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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈2〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈2〉」を読破しました。

この第2巻は、1936年、英国のエドワード8世の「王冠を賭けた恋」として知られる話からです。
親独の英国王は許されぬ恋の末、王冠を返上し「ウィンザー公」となるわけですが、
英国との協調を図りたいヒトラーは、この知らせに「英国に味方はいなくなった・・」としつつも、
「まさか女性のために王座を捨てる人物がこの世にいるとは・・」と外相リッベントロップに語ります。

ヒトラーの戦い②.jpg

そのヒトラー自身は菜食生活のせいか、胃痙攣と不眠症に悩まされ始めます。
特に「統制不能な放屁癖」も手伝って、エヴァには死を予告し、そのエヴァの紹介によって
あのモレル医師が登場・・。しかし、彼の治療による効果は絶大です。

Hitler with his personal physician Dr. Theo Morell and Morell's wife Hannelore.jpg

ヒムラーハイドリヒのSS親衛隊が権力の拡大を模索するこの頃。
まずは、ソ連赤軍に壊滅的な打撃を与えるべく偽造書類を作成し「赤軍大粛清」に貢献し、
国防相ブロムベルクのスキャンダルも非常に詳しく書かれています。
59歳の大将と24歳のグルン嬢とのロマンスは、結婚後に新夫人の「いかがわしい過去」を暴露して
辞職に追い込もうとするものとして紹介されています。

von Blomberg_erna-gruhn.jpg

続く陸軍総司令官フォン・フリッチュに対する「男色容疑」作戦。
ゲシュタポの「男色撲滅課」課長のマイジンガーのでっち上げ捜査によるこの事件も
当時のヒトラーの陸軍副官、ホスバッハ大佐が中心となって、サスペンスが展開されます。
最終的にはヒトラーの副官の立場にありながら、
裏でフリッチュを助けるべく工作したホスバッハも解任・・。
「反抗姿勢」がその理由ですが、この副官ホスバッハは実に男らしくてファンになりました。。

Friedrich Hoßbach1.jpg

後任の陸軍総司令官にはフォン・ブラウヒッチュが突然任命されますが、
彼は「一身上の問題が片付かなければ・・」と愛人の存在と、
離婚に伴うまとまった慰謝料という問題を国防軍統帥局長カイテルに語ります。
これにはカイテルも絶句し、「またか・・、よりによってなぜそういう将軍ばかり登場するのか・・」。

オーストリア併合(アンシュルス)は、オーストリアの内相から首相となるザイス=インクヴァルトや
熱狂的にドイツ軍の進駐を迎えるオーストリア市民の様子も描いています。

Anschluß 1938.jpg

第1巻でもヒトラーの初めての訪伊の際、ムッソリーニから屈辱的な扱いを受け、
本書では逆にムッソリーニの訪独でやり返したものの、再度の訪伊では
ローマで出迎えたイタリア国王エマヌエーレ3世との対決が楽しめました。
レセプション会場では自分より長身の皇后エレナの介添えをさせられ、ムッとしたヒトラー・・。
夕食の際には大好きなポテト料理が出されたものの、
国王が猛烈な勢いで食べ終えてフォークを置いたことで、2口も食べていないヒトラーの皿も
給仕によって下げられてしまうことに・・。

Mussolini, Hitler, Vittorio Emanuele III e la regina Elena.jpg

中盤はチェコの併合を目論み、ヒトラーはチェコ攻略の「緑」作戦の準備を命じます。
しかし参謀総長ベック大将が反対と阻止のために立ち上がり、
第3軍管区司令官ヴィッツレーベン中将とともにクーデターを計画・・。
これは以前に紹介した「国防軍とヒトラーⅡ」並みに詳しく書かれています。
結局は「ミュンヘン協定によって戦争は回避され、特に英首相チェンバレンには
「ノーベル平和賞を・・」という声まで・・。
そしてグデーリアン中将のドイツ装甲軍団によってズデーテンラントへの
平和的な無血進駐がオーストリアのときと同様に行われます。

Konrad Henlein speaks in the marketplace in Eger during the time of the German invasion of the Sudetenland.jpg

最終的にはボヘミア=モラヴィア地方も強引に占領し、地図からチェコを消してしまったヒトラーは
次にリトアニアのメーメル地方をターゲットにします。
ドイッチュラント号」でメーメル港へ上陸し、ここでも市民の熱狂的な歓声に迎えられるヒトラー。
さらなる目標はダンツィヒとポーランド回廊です・・。

