1945年のドイツ 瓦礫の中の希望 [戦記]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
テオ・ゾンマー著の「1945年のドイツ 瓦礫の中の希望」を読破しました。
最近、購入した本書はいわゆる「最終戦」や「ベルリン攻防戦」をテーマにしたものではありません。
個人的には帯に書かれている「ドイツが降伏したとき、私は14歳だった」に惹かれて
少年の眼から見た、終戦の記録・・的なものと勝手に想像していました。
しかし、これも完全な間違いで、実は1945年の1年間をテーマに
ドイツの敗戦、そして勝者によって無慈悲に分割されていく「ライヒ」。
それにもちろん、当時のドイツ市民が瓦礫の山のなかでどのようにして生きていたのか・・と
遥か遠く、日本でも終戦を向かえる過程もかなり詳しく書かれている
ドイツ人ジャーナリストによる1冊です。
まずは著者の14歳当時の生活が簡単に語られますが、
アドルフ・ヒトラー学校の生徒として兵器工場に動員され、V2ロケットの操縦装置のネジを締め、
午後には山岳兵に混じって、突撃兵になるための訓練を受けるというものです。
そして1945年春に彼は「特命」を受け、仲間2人と首都ベルリンに向かうことになりますが、
この「特命」とは、バイエルンでのゲリラ戦争・・いわゆる「人狼部隊」の活動のことです。
結局はソ連軍の迫るベルリンに辿り着くことが出来ず、終戦までを
小屋に隠れて過ごすことになったそうですが、
充分興味深い、このような話は、あくまで彼の経歴のひとつとして紹介されているだけで、
これから本文が始まります。
1944年の秋から1945年の1月にかけての東西戦線の様子が解説され、
すなわち、バルジの戦いが失敗した西部、ソ連軍の大攻勢が始まる東部戦線です。
それらの連合軍の進撃に伴い、解放されて行く収容所・・アウシュヴィッツしかり、
ブッヘンヴァルトやダッハウ、ベルゲン・ベルゼンでは6万人が開放されるものの、
ほとんどが「生きる屍」の状態であり、蔓延しているチフスにより、その半数が死亡・・
その中には、アンネ・フランクの名も・・。
さらにマウトハウゼンでは恐ろしい事態が・・飢餓が多くの拘留者をカニバリズムに駆り立てて・・。
しかし、このような強制収容所に代表されるような残虐性と非道性は、ドイツだけではなく、
続いて行われた東プロイセンでのソ連軍の蛮行が紹介されます。
避難民の群れの中にT-34が驀進し、馬と人が引き倒されドロドロのお粥のような状態で
転がっていた・・。
12歳の少女も強姦され、手を扉や大八車に釘で打ち付けられた裸の女性・・。
そのソ連軍がドイツの占領地域で略奪と強姦を働いていた頃、
英米軍は未占領地域を空から強姦していた・・、すなわち無差別爆撃です。
ハンブルク、ケルン、ドレスデンが廃墟と化し、英爆撃機司令官アーサー・ハリスは
3月末には、爆撃目標がなくなってしまったことを嘆く一方で、
チャーチルは「我々は動物なのか・・」と自問しています。
ベルリンの戦いもダイジェスト的にヒトラーと国防軍の最後の様子から、
最近発刊された匿名の日記・・「ベルリン終戦日記」のことだと思いますが・・、も取り上げ
恥辱にまみれ、数百人の女性が自殺した・・などの話も多数出てきます。
第4章は「戦争を継続する日本」です。
栗原中将の新戦術・・「バンザイ突撃」を禁止し、「10人の敵を殺して死ぬことを義務とする」という
硫黄島での壮絶な戦いの記録から、それ以上の犠牲者を出した沖縄戦・・。
「生きて還ることなかれ。君たちの任務は確実に死ぬことにある。死を選び、最大の戦果を達成せよ」
という神風特攻隊の最重要命令が紹介され、彼らの多くが20歳も超えておらず、
充分な訓練も終えていないことなど、9.11の世界貿易センターへ飛行機ごと突っ込んで行った
アル・カイーダのテロリストと同じである・・と書いています。
日本人からすると賛否がありそうですが、客観的に見れば確かにそうかも知れませんね。
ドイツ国内だけではなく、チェコスロヴァキアなどの占領地も解放され、
立場の逆転によってドイツ系住民が暴行を受けたり、迫害されたりと困難なときを向かえます。
また、1930年生まれのヘルムート・コール元ドイツ首相の体験談・・、
ヒトラー・ユーゲントのユニフォームを着ていた彼らが収容所から出てきたポーランド人に暴行され、
米軍によって救出された話なども興味深いものでした。
