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第二次世界大戦〈4〉 W.チャーチル [英国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

W.S.チャーチル著の「第二次世界大戦〈4〉」を読破しました。

この最終巻は1943年、東部戦線ではドイツ軍がスターリングラードで敗北し、
地中海でも西側連合軍がシシリー島を攻略、そしてイタリアは
ムッソリーニが失脚して、降伏への道を模索しているところからです。
こうした状況で夏には、来年の大攻勢「オーヴァーロード作戦」が検討され、
D-DAYは、とりあえず1944年5月1日と決定します。

第二次世界大戦〈4〉.jpg

当初、チャーチルとルーズヴェルトの間では、米軍がアフリカに軍司令部を持っていることと、
英国から作戦が発動されることもあって、この一大作戦の司令官は英国から出す・・
ということで一致していたそうです。推薦を受けたのは参謀総長のアラン・ブルック。
しかし計画が形を取り始めるにつれ、米軍の占める割合が多くなることを理解したチャーチルは
自ら、米軍の指揮官を任命すべきと提案します。

General-Dwight-Eisenhower-Winston-Churchill-Marshall-Sir-Alan-Brooke.jpg

1943年11月28日から開催された連合軍3ヶ国首脳によるテヘラン会談。
「オーヴァーロード作戦」の司令官は、英国も賛成していた米軍参謀総長のマーシャル
ほぼ決定していたものの、ルーズヴェルト大統領は「マーシャル将軍は手放すわけにはいかない」
と語り、やがてアイゼンハワーが指名されることに・・。
これは大作戦ではあるものの、ワシントンに最高の軍人を置いておきたい・・という
大統領の希望による人事です。

George C Marshall.jpg

この会談ではこんな知らないエピソードがありました。
ソ連軍のスターリングラードでの輝かしい防衛を祝うため、
英国王が特にデザインして作らせた「栄誉の剣」を贈呈したというものです。
そしてこの見事な剣を手渡されたスターリンは刃にキッスを・・。

Sword of Stalingrad.jpg

一方、英国の主戦場であるイタリア戦線ではグスタフ・ラインで頑強に抵抗する
ケッセルリンクの決意を挫くことができなかった」とチャーチルが語るように、
ドイツ軍はモンテ・カッシーノで踏みとどまります。
そしてドイツ部隊は入っていないものの、近くに建つこの有名な修道院を破壊すべきか・・
の論争が行われ、結局、500㌧もの爆弾が投下されますが、逆に廃墟となった修道院を
ドイツ軍が利用することになって、防衛する側にとって好都合な結果に・・。

Battle of Monte Cassino.jpg

このアンツォとカッシーノにおける戦いも良く書かれていて、1000ポンド爆弾と大砲撃の後でも、
前進したニュージーランド軍とインド軍相手に戦い抜く、ドイツ第1降下猟兵師団を
「おそらく全ドイツ軍のなかでも最も頑強な戦闘部隊」と語り、
有名なアレキサンダー元帥の言葉も紹介しています。
「8時間もこのような猛砲爆撃を受けても生き残るとは、とても考えられないことだった」。

Cassino, Granatwerferstellung.jpg

1944年6月6日、遂に「オーヴァーロード作戦」が発動され、英米軍がノルマンディに上陸
チャーチルも「米軍の上陸地点の1か所に重大な困難が起きましたが、今は解決しました」と
トム・ハンクスも苦労した「血のオマハ・ビーチ」にさらりと触れたスターリンへの
電報を送った後、駆逐艦ケルビンに乗船してフランスから帰国する際、
「せっかくこんな近くまで来たのだから、一発ぶち込まない手はないだろう」ということで、
ドイツ陣地に向かってわざわざ近づき、全砲門の火を噴かせます。
その晩の感想は「楽しい1日だった」。。。

