SSブログ

続ドイツ装甲師団 [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

加登川 幸太郎 著の「続ドイツ装甲師団」を読破しました。

先日の「ドイツ装甲師団」の続編である本書は、前作がどちらかというと
各国の戦車を写真つきで紹介するといった「ハードウェア」中心のものでしたが、
本書は、装甲部隊の指揮官やその戦術といった運用面、
即ち「ソフトウェア」に重点を置いた一冊です。

続ドイツ装甲師団.jpg

出だしは前作と同様にグデーリアンの回想録や「ドイツ装甲師団とグデーリアン」から
いくつか抜粋し、装甲部隊の集団での運用方法がどのようにして確立されていったのか
が述べられます。

師団長も装甲車に乗車し、師団と共に猛スピードで前進するという新しい装甲師団の
あり方を理解できない陸軍参謀総長のベック大将は、グデーリアン大佐に
「しかし君、地図机や電話なしで、一体全体、指揮が出来るのかね?
君はシュリーフェンを読んだことがないのかね?」と、
第1次大戦までの、指揮官は遥か後方で指揮を取るという常識から抜け出せません。

Werner v. Fritsch, Ludwig Beck.jpg

もちろん「通信」を充分に学んでいたグデーリアンは装甲部隊に最新の通信機器を持たせることを
想定していたわけですが、ここでは通信兵監のフリッツ・フェルギーベル大佐が登場し、
グデーリアンと密接に協力して、この長距離無線通信網を作り上げていきます。
それにしても、ベックにフェルギーベル・・とくると、「ワルキューレ」を思い出しますねぇ。

Fellgiebel.jpg

そして遂に実食!、じゃなくて実戦、ポーランド戦です。
すでにベックに代わりハルダー大将が陸軍参謀総長となった陸軍総司令部(OKH)から出される
歩兵と装甲軍団とを並ばせて戦わせようとする命令に異を唱えるグデーリアンは
軍集団参謀長のフォン・ザルムート中将と司令官であるフォン・ボック上級大将に別案を提示し、
結局はOKHもこれに従います。
これ以降「装甲部隊の運用がまったくわかってない」を繰り返すことになる
グデーリアン対ハルダーのOKHという図式が目に浮かぶようです。

guderian_05.jpg

グデーリアンの育てた装甲部隊を見事に運用できる人物として登場するのは
「名伯楽」フォン・マンシュタインです。
しかし彼の策定した装甲軍団を中心とした西方作戦計画がヒトラーとOKHに了承されると
この野心的な作戦に対して、またもやフォン・ボックが出てきて、ハルダーに警告します。
「君はマジノ線のそばを突破して、それをフランス軍が傍観することを願っている。
君はアルデンヌの狭い路に戦車の集団をひしめき合わせようとしている。
そして、また君は作戦を海岸まで続けようとしている。
その南の開けっ放しの350㌔の側面にはフランスの大軍がいるんだぞ!」。

Generalfeldmarschall Fedor von Bock in his office.jpg

ご存知のように、フォン・ボックが心配するようなことは起きず、電撃戦は成功するわけですが、
フォン・ボックのような軍集団司令官がこのような意見だったということを考えると、
ダンケルクフォン・ルントシュテットが側面を気にして装甲軍団を停止した・・というのも
なんとなく、わかる気もします。重鎮のベテラン将軍ほど、これは怖かったんでしょう・・。

Rundstedt.jpg

また、今回初めて陸軍参謀総長ハルダーの身になって考えてみましたが、天敵ヒトラーに
弱気な総司令官ブラウヒッチュ、そして小うるさいマンシュタインとグデーリアン以外にも
このような重鎮司令官たちからも「君・・」呼ばわりされて、ちょっと同情してしまいました。。。

にしても、このハルダーという人は、自分の中でも評価し辛い人物ですね。
自分の理解している限りでは、クーデターを狙う反ヒトラー派でありながら、
軍人としてこの西方戦と、続くバルバロッサ作戦の作戦計画も立てるわけですが、
マンシュタイン案を握り潰したり、東部戦線でも、グデーリアンの苦労を喜んでいたりと、
どこまで本気でドイツ軍の勝利を目指していたのか・・いまひとつ良くわかりません。
もちろん、ヒトラーの細かい介入がなかったとしても、参謀総長としての彼の作戦が
どれだけ効果的だったのか、などということも知る由もありませんが・・。

