SSブログ

死刑執行人との対話 [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カジミェシュ・モチャルスキ著の「死刑執行人との対話」を読破しました。

先日の「ナチス裁判」に紹介されていた本書は、1943年の「ワルシャワ・ゲットー蜂起」で
ユダヤ人を容赦なく、残虐に鎮圧したとして知られるユルゲン・シュトロープSS少将が
戦後、裁判のために拘留されていたポーランドの刑務所において
自身の生い立ちから、1ヶ月にも及んだ「ワルシャワ大作戦行動」の様子、
そして終戦までを語ったものを会話形式で、400ページに二段組びっしりとまとめたもので
ある意味「シュトロープ回想録」ともいえるかも知れません。

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一口に「ワルシャワ蜂起」といっても、1944年の「ワルシャワ蜂起」と
この1943年の「ワルシャワ・ゲットー蜂起」の2つがあるわけですが、
「ゲットー蜂起」については映画「戦場のピアニスト」とその原作を読んだだけで、
印象的ではあったものの詳細はわからず、今回初めての
「ワルシャワ・ゲットー蜂起」モノを読んだということになります。

また、このような「ナチ戦犯」に対するインタビュー本ということでは
有名な「ニュルンベルク・インタビュー」やトレブリンカ強制収容所所長のシュタングルを扱った
人間の暗闇」をイメージしていました。
しかし、本書が書き上げられた経緯は実にとんでもないもので、ほとんど「奇跡」のように感じます。。

1949年3月、ワルシャワの刑務所。ポーランド人の著者モチャルスキが別の監房に
移されるシーンから本書は始まります。
この新入りに対して先輩の2人は「ドイツ人の戦犯」であり、
一人は文書係であったSS少尉のシールケ、そしてハンカチで作った蝶ネクタイを締め、
公式に2人前の食事をたいらげるもう一人は「シュトロープ中将です」と丁寧に自己紹介します。

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「これが、あのシュトロープか・・」と興奮するモチャルスキは、しかし冷静に
シュトロープから可能な限りの真実を引き出そうと努め、この後、
225日間に及ぶ、奇妙な三角関係が始まります。

1895年、独立した小国家であるリッペ侯国の小さな警察署長を務めるカトリックの父と
しつけの厳しい母の間に生まれた「ヨーゼフ」シュトロープ。
従順な子供であり、両親の前では直立不動の姿勢を取ります。
第1次大戦が勃発すると、歩兵連隊に志願。ルーマニアやハンガリーを転戦します。
ここでは、アウグスト・フォン・マッケンゼン元帥に尊敬の念を抱き、独特の風貌・・
「よく熊皮帽をかぶり、貴族と騎兵両方の顔を持っていました」と語ります。

August von Mackensen.jpg

1932年にナチ党へ入党。地元でナチ党の選挙活動に明け暮れます。
この時の功績から1934年には、ヒムラーから特進でSS大尉に任命されることに・・。
SSのエリート教育として、イデオロギーの知識とより高度な尋問の仕方も教え込まれます。
モチャルスキは尋ねます。
「あなたがレーベンスボルン(生命の泉)に加わっていたことを奥さんは知っていたんですか?」
「とんでもない!」

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ヒムラーは人種について造詣が深く、創造的な直観と科学的研究に対する勇気を兼ね備えていた」
と語るシュトロープを、ヒムラーが贔屓にしていたのは、「ルーン文字研究」と
「北欧人種の血の貴族性信仰」を持った双子のような存在であったのでは・・と推測しています。
そしてヨーゼフ・シュトロープも、よりゲルマン的な名前である「ユルゲン」へと改名するのでした。

遂に黒いベルベット襟に「樫の葉を3枚」つけるまでに昇進。しかし武装SSの階級を取得するため
1941年にはトーテンコープ師団やライプシュタイダルテに配属されます。
3ヵ月程度の腰掛け研修期間をまっとうし、武装SSでも「予備役中尉」に昇進・・。
第1次大戦の2級鉄十字章の略章も授かります。

