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ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

イェルク・フリードリヒ著の「ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945」を読破しました。

ハンブルクやケルン、ドレスデンにベルリンといった大空襲や爆撃について
もっと勉強したいと常々思っていたヴィトゲンシュタインですが、
今年の2月に発売されたばかりの本書を見つけたとたん「うぉ~!!」と声が出ました。
そして520ページで定価6930円・・・「う~ん・・?」。
みすず書房はしっかりした良い本を出してて有名ですが、それにしても高くないかぁ・・?
古書で3000円くらいになるのは1年以上先になりそうだなぁ・・
ということで、例の図書館システムで検索してみると・・、ありました!
凄いぞ!図書館システム!!

ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945.jpg

第1章は「兵器」です。
1942年の終わりから英空軍省で熱心に研究された焼夷弾による攻撃方法。
それまでベルリンなどの空爆で使用された通常爆弾が敵にさほど損害を与えていないことから、
消防の防火技師も加わって、いかに燃やし尽くすか・・が検討され、
重量のあるブロックバスター弾で建物の屋根や窓を吹き飛ばし、
建物が暖炉のような姿になったところに、焼夷弾を雨のように降り注ぐ・・という戦術です。
このように第2次大戦の爆撃の歴史から始まるものではなく、この焼夷弾から始まるところに
本書のポイントがあり、表紙の写真と同様、原題はズバリ、「火災」です。

Lancaster  Dropping_Blockbuster_ Duisburg_1944.jpg

続いて、英爆撃機軍団とそれに対抗するドイツ本土の空の防衛線である
「カムフーバー・ライン」、そしてそのレーダー網をあざ笑うかのような
「アルミ箔片」による大混乱も紹介されます。
しかし英爆撃機軍団も1943年の時点で3500機が帰還せず、2万名が戦死。
その戦いの様子・・ドイツの迎撃戦闘機に取り付けられた70度の角度の2センチ砲によって
爆撃機の死角である下部後方からの攻撃や、88㎜高射砲から放たれる
1500個もの尖った破片を高速でばら撒く榴散弾の恐怖・・。

Me_109_G-6_.jpg

「戦略」の章ではドイツ本土の無差別爆撃を推奨する英首相チャーチル
爆撃機軍団司令官となったアーサー・ハリスが登場し、繰り返される都市爆撃以外にも、
ダム爆撃による洪水作戦と、1944年3月にチャーチルが米国に注文した
「炭疽爆弾」50万個で、その地を居住不能にしようとしたという話も出てきました。
結局は連合軍がドイツ本土に侵攻することで、この病原菌ばら撒き作戦は中止となり、
より衛生的な「火炎攻撃」を選択します。

Arthur Harris.jpg

このようにして、遂に完成の域に達した、この火災を目的とした爆撃により、
1945年2月には有名なドレスデン大空襲に加え、
人口6万5千人の街プフォルツハイムも3人にひとり、2万人以上が死亡します。
犠牲となった人々の死に方も様々です。
500ポンド爆弾の爆風によって一瞬うちに死んだ人々もいれば、
炎で出来た「キノコ」という猛烈な強風のファイヤーストームに吸い込まれ焼死したり、
燃える突風の中で酸素不足となって、呼吸もできずに息絶えます。
それを避けるために冬のエンツ川に飛び込み、溺死した人々・・。
地下室でも発生したガスで、多くの人々が死んでいきます。

Eine Mutter über dem Kinderwagen ihrer Zwillinge im Tode erstarrt.JPG

連合軍の爆撃戦略によって死亡したのはドイツ市民だけではありません。
ノルマンディ上陸を果たしたアイゼンハワーは当初からドイツ軍の重要拠点を爆撃することを計画し、
それによって、フランスやベルギー市民も数万人単位で死亡することをやむなしとしていたそうです。
そして戦争開始から5年経っても軍人と民間人の区別がつかない「爆弾」は、
ランカスターの絨毯爆撃によって1500名のル・アーヴル市民を殺し、カーンでも3000名、
ブローニュやカレーの湾岸要塞への爆撃で6000名という「フランス大虐殺」が行われます。

d-day-aftermath.jpg

一方のヒトラーは報復兵器「V1」と「V2」でロンドンを廃墟にしようとしますが、
結局は、その精度と破壊力の弱さから英国人9000人程度を殺すに留まり、
この報復兵器は最初から報復能力を欠いていた・・と、本書では言われてしまってます。

Germany's Blitz of London kills.jpg

「国土」の章では、連合軍の空爆を受けた数限りない都市と街が
その歴史から爆撃の被害まで紹介されますが、この次から次へと出てくる地名を
すべて知っているのは、ドイツ人だけではないでしょうか?
ヴィトゲンシュタインは幸いにも、昔からドイツ・サッカーが好きだったこともあり、
ドルトムントやカイザースラウテルン、フライブルク、カールスルーエ、ビーレフェルト、
メンヘングラードバッハなどが紹介されると、昔の名選手やそのシュタディオンの名前と
雰囲気を思い出したりして、別の意味でも楽しめました。

