SSブログ

第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈1〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈1〉」を読破しました。

遂に始まってしまいました・・。「ヒトラーの戦い」。
もともとは「週刊ポスト」に8年に渡って掲載されていたものを加筆して、
1978年に15巻の単行本として発売され、その後1992年に10巻の文庫版となった
有名なヒトラーと第三帝国の興亡史です。
ヴィトゲンシュタインが10巻セット、3000円で購入した文庫版も1巻のページ数は500ページ・・。
単純計算でも5000ページにも及ぶ「独破戦線」史上最大の超大作でもあります。
この「戦い」になんとか勝利するつもりですが、今後、連続10回続く予定のレビューに
どうか、お付き合い下さい。

ヒトラーの戦い①.jpg

なぜかヒトラーの遺体の検視結果・・「睾丸が1つしかなかった」という話から始まる本書。
このような睾丸欠如には「短気で過度に活動的、特別な人間、偉大な人間になりたいと願う」
心理状態になるといわれているそうで、これらの特徴がヒトラーにもピタリと当てはまります。

ヒトラーの青年時代、第1次大戦での従軍、そして戦後の1921年、ヒトラーが
ナチ党指導者になるまでが簡単に解説されます。
その後の「ミュンヘン一揆」、5年の禁固刑、その間の「わが闘争」の執筆と続きます。
さすが日本人の著者だけあって、この当時に日本の新聞に登場したヒトラーについても
「ヒットレル氏」とか「ヘトレル」などのパターンを紹介してくれます。

Adolf Hitler during World War I.jpg

出版の決まった「わが闘争」ですが、当初のヒトラー案のタイトルは
「虚偽、愚行そして臆病に対する4 1/2年の闘争」というややこしいものだったそうな・・。
このナチ党が躍進を遂げ始める時期にヒトラーには2人の女性が現れます。
ひとりは姪のゲリ、そしてもうひとりはエヴァ・ブラウンです。
この辺りは今まであまり読んだ本がありませんが、以前にTVで放映された
「ヒットラー 第1章:覚醒/第2章:台頭」が印象に残っていて、
特に30代~40代の若きヒトラーを演じたロバート・「フル・モンティ」・カーライルと
ヒンデンブルク大統領を演じた名優ピーター・オトゥールの顔がすぐに思い浮かびます。

hitler Carlyle.jpg

ブリューニング内閣のワイマール共和国。様々な政党が乱立するこの時代、
既存の有力政党に失望した市民は、若い指導者と若い党員のナチ党に「やらせてみても・・」
という政党に見えたなどという話は、最近の日本の政治情勢を彷彿とさせます。

そして愛する姪、ゲリの拳銃自殺・・。この事件はヒトラーに計り知れないショックを与え、
好物だったハムの皿を拒否して「死体を食べるようなものだ」とゲーリングらに語ります。
こうしてゲリの冥福を祈るため「肉断ち」をし、菜食主義者ヒトラーが誕生するのでした。

Geli hitler.jpg

「あのボヘミアの伍長はろくでなしだ。首相の器ではない。せいぜい郵政相止まりだ」と
ヒトラーを最期まで毛嫌いするヒンデンブルク大統領。
「ペンキ屋あがりをビスマルクの椅子に座らすことは断じてできぬ!」とも言っています。
ヒトラーが擦り寄る国防軍側ではシュライヒャーの陰謀とハンマーシュタインが頻繁に登場。

Hindenburg hitler.jpg

ヒトラーが政権奪取に多忙なこの時、今度はエヴァが拳銃自殺を図ります。
ここでは専属カメラマンであるホフマンの娘、ヘンリエッテが「自分の店の能無し店員」が
ヒトラーの愛人であることに自尊心を傷つけられたことによる嫌がらせも
その要因として紹介しています。
ちなみにこのヘンリエッテは、後のナチ党全国青少年指導者フォン・シーラッハの奥さんですね。。

eva-braun-and-adolf.jpg

総選挙で後退したナチ党とヒトラー。
「天下分け目の決戦」と叫び、全国民も注目する10万人足らずの田舎選挙である
リッペ州地方選挙で勝利したヒトラーは、最終的な勝利も確信します。
それにしてもこのリッペの選挙は、ユルゲン・シュトロープが選挙活動に大貢献したヤツですねぇ。

