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赤軍記者グロースマン -独ソ戦取材ノート1941‐45- [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アントニー・ビーヴァー著の「赤軍記者グロースマン」を読破しました。

過去に「スターリングラード」や「ベルリン陥落 1945」、そして「ベルリン終戦日記」と紹介している
自分の好きな英国の著者、アントニー・ビーヴァーの上下巻の大作、
「ノルマンディー上陸作戦1944」が夏に発売され、「お~、コレ読みたいなぁ・・」と思ったものの、
そういえばグロースマン読んでなかった・・ということに気づきました。
2007年発刊の本書は、ウクライナ生まれのユダヤ人作家グロースマンが、
独ソ戦勃発とともに従軍記者として最前線で見聞きし、それをメモしたノートを中心に、
彼が緒戦の「キエフ大包囲」から「スターリングラード」を経て、ベルリンに至るまでを
著者ビーヴァーの戦局の解説などを加えながら構成したものです。

赤軍記者グロースマン.jpg

1941年8月、35歳のグロースマンが赤軍の公式機関紙「クラースナヤ・ズヴェズダー」紙の
記者として最初に向かうは、空爆に晒されている白ロシアのゴーメリです。
ちなみに「ズヴェズダー」の意味は「星」ですね。これは現名古屋グランパスの監督
"ピクシー"ストイコヴィッチの心のクラブ、「レッドスター」がセルヴィア語で
「ツルヴェナ・ズヴェズダ」って言うんで知ってます。「クラースナヤ」は・・、わかりません。。

左腕を怪我した兵士・・。戦闘を回避するための「自傷行為」であり、
このような連中はNKVD特務部の手によって即決処刑です。
そして状況は悪化。ドイツ中央軍集団のグデーリアン率いる第2装甲集団が一路南下。
50万人と言われる大敗北「キエフ大包囲」の危機に、グロースマンはなんとか脱出に成功します。

PzIII's (37mm gun), E.Front 1941.jpg

翌月には生まれ故郷のウクライナへ。母親は戦火の中で行方知れず・・。
スターリンのクラーク撲滅と農業強制集団化政策で大飢饉の被害を受けてきたウクライナ人は
ドイツ軍を解放者として歓迎し、ウクライナ人補助警官が母親らも含むユダヤ人の一斉逮捕と
大量虐殺に手を貸したことを知ります。

オリョールへ戻った彼ですが、ここにも悪魔のようなグデーリアン戦車軍団が迫ります。
本書では特にグデーリアン自身が登場するわけではありませんが、
グロースマンの行く先々に現れるグデーリアンと、逃げるグロースマン・・という関係です。

Guderian20.jpg

年が明けるとグロースマンの配属先はハリコフ方面へ。
対戦相手は急死したライヒェナウの後任にパウルスが着任したばかりのドイツ第6軍です。
グロースマンは書き記します。
「厳しい寒さ。無傷のドイツ兵の死体。我が軍ではなく、酷寒に殺されたのだ。
兵士らが面白半分にそれらの凍死体を立たせたり、四つん這いにさせたり、
走るような恰好にしたりして、風変わりな幻想的な群像をつくる」
以前に紹介した ↓ の写真もそのような仕業なんでしょうかね。

Stalingard 1943.jpg

面白かったのはクルスクには世界最大級の異常磁域があるそうで、
これがカチューシャ・ロケットにいたずらをして、味方最前線に着弾した・・というものです。
そして「クラースナヤ・ズヴェズダー」紙に中編も連載し、
前線の将兵からも人気を博するようになったグロースマン。
夏に向かうのはスターリングラード・・。またしてもパウルスの第6軍が相手です。

General Paulus at Red Square in Stalingrad.jpg

8月23日と翌日に行われたドイツ第16装甲師団との激戦。
防衛する高射砲部隊はほとんどが地元の女子高生ですが、驚くべき奮戦を見せ、
掩蔽壕に入れとの命令も聞き入れずに、真正面からドイツ戦車と対決し、
37の砲座が戦車砲ですべて破壊されるまで、第16装甲師団の進撃を食い止めた・・ということです。
すげ~なぁ。。。これだけで映画になりそうですね。
あのルーデルも「急降下爆撃」で、女性のみで編成された高射砲部隊・・と触れてました。。

この中盤のスターリングラード戦はページ数も多く、本書の中心部分です。
確か、著者ビーヴァーの「スターリングラード」もこのグロースマンを参考文献にしてたような。。
また1951年に、このグロースマンのスターリングラードが翻訳されているようです。

ここでも「自傷行為」 ⇒ 「NKVD特務部の即決処刑」が紹介されますが、かなり特殊な例です。
処刑隊がアルコールのせいか銃殺しそこね、穴に埋められた死刑囚が自力で這い出し、
中隊に戻ってきた・・という話です。
この彼の運命は・・・、再度処刑・・。

