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ヒットラーと鉄十字の鷲 -WW2ドイツ空軍戦記- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

サミュエル・W. ミッチャム著の「ヒットラーと鉄十字の鷲」を読破しました。

「ドイツ空軍、全機発進せよ!」に続いて、近頃、勉強中のルフトヴァッフェ第2弾?です。
本書は以前、朝日ソノラマから出ていた「ドイツ空軍戦記」と
「続ドイツ空軍戦記」の合本で、600ページの大作です。
1988発刊の原題「ルフトヴァッフェの男たち」というタイトルどおり、
著者の前書きでも「飛行機の背後にいた人物たちを論じる」といったものです。

ヒットラーと鉄十字の鷲.JPG

ヒトラーが首相に就任した1933年1月30日、この日をドイツ空軍誕生の日とする本書は
まず当然のように航空担当全権委員であるヘルマン・ゲーリングから紹介されます。
当時、様々な役職を兼ねるゲーリングですが、ドイツ空軍を建設するという
地味な仕事をこなす能力と性格を持っていないことから、
民間航空会社ルフトハンザの重役、エアハルト・ミルヒを航空次官として登用します。

Milch.jpg

しかし、ナチスの反ユダヤ政策のなかで、父親がユダヤ人というミルヒを庇う為に
ゲーリングは、彼が不倫の末に生まれた子であるというストーリーをでっち上げます。

一方、航空省指令局長という実質的な初代空軍参謀総長には
「信じがたいほどの洞察力と天賦の才能を持った」ヴェーファーが就任しますが、
1936年に事故死、その後任にはケッセルリンクが選ばれるものの、
進められていた四発重爆開発を原材料が掛かり過ぎるとして中止してしまいます。

Hermann Göring, Adolf Hitler, Walther Wever.jpeg

そのケッセルリンクも空軍内の争いに嫌気がさし、1年で辞任。
人事局長シュトゥンプが後を継ぎますが、これまた1年で終わります。
この1937年、ケッセルリンクの後の候補者には最初ハルダーヨードルが挙がったそうですが、
2人はミルヒとの仕事を嫌い、辞退したということです。いや~、初めて知りました。

結局は若く、ゲーリングも扱いやすいハンス・イェショネクがこの職についたことで、
参謀総長の座は落ち着きますが、技術局にウーデットが就任したことで、
ミルヒ、イェショネク、ウーデット、そして彼らの権力を分散し、
No.1の座を安定させたいゲーリングという図式が生まれます。

「最初の戦い」として丁寧に書かれている、スペイン内戦の章では
コンドル軍団を率いるシュペルレから、ガーランドメルダースといった名パイロットも登場。
「ゲルニカ」で気になっていたフォン・モローの活躍も紹介されますが、
ここからヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンが本書の中盤までの主役となります。

Generalfeldmarschall Wolfram Freiherr von Richthofen, chief officer of Legion Condor on its return from Spain, 6 June 1939.jpg

コンドル軍団で急降下爆撃を多用した、地上部隊への近接航空支援戦術を編み出した
リヒトホーフェンはポーランド、フランス、そしてバルバロッサ作戦でも
この戦術で大成功を収め、大佐から、一気に元帥まで駆け上がっていきます。

クレタ島攻略戦では、地中海英国艦隊との空海戦が詳細で楽しめました。
リヒトホーフェンの爆撃機により、軽巡洋艦「グロスター」と「フィジー」を撃沈し、
駆逐艦も6隻沈没、戦艦と航空母艦にも打撃を与え、そのうち一隻は、
後にノルマンディ沖に現れる、あの「ウォースパイト」です。

しかし、そのリヒトホーフェンの道のりは決して順風満帆ではありません。
ワルシャワ空爆では爆撃精度の低さから、味方陣地を誤爆してしまい
(焼夷弾をジャガイモよろしく、スコップですくって、輸送機のドアからばら撒いたり・・)、
ブラスコヴィッツ上級大将から「責任を取れ!」と迫られ、
ダンケルクに追い詰めた英仏軍壊滅という大仕事がゲーリングの暴言によって
いきなり空軍にまわって来た際にも、
「航空兵力だけで出来るわけがない。すぐに命令を撤回させろ!」
慌ててイェショネクを怒鳴りつけてます。

Blaskowitz Frank.jpg

「奇跡」とも云われるスウェーデンの中立・・。デンマーク、ノルウェーと同様、
この北欧の国スウェーデンに対し、何度も侵攻を計画したヒトラーですが、
その都度、ゲーリングから激しい、真剣な反対に遭います。
「奇跡の中立」の理由を本書では、そこがゲーリングの最初の亡き妻、カリンの故郷であり
1920年のある晩に一人の怪しげなドイツ人飛行士が、ある美しいスウェーデン女性と
恋に落ちたというだけのことだったとしています。

