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ボッシュの子 [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョジアーヌ・クリュゲール著の「ボッシュの子」を読破しました。

本書は2006年にフランス人の著者が自主出版した半自叙伝で、原題は「戦争の胎児」。
再販では「禁じられた愛から生まれる」というものです。
翻訳版のタイトルである「ボッシュ」とは、フランス語で「ドイツ野郎」という意味のようで、
1940年から1944年の時期にナチス・ドイツに占領されていたフランスで、
敵同士の男と女は愛し合ってはならないにも関わらず、必然のように生まれてしまった
ドイツ軍人を父に持つ、フランス人女性の物語です。

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1943年に生まれ、北フランスのソンム県で育った著者の「わたし」。
父はおらず、祖母と母との貧しい生活です。
やがて小学1年生になると、「パパはどこにいるの?」という疑問も芽生えますが、
返事をする祖母は「戦争中にどこかへ行ってしまったんだよ」
そして「ママには言うんじゃないよ」と念を押すのでした。

そんなとき、学校でもいつも一人ぼっちの彼女が、おどおどしながらも友達に近づくと
「ボッシュの子、あっちに行って!」
またライン川の勉強中、ドイツの町の名を書き入れただけで
「ボッシュの町の名前なんか入れなくていい」と先生に怒られる始末。。
これには祖母も真実を話さざるを得ません。
「パパはドイツ兵だったんだよ。お前が生まれた時に、ロシアへ送られたのさ・・」
そして母親は顔を強張らせるばかりです。

父のことを知りたいと願うようになった彼女は、母とその兄である叔父が
仲違いしていることを知ります。
叔父は戦争中レジスタンスの重要なメンバーで、彼にとっては妹がドイツ人と恋に落ちるなど
とても許せないことだったのでした。それでも解放後のドイツ軍に協力したフランス人たちが
彼らの報復の対象となって、女性が髪の毛を切られ、晒し者にされるという恥辱は
叔父の力によって、なんとか免れたのです。

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母はいつの間にやらフランス人男性と再婚し、父親の違う妹と弟が生まれます。
そして引っ越し準備のおり、ドイツ兵の色褪せた写真を偶然、発見してしまいます。
そのドイツ兵の士官は実にハンサムで・・。
彼女にとっての空想のヒーローに、初めて姿と顔が与えられたのです。
さらにはドイツから送られてきたと思しき手紙も・・。
そこには父はドイツで再婚し、子供が2人いること、ロシアで大変苦しんだこと、
娘を忘れることがなかったことが書かれていて・・。

その住所に宛て、手紙を書いた彼女。ある日曜日、てんとう虫型の自動車が近づき、
降りてきた白髪の男性が父であることを直感的に気付くのでした。
母は気が失うほど狼狽し、義父は無関心。。。
そんなことを尻目に、父娘は涙を流して抱き合います。

結局、父は3日滞在して帰国し、彼女もその後は恋愛など、青春の真っ只中に。。
新しい家族にもなじめず、家を出て住み込みで働きに出ます。
訪れたパリでは偶然に昔の親友と出会いますが、
「去年、ここで「パリは燃えているか」の撮影が行われたのよ。毎日、ボッシュの行進を見たわ」
と、鳥肌が立つ思いだったと言う彼女に食ってかかります。
「ボッシュってドイツ人のこと?それともナチスのこと?」
Is Paris Burning.jpg
1971年、彼女も子供を身籠ります。
生まれてきた男の子にはシャルルではなく、カールと名付け、
「ドイツ系の名前では?」と尋ねる人にも「私の父はドイツ人でしたから」と開き直った感じの彼女。
飼い犬が誰かに傷つけられたポーランド人のお婆ちゃんは「憎いボッシュめ。可愛い犬を・・」と
ドイツ系の彼女を殺人鬼のような眼差しで責めますが、もはや彼女は一歩も引きません。
「マダム、ナチスは犬ではなく、人間を大量虐殺したのですよ」

それからまた数年が経ち、再び、ドイツにいる父に連絡をつけてみることに・・。
しかし、すでに時は遅く、最愛の父は3年前に他界・・。
それでも会ったこともない異母兄弟たちから、ドイツへ招きたいとの手紙も届きます。
こうして1979年、ドイツへと向かい、彼らと対面。
すでに額の薄くなった男性が一生懸命フランス語で挨拶を・・。
「フランツです!あなたの弟です」

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その後、彼女たちは年に5回も6回も頻繁に会って、家族としての絆を深めあうこととなり、
戦後60年のタブーを打ち破って、20万人といわれる彼女のような「ボッシュの子」たちも
ドイツ人の父を探し出すことが可能となるのでした。
また、彼女の2つの家族の交流も始まり、フランスの義妹の娘と、ドイツの腹違いの弟の息子が
愛し合うようになって、今ではふたりがドイツで一緒に暮らしているという
彼女の両親の間で起きたことが、60年後にその子孫によって繰り返されているという事実を
エピローグで紹介します。

