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「ハリコフの戦い」戦場写真集 1942~1943年冬 [パンツァー]

ジャン・ルスタン著の「ハリコフの戦い」戦場写真集を読破しました。

ジャン・ルスタンのこの大判の写真集は「クルスクの戦い」に続いて2冊目ですが、
発刊されたのはこちらが最初になります。
このシリーズは高くてなかなか手が出せませんが、去年の10月に古書を
1800円で購入していました。そこそこ良い買い物と自画自賛しています。

ハリコフの戦い.jpg

タイトルの「ハリコフの戦い」に「1942~1943年冬」と書いてあるように
「ハリコフの戦い」または「ハリコフ攻防戦」と呼ばれるものは、1次~4次までの戦いがあり、
このウクライナの大きな工業都市を巡って、独ソが取って取られてを繰り返した戦いです。
なかでも本書の第3次ハリコフ戦はドイツ側から見て、一番有名な戦役であり、
スターリングラードの第6軍を壊滅させたソ連軍がその勢いで爆走する「土星作戦」によって
窮地に陥ったドン軍集団司令官マンシュタインが「東部戦史上燦然と輝く作戦戦略」を駆使し、
見事、ハリコフを再奪取する・・・というものです。

Third Battle of Kharkov-3.jpg

本書の冒頭には、このようなハリコフ戦の経緯が書かれていて、
一時的な戦略的撤退を進言するマンシュタインvsヒトラーの話も紹介され、
ヒトラーよりも軍集団司令官の命令に従った武装SS装甲軍団長のパウル・ハウサー
そしてスターリングラード戦に一切参加せず、新型戦車ティーガーも受領していた
強烈な武装SS装甲軍団を中心とした劇的勝利までを地図も掲載して解説します。

Kharkov-Hausser.jpg

25ページからは650点に及ぶ写真が次々と登場していきます。
Ⅲ号戦車にⅣ号戦車、Ⅲ号突撃砲もバンバン出てきますが、
装甲兵員輸送車であるSd Kfz 250やSd Kfz 251も様々なバリエーションで登場し、
また、BMW 750のサイドカー(R75) も結構クリアな写真で出てきて、楽しめます。
このドイツ軍のサイドカーといえばやっぱり「大脱走」を思い出しますねぇ。

BMW・R75.jpg

「鹵獲兵器のチェコ製38(t)戦車にロシア製76.2㎜野砲を組み合わせた急造のリサイクル兵器」
と紹介されるのは自走砲であるマーダーⅢです。
他にも88㎜高射砲部隊や補給のコンテナがパラシュートで投下される写真なども・・。
そんな中でSS第1装甲師団「ライプシュタンダルテ」の戦車小隊長リッベントロップ
SS第12戦車師団史」のフーベルト・マイヤー、ホルヒに乗って先頭を行く"パンツァー"マイヤー
戦車部隊を率いるマックス・ヴュンシェヨッヘン・パイパーらの大隊長、
さらにはフリッツ・ヴィットテオドール・ヴィッシュといった重鎮の連隊長も続々と登場してきます。

Kharkov Marder III 1943.jpg

戦車や有名人だけではなく、一般の擲弾兵も数多く写っている本書ですが、
このような兵士が手にしている拳銃も「ヴァルターP38」と書かれていて
久しぶりに、子供の頃を思い出しました。
「ヴァルターP38」というは、日本ではいわゆる「ワルサーP38」として知られているものですが
なんといっても「ルパン3世」のご愛用の銃で、そのエンディング・テーマでも
「ワルサーピーさんじゅうはち~・・この手のなかにぃぃ~」と歌われていることでも有名です。

Walther P38 _waffenss&Lupin the 3rd.jpg



これが起因したのかどうかは覚えていませんが、小学生の時に初めて買ったモデルガンも
黄金に輝く「ワルサーP38」でした。。。
2代目は「ルガーP08」で、今から思うと、自然にドイツ軍のを選んでいたんですねぇ。
本書では他にも「MG42機関銃」などが随所に出てくるので、ちょっとこの手の本が欲しくなりました。
いまサラッと探してみましたがあんまりないんですねぇ。
とりあえず、ムックの「 図説ドイツ軍用銃パーフェクトバ​イブル」でも買って勉強してみます。