7月には、連合軍による「ポツダム会談」が開かれ、ドイツ分割とポーランド問題などが
「ヤルタ会談」に続き、連日行われます。
そのとき、米国ニュー・メキシコ州では原爆の実験が成功し、インディアナポリス号は
「リトルボーイ」を輸送中・・。3発目の「ファットマン」も用意されています。
しかし、未だ原爆の及ぼす効果にも疑問符が付くことから、トルーマン大統領は
1945年11月1日に九州を攻撃する「オリンピック作戦」と
1946年3月1日に東京湾に上陸する「コロネット作戦」も計画しています。
このような話はまったく知りませんでしたが、本書によると
日本本土での戦いとなった場合、予想される米軍の戦死者は最低でも30万人であり、
100万人でさえ最大数ではなかったということです。
荒廃したドイツ国内では各国の占領軍によって様々な嫌がらせも起こっています。
例えば、フランスの占領地域では、ドイツ人が自転車に乗ることが禁止され、
押して歩かなければならなかったり、
アメリカの占領地域ではビールの醸造を禁止する命令が出されたり・・。
それでも「南ドイツ新聞」は、ヒトラーの「我が闘争」を印刷した鉛の組み版を溶解し、
それを植字にして最初の紙面を印刷するという、過去からの脱却を試みています。
そして「瓦礫の中の希望」のタイトルどおり、シュトゥットガルトでは「破片の山」、
ベルリンでは「ガラクタ山」と呼ばれた瓦礫を片付ける中心となっているのは、
伝説となっている「トリュマーフラウエン」(瓦礫婦人)です。
1945年、戦死したり、捕虜となっていた男性よりも730万人も多かった女性は
いまや身を粉にして家族を養い、ドイツ人があの困難な時代を乗り切ることが出来たのも
彼女たちのおかげであると断言しています。
最も考えさせられたのがオーストリアの運命です。
1938年にヒトラーによって「併合」されたオーストリアには、戦時中「60万人」の
ナチ党員がおり、重要な役割を果たしていたにも関わらず、
連合軍よって「占領」されず、「開放」された・・・。
これはオーストリアがヒトラーの拡張政策の最初の犠牲者とみなされたことによる
「神話」であるとしています。
確かにSSでも「デア・フューラー連隊」やスコルツェニー、カルテンブルンナーなどは
オーストリア人ですし、もっと言えば、ヒトラーにしてもそもそもは・・。
テオ・ゾンマー著の「1945年のドイツ 瓦礫の中の希望」を読破しました。
最近、購入した本書はいわゆる「最終戦」や「ベルリン攻防戦」をテーマにしたものではありません。
個人的には帯に書かれている「ドイツが降伏したとき、私は14歳だった」に惹かれて
少年の眼から見た、終戦の記録・・的なものと勝手に想像していました。
しかし、これも完全な間違いで、実は1945年の1年間をテーマに
ドイツの敗戦、そして勝者によって無慈悲に分割されていく「ライヒ」。
それにもちろん、当時のドイツ市民が瓦礫の山のなかでどのようにして生きていたのか・・と
遥か遠く、日本でも終戦を向かえる過程もかなり詳しく書かれている
ドイツ人ジャーナリストによる1冊です。
まずは著者の14歳当時の生活が簡単に語られますが、
アドルフ・ヒトラー学校の生徒として兵器工場に動員され、V2ロケットの操縦装置のネジを締め、
午後には山岳兵に混じって、突撃兵になるための訓練を受けるというものです。
そして1945年春に彼は「特命」を受け、仲間2人と首都ベルリンに向かうことになりますが、
この「特命」とは、バイエルンでのゲリラ戦争・・いわゆる「人狼部隊」の活動のことです。
結局はソ連軍の迫るベルリンに辿り着くことが出来ず、終戦までを
小屋に隠れて過ごすことになったそうですが、
充分興味深い、このような話は、あくまで彼の経歴のひとつとして紹介されているだけで、
これから本文が始まります。
1944年の秋から1945年の1月にかけての東西戦線の様子が解説され、
すなわち、バルジの戦いが失敗した西部、ソ連軍の大攻勢が始まる東部戦線です。
それらの連合軍の進撃に伴い、解放されて行く収容所・・アウシュヴィッツしかり、
ブッヘンヴァルトやダッハウ、ベルゲン・ベルゼンでは6万人が開放されるものの、
ほとんどが「生きる屍」の状態であり、蔓延しているチフスにより、その半数が死亡・・
その中には、アンネ・フランクの名も・・。
さらにマウトハウゼンでは恐ろしい事態が・・飢餓が多くの拘留者をカニバリズムに駆り立てて・・。
しかし、このような強制収容所に代表されるような残虐性と非道性は、ドイツだけではなく、