ようやく誕生したヒトラー内閣ですが、内外からは様々な意見も・・。
駐ドイツ・フランス大使のヒトラー評は「ジャンヌ・ダルクとチャップリンの雑種のような感じ」と述べ、
「ミュンヘン一揆」にも参加した第1次大戦の英雄ルーデンドルフ
「この男が我が国を奈落の底に突き落とし、国民を悲惨な事態に陥らせる」ことを予言。。。

hitlerdandoundiscursoenelreich.jpg

「国会議事堂放火事件」も手伝って、ナチ党を唯一の政党とする法律が制定。
旧政党を支持したり、新党を結成しようとすると、強制労働か禁固刑に処せられます。
一方、国防軍vs突撃隊(SA)問題については、ブロムベルクフリッチュレーダーらに対して
「大統領の座を応援してくれれば、SAの徹底的縮小と国防軍の大拡張」を約束し、
いよいよ旧友エルンスト・レームのSA粛清「長いナイフの夜」へと進みます。

後のSA幕僚長となるヴィクトール・ルッツェがSA幹部でありながら、レームよりも
「親ヒトラー派」であり、レームらの逮捕にも参加していたというのは初めて知りました。
そしてレームの専属運転手も逮捕・・。彼は「最後にこの車でひと走りさせてくれないか?」
これに呆然とうなずくのはヒトラーの専属運転手であるケンプカです。

Rudolf Hess is Viktor Lutze i  Hitler.jpg

以前から興味のあったオーストリアの「ドルフス首相暗殺」が非常に詳しく書かれていて
大変勉強になりました。
特に当時のオーストリアが台頭してきたナチ党だけでなく、イタリアのファシスト党の影響下にもあり、
この事件によって「ヒトラーは性的変質者だ。バカだ。しかも危険なバカだ」と
怒り狂うムッソリーニによって、あわや戦争勃発の危機・・という状況です。

HitlerMussolini1934Venice.jpg

ヒトラーの建築家シュペーアが手掛ける、荘厳で華麗な演出を施したニュルンベルク党大会。
この様子も女流監督レニ・リーフェンシュタールがヒトラーから依頼を受け、
映画「意志の勝利」が完成するまでが書かれています。

nrnberg.jpg

英国人美女のユニティ・ミトフォードが現れたり、またしても「ヒトラーに捨てられた」と
思い悩むエヴァが今度は睡眠薬で自殺を図ります。
ここらあたり、完全にヒトラーに「モテ季」が来てます・・。
姉イルゼが破り取った日記の部分が紹介されており、
これは1935年の部分です。なお、あの本は確か1937年からでしたね。

最後はヒトラー最初の軍事的博打、非武装地帯「ラインラント進駐」です。
ケルンやデュッセルドルフを含むこの地方の問題、「ロカルノ条約」からが丁寧に書かれています。
続いて、スペイン内戦に伴う、「コンドル軍団」の派遣、イタリア、そして日本との友好的関係・・。

March 1936. The re-militarization of the demilitarized Rhineland.jpg

この第1巻で最も印象的だったのは、1936年開催のベルリン・オリンピックです。
以前から興味があったというのもありますが、このヒトラー政権獲得前から
開催の決まっていたオリンピックに、従来の都市による開催から国を挙げての援助、
ギリシャに始まる聖火ランナーの登場、壮麗な開会式など、
現在のオリンピックの基礎となったというエピソードが書かれており、
大会前半は積極的に金メダリストと握手をしていたヒトラーが有名な米国の
黒人スーパー・アスリート、ジェシー・オーエンスとの握手を拒否したと云われる件でも、
そうではないという理由が書かれていました。

Olympische_spiele_berlin_1936_hitler.jpg

レニ・リーフェンシュタールの記録映画「オリンピア」についても触れられていて、
これは子供のころにTVでちょっと観た記憶が残っています。
確か「サヨナラおじさん」こと、淀川長治氏が大好きだった映画でしたかねぇ。
DVDを欲しくなりました。

Olympia_(1938).jpg











nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

スターリングラード -ヒトラー野望に崩る- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェフレー・ジュークス著の「スターリングラード」を読破しました。

