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ナチ親衛隊知識人の肖像 [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

大野 英二 著の「ナチ親衛隊知識人の肖像」を読破しました。

ちょうど10年前に発刊された、経済学が専門の京大名誉教授が書かれたものである本書。
「1年間の研究ノート」というだけあって、さすが難しいというか、難解ということで知られていますが、
まぁ、そう言われると、どんなもんかちょっと試してみたくなりました。
登場人物は表紙の5人、いくらなんでも日本語だし、英語や独語の本よりはわかるだろ・・
という感じで、336ページの本書に挑んでみました。

ナチ親衛隊知識人の肖像.jpg

「はじめに」ではこのタイトルである「ナチ親衛隊知識人」とは何を指すのか・・が書かれています。
それはナチズムの体制を支えたドイツの若い知識人、特に本書では国家保安本部(RSHA)における
親衛隊知識人に焦点を当て、考察したい・・ということです。

ではドイツの若い知識人・・という定義はなにかというと、1900年~1910年に生まれた
「戦時青少年時代」の世代を指し、ソコに含まれるのはラインハルト・ハイドリヒ、ヴェルナー・ベスト、
アルフレート・ジックス、オーレンドルフにカルテンブルンナーといった本書の5人です。

また、この世代にはヒムラーやゲシュタポのミュラー、「ヒトラーの建築家」シュペーアも含まれ、
逆にこのようなナチ体制に反抗した「戦時青少年時代」の人物としては
ドホナーニ、ボンヘッファー、ヘルムート・ジェームズ・フォン・モルトケに、シュタウフェンベルク
文化人ならマレーネ・ディートリッヒに、レニ・リーフェンシュタール、そしてカラヤンが該当します。

Herbert von Karajan.jpg

第1章はハイドリヒですが、個人的にはこのハイドリヒが知識人というカテゴリーに入るのか
若干、疑問に思っていましたが、本書の紹介では「エリート意識の強烈な知識人」として、
ハイドリヒという「悪霊」のごとき人物を欠いては、RSHAの親衛隊知識人を語ることはできない・・
といったことのようです。

そして「親衛隊知識人の類型の特徴をなし、急進的なフェルキッシュな思想を持った、
即物性に徹した若いテクノクラートという性格が認められる」という表現で進みます。。。
ハイドリヒの1ページ目からこの書きっぷりですから、特に「フェルキッシュ」や
「テクノクラート」くらいの意味は朝飯前・・という方でないと、この後、結構しんどくなります。

Reinhard Heydrich teenager.jpg

展開としてはハイドリヒの生い立ちから語られ、ユダヤ人の血を持っていたのでは・・という話、
安楽死計画(T4作戦)やヴァンゼー会議、そしてアインザッツグルッペンの殺戮部隊の様子も
詳しく書かれています。
とくに本書では出動集団、出動部隊(アインザッツコマンド)と訳されるこの部隊ですが、
指揮官の多くは法律家であり、医師やオペラ歌手、そしてほとんどが30代の
若い知識人であったということです。

最後にはプラハでの暗殺の過程と、国葬ではベルリン・フィルハーモニーが
「葬送行進曲」を演奏したという話で終わります。

続いては初期のRSHAで人事局長も務めたヴェルナー・ベストの登場です。
彼は「髑髏の結社」を読んで気になっていた人物ですが、フランクフルト大学で法律を学び、
1930年にはナチ党へ入党します。
そしてこの理由を本書ではこんな感じに書いてます。

SS-Obergruppenführer Dr. jur. Karl Rudolf Werner Best.jpg

「ヒトラーの世界観はナショナリズム、社会主義、オーストリア的大ドイツ主義、
ウィーン的刻印の反ユダヤ主義といった寄せ集めに他ならず、
ナチ党のイデオロギー的理論的な特徴づけが弱いため、ベストは彼の
「フェルキッシュ有機体思想」ないし、革命的エリート的概念が党綱領の明確さを増すのに
寄与するものと考えたのである」。
ふ~、こうして書いててもわかったような、わからないような・・。

ハイドリヒが長官を務める初期のゲシュタポにおいて、その代理という役職に就いたベスト。
国民に対し、自発的な通報や自発的な密告を激励することで
ナチス・ドイツは密告に支えられた「自己監視社会」へと向かいます。

Gestapo-Headquarters.jpg

しかし1939年になると、国家警察と党の機関であるSDなどが組織上、人事上の問題で
複雑に絡み合い、ベストが保安警察の指導的地位に、法学を学んだ大学出を
採用しようとしたことから、大学出ではないハイドリヒが異を唱え、ゲシュタポのミュラーや
シェレンベルクらからも猛烈な反対を受けます。

また、ポーランド侵攻ではアインザッツグルッペンの構成と指導に従事したようで
その後は占領したフランスの軍政に携わりますが、これはすでにRSHA本部を離れていた
彼にとってゲシュタポのような仕事ではありません。
そのためか、ヒトラー命令によるレジスタンスに対する報復としての人質射殺も強硬に反対。
そして大使としてデンマークへ・・。
この人は複雑な人物ですから、本書の50ページほどではとても理解しきれないですね。