続いて行われた東プロイセンでのソ連軍の蛮行が紹介されます。
避難民の群れの中にT-34が驀進し、馬と人が引き倒されドロドロのお粥のような状態で
転がっていた・・。
12歳の少女も強姦され、手を扉や大八車に釘で打ち付けられた裸の女性・・。
そのソ連軍がドイツの占領地域で略奪と強姦を働いていた頃、
英米軍は未占領地域を空から強姦していた・・、すなわち無差別爆撃です。
ハンブルク、ケルン、ドレスデンが廃墟と化し、英爆撃機司令官アーサー・ハリスは
3月末には、爆撃目標がなくなってしまったことを嘆く一方で、
チャーチルは「我々は動物なのか・・」と自問しています。
ベルリンの戦いもダイジェスト的にヒトラーと国防軍の最後の様子から、
最近発刊された匿名の日記・・「ベルリン終戦日記」のことだと思いますが・・、も取り上げ
恥辱にまみれ、数百人の女性が自殺した・・などの話も多数出てきます。
第4章は「戦争を継続する日本」です。
栗原中将の新戦術・・「バンザイ突撃」を禁止し、「10人の敵を殺して死ぬことを義務とする」という
硫黄島での壮絶な戦いの記録から、それ以上の犠牲者を出した沖縄戦・・。
「生きて還ることなかれ。君たちの任務は確実に死ぬことにある。死を選び、最大の戦果を達成せよ」
という神風特攻隊の最重要命令が紹介され、彼らの多くが20歳も超えておらず、
充分な訓練も終えていないことなど、9.11の世界貿易センターへ飛行機ごと突っ込んで行った
アル・カイーダのテロリストと同じである・・と書いています。
日本人からすると賛否がありそうですが、客観的に見れば確かにそうかも知れませんね。
ドイツ国内だけではなく、チェコスロヴァキアなどの占領地も解放され、
立場の逆転によってドイツ系住民が暴行を受けたり、迫害されたりと困難なときを向かえます。
また、1930年生まれのヘルムート・コール元ドイツ首相の体験談・・、
ヒトラー・ユーゲントのユニフォームを着ていた彼らが収容所から出てきたポーランド人に暴行され、
米軍によって救出された話なども興味深いものでした。
7月には、連合軍による「ポツダム会談」が開かれ、ドイツ分割とポーランド問題などが
「ヤルタ会談」に続き、連日行われます。
そのとき、米国ニュー・メキシコ州では原爆の実験が成功し、インディアナポリス号は
「リトルボーイ」を輸送中・・。3発目の「ファットマン」も用意されています。
しかし、未だ原爆の及ぼす効果にも疑問符が付くことから、トルーマン大統領は
1945年11月1日に九州を攻撃する「オリンピック作戦」と
1946年3月1日に東京湾に上陸する「コロネット作戦」も計画しています。
このような話はまったく知りませんでしたが、本書によると
日本本土での戦いとなった場合、予想される米軍の戦死者は最低でも30万人であり、
100万人でさえ最大数ではなかったということです。
荒廃したドイツ国内では各国の占領軍によって様々な嫌がらせも起こっています。
例えば、フランスの占領地域では、ドイツ人が自転車に乗ることが禁止され、
押して歩かなければならなかったり、
アメリカの占領地域ではビールの醸造を禁止する命令が出されたり・・。
それでも「南ドイツ新聞」は、ヒトラーの「我が闘争」を印刷した鉛の組み版を溶解し、
それを植字にして最初の紙面を印刷するという、過去からの脱却を試みています。
そして「瓦礫の中の希望」のタイトルどおり、シュトゥットガルトでは「破片の山」、
ベルリンでは「ガラクタ山」と呼ばれた瓦礫を片付ける中心となっているのは、
伝説となっている「トリュマーフラウエン」(瓦礫婦人)です。
1945年、戦死したり、捕虜となっていた男性よりも730万人も多かった女性は
いまや身を粉にして家族を養い、ドイツ人があの困難な時代を乗り切ることが出来たのも
彼女たちのおかげであると断言しています。
最も考えさせられたのがオーストリアの運命です。
1938年にヒトラーによって「併合」されたオーストリアには、戦時中「60万人」の
ナチ党員がおり、重要な役割を果たしていたにも関わらず、
連合軍よって「占領」されず、「開放」された・・・。
これはオーストリアがヒトラーの拡張政策の最初の犠牲者とみなされたことによる
「神話」であるとしています。
確かにSSでも「デア・フューラー連隊」やスコルツェニー、カルテンブルンナーなどは
オーストリア人ですし、もっと言えば、ヒトラーにしてもそもそもは・・。