最近、陸戦モノをご無沙汰していたというのもありますが、
この「スターリングラード攻防戦」というのは、初めて読んだ戦役であったり、
これを描いた映画も2本好きなのがあったり・・と、個人的な思い入れが強く、
無性に読みたくなるときがあります。
しかし、なかなか詳細に書かれたものはあまりなく、今回もamazonで探していると
「やっぱり、第二次世界大戦ブックスかぁ」ということで、500円で購入・・、
届くなり、中毒患者の如く、すぐさま読破しました。

スターリングラード.jpg

リデル・ハート卿のまえがきでは、英国人著者ジュークスがソ連通であり、
そのソ連で刊行された「大祖国戦争」全6巻やチュイコフジューコフの回想録を活用していること、
しかし、それらが大きく食い違い、また、歴史をいじりまわし、宣伝のためにひっくり返すという
スターリン、フルシチョフ時代の長い経緯を注意する必要があるとしています。

スターリングラード戦というは有名ですし、この「独破戦線」でも何度か紹介していますので、
本書にも当然書かれている戦局の推移は割愛します。
それでも、本書には興味深い話や、知らなかった話(或いは忘れていた話・・)、
印象的な登場人物も結構ありましたので、それらをいくつか紹介してみようと思います。

Deutsche Grenadiere in der Stalingrader Schlacht.jpg

ポーランド戦役の作戦名「白作戦」、西方戦役の「黄色作戦」と大成功を収めたものの
ソ連侵攻の「バルバロッサ作戦」が大失敗に終わったことから、
また「色」に戻って「青作戦」と名付けられた、この1942年の夏季攻勢・・。
5月の第二次ハリコフ戦で大損害を受け、それによって、撤退に撤退を繰り返す
ティモシェンコ元帥率いるソ連軍。
一方、余勢をかって快進撃を見せるフォン・ボック元帥の巨大なドイツ南方軍集団。

Panzers cross the Don.jpg

しかし、ヴォロネジの占領を巡ってフォン・ボックは、対立したヒトラーにより、あっさりクビに・・。
こうして支離滅裂なヒトラーの作戦指導のもと、カフカスの油田を目指すリスト元帥のA軍集団と、
ヴォルガ川を目指すフォン・ヴァイクス上級大将のB軍集団とに分けられ、
ヘルマン・ホトの第4装甲軍に対しても、ロストフ方面のクライストの第1装甲軍の
必要のない援助に回すなどして、逆に道路の戦車渋滞を引き起こすだけ・・。
ホト曰く「第4装甲軍が脇道へ逸れることがなければ7月末にはスターリングラードを
戦わずして占領できただろう」。

Von_bock_hoth.jpg

ソ連側でこのスターリングラードの危機に登場する本書の主役のひとりは、
スターリンのお気に入りのピンチヒッターで、戦略的能力に優れる闘争家肌の楽天家として
南東方面軍司令官に任命されたエレメンコ大将です。
そしていよいよ始まったドイツ軍の大攻勢に対し、死守命令を受ける第62軍の司令官に
チュイコフ中将を「信頼できる男」として新たに抜擢。もちろん、彼も本書の主役です。

Andrei Iwanowitsch Jerjomenko.jpg

まず、リヒトホーフェン指揮の爆撃機による空爆、続いて戦車部隊が進撃、
そして1000メートルも先から機銃をバラバラ撃って来る歩兵部隊・・というドイツ軍の戦術を見た
チュイコフは、なんとかドイツ軍の苦手な接近戦を目論みます。
しかし劣勢を跳ね返すことはできず、増援で送られてきたシベリア兵や海軍歩兵部隊が
なんとか屈強に戦い続けます。

Sowjetische Soldaten erhalten Parteidokumente.jpg

カフカスで行き詰ったA軍集団のリスト元帥、陸軍参謀総長のハルダーらが次々とクビにされるなか、
ヒトラーの首席副官シュムントが陸軍人事局長になると、
苦戦中の第6軍司令官パウルスがお祝いを送ります。
これを受けたシュムントは参謀総長の後任にパウルスを考えていると漏らし、
スターリングラードの迅速なる占領が華やかなる明日を約束するものだと・・。
本書はパウルスにはかなり厳しく、
「その経歴からしてみて、ご機嫌取りとしてもかなり有能であった」など・・。