実は読み進めてみるまで、本書の詳しい内容は知らず、苛められる子供の話だったらイヤだなぁ・・
と思っていましたが、まったくそんなことのない、自分探しの旅のようなもので、
192ページとボリュームもありませんから、1時間半で独破してしまいました。
まぁ、日本でもこのようなことは戦時中ありましたが、このドイツとフランスでは
ほんの最近まで、これほどタブー視されていたとは驚きだった一冊です。



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ヒトラーの遺言: 1945年2月4日―4月2日 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マルティン・ボルマン記の「ヒトラーの遺言」を読破しました。

今年の6月に発刊された新しい1冊ですが、あの総統秘書ボルマンが世の中にひょっこりと現れ、
「ど~も。ボルマンです。ヒトラーの遺言を持ってきました」などと言い出して出版されたものではなく、
もともとは日本でも20年前(1991年)に発刊され、絶版となっていた同名の再刊です。
訳者あとがきを読む限りでは、日付も20年前のままなので、特に内容には変更が無いようですね。

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タイトルの「ヒトラーの遺言」という意味では、ベルリンの地下壕で「私はヒトラーの秘書だった」の
ユンゲ嬢にタイプさせた「遺言」の全文も読んだことがありますし、
ヒトラーの「わが闘争」や「ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944」もあまり興味が無い
ヴィトゲンシュタインですが、今回はどうも「マルティン・ボルマン記」という部分が
特に気になったので読んでみることにしました。

序文ではこの「遺言」のオリジナルの持ち主であるスイス人の解説が書かれていて、
数年間に渡り、ヒトラーが内輪の場で語ったことを記録係の補佐官が記録した膨大な資料が、
「ヒトラーのテーブル・トーク」と呼ばれていて、本書の始まる1945年2月4日というのが、
ボルマンがベルリンの地下壕に入った2日後・・
ということから、狭い地下壕には記録係の補佐官も置けず、
ボルマン自身がヒトラーの言葉を記録したものであるとされているようです。
そんなわけで、本書は「ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944」に収められていない最後の部分、
「1945」編と言えるのかも知れません。

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それでは「遺言」部分について、いくつか興味深かったところを抜粋してみましょう。

最初の1945年2月4日では10ページに渡り、英国とチャーチルについて語ります。
チャーチルはよほど嫌いなのか「ユダヤ人に毒され、半分アメリカ人化した大酒呑み」という
表現で始まり、その後も「この老いぼれた詐欺師まがいの男の手に、残念ながら
ヨーロッパの運命までが委ねられている」と熱く語ります。
そして別の日にも「私は意図してダンケルクから敗走する英軍に犠牲が出ないようにした」として
「チャーチルは寛大さと騎士道精神を評価するすべを知らなかった」

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また、この絶体絶命な戦局を意識した部分では、「たとえ絶望的な戦いといえども・・」と語り、
「レオニダスと300人のスパルタ人のことを考えてみるだけでよい!」と
映画「<300>スリーハンドレッド」の戦いざまを挙げています。

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フランコのスペインを戦争に引き入れなかった件については
「望ましいものと思えなかった」と振り返ります。
「ジブラルタルを占領することで、数100㌔の大西洋沿岸地帯を防衛しなければならなくなり、
英国のスパイによって準備されたスペイン内戦の再発の可能性」もあったということです。

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日本についても思った以上に語ります。例えば、
「中国人や日本人が人種として劣等だなどと思ったことは一度もない。
そして彼らの伝統の方が我々のそれよりも優れていることを認めるのにやぶさかではない」
さらに「日本はいかなる時でも友人であり、盟邦でいてくれるだろう」として
日本が対ソ戦に介入してくれなかったことを残念がり、もし、そうなっていたら
いま、この瞬間にソ連軍によってブレスラウも包囲されていなかったし、
1941年の冬が来る前に、共同してボルシェヴィズムを撲滅していただろう・・と。

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一方、もうひとつの枢軸国イタリアについては
「ドゥーチェとの揺るぎない友情と、イタリアに対する盟友としての誠意とは、
誤りであったことを不本意ながら認めざるを得ない。誰の目にも明らかなように
我々に役立つよりも、敵の助けになった方が多かった」
また別の日の「遺言」でも
「我々には、戦場で目立つことをやりたいという病的な執念からイタリア人を
思いとどませることができなかった」
ムッソリーニに計画を話さなかったことによる両者の不信についても解説し、
彼を信用して計画を打ち明けると、ムッソリーニは同じ信頼感をもってチアーノに伝え、
するとこのプレイボーイは可愛らしい女の子の前では秘密と言うことが分からなくなってしまう・・
ということを認識するまで高価な代償を払わされた・・。