Wonder if it is in France.jpg

1935年にSD本部に採用されたフランツ・アルフレート・ジックス
SDにおけるただひとりの教授であり、大学出のベストとも仲の良かったジックスですが、
やっぱりSDの知識人化を嫌うハイドリヒと上手く行かず、武装SSに志願・・。
しかしバルバロッサ作戦とともにアルトゥール・ネーベのアインザッツグルッペンBへ送られますが、
「同格」の局長であるネーベから、なんら命令を受けようとしません。
結局はハイドリヒが死んだことで、RSHAから外務省に移る道が開かれたジックス。
外務省文化・情報部長に任命されるとなると、「ベルリン・ダイアリー」を思い出しました。

Franz Alfred Six.jpg

ジックスは戦後の裁判でアインザッツグルッペンに関与していたものの、
20年の禁固刑で済みましたが、次のオットー・オーレンドルフは死刑です。
少年時代から政治に関心を向けていた彼は、1925年、18歳でナチ党に入党します。
1939年にはRSHAⅢ局の局長となったオーレンドルフですが、
トップであるバイエルン人のヒムラーとの対立もその気質の面からも多くあったようです。
ヒムラー曰く「我慢のできない、ユーモアを欠いたプロイセン野郎で、非兵士タイプで、
敗北主義者でインテリ畜生」というものです。

SS_Brigade_Fuhrer_Otto_Ohlendorf.jpg

そしてアインザッツグルッペンDの指揮官として、女子供を含む9万人のユダヤ人と
民間人を殺戮したオーレンドルフ。
これを「兵士の厳しさと政治的明確さが欠けている非兵士的な軟弱な知識人を
大量殺戮へ巻き込むことで、ナチズムへの無条件の忠誠を強い、運命共同体として
反対派となる可能性を奪い、RSHAに適応した道具にしようとした」ハイドリヒの意図によるもの・・
だとしています。

Einsatzgruppen2.jpg

5人目はRSHA長官ハイドリヒの後任となったカルテンブルンナーです。
1930年にオーストリア・ナチ党へ入党し、ゼップ・ディートリッヒの勧めでSS隊員となったそうですが、
このちょっと不思議な話は、オーストリアSS本部がミュンヘンにあり、
ゼップの指揮下にあったことのようです。

アンシュルスに向け、オーストリア・ナチ党とカルテンブルンナーが貢献する様子も詳細で、
ザイス=インクヴァルトグロボクニクなどが随所に登場してきます。
そして彼らはオーストリアを「ライヒに帰す」ことを目指し、ドイツ軍のオーストリアへの進軍に反対して
ヒトラーを説得しようとした・・というのは初めて聞く話ですね。

Wien, Arthur Seyß-Inquart, Adolf Hitler,Himmler,Heydrich, Kaltenbrunner.jpg

ヒムラーによって新たにオーストリアのHSSPF(高級親衛隊・警察指導者)に任命された
カルテンブルンナー。しかし、その地域のすべての親衛隊と警察力を監督するHSSPFという
新たな役職を危惧するのはやはり、ハイドリヒです。
シェレンベルクとアイヒマンをウィーンへ派遣して、保安警察(ゲシュタポと刑事警察のクリポ)と
SDに対し、ハイドリヒに忠実であることを求め、秩序警察のダリューゲも同様に、
秩序警察(オルポ)本部長からの司令のみを受けるようにと手をまわして、
カルテンブルンナーの権限を大幅に制限します。

Himmler _ Kurt-Daluege.jpg

本書の主役5人は、同じ時代に同じ組織に属していたわけで、当然、本書全般で
彼らを取り巻く「脇役」たちもヒムラーを筆頭に同じようなメンバーが登場してきます。
そんな中でRSHAの人事局長、シュトレッケンバッハSS中将が大変気になりました。
特にハイドリヒ暗殺後の空席に彼が代理となっていたというのも初耳でしたし。。。

Bruno Streckenbach.jpg

「あとがき」では、本書の執筆を進めていく過程で「親衛隊知識人の対極をなす
ドイツ知識人の抵抗運動に対する関心が強まり・・・」とありますが、
この記述を読んで本文の展開に納得がいきました。

また、「書下ろしは初めての試みであり、不備な点や意を尽くさない点も多いが、
大方のご批判を受けたく・・」とのことですので、
この京大名誉教授に畏れ多くも物申させていただければ、
確かに主役の親衛隊知識人から始まるものの、途中から関係者や
赤いオーケストラ」など別組織の記述が多くなったり、
そしてソレが主役の親衛隊知識人にどれだけ関係しているのか良くわからないまま進んでいきます。
やがて主役の親衛隊知識人に戻ってくるわけですが、やっぱりその関連性と重要性が
良くわからず・・という印象でした。