Grossman,Vasily.jpg

そしてやっぱり登場のヴァシーリ・ザイツェフ。映画「スターリングラード」のジュート・ロウですね。
当時、狙撃手の手柄はサッカー選手なみに喧伝され、
各師団がそれぞれのスターを自慢していたそうで、その結果、
チュイコフ将軍をも巻き込んだ誇大宣伝競争となって、ザイツェフがドイツ兵225人を殺した・・
ということになったとしています。
素性不明のケーニッヒ少佐なる人物との因縁の決闘も、チュイコフが回想録で大げさに書きたて、
ザイツェフが書いた(とされる)回想録も、数日間に渡る決闘としてスリリングに描かれているとして、
著者ビーヴァーはザイツェフの戦果にかなり否定的です。
そのかわり、グロースマンが取材した8日間で40名を殺した狙撃手との話は
生々しくて興味深いものでした。

Wassili Grigorjewitsch Saizew.jpg

若い女性衛生兵の勇敢さは、全員の尊敬の的であったようで、第62軍の衛生中隊は
大多数がスターリングラードの高校生とその卒業生です。
そんな彼女たちにもグロースマンは取材します。
昼間には負傷兵は運ばないという娘は、仲間の衛生兵が頭を打ち抜かれたことを挙げ、
戦闘の1日目で2人死に、18名いた衛生兵もいまでは3人だけ・・という過酷な状況・・。
「砲火の元で水を飲ませ、食べさせ、包帯を巻き、いつの間にか兵隊より頑張るようになって
ハッパを掛けることも・・。だけど夜には震えるほど怖くなって、
あぁ、家に帰れたらいいのになぁ・・なんて思うの」

まさに、<生>戦争は女の顔をしていない・・・ですね。

Russian nurses.jpg

天王星作戦」のヘビー級のパンチをまともに食らったルーマニア兵は、銃を棄てて
アントネスクはもうお手上げ!」と叫びますが、投降しても、その場で銃殺・・。
ルーマニア兵を信用しないドイツ兵は対峙する赤軍兵に向かって
「おーい、ルーマニア兵とウズベク兵を交換しようぜ」と冗談で叫んでいたという話もありました。
包囲された第6軍には噂も流れます。「ヒトラーがピトムニク飛行場までやって来て、
『頑張れ。余が自ら軍を率いて救出しに行く』と語った。しかも彼は伍長の軍服を着ていた・・」

Antonescu hitler.jpg

1943年夏のクルスク大戦車戦も取材するグロースマン。
真正面からティーガー戦車を狙って45㎜砲を発射しても砲弾は跳ね返され、
正気を失ってティーガーの下に身を投じた照準手・・、
片足を負傷し、片手をもぎ取られた中尉の指揮で撃退したものの、
不自由な身体で生きることを望まない彼は、拳銃自殺を遂げた。。

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グロースマンは遂にウクライナに戻ってきます。しかしそこにはユダヤ人の姿はありません。
そしてこのホロコーストの記事は当局には歓迎されず、
「特殊な犠牲者」を認めないスターリンによって、ホロコーストの犠牲者は「ソ連人民」と定義。。
これはソ連の反ユダヤ主義、ウクライナ人によるユダヤ人迫害の事実も具合が悪いわけです。

第65軍には荷車を牽く1頭のラクダ・・その名は「クズネーチク」と言い、
「戦傷者名誉賞」を3つ、「スターリングラード防衛戦功労賞」も授かってる有名なラクダです。
そして彼らはこのラクダと共に、一路、ベルリンを目指します。

Vasily Grossman.jpg

30ページにわたって書かれた「トレブリンカ」絶滅収容所の歴史と、その凄まじさは
以前に「トレブリンカ」を読んで知ってはいたものの、本書の書きっぷりは力強く、
読んでいて思わず「生唾ゴクリ・・」となるほどでした。
これは双方の関係者や目撃者からグロースマンが聞き取った話をまとめたようですが、
クルト・フランツ所長と、その部下たちの残虐性は衝撃的なほどです。
この「トレブリンカの地獄」という記事は、ニュルンベルク裁判でも引用されたそうで、
例えだけでも、ここでは書く気が起きませんね。

Kurt Franz administers punishment in Buchenwald.jpg

チュイコフ将軍の第8親衛軍に同行し、ドイツ国境を越えたグロースマンですが、
突如、兵士の暴虐ぶりを見せつけられます。
それはもちろん略奪とレイプ・・。開け放たれた窓から女性の悲鳴・・。
収容所から解放されたソ連女性も特派員の部屋に避難しますが、
同僚の特派員が欲望に負けて、この部屋でも悲鳴が・・。

grossman_interviewing_german_civilians_april_1945.jpg

ソ連が受けた損害を補てんするために部隊に随行する「貴金属類没収委員会」は、
先々で従順なドイツ人に金庫を開けさせますが、
一般兵士も、我も・・とばかりに鹵獲パンツァーファウストで金庫を一撃・・。
その結果は、金庫も中身もメチャクチャです。。