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歴史も浅く、人種的にも多民族国家である米国とルーズヴェルトについては、
「世界中のユダヤ人によって選ばれた"死刑執行人"」としています。
片やスターリンに対しては、ほとんど罵倒することはありませんが、
「第三帝国が敗北した後は、互いに対等の立場で対決することが出来る米国とソ連の
2大国だけが世界に存在することになろう」と予測しています。

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226ページの本書の136ページでこの「遺言」は終わり、訳者の篠原氏の解説が始まります。
訳者の・・とは言っても、この方は只者ではなく、戦時中、哲学の勉強のため
ドイツで過ごしていたという経歴を持ち、ヒトラーも遠目ながら目撃したことがあるという方です。
当時の兵士が聞いた大本営の特別発表でのヒトラーの死は、このように伝えられたそうです。
「総統は一兵士にかえって、自らパンツァーファウストを持って総統官邸の前に立ちはだかり、
最後まで敵戦車と防戦しながら壮烈な戦死を遂げた」
また、本書も彼がドイツで手に入れたドイツ語版を翻訳し、自ら出版社を探した・・
という経緯も書かれています。

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思ったより「遺言」の部分が少なかったですが、なかなか楽しめました。
なかには、「それは後付けの言い訳じゃないの?」と突っ込みたくなる記述もあったりして・・。
こんな感じなら「ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944」も読んでみようか・・という気にもなりました。
でも、古書でも結構高いなぁ・・。

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穿った見方をすれば、ここに書かれた発言が本当にヒトラーが語った言葉なのか?
という疑問が当然沸いてきます。
一応、「本物」という代物だそうですが、語った方、書き取った方、双方とも既にいない訳ですし、
仮にヒトラーが語り、ボルマンが書き取った・・にしても、
この各日5ページ~10ページに及ぶヒトラーの独演を
一語一句間違わずにボルマンが書き留められたのか・・という自然な疑問も残ります。
スイス人の解説によれば、第三帝国の最後を意識したヒトラーとボルマンが共同の意思によって
後世に残すことを目的として書かれたもの(すなわち「遺言」)と推察していますが・・。

ちなみにボルマンのタイプした原本が、戦後どのように発見されたかの経緯は、
ヒトラーが経済相兼ライヒスバンク総裁のヴァルター・フンクに
「ある大切な文書を預けるから、どこか安全な場所に保管を・・」依頼し、
厳重に封印された文書を受け取って、ベルリンの総統ブンカーから脱出。
これが巡り巡って、スイス人の元へ辿り着き、出版の運びとなったそうですが
最後の4月2日以前の35日間は存在せず、その理由も不明とのことです。

Walther Emanuel Funk.jpg

ただ、ボルマンについて、いろいろ読んできたヴィトゲンシュタインからすると、
ヒトラーの専属秘書としてヒトラーが「あやふやでうやむや」に語ったことを
明瞭で的確な言葉に要約し、厳格な総統命令として簡潔に説明する技術を持っていた
という彼ですから、この手の手法を大いに用いて、ヒトラーが「チャーチルは○○だ」とか、
「ユダヤ人は△△である」という程度のことを過去の発言や、ボルマン自身の思想や
考えを組み合わせ、大きく広げて仕上げたもの・・とも考えられるのではないでしょうか・・?

ヒトラーが全幅の信頼を置いた最後まで最も忠実だった秘書 = 「内容も忠実」という
イメージもわかりますが、総統に万が一のことがあった暁にはゲーリングヒムラーなどの
ライバルたちを出し抜いて・・という権力に魅入られた策士であり、
ゲッベルスのように総統と共に死を選ぶようなマネもせず、生き延びようとしたことを考えると
この「遺言」もいざという時に「総統はこう言っておられたのだ」と、
自分にとって都合よい内容なのが好ましいわけで、
やはり、ボルマンという人間をどう捉えるかによって、信憑性が変わってくる気がします。

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もちろんこれは個人的な憶測のひとつですし、本書の記述を読んでいて
違和感を感じたりすることもありませんでした。
エヴァ・ブラウンの日記」もそうでしたが、信じる、信じないは人それぞれ自由ですし、
証拠が無い以上、「コレは怪しい・・」という目で見るのも嫌な人間ですしね。。
ただ、過去にも「ヒトラー日記」という贋作が大スキャンダルとなったこともあるようで、
「ヒットラー売ります―偽造日記事​件に踊った人々」という本も、ちょっと気になりますね。









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電撃戦という幻〈下〉 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カール=ハインツ・フリーザー著の「電撃戦という幻〈下〉 」を読破しました。