Wiederholungsspange 1939 zum Eisernen Kreuz 2. Klasse 1914.jpg

翌年のロシアへの夏季攻勢での目標のひとつ、カフカス。
ヒムラーの命により視察旅行へ赴いたシュトロープですが、
A軍集団司令官リスト元帥からは邪魔者扱い。
後にリスト元帥が罷免された理由を「この私とのいざこざが原因」と高慢に語りますが、
モチャルスキは、この大事な時期に「そんな低い次元の威信のわけがない」といった感想です。

Wilhelm List, Hans von Greiffenberg,Sepp Dietrich.jpg

SS社交界では戦局の悪化の時期においてもファッションが行き渡っていて、
特に身だしなみと流行にうるさいシュトロープは、このカフカス訪問で気に入った
「エーデルヴァイス」の記章に「山岳帽」をかぶり出します。
そして、この姿・・。「ワルシャワ・ゲットー蜂起」で写るシュトロープのスタイルが完成です。

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この「ワルシャワ・ゲットー蜂起」とは、ゲットーを解体し、ここに残るユダヤ人数万人を
強制収容所送りにしようとするドイツの作戦に気付いたユダヤ人住民たちによる決死の反乱ですが、
当初、ヒムラーから輸送の監視の任務を与えられていたシュトロープに、
この鎮圧指揮のお鉢が回ってきます。ポーランド・クラクフ地区の上官である
フリートリヒ・ヴィルヘルム・クリューガーからも詳細な命令を受け、
3日間の掃討作戦を実行に移します。

Kurt Daluege,Heinrich Himmler,Erhard Milch,Friedrich-Wilhelm Kruger,von Schutz,Karl Wolf Bonin,Heydrich.jpg

しかし、建物ごとに拠点を築き、狙撃兵やモロトフ・カクテルで激しく抵抗するユダヤ人に手を焼き、
最終的には28日間・・・、そしてこれら1日1日を詳細に振り返ります。

鎮圧部隊の中心となるのは「アスカリ」と呼ぶ、リトアニア人やラトヴィア人、ウクライナ人たちです。
ポーランド語も喋れず、強靭で残虐・非道な性格の彼らが、拠点を潰していくわけですが、
「退屈なんですよ・・」と言い訳して、やみくもに発砲する兵士もいれば、
「俺にはできない・・、女や子供たちが・・」と、その死体を見てメソメソと泣き出す兵士まで・・。

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シュトロープを驚かせたのは「女性闘士」たちの存在です。
すっかり諦めた表情で捕えられた彼女たちに、シュトロープらが集団で近づいて行くと
突然、スカート中の手榴弾に手を伸ばしたり・・。
このようなことから、その後シュトロープは娘たちを捕虜にせず、
離れた所から銃殺するよう指示します。

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SS人事本部長のマキシミリアン・フォン・ヘルフやクリューガーが視察に訪れた日には、
2000人を捕え、500人を銃殺・・と張り切り、クリューガーは「すべてを写真に収める」よう命じます。
これが有名な「シュトロープ・レポート」となるわけですね。
下水道には毒ガスと見せかけた発煙弾を放り込み、最終的に建物にも火を放って、
燻り出し作戦に変更。シナゴークも爆破し、「ワルシャワ大作戦行動」も正式に完了します。
5万人以上のユダヤ人を捕えた以外に、シュトロープは、自殺、焼死、圧死、
そして指揮官に無断で射殺されたユダヤ人の数を1万人以上に見積もっています。

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この「ワルシャワ・ゲットー蜂起」についてちょっと調べてみると「アップライジング」というTV映画が
2001年に製作されていました。どうもシュトロープを演じるのは、あのジョン・ボイト・・・です。
「真夜中のカーボーイ」とか「チャンプ」の名優として良く知られていますが、
「独破戦線」的には「オデッサ・ファイル」も良く憶えていますね。
最近では怪優といった感じで、確か「アナコンダ」に丸呑みされたりしてたような・・。
アンジェリーナ・ジョリーの親父さんでもありますが、
でもやっぱり「暁の7人」のハイドリヒと同様に、実際のシュトロープが48歳だったことを考えると、
だいぶ年寄り = 63歳の将軍ということになるようですね。

uprising_Voight.jpg

さらに、同じくいまや子供のキーファーのほうが有名な「ドナルド・サザーランド」も出ています。
この「ドナルド・サザーランド」といえば、もちろん「鷲は舞いおりた」です!
主演女優は「リーリー・ソビエスキー」という女優さんですが、
彼女の眼になんとなく見覚えがあると思ったら「ディープ・インパクト」の女の子でした。
このような役者陣でありますので、気が付いたらamazonでDVDを購入していました。

