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203の勝利 -リッペルト大尉空戦記- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヘルムート・リッペルト著の「203の勝利」を読破しました。

ルフトヴァッフェ「15番目の男」・・。あのクルピンスキーをも凌ぐ203機撃墜、
柏葉騎士十字章のエースパイロットの戦いの記録です。
と、言いつつ、実は良く知らなかったリッペルト大尉は、
他ではリップフェルト「Lipfert」と書かれていたりと、まぁ、あまり有名ではないようです。
本書の原題は「リッペルト大尉の日記」。訳者と編集部により、この邦題となったそうで、
フジ出版らしい、なかなか格好良いタイトルですね。

203の勝利.JPG

序文を書く「原書編集責任者」は、ヴェルナー・ジルビッヒで、これには聞き覚えが・・。
と、本棚を見るとやはり「ドイツ空軍の終焉」の著者でした。
最近ルフトヴァッフェに力を入れているのは、あの本を読んだからですが、
「ここにも出てきたか・・」と勉強のほどを見張られている気がします。
このジルビッヒによると、ソ連のパイロットは決して2流ではなく、
なかでもトップのイワン・コシェダフ少将は62機のドイツ機を落としているということです。

1942年11月、パイロットの卵たちに所属先が発表されるシーンから始まります。
最年長26歳のリッペルト少尉の配属先は、かの東部戦線で活躍する第52戦闘航空団。
エース・パイロットがひしめくその名の知れた航空団/JG52です。
新鋭戦闘機Me109-G2に搭乗し、向かうは危機に瀕するスターリングラード西南80㌔の基地。
早速、哨戒飛行に出るものの、火災のトラブルに遭い、なんとか不時着。
それも束の間、褐色の軍服に聞きなれない言葉を発する兵士たちが向かってきます。
しかし、彼らは盟友ルーマニア兵であり、連れて行かれた基地の指令シュタインホフ大尉からは
「君はまったく武運が強い」とお言葉を頂戴します。

helmut_lipfert.jpg

翌年1月に初の撃墜を経験し、9機撃墜して一級鉄十字章をまず目指します。
ソ連の「ラグ」や「ヤク」といった戦闘機を相手に戦果を重ねますが、
その描写は非常に真に迫っていて、背後に食い付いても、「ここぞ」という
タイミングで急旋回で逃げられ、急降下と旋回を繰り返しながら
やっと仕留める・・といった具合です。
昔、プレステで良くやった「エースコンバット2」を思い出し、読んでいて力も入ります。。。

このような空戦で印象的だったのが「Il-2」(イリューシン)地上攻撃機との対戦です。
この「Il-2」は頑丈な機体で、後部射手も乗るというかなり手強い相手で
他の戦闘機のように後ろに張り付いて、機銃で撃墜できるといった代物ではありません。

ilyushin_Il-2.jpg

クリミア半島では気象観測として頻繁に出動。通常、「ロッテ」という2機編隊で飛行し、
列機は編隊長の後ろ斜め上にポジションを置きます。
そしてソ連にも同じ手合いがおり、この気象観測ロッテ同士が顔を合わせたとき
編隊長同士による腕試しの格闘戦が始まります。
この格闘戦に邪魔が入らぬよう、お互いの列機は威嚇し合いながら、
上空で編隊長同士のバトルを観戦しますが大概は決着は付かず、
燃料制限の45分間を戦い終え、汗びっしょりとなって基地に帰るのでした。

The War Diary of Hauptmann Helmut Lipfert.jpg

直属の上官である、連隊長のバルクホルン少佐から特別任務も与えられます。
ソ連の高官がクリミア橋頭堡を視察に訪れるという情報を元に
「ケルチ上空でコレを確実に撃墜せよ」というものです。
すでに70機を超えるスコアをマークしているリッペルトは、敵護衛戦闘機を突破し、
見事、ソ連の高官を乗せたボストン双発機の撃墜にも成功します。
しつこいようですが、「エースコンバット」のミッションのようですねぇ。

Gerhard Barkhorn.jpg

またしてもロッテ同士で鉢合わせた84機目の相手はヤク戦闘機を操る非凡なパイロットで、
10分以上の格闘戦の末になんとか撃墜。
そして基地ではそれが有名なソ連パイロットで、傍受した交信の様子を聞かされます。
「またやられた!おい、早くこの殺人鬼のメッサー機の野郎を射ってくれ!
俺を助けるんだ!おい、早く助けろ!助けて!助けてくれ!」

