SSブログ

抵抗のアウトサイダー -クルト・ゲルシュタイン- [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ソール・フリートレンダー著の「抵抗のアウトサイダー」を読破しました。

この70'sのロックンロールの名曲を彷彿とさせるようなタイトルの本書と
クルト・ゲルシュタインという名のSS中尉をご存知の方はどれくらいいるのでしょうか?
自分はまったく知りませんでしたが、たまたま見つけた本書の帯に書かれている
「ナチ親衛隊に潜入、ユダヤ人虐殺阻止を企てたゲルシュタインの抵抗と悲劇」
に惹かれ、この40年前の発刊のわりに綺麗な一冊が、たったの100円だったこともあって
騙され半分的な気持ちで読み始めてみました。

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原題では「善と悪の狭間で」という副題が付いている本書は、
ゲルシュタイン自身の書いた個人的な手紙やSS所属時代の「報告書」、
そして彼の知人たちの証言などから組み立てられた、
敬虔なキリスト教徒である彼が、ナチスのユダヤ人虐殺という犯罪を内部から目撃し、
それを世に知らしめるため、進んで武装SSへ入隊、やがて絶望へと変化していく
精神をも検証したゲルシュタインの伝記です。

1905年ヴェストファーレンに判事の父、7人兄弟の6番目として生まれたクルトは
幼少の頃から敬虔な家政婦の娘から神について教えられ、国民学校でも
理想的な宗教教育を受けたことから、プロテスタント青年団体でも指導者的な立場となります。

しかし1933年、ヒトラー首相が誕生し、国家青年指導者シーラッハによって
すべての青少年団はヒトラー・ユーゲントに吸収されることになると、
80万人を擁するプロテスタント青年団もクルトの抵抗空しく、他の団体と同じ運命に・・。

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興味深いのは、このキリスト教徒のクルトが1933年早々にナチ党へ入党していたことです。
この入党の理由は解明されていませんが、逆に、いかに当時のドイツでは
ごく普通の人々がヒトラーに好意を持ち、また、ナチ党もまだまだキリスト教を必要としていたか・・
を感じさせます。

それでも徐々に宗教活動に対する締め付けを強化するナチ党に反して、
クルトは違法で挑戦的な宗教活動を続けたことで1936年と1938年の2回に亘り、
ゲシュタポにより逮捕。ナチ党からも除名され、収容所生活も経験することになります。

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1940年、後のユダヤ人虐殺への序章とも言える、精神病患者などに対する
「安楽死計画(T4作戦)」が実行に移され、その噂もドイツ中に密かに知れ渡ります。
義妹がこの「安楽死計画」の犠牲者になったことから、ナチの犯罪の究明のため、
武装SSへの入隊を決意し、工業技術の仕事の経験や医療も学んでいたクルトは、
1941年に武装SS「保険局・衛生部」に配属され、自ら「捕虜収容所と強制収容所の
消毒装置をつくる任務」を選びます。

時同じくしてドイツ軍はソ連への侵攻、「バルバロッサ作戦」を開始し、
ヴァンゼー会議ではハイドリヒが1千万人のユダヤ人に対する「適切な処置」を宣言。
各戦線の後方ではアインザッツグルッペンによって大量のユダヤ人が無残な銃殺刑に遭い、
やがて銃殺の執行者であるSS隊員らの精神的負担を軽減することを目的とし、
殺人トラック・・・後部に閉じ込めたユダヤ人を排気ガスによって殺害する方法が発明されます。

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さらに組織的に効率的な大量虐殺を目指してガス室を備えた絶滅収容所が開設されていきます。 
青酸と消毒の専門家として、武装SSの消毒部門の長に任命され中尉に昇進していたクルトに
100kgもの青酸をポーランドに運ぶという極秘任務が与えられ、
そこではSS中将グロボクニクが「この最高機密の任務の内容を喋った者は銃殺」と
語ったあと、「膨大な量の衣料品の消毒」と、ガス室で使われている排気ガスに代わる
「青酸などのもっと強力で早く効くガスによる改善」という任務が・・。