上下巻を図書館で借りた本書・・。上巻を読み終えて、その内容の濃さからも
今後も資料として度々読み返すことになるのは間違いない・・
ということで、この下巻を読む前、仕事帰りに神○町の「軍○堂」に立ち寄って、
ちょうど良いタイミングで売っていた本書のセットを6000円で購入してしまいました。。

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この下巻は、まずセダンを突破したグデーリアンの装甲軍団に対する、
フランス軍側の反攻作戦計画と、その顛末を解説します。
5月14日、フランス軍総司令官ガムランは「セダンの決壊は局地的な小事件」と片づけ、
第2軍司令官のアンチジェも余裕しゃくしゃくでドイツ軍の攻撃を待ち受けます。
特に第3機甲師団はドイツ軍の最新鋭であるⅣ号戦車より装甲の厚い、
オチキスとシャール戦車を139両を揃え、火力の点でもドイツ軍を大きく上回っています。

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すぐさま出撃命令を受けた第3機甲師団ですが、フランス軍戦車の弱点・・
燃料補給と攻撃開始地点までの移動に多大な時間を要し、
挙句、撤退するパニック兵を目撃したことで、命令は撤回。。。
その後も反攻作戦命令は、もたついては行動延期・・というお決まりのパターンが繰り返され、
マンシュタインとグデーリアンが最も恐れていた、セダン突破直後のフランス軍の大逆襲は
「幻」となるのでした。

French soldier surrenders to Germans, Battle of France, 1940.jpg

それでも高地ストンヌを巡る攻防戦は局地的ながらも両者がっぷり四つに組んだもので、
占領したグロースドイッチュランド第1大隊の前に、怪物戦車シャールBが現れ、全滅の危機・・。
この5月15日の1日だけで、ドイツ軍が奪取すること4回。2日後に勝負がついたときには
なんと9回目の奪取という、取って取られてを繰り返す戦いです。

1st panzer division and is on its way to the Meuse river.jpg

一睡もせずに進撃を続ける第1狙撃兵連隊長のヘルマン・バルク中佐は
疲れ切った部下を尻目に「諸君がやらないのなら、私一人でやる」と
ひとり敵に向かって行く格好良さ・・。
ラインハルト装甲軍団配下のケンプフ率いる第6装甲師団も、歩兵師団と交代させられると知り、
ここでやらねば千年の恥辱とばかりに奮い立ち、総攻撃を開始します。
このようにグデーリアンとラインハルトの2個装甲軍団から成る、クライスト装甲集団は
クライストを含め、各司令官と指揮官たちによる命令無視を度々繰り返しながら、
ひたすら前進を続けます。

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また、この西方電撃戦において大変重要な装甲軍団がここで登場。
フォン・クルーゲの第4軍配下にあってクライスト装甲集団の右翼を守る、ホト装甲軍団です。
そしてこの軍団を構成する、後に「幽霊師団」と恐れられた第7装甲師団を指揮するのは、
ロンメル少将です。
ここからはいろいろな本でも書かれている、ロンメルの中隊長のような怒涛の大活躍と
傍若無人ぶりが詳しく書かれていて、例えば、一網打尽にされたフランス兵は驚愕あまり、
抵抗もせず、ドイツ戦車兵に尋ねます。「ひょっとして英国軍かね?」
まぁ、相変わらず楽しいですね。

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「闘牛士の赤いマント」で連合軍を挑発させ、罠に誘い込む役の北のB軍集団でも、
ヘプナー装甲軍団がフランス軍と大規模な戦車戦を繰り広げています。
しかし大半はⅠ号、Ⅱ号戦車で占められたこの装甲軍団はフランス軍の誇る
新鋭ソミュア戦車の前に歯が立ちません。
あるⅠ号戦車の指揮官は、オチキス戦車にハンマーを持って馬乗りになるという
西方作戦のヘプナー装甲軍団というより、
西部警察の大門軍団のような勇敢な戦いを見せますが、
彼はあえなく振り落とされ、オチキスの下敷きとなって戦死・・。
それでも彼の死は無駄ではなく、ヘプナー装甲軍団は脇役の地位から解放され、
A軍集団の指揮下に編入されて、装甲突進の一翼を担うことになるのでした。

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順調に進撃を続けるグデーリアンですが、司令官たちが恐怖する「開けっ放しの左側面」が
ここに至って大問題に・・。遂にクライストによる停止命令。
そしてこれに反発し、解任を申し出るグデーリアン・・。
第12軍司令官リストとルントシュテットの取り成しによって、「威力偵察」なら認める妥協案・・
といった有名な展開も詳しく検証。。
あまりの順調さに、逆に不安が募り「反撃の亡霊」に取りつかれた、ヒトラーによる停止命令です。