当初の親衛隊知識人を研究していくうちに、興味の湧いたその他の人物も同レベルで
記述してしまっていることから、焦点がぼやけてしまっているのではないでしょうか?
それでも、特にベストやジックスといった人物が詳しく書かれた本は皆無ですから、
彼らに興味のある方は、チャレンジする価値もあるんではないでしょうか。



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ナチスの発明 -特別編集版- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

武田 知弘 著の「ナチスの発明」を読破しました。

表紙にも書かれている「ロケット」、「ジェット機」、「ヘリコプター」、「聖火リレー」は
この「独破戦線」でも紹介し、自分でも「ナチスの発明」と理解していたものですが、
フォルクスワーゲンやラジオ、そして医学など、「ナチスの発明」とされているものを
本書は250ページでまとめているということで、気楽な感じで読んでみました。

ナチスの発明.jpg

「はじめに」ではナチス・ドイツで発見・発明されたものは黙殺されていることが多い・・
と書かれている本書。第1章は「世界を変えたナチスの発明」です。
「コンサート技術はナチスが作った」は、10万人を収容するツェッペリン広場での
ニュルンベルク党大会の派手な演出や、100台以上埋め込んだスピーカー、
高射砲のサーチライトを巧みに使った幻想的な効果も有名ですが、ここでは
ミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイが「ヒトラーはロックスターだ」とか
意志の勝利」を15回以上観て、ヒトラーのパフォーマンスから観客を陶酔させる方法を学んだ」
という話が印象的でした。
そんなわけで、早速「意志の勝利」のDVDを買いました。いま500円で売ってるんですね。

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次の「アウトバーン」も当時の失業者対策として見事な事業だったというのも
良く知られていますが、長い直線や急カーブがなく、適度なカーブにしているなど
人間工学の観点からも事故が起こりにくいように作られているそうです。

hitler-autobahn.jpg

1936年のベルリン・オリンピックの「聖火リレー」は以前に書きましたが、
その他にもレース判定のために1/1000秒まで計れるカメラが開発されたり、
テレビ中継が初めて行われたりと、いろいろありますね。

V2ロケット」ではその開発者である若き「宇宙狂」フォン・ブラウンが詳しく紹介され、
自らの開発の成果が「報復兵器」となってしまうと、この戦局悪化の時期に
月ロケットの開発を極秘で続けた挙句、これが発覚してゲシュタポに逮捕・・。
ヒトラーのとりなしで釈放されますが、敗戦と同時になんとか米軍に投降し、
その後はNASAに招かれて、アポロ計画に従事する・・という波乱万丈の人生を
知ることができました。

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「ヘリコプター」は女性テストパイロット、ハンナ・ライチュが飛ばしたのは知っていましたが、
その後は、軍用ヘリとしてFa-223というのも開発されたそうです。
しかし生産されたのは11機に留まり、戦後は英国に接収されたとか・・。

Fa_223.jpg

その他、テープレコーダーに、ウィルスの撮影に成功した電子顕微鏡の話などは
なかなか印象的でした。

第2章の「ナチスが目指したユートピア」では、ドイツ語で「大衆車」の意味である
フォルクスワーゲンの登場です。
前途のフォン・ブラウン同様、ポルシェ博士の生い立ちから始まり、
カーマニアのヒトラーによって、この大計画を一任される過程が書かれています。

Hitler_Volkswagen.jpg

タバコ嫌いで酒も嗜まず、肉も控えるなど健康に気を使っていたヒトラー。
ドイツは第三帝国以前から、医学は進んでいたこともあって、本書でも
「ガン対策」にも取り組んでいたそうです。
特に1943年にはアスベストを起因として肺ガンになるとしていたというのは凄いですね。

第3章ではゲッベルスヒムラーゲーリング、シャハト、ボルマンが紹介され、
ユダヤ人迫害も含む、一般的なナチス第三帝国概要を解説。

Hitler Schacht.jpg

最後の第4章「夢の残骸」では、ヒトラー最大の夢、「世界首都ゲルマニア」構想が、
建築家シュペーアと共に詳しく語られます。
フォルクスハルという名の18万人収容の巨大ドームは東京ドームの28倍という大きさ・・。
ナチ党大会用のニュルンベルク・スタジアムは、40万人収容・・・。
ちなみにこの工費は2億マルク。しかし「ビスマルク2隻より安い」とヒトラーは語ったとか。

Speer_Germania Dome.jpg

〆には「広島の原爆はナチス製だったという説」や「ナチスUFO説」が登場し、
特に「円翼機」フリューゲラートという円盤型戦闘機のBMWによる開発にもちゃんと触れて、
有り得ない話ではない・・としています。
円翼機ではないですが、ステルス型のゴータ Go229やホルテン Ho Xなど変わり種も
研究/開発していたドイツですから、確かに有り得なくもないかな??
矢追〇〇先生のトンデモ本として世に知られる「ナチスがUFOを造っていた」も
ちょっと読んでみたくなりました・・。

ho_x_model_1.jpg

「おわりに」で、ナチスの時代をただ真っ黒に塗りつぶしてきた歴史観は、
そろそろ修正されなければならないのではないか・・と締め括られます。
個人的にもその「真っ黒」な部分に興味があって、この「独破戦線」を続けているので、
その意味では気軽ながらも、公正に書かれた1冊だと思います。
結構、いろいろな話に興味も湧きましたし・・。