戦いが収まったばかりの1945年5月2日のベルリンの様子。
ライヒスタークで最期まで戦ったドイツ軍兵士たちは、ほとんどが手榴弾と
自動小銃を握りしめたまま、戦いながらの死・・。
道路の泥の中に靴を履いた女の子の両足。戦車に蹂躙されたのか、砲弾の直撃を喰らったのか。
子供を連れた兵士は泣き崩れ、若い美人妻はニコニコ笑って亭主を励ましている」

German-nurse-1945.jpg

500ページ越えの本書ですが、グロースマンが赤軍の宣伝マシーンのような人物ではなく、
冷静に事実を伝えようとしたこと・・、ですが、もちろんそんなことは不可能であり、
掲載された彼の記事も、編集部によって削られ、追加され・・といじくり回されてしまいます。
そのグロースマンの本音が伺えるのが、この「取材ノート」であって、ビーヴァーの解説や説明が
状況をわかりやすくしています。敵味方ではなく、人間の常識と良心を基準に
戦争を見つめるグロースマンの視点は好感が持てるものでした。

これで心置きなく「ノルマンディー上陸作戦1944」に突入できるかと思いきや、
今年2月に「スペイン内戦 -1936-1939-」も出てましたね・・。
これも「ゲルニカ」やら「コンドル軍団」といった話があるんだと思うと、無視できないんですよね。









ヒトラー・ジョーク -ジョークでつづる第三帝国史- [ジョーク本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

関 楠生 編訳の「ヒトラー・ジョーク」を読破しました。

ヒトラー・ジョークと言えば、「ベルリン・オリンピック1936」でもヒトラーが
「右腕を長時間挙げる・・という技で、自分は金メダルを貰う資格がある」
などと言っていた話を紹介しましたが、1980年発刊の本書も、
そんなヒトラーの語ったジョーク集・・だと今まで思っていました。
しかし何気に調べてみると、実は「ヒトラーをネタにしたジョーク集」であって
そういうことなら・・と、この212ページの本書を読んでみました。

ちなみに今回が記念すべき?「300」記事めになりました。我ながら良く読んでるなぁ・・と
思いますが、この成果をジョークで振り返るというのも、なかなかどうしてオツなものかな?
1年前の「200」記事めでは「顔出し」もしましたが、今回は・・。

ヒトラー・ジョーク.jpg

個人的にはヒトラーや側近、第三帝国をネタにした当時のドイツ国民のジョークは好きで、
それは、ソコから彼らの本音が読み取れるからでもあります。
この「独破戦線」でも過去にいくつか紹介していて、
ベルリン攻防戦で、路上に築かれたバリケードを突破するのにソ連軍は30分の時間を費やす、
というジョークで「みんなで大笑いするのに25分、戦車で吹き飛ばすのに5分・・」など。。。

Members of the Volksturm  building a barricade.jpg

本書ではプロローグとして、ヒトラー政権誕生前のジョーク、
主に"もうろく"したヒンデンブルク大統領がネタとなったジョークから紹介し、
時系列で、時代背景の簡単な説明をは挟みながら進んでいきます。
それでは、ヴィトゲンシュタインの気に入ったジョークをいくつか紹介してみましょう。

von Hindenburg hitler.jpg

1933年の政権掌握後、精神病院を訪れたヒトラー。
入院患者が全員「ハイル・ヒトラー」で迎えるものの、一人だけ加わりません。
ヒトラーは彼に近づき、「なぜ私に挨拶しないんだね?」
「私は気ちがいではありません。看護人なのです」

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労働者たちが、党幹部がいつも前にいるのに自分たちは後ろに立っていなければ
ならないと、ヒトラーに苦情を持ち込みます。
「まぁ、待ちたまえ。私が戦争を始めれば事態は逆になるだろう」

国会議事堂放火事件のジョークも2つありました。
ひとりのSS隊員が仲間に囁きます。
「おい、聞いたか?国会が火事だってさ」
「なんだって?火事は明日のハズだ」

Needless to say he had to leave Germany not long after this appeared in the communist magazine AIZ.jpg

駅前で盛大な歓迎を受けるヒトラー。
花を持ってつまずいた女の子をヒトラーが抱きかかえ、ひと言。。
みんなはヒトラーが何を言っていたのか、女の子に尋ねます。
「総統は、『ホフマン、急いで写真を!』と言っていたわ」

Hitler_with_a_small_visitor_of_Obersalzberg.jpg

ワリと有名な「理想的ドイツ人とは?」のジョークもちゃんとありました。
ヒトラーのようにブロンドで、
ゲッベルスのように大きく、
ゲーリングのようにスマートで、
レームのように純潔。

aryan-family-neues-volk.jpg

シュトライヒャーの発行する反ユダヤ新聞「シュテュルマー」もジョークのネタになっています。
その新聞を読んで満足げなユダヤ人に友人が尋ねます。
「どうしてこんな扇動新聞を読んで喜んでいるんだ?」
「だって、どこを読んでも我々ユダヤ人が世界を支配していると書いてあるじゃないか」

