められているものではなく、
同時期のいくつか戦役やニュースの詰め合わせになっているようですね。

Heydrich’s funeral.jpg

この巻には「セヴァストポリ要塞攻略」のニュースも含まれています。
マンシュタインに加え、カール自走臼砲列車砲ドーラの活躍も映っているようですね。
メインはスターリングラード戦のようですが、この戦役全般の話が書かれていて、
どの時期のどのようなシーンが映っているのかは不明でした。
もう少し、ニュース部分の記述が明確にしてあると良いんですけどねぇ。

The monster 807 mm German gun called 'Dora' in action in Russia.jpg

続く第11巻はアフリカ軍団です。
「北アフリカのドイツ兵士」というタイトルの教育映画が収められているようで、
これはアフリカに派遣される前の将兵に知識を与えるものだそうです。
また、88㎜高射砲によって散々な目に遭わされた英国戦車兵の
「高射砲で戦車を撃つとは卑怯だ」という負け犬の遠吠えに、
「高射砲でしか撃破できない戦車で来るほうが卑怯だ」
とドイツ兵が語った逸話が紹介されています。

88-mm-flak-18-flak-36-north-africa.jpg

そして地中海で空母アーク・ロイヤルと戦艦バーラムを撃沈したUボート・エースの2人、
U-81のグッゲンベルガーとU-331のティーゼンハウゼンが登場し、
アオスタ公からイタリア勇者勲章を授与されるシーンも・・。
さらにはこの北アフリカで忘れてはならない人物。「アフリカの星」こと、マルセイユ
乗機から降り立ち、やや緊張した面持ちで空戦技術を身振り手振りで語るそうです。

Hans-Joachim Marseille.jpg

このビデオシリーズでは第○巻ではなく、独立したものも出ています。
「緑の悪魔 1939~1943」はそのうちのひとつで、これはもちろん降下猟兵ですね。
本書では、その訓練映画を紹介し、勇気と恐怖を克服するタフネスが必要であり、
空挺部隊員は国籍を問わず猛烈に戦った・・として、マーケット・ガーデン作戦などの
英米の空挺部隊も取り上げ、精鋭を自負する彼らは「俺も空挺、お前も空挺」という
独特の連帯感情のもと、同じ国の陸海空軍がいがみ合うのが当たり前のなか、
空挺部隊員には国籍を超えた戦友感情が存在していたと評価します。
ヴィトゲンシュタインも空挺部隊は国籍を問わず大好きなので、コレはわかりますね。

Kreta, Soldatengräber.jpg

第8巻「激闘の戦線 1943」では、スターリングラードで敗北したドイツ軍が3月、
第3次ハリコフ争奪戦で戦う様子が収められています。
パウル・ハウサーの第2SS装甲軍団に、進むティーガー戦車の姿・・。
ライプシュタンダルテの連隊長、フリッツ・ヴィットSS大佐も画面に登場します。

Fritz_Witt.jpg

続くクルスク大戦車戦は何が映っているのか、良くわかりませんが、
スターリングラードで全滅した第60自動車化歩兵師団が再編され、
ダンツィヒで行われた「フェルトヘルンハレ装甲擲弾兵師団」命名式典の様子・・
というのに惹かれます。

「緑の悪魔」と同様、単巻モノの「対戦車戦」は、予備役訓練局が製作したそうで、
本物のT-34戦車を使用したストーリー仕立ての教育映画です。
震え上がって逃げ出そうとする2等兵に、「臆病者は死ぬだけだ!」と老練の下士官が諌めます。
その後はめでたく撃退するわけですが、そのシーンは、あのサム・ペキンパーの名作映画
戦争のはらわた」にも影響を与えたほど、ソックリだということです。
ふ~ん。比較して観たいですねぇ。
他にも柏葉章の中尉がKV-1戦車に立ち向かい、その腕には数枚の「戦車撃破章」が・・。

the holders of the tank destruction badge.jpg

これは教育映画ですから、T-34を発見した際、「転輪5個、傾斜装甲」と声にして伝え、
「砲塔に識別の白十字なし」と味方の鹵獲戦車でないことをダメ押しするなど、
細かいやりとりが結構、面白そうですね。