General Paulus.jpg

スターリングラード方面軍と名称変更したエレメンコの方面軍の他に、
ドン方面軍にはロコソフスキー、南西方面軍にはバトゥーチンといった司令官たちが・・。
10月、チュイコフは弾薬の配当量が減らされるとの通知を受け取ります。
しかし、これは極秘であるジューコフによる「天王星作戦」に向けられたものでもあります。

Василий Иванович Чуйков.jpg

情けないほどの装備と士気でも、とにかく監視だけは続けるルーマニア軍・・、
そして11月19日、ポカンとしている彼らの前に恐ろしい形をしたT-34、200両が
霧の中から現れます。
「数か月にわたる守勢一方の苦しい血戦を味わってきた者にとって、
これ以上に嬉しいことはなった」とエレメンコの語る、
ドイツ第6軍を一気に包囲する大攻勢「天王星作戦」が成功。

T-34 in Stalingrad.jpg

この未曾有の大危機にB軍集団司令官のヴァイクスは戦線の維持と突破脱出の2案を
すぐさま検討しますが、結局ヒトラーはヴァイクスを無視して、第6軍に直接「死守命令」を発します。
ヴァイクスっていう人は、有名な割にはどんな本でも軽んじられた扱いがしますね。
いかにも「お洒落な男爵」といった雰囲気のメガネが良くないのかも・・。

von Weichs.jpg

そのヴァイクスの代わりに登場するのが、もう何度書いたかわからない、フォン・マンシュタインです。
ひょっとしたらヴァイクスもそれなりに適切な司令を陰で出していたのかも知れませんが、
ここからは新設ドン軍集団マンシュタインによる第6軍救出の「冬の嵐作戦」の独壇場です。

ホトの第4装甲軍・・もちろんあの第6戦車師団も突破口を開けて救出に向かいますが、
パウルスは一向にそれに向けて脱出する「雷鳴作戦」を燃料不足とヒトラー命令を理由に
拒否し続けます。
包囲された状態が進むにつれて、実質的な軍司令官になったと書かれる
第6軍参謀長アルトゥール・シュミット少将も最終的に拒否。
彼については「強い性格の持ち主で、心底からのナチ」ということです。

paulus_schmidt.jpg

ドイツ空軍が決死の覚悟で届けたフランス・ワインにオランダのチーズ、
デンマークのバターとノルウェーの缶詰で年末のお祝いするソ連野戦本部。
年が明けるとロコソフスキーらの署名入りで降伏勧告を行います。
この絶望的な状況にもヒトラーは降伏を許さず、現実離れしたことを言い出します。
「新型戦車パンター1個大隊を送って、突破口を開けるのだ」。

stalingrad9.jpg

最終的には降伏した第6軍。。口もきけないほど参ったパウルス元帥ですが、
ソ連側の待遇の良さに徐々に元気を取り戻し、ウォッカを注文して
「我々を打ち負かしたソ連軍と指揮官たちに」乾杯し、その後は「反ナチ」活動家となります。
著者は「彼はもともと調子のいい男であるから「改宗」したのか
「新しい主人」に調子を合わせたのかはわからない」と締め括っています。
野戦司令官として、どの本でもダメ出しされる参謀畑のパウルスが可哀そうになりますが、
ならばマンシュタインが第6軍を率いていたなら、スターリングラードは落ちたのでしょうか?

General K. Rokossovsky, Marshal of Artillery N. Voronov, translator captain Diatlenko, and Field Marshal Paulus.jpg

第二次世界大戦ブックスは200ページほどなので、
このような半年にも及ぶ攻守入れ混じった戦役という意味では、
ダイジェスト的な印象であるのは否めません。
しかし、本書はこのようにソ連側を主体に様々な話も提供してくれました。

hungarian-dead-stalingrad.jpg

最後の加登川幸太郎氏の「訳者あとがき」は特に異常なまでに楽しめました。
これは「スターリングラード攻防戦」を日本の地理に当てはめる、というもので、
「ヴォルガ川」を東京の「隅田川」とした場合、どこでなにが起こったのか・・。
1941年7月、北アルプスから隅田川を目指す「第6軍」、9月まで池袋、新宿で激しく戦うも、
松戸、市川、東京湾からの砲兵の支援の前にチュイコフの第62軍を追い落とすことができず、
11月「天王星作戦」が発動された長野でルーマニア軍が崩壊、
パウルスの司令部は練馬区に移り、
伊豆半島から救出に向かったマンシュタインも箱根で阻止され、
1月には三鷹市のピトムニク飛行場を失い、
遂に足立区と中央区に分かれていたドイツ第6軍が降伏・・。