Guderian in his command halftrack, France 1940.jpg

さらには海峡沿岸部への突進、ダンケルクを目前とした「アラスの停止命令」が・・。
ここからはこの「誰の目から見てもグロテスク極まりない失敗」について徹底的に検証します。
賛成したのはヒトラーとゲーリングに、A軍集団司令官のルントシュテット
反対するのはグデーリアンらの軍団長と、かつて握りつぶしたマンシュタイン・プランを
いまや嬉々として「イケイケ」で進める参謀本部のハルダーブラウヒッチュ

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この停止命令のさまざまに云われている理由・・、「地面が軟弱で戦車に向かない」や
「空軍力だけで攻め切れると思った」、そして「英国を本気で打倒する気がなかった」を
それらの「説」ごとに分析。アーヴィングの「ヒトラーの戦争」も引用しながら、
「ダンケルクの謎」に迫ります。本書の結論は、非常に興味深いものでした。

Wounded Brit POW's aboard Pz1, Calais 1940.jpg

最後には「勝利と敗北:その要因」として、前大戦からの両国と西方戦役全般を振り返ります。
下士官から兵に至るまで指揮官としての自主性が培われていたという「委任戦術」、
また、「速攻と奇襲」や2正面を恐れるドイツの「短期決戦」伝統などの要素のほか、
無線、戦車、航空機という3つの要素が融合して化学変化を起こし、
極めて発火性の強い爆発物が形成され、その破壊力にはグデーリアンでさえ驚いた・・。

結局のところ本書は「電撃戦の幻」という邦題、「電撃戦伝説」という原題からイメージする
肯定的、否定的な観点で書かれたものではなく、「西方戦役は電撃戦だった」という前提のもと、
それがどのようにして生まれたのか・・を研究しているものでした。

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電撃戦モノだけではなく、西方戦役モノとしても、自分が読んだ中で間違いなく最高のモノです。
レビューが長くなりすぎるので、これでも大分端折りましたが、登場人物には
アプヴェーアのカナリス提督からA軍集団の参謀を務めるトレスコウ、フランスならドゴール
もちろんドイツ空軍の活躍と、登場人物とエピソードも実に多彩で、まったく飽きさせません。
高いと思われる方もいるとは思いますが、上下で6000円ならコレは間違いなくお釣りがきます。



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電撃戦という幻〈上〉 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カール=ハインツ・フリーザー著の「電撃戦という幻〈上〉 」を遂に読破しました。

以前にオススメのコメントを戴いていたものの、下巻が廃刊でプレミア価格にもなっていること、
そしてタイトルの「幻」というのが、いかにも「電撃戦などなかったのだ・・」といった
ネガティブな雰囲気を醸しだしていることから、ずるずると手を出さずに過ごしていましたが、
やっぱり気になるものは読まないと、身体にも良くないし・・ということで、
2003年発刊の本書をとりあえず、上下巻まとめて図書館で借りてみました。
まず下巻の訳者あとがきに目を通すと、このタイトルの説明が・・。
原著のタイトルは「Blitzkrieg Legende = 電撃戦伝説」というもので、
これだと電撃戦を肯定的にしていると思われることから、翻訳版では
若干、否定的なニュアンスである「幻」にしたそうです。
個人的には・・「電撃戦伝説」だったら、もうとっくに買っていたかも知れません。。。
いや~、タイトルっていうのはホント重要ですね。

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著者フリーザー氏はドイツ連邦国防軍の大佐であり、軍の戦史研究機関の
「第2次世界大戦担当」の部長という肩書です。
その彼の研究として書かれた本書は、その立場だからこそ可能な、第1級の資料と
人脈によって、電撃戦と呼ばれた西方戦役を徹底的に分析していくわけですが、
「電撃戦」という本で最初に問題になるのは、その「電撃戦の定義」です。
以前に紹介したレン・デイトンの「電撃戦」でも、コレを「定義」していましたし・・。
それは本書でも同様で、そもそも「電撃戦」とは一体なんなのか?
誰が、いつ、「電撃戦」と言い出したのか?
または、西方作戦は初めから「電撃戦」として計画されていたのか?
具体的にどのような戦い方が戦略的、作戦的、戦術的に「電撃戦」と言われるのか?