Excellent of large anti-aircraft flak tower in the Tiergarten section.jpg

「防衛」では夜間戦闘機や高射砲といった、迎撃的な話には触れられず、
市民の身の守り方・・が詳しく書かれています。
国家と各々の都市で制定されている防空法によって、地下室が強化され、
また、ベルリンの総統地下壕のような分厚いコンクリートの天井を持つ、
大きなブンカーも各地に作られます。
このブンカーも大きく2種類に分けられ、地下よりも建設費の安い塔状の高射砲ブンカーも
紹介されますが、地下室より安全なブンカーには定員の3倍~4倍の人々が殺到し、
「折り畳み椅子部隊」と呼ばれる人々は、真っ先にブンカーへ突入できるよう
入り口で待ち続けます。
他にも、ヒトラー直々の灯火管制制度に違反をすると、8日間の停電という罰を食らった話も・・。

The enemy sees your light. Darken! 1940.jpg

瓦礫の中での生存者の捜索と救助の様子も印象的です。
特に、最近このような被害を連日TVでも見ていただけに生々しく感じました。
地下4mに潜り込んだ不発弾の処理には防空警備隊や消防士たちが命がけで信管除去に挑み、
それでも人手が足りず「ダッハウ」などの強制収容所の収容者がボランティアとして召集・・。
報酬を期待する彼らは募集12人に対して、100名もが名乗り出ます。
しかし恐るべきは、投下後、36時間~144時間で爆発するようにセットされた時限式爆弾です。。。

Luebeck, Germany, after RAF bombs, March 1942.jpg

更に囚人以外にも、外国人労働者や強制労働従事者には遺体収容作業も待っています。
地下室では出産中の女性の死体や、コークスが燃えて湯に煮られてドロドロになった人々、
炭化して縮んでしまった人々、まるで幽霊のように椅子に座ったままの人々・・。
彼らはアルコールの力を借りて、泣き崩れながらも、これらの遺体の回収を繰り返します。

Dresden, Tote nach Bombenangriff.jpg

撃墜されパラシュートによって助かった連合軍の戦闘機や爆撃機パイロットらは
ジュネーブ条約によって捕虜となるわけですが、
子供を殺したその不時着したパイロットを殴り殺してしまう親も当然存在します。
B-24リベレーターの乗員8名が連行されるとの情報を聞きつけた人々は、
女子供も杖に、棒、スコップで武装して集まり、襲い掛かります。
生き残ったのは2人だけ・・。

in Holland against terror America, 1944.jpg

最後の「日本の読者に向けた後書き」と「訳者後書き」では、2002年に出版された原著は
ベストセラーになったものの、英国のみならず、ドイツ国内からも批判に晒されたということです。
これは、いまだナチス・ドイツの犯罪行為を償う歴史教育が最優先されており、
自国が受けた被害を語ることに多くのドイツ人が引け目を感じているからだそうですが、
本書では多くの市民が死亡した地下室を「火葬場」と呼んだり、
爆撃による死亡者を「抹殺された人々」と書いたり、
爆撃機軍団の最精鋭である第5爆撃航空軍を「特別行動隊」と表現したり
(原著ではアインザッツグルッペです・・)、というのがホロコーストを連想させるようです。

dresden 1945_2.jpg

空からの「火葬」のほうがSS方式の大量殺人よりも法的正当性があるのか・・?
また、爆撃した側は「戦争犯罪人」なのか・・という問題でも、英米の裁判官の誰も
7万人のドイツの子供の死を法的に審査する義務を感じないなら、
爆撃戦争は公的に許容されるのだとしています。

Bombing of World War II.jpg

自分はそれほど違和感は感じませんでしたが、確かに度々登場するチャーチルとハリス司令官は
一般的な戦争モノにおけるヒトラーとヒムラーを連想させるものでした。
上下二段組でビッチリと書かれた本書は写真も数えるほどしかなく、
このボリュームと徹底した内容は、読みながら何度もため息が出ました・・。
本書がドイツ本土爆撃における「決定版」であるのは間違いないでしょう。



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ヒトラーをめぐる女性たち [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヘンリエッテ・フォン・シーラッハ著の「ヒトラーをめぐる女性たち」を読破しました。

先日の「ニュルンベルク軍事裁判」で旦那であるフォン・シーラッハが
「死刑」ではなく、「20年の懲役刑」で済んだことに大喜びする奥さん・・、
それが本書の著者、ヘンリエッテですが、彼女が単なるナチ高官の一夫人ではないことは
過去に読んだいろいろな本に登場することで知っていました。
例えばヒトラーの愛人となったエヴァ・ブラウンを「うちの店の田舎娘・・」みたいな表現をしていたり、
大勢のユダヤ人が連行される一部始終を街で目撃した件を、
ベルヒテスガーデンの夜会の席でヒトラーに問い詰めて、逆にヒトラーの怒りを買ったり・・。
本書は1982年の刊行で、そんなヒトラーに近かった彼女が、70歳近くのおばあちゃんになってから
書いたもののようです。

ヒトラーをめぐる女性たち.jpg

このヘンリエッテ自身については最後の章に述べられていますが、
本書を読むにあたっては最低限、彼女が何者なのかを、もう少し知っておいたほうが良いでしょう。
1913年生まれの彼女はバイエルンの写真屋の娘で
父のハインリヒ・ホフマンは1923年からヒトラー専属カメラマンという人物です。
このようなことから、当時、頻繁に訪れるヒトラーに9歳の頃から遊んでもらい、
5歳ほど年上のヒトラーの姪、ゲリや、ひとつ年上のお店の手伝い、エヴァとも親しく、
ヒトラーを中心にしょっちゅうピクニックに繰り出していました。
そして1932年、ヒトラー青年団全国指導者のバルドゥール・フォン・シーラッハと結婚・・。