stalingrad_11.jpg

この戦役のスケールの大きさを実感出来ましたし、東京下町の人間として、
我が家がスターリングラードのど真ん中・・という凄いことを想像する機会にもなりました。
「訳者あとがき」が本文より面白い・・とは言い過ぎかもしれませんが、
インパクトという意味では、最高なのは間違いないでしょう。









nice!(0)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

アイヒマン調書 -イスラエル警察尋問録音記録- [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヨッヘン・フォン・ラング著の「アイヒマン調書」を読破しました。

初体験となるアイヒマン本は2009年に発刊された最も新しいものですが、訳者あとがきによると、
膨大な「調書」を基に出版されたものとしてはフランス人ジャーナリストによるものがあり、
これを1/3に抄訳したものが、1972年の「アイヒマンの告白」だということです。
本書はそのフランス版よりあとに、ドイツ人ジャーナリストである著者によって
ドイツ語版で出版されたものの翻訳になります。
ちなみに訳者さんは「人間の暗闇」と同じ方ですね。

アイヒマン調書.jpg

1960年、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関「モサド」によって発見、拉致され
イスラエルで拘留されたアイヒマン。
イスラエル警察の大尉、アヴネール・レスが尋問官として任命され、
「第三帝国時代の任務を積極的に話します」というアイヒマンとの275時間に及ぶ、
尋問が始まります。

1906年、ラインラント生まれのアドルフ・アイヒマンは、父親の仕事の関係で
オーストリアのリンツへ移住。少年時代から、石油会社で務めるまでが語られます。
そして1932年、オーストリアにもナチスが台頭すると、父親同士が20年来の付き合いであるという
顔見知り、エルンスト・カルテンブルンナーから「俺たちの仲間になれよ」と声を掛けられ、
「いいとも!」とそのまま、ナチ党へ・・。同時に親衛隊にも入隊します。

Adolf Eichmann standing in uniform at beginning ofW.W.II.jpg

「伍長かなにかに昇進」していたアイヒマンは軍隊式訓練に嫌気がさし、
噂で聞いた「親衛隊保安部=SD」の人員募集に応募、「索引カード室」から
「フリーメーソン展示室」勤務を経て、1935年、遂に「ユダヤ人課」に配属されます。

パレスチナへ視察旅行した際の報告書や当時の上司であったアルフレート・ジックスの話、
ドイツ領となっていくオーストリアやチェコでの勤務も詳細に語ります。
命令を忠実にこなす彼は、大尉へと昇進し、権力のないSDが保安警察と統合され、
「国家保安本部=RSHA」が誕生すると、ゲシュタポ長官ハインリヒ・ミュラーの直属として
ゲシュタポのユダヤ人課課長というポストに就くのでした。

Adolf Eichmann 1933.jpg

当初のユダヤ人に対する移住計画、テレージエンシュタットもすし詰め状態で、
このようなゲットー化だけでは話にならず、マダガスカル島への移住計画も出てきます。
しかし1941年、対ソ戦が始まると、アイヒマンはハイドリヒに呼ばれ、こう告げられます。
「総統はユダヤ人の抹殺を命じられた」。そして「ルブリンのグロボクニクのところに行き、
すでに対戦車壕を利用したユダヤ人抹殺の状況を視察して報告するように」。

globocnik2.jpg

アウシュヴィッツトレブリンカ、レンベルクでガスや銃による大量虐殺を目撃し、
「サディストを育てているようなもので、何の解決にもならない!」とミュラーに報告するアイヒマン。
「こんな視察は自分には耐えられない」と要望を出すも、認められません。

Einsatzgruppen3.jpg

フランスやオランダムッソリーニが失脚したイタリアも含め、各国のユダヤ人を
数千人単位で収容所へと送る「輸送列車の手配」が主たる業務であり、
その困難さを熱心に語る一方で、それ以外のことは曖昧な返答を繰り返すアイヒマン。

Jews are sent to their deaths. This process was facilitated by SS Colonel and transport manager, Adolf Eichmann.jpg