Nürnberg, Reichsparteitag, Adolf Hitler vor Lichtdom.JPG

ちなみに本書「特別編集版」は2008年の発刊ですが、2006年にオリジナルが出ています。
違いが何なのか・・、本書には書いていないのでわかりませんが、
amazonで、こちらの方が安かったので購入しました。
まぁ、購入した・・というより、実はタダでした。「良い」だったのが1ページ破れを発見したとかで、
「無料でお送りします」ということです。こんなこともあるんですね。









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第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カールハインツ・ミュンヒ著の「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」を読破しました。

2年半前に3800円で購入していた、495ページの大判写真集を遂にやっつけました。
大日本絵画の大判戦車写真集のなかでも、この厚さは一番だと思いますが、とにかく重い!!
この特定の戦車大隊史というマニアックそうなテーマに尻込みしていたのも確かですが、
なんといっても、コレをやっつけるには2日間外出せずに読み倒す・・くらいの気合がないと
独破できそうもないと思い続けていた、厚くて、重くて、素晴らしい写真集です。

第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集.jpg

ドイツ語の"シュヴェーレ・パンツァーイェーガー・アップタイルング"を
本書のタイトルと部隊名である「重戦車駆逐大隊」訳している本書ですが、
パンツァーイェーガーは「戦車猟兵」とも訳されていることにも触れたうえで、
「"重"火器の装備で敵"戦車を駆逐"する"大隊"」といった意味を解説しています。

そしてこの第653重戦車駆逐大隊の母体である「第197突撃砲大隊」の創設と
戦歴が1940年から詳しく解説。もちろん、Ⅲ号突撃砲の写真も満載です。
バルバロッサ作戦と、翌年の「青作戦」でも南方軍集団に属し、2回に渡る
セヴァストポリ要塞攻略戦に参加、最終的には「モロトフ堡塁」や「GPU堡塁」の攻略に
貢献した経緯なども、当時の軍曹の日記などを抜粋しながら紹介しています。
この「第197突撃砲大隊」は「突撃砲兵」にも結構出てきた独立突撃砲大隊ですね。

stug-iii-40-ausf-g-russia-01.jpeg

1943年4月、第197突撃砲大隊は突撃砲から
最新の駆逐戦車フェルディナンドを45両を揃えた「第653重戦車駆逐大隊」と改称され、
夏のクルスクでの「ツィタデレ作戦」に挑むことになります。
姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」と、Ⅳ号突撃戦車ブルムベア42両を揃えた
「第216突撃戦車大隊」と共に「第656重戦車駆逐連隊」としてクルーゲ元帥の中央軍集団の
主力として期待されますが、待ち受けていたソ連の地雷原の前に苦労したようです。

deutsche-Sd.Kfz. 184 Panzerjäger Tiger(P).jpg

特に興味深かったのは「ヒトラーの戦い〈5〉」に出てきた装薬運搬車「ボルクヴァルトIV」を
72両も揃えた無線誘導戦車中隊もこの連隊に配属されていて、
これらが地雷原で決死の大爆発を行い、フェルディナンドが突破を図る・・という戦術や、
単独でも激突したT-34を爆裂して破壊。対戦車砲陣地にも突撃して爆発し、
モロトフ・カクテルによる迎撃を食らっても、その炸裂は敵陣地に絶大な打撃を与えたそうです。
いや~、こういうのは地味ながら頑張ってて好きですねぇ。
もちろん、巨大なフェルディナンドの横を隊列で進む、小さなボルクヴァルトIV・・という
見事な写真も出てきます。

Borgward B IV Sd.Kfz. 301.jpg

さらに連隊の第3大隊であるブルムベアも攻撃第二波として、フェルディナンドの背後から
砲撃を行ったとして、写真もしっかり登場。なかには「エリー」という愛称が書かれたブルムベアも・・。
また、故障により走行不能となった65㌧の大物、フェルディナンドの回収の様子も写真が掲載され、
5両の18㌧ハーフトラックが連結して引っ張るという回収班の離れ業も印象的です。
中盤には専用の回収車「ベルゲ・エレファント」も何枚か出てきますが、これは初めて見ました。

Brummbär and Elefant`s.jpg

クルスク戦後も生き残った数少ないフェルディナンドは東部戦線で戦い続け、
この3両でT-34、70両を撃退したり、まさに重戦車駆逐大隊の名前に恥じぬ戦いぶり。
突然の敵砲撃にひとり残らず雪の中に退避したものの、たまたま訪問して演説中だった
シェルナー大将だけは、直立の姿勢を崩さなかったことに誰もが非常な感銘を覚えた・・
という報告も出てきました。

elefantcargamunicion.jpg

1944年になるとイタリアに上陸した連合軍に対して、第1中隊が出動します。
中隊本部は元イタリア外相チアーノの別荘に居を構え、
ヘルマン・ゲーリング戦車師団とともに任務に就きます。
一方、残りの中隊は東部戦線で武装SS装甲師団ホーエンシュタウフェンフルンツベルクと共に
戦うものの、5月には総統命令によってフェルディナンドから「エレファント」と呼称が変更となったりと、
相変わらずこの窮地でも、良くわからない総統命令出すあの人は相変わらずです。。