Der Stürmer1.jpg

ユダヤ人問題ではこんなのも・・・。
パリでは経験に富む妻が求められる。
ロンドンでは知的な妻が求められる。
ニューヨークでは金持ちの妻が求められる。
ベルリンではアーリア人の祖母が求められる。

オーストリア併合(アンシュルス)関連では・・
ドイツ人が言った。「ヒトラーはドイツ民族への神からの贈り物だよ」
オーストリア人は答えます。
「ヒトラー?あれは普墺戦争の復讐のために、君たちにけしかけた男さ」

Hitler in Wien.jpg

ピカソの「ゲルニカ」・・。
ドイツ空軍の将校がパリのピカソのアトリエを訪れ、ゲルニカの絵を見て尋ねます。
「これはあなたのお仕事ですか?」
「いいえ、あなた方のお仕事です」

イタリア軍とムッソリーニは、さすがに結構ありますね。ひとつだけ・・。
イタリアがギリシャに最後通牒を突きつけた。
「降伏しなければ、ドイツ軍を呼びますぞ」

Cheering crowds in Florence during Hitler's state visit to Italy in May 1938.jpg

結構ある・・といえば、副総裁ルドルフ・ヘスも以前に
チャーチル・・『つまりあんたが例の気違いかね?』
ヘス・・『いいえ、気違いの公式代理です』
を紹介していますが、本書ではコレも含め、いくつか出てきます。

ナチ党本部へ、ヘスの代わりに・・と総統代理を志願してきた男。。。
「君は狂っているのか?」と面接した全国指導者が怒鳴りつけます。
「どうしてです?それが条件ですか?」

Ribbentrop, Mussolini (almost hidden), Hitler, Hess, Lammers.jpg

全ページの下部は補足エリアとなっていて、ちょっとした知識を有するジョークの説明
(第三帝国内外の人物や、ドイツ語の言葉遊びなど)や、ナチの下部組織を含めた編成表、
また、なかなか面白い写真や皮肉の効いたポスターなどが白黒で小さいながらも
非常に興味深いものが多くありました。

nsdap_organisation_vergr.jpg

シュタウフェンベルク大佐の写真が、知らないおじいちゃんというのはちょっと笑えましたが、
これもひょっとしたらジョークなのかも・・。
しかし国防軍最高司令官旗や、海軍、空軍の最高司令官旗なんかが
イラストで紹介されており、コレはなかなか勉強になりましたね。

Flagge des Oberbefehlsharber des Heeres_Flagge des Oberbefehlshaber der Kriegsmarine, sofern er nicht Grossadmiral ist_Flagge des Reichsminister der Luftfahrt und Oberbefehlshaber der Luftwaffe.jpg

東部戦線がスターリングラードで敗北を喫すると、ジョークも変化してきます。
「書籍市場からの新刊案内」では・・
アルフレート・ローゼンベルク
「切れ長の目をした北方人種」-なぜ我々は日本軍の勝利を喜ぶのか-
ヘルマン・ゲーリング著
「馬子にも衣装」-制服と勲章に関する論文。著者による自画像多数所載-
アドルフ・ヒトラー著
「わが電撃戦の最初の3年」-以下続刊-

Hermann Göring.jpg

国民突撃隊は以前にこんなのを紹介しています。
ある老人が招集され、第1次大戦に参加した時の所属兵科を聞かれて、こう答えます。
「いや、第1次大戦には参加しませんでした。年を取りすぎていましたんで・・」

そして本書ではこんなのが・・。
スコップを持った男が墓地を歩いていると、老人が後ろから叫んだ。
「国民突撃隊の補充兵を掘り出すつもりかい?」

Volkssturm_1.jpg

このように戦局も悪化し、終戦後も見据えたジョーク・・。
「戦争が終わったら、ドイツ全国を自転車で旅行して周るよ」
「それはいいな。で、午後には何をするつもりだね?」

そして遂に第三帝国の終焉・・・。
「時のたつのはなんと早いことか!
もう千年が過ぎてしまった」

Nazi Party eagle symbol.jpg

212ページのボリュームですから、一気読みしてしまいましたが、
個人的な"ツボ"に入ったのは2つかな?シラフでも大笑いしてしまいました。
自分は長いのはあまり好きじゃなく、「一発芸」のような簡単な2~3行のジョークが好きなんですね。
ストーリー仕立ての1ページ程度の長いジョークもいくつか出てきますが、
どういうのが好きか・・は人それぞれですから、今回紹介しなかったジョークで
大笑いできるかも知れません。
すでに絶版なのが残念ですけど、文庫で再刊しても良いんじゃないでしょうか。



ヒトラーを操った男 -マルチン・ボルマン- [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェームス・マクガバン著の「ヒトラーを操った男」を読破しました。