Charkow, SS-Division Das Reich_T-34  1943.jpg

さらに「工兵、前へ」というタイトルの教育映画も収められていて、
橋を架けたり、トーチカを爆破したり、地雷を撤去したりと、最前線で活躍する
「戦闘工兵」の危険な仕事を詳しく解説しています。
特にゼリー状の可燃物に点火して圧縮ガスで飛ばすという火炎放射器は、
摂氏800℃の高温で燃焼する恐ろしいもので、間違って付着したら最後です。
このような教育映画で「狙撃兵」というのも出ているんですが、本書は無視。残念。。

Flammenwerfer.jpg

1944年からは、複数の巻に収められているニュースを紹介していきます。
これはもう大攻勢もなく、戦局は悪化しているため、各地での戦いの模様を少しずつ
ニュースで伝える展開のようですね。
西側連合軍の上陸に備え、B軍集団司令官に任命されたロンメル
西方の壁と宣伝された砲台やトーチカを視察・・。
しかし映像は点在する施設を繋げて、さも強力なように見せているということです。

Rommel_bei_Inspektion_des_Atlantikwalls.jpg

チェルカッシィで包囲された友軍を救うべく、出動するベーケ重戦車連隊にもPKマンは同行。
戦死した"パンツァー"・シュルツ将軍の葬儀式典の光景。マンシュタインが花輪を捧げます。
「フェルトヘルンハレ師団」がUボート基地を訪問し、大エースのリュートを出迎える様子。

Generalmajor Dr. med. dent. Franz BÄKE.jpg

モンテ・カッシーノから降下猟兵も撤退。ナレーター氏は珍しく「第1降下猟兵連隊」の
特定名を挙げて、その健闘を称え、「この撤退は命令によるものであり、
決して戦闘に敗北したわけではない」と強調します。

Monte_Cassino  Fallschirmjaeger.jpg

フランスではレジスタンス容疑者を尋問する「ミリス」も登場し、
ポーランドでは「ワルシャワ蜂起」を鎮圧する寄せ集めのドイツ軍部隊も。
マーケット・ガーデン作戦も物資コンテナから英国製のタバコを美味そうに燻らせるドイツ兵。
また、ヒーローを称えて盛り上げるためか、騎士十字章受賞者がニュースに多く登場し、
宝剣が追加される22歳の史上最高のパイロット、エーリッヒ・ハルトマンに、
伝説のタンクキラー、ヴィットマンいざ出撃の姿・・。

wittmann_1944.jpg

ヒトラー・ユーゲントの少年たちが防空戦闘に駆り出され、訓練を受ける様子。
さらには女性も補助部隊に、老人も国民突撃隊に・・。
バルジの戦いではPKマンが、あのパイパー戦闘団に随行。
ひょっとしたら、映画「バルジ大作戦」の元ネタシーンがあるかも知れません。
翌年のバラトン湖の戦いでも敗北を喫したドイツ装甲部隊。
「ロシア人民最大の敵」ルーデル大佐も片足を失って入院中・・。

Training on a 'Würzburg D' radar_flak.jpg

ドイツ軍が奪還した村々に入ったカメラは、レイプと虐殺、略奪のあとを写します。
このようなニュースもソ連の進軍に脅える国民に見せていたようですね。
ベルリンの最後まで本書では語られますが、いつまでニュースになっていたのかは
良くわからないまま終わってしまいました。
前線の歩兵並みの死傷者を出したという、「PKマン」ですから、
フィルムと命のある限り、ニュースにはならずとも撮影を続けたのかも知れませんね。

PK Mann_Russia July 1941.jpg

全体的にドイツ軍の兵器が好きな著者が、それらを称賛したり、嬉々として書いていては
調子が悪いので、とりあえず映像の捏造部分やナレーションに異議を唱えたりして
タイトルと帯に書かれているような「映像が歪めた真実」という、
単なるガイドブックではないんだよ的な本に仕上げたという印象を持ちました。
しかし最後に「あとがき」を読むと、もともとは字幕の情報を補う、兵器解説を主体とする
「MGビデオ・ガイドブック」としてまとめるつもりが、映像とナレーションに
真実が隠されていることに気づき、本書のような形になったそうです。

決して悪い本ではありませんが、「ガイドブック」と「プロパガンダの検証」の
切り分けをもう少し、巧くして欲しかったですね。
でもこれを参考に買ってみようかと思いますが、半分くらいしかDVD化されてません。
とりあえず、「ドイツ・アフリカ軍団」と「対戦車戦」、「緑の悪魔」あたりかな?











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