Baldur y Henriette von Schirach.jpg

まずはヒトラーが最も愛したとされる姪のゲリ・ラウバルです。
ヘンレエッテ曰く「朗らかで、自信に満ちていたゲリだが、父でさえ、
彼女の本当の魅力を写真に撮ることが出来なかった」。
そしてヒトラーの伝記作家たちがゲリを評して「むっちりした上オーストリアの田舎娘」と
片づけていることに異を唱え「彼らはゲリに会ったことさえない」。

全体的には「ヒトラーの戦い<1>」と同様の内容ですが、同じ女の子の目線から見た印象などは
非常に説得力があるように感じました。
ゲリの自殺の要因についても身近に接していただけあって、最後にこのように締めくくります。
「ヒトラーがゲリをかくも締め付けて、袋小路に追い込んだことで、ゲリはヒトラーを
殺したいほど憎んだ末、自らの命を絶つことによって、彼を傷つけ、破滅させようとしたのだ・・」。

Angela Raubal_hitler.jpg

ゲーリングの二人の奥さんもそれぞれ独立した章で登場します。
ヒトラーが好きだったスカンジナビア美女3人がいたとして、彼が欠かさず観ていた女優、
グレタ・ガルボ。そしてイングリッド・バーグマン。3人目がゲーリング最初の奥さんカリンです。

このカリンも以前に読んだ「ゲーリング」を思い出させる展開で、
特に彼女が病気になって弱っていくのと対照的に、ナチ党とゲーリングが
権力を握ろうと上り詰めていく展開・・そしてカリンの死・・・。
このカリンの話はいつ読んでも悲しいですね。。。

Carin Göring.jpg

二人目の奥さんエミーも、かなりしっかり書かれています。
これはヘンリエッテが同じニュルンベルクの戦犯夫人という関係もあってか、
戦後もエミーとも友達だったことも大きい気がします。

亡き妻カリンに永遠の愛を誓ったかのように、カリンハルと名付けた豪邸や
ヨットなどの所有物にも「カリンⅠ号」などと名を付け、あちこちに写真も飾るゲーリング。
しかし、エミーはそんな旦那さんの想いを広い心で受け入れます。

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戦前、ナチスの顔として外国を歴訪するゲーリングですが、夫妻のバルカンの旅では
ベオグラードの9歳の国王ペータル2世へのプレゼントとして、
部屋いっぱいに広がる鉄道模型を持参していったという話も出てきました。
これは「神々の黄昏」の後のナイスタイミングな話ですねぇ。
先日、ロイヤル・ウェディングがあったせいか、各国の国王や皇太子にも
興味が湧いていたせいもありますが・・。しかし結局、彼は、
ゲーリングのルフトヴァッフェではなく、亡命先の英国空軍入りしたみたいです・・。

Петар II.jpg

そして敗戦間際、ベルリンのブンカーに留まるヒトラーに対し、
後継者として権力の譲渡を求める電文を発した挙句、SSによって逮捕・・
という場面も、エミーと娘エッダを中心にした展開で新鮮です。
ゲーリングが最終的に絞首刑を逃れたくだりでは、誰がゲーリングに毒を運んだのか?
「きっと天使が天井からパパに毒を落としてくれたのよ」との見解なのは娘エッダです。。

その他、「ニュルンベルク軍事裁判」のケリー医師が尋ねてきたりと
あちらの本とリンクもして、戦後の彼女の苦労も知ることができました。
なんともゲーリングは奥さんに恵まれてたんだなぁ、というのが感想ですね。

Hermann Göring hugging his wife Emmy and daughter Edda.JPG

真ん中の章ではいろいろな女性たちが登場してきます。
映画監督レニ・リーフェンシュタールやムッソリーニの娘エッダ・チアーノなどの
お馴染み以外に気になったのは、イタリア皇太子夫人マリア・ジョゼーです。
実は彼女はナチス・ドイツによって占領、そして監禁されている
ベルギー国王レオポルド3世の妹で、その枢軸の身分を利用して、
兄である王とヒトラーを引き合わせようとし、ヒトラーも彼女の勇気と機転に感心するのでした。

mariejose.jpg

一番、興味深かった女性は、おそらく第三帝国の女性ではエヴァに続いて有名な
マグダ・ゲッベルスです。
マグダと言えば映画「ヒトラー 最期の12日間」で可愛い6人の子供たちを殺し、
自殺するヒトラーに泣きついた挙句、旦那ゲッベルスと心中したナチ気違いのおばちゃん・・・
というのが個人的なイメージでした。
そんなわけで、このようなタイプの凶暴なおばちゃんには興味がなかったこともあって
実は良く知らなかったマグダの人生をはじめて詳しく知ることになりました。

Joseph Goebbels (Ulrich Matthes) Magda Goebbels (Corinna Harfouch).jpg

彼女の崇拝するヒトラーが「素晴らしい女性」とべた褒めするものの、
その直後、ゲッベルスの愛人とわかってヒトラーはガックリ・・。
結局は、誰とも結婚する気のないヒトラーを傍で支えるために
側近のゲッベルスと結婚を決意する・・という展開は
正直、どこまで本当か、よくわかりませんが、なかなか健気な女性という印象です。