Elefant from 1. Kompanie, 653. schwere Heeres Panzerjäger Abteilung. Fallschirm-Panzer-Division 1. Hermann Göring. Anzio.jpg

装甲の厚いエレファントと言えども、直撃弾を浴びた場合にはやっぱり死傷者も出ます。
ペリスコープを覗いていた車長は頭部と目に重傷を負い、右手の指は吹き飛ばされ・・。
他にもキューポラを貫通した対戦車砲弾によって、車長の身体が真っ二つになった・・という
いくつかの例も紹介されます。

Steyr-Puch Sd.Kfz.184 'Elefant'.jpg

一番驚いたのは大隊の要請によりポルシェ・ティーガー(VK4501(P))が指揮戦車として到着し、
その姿も10枚ほどきっちりと写されているところですね。
フェルディナンド/エレファントの写真がこれだけ出てくるだけでもとんでもないのに、
ホント、スゲ~・・と感心しました。

1944年4月20日のヒトラー誕生日に完成品が披露された「ヤークトティーガー」。
非常に感銘を受けたヒトラーは直ちに生産開始を命じ、アルデンヌ攻勢に参加させるべく
訓練も開始しますが、エレファントよりさらに重い80㌧の怪物には故障が絶えません。
この怪物が中心となった第653重戦車駆逐大隊でも変速器の問題点が発覚したことで、
同じくヤークトティーガーで編成を開始していた第512重戦車駆逐大隊にも影響が・・。
この大隊はオットー・カリウスくんの大隊ですね。

Jagdtiger_hitler.jpg

さすがに大戦末期のこの時期、特に連合軍による空からの攻撃に備え、
木や枝などで徹底的にカモフラージュを施しているために、
行動中の鮮明なヤークトティーガーの写真はそれほど出てきません。
それでも工場の生産ラインの様子や、操縦手席の写真などは珍しいものです。

Jagdtiger_34.jpg

本書は見事な写真・・特にほとんどがフェルディナンドという凄まじい写真集であるのと同時に
以前に紹介した「重戦車大隊記録集〈2〉SS編」ように「記録集」でもあります。
ひとつの装甲部隊についてのモノとしては、間違いなく最高でしょう。
この内容からすると、2年半前ではなく、いま独破したことが、理解度も含め、
結果的に良かったなぁ・・と大満足しています。

A_head_in_the_Elefant_panzer.jpg

また、本書の姉妹大隊である「第654重戦車駆逐大隊」も去年の11月に出ましたので
購入予定リストの筆頭にUPしました。
ヤークトティーガーではなく、ヤークトパンターで戦った、こちらの大隊の本は、
その名も「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集―第654重戦車駆逐大隊」で、
この495ページを遥かに上回る、627ページ!、8925円という凶暴な1冊です。
今年は無理かな・・、まずは筋トレしないと・・。





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切手が伝える第二次世界大戦 -メディアとしての切手- [切手/ポスター]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

印南 博之 著の「切手が伝える第二次世界大戦」を読破しました。

今回はちょっと変わったテーマで第二次世界大戦をお勉強です。
それは「切手」・・。この「独破戦線」では独英のニセ切手戦争の行われた「ヒトラーの贋札」、
チェコで暗殺されたハイドリヒのデスマスクをあしらった「ハイドリヒ記念切手」や、
そして1936年の冬季オリンピックでの「スキージャンプ切手」を紹介していますが、
実のところヴィトゲンシュタインは幼少の頃、切手コレクターだったんですね。。
なので、このような切手と第二次世界大戦・・というものにはとても興味がありました。

切手が伝える第二次世界大戦.jpg

「スペイン内戦」から始まる本書は、有名なピカソの「ゲルニカ」切手やフランコ切手が登場し、
その後の500点以上の切手もすべてカラー、キャプションでは切手の簡単な説明と
発行国が書かれています。そしてページ下段には、
各々の戦役もダイジェスト的に解説されていて、なかなか丁寧な印象ですね。

「日中戦争」と「ノモンハンの戦い」に続いて、いよいよ1939年の「ポーランド戦役」です。
ドイツ発行の「シュトゥーカ爆撃機」切手、ソ連の勝手な解釈である「解放記念」切手、
占領されたポーランド発行の「瓦礫の中のワルシャワ」切手なども出てきますが、
これらはさすがに戦後の発行でしょうね。