Max Wunsch_Kurt Meyer.jpg

表紙はSS第3装甲師団「トーテンコープ」の戦車がハリコフ市内深くへ入っていく場面ですが
師団長のテオドール・アイケがこの戦いで戦死・・。その墓を写したものも2枚出てきました。
またティーガーはSS装甲軍団だけではなく、グロースドイッチュランド師団のティーガーも登場。
そしてこの部隊を率いるのは、あの戦車伯爵シュトラハヴィッツです。

また、本書はこの戦役の写真を時系列で掲載しているので、写真のキャプションしかなくても
戦闘の推移が良く伝わってきます。
郊外の吹き曝しの村々からハリコフ市内へ。。そして極寒の冬から春の日差しへと
彼らのメチャクチャな軍服も微妙に変化していきます。

charkow_witt 1943.jpg

ハリコフ市内をほぼ制圧・・という場面では、マックス・ハンゼンSS少佐が出てきました。
いや~、この人以前から気になっているんですが、さすがに怖いな~。。
特に最前線の緊張感ある顔で、これぞ武装SSの少佐という雰囲気です。
そして師団長のゼップ・ディートリッヒが"パンツァー"マイヤーに「お疲れさん」という連続写真。

Max Hansen.jpg

これで終わりかな・・と思っていたらまだまだベルゴロド攻略に向けて
SS第2装甲師団「ダス・ライヒ」が前進を続けます。
こうして「一部の隙もない戦車搭乗服姿のテュークゼンSS少佐」の写真が・・。
いまのところ一番のお気に入りのSS隊員が最後の最後で大トリを務めてました。
このキャプションでも「タイクゼン」と書かれているものもあると解説されているように
発音が難しい人(Tychsen)ですね。タイヒゼンというのもありました。。

Christian_Tychsen4.JPG

冬の戦いの写真集・・という意味で、雪まみれの不鮮明な写真が多かったらと
実は若干、心配でしたが、予想以上に楽しめる一冊でした。
逆にこの寒さの中での戦いの大変さがよくわかりましたし、
戦車や兵器、有名人と写真のバランスも良く、初めて軍用銃にも興味を持ったりも・・。

次は「続・クルスクの戦い」かなぁ。。





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父の国 ドイツ・プロイセン  [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴィプケ・ブルーンス著の「父の国 ドイツ・プロイセン」を読破しました。

「プロイセン」関連の本を探していたときに、偶然見つけたのが本書です。
このタイトルからはわかりませんが、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件
関与したかどで、処刑された父の姿が映った裁判のフィルムを偶然見た著者が、
大量に保管されていた父、母、祖父、祖母の手紙や日記を読み解きながら、
自身のプロイセン一家と、その時代を掘り下げていくというものです。
著者のヴィプケ・ブルーンスはドイツのジャーナリストであり、表紙の可愛らしい女の子です。

父の国ドイツ・プロイセン .jpg

ベルリンの南西に位置するハルバーシュタットに1790年に設立した
IGクラムロート商事会社が代々、息子に継がれていくクラムロート一族の歴史から始まります。
祖父のクルト・クラムロートが19世紀末に一族の中で初めて軍務についた話では
当時のプロイセンと軍隊や貴族の関係を知ることが出来ました。
商人の地位は貴族や学者、将校団の間に埋もれていて、クルトは
ザイドリッツ第7甲騎兵連隊に入隊し、ようやく「予備役少尉」に昇進します。
本来この「予備役少尉」というのは高貴な生まれを意味し、貴族しか許されなかったそうで、
この称号を手に入れたクルトは、やっと大農場の男爵などへの営業も可能になるわけです。

Dragoner Regiment.jpg

第1次大戦が勃発すると、「予備役騎兵大尉」となっていた祖父クルトも出兵し、
16歳の息子(著者の父)ヨハネス=ゲオルクもその時を待ちわびます。
そして1916年、ケーニッヒスベルクの第1竜騎兵連隊に入隊できたヨハネス=ゲオルクも
ロシア戦線に向かいます。
それにしても著者はルーデンドルフをボロクソに言ってますが、いまのドイツでは
一般的にそういう評価なんですかねぇ。