まずは西方戦役の前史として、本来、英仏との戦争を考えていなかったヒトラーが
ポーランド侵攻によって宣戦布告を受けてしまい、陸軍参謀次長シュテルプナーゲル
「これが無責任な政治ゲームの請求書であり、このプレイヤーはとうとう間違ったカードを・・」
と、ここ数年、ツキまくっていたギャンブラーに対して憤激するところからです。
ポーランド戦用の作戦は出来ていたものの、西側諸大国との戦いは全く考慮しておらず、
ヒトラーも参謀本部も総合的な戦争計画は何の準備もしていません。

Hitler during maneuvers at St. Poelten in Austria.jpg

しかし、あっという間にノックアウトしたポーランド戦が終わると、
すぐさま西方作戦を口にして将軍たちを驚かせるヒトラー。
陸軍総司令官ブラウヒッチュは「正気の沙汰ではない」、C軍集団司令官のフォン・レープ
「常軌を逸した構想」と憤慨し、ナチ派のライヒェナウでさえ「犯罪的」と断定します。
さらにはOKW長官のイエスマン、カイテルまでも職務を解いてくれるよう願い出る有様。。
が、結局は兵器や、特に弾薬が底をついているなど、物資面の問題からも
攻撃開始日は何度も変更されて、やっと1940年5月10日に落ち着きます。

本書では当時の装備計画は古色蒼然たる「塹壕戦構想」から出発しているとして、
ヒトラーの気持ちが、まるでヴェルダンの復讐戦をやるかのように重砲に向けられ、
竣工したばかりの巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウの主砲を外して、
マジノ線を制圧することを思いつく始末だったと・・。

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こうした状況で国防軍内に参謀総長のハルダーを中心としたクーデター派が登場してきます。
手提げカバンにピストルを忍ばせたハルダーですが、結局は挫折・・。そして戦後の彼の告白も・・。
「クーデターをやればよかったというのか? 参謀本部の長である私が暗殺者に?」
そして、ヒトラー暗殺を諦めたハルダーは「どうせやるなら勝つしかない」とばかりに
本来の職務である西方作戦計画に没頭していくのでした。

ですが、彼の作ったものはヒトラーからもダメ出しされる程度の二流の計画に終始・・。
著者は、これが西方進撃をヒトラーに諦めさせるための抗議行動と解釈するのが
妥当ではないか・・としています。

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そんななか、全く別の場所でも作戦計画を立てている人物が・・。
ご存じ、A軍集団参謀長のフォン・マンシュタインです。
「攻撃の重点を北方から中央に移し、精鋭装甲部隊による突破攻撃を敢行せよ」
本書では「"鎌"計画」と呼ばれる、有名なマンシュタイン・プランの誕生です。
この斬新な計画を参謀本部へシツコク提示するも、ハルダーに握りつぶされ・・という展開も
良く知られていますが、ココでは前参謀総長ベック時代に第1補佐官兼代理として
将来の参謀総長の座が約束されていたマンシュタインが、「ブロムベルク=フリッチュ危機」に伴い、
左遷され、次長にハルダーが就任。そしてヒトラー反対派のベックが辞任するとその後釜に・・という
過去の2人の確執の原因と、バイエルン人ハルダーとプロイセン人マンシュタインの気質と
頭の構造の違いにまで言及しています。

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結局、マンシュタイン・プランがヒトラーの目に留まることと引き換えのように彼は再び、左遷。
最終的にこの作戦計画を仕上げたハルダーですが、「続ドイツ装甲師団」に書かれていた
フォン・ボックの罵倒の他にも、「装甲兵種の墓堀人」と雑言を浴びせられることに・・。
1940年3月の段階でも、ヒトラーの元に参集した保守派の軍人たちは懐疑的。。。
戦車の鬼グデーリアンに対する「ムーズ川を渡った後、どうするのか?」というヒトラーの質問に
第16軍司令官のブッシュが口を挟み「いや、君に渡れるとは思わない」
これにグデーリアンは返答します。「あなたがやるわけではない」

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このような作戦段階を総括して本書では、「まやかし戦争」は英仏にとって有利なものであり、
一方、ドイツは経済封鎖がもたらす戦略的「兵糧攻め」を打ち破るには、
思い切った作戦を講じて、戦線の外(西方)へ打って出るしかなったとしています。

いよいよ西方作戦開始。本書はタイトルが電撃戦の・・となっているように、
この巨大な3個軍集団全体の戦いを検証せず、フォン・ルントシュテット率いる中央のA軍集団、
もっと言えば、フォン・クライスト率いるクライスト装甲集団の戦いに限定しています。
リデル・ハートの言う「「闘牛士の赤いマント」である右翼のB軍集団が敵軍を挑発して誘い込み、
A軍集団が「剣」となって敵軍の開いた脇腹に突き刺さる」というこの作戦。
13万人の人員、4万台の車両を揃えたクライスト装甲集団は、まさしくその「剣先」であり、
この型破りな大装甲部隊を指揮する中心人物は、もちろんグデーリアンです。