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次から次へと生まれる子供たちも、ヒトラーが大いに可愛がり、
一方で女優の卵に片っ端から手を出し、不倫を繰り返しては「愛人を公式に認めろ」と迫る
旦那ゲッベルスには愛想をつかして離婚を要求しますが、ヒトラーが許しません。
本書を読む分には、想像していたのとはまるで違う、可愛そうな女性でした。
「炎と闇の帝国―ゲッベルスとその妻マクダ」も読みたくなったなぁ。

Hitler and Helga Goebbels.jpg

そしてエヴァ・ブラウン・・。彼女が正式に?ヒトラーの愛人なってからも、
ヘンリエッテは山荘でのエヴァの部屋で語り合うという関係ですが、
やっぱり「うちの店の見習い娘」がヒトラーの寵愛を得たのが気に入らないのか、
エヴァのセンスの悪さなど、結構辛らつな感じです。

Eva Braun in 1937.jpg

ヒトラーの傍らで一緒に写ってしまった写真は、すべて公式写真としてはじかれたというように、
非公式な影の存在でしかなかったエヴァの無気力さを窘めるかのようでもあり、
もっとヒトラーを多少なりとも人間としてに開放的することは出来なかったのか・・。
さらに、戦争が終わって、ヒトラーが引退するまでは影の女でガマンしようと
エヴァは考えていたとして、それさえも叶わなくなったことが分かると、
晴れてみんなの前でヒトラーの横に立ち、共に死ぬという目的を見出したのだ・・としています。

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当初はヒトラーとの付き合いの古い彼女の人生を回想しながら
様々な女性たちが登場してくるような内容を想像していましたが、
章立てで、その女性たちを生い立ちから詳しく書かれているものでした。
まぁ、本書を完成させるにあたっては、いろいろと手伝った人もいるんでしょうが、
ナチスの女たち」にも出てきたユニティ・ミトフォードの章もあったりして、
あのようなスタイルの本と言えばよいでしょうか。
それでも本書のヘンリエッテの個人的視点というのは、他にはない面白いものでした。





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神々の黄昏 -ヨーロッパ戦線の死闘- [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アラン・ムーアヘッド著の「神々の黄昏」を読破しました。

「神々の黄昏」なんていうタイトルだと、どうしても10年くらい前に読んだ
グラハム・ハンコックの「神々の指紋」をイメージしてしまいましたが、
アレは「古代文明の遺跡」モノでしたね。
本書のもともとのタイトルは「崩壊 -ヨーロッパ戦線1943-1945-」で、
こちらだと1943-1945にかけてヨーロッパ戦線で「崩壊」していくドイツ軍・・というのが
タイトルだけで充分に伝わってきます。。。

神々の黄昏.jpg

1943年8月、シチリアに上陸したモントゴメリー率いる英第8軍と共にメッシーナを目指す
3人の戦場特派員のひとり、ロンドンのデイリー・エクスプレス紙の記者、ムーアヘッド・・。
すでに北アフリカ戦線での勝利までも追いかけてきた、ベテラン戦場記者です。

第8軍兵士とともにメッシーナ海峡を渡って、いよいよイタリア本土に上陸を果たします。
そこではムッソリーニを追放し、その後任となったバドリオ元帥が「あの男が、どれだけ
このイタリアに恐怖をもたらしたことか!」と語る姿に、異を唱えます。

Benito Mussolini, 1943.jpg

ムッソリーニとファシズムに賭け、勲章と金を貰ってきた連中が、ここに至って
「我々の哀れな祖国は、あのとんでもない男のおかげで、酷い罪を犯してしまった」
などという、そんな虫のいい話は通らない・・。
そして市民全体を見ても、イタリア人が反省もせず、すべてをファシストのせいにしていると・・。

同じイタリアでもナポリだけは特殊な状態です。
飢えが支配し、大人から子供までが闇市やインチキな商売に手を染め、
誇りや尊厳もない、動物的な生存競争・・、食料のために人間の道徳が崩壊した姿です。

Napoli 1943 liberazione.jpg

このあたり特に興味深かったのがユーゴの混沌とした政情と、それに伴う連合軍の戦略です。
1941年に英国へ亡命した若き国王ペータル2世を支持する連合軍は、
祖国で一大パルチザン部隊を築き上げているチトーを認めつつあるものの、
その協力を始めた時には、すでに手遅れだった・・というものです。
このユーゴスラヴィア史は大変興味がありますし、ギリシャ王女の奥さん、アレキサンドラも
とても美しいので、なにか良い本がないか探してみます。

petarⅡ_aleksandra.jpg

モンテ・カッシーノで繰り返される猛爆撃・・、しかし、「ドイツ軍は狂信的な反撃を続け、
地下で暮らし、ときに死ぬために地上へ出てきた」。
こうしたイタリア作戦をムーアヘッドは振り返り、
「初めから明確で妥当な軍事上の目的を欠いた作戦」として
「いまだに無駄な作戦であったと思う」と感想を残します。

Monte Cassino.jpeg

アフリカで輝かしい記録を樹立した攻撃的な将軍、ロンメルこそフランスを防衛し、
旧敵モントゴメリーに最後のとどめを刺すべき男・・。そして、万一に備え、
偉大なプロであるルントシュテットは西部戦線全体を統括する最高司令官の位置に残された。
これがムーアヘッドの見るドイツ西方軍です。