先月の「ヒトラーの遺言」で、過去に読んだ本からの自分なりのイメージで
ヒトラーの秘書、ボルマンについて言いたい放題書いてしまいましたが、
よくよく考えてみると、ボルマン主役の本・・って読んだこと無かったなぁ・・と。
せいぜいクノップの「ヒトラーの共犯者〈下〉」でボルマンの章が数十ページあった程度で、
他には様々な戦記や回想録でカイテル元帥のように、
誰からも嫌われるダメ人間として登場していただけでした。
そんなボルマンが気になって調べてみると、こんな本があったんですねぇ。
1974年と古い本ですが(原著は1968年)、古書価格もソコソコ。
そしてなんと言っても表紙がスゴい!
最初見たときは、「これ、ひょっとしてマンガ??」と思いました。。

ヒトラーを操った男.jpg

1946年のニュルンベルク裁判・・。宣伝省の幹部、ハンス・フリッチェは
「ゲッベルス博士はまぎれもなくボルマンを恐れてました」と証言し、
蔵相フォン・クロージクは「ボルマンはヒトラーの『悪魔』であり、『褐色の枢機卿』である」、
グデーリアンは「ヒトラーの側近ではヒムラーの次に悪いのがボルマンだった」、
死刑判決を受けたハンス・フランクは「極悪人」と呼び、
ボルマンが死んだかどうかを訊ねられたゲーリング
「あいつは地獄の油でフライになっていると思うが、確かなことはわからない」
このように、ヒトラーの周りの人間からも嫌われ、恐れられていたボルマン。
直前に自殺したゲーリングを除き、唯一、死刑執行から逃れている人物でもあります。

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1900年生まれのマルティン・ボルマンは1918年に砲兵連隊へ配属されますが、
実際の戦闘も見ることなく、第1次大戦は終了。戦後は農場の管理人となります。
ちょっと気が付きましたがヒムラーと同い歳なんですね。ここまでの経歴も似た感じです。
その後、フライコーアに入り、会計を任された彼は、金を返さなかった小学校教師を殺害する
という事件の黒幕らしき人物として逮捕され、1年間の禁固刑を受けますが、
首謀者として最も重い量刑を受けたのはルドルフ・ヘース・・、
後のアウシュヴィッツ絶滅収容所所長です。

Rudolf Höss (left) and other SS officers gather for drinks in a hunting lodge.jpg

身長170㎝足らずですが、ガッシリした体格で首が太いことから「雄牛」とあだ名されたボルマンは、
1927年にナチ党に入党。古参党員というわけではない彼ですが、
党援助基金部長となり、ヒトラーの政権獲得後には総統代理ルドルフ・ヘスの秘書に任命されます。
このような出世には党の規律を担当する有力者、ヴァルター・ブーフの娘で
9歳年上のゲルダとの結婚が大きかったようで、結婚式にはヒトラーも立会人として参列し、
花婿を個人的に知るようになったということです。

Postkarte Martin Bormann.jpg

1937年にはボルマンを高く評価するSS全国指導者ヒムラーが引き抜きにかかります。
この誘いは断わった彼ですが、名誉SS少将へ任命されたそうで、
これはボルマンがベルリン総統ブンカーから脱出する際、SS将校の制服を着ていた・・
という話に繋がる感じがします。
とにもかくにもヒムラーやゲーリングなどのように、勲章や名声、称号には興味のない彼の野心は
総統にとって自分がなくてはならない存在になることだけなのでした。

Joseph Goebbels, Robert Ley, Heinrich Himmler, Victor Lutze, Rudolf Hess, Adolf Hitler and Julius Streicher. (June 9, 1938).jpg

上司のヘスは総統の犬のように忠実なものの、昔ほどは役に立たなくなり、
飛行機の操縦に熱中し、スポーツカーを乗り回し、家族でスキーに出かけたりしているスキに
ボルマンはヒトラーにすり寄りはじめます。
ヒトラーのお気に入り、ベルヒテスガーデンの山荘の周りの土地をせっせと買い集め、
「あの古ぼけた農家が景観をぶち壊しにしてるな・・」とヒトラーが呟くと、
一夜で総統の視界を妨げる農家を取り壊すほどの気の使いよう・・。

Baldur von Schirach (right) listens to Hitler as Bormann and Göring.jpg

芸術や本に対しても、それまでまったく縁のなかったボルマンは
ヒトラーの読書傾向を睨みながら建築、ニーチェ、哲学、ギリシャ・ローマ史、
北欧神話、軍事史などの新刊書の内容を部下に手分けして
1枚のレポートにまとめるよう指示し、これを頭に叩き込んでおいて、
とある会話の場でそれとなく総統に勧め、ヒトラーを驚かせようとしていたそうです。
う~ん。ヴィトゲンシュタインもボルマンの手下で働けたかな~。。