Briefmarke_Luftwaffe_Junkers 87 on stamp.jpg

続いては「フィンランド戦争」をソ・フィン双方の切手で紹介し、
ラプラタ沖海戦」ではポケット戦艦グラーフ・シュペーと、その相手の英艦隊を
美しいカラーの絵の4枚綴りで出てきます。
「潜望鏡を除くUボート艦長」切手はエーリッヒ・トップだなぁ。。

Briefmarke_Grossdeutsches Reich.jpg

バトル・オブ・ブリテン」も独英の戦闘機の美しいカラーの絵の4枚綴りで、
これはマーシャル諸島の発行だそうです。戦後のシリーズもののようで
これ以外にも、「バルバロッサ作戦」や「クルスク戦」など、有名な戦役は
ほとんど網羅しているほど、頻繁に登場します。

1943 WWII Tank Battle of Kurst Tigers vs T34 Tanks set of 2_1941 WWII Germany Invades Russia with Tanks on Mint Postage Stamp.jpg

なぜマーシャル諸島なのか・・?ということは、「はじめに」に書かれていて、
現在でも国営事業として切手を発行している国がほとんどであり、
特にマーシャル諸島などは、外国のマニアに販売することで国庫を潤すことを
目的としているそうです。

Two peoples and one struggle_1938_stamp.jpg

「イタリア軍砂漠で敗走」となると、ヒトラーとムッソリーニ共同の切手が発売され、
「真珠湾攻撃」からは太平洋戦争が幅を利かせ始めます。
しかしここでは珍しく日本の「真珠湾攻撃」切手や「マレーの"鉄牛部隊"」切手が登場します。
これは、日本では戦時中、軍事関連の切手は十指に満たないほどしか発行しなかった・・
という理由によるもので、エース戦闘機の「零戦」も登場させなかったということです。
そして戦後しばらくたってから、外国で30種以上の「零戦」切手が発行され、
戦時中の名作というべきシリーズ切手を発行していたドイツでも、
メッサーシュミットBf-109などが戦後の鉤十字NG法律のため、発行されていないそうです。

真珠湾攻撃.jpg

スターリングラード」ではさすがに勝敗の決した戦役だけあってか、ドイツの切手はなく、
戦後のソ連切手がほとんどですが、「スターリングラードで戦うルーマニア軍」という
ルーマニアで発行された切手がなんとも物悲しい気持ちになりました…。

この後に出てくる有名な独ソ戦役は、もちろん「モスクワ攻防戦」です。。。
まぁ、事実は1年前ですが、このスターリングラード戦と同時に行われている
タイフーン作戦」というのも、想像したら笑ってしまいました。

Briefmarke_Infantrie Handgranatenwerfer Wehrmacht Heer.jpg

1943年の「イタリア本土戦」でも、なぜか1年前の「ハイドリヒ暗殺」関連切手が登場しますが、
ドイツで発行された例のデスマスク「ハイドリヒ記念切手」の他にも、
チェコで発行された「英雄」切手、ヤン・クビシュとヨゼフ・ガブチックが描かれた切手も・・。
ふ~ん、こんなのもあるんですねぇ。
殺った方、殺られた方という双方に記念切手があるというのも不思議な感じです。。

J. Kubiš a J. Gabčík.jpg

ここからは戦局は完全にソ連寄り・・。レニングラードも開放されて「解放記念」切手も当然、
ベルリン陥落記念」切手では白馬のジューコフ元帥の図柄もありました。
ワルシャワ解放」でのポーランド蜂起軍といったポーランドの切手も気になるなぁ。

Великая Отечественная война 1941 - 1945 гг.jpg

最後は「原爆」切手で締め括られます。
これらは当時存在しなかった国によって、原爆投下図案の切手が発行され続けているそうですが、
米国は「大戦50周年シリーズ」切手にそれを含める予定であったものの、
日本の反対にあって、変更せざるを得なくなったそうです。

120ページの本書は、ヨーロッパでの戦争と太平洋戦争の割合は半々・・といったところでしょうか。
やっぱりオールカラーというのが嬉しい一冊で、「コレ欲しいなぁ・・」なんて思いながら、
ジックリ楽しみました。
ただ、個人的には、「戦中に発行された切手」に興味があるので、
キャプションに発行年を記載して欲しかったですね。

Grossdeutsches_Reich_-_Reichsarbeitsdienst.jpg

ちなみに小学生の時に集めていた切手は、「日本郵便」の未使用切手に限定していて、
近くの郵便局に「1円切手を1枚ください」と買いに行ったときには、
局のお姉さま方に笑われた記憶が残っています。
そのコレクションはすべて従弟に譲ってしまいましたが、
今回、沸々と切手コレクター魂に火が付きつつあります・・。
もし集めるなら、第二次世界大戦当時のドイツの未使用切手限定ですね。
ヤフオクで調べてみましたが、そんなトンデモなく高いもんでもないようで、
「ハイドリヒ記念切手」が800円、「ヒトラー骸骨切手」が5000円。。
予想の1/5くらいでビックリしました。