Carin _ Hermann  1922.jpg

ウーデットが自殺に追い込まれていく過程では次世代の双発高速爆撃機、
Ju-88を急降下させるという無茶な注文により、ドイツ空軍の最も優秀なパイロットのひとり、
フォン・モローが、その急降下テスト飛行で殉職してしまいます。
同様に開発しては失敗となっていく新型機たち・・エンジン火災が頻発したHe-177は
「ドイツ空軍のライター」と仇名され、墜落事故が続発したMe-210は「殺人機」呼ばれます。

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クリミア半島攻略を目指すドイツ第11軍司令官、フォン・マンシュタイン上級大将は
1942年、巨大な列車砲を含む、ありとあらゆる火砲を集め、セヴァストポリ要塞に挑みます。
そこに爆撃機11個、急降下爆撃機3個、戦闘機7個、合計21個飛行隊という
大航空部隊を率いてリヒトホーフェンが支援に当たります。
攻撃初日に723機が作戦に参加したと・・いうこの章を読むと、
またパウル・カレルを読みたくなりましたね。

Севастополь 1942.jpg

その後、スターリングラードでも包囲された第6軍を救うために、
地上からは装甲集団を率いるマンシュタインが、空中補給をリヒトホーフェンが・・
という、戦術家として尊敬し合う2人の最強タッグが復活します。
共に「こんな馬鹿な考えはやめさせろ!」イェショネクに対して進言しますが、
結果はご存知の通りです。

1943年、東部戦線でドイツの敗走が始まると、マンシュタインですら罷免されたように
ルフトヴァッフェにおいても苦難のときが訪れます。

近接航空支援戦術を提唱するリヒトホーフェンも、広がった前線の火消し役としては
とても対処し切れず、東部戦線からも引き上げてしまいます。
疎開しているウラル山脈を超えた軍需工場や石油施設への戦略爆撃を展開しなかったとして
リヒトホーフェンに責任があるような書き方にも感じますが、それはどうでしょうか?
そして終戦間際には脳腫瘍を患い、重態のなかで終戦を向かえます。

Generalfeldmarschall Wolfram Freiherr von Richthofen.jpg

策略を張り巡らし、ゲーリングさえ追い落とそうとしたミルヒも、1943年にお目見えした
ジェット戦闘機Me-262をヒトラーが爆撃機に転換しろという要求を無視したかどで
不興を買い、一気に権力を無くして辞任してしまいます。

ヒトラーを信奉あまり、短期決戦を信じ、優秀な教官パイロットたちも前線勤務に召喚して
将来に対する恐るべき犠牲を出してしまったイェショネクは、戦争が長期化するなかで
取り返しの付かない負債を抱えてしまったことに気づきます。
そして連合軍の無差別爆撃がドイツ本土を襲うと、皮肉屋の仮面をかぶった、
この繊細な若い参謀総長もピストル自殺を選びます。

Hans Jeschonnek.jpg

後任には同世代のギュンター・コルテンが選ばれますが、
彼は総統司令部での会議中、机の地図を指差してヒトラーに説明している際、
1.5m離れた場所でシュタウフェンベルク大佐の仕掛けた爆弾が炸裂し、
5日間、生死の境をさまよった末、1944年7月25日に死亡してしまいます。

generaloberst gunther korten.jpg

シュタインホフリュッツォウら大エース戦闘機パイロットたちによる
ゲーリングに対する反乱・・・、この話は以前にも紹介しましたが、
本書ではさらに、バルカン北部空軍司令官、ベルンハルト・ヴァバー大将が
闇取引と略奪で資産を得たかどで、ゲーリングの命令により銃殺刑に処せられます。
しかし、この事件でゲーリング自身が占領地で大量の美術品を押収し、
貯蔵していることを知っている空軍全体が怒りをあらわにし、士気も一気に落ちていくのでした。

Reichsmarschall Hermann Göring and Luftwaffe generals.jpg

最後には「ヒトラー 最期の12日間」で知られる、フォン・グライムがゲーリングの後任として
ヒトラーに指名され、ハンナ・ライチュとともに、ヒトラー後継者、デーニッツの元を訪れます。
シュタインホフとリュッツォウからも信頼されていた”パパ”グライムは
デーニッツが「素晴らしい軍人であり、深く感動した」と語るように、捕虜となったあと、
自殺を遂げ、ここにドイツ空軍の歴史に幕が下ります。

Robert Ritter von Greim, Generalfeldmarschall.jpg

数十人登場する重要人物は、都度、生い立ちからが紹介され、例えば
ゴードン・ゴロップがスコットランドの家系でもともとは「マックゴロップ」という名で・・、
などと面白い話も出てきます。

また、イェショネクが遺書で「葬式に呼んでくれるな」と書いた、2人のうちの1人
ゲーリングの副官が、あの陸軍総司令官ブラウヒッチュ元帥の息子、
ベルント・フォン・ブラウヒッチュ大佐だったというのも興味が沸いた話のひとつです。

ドイツ空軍興亡史としては「ドイツ空軍、全機発進せよ!」とは、また違い、
リヒトホーフェンとイェショネクが軸となっている雰囲気の一冊でなかなか楽しめました。







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