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後の陸軍参謀総長に大抜擢されるツァイツラー大佐が参謀長を務めるこの装甲集団ですが、
正規軍で構成された軍集団のなかにあって、このような新しい兵科の部隊は、
まるで外人部隊のような存在であり、各軍も彼らを自軍の配下に治めようと画策します。
歩兵軍に手綱を握られては彼らの「露払い」に甘んじることなりかねないクライストは、
装甲集団が歩兵軍の遥か前方で作戦していれば良し。しかし攻撃が停滞し、
その間隔がなくなれば・・というルントシュテットの妥協案を受け入れ、
これが結果的に「うしろから魔王どもに追われている」かのごとき
死にもの狂いの突進を行うことになった・・と表現しています。

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そして予定通りとはならなかった出だしの車両の大渋滞。。。
ラインハルト率いる装甲軍団はグデーリアン軍団の後塵を進むこととなりますが、
奇跡的にもフランス軍総司令部は偵察機からの報告を「幻である」と決めつけます。
さらに、その後もドイツ軍の侵攻スピードは前大戦を基準としたことから、
ムーズ川での渡河準備まで2週間はかかると判断・・。

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グデーリアン軍団では精鋭中の精鋭である「第1装甲師団」が先鋒を努めますが、
この師団の編成表を見ると、師団長キルヒナー以下、作戦参謀にはヴァルター・ヴェンク
第1伝令将校にフォン・ローリングホーフェン、狙撃兵連隊長はヘルマン・バルク
砲兵大隊長にはフォン・ヒューナースドルフ、戦車大隊長にはあのシュトラハヴィッツ伯爵
強烈な、錚々たる面子が揃ってますね。

Friedrich Kirchner.jpg

こうして遂にセダンを突破。ムーズ川渡河では、精鋭グロースドイッチュランド歩兵連隊と
突撃工兵大隊が大活躍をしています。
また、これも良く言われる「幻の戦車」報告によって狂乱が起き、
フランス軍が我先にと撤退していく様子。。
前大戦では4年を費やしても打開できなかった戦局を、僅か5日間で空けた巨大な突破口。
装甲部隊は橋頭堡から一気に西進を目論みますが、
後続の歩兵部隊が追いつくまで待機・・との命令が。。
決断を迫られるグデーリアン・・。その結論は、当然「命令無視」です。
戦法の常道をも打ち破り、英仏海峡を目指し、怒涛の進撃を開始するのでした。

L'un de mes Panzer III a également réussi à prendre pied sur la rive française.jpg

上巻はコレにて終了です。
この上巻を読んだ感想を恥ずかしいほど簡単に書くと「ムチャクチャ面白い!」
当初は専門的で難しそうだな・・とも思っていましたが、いやいやなんのなんの・・。
著者フリーザー氏が読みやすいように文章を整理した校閲者の女史に礼を述べているように
専門用語の応酬という堅苦しいものではなく、部分的にはパウル・カレルを彷彿とさせるような
戦闘シーンの記述もあったり、また、訳者さんの力に負うところも大きいのかも知れません。



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ナチ・ドイツ軍装読本 -SS・警察・ナチ党の組織と制服-【増補改訂​版】 [軍装/勲章]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

山下 英一郎 著の「ナチ・ドイツ軍装読本」を読破しました。

6月の「制服の帝国」に続いて、本書も2006年に発刊された同名の再刊です。
今年の4月に【増補改訂​版】として20ページ程度、旧版からボリュームアップしているそうです。
以前に紹介した「SSガイドブック」や「制服の帝国」はSSに限定したものでしたが、
本書は副題を見る限り、「警察」と「ナチ党」の制服にも言及している点が大きな違いですね。

ナチ・ドイツ軍装読本.jpg

まずは「SSの成立」という無難なところから始まる本書。
しかし、1929年のニュルンベルク党大会の部分になると、この時の参加者に配られた
「1929年党大会章」が写真つきで解説され、この大会がナチ党の政権獲得前であり、
ナチ党結成10周年であることから、金枠党員章が制定されるまで、ヒムラー
常に着用する非常にステータスの高いものだった・・と著者ならではのマニアックな説明が
勉強になります。

Reichsparteitag 1929.jpg

この章では非常に珍しい写真「眼鏡をかけたハイドリヒ」の登場です。
キャプションでも「ヒムラーと談笑するハイドリヒが眼鏡を着用!」とビックリマーク付き
(ちなみに「!」は子供の頃「オッタマゲーションマーク」と教えられて、20歳まで信じてました・・)、
しかし、それほど写りの良くない斜め後ろからの写真ですので、ハイドリヒと言われて辛うじて
気づく程度のものですが、珍しいことに間違いはありませんね。

Reinhard Heydrich 74.jpg

「SSのキャリア」の章では、名誉SS大将でもあったザイス=インクヴァルトが紹介され、
そのSSの黒服以外にも、占領下オランダの弁務官という彼の本来の
「官僚」としての制服も検証しています。
特に官僚の袖章の星が階級を示すものではなく、給料のランクを示すなどの解説と写真は
興味深いですね。こんなことが書かれているのは日本では本書だけでしょう。