Erich Ludendorff.jpg

この「ヨハネス=ゲオルク」ですが(英語読みすると「ジョン=ジョージ」ですね)、
ヨハネスはドイツでは一般的に「ハンス」と呼ぶそうで、
本書でもハンス=ゲオルクになりますが、これでは長いので「HG」と記載されています。

ただ、頻繁に出てくるこのハーゲーと発音する「HG」ですが、
どうしてもヘルマン・ゲーリングを思い浮かべてしまいました。
これはヘルマン・ゲーリング戦車師団を「HG師団」などと略して書いてあることが
多いからですが、そうじゃないんだ・・と無理やり考えると、
別の「HG」・・、すなわち「レイザーラモンHG」が頭の中にしつこく登場。。。

ちなみにレイザーラモンHGは人気は下降線ですけど結構好きです・・。
別に自分がハードゲイだからではなく(以前に書いたようにホモ嫌いです)、
「QUEEN」が好きだったからなんでしょうね。
昔、フレディ・マーキュリーはあんな格好してましたから・・。

Freddie Mercury.jpg

とにもかくにも終戦を無事に迎えた親子は、過酷なヴェルサイユ条約と
戦後の大混乱のなかで一族の伝統ある会社を再び、軌道に乗せるため、
また、息子の「HG」は後継ぎとなるため、商人としての修業の毎日です。
商売を学ぶためアメリカへも渡航し、デンマーク人の娘エルゼとも結婚。
1923年には長女も誕生します。

ステーキが1兆マルクというこの超インフレ時代、政治もエーベルト大統領の死去に伴い
ヒンデンブルクが登場し、各党乱立のなかでヒトラーものし上がってきます。
1931年には好奇心から親子でベルリンでのゲッベルスの演説を聞きに行き
その感想は「お笑い種の集会、父も同様に拒否」というもの。
しかしヒトラーが政権を握ると、早々にナチ党へ入党し、さらにはエリート軍事団体のSSで
騎馬部隊を作ろうと、第4予備役突撃隊大隊第21隊のリーダーにもなってしまいます。

goebbels.jpg

結局のところこのナチ政策のために、商売はうまくいかず、多忙のために
ナチ党とSSからは身を引く「HG」ですが、13歳になった長女は「BDM」のグループリーダーとして
600人の少女団体も率い、ニュルンベルク党大会も「すごい!!!」と興奮しています。

German Girls Alliance at Nuremberg Rally.jpg

1938年のアンシュルスは、ドイツ、オーストリア双方の国内を歓喜させますが、
ノルウェーの新聞からその一節を紹介しています。
「これがオーストリア人にとって強姦であるなら、オーストリア人は強姦されるのが好きなのだ」
また、この年、著者であるヴィプケも電光石火の出産で生まれますが、
母親のエルザが「母親十字章」を受けたことを誇らしく思っていたことに触れ、
「繁殖用牝馬として顕彰されたようで、なにか変だなとも思っていたようです」。

Anschluss 1938.jpg

このような成功を収め、絶大な人気を誇るヒトラーによって第2次大戦が始まります。
ポーランド戦では騎兵中隊を率いる「HG」。ポーランド軍の防戦に遭って
大損害を被りますが、ワルシャワの破壊ぶりと市民の苦しむ姿にショックを覚えます。

Polish_kid_in_the_ruins_of_Warsaw_September_1939.jpg

翌年のノルウェー、デンマーク占領に向け、OKW(国防軍最高司令部)へ転属となった「HG」は
穀物商人の身分でコペンハーゲンに送られます。これは彼がデンマーク語に堪能で
商売柄、知り合いも多いということによるものですが、早い話、カナリス提督の
国防軍防諜部(アプヴェーア)の作戦ということですね。
このデンマーク占領当初の、他国とは一線を画したナチス・ドイツの政策も
なかなか詳しく書かれています。

danish_king_christian_x_in_copenhagen_1940.jpg

やがて対ソ戦が始まると、北方軍集団に属する「第3防諜隊」の責任者として
第1次大戦での従軍時覚えたロシア語を駆使して、捕虜やパルチザンの尋問にも当たります。
一方、残された家族は、補給の受けられなくなったロンメルの現在地、
地図でマルサ・マトルー探しを子供たちも一緒になってやったりしています。