Messerschmitt_Me_109.jpg

リッペルトの挙げる戦果にもかかわらず、西への撤退につぐ撤退を余儀なくされ、
レンベルクの基地では第3連隊きってのエースで「プンスキー伯爵」と呼ばれる
クルピンスキー中尉とも知り合いになります。
とても気さくで彼といると全然退屈しなかったという感想を残しています。

krupinski.jpg

He-111Ju-87などの爆撃機護衛の任務も多くあったようですが、
これらは戦闘機乗りにとって、とてもやっかいな仕事のようです。
それでもルーデル大佐率いるシュトゥーカ部隊の護衛についた際には
9機もの敵機を撃墜しています。

Messerschmitt_Me_109_und_Junkers_Ju_87.jpg

ルーマニアではプロイェシュティ油田に対する、米軍の四発重爆機編隊が・・。
リッペルトもB-24リベリーター1機を撃墜し、合わせて9機を葬ったものの、
中隊の損害は甚大であり、圧倒的な敵の優勢の前にパイロットたちは
今後、どうしてよいのか途方に暮れてしまいます・・。
そのルーマニアもいつの間にか彼らの敵となり、
ルーマニア軍基地へ攻撃を仕掛け、鹵獲されたJu-87を掃射しなければならない状況です。

撃墜数も143機となり、騎士十字章を授章して大尉となったリッペルト。
ハンガリーで駐屯している連隊は他の連隊によって補強され、再び、精強さを取り戻します。
その補強の筆頭は、当時308機撃墜の公認記録を持つ世界最高のエース、ハルトマン大尉
連隊長のバルクホルンも第2位の大エースです。

Helmut Lipfert _ Erich Hartmann.jpg

最後のハイライトとも言えそうなヤク戦闘機との空戦・・。お互いの「秘術を尽くし」合い、
地上40mでの旋回に、ブルブルと機体も震えます。
撃墜現場では陸軍の兵士たちが、これほど凄まじい空戦は見たことがないと言い合い、
士官にも引き止められたリッペルトは、墜落死したソ連パイロットが
洗練された身なりで沢山の勲章を付け、その中には「ソ連邦英雄」までが・・。

Hero of the Soviet Union.jpg

途中、機銃を命中させた敵機に接近すると、パイロットが血に染まり
仰け反った姿で死んでいるのを目撃し、恐ろしさにぞっとしたことで
その後、敵機を撃墜できなくなったという話や、
撃墜され、連行されてきたソ連パイロットに酒を注ぎながら語り合った話もあり、
この仮借なき東部戦線でも戦闘機パイロットたちはお互い騎士道精神を持っており、
相手を殺すことではなく、あくまで「撃墜することを目的」としていたように感じます。

そうでなければ、後半、パラシュートで脱出した際に、
米軍戦闘機から射たれたことに憤慨するという話は出てこないんじゃないでしょうか。

Helmut Lipfert.jpg

基地の近くには第1戦車師団が出動中・・。出向いた彼は大歓迎を受けます。
そしてこの師団がリッペルトがかつて所属していた部隊であり、
これが彼が年寄りパイロットである理由だったことが最後でわかります。
邦題どおり、次から次へとリッペルトの戦果が語られ、
それ以外のプライベートな話は一切出てこない本書ですが、
ひとつひとつの空戦に個性があるので、飽きることなく楽しめました。



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バラトン湖の戦い -写真集 ドイツ軍最後の戦車戦1945年1月~3月- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

M.スヴィーリン、M.コロミーエツ他著の「バラトン湖の戦い」を読破しました。

本書はソ連崩壊後、新たに世に出てきた大祖国戦争時の戦記写真集といわれる、
ロシア国立映画写真資料館や中央軍事博物館の所蔵写真などを用いた一冊で、
「独破戦線」でも以前に何冊か紹介した「独ソ戦車戦シリーズ」の前に発売されたものです。

バラトン湖の戦い.JPG

この戦役「バラトン湖の戦い」は、「春の目覚め作戦」としても知られていますが、
本書はまず、1944年暮れのソ連の攻勢によるハンガリーの首都、ブダペスト包囲の様子から
それを救出しようとするトーテンコップヴィーキングギレSS中将率いる第4SS戦車軍団と
フェルトヘルンハレ装甲擲弾兵師団第8SS騎兵師団 フロリアン・ガイエル等の
決死の脱出が結構詳細に前半の戦いとして紹介されます。

fhh-budapest.jpg

そして後半は3月、ゼップ・ディートリッヒ率いる、SS第6戦車軍による
「春の目覚め作戦」の終焉までが戦況図とともに解説されます。
しかし、このせっかくの戦況図ですが、「図1参照」と出てきても、
これがどこにあるのか不明だったりして、
普段見ない「目次」を見て、やっとわかるといった具合です。

まぁ、しかし東側の本ですから、第2ウクライナ方面軍のマリノフスキーと
第3ウクライナ方面軍、トルブーヒン隷下の砲兵部隊の大活躍が話の中心で
クルスク戦と比較をして、そのゼップ・ディートリッヒを軸としたドイツ軍の
戦術のダメさ加減も検証しています。