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バルバロッサ作戦の直前の1941年の5月、爆弾のようなニュースが飛び込み、
それはボルマンの運命を決定づけます。
総統代理ヘスが英国へ飛び立った!
外相リッベントロップは「あれは狂っておりました」とムッソリーニに釈明・・。
世界に向けても「気違い」として片づけられた、このヘス事件ですが、
ヒトラーやリッベントロップの通訳を務めたシュミットは自宅の庭職人から尋ねられます。
「気違いが政治をやっているのをあなたはご存じだったんですか?」
彼の著書「外交舞台の脇役」も読んでみたいんですが、高いなぁ。

Bormann, Matsuoka, Schmidt, Hitler, Göring and Meißner.jpg

かりにも自分の代理を精神異常者とし、ナチ体制の威信に影響を及ぼしたことで、
超人的だったヒトラーの判断力をあやぶむ声も出てきます。
SS防諜部シェレンベルクの「ドイツ国民は馬鹿ではない」との非難にヒムラーは答えます。
「あれはボルマンの影響だ・・」

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国防軍の快進撃によって順調に東方を占領し、ヒムラーのアインザッツグルッペン
ユダヤ人を殺害するなか、この新秩序を支配するのは自分の率いるナチ党であって
軍部とSSにその権力を握らせないようにとヒトラーに働きかけて、
新設された東方相にローゼンベルクの指名を勝ち取ります。
これは無力なローゼンベルクなら訳なく手玉に取れる・・という考えからですが、
その結果は、まさに「幻影」の出だしで書かれていた通りですね。
本書ではさらに、ボルマンの命令で動いたウクライナ総督、エーリッヒ・コッホが、
フライコーア時代からの付き合いであったことが書かれています。

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1942年の攻勢でカフカスを攻略できなかったことがヒトラーの逆鱗に触れ、
解任されたリスト元帥についても、ボルマンの策謀と考えるカイテルの話や、
「最終的解決」を推し進め、チェコでも手腕を発揮するハイドリヒがボルマンに妬まれ、
その後、暗殺された話なども紹介。
あ~、いま気がつきましたが、仲の悪かったことで有名な2つ年下の弟、アルベルト・ボルマンは
本書には一切、登場しませんでしたね。

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ナチ党官房長として、また総統秘書兼個人副官としてヒトラーから片時も離れず、
ヒトラーとの面会もボルマンの許可が、そして報告もボルマンを経由して・・といった状況に
古参の重鎮ゲッベルスやヒムラーも不安に駆られます。
戦局の悪化した1944年にもなると大管区指導者ですら、ヒトラーに会えない事態に・・。
困った大管区指導者らはそれまでの不信感はどこへやら、陸軍参謀総長グデーリアンに
面会を取り計らってくれるよう頼み込むといった奇妙な展開です。

Mussolini, Bormann, Donitz, Hitler, Goring, Fegelein,Loerzer.jpg

そして2月4日から4月2日までの、あの「ヒトラーの遺言」の話。
本書では「この総統の最後の談話記録も後世向けにボルマンが編集し、注釈を加えてある」
ということです。まぁ、やっぱり普通、そうですよねぇ。。

最期のときが迫る総統ブンカー。ボルマンの部屋には出入り口が3つあり、
ひとつは会議室に通じ、ひとつはゲッベルスの部屋へ・・。
そして宣伝相を見張るだけでなく、もうひとつは電話交換台のある部屋に通じていて、
この地下壕へ来る情報はすべてボルマンがチェック出来るようになっています。
このようにして、ゲーリングやヒムラーが裏切り者への道を突き進んでしまうわけですね。

Der Untergang_Himmler-Goebbels-Göring-Bormann.jpg

また、この最後の数日はゲルハルト・ボルトの「ヒトラー最後の十日間」や
ヒトラーの専属運転手ケンプカの証言などから語られます。
総統が自殺を遂げても、忠実だったボルマンはゲッベルスのように後を追うようなことはせず、
SS中将の制服を着込み、彼の秘書クルーガー嬢に
「脱出してみるつもりだ。まず成功はすまいが・・」と語ります。

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脱出後の様子もケンプカの見た、戦車の後方にいたボルマンが砲撃で吹き飛んだ・・という説や、
ヒトラー・ユーゲント指導者アクスマンの言う、ボルマンはそこでは怪我もせず、
別の場所で死んでいるのを見た・・などを紹介。
生死の不明なニュルンベルク裁判中にも、「ボルマンを見た」との情報や
ゴットロープ・ベルガーSS中将が語る、「ボルマンはソ連のスパイであり、ロシア側へ戻った」、
そして南米で暮らしているなどの「ボルマン生存説」が後を絶ちません。