Blaskowitz__Sperrle_von Rundstedt_Rommel_Krancke.jpg

上陸したノルマンディでの攻守入り乱れる激闘の記録・・。
ヴィレル・ボカージュやカーンが瓦礫の街と化すもののフランス人は廃墟の真ん中で開放を祝い、
国旗を掲揚し、ラ・マルセイエーズを歌います。
そしてそれは開放された首都、パリでも同様です。
熱烈な歓迎・・、50人から100もの女性が手を差し伸べ、キスの嵐が。。
兵士たちは自衛のために少しでも綺麗な女を選び出そうと懸命です。

La Libération.JPG

ちなみに昔からサッカーのW杯などを観て、国歌には結構うるさいヴィトゲンシュタインですが、
一番気合が入るのが、このラ・マルセイエーズです。フランス革命の唄ですから歌詞も凄い。。



いざ祖国の子らよ、栄光の日は来た!
我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗は掲げられた!
聞こえるか、戦場であの獰猛な兵士どもが唸るのを?
奴らは我々の腕の中まで
我らの息子や仲間を殺しにやって来る!

武器を取れ、市民諸君!
隊伍を整えよ!
進もう!進もう!
不浄な血が我々の畝溝に吸われんことを!

liberation-de-Paris-1944.jpg

ドゴール将軍が凱旋門に到着しても、抵抗するドイツ軍狙撃兵に混じって、
フランス人の保安隊(ミリス)も屋根の上からパリ市民を狙い続けます。
この保安隊(ミリス)というのは良く知りませんでしたが、戦争に押し流され、
人間のまともな繋がりを見失ってしまった若者の集団だそうです。
怒りや憎しみではなく、ただ殺したいがために祖国の反逆者となった彼らは
捕まれば、群衆の手で惨殺される運命を知りながら、弾が尽きるまで自由を謳歌します・・。

Liberation de Paris.JPG

パリに続く首都はベルギーのブリュッセル奪還です。
ドイツ軍に対する激しすぎる憎悪と、解放された激しすぎる歓びで、
10日間に渡って狂乱状態が続きます。
アントワープの動物園ではドイツ兵だけではなく、対独協力者の裏切り者ベルギー人、
女性も娼婦以外に彼らの妻や娘も檻に入れられ、市民の見世物に・・。
そしてドイツ兵は英軍に引き渡されますが、対独協力者は即席裁判の末、銃殺刑です・・。

libération de Bruxelles.jpg

ムーアヘッドは「マーケット・ガーデン作戦」にも同行しています。凄いですねぇ。
最初に奪取したアイントホーフェンの街はオレンジ一色でお祭り気分に浸っていたというのも
遠すぎた橋」を彷彿とさせますね。さらには「バルジ大作戦」も結構詳しく書いています。

Liberation_of_Eindhoven.jpg

遂に辿り着いたドイツ本土・・。そこは「大聖堂」以外がすべて瓦礫となった街、ケルン・・。
途中、ヘミングウェイに出会ったりというシーンもありましたが、
ヘミングウェイって第一次大戦やスペイン内戦に参加したのは有名ですが、
第2次大戦にも・・というのは知らなかったなぁ。。

Ernest_Hemingway_and_Buck_Lanham,_1944.jpg

ヴェーザー川近くの小村の倉庫にはドイツ人と外国人労働者が群がっています。
そこにはフランスから略奪してきたと思われる、ムーアヘッドすら見たことのないほどの
逸品揃いのボルドー・ワインが隠されていました。
良い出来のシャトー・ディケムを1ケース抱えた子供がよろめきながら通り過ぎると、
大人の連中はもっと凄いもの・・1929年もののマルゴーとオー・ブリオンを狙っています。
サイズが大きく、はしゃいだ子供が落として壊しがちなのは、世にも美しい大瓶に入った
1891年のラフィット・ロートシルトです・・。こりゃ凄い状況ですね。。
ワイン呑みの自分がその場にいたら、彼らと同じだったでしょう。これは「お宝」ですから。。

Haut-Brion 1929.jpg

解放されたベルゲン・ベルゼン強制収容所の様子と
「私はSSの士官ですから、命令は絶対なんですよ」と言い訳を並べ、石を投げつける
被収容者だけではなく、看守たちからも背を向けられる所長のヨーゼフ・クラーマーSS大尉も登場。

Irma Grese and Josef Kramer at Celle Prison.jpg

そしてドイツは降伏。デーニッツの意を受けたドイツ代表団に対するモントゴメリー。
昼食の席で責任の重大さに圧倒され、5分間も男泣きに泣くフリーデブルク提督の姿に
「目をそむけずにはいられない光景だった」。

このようにしてデンマーとノルウェーの解放と続いて、本書は幕を閉じます。

Kolner Dom.jpg

1945年の10月という、終戦後、わずか5ヶ月後に発刊された本書は
最前線の従軍記者が書いたものということもあって、
著者ムーアヘッドがソコで見聞きし、体験した事柄を生々しく、
また、時には分析しながら、迫力あるタッチで読ませてくれる斬新なものでした。
しかし逆に言えば、本書こそがヨーロッパ戦線の戦記の元祖的な位置づけ
であるのかも知れません。

また、ヒトラーを中心としたドイツ軍側についての記述も所々に出てはきますが、
さすがに終戦後すぐ・・という状況から、「ん?」と言う箇所も結構あります。
例えば、ロンメルやクルーゲの死に関する部分や、
「ラインの守り」作戦を中心となって発案、実行に移すのがヒトラーではなく
ルントシュテットだったり・・。
しかし、コレはコレで、当時のドイツ軍に関する情報や、連合軍から見た印象が
どのようなものだったのかが理解できるという点で、勉強になりました。
「ラインの守り」作戦がなぜ、「ルントシュテット攻勢」と呼ばれたのか・・とかですね。