1943年、スターリングラードで第6軍が壊滅すると「HG」はベルリンへ呼び戻され、
ペーネミュンデのV2ロケット実験施設の機密防護責任者となり、
これを支配下に置こうとするヒムラーのSSと軍需相シュペーアとの陰謀ゲームにも巻き込まれます。

Peenemünde, Start einer V2.jpg

そして迎えた1944年7月。ヒトラーを暗殺しようとする爆弾が破裂し、その爆弾を準備した
またいとこのベルンハルトや国防軍一小柄というシュティーフ少将、フェルギーベル通信兵大将に
シュタウフェンベルク大佐らともわずか10日前に会っていた「HG」もゲシュタポに逮捕され、
フライスラーが裁判長を務める人民裁判によって、ベルリン警察長官ヘルドルフ
外務省情報部のアダム・トロットらと共に死刑判決を受けてしまいます。
その判決理由は「暗殺計画を知りながら密告しなかった」ことによるものです。

Hellmuth Stieff.jpg

西部戦線にいた息子のヨッヘンは「懲罰部隊666」に放り込まれ、
「HG」の弟で教育省上級参事官だったクルト・ジュニアは、なんとディルレヴァンガー部隊へ転属・・。

本書は以上のような一族の歴史を手紙などを抜粋し、それに対して、
著者が感想やコメントするといった一風変わった形式をとっています。
若いころの両親の熱い手紙も紹介しながら「まったく、なにやってるの?」と
40歳の子持ちの現代女性の観点で当時を検証しています。
特に父「HG」の記憶がない著者がその姿を発見していく展開は後半には緊張感も帯びてきます。
戦争にだけ特化したものではありませんが、当時の人々の生の声が聞こえてくるようで
その生活や考え方もいろいろと知ることができましたし、最後はちょっと「ぐっ」ときました。。。

Hans Georg Klamroth.jpg

最後に今回どうしても気になってしまった「HG」関連をもうひとつだけ・・。
昔、「クルージング」っていう映画もありまして、HG連続殺人事件究明のため、
ゲイに成りすましたアル・パチーノ扮する潜入捜査官がやがてHGの世界にのめり込んでしまう・・
という、同じフリードキン監督の「エクソシスト」よりもある意味コワい映画です。
久しぶりに観たくなりましたが、DVD売ってないなぁ。

Al Pacino CRUISING.jpg




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第二次大戦下ベルリン最後の日 -ある外交官の記録- [第三帝国と日本人]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

新関 欽哉 著の「第二次大戦下ベルリン最後の日」を読破しました。

「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈10〉」でチョロっと登場してきた
当時のベルリン在独日本大使館員であった新関氏が
1988年に書かれた手記のご紹介です。
「ヒトラーの戦い〈10〉」では日本大使館から見たベルリン最終戦の様子が出てきましたが、
本書はその部分をメインに、若き新関氏が在独日本大使館員となった経緯、
そしてドイツと日本という二つの国の終戦を体験するまでが、
時代に翻弄される波乱万丈の青春モノのような雰囲気で書かれているものです。

第二次大戦下ベルリン最後の日.jpg

1938年(昭和13年)、23歳で外務省に入省した著者は、「在外研究員」という制度によって
3年間の留学を進められますが、ドイツ語を学んでいた彼の行先は「リガ」・・
という話から始まります。
すでにドイツ語の研究員がいたため、ウオッカとトロイカしか知らないロシア語を
学ぶこととなったわけですが、当時のモスクワはスターリンの「血の大粛清」によって
トハチェフスキー元帥も処刑されるなど、非常な混乱期であり、
秘密警察GPU(ゲー・ペー・ウー)によって外国人は厳しく監視されるなどの理由によって
このバルト3国のひとつ、ラトヴィアの首都リガが留学地に選ばれた・・というものです。

riga_latvia.jpg

ロシア語の勉強に勤しみ、東ヨーロッパ各国を旅して様々な文化も学んだりして過ごしますが、
ベルリンに到着した翌日、ドイツによるポーランド侵攻が始まり、
リガへの帰路も遮断されてしまいます。
デンマークとスウェーデンを経由してなんとか帰り着いたのも束の間、
今度は、ソ連によるバルト3国侵攻によって、国外退去となってしまいます。