尋問官のレスが「チクロンB」について尋ねると、「人から聞いた以外には知りません」。
しかしここでアウシュヴィッツの所長ヘースの自伝に書かれているアイヒマンの関与を問われます。
ガス・トラックに代わる方法を調査したいとアイヒマンが積極的に関わったとされる部分です。
さらに「衛生班で消毒技術の責任者」、クルト・ゲルシュタインの文書も登場。
この後も度々出てくるヘースの自伝の内容について、アイヒマンは「まったくデタラメです!」
彼の反論は「強制収容所を管轄するオスヴァルト・ポールの経済管理局技術部門の仕事であって、
ゲシュタポは全く、関与していない」というものです。

Rudolf Höß Commandant of Auschwitz.jpg

アイヒマンはニュルンベルク裁判で自らの関わりを否定した、このSS大将ポールに対しては
怒りを持って語ります。
「あれだけの采配を振るっていた人間が、すべて部下に責任をなすりつける。何の勇気もない」。
そして自らについては「ユダヤ人の疎開については責任を取ります。
それくらいの勇気はありますよ」。

Oswald Pohl_2.jpg

例の「ヴァンゼー会議」で如何に自分が「小物」であったかを説明し、
その主催者であったハイドリヒの死後SS全国指導者ヒムラーから、
ユダヤ人解決を全面的に委託されたという証言に対しても、
「ヒムラーに直接会ったのは3回だけで、ヒムラー直属になったことは一度もない」と反論。

Reinhard Heydrich (right) and his deputy, Karl Hermann Frank.jpg

1944年、東部戦線が困難な状況になってくると、寝返り寸前のハンガリーから
大量のユダヤ人を移送する作戦が・・。これに「アイヒマン特別行動部隊」が出動します。
しかし連合軍の爆撃によって破壊された線路やハンガリー警察の支援が必要なことなど、
思惑通りに事は運びません。
そして進撃してきたソ連軍・・1万人のドイツ系住民を避難させる命令を受けたアイヒマンは、
占領されていた野戦病院を開放して「二級鉄十字章」を受章。

以前から何度も前線への転属をミュラーに訴えていたというアイヒマン。
ベルリンに戻っても首都防衛で死ぬことを選び、用意されていた逃亡用の偽造書類には
「反吐が出る思い」と目もくれません。
しかし、アイゼンハワーとの交渉の人質を必要とするヒムラーの命令で
テレージエンシュタットの有力ユダヤ人をチロルへ疎開させよ・・という任務が・・。

heinrich-himmler_viking-division.png

アイヒマンの部署の「お客」として元アインザッツグルッペン指揮官の
パウル・ブローベルSS大佐が登場し、「1005部隊」が紹介されます。
この部隊はあまり知りませんでしたが、東部で虐殺された遺体を掘り返し、
証拠隠滅のために焼却する特別部隊だそうで、
汚れ作業に駆り出された強制収容所の囚人たちは、完了後に見張りの補助警官に射殺され、
その補助警官も最後に数少ないSS隊員に射殺されたということです・・。
本書には尋問のなかで出てきた重要な事柄について、この部分のような注釈が挿入されており
なかなか勉強になります。

Paul Blobel.jpg

終戦後、「反吐が出る思い」の偽名で2度捕虜となったアイヒマンは都度、逃走し、
ドイツ国内に潜伏した後、「リカルド・クレメント」の名で1950年、
アルゼンチンへの逃亡に成功します。

Ricardo Klement.jpg

尋問官レスの20ページにも及ぶ「あとがき」も印象的です。
1933年までベルリン市民であった彼、そして彼の父親が移送によって東部に送られたことに
アイヒマンが「それはとんでもないことだ!」と言った話、
また看守が看守を監視するという独房の厳重な監視の様子は
「もし、アイヒマンが自殺したとしても世界中の誰もが信用しないだろう!」ということです。

adolf_eichmann_1960.jpg

1962年に絞首刑となって、その遺灰は海に撒かれたアイヒマンですが、
もしも仮に、上司であったミュラーやハイドリヒ、ヒムラーが罪を認め、
生きたまま裁かれたとしても、やはり「死刑」となったのでしょうか?
もちろん、ヒトラーも含めて、この「最終的解決」に関する責任者が不在である・・ということもあり、
アイヒマンは贖罪の山羊(スケープゴート)でもある気が、やっぱり拭えません。











nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。