Time_1944_08_21_Gerd_von_Rundstedt.jpeg

そして本書は各国の解放された市民感情がいかなるものだったのか・・
が大きなテーマとして、あるように感じました。
イタリアに始まり、ノルマンディ、パリといったフランス、ベルギーにオランダ、
デンマークとノルウェー、そしてドイツ国民まで・・。

Alan Moorehead.jpg

それは「ナチス・ドイツからの開放」という単純なものではなく、
開放された喜び方一つ取っても、国民性による違いもありますし、
またイタリアならムッソリーニとファシスト党の崩壊によって「戦うことから開放された」喜び。
フランス、ベルギーはSSとゲシュタポによる恐怖の統治からの開放。
さらに、占領されていた期間の不自由度合い、飢餓の有る無しなどでも
その欲求不満の度合いが違って、ムーアヘッドはこれらの市民の様子から
その国でなにが起こっていたのかを究明しようと試みているかのように感じました。


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バルバロッサのプレリュード -ドイツ軍奇襲成功の裏面・もうひとつの史実- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マクシム・コロミーエツ著の「バルバロッサのプレリュード」を読破しました。

この「独ソ戦車戦シリーズ」の紹介は3冊目になりますが、以前に4冊ほど
まとめ買いしていたので、順番もメチャクチャですいません。。
本書は「クルスクのパンター」に続く、第2巻になりますが、このタイトルは微妙ですねぇ。
大体、日本男児に「プレリュード」と言われても、HONDAのクルマしか思い浮かびません。。
恥ずかしながら、一応、確認がてら調べると「前奏曲」という意味だそうで、
序文でも「1941年6月当時の独ソ両陸軍の兵力比較をテーマ」と書かれているように
バルバロッサ作戦が発動される直前の兵器と編成を多数の写真で解説したものです。

バルバロッサのプレリュード.jpg

第1章は「ドイツ国防軍」ですが、序文でも「興味深いポイントのみ・・」と書かれているように
130ページの本書の前半30ページのみとなっています。
それでも40枚ほど掲載されている写真にはフランスの鹵獲戦車シャール
火炎放射戦車に改良され、これを24両揃えた1個大隊が参加したという
なかなか興味深い写真とキャプションもありました。

German Char B1.jpg

第2章からは開戦前夜のソ連軍が最後まで続きます。
トップである国防人民委員にはヴォロシーロフに代わったティモシェンコが、
そして参謀総長にはジューコフが・・、さらに各軍管区なども一覧表が掲載されて
なかなかわかりやすいですね。

Timoshenko Zhukov 1941.jpg

赤軍大粛清によって革命戦の経験者がわずか6%になってしまった士官。
しかし名誉回復によって1万3千名が復帰しています。
確か、ロコソフスキーもその一人だったかと・・。
また、この粛清がもたらした影響・・、指揮官が決定を下すことに対して
恐怖心を覚えてしまったことにも触れています。

そして装備。1939年までに生産された大量の45㎜徹甲弾の熱処理加工が
いい加減だったことが判明し、1941年5月に各部隊から回収が始まってしまいます。
結果、1ヶ月後の開戦時には、砲兵や戦車部隊に1発の徹甲弾もないという事態に・・。
76㎜についても1440門の砲に対して、2万発のみ・・、1門当たり、たったの2.6発です。

19-K 45mm.jpg

1941年初頭から始まった大機械化軍団構想は、先日紹介した「ドイツ装甲師団」を
彷彿とさせる内容です。
ジューコフが何を考えて、機械化軍団の追加編成にサインしたのか釈然としないと
書かれているように、人員も兵器もない新たな機械化軍団12個。
そのバルバロッサ当日の陣容も編成表によって細かく書かれていて、
例えば、先の本で嘆いていたロコソフスキーの第9機械化軍団を見ると、
人員こそ3万人と90%の充足率ではあるものの、戦車に至っては286両と充足率26%です。
もちろん本来配備されているべきT-34は1両もありません。。

Константин Рокоссовский 1941.jpg

さらにこれらの機械化軍団に大量に招集された新兵たちの訓練は完了予定が
1941年の年末であり、24の民族籍のうち、15以上の民族は
ロシア語がまったく話すことが出来ない・・というありさまです。

19.jpg

新型戦車であるT-34とKV重戦車の生産は増えてきたものの、多くは車庫に眠ったままで
乗員の訓練は古いBT快速戦車やT-26軽戦車で行われていたことから、
開戦直前にこれらの新型戦車が配備された戦車師団では、
誰も見たり、知っていたりする者はなく、開戦の火蓋が着られるや否や、
滅茶苦茶な操作をしてその大半が故障などにより失われてしまった・・としています。

BT tank.jpg

最後の「要塞地帯」では旧国境の防衛線「スターリン線」の状況が詳しく書かれています。
1939年にNKVDのベリヤがヴォロシーロフに送った要塞地帯の報告メモも引用され、
20㎝以上も浸水し、水道は機能せず、電気も換気も食料庫もない・・というのは前置きで、
「第3号永久トーチカは窪地の傾斜面に造営され、常に地滑りを起こし、
砲は周囲の地面より低く設置されているため役に立たない」。
ちょっと抜粋ですが、こりゃスゴいですね。。。

ss-stalin-line.jpg

1940年からは新国境に「モロトフ線」の建設が始まったそうですが、
これも結局は開戦に間に合わず・・。
配備から外され、この要塞地帯で不動トーチカの役目が与えられたT-18戦車の写真もあり、
これがレーニン戦車(M-17)に続く、事実上のソ連最初の国産戦車であるというのは
勉強になりました。