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280ページ程度の本書ですが、とても楽しく読破しました。
まぁ、特別な新発見的なものはありませんでしたが、なんと言っても主役はボルマン。
知ってるエピソードでも、初めて知った小話でも、そこらの小物とは違う悪人ぶり・・。
また、一介のヤクザものが、タイトルの「ヒトラーを操った男」のように
ヒトラーに影響を与えるほどの権力者にのし上がっていく過程は、ある意味、
第三帝国におけるサクセス・ストーリーでもあって、その彼の最期に対する徹底した調査と、
著者の見解も、現在の一般的な解釈と変わりありません。

これは著者の経歴・・大戦中は米軍で暗号解読に従事し、戦後はCIAに入って
ベルリンCIA本部の調査員として、ボルマン捜査を担当・・・が大きくモノを言っていると思いますが、
翻訳を含めて、実に読みやすく、半分読んだ日の晩にはボルマンの夢を見てしまったほど、
どっぷり彼と向かい合ってしまいました。





極北の海戦 -ソ連救援PQ船団の戦い- [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

木俣 滋郎 著の「極北の海戦」を読破しました。

「極北の海戦」と書くと、かなりアバウトな感じのする本書ですが、
副題の「PQ船団」が示すとおり、7月の「海戦 連合軍対ヒトラー」で詳しく書かれていた
ソ連に物資を送る連合軍の「PQ17船団」が、ドイツ海軍によって壊滅的な打撃を受けた
という海戦をクライマックスに、英米ソの海軍vs大戦艦ティルピッツを中心とした
ドイツ海軍との攻防を最初のPQ1船団から詳細に描いたものです。

極北の海戦.jpg

1941年6月のドイツ軍によるソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の猛攻の前に
必死の防衛を試みるスターリンは英国に援助を求め、早くも10月には
膨大な物資の供給が約束されます。
それは毎月、爆撃機100機、戦闘機300機、戦車500両、アルミニウム2000㌧を海路
送り届けるというもので、英国から北ロシアへ向かう船団記号「PQ」と呼ばれる船団が
ハリケーン戦闘機やヴァレンタイン戦車を積んで、アルハンゲリスクやムルマンスクを目指します。

Valentine Mark II tanks are readied for shipment to Russia.jpg

当初のこじんまりした商船6隻程度のPQ船団は順調な航海を続けます。
しかしノルウェーに基地を持つ、ドイツ北方艦隊のポケット戦艦アドミラル・シェア
北太平洋をうろつき出した・・との情報に
英本国艦隊司令長官ジャック・トーヴェイ大将は出航を中止することもしばしば・・。
12月にもなるとドイツ側も、このソ連への軍事物資を満載したPQ船団の存在を知るようになり、
レーダー提督は新鋭の駆逐艦とデーニッツのUボートも派遣します。
PQ7船団の貨物船1隻がU-134に撃沈されるなどの被害も出始めますが、
スターリンとの約束を絶対に守り通したい英首相チャーチルの強気の指示によって
多少の損害は承知で、その後もPQ船団は規模を大きくしながらもロシアへ向かい続けます。

admiral-scheer-38.jpg

こうして登場するのは総統ヒトラー。。。
英国によるノルウェー奪回とソ連向け船団を危惧し、バルト海の戦艦ティルピッツにも出撃命令を・・。
さらにはフランスのブレスト港に釘付けにされている巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウ、
重巡プリンツ・オイゲンもドーヴァー海峡を白昼突破して、ノルウェーへ。

これに喜びを隠せないのが、ドイツ空軍の第5航空艦隊司令のシュトゥンプ大将です。
すで航空艦隊を指揮して名を挙げた、シュペルレケッセルリンク
コンプレックスを持っていた彼は、いよいよ出番が回ってきた・・と言わんばかりです。

Hans-Jürgen Stumpff.jpg

しかし前年にも戦艦ビスマルクに魚雷を命中させた雷撃機を持つ英艦隊も一歩も引きません。
今回も空母ヴィクトリアスから発進した雷撃機がティルピッツを狙いますが、
ティルピッツ艦長トップ大佐の見事な操艦で見事に回避。
この事件にレーダー元帥もドイツが空母を持っていたら・・と憤慨しますが、
遂にヒトラーも叫びます。「空母グラーフ・ツェッペリンの建造を再開したまえ!」

Graf Zeppelin.jpg

ちなみに「行きの船団」はPQですが、もちろんロシアからの「帰りの船団」も存在します。
これらは「QP船団」と呼ばれ、通常は空っぽの船団ですが、ソ連は武器の代金を支払うため、
いやいやながらQP15船団に金塊400本(約135億円相当)を積み込みます。
しかしこの船団がUボートと駆逐艦の攻撃にさらされ、金塊を積んでいた軽巡エディンバラが沈没・・。
このエディンバラは39年後の1981年に発見され、宝船として有名になったそうで、
「スターリンの金塊」という本になってるようですね。