1944, Wehrmacht II.jpg

これは本書の「あとがき」で述べられていることに関係があるのかも知れません。
「このようなテーマの切手は日本の世情に合わないせいか、展覧会の他にアピールの場がなく、
美術、スポーツ、乗り物などほとんどの切手に収集者の団体があるのに、
軍事、戦争だけは存在しない」。

ナチス・ドイツ関係の切手、葉書、封筒に絞った「切手が語るナチスの謀略」という本も
あるようなので、もう少し勉強してみます。



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海戦 連合軍対ヒトラー [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ドナルド・マッキンタイア著の「海戦 連合軍対ヒトラー 」をやっと読破しました。

ハードカバー上下2段組みで450ページのこの大著を購入したのは、ほぼ3年前のこと。
以来、10ページほど読んでみては「こりゃ無理だ・・」ということで、撃沈していましたが
今回こそは、元英海軍だった本書の著者に一泡食わせてやりました・・。
もともと本書を購入したのも、このマッキンタイアという人が「Uボート・キラー」として
名を馳せた人物であり、駆逐艦ウォーカーの艦長として、かの大エース、
U-99のオットー・クレッチマーを仕留めた男・・ということを聞いたからでもあります。。

海戦.jpg

「プロローグ」は1939年、ドイツのポーランド侵攻により始まった「海戦」。
陸上では英仏との「まやかし戦争」の真っ只中ですが、海上ではUボートとポケット戦艦による
通商破壊作戦が行われており、艦長ラングスドルフ大佐グラーフ・シュペー号
英海軍の重巡洋艦エクゼターやエイジャックスとの砲撃の末、
モンテビデオ港で自沈するまでが語られます。

german-pocket-battleship-graf-spee-sinking-following-battle-of-river-plate-in-uruguay.jpg

こうして第1章の「ノルウェー侵攻」へ・・。
ドイツがスウェーデンの鉄鉱石をノルウェーから運び出すことに懸念を感じていた英国海軍省の
チャーチルにより、中立国ノルウェーを占領してしまおう・・という情報を手にしたヒトラーによって
先手を打つべく「ヴェーザー演習作戦」が発動されます。
この「海戦」は本格的な第二次世界大戦の序章とも言えるものですから、さまざまな書物に
書かれています。しかし、本書の内容は徹底していて、レーダー元帥指揮のこの作戦に参加する
6つのドイツ艦隊も各艦名も明記し、実に詳しく解説しています。

Raeder.jpg

英海軍との戦闘だけではなく、ノルウェー海軍とも戦うドイツ海軍部隊。
軽巡カールスルーエが魚雷によって致命的な損害を被ると
同じケーニヒスベルクも航空機によって沈没した初の大型艦となり、
先頭を行く重巡ブリュッヒャーは早々に海底に葬り去られ、
ポケット戦艦リュッツォーも1年間は動けなくなる損害を・・。
もちろん英海軍出身の著者ですから、英側の記述はさらに詳細です。

Schwerer Kreuzer Blücher.jpg

そして著者はこのようなノルウェーでドイツ海軍が受けた大きな損害がなければ、
その後の「ダンケルク」での英大陸派遣軍の大撤退の情勢は遥かに悪くなっていただろう・・
としています。

続いては大西洋の戦い。「HX船団」や「SC船団」の略称の解説から、
Uボートを助けるために登場してきた英沿岸航空隊のどの飛行機よりも長い航続力を
持っていたというFw-200、通称「コンドル」も厄介者といった雰囲気で紹介されます。

Focke-Wulf_Fw_200_C_Condor.jpg

ポケット戦艦アドミラル・シェアや重巡アドミラル・ヒッパーの単独艦での活動や
戦艦ビスマルクの「敵味方を問わず、素晴らしい艦につきまとう苦悩に満ちた痛ましい最期」
の物語が語られます。
しかし通商破壊作戦の主役、Uボートがここから幅を利かし始めます。

lutjens salute_battleship Bismarck.jpg

U-48のレージング少佐という珍しい話も出てきますが、ここからはやはり、3大エースである
U-47のプリーン、U-100のシェプケ、そしてU-99のクレッチマーが主役です。
特にクレッチマーはやはり特別扱いで、当時のU-99の航海日誌までも掲載。。

Hans Rudolf Rösing.jpg

そして運命の狼群vs駆逐艦の戦い。プリーンとシェプケは戦死し、クレッチマーは捕虜となります。
この有名な海戦もさすが当事者だけあって、詳しく書かれていますが、
駆逐艦ウォーカーの「艦長」はこれ見よがしに登場することなく、
捕虜となったクレッチマーとの対話などは出てきませんでした。
ひょっとすると未訳の「Uボート・キラー」には書かれているのかも知れませんね。

Kptlt. Kretschmer (right) after patrol on U-99_Walker V & W-class Destroyer.jpg

巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウに重巡プリンツ・オイゲンがドーヴァー海峡を突破する
ツェルベルス作戦」では、当時のドーヴァーの英海軍部隊の兵力を検証し、
このようなスタンスです。。
「このような弱い兵力が自力で、強力なドイツ艦隊の海峡突破を阻止できる可能性は少なく、
ドイツ艦隊を阻止する第一の責任は英空軍にあったということを、
はじめにハッキリさせておく必要がある」。