Soviet tank T-18.jpg

監修者の斎木氏のあとがきでは、「バルバロッサ」本といえども、本書は
かつてのソ連時代には間違いなく封印されていたであろう、お寒い状況について扱った
類稀なる著作である・・と書かれていますが、
まったく同感で、いつもあとがきを先に読むヴィトゲンシュタインは
今回たまたま読み飛ばしていたということもあって、この書きっぷりには爆笑してしまいました。

あくまで前奏曲の本書ですから、撃破戦車の写真は一枚もありません。
特にソ連側はキエフでの訓練やパレードの写真が中心ですが、
逆にあまり知らなかった装甲車両の写真も多くて、なかなか新鮮に楽しめました。
次は本棚で待っている「カフカスの防衛」も読んでみますか。



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ニュルンベルク軍事裁判〈下〉 [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジョゼフ・E. パーシコ著の「ニュルンベルク軍事裁判〈下〉」を読破しました。

下巻は生きる目的を失い、自殺する可能性が最も高い被告、カイテル元帥の様子からです。
総統から毎日与えられる屈辱から逃れるため、1個師団でも良いから指揮させて欲しいと
要望したことなど、ヒトラーの側近として積極的ではなかったことを
ゲーリングが証言してくれれば・・。
しかし軍事面については「総統が先生で、私が生徒でした」。

ニュルンベルク軍事裁判 下.jpg

被告たちに大きな影響を与え続けている大嫌いなゲーリングを孤立させるべく、シュペーア
収容所付きの米国の精神科医ケリーにゲーリングが一人で食事することになるよう仕向けます。
このケリーと通訳は頻繁に登場するコンビで、帰国後にこの体験についての本を
出版しようと目論見ますが、早々と帰国したケリーが独り占めにしようとする展開です。
なお、このケリーの後任でやってきた精神科医が「ニュルンベルク・インタビュー」の
ゴールデンソーン少佐なわけですが、本書では不思議なことに、彼について一切触れられません。

Funk Speer.jpg

そしてデーニッツ。。彼は総統後継者という責任ではなく、あの「ラコニア号」事件に伴い
命令を出した、「撃沈した船の船員を救助すべからず」が問題となっています。
しかしそれを「殺害命令」と取られ、また、その経緯はこの「独破戦線」でも紹介しているものです。
弁護人に任命されたドイツ海軍のクランツヴューラーもデーニッツのために証人集めに奔走・・。

Goering, Doenitz, Funk, von Schirach and Rosenberg have lunch at the Nuremberg trials.jpg

収容所所長のアンドラス大佐の驚くような一面も紹介されています。
逮捕直後に自殺したヒムラーの妻を重要証人として、収容所に監禁したものの、
このSS全国指導者の娘はどうするか・・。戦後の混乱のなか、通える学校を探し出し、
彼女を入学させて、水彩絵の具セットも贈ります。
そして度々、「親愛なるアンドロス大佐さま」と書かれた絵や、綿で作った雪だるまも送られ、
彼のデスクを飾っていたということです。非常に印象的な話ですね。

himmler gudrun.jpg

また、ヒムラーだけではなく、ゲーリングやカイテル、経済相を務めたシャハトに
ヒトラー・ユーゲント指導者でウィーンの総督だったフォン・シーラッハの妻らも
逮捕されているわけですが、この事実にゲーリングは
「連合軍の民主的なフリに騙されちゃいかん。やつらはゲシュタポのように凶悪なのだ。
いったい女子供が戦争犯罪に関係あるのかね」。
う~ん。ゲシュタポを作った人間の言葉だけに説得力があるのか無いのか・・。

HG-Nuremberg.jpg

裁判も3か月を過ぎた1946年の2月、ソ連側は、ドイツによるソ連侵攻自体を犯罪とするため、
スターリングラードで捕虜となったパウルス元帥を電撃的に出廷させます。
この件に積極的に関わった人物を「カイテル、ヨードル、ゲーリング」と答えるパウルスに
「自分が裏切り者であることを知っているか!ソ連の市民権を取ったんだろう!」と
激高するゲーリングです。

Friedrich Paulus in the witness stand.jpg

これを聞いていたカイテルはリッベントロップに語ります。
「実はパウルスはヨードルの後任に決まってたんだ。
そうなっていたらパウルスは、こっちの席にいただろうな」。
この人事については、いろいろな本でも書かれていましたが、それはパウルスが
スターリングラードを陥落させることが前提ですが、もし、そうなっていたら、
こんな裁判があったかどうかも、怪しくなってきますね。
ひょっとしたら「ファーザーランド」になったかも。。。

Nuremberg Trials Keitel.jpg

そしてソ連側はもう一つ、爆弾を破裂させます。
カティンの森」でポーランド将校1万名がドイツ軍によって虐殺された・・というものです。
これを聞いた被告人たちはヘッドホンを外して嘲笑し、
この誰が見ても、ソ連が行った戦争犯罪をナチスに押し付けようとする姿勢に
ジャクソン首席検事をはじめ、英米の法律家たちですら困惑してしまいます。