ここからのポーランド戦までの政治的駆け引きの様子は、特に詳細を極めていて、
「ドイツがポーランドを攻撃しても英仏は参戦しない」というリッベントロップ
伊外相チアーノとの賭けから始まり、劇的な独ソ不可侵条約締結までの様子まで・・。
この独ソ不可侵条約に大きな打撃を受けたのが、敵国ソ連と枢軸ドイツという関係である日本です。
大島駐独大使は外務次官ヴァイツゼッカーに「日本に対する背信行為だ」と抗議・・。

Josef Stalin _von Ribbentrop.jpg

開戦の口実のためにハイドリヒの計画した、国境近くの放送局を襲い、
10数人の死刑囚の死体にポーランドの軍服を着せて放置し、
ポーランド側の挑発行為と見せかけるくだりでは、
その8年前、関東軍による「満州事変」も鉄道爆破の現場に中国軍服を着せた
「アヘン患者の射殺体」を残置した策謀・・というのを紹介して
このアイデアについても検証しています。いや~、勉強になりました。

Nazi Forces in Poland, 1939.jpg

1939年8月25日、開戦を翌朝に控える国境近くの司令部に夕食中「作戦中止」命令が届きます。
「冗談じゃない!」とルントシュテットが叫べば、
「とんでもない!」とマンシュタインがフォークを投げ捨てて喚き、
「ベルリンは何を考えているんだ!」とブルーメントリットも呻きます・・。
ちなみに本書ではマンシュタインは「F・マンスタイン」です。これは初めてですねぇ。
「F」だし、最初は別人かと思いました。ホルスタインみたいです。

Warschau__Rundstedt__Reichenau__Blaskowitz.jpg

強気のポーランド、そして英仏伊の首相、外相、大使らが戦争回避に駆けずり回り、
9月1日に延期になった作戦も、「ロンドンとの交渉によっては翌日に延期、
2日以降は中止」という指示を受けたベックの後任の陸軍参謀総長ハルダー大将は、
「なにぃ、冗談じゃない!」と怒声を浴びせ、「戦争は商取り引きとは違うぞ!」。

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遂に開戦・・。しかし本書はこのポーランド戦の詳細な戦闘記録は書かれていません。
そのかわり、ドイツに宣戦布告した英仏が言い訳を並べては、
一向にポーランドの救援に向かわない様子が述べられています。
例えば、仏軍ガムラン将軍は「優秀なポーランド軍は6ヶ月は持ちこたえられる」とし、
戦争準備が・・とか、市民の疎開が・・とか・・。それでも結局は
英国がフランスを戦わせようとしている・・とフランス側が考えていたことが大きい感じがします。

首都ワルシャワをも攻めるドイツ軍ですが、突如、ソ連軍が参戦してきたとの情報が入ります。
こんな秘密情報を知らないドイツ軍は「ポーランド軍、ドイツ軍のどっちに向かってきているんだ?」。
ソ連兵はポーランド兵に向かって「撃つな!味方だ。一緒にドイツ軍と戦おう!」と呼びかけたそうです。

The German and Soviet soldiers. Poland, Semptember 1939.jpg

最後に男色容疑が晴れて、第12砲兵連隊の名誉連隊長として最前線で戦い、
戦死したフリッチュについては一般的に云われている「死に場所を求めた」ということに異を唱え、
スケジュール通りの行動中に胸に被弾した・・としています。

Von_Fritsch.jpg

そしてこのようなときにヒトラーはボルマンや主治医のブラント博士らと会議を開き、
「戦争遂行の必要上、不足している病院のベッドと施設を開放するため」に
精神病患者を処置する「安楽死計画(T4計画)」を指示します。
その必要な処置数は「25万のベッド」です。。。

この巻では、何度も読んだことのあるフリッチュ事件が一番印象的でした。
ホスバッハが大変魅力的だったのもそうですが、ナチが禁止していた「男色」取締りに
ゲシュタポ「男色撲滅課」という凄い名前の課があったというトコですね。。
ヴィトゲンシュタインは、うら若きころ、「男色」の方から数回怖い目にあったことから、
この手の方々は、いまだに大の苦手です。
それゆえ日本の芸能界に蔓延している状況がどうも・・。
この第三帝国時代に「LOVE注入」なんてやったら、ゲシュタポの拷問の末、死刑ですよ。




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