Saving Private Ryan.jpg

やがてパリは開放され、連合軍の作戦は順調に進みます。
そんな間にもロンドンに亡命しているユーゴスラヴィア王ペータル2世
パルチザンを組織するチトーとの不和を解消するため、
ロシア人から贈られた青の制服を着たチトーとも会談するチャーチル。

tito_-_vis.jpg

英国が宣戦布告をし、戦争が始まるキッカケとなったポーランドではワルシャワが蜂起し、
英国に援助を求めます。
すでに近くにまで進軍しているソ連軍に支援を求めるチャーチルですが、
自らの息が掛かったポーランド新政府を作りたいスターリンは冷淡な回答を送り、
動こうとはしません。
「権力を握るために冒険に乗り出した犯罪者グループは、ほとんど武器を持たない
多くのワルシャワ市民をドイツ軍の戦車と銃砲の前に投げ出したのです。
防衛するドイツ軍戦車師団のなかにはヘルマン・ゲーリング師団もあります」。

Powstanie Warszawskie.jpg

遠すぎた橋」、「バルジ大作戦」、そしてあまり知らなかったアテネでの戦いと進み、
いよいよ終戦を見据えた「ヤルタ会談」が開かれますが、
本書での中心はもちろんポーランド問題です。
また、衰えつつある友人、ルーズヴェルト大統領の具合もチャーチルには知らされません。

そしてドイツ軍が壊滅していくに従い、共産主義ロシアと西欧民主諸国は
唯一の絆であった共通の敵を失ってしまったことから、
両者の関係に根本的な変化が生じはじめます。

Churchill and Stalin at Yalta in 1945.jpg

さらにベルリンを巡る問題・・。
1943年当時は、ドイツ占領の際には3ヶ国が平等に軍を配置するというもので、
しかも、ロシアはひとたび国土を取り戻したら、戦争を続行しないだろう・・と
西側が考えていたこともあって、ドイツのロシア地区というのは非現実的な概念に留まる
というものであったそうですが、実際はベルリンへ一番乗りを果たしたのは、
非現実的なハズであった共産主義国家です。

チャーチルの「勝利のVサイン」も束の間、1945年6月には英国での総選挙での演説に奔走し、
米国の新大統領トルーマンと、完成した「原爆」、そして戦争を継続する日本・・。
しかし、7月の総選挙の結果がもたらしたものは、チャーチルの辞任です。

Churchill_waves_to_crowds.jpg

この最終巻は副題「勝利と悲劇」となっているように、チャーチルにとって完全勝利とは
とても言えるものではなく、ポーランドと東ドイツ、そしてユーゴやその他東欧の国々が
共産主義国家となっていったことが「悲劇」であるわけで、
自身の力が及ばなかったことを悔い、終戦へと進む過程でも「勝利」に向けた爽快感より、
むしろ悲壮感の方が強くなっていった印象を持ちました。

興味のあった戦略爆撃については、ほとんど記述がありませんでした。
せいぜい、軍需相シュペーアが窮地に追い込まれた話を書いて
「我が偉大な爆撃軍は使命を果たした・・」というような程度です。
ベルリン占領を諦めたアイゼンハワーに対しても、毒づくこともなく・・。

Churchill-with-son-and-grandson-Coronation.jpg

全4巻を通じて、政治家チャーチルが第二次世界大戦を振り返る・・ということから、
政治的な話が中心かと想像していましたが、そんなことはありませんでした。
東部戦線はともかく、英軍の戦いは、それぞれ詳細でバランスも良く、
良く調べ上げているなぁ・・という印象を持ちましたし、政治の部分でも
真実を語るという観点から、米ソ首脳と交わした「書簡」も多く載せています。

これは第1巻の最初に書いたとおり、当初の膨大な回想録から戦争の部分だけを
うまく抜き出した結果によるものなのでしょう。
第二次世界大戦を個人的に総括したものという意味では、確かに見事なものでした。
次は、同じく英国人の書いた「第二次世界大戦」という本・・・、
リデル・ハートの「第二次世界大戦」をいってみようと思ってますが、その前に
「参謀総長の日記―英帝国陸軍参謀総長アランブルック元帥」も気になるなぁ。





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