いよいよ、この裁判におけるメインイベント。
ジャクソン首席検事と"ナチズムの暗黒星"ゲーリングの直接対決です。
堂々たる態度でほとんどすべての事柄についての責任を引き受けるゲーリング。
しかしソ連侵攻など重要な問題では、巧みに答弁し続け、
この大一番はゲーリングに軍配が上がります。

goering-at-nuremberg.jpg

続く英国側の反対尋問は、トンネルを掘って脱走した
英国パイロットの戦争捕虜76名を射殺した件についてです。
これはお馴染み、映画「大脱走」についてゲーリングの責任を問うというものですね。

同じ尋問はヒトラーからの「処刑命令」を伝えたカイテルにも繰り返されますが、
すでに「ドイツ国防軍全般の罪の責任を自分が負う」と発言していた彼は、「反対したものの
なんとかすでに収容所に戻されている脱走者の処刑はやめるよう説得した」と証言します。
う~ん。一歩間違えば、「調達屋のヘンドリー」なんかも銃殺されていたかも知れませんね。

Nuremberg_Trials Keitel.jpg

デーニッツの弁護人、クランツヴューラーは「殺害命令」が無かったことを
収監中の67人のUボート艦長たちから「声明書」で受け取り、
撃沈したギリシャ船の乗組員に対して「殺害命令」を実行したとされるエック艦長からも
その処刑の直前に、自らの決断であったことを認めさせます。

大方の予想を裏切って、殺害されることになるユダヤ人6万人をウィーンから追放したことを
認めるという気骨のあるところを見せたシーラッハ。。。
一方で自己抑制ができず、感情的になって金切り声をあげるザウケル

BaldurVonSchirach.jpg

弁護人の秘書として傍聴席にいる新妻に視線を送る国防軍統帥局長ヨードル・・・。
オランダ行政長官として国内のユダヤ人56%を死亡させたことを淡々と認める
ザイス=インクヴァルトと、各人の証言が続き、
最後にシュペーアが個人的にヒトラーの暗殺を計画していたことを証言します。

Alfred-jodl.jpg

こうして、4か国の判事団による各被告の判決が審議されます。
最終採決では4人の首席判事の投票により、3/4での票で有罪が確定、
この過程も非常に詳しく書かれて、結果は知っているのにドキドキしました。

Judges of the International War Crimes Tribunal,M. Donnedieu de Vabres of France, Frances J. Biddle, United States; Lord Justice Lawrence, Great Britain; and Major General I. J. Nikitchenk, USSR.jpg

遂に判決・・。
ハンス・フリッチェとシャハト、元首相でオーストリア大使だったフォン・パーペンの3人が無罪。
有罪の量刑が言い渡されるのは、昼食後です。

「絞首刑」を言い渡されたゲーリングは無表情に、ヨードルは怒ったような足取りで退出、
リッベントロップはどさりと崩れ落ちます。
強制労働者に対しての責任に問われていたザウケルにも同様の判決が出ますが、
同じか、それ以上に責任のあるシュペーアには「懲役20年」の判決が・・。

Joachim von Ribbentrop.jpg

最後には347人を葬ってきた「死刑執行人」ウッズ曹長が体育館に3台の執行台を組み立て、
その腕前を披露する時を待ちますが、その時、ゲーリングは青酸カリのカプセルを飲んで自殺。
それでも予定通りに処刑は執行され、「いま私は、息子たちの後を追います」と言い残して
落ちて行ったカイテルが死亡するまで28分もかかったということです。。

Sergeant john woods Hanging Rope Nuremberg.jpg

一般的に「謎」とされているゲーリングの自殺の様子が、非常に克明に書かれていることで、
ちょっと疑問に思いましたが、「補遺」としてこの件についての著者の解釈も書かれています。

なかなかドラマチックで楽しめました。
今まで読んだことないヨードルやゲーリングなどの奥さん連中の
「戦犯の妻」という置かれている立場や、その心境も良く伝わってきましたし、
シーラッハの奥さん、ヘンリエッテも旦那が死刑を免れて、大喜びしたりしてて、
彼女の書いた「 ヒトラーをめぐる女性たち」も読んでみる気になりました。
その分、シュペーアが若干嫌らしい悪役でもあったりして、
被告たちも同じ穴のムジナではなく、個性的なバランスも取っている感じです。

TIME_nuremberg.JPE

いま、wikiで「ニュルンベルク軍事裁判」を検索すると、本書を基にした2000年製作の
TVドラマが引っ掛かりました。
アレック・ボールドウィン、クリストファー・プラマー、マックス・フォン・シドー、
マイケル・アイアンサイドにシャルロット・ゲンズブールまで出てる、凄いキャストのドラマですね。
「ゲーリングを英雄視しすぎたと一部から批判を受けた」という話で、これは
エミー賞の助演男優賞を受賞したブライアン・コックスの名演技も要因のようです。
しかし、このTVドラマだけではなく、本書もかなりゲーリングが格好良く描かれてます。
ちなみに、wikiでは「同名の"小説"を原作にした」と書いてありますが、
本書は一応、"小説"ではなく、"小説風"ですね。

nuremberg 2000.jpg

数年前にNHKで放送したドラマは観たんですが、スペンサー・トレイシー、
バート・ランカスターにマレーネ・ディートリッヒなどの豪華スター共演で有名な
「ニュールンベルグ裁判」も観たことがないので、この2つはDVDが欲しくなりました。
コメコンさん、ありがとうございました。











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