また、「第2次大戦の沈没船から200㌧(180億円)の銀塊発見、回収へ」なんてニュースも
つい3日ほど前にありましたね。
これは1941年、インドから英国に向かう船団から逸れた英国の蒸気船「SSゲアソパ」が
アイルランド沖でUボートの餌食になったそうですが、TVのニュースでは、
一言も「Uボート」って言っていませんでした。。
誰が撃沈したのか、ちょっと気になるところです。。。

U-boat attacked a convoy.jpg

いよいよ悲劇のPQ17船団、商船36隻の出航の時・・。
連合軍の船団護衛も3本立てからなり、駆逐艦6隻に潜水艦2隻の直接護衛の他に
トーヴェイ大将が直率の間接護衛は英戦艦デューク・オブ・ヨークに米戦艦ワシントン、
空母ヴィクトリアスの他、巡洋艦、駆逐艦あわせて20隻の大艦隊で途中まで護衛、
さらにその中間にもハミルトン少将率いる4隻の巡洋艦隊が追随します。

Tovey.jpg

対するオットー・シュニーヴィント中将のドイツ北方艦隊は、ティルピッツを筆頭に、
重巡アドミラル・ヒッパー、ポケット戦艦シェアとリュッツォーと強力な布陣で待ち構えますが、
濃霧と流氷の前にPQ船団のうち2隻が衝突、追突によって引き返します。
そんな船団をU-408が発見。すぐさま6隻のUボートによる狼群作戦の開始です。
当然、ドイツ空軍も負けじとHe-111とJu-88爆撃機が出動しますが、
この爆撃機隊では「ヒトラーの特攻隊」を考案した、ハヨ・ヘルマンも頑張ってました。。

Junkers Ju-88A4 in die Kämpfe eingreifen.jpg

それでもPQ17の護衛艦はドイツ軍の海空からの攻撃をなんとか撃退。
しかしロンドンの軍令部には恐ろしい情報がもたらされます。
「ティルピッツが出てきた・・」。
船団を追随する護衛の巡洋艦4隻は、ポケット戦艦と駆逐艦への対策でしかなく、
戦艦の装甲には巡洋艦の砲など役に立たず、それは海戦というより「虐殺」を意味します。
「巡洋艦隊は高速を持って西方へ退却せよ!」
「ドイツ艦隊の脅威あり。船団は分散し、各自ロシアの港湾に向かうべし!」
34隻の商船は海軍から見放されたも同然の緊急電です。。

Arctic convoy PQ-17.jpg

唖然とする商船の乗組員たちをさらに驚かせる事態・・、直接護衛の駆逐艦隊までも
巡洋艦隊に追いつけとばかりに逃げ出してしまうのでした。。

戦艦2隻を擁するトーヴェイ大将の間接護衛戦隊は、「ドイツ艦隊と一戦交えるべきか・・」
しかし船団はあまりに遠く20ノットで突っ走っても11時間、ティルピッツまでは20時間です。
そんな状況を一変させたのが見張りの役で哨戒していたソ連潜水艦です。
ルーニン中佐のK-21は魚雷2本をティルピッツの命中させたと報告し、大騒ぎになりますが、
結局は誤報と分かって、ロンドンもがっくり・・。

battleship-tirpitz.jpg

ティルピッツとシェアが現場へ進撃を続けるも、すでに駆逐艦もなくバラバラとなった商船は
Uボートと爆撃機の格好の餌食でしかありません。
沈没寸前の商船から船員たちが乗り移った救命ボートに接近するUボート。
ドイツ士官は「怪我人はいないか?」と尋ね、陸地の方角を示して「元気で行けよ」

U-boot attack.jpg

一方、レーダー元帥は前年に味わったビスマルク撃沈の件もあり、かなり慎重です。
深追いしすぎて、怪我でもしたら元も子もない・・すでに空軍からは「PQ17は全滅」の報告も・・。
ということで、わずか9時間の航海の末、ティルピッツは基地へと引き返すことになります。
PQ17は最終的に11隻が逃げ切ったものの、23隻がUボートと爆撃機によって沈められ、
実に2/3が北極海の藻屑と消えるという未曾有の犠牲となったのでした。

Time_1942_04_20_Erich_Raeder.jpeg

なかなか楽しめた1冊でした。
文庫の375ページっていうのもボリューム的にちょうど良かったですしね。
主役は英海軍ですが、並行して語られるドイツ海軍と空軍も決して悪役ではなく、
せいぜいヒトラーが「ワーワー」言ってる程度・・。
そのぶん、度々登場するソ連艦隊が情けない脇役に徹していて、
ドイツ軍陸戦モノでいうところのイタリア軍のような扱いでした。。

もともと本書は1985年に「朝日ソノラマ」から出ていたモノの再刊で、
さすが日本人の著者というべきか、「戦艦『比叡』の最期と同様な・・」といった例えが
所々に出てくるんですが、これが太平洋戦争に無知な自分にとっては余計に分かりずらい・・
というか、普通、この本を読むような人は、「なるほど~」となるのか・・と思うと、
ちょっと寂しい気持ちにもなりました。。







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