Hans_Frank9.jpg

フリードリヒ=ヴィルヘルムと、その兄のヴァルター・クリューガー兄弟も続いて登場して、
この有名な兄弟の比較をした後、アイヒマンSS中佐の出番となります。
ここでも著者ならではの観点から、ホロコーストの代名詞ともされている人物を検証し、
「過去10年に渡り、数万枚のSS関係の写真を確認しているが、アイヒマンの制服写真は2枚のみ」
として、このような重要人物が写った写真がこれほど少ない訳がなく、結論から言えば、
誰も撮影する気すら起きなかった移送列車の手配をする程度の「小物」であり、
たかが中佐に、国策を左右する権限があったなどという歴史認識は改めるべき・・としています。
かなり強気で書いていますが、自分もどちらかといえば、同感ですね。

Adolf Eichmann_1.jpg

SS大佐服の写真も凛々しいシェレンベルクは、4ページに渡ってその人生が述べられています。
ベルリンでのヒムラーの昼食会では、たまにアイヒマンも末席に呼ばれていたようで、
その度にシェレンベルクから「役立たず」だの「根性なし」だのといびられて泣いていたらしい・・。
また、彼が終戦間際もうまく立ち回り、彼を知る人物たちが死んだり、失踪した結果、
驚くほど軽い量刑で済んだことに触れ、「ヨーロッパで最も危険な男」スコルツェニーでさえ、
シェレンベルクの部下だった。本当に危険だったのは誰か、明らかである・・と
見方によっては、その「策士」っぷりを高く評価しているようでもあります。

Schellenberg_skorzeny.jpg

中盤は「ナチ体制下のドイツ警察」の章で、クルト・ダリューゲが長官を務めていた
「秩序警察」を中心に展開します。
地方警察や防空警察、水上警察といったマイナーな警察まで詳しく書かれていますが、
このあたり、写真もいくつかあるものの、制服を検証するものではなく、
あくまで、組織の解説となっています。
組織図があると、もう少し関係が分かりやすいんですけどねぇ。

Himmler und Daluege.jpg

同じ警察でも「憲兵」は、以前から気になっていたこともあって、楽しく読めました。
1939年の開戦後、秩序警察から国防軍に転属となった憲兵は、1940年時点で13000名。
最高階級は少将で、軍集団レベルでの憲兵司令官であり、大佐だと軍司令官だそうです。
主な任務も「交通整理」であり、映画などで良く見る「通行証を見せろ!」も該当・・。
また、その権限も強力で、階級に関わらず身分証の提示を要求でき、
同一階級者であっても、上位とされていた・・ということです。
さらに、独自のカフタイトルや、憲兵の象徴である首から下げた「ゴルゲット」にも言及しています。

Feldgendarmerie.jpg

「武装SSの給与と食事」も楽しい章でした。
1ライヒスマルクを現在の日本円に換算し、例えば、1940年のSS二等兵の月給が約6万円、
しかし、戦局の悪化した1944年になると25万円へと大幅UP・・。
これは一覧にもなっていて、一番給料の高い、元帥やOKW総長なら300万円強です。
早い話、カイテルの月給ですね。

食事についても肉、バター、パンなどがグラム単位で書かれていて、
面白いのは刑務所勤務に比べ、武装SSではパンで2倍、肉類で4倍の厚遇という部分です。
ということは、同じトーテンコップでも前線と収容所勤務で違ったのかなぁ?

Men of the Waffen-SS.jpg

最後の章は「写真で見る政治指導者」です。
この政治指導者というは大きく分けて2つあり、ガウライターと呼ぶ大管区指導者、
そしてライヒスライターと呼ぶ全国指導者です。
特に全国指導者は1945年時点で17人がおり、例えば、党幹事長のボルマン
法律全国指導者のハンス・フランク、世界観全国指導者のローゼンベルク
宣伝全国指導者のゲッベルス・・というようなメンバーです。

Himmler, Goebbels, Frank and Mussolini ( on back ) in Florence during Hitler's state visit to Italy in 1938.jpg

なお、SS全国指導者ヒムラーはライヒスライターとしては、民族問題全国指導者のようで、
SS全国指導者は「ライヒスフューラー」ですから、また別扱いのようですね。

この政治指導者の階級も表になっていて詳しく書かれていますが、
一番知りたかった赤の「襟章」については、若干述べられているだけなのが残念でした。

Nazi Party Ranks.jpg

全体的には本書もなかなか楽しめ、かつ勉強になるものでした。
ただ、やはり「軍装読本」と謳っている限り、特に警察については違う印象ですし、
わがままをあえて言えば、カラー写真が1枚もないと、軍装の説明だけでは
完全にはイメージできないのがネックだと思います。





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