しかし研修期間も残っていた彼はトルコ行きを決め、イスタンブールでの研修生活を続けますが、
「イカの刺身」にやられて、入院・・。60㌔の体重が40㌔まで減り、文字通りの
「骨川筋右衛門」と化してしまいます・・。
さらに独ソ戦も勃発して、シベリア鉄道で帰国する道も閉ざされ、途方に暮れていたところに
ベルリン在独日本大使館勤務を命ぜられる・・という運命であるわけです。

Berlin__Japanische_Botschaft.jpg

そしてここでは大島大使がヒトラーをはじめ、ナチ党や国防軍、さらにドイツ国民からも
非常に人気と信頼があったことなどを紹介しますが、日本の政府に対しては、 
ドイツ一辺倒の自分の考え方を無理やり押し付けようと、行き過ぎたところがあったと語っています。

独ソ戦を中心として戦争の推移がゾルゲロンメルといった有名人も登場しながら解説され、
いよいよ1945年4月、ソ連軍がベルリンに迫ります。
外相リッベントロップからドイツ政府は南ドイツへ移転すると聞かされた大島大使は、
10数台の自動車に大使館員を分乗して4月14日にベルリンを出発。

Oshima_hitler.jpg

しかしベルリン陥落の場合を想定し、占領軍と折衝するしかるべき大使館員が残る必要性もあり、
河原参事官を筆頭に数名の残留組も組織され、著者も参事官補佐役として留まることに・・。
そして4月16日からは「ヒトラーの戦い〈10〉」に出てきた、彼の「日記」をそのままの形で掲載し、
それに若干解説を加える・・というスタイルで進んでいきます。

まず気になった「例の件についてカイテル元帥と会見」という部分ですが、
これはいまだ100隻近くを保有しているドイツUボートが連合軍に引き渡される前に
日本が譲り受けようというもので、デーニッツに対して申し入れを行った後、
カイテルとも話し合ったようですが、ドイツの降伏を前提とした、この身勝手な話は
当然、一向に埒があかなかったそうです。

Berlin 1945.jpg

「袖珍戦艦リュッツォウ号撃沈サル」では、この「袖珍戦艦」という初めて見る表現が新鮮です。
まあ、「袖珍戦艦」とは「ポケット戦艦」のことなんですね・・。
また、あの「ヒンムラー」も本書では、当時の日記だけではなく、
解説でも一貫して「ヒンムラー」でした。
確かに「Himmler」ですから、ちょっと「ン」の発音はしそうです。これは著者のコダワリかなぁ。

Deutschland_Lutzow_Norvege_1942.jpg

ゲッベルスの「敗戦主義者は断固処刑すべし」命令や、
ライマン中将がベルリン防衛司令官に任命さる」、
さらには「シェレンベルクは離伯せる」などと、なかなかの情報が日記には書かれています。
また、西側の空襲は一応警報が鳴るものの、ソ連の砲弾は無警告でいつ、
どこから飛んでくるのかわからず、危険極まりないというのも、当事者しか知らない状況でしょう。

BERLIN  1945.jpg

大使館前で休息しているパンター戦車隊員の話では、
デブリッツ付近でT-34戦車を撃破したそうで、「イヅレモ態度立派ナル青年ナリ」。
しかしこの頃から、大使館の敷地内に入ってくるドイツ軍兵士たちに手を焼くようになります。
鉄兜を被って退去を要求するも、「日本は同盟国ではないか」と食って掛かられたりしますが、
日本はソ連との中立条約があることなど説くと、彼らも大人しく出ていきます。

berlin-destroyed-1945.jpg

そして4月27日の日記には、大使館前の道路をドイツ軍兵士が女子を連れて移動し、
戦車にも女子が出入りする有様は異様に感じるとして、
軍用車両内に女下着が散らばっているのを発見するに及んで、
ソ連の襲撃を逃れようとする婦女子が、兵士と行動や寝起きまでも共にしていると推察します。
「軍律厳シキ独逸軍モ末期的、退廃的症状ヲ露呈スルニ至レルカ」。
これはなんとなく、印象に残った日記の一文です。

遂にヒトラー死亡のニュースももたらされますが、ここでは「非常に迂闊な話であるが・・」として
大島大使以下、大使館員は誰もヒトラーの愛人の存在に気が付かなかった・・ということです。
エヴァ・ブラウンは本当に、対外的に隠された存在だったんですねぇ。