152-мм МЛ-20.jpeg

そんなソ連側でも思わず笑ってしまったのが「捕獲戦車大隊」のエピソードです。
正規の部隊ではないので、かなり信憑性には疑問符が付きますが、
このⅢ号とⅣ号突撃砲というドイツの鹵獲戦車で挑んだ「捕獲戦車大隊」は
いきなり味方戦闘機に攻撃されてしまい、2両が炎上、5両がぬかるみにはまり込み、
与えられた任務をまっとう出来ず・・。
逆にドイツ軍がこれらの突撃砲を曳きだし、その後の戦闘に用いた・・。

掲載されている写真はすべて白黒で、撃破されたドイツ軍の装甲車両がほとんどですが、
なかにはハンガリー軍の戦車も出てきます。
トゥラーンという名の戦車ですが、初めて見ましたね。

Turán II crossing a river.jpg

Ⅳ号戦車からパンターティーガーケーニッヒスティーガーのドイツ戦車。
自走砲もマーダーⅡやフンメルヴェスペ
Ⅲ号突撃砲にⅣ号突撃砲、ヘッツァーにヤークトパンターの駆逐戦車。
対空戦車ヴィルベルヴィントも何枚か写っているのは、制空権が支配されていたという
本文の記述を裏付けている気もします。

Jagdpanther.jpg

これらのなかでは個人的にあまり見たことの無かったⅣ号駆逐戦車が興味深かったですね。
なんとなくバランスの悪い、巨大な虫(カブトムシとムカデのあいのこ)みたいな外観で
できればカラーでその迷彩まで見たかったところです。

Jagdpanzer IV.jpg

行動中のティーガー、撃破されたティーガーを良く「生きてる虎」や「死んだ虎」などと形容しますが、
ドイツで発刊されたものは前者の写真が多く、旧ソ連からのものは後者がほとんどです。
本書のような後者の写真集は以前はあまり好きじゃありませんでしたが、
今回、この終戦間際の戦いにおける、ドイツ軍の後期の戦闘車両が多数掲載され、
それらは当然「死んだ」車両にもかかわらず、なにかしみじみと見入ってしまいました。

buda_tank.jpg

この自分の変化はやはり、いくつかの戦車戦記を読んできたことで、
その撃破された戦車=壊れた機械というものより、その中の戦車兵たち・・
も想像できるようになったからかも知れません。
戦車のそばで戦死している戦車兵や、砲塔から脱出できずに、焼け焦げた
戦車兵の写真も見たことはありますが、それよりも、本書のような
デッカい口径の直撃弾の穴が砲塔横に空いている「死んだ」パンターを見ると、
その瞬間、そこにいたであろう車長の運命を想像せずにはいられません。

泥にはまり込んだまま、何発もの直撃弾を喰らい「死んだ」戦車の写真も、
そのときのクルーたちの様子・・狭い車内で起こったであろうパニックなど・・、
彼らにとって、一瞬の出来事で終わったのだと思いたくなります。

Operation Frühlingserwachen.jpg

本書は2000年4月に発刊されたものですが、
翌月にも「写真集 バラトン湖の戦い」として発刊されています。
なにか問題があったのか、この2冊の内容に違いがあるのかはわかりません。
表紙はちょっと違っていたような記憶がありますが・・。



と・・、いつもはここで終わる「独破戦線」ですが、今回はもうちょっとだけ・・。

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」が公開されましたが、
いわゆる「ヤマト世代」といわれているヴィトゲンシュタインも
これについては多少なりとも気になっています。

まぁ、観ることはないとは思っていますが、
その理由はやはり、子供のころのイメージをぶち壊されたくない・・ということなんでしょう。

ただ、今の世代の子供たちにとっては、良い映画であって欲しいと思います。

映画の「ヤマト」といえば、「さらば宇宙戦艦ヤマト」が最高でした。
小学生のとき、ロードショーで大泣きして、そのまま続けてもう一度観ました。
確か、1週間後に友達とまた観に行って、大泣きしたと・・。




これは、好きだった真田さんや森雪もみんな死んで、最後には特攻・・という
悲しい展開なのが大きな要因ですが、
このラスト・シーンにかかる「大いなる愛」という曲が実に素晴らしい・・。



映画自体はもう10年か15年以上観ていませんが、
この曲だけはたまに聞いては、それだけで軽く涙します。
酔っ払っていたりしたら、軽くどころか、ダラダラ出てきます。
特にそのシーンを思い出して泣くわけではないんですが、
なんというか、その当時の大泣きした感情が蘇ってくるのかも知れません。

昔は「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち [Soundtrack] 」のLPも持ってましたが
今や手元になく、このCDもロクに売ってないんですね。残念。



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