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ゾビボール、トレブリンカ、そしてベルツェク(ベウジェツ)という絶滅収容所を
初代所長であり、「安楽死計画」の責任者でもあったヴィルトと共に観察し、
そこで裸にされてガス室へと送られるユダヤ人と
全員死亡するまでの35分にも及ぶ、一部始終を目撃することになります。
クルトは「彼らと共に祈り、どんなにか彼らと運命を共にしたかったか」という、感想を残しています。
しかし「目撃者として生き残る」という誓いも立てるのでした。

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そして早速、大量の青酸「チクロンB」を各絶滅収容所に送る任務に着手しますが、
「運搬中に分解した」との専門的な理由を用いては、途中で廃棄することも数回、
収容所に対しても、劣化しているために消毒剤として使用するように指示するなどの
サボタージュも行います。

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スウェーデン公使館の書記官や教会の反ナチ抵抗運動指導者らに、
このユダヤ人大量殺害の現状を伝え、外国からの援助も求めます。
しかし、英国やその他の西側各国はすでにこの事実を掴んでいながらも
戦争が「ユダヤ人戦争」へとなっていくことを危惧し、
また、救出したユダヤ人をどこが受け入れるのか・・という問題のため、
教会も含め、誰も傍観姿勢を崩そうとはしません。

孤立無援の戦いを続けるクルトは、巨大なナチの殺人機構の歯車に巻き込まれ、
逃れることのできない、がんじがらめの状態に肉体的にも、精神的にも病んでいきます。

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ユダヤ人を助けることを目的としながらも、アウシュヴィッツなどへもチクロンBを発注するという
「犯罪を阻止するために、犯罪に加担せざるを得ない」という二重生活も
終戦間際の1945年4月にフランス軍へ出頭することで、終わりを告げます。

自らの「ユダヤ人大量虐殺の真相を知る告発者」の立場を当初は尊重したフランス軍当局も
その後は戦犯としてパリの劣悪な環境で知られる、
シェルシェ=ミディ軍刑務所の独房へクルトを収監します。
そして7月25日、独房で自殺を遂げたクルト・ゲルシュタインの姿が発見されるのでした。

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遺書は残されていないため、彼の自殺の動機と死の真相は推測するしかありません。
戦時中の行為に対して「戦犯」とされたことや、
彼の精神状態が劣悪な独房に順応できなかったのかも知れません。
ナチスによる自殺と見せかけた口封じという推測もありそうですが、
本書ではそんな説は一切ありませんでした。

5年後の非ナチ化裁判においても、故人である被告、クルト・ゲルシュタインに有罪判決が・・。
これは彼のサボタージュの行為は認めるものの、
彼個人の力では虐殺行為を阻止することが不可能であること、
また、己の調達したチクロンBの僅かな量を遺棄したところで、
人々の生命を救い得ないことは明白だ・・という理由によるものです。
簡単に言えば「彼の努力が有効ではなかったために、有罪」ということです。

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また、この判決では、クルトが虐殺行為から遠ざかるという行動をとらなかったことも
有罪の理由に挙げています。
これも早い話が、「何もしなければ良かったのだ」ということであり、
裁判官も含めた見て見ぬふりのドイツ人が罪に問われず、
抵抗しようという精神は有罪になったわけです。

なお、1965年には有罪判決は取り消され、彼の名誉は回復させられました。
そして、先ほど知った話ですが、このゲルシュタインの物語が
2002年にドイツ映画「Amen.」として公開され、
日本でもDVD「ホロコースト アドルフヒトラーの洗礼」のタイトルで発売されていました。
不明な点も多い彼の具体的な行動や考えと苦しみが
どのように解釈されて映像化されているのか・・ぜひ、観たいですねぇ。

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多彩な人物たちが登場する戦記や、組織の興亡史も好きですが、
このような一個人の物語も大好きです。
これは小説のように主人公になりきって、自分もその当時の置かれた立場で物事や
善悪を考えることが出来るからですが、
今回も大いに考えさせられることのあった一冊でした。





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