Leelee Sobieski_uprising.jpg

ヒムラーから「ヴォルフちゃん」と呼ばれていたというカール・ヴォルフとの会話では、
ポーランドでやりたい放題のグロボクニクの話題となり、
「あの、ならず者の泥棒野郎の出世も終わりだな」とヴォルフ。

続く任地、ギリシャではこの地のユダヤ人1万人以上をポーランドへ移送・・。
ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンとして有名なマックス・シュメリングが
降下猟兵に加わっていたというクレタ島では、卑怯、不服従、不正な行為によって
シュメリングが銃殺寸前だったという話題も出てきます。

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1944年には西部戦線、フランスやルクセンブルクをSSとして統治するという役割を与えられ、
その豪勢な生活の様子・・、外国人の使用人たちを見張るのは
特別あつらえのSSの制服に身を包んだ8歳の息子オーラフです。
これには訪れたヒムラーも膝に乗せて大喜び。

そして、「7月20日事件」を回想し、偉大な軍人ロンメルの裏切りに続いて、
クルーゲがフリーメーソンに属していたという話から、
一般的に自殺とされている、クルーゲ死の真相を語ります。
それは、ヴィトゲンシュタインも今まで全く聞いたことがない、最期です。。。
また、終戦間際に処刑されたカナリス提督の、その処刑方法も、
7月20日事件の他の被告たちとは全く違う、これも初めて聞いた実に恐るべきものです。。。

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最後に、本書の著者であるポーランド人のモチャルスキがなぜ、地元の刑務所で
シュトロープと共に収監されたのか・・が、書かれています。
ドイツ軍の侵攻によってロンドンへ逃れた亡命政府の指示によって誕生した
「国内軍(AK)」の指揮官であり、1944年の「ワルシャワ蜂起」にも参加したモチャルスキは、
戦後間もなく、新たな占領軍であり、「国内軍(AK)」を完全に無視するソ連軍によって
逮捕されてしまいます。
数年に渡る「地獄の尋問」に耐えたモチャルスキを精神的に屈服させるために取られた手段が、
彼にとって「不倶戴天の敵」であるシュトロープとの狭い監房での共同生活だったということです。

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本書は出来ることなら、ナチス親衛隊を熟知している方や、
戦中のポーランドに詳しい方・・が読まれることをオススメしますが、
主役であるシュトロープが期待を裏切らない、典型的なナチ将校、またはSSの将軍・・
であるので、この人物を知らない方でも楽しめるかも知れません。

第1次大戦に従軍したものの、生粋の軍人や貴族の家系出身ではなく、
大学出のエリートでもないというシュトロープのバックボーンは、
彼が最後まで信頼し、敬愛するヒムラーやヒトラーと変わらないような気がします。
アーリア人思想と反ユダヤ主義を持ち続けているところもそうですし、
女性に対してジェントルマンを気取ったところも似ているのでないでしょうか。

Ghetto_Uprising_Warsaw2.jpg

ただし、個人的な興味・・、ヒトラーと第三帝国を盲目的に信じ、
己の行為に恥ずべきものは何もない・・と思っているかというと、
そうでもないことが、行間から充分に伝わってくるものでもあります。
古いナチ党員ということも手伝って、最終的にはSS中将まで出世したものの、
この「SS」という世界の中で特筆すべき技能と能力を持たず、
盲目的に上官に服従することを良しとする彼の生き様は、なにか物悲しくもありました。

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なんとも凄い本でした・・。
この1年で独破したなかでも、Best3に入るでしょう。ひょっとすると「No.1」かも知れません。
監房の3人の様子はとても緊張感があり、非常に生々しく書かれていますし、
ひとりの、SSの、将軍の、人間性をここまで深く掘り下げたものは、
他にはないんじゃないでしょうか。






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