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諜報・工作 -ラインハルト・ゲーレン回顧録- [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ラインハルト・ゲーレン著の「諜報・工作」を読破しました。

以前から読みたいな~と思いつつも、当時の定価¥1200が今では
古書でも¥3000以上はすることで、購入に二の足を踏んでいましたが、
今回、綺麗な本を¥600で購入することが出来ましたので、早速、読破です!
いや~、本に限らず、こういう「良い買い物」が出来ると嬉しいですねぇ。
ちなみにヴィトゲンシュタインは上野の「アメ横」で買い物を覚えたクチですから
良い物を如何に安く買うか・・には執念を燃やします。

諜報・工作.JPG

もともとその10代の頃からスパイ小説が大好きで、当時まだ東西冷戦が続いていた時代、
もちろん、多く小説の舞台の中心となるのはベルリンの壁が存在する東西ドイツ・・。
ジョン・ル・カレやレン・デイトン、フリーマントルにラドラムなんかが愛読書でした。

まずは1942年4月1日、ゲーレンがドイツ陸軍参謀本部第12課、
通称「東方外国軍課」の課長に任命された経緯からの回想です。
それまで情報活動とは関係なく、作戦課での勤務や西方作戦では
ブラウヒッチュからホトグデーリアンの装甲軍団の連絡将校を務め、
その後、参謀総長ハルダーの個人副官を務めたということです。

就任後、ゲーレンは「東方外国軍課」と情報参謀の改革を行います。
特に「地球規模でものを考えることが出来る人物」というカナリス提督を尊敬し、
OKWの外国・防諜部(アプヴェーア)の彼との協力関係がはじまります。

Reinhard Gehlen.jpg

カナリスは宗教的観念から政治的暗殺を拒否し、フランスのジロー将軍や
チャーチル暗殺をヒトラーから命令されたという話が出てきます。
完全に「鷲は舞い降りた」ですねぇ。

しかし、当時カナリスには「RSHA」という敵が存在します。
ヒムラーとハイドリヒのSSがこの防諜の世界に入り込もうとするこの戦いは、
1936年にはカナリスがRSHAのヴェルナー・ベストと接触し
双方の組織の線引きとなるガイドラインを創るものの
1942年6月にシェレンベルクが登場し、新協定を結ぶこととなり、
SDの国外スパイ活動が合法化されてしまいます。

canaris und heydrich.jpg

シェレンベルクについて「彼はとても利口な男だったし、説得力もあった」として
カナリスからは「危険な相手」と警告もされていたそうです。

ゲーレンが東方外国軍課の長に就任してから半年後には
スターリングラードでの危機が訪れます。
翌年のクルスクでの「ツィタデレ作戦」においても、ソ連軍の陣容を調査/報告しますが、
スターリングラードの時と同様にその情報は活かされません。

ハルダー、ツァイツラー、グデーリアンというゲーレンが従えた歴代の陸軍参謀総長は
ゲーレンの作成した報告書がヒトラーから「敗北主義」と一蹴されても庇い、
1945年1月にはヒトラーが「こんなものを書いた奴は精神病院送りにしろ!」と
グデーリアンに怒鳴りつける、有名な話も出てきました。
ちなみにゲーレン自身は4回ほどヒトラーと対面したことがあるようです。

Hitler in military briefing_ Manstein, Ruoff, Hitler, Zeitzler, Kleist, March _1943.jpg

ヒトラー暗殺未遂事件当時、ゲーレンは病気のため入院していたことも幸いし、
当然のように知っていたこの計画の共犯者とする
ゲシュタポの「魔女狩り」からは見逃してもらえたそうです。
なお、本書にはシュタウフェンベルクと立ち話するゲーレンの珍しい写真も掲載されています。

wolfsschanze1944.jpg

しかしカナリス提督は投獄され、アプヴェーアもシェレンベルクのSDに吸収・・。
ゲーレン自身も終戦直前の1945年4月9日に解任されてしまいます。

途中、最も楽しみにしていたマルティン・ボルマンソ連スパイ説が3ページほど語られます。
1943年頃からゲーレンも疑い始め、絶対的な証拠はないもののカナリスも
同様に疑っていたにも関わらず、「総統」の信頼がある秘書のボルマンに対して
逆に信用下降線の一途を辿るカナリスら防諜部が監視をつけたり、
報告するなどということはとても出来る話ではなく、
戦後の調査によって、ボルマンが総統地下壕からソ連に身を預け、
ソ連の顧問として完璧な偽装の元で生活・・やがて死亡したとのことでした。

MARTIN BORMANN9.jpg

この第三帝国におけるゲーレンの回想はこの前半の約1/3程度でおわり、
ここからは投降したアメリカ軍に対して、自分たちのソ連に対する情報提供者としての
価値を認めさせ、近い将来、現実となるであろう、ソ連と西側の戦いと
ドイツが復活した暁には独立した諜報機関になることを目指したゲーレンの戦いが紹介されます。

彼個人としてはこの過程が最も重大、かつ困難な時期であったことが
読んでいて実に良く伝わってきます。

そして1949年、コンラート・アデナウアーが初代西ドイツ首相に就任すると、
既にアメリカとCIAと協力して実績を挙げていた「ゲーレン機関」にも信頼を寄せ、
1956年には正式に政府組織、ドイツ連邦情報局「BND」となって
ゲーレンは1968年まで長官として活躍します。

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現在、既に取り壊された「ベルリンの壁」が徐々に構築されていく様子や、
宿敵となる「SSD」(東ドイツ国家安全保障局)長官、ウォルベーバーとの戦い。
ソ連ではスターリンが死亡し、元NKVDベリヤがモスクワで処刑されるなど
クレムリン内部での権力争いも調査。

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キューバ危機でのケネディとフルシチョフ、そしてカストロらについても語り、
そのフルシチョフも遂に失脚して、ダイナミックな党指導者としてブレジネフが登場します。

またKGB議長アレクサンドル・シェレーピンが「BND」内部にスパイを送り込み、
ゲーレンがその「逆スパイ」の部下を告発するまでの過程も詳細です。

Alexander Shelepin.jpg

ベトナム戦争についても諜報の観点というより、かつてのドイツ陸軍作戦参謀的な見方から
アメリカのちまちました戦術にダメだしをして、「かつて我々が行った電撃戦を行っていれば、
ジャングル戦に引き込まれることもなかっただろう」と解説しています。

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後半は、やっぱりかつて読んだスパイ物を彷彿とさせる展開で、
確かに「独破戦線」的ではないにしろ、個人的には非常に楽しめました。
ゲーレン引退後の回想録とはいえ、そのたった3年後に執筆された本書は、
やはりどこまで書くか・・というのには本人も悩んだようです。
当然、現役スパイたちの名やそのスパイ網などを暴露することなどできるハズもなく、
進行形ではない、あくまで、「既にカタがついたこと」の集大成ということがいえるでしょう。



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