Hitler_Halder and Chief of the German General Staff in Conference.jpg

次の「ソフトウェア」は本書の主役でもあるロンメルと「ドイツ・アフリカ軍団」です。
前作では、突然命ぜられた砂漠の戦いという彼らの適応能力を賞賛していた著者でしたが、
本書では、アフリカの地に降り立ったロンメルの様子から語られ、これはちょっとした
ドイツ・アフリカ軍団戦記とも言えるでしょう。

特に「ガザラ・ボックス」でも知られる、1942年5月から、1ヵ月間に及んだ死闘「ガザラの戦い」を
著者は「砂漠のキツネ」と讃えられたロンメルの数多い戦いの中でも「傑作」とし
ドイツ装甲部隊の「真骨頂」として、詳しく解説しています。
細かい戦いの経緯は割愛しますが、例えばロンメルも一緒に立て籠もる「大釜陣地」に
砲兵や歩兵の支援もなしに、英国軍戦車隊が突っ込んでいった場面では、
「戦争も4年目という段階でまだこんなに未熟では、到底アフリカ軍団の敵ではない」
といった感じです。

Rommel bei seinen DAK Offizieren.jpg

戦車部隊指揮官として「あっぱれ」と締め括られたロンメルの次に登場するのは
「前進将軍」こと、ヴァルター・モーデルです。こんなニックネームは初めて聞きました。
本書で取り上げられるのは、彼の元帥としての活躍ではなく、バルバロッサ作戦当時、
50歳であった第3装甲師団長モーデル中将としての活躍です。

第3装甲師団はフォン・シュヴァッペンブルクの第24装甲軍団に所属し、この軍団は
グデーリアンの第2装甲集団に・・というフォン・ボックの中央軍集団の決勝打撃部隊です。
しかしヒトラーによってモスクワを放棄し、南のウクライナへ向かわされることとなった
グデーリアンの第2装甲集団・・。モーデルはその先方を努めながら怒涛の前進で一路南下。。
これは結局「キエフの大包囲」として、とてつもない戦果を挙げますが、
最高司令部が計画的に動いたものではなく、第一線兵団の活躍と南方軍集団司令部の
臨機応変的指導が見事に仕上げたものであり、「ドイツ軍の腕前を見せたものと言える」
としています。
そしてモーデルは抜群の功績者であり、ドイツ装甲部隊の「武者」であった・・。

Walter Model_05.jpg

ソ連の戦車部隊の英雄として、ミハイル・カツコフも紹介されます。
実際、この人の経歴は物凄く、文字通りの「ソ連邦英雄」を2回授かり、
装甲兵元帥にもなった軍人です。
戦車師団を率いていた緒戦で敗北し、モスクワへ逃げ戻った41歳のカツコフ大佐は、そこで
スターリングラードへ行き、工場から戦車をもらって第4戦車旅団を編成することを指示されます。
こうして有名な「トラクター工場」から出荷されたT-34戦車50両を揃えた2個大隊の戦車旅団は
訓練を終え、10月にモスクワへ向かいます。

Mikhail Katukov.jpg

そしてモスクワ目前へと迫ったグデーリアンを迎え撃ち、そのT-34と巧妙な戦術で
ドイツ軍に「参った・・」と言わしめ、その功績からソ連戦車部隊初となる
「親衛部隊」の称号を授けられ、部隊名も「第1親衛戦車旅団」と改名されるのでした。

スターリングラード武装SSについても20ページほど割き、
全周包囲されたフーベ大将の第1装甲軍の有名な「移動包囲陣」が詳しく語られます。
このマンシュタインによって「突囲攻撃」と命名された作戦は、
史上類がなく、これからも珍しいと思われる作戦をやってのけたドイツ軍の指揮の腕前と
将兵の戦闘ぶり・・と著者が語るほど、本書のクライマックス的な扱われ方です。

hube.jpg

330ページの本書も前作と同様にあっという間に読み終えてしまうもので、
特にマンシュタインやグデーリアン、ロンメルといった名将がお好きな方は
思わず、鼻息も荒くして読破してしまうんじゃないでしょうか。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。