In this trench Kempka burned the bodies of Hitler and Eva Braun.jpg

最後は、占領軍であるソ連軍が大使館に乱入し、ここでも「中立条約」を説くものの、
時計目当てのソ連兵士たちには理解されません。
やがてソ連司令部との折衝とポーランドからシベリアへの汽車の旅。
これはシベリア送りではなく、日本への帰国の道です。
6月末、7年ぶりに日本の土を踏んだ著者ですが、今度は日本の敗戦も経験することになります。

berlin-ww2.jpg

220ページほどなので休日なら一気読みしてしまうボリュームですが、
メインとなる「日記」の部分が漢字とカタカナなので、いつもの倍の時間がかかりました。
これは読みなれてないとなかなか大変です。
しかし、この一文一文が非常に興味深く、不安やその時の状況も目に浮かぶようです。
思った以上にドイツ政府や軍人の名も多く出てきましたし、
当時の日本人の置かれた状況も知ることが出来、全体的に楽しめました。
今度、「最後の特派員」、「ベルリン戦争」、「ベルリン特電」といった日本人の見た最終戦モノを
独破していこうという気になりました。



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ドイツ武装SS師団写真史〈2〉​遠すぎた橋 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高橋 慶史 著の「ドイツ武装SS師団写真史〈2〉」を読破しました。

すっかり発売を心待ちにしてしまっているこのシリーズですが、
早々に購入したものの、すぐに読んでしまうのももったいないので、
袋から出さずに本棚へ直行させていました。
こうしておくと、次に読む本を探した際に気が付かないんですねぇ。
しかし、ちょっとご無沙汰の「武装SS」モノに対する禁断症状からか、
いよいよ、開封の時がやってまいりました。

ドイツ武装SS師団写真史〈2〉.jpg

今回登場する武装SS師団は副題の「遠すぎた橋」のとおり、
モントゴメリー元帥発案によるマーケット・ガーデン作戦を見事粉砕し、
映画でも「あの橋は遠すぎたな・・」と言わしめたSS第9戦車師団「ホーエンシュタウフェン」と
SS第10戦車師団「フルンツベルク」が主役です。
そして後半は、SS第34義勇擲弾兵師団「ラントストロム・ネーダーラント」と
SS第29武装擲弾兵師団「イタリア第1」という、スーパー・マイナー師団が紹介されます。

Michael Caine, Gene Hackman, Dirk Bogarde, Edward Fox and Ryan O'Neal in A Bridge Too Far.jpg

前作「ドイツ武装SS師団写真史〈1〉髑髏の系譜」で2部/6章が紹介されていたため、
本書は第3部の第7章としてSS第9戦車師団「ホーエンシュタウフェン」から始まります。
1942年8月の連合軍のよる「ディエップ奇襲」がヒトラーに衝撃を与えたことから
新たに2個SS師団をノルマンディに編成することになったという、この双子の2個師団の
創設された経緯が書かれ、師団長には武装SSの顔役のひとり、ビットリッヒSS少将が就任。

そして1944年2月、東部戦線で包囲された第1戦車軍20万名を救出するために
SS第10戦車師団「フルンツベルク」とともに投入されますが、
本書ではこの有名な「フーベ移動包囲陣」の様子をパウル・カレルの
焦土作戦」から抜粋して、紹介します。

Hohenstaufen   Panzer IV.jpg

ノルマンディでの激闘では、第7軍司令官のドルマン上級大将の急死(心臓麻痺)に伴い、
SS第9/第10師団を合わせたSS第2戦車軍団司令官のハウサーSS大将が昇格し、
ハウサーの後任にはビットリッヒが指名されるという、玉突き状態の結果、
SS第2戦車師団「ダス・ライヒ」のデア・フューラー連隊長を努めていた
シュタドラーSS大佐が新師団長となります。
このシュタドラーもなかなか有名な人ですが、写真つきで経歴もしっかり書かれていて
実に嬉しいですね。
しかし、就任1ヶ月もしないうちに、この激戦の中、重傷を負ってしまいます。

sylvester_stadler.jpg

この結果、9月のマーケット・ガーデン作戦の際には、ハルツァSS中佐が代行している・・という
ことになるわけですね。う~ん。実にわかりやすい。。
そしてこの戦闘の様子も、「不屈の名著であるコーネリアス・ライアンの「遥かなる橋」から
引用することにしよう」という展開です。
最終的には「春の目覚め」作戦でバラトン湖でも戦い、消耗した師団は終焉を迎えます。