The 203 mm Guns of the German Heavy Cruiser 'Prinz Eugen'..jpg

中盤は個人的にメインな部分と感じた「地中海の戦い」です。
「この新しい急降下爆撃機の、その攻撃技術と正確さにはまったく感嘆せざるをえなかった」
と紹介されるドイツ空軍の戦いは、それまでの相手だったイタリア軍とはワケが違います。。。
クレタ島の戦い」に続いて「マルタ島の戦い」へ。
北アフリカのロンメル軍団に対する補給を切断するため、ドイツ空軍怒涛の空爆から
必死に島にしがみつき、さらには補給も送ろうとする英艦隊。

Luftangriff der Achse auf britische Kriegsschiffe im Seegebiet zwischen Cyrenaika und Malta.jpg

しかし空母アーク・ロイヤルがグッゲンベルガー大尉のU-81に撃沈され、
戦艦バーラムもフォン・ティーゼンハウゼン少佐のU-331の魚雷によってバラバラに・・。
この話は知りませんでしたが映像も残されているみたいですね。

von Tiesenhausen.jpg



ドイツの水上艦隊が出てこない代わりにイタリア艦隊が終始、及び腰で
ちょくちょく出てくるのは笑えましたが、特別に印象的だった話は、
「イタリア軍が得意とする個人作戦」という、2人乗の有人魚雷でのとんでもない活躍でしょう。
この不敵なイタリア人たちはアレクサンドリア港に侵入し、戦艦ヴァリアントと
クイーン・エリザベスの艦底に時限爆薬をセットし、見事、爆沈させたということです。
いずれにしても、ロンメルにケッセルリンクも登場する、このボリュームたっぷりな
地中海の章だけでも一冊の独立した本であってもおかしくない・・と思います。

Maiale manned torpedo.jpg

後半は暖かい地中海から一転、厳寒の北海での戦いです。
スターリンの要請により、ソ連へ軍事物資を運ぶための「PQ船団」。
なかでも最も知られた「PQ17船団」の興亡が非常によく、書かれています。

戦艦ビスマルクで戦死したリュッチェンス提督の後任の新司令官オットー・シュニーヴィントと
そのドイツ海軍の戦力、Uボートのみならず、アドミラル・シェアとリュッツォー、
ヒッパー以外にも、戦艦ティルピッツが常にバレンツ海に睨みを利かせています。

tirpitz.jpg

そして40隻にも及ぶ大船団「PQ17」の非情な航海が語られ、
まるで昔話のようなこのお話、狼たちが崇める大魔神ティルピッツが目覚めたと思い込み、
恐れおののいた羊飼いらは大慌てで家路についてしまい、残された羊たちは
次々と狼と大鷲の餌食となって、生き残ったのは1/3・・そんな展開です。

ここまで詳しいものは初めて読みましたが、
もっと詳しく勉強しようと「極北の海戦―ソ連救援PQ船団の戦い」も早速、買いました・・。

最後には、その悪魔のような存在であったティルピッツも戦わずして葬り去られ、
Uボートも劣勢のまま、新型Uボートの開発も間に合わずに・・・。

kriegsflagge_white ensign.JPG

序文では著者マッキンタイアの「感謝のことば」として、引用した文献が掲載され、
そこには「デーニッツと灰色狼」のヴォルフガンク・フランク著の「Uボート作戦」と
デーニッツ回想録」も含まれていますが、
特に「私がクレッチマーをやっつけたのだ」的なことは書かれていません。訳者あとがきにも・・。

Donald MacIntyre.jpg

まぁ、完全に2冊分のボリュームのある本書でしたが、
あくまで英海軍目線で書かれた本ではあるものの、上記のようなドイツ側の資料も用い、
レーダー、デーニッツをはじめとするドイツの提督たちやUボートや水上艦の艦長にも触れて、
さすが海の男らしく、フェアに書かれたものという印象です。
ヘタをすると「英空軍」よりは、「ドイツ海軍」の方が好き・・とも取られかねない??

ただし、英海軍の戦艦から無数の駆逐艦まで聞いたこともない艦名でしっかり登場するので、
ウッカリしていると、撃沈されたのが戦艦なのか小型舟艇なのかもわからなくなるので、
とんでもない集中力が要求されるのは間違いないでしょう。。

最後に、ちょうどこのレビューに取り組んでるタイミングで、強烈なUボート本が発売されました。
「Uボート部隊の全貌―ドイツ海軍・狼たちの実像」という600ページ越えの大書ですが、
翻訳は、以前に紹介した「大西洋の脅威U99―トップエース・クレッチマー艦長の戦い」と
Uボート戦士列伝―激戦を生き抜いた21人の証言」を訳され、
この「独破戦線」にも度々コメントを戴く「訳者」さんこと、並木 均氏です。
並木さん、いろいろとお世話になり、ありがとうございました。







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