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ドイツ空軍の終焉 -西部戦線ドイツ戦闘機隊、最後の死闘- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴェルナー ジルビッヒ著の「ドイツ空軍の終焉」を読破しました。

ドイツ戦闘機隊に致命的な一撃を与えた「ボーデンプラッテ作戦」を中心に
タイトルどおりの終焉までを克明に検証した一冊です。
原題は「暁の出撃」。なかなか格好良いタイトルですね。

ドイツ空軍の終焉.JPG

1944年11月から始まる本書は、昼夜を問わず猛爆を繰り返す連合軍の
爆撃機編隊に挑む、西部のドイツ空軍戦闘機隊の非情なまでの戦いざまから
紹介されます。
千機を超えるB-17フライング・フォーレス四発重爆の編隊と、それを護衛する
数百機の新顔P-51マスタング戦闘機に対し、訓練もままならない新人パイロットたちの
Bf-109とFW-190がひたすら迎撃に向かい、その結果・・・、双方の損害を分析して
毎日、数十人のドイツ戦闘機パイロットを喪失するダメージ大きさを解説しています。

B17 Flying Fortress.jpg

当時の空軍参謀長エックハルト・クリスティアン少将らとヒトラーの会談の様子を
議事録の如く掲載し、そのヒトラーの本土防衛に対する考え方も紹介しています。
そんななか、新型戦闘機である、Me-163コメートMe-262も登場しますが、
大エース、ノヴォトニーが墜落死する様子も語られています。

Walter Nowotny.jpg

そして本書のメインとなるのは1945年1月1日に発動された、
「ボーデンプラッテ(地盤)作戦」です。
本来この作戦は地上部隊の西部での最後の反攻作戦である「ラインの守り作戦」、
いわゆるバルジの戦いと平行して実施することを想定していたものですが、
ご存知のように「ラインの守り作戦」は連合軍の空からの攻撃を防ぐため
あえて天候の悪い時期を選んで実施したということは、
ドイツ空軍も天候が悪くては出撃できないという、初めから矛盾をはらんだ陸空協同作戦で、
結果的に、天候が回復したこともあって「ラインの守り作戦」が行き詰まり、
その後、この「ボーデンプラッテ作戦」が発動されるということになります。

この「ボーデンプラッテ作戦」は、連合軍が既に侵攻したフランス、オランダ、ベルギーの
各飛行場を急襲し、連合軍戦闘機に大打撃を与えて制空権を再び取り戻し、
爆撃機編隊に対する迎撃を容易にしようというもので、
西部戦線の拠点を置く、ほぼ全ての戦力である12個航空団の40個飛行隊が作戦に参加。
しかし戦闘機隊総監としてすっかり干されたガーランドに代わり、
爆撃機隊総監のペルツに責任を与えたことで
ガーランドを慕う戦闘機パイロットたちは複雑な心境だったようです。

Flakkampfabzeichen der Luftwaffe.jpg

こちらも「ラインの守り作戦」同様、詳細については秘匿命令が出され、
飛行隊指令ですら直前まで任務を知らされないという状況や
対地作戦という特殊性やパイロットたちの技量など万全の体制とは言い難く、
特に自軍の高射砲部隊への連絡にも問題があったことから、
今まで自軍のソレを見たことの無い、高射砲部隊員たちは多数の戦闘機編隊を
スッカリ敵と思い込み、撃墜してしまいます。
このような同士討ちは秘匿作戦というのには良くありがちですね。

Operation Bodenplatte.jpg

著者はこの時期の空戦について充実した調査を行っていて、
名前の登場するパイロットの数はハンパではありません。
なかでも、英空軍スピットファイアに乗り込んだポーランド人パイロットと
「ラトヴィア陸軍戦闘航空隊」からルフトヴァッフェに配属された
ラトヴィア人義勇兵パイロットによる空戦というのは印象的でした。
強制収容所ではなく、独英両空軍の戦うなかでのポーランド人対ラトヴィア人・・。
まさに世界大戦ですね。

有名どころでは、第4襲撃航空団指令で剣章を持つアルフレッド・ドルシェル大佐も
参加しており、アーヘン近郊で被弾して、そのまま行方不明に・・。
他にもベーア大佐率いる第3戦闘航空団"ウーデット"のアイントホーフェンへの襲撃成功や
わずか2機で「史上最大の作戦」に果敢な攻撃を仕掛けたプリラー中佐の
第26戦闘航空団"シュラゲーター"ではクルピンスキー大尉の名も・・。

Josef Priller.jpg

また、過去にミュンヘベルクやシュタインホフら超一流が指令を務め、ベーアやゴロップ、
ヴィーゼといった指折りのパイロットを輩出したことでも知られる
第77戦闘航空団"ロートヘルツ"も紹介され、この有名な航空団が
1944年秋のマーケット・ガーデン作戦に対して投入され、戦果は挙げたものの、
ドイツ空挺部隊の父クルト・シュトゥーデントの息子である
ハンス・デューター・シュトゥーデント少尉の戦死という重い代償を払わされた・・
といった話もありました。

結局のところ1945年1月1日のたった4時間程度の作戦で、
参加した戦闘機の30パーセントにも上る、ドイツ戦闘機300機が失われ、
このまったく無意味な作戦でドイツ空軍の背骨が折られたということのようです。

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その後、西方のドイツ空軍の戦いではJu-88からMe-262に機種変更した
第54爆撃航空団の珍しい戦記が出てきたり、
英空軍の爆撃機編隊450機にドイツ夜間戦闘機が襲い掛かり、62機を撃墜し、
なかでも夜間戦闘機のトップ・エース、シュナウファー少佐が7機撃墜したという
話も紹介され、その最後にはハヨ・ヘルマン大佐の発案による「特攻隊」、
エルベ特別攻撃隊まで書かれ、ドイツ空軍は終焉を向かえます。

schnaufer11.jpg

前半の戦い、現れては消え、を繰り返す若いパイロットたちの消耗品のような
戦闘の展開は若干読むのに苦労しました。
「ボーデンプラッテ作戦」からは知っている名前も多くなり、いくらか楽しめましたが、
まぁ、ある程度はルフトヴァッフェに精通していないと本書は難しい(楽しめない)でしょう。

自分も有名なワリにまだ手を出していない「ドイツ空軍、全機発進せよ!」や、
読みやすそうな「朝日ソノラマ」の「ドイツ空軍戦記」や「西部戦線の独空軍」、
「最後のドイツ空軍」などを購入して、もうちょっと基礎を学ぼう・・と考えています。
と、書きながら調べていると「ドイツ空軍戦記」は、学研M文庫から
「ヒットラーと鉄十字の鷲」というタイトルで再刊されているようですね・・。ふ~、難しい・・。


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