SS第10戦車師団「フルンツベルク」は、ローター・デベスSS少将という地味で知らなかった人物が
初代師団長となりますが、当然、彼の経歴も詳しく書かれていて、
特に、バート・テルツなど2つのSS士官学校の校長を務めた、武装SSの頭脳ともいうべき、
唯一無二の存在であった・・というのは、大変勉強になりました。

D DAY The SS Frundsberg division.jpg

この「フルンツベルク」の戦役はSS第2戦車軍団として「ホーエンシュタウフェン」と基本的には
同じですが、一番の読みどころは、パンターを擁する戦車大隊副官のバッハマンSS中佐(中尉?)の
活躍によって、隠されていた米軍の新品シャーマン戦車12両を鹵獲したくだりでしょう。
そしてこのシャーマンは第5中隊として終戦まで使用された・・とのことで、
隊列で進むこの「第5シャーマン戦車中隊」の写真も掲載されています。こんなの初めて見ました。
しかし、これがあと2ヶ月ほど早かったら、バルジの戦いに挑むスコルツェニーが喜んだろうに・・。

erwin bachmann.jpg

終戦間際にはフルンツベルク師団長のハルメル総統随伴師団長のレーマー
ヒトラーとシェルナー元帥からベルリンへ進撃せよの命令を受け、
第344歩兵師団長ヨーラッセ少将とともに、命令を遂行するしないで激論を戦わせます。
そして総統命令を拒否したかどで解任されるハルメルですが、この話もドラマチックですねぇ。

ss-brigadefuhrer_Heinz_Harmel_stielhandgranate_smoke.jpg

第4部は「生き残ってはみたものの」という見出しで、
まずSS第34義勇擲弾兵師団「ラントストロム・ネーダーラント」。
この部隊はその名の通り、オランダ占領軍の強化のためのオランダ人義勇兵による部隊です。
主役となるのは、オランダ占領地行政長官で、その政策からニュルンベルクで死刑となった
ザイス=インクヴァルトです。
あまりにマイナーな師団過ぎて、まったく知りませんでしたが、詳しく書かれてますねぇ。
写真もなかなかですし、細かいことは書きませんので、
興味のある方はぜひ買って読んでみてください。

Reichskommissar Seyss-Inquart, Höhere SS und Polizeiführer Rauter en Befehlshaber der Waffen-SS Demelhuber.jpg

最後のSS第29武装擲弾兵師団「イタリア第1」も同様にパルチザンに対する郷土防衛部隊であり、
この地でのSS司令官を務めるカール・ヴォルフSS中将の存在が大きく影響しています。
興味深かったのはこの部隊の襟章ですが、黒の台布の使用は禁じられ、
赤字の台布を使用していたということです。本書は白黒なので良くわかりませんが、
これも初めて知った話ですねぇ。

italienische Nr. 1.jpg

この「生き残ってはみたものの」という2つの部隊はドイツのために
自国でパルチザン相手に戦った連中であり、敗戦とともに、
その運命は裏切り者の自国民のレッテルを張られたうえ、処刑は免れません。
強制的に入隊させられていたりしたら、実に可哀想ですね。

ひとつだけ気になったのは、数枚出てくるカール・ヴォルフの最後の写真です。
キャプションでは1935年頃のヒムラーの副官時代であると書かれ、
腕の徽章も初期の空軍操縦士徽章・・となっていますが、これは全然、別人だと思います。
大体、顔も似ていないし、制服や制帽、その腕の徽章も「警察」のものですし・・、
まぁ、ご愛嬌といったところでしょうか。
ちなみに警察の制服は ↓ です。

Adolf Wagner_Kurt Daluege.jpg

次の第3巻に登場するSS師団はまだわかりませんが、噂によると
ラスト・オブ・カンプフグルッペ」の続編が先に出る・・という話もあったり・・。
こちらも好きなので、どっちが出るのかまたまた楽しみです。



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