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ムッソリーニを逮捕せよ [イタリア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

木村 裕主 著の「ムッソリーニを逮捕せよ」を読破しました。

いわゆる「イタリアの寝返り」がどのようにして起こったのか・・ということに
焦点を当てた本書は、以前から気になっていた一冊で
著者は毎日新聞の記者としてローマ特派員を務め、後に
在イタリア日本大使館広報・文化担当官という人物で
30年越しの独自の調査などから、思い入れタップリに本書を書き上げ
講談社のノンフィクション賞を受賞しています。

ムッソリーニを逮捕せよ.JPG

1943年初頭の暗雲立ちこめるイタリアの状況から始まります。
「ラテン系」のイタリア人と「ゲルマン系」のドイツ人の大きな性格の違いや
古くローマ時代の北方ゲルマン民族に対する脅威から不倶戴天の敵と見做していた・・と
その「枢軸」の無理やり加減を解説しています。

「イタリア人にとって無意味な戦争である」として一刻も早く戦争からの離脱を考える、
参謀部の若き将軍、ジョゼッペ・カステッラーノは
新参謀総長アンブロージオの信任とともにムッソリーニの失脚を画策し始めます。

Vittorio Ambrosio.jpg

国王の意向も重要なことから宮廷大臣アックワローネ公とムッソリーニの娘婿で
外相のチアーノとも接触し、ファシスト党内部での反乱も押し進め、軍と国王、
ファシスト党というムッソリーニの周辺を極秘のうちに切り崩していきます。

そして1943年7月、有名なイタリアン・マフィア、ラッキー・ルチアーノの協力や
多数のイタリア系将官を要した連合軍によるシチリア上陸のハスキー作戦が実施されると、
ファシスト党からも「大評議会」が数年ぶりに開催され、長時間に及ぶこの会議で
遂にムッソリーニ解任要求が議決されます。

Benito Mussolini, Galeazzo Ciano Graf von Cortelazzo, Adolf Hitler.jpeg

それでも国王エマヌエーレ3世の信任に自信のあるムッソリーニは
翌日、国王のもとを訪れますが、すでに反ムッソリーニ派からの進言を
受けていた国王は、あっさりとバドリオ元帥が後任である・・と指示し、
ガックリと王宮を出てきたムッソリーニを護衛という名目で拉致することに成功します。

本書のタイトルである「ムッソリーニを逮捕せよ」までの過程は
この中盤に差し掛かろうかというところで首尾よく完了してしまいますが、ここから
本当の主題である「連合軍との休戦」に至るまでの各国の思惑と騙しあいの幕があがります。

giuseppe_castellano.jpg

イタリア国内でも戦力の優れたドイツ軍にバレた場合の被害を想定すると
ムッソリーニ失脚後も、新イタリア政府は「戦争を続ける」と公式に表明し、
枢軸の兄貴分ドイツを安心させようと四苦八苦します。
しかし「戦争を続ける」といってもそれは、連合軍がイタリア本土に上陸した暁には
彼らと共にドイツ軍と戦うという意味であり、そのために本書の主役カステッラーノは
リスボンの英国大使にイタリアの意向を伝えようと、
ゲシュタポの目をかいくぐりながらの列車の旅に出ます。

政治的な駆け引きと全権を託されていない、あくまで軍人であるカステッラーノは
国王やパドリオの考える政治的解釈と、なによりも本国と連絡ができないことが
大きな悩みであり、このあたり、政治サスペンスの様相を呈しています。

Vittorio Emanuele III.jpg

やがてシチリアで、アイゼンハワーとも直接対面しての休戦交渉に挑みますが、
連合軍側の条件は「無条件降伏」という厳しいもの・・。
なにを言われようが枢軸軍から連合軍に寝返ることが目的のイタリアは
ローマ以北へ上陸してもらい、ドイツ軍を分断して被害を最小限に抑えながらも
一緒にドイツ軍をイタリアから駆逐することを進言します。

1943-Bedell Smith-Castellano-Eisenhower-.jpg

アイゼンハワーを筆頭に厳しい条件と態度の連合軍首脳のなかで、
補佐官のベデル・スミス将軍だけは唯一、カステッラーノに同情的で
遠回しながらも極力真意を伝えようと努力します。

ですが、連合軍の上陸作戦とそれに伴う「無防備都市ローマ」市内への
降下作戦の日時を誤解したことから、この降下作戦は中止となり、
さらには同様に教えて貰えずじまいだった上陸地点が南であったことからも、
結局はケッセルリンクロンメル率いるドイツ軍の防衛戦術の前に時間と損害、
そして長期に渡るファシストと反ファシストとの争いやパルチザンの大量処刑など、
当初カステッラーノたちが目指したものとは違う展開となっていきます。

Roma, città aperta.jpg

スコルツェニーによるグラン・サッソからのムッソリーニ救出も語られますが、
個人的に興味のあるチアーノのその後が出てこないのが残念でした。
これは本書の姉妹編である「誰がムッソリーニを処刑したか」に
書かれているのかもしれません。

Mussolini and Skorzeny.jpg

なかなか勉強にもなり、かつ楽しめました。
ドイツ目線から見れば、やはり「都合の良いことやってんな~」とも思いますが、
それも戦争の一部ですし、民族気質の違いもある程度理解できます。
また"ドゥーチェ"ムッソリーニと、"フューラー"ヒトラーとの決定的な立場の違い、
イタリアには国王がおり、その信任が必要であるという、当たり前と言えば当たり前ですが、
同じ「独裁者」と呼ばれる人物でも、人間性より、その足元の違いを大きく感じました。


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捕虜 -誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

パウル・カレル、ギュンター・ベデカー共著の「捕虜」を再度、読破しました。

パウル・カレルを紹介するのも今回が最後になりますが、
その最後となる本書を再読するのは、4年ぶりくらいになるでしょうか。
いつものカレルのように多彩な人物たちが登場し、テンポ良く
ショートショートのような展開で飽きることなく読ませてくれます。
覚えている話もありましたが、数日かけて読んだ今回でも、
時間切れでページを閉じるのも切ない気持ちになりました。

捕虜.JPG

5章から成る本書はまず、開戦から間も無い1941年のUボート捕虜にまつわるものからです。
客船「アセニア号」を撃沈したことでも有名なレンプ大尉と、そのU-110の最後が紹介されると
続いてU-570のラームロー大尉があっさり降伏した末に
秘中の秘であるUボートとエニグマ暗号機を、敵に受け渡すという
Uボート艦長としてのあるまじき愚行を犯した挙句、捕虜となります。

u570-Kommandanten Rahmlow.jpg

しかし彼と先任が送られた英国の捕虜収容所で待っていた先輩Uボート捕虜仲間により
「有罪」となり、先任は名誉回復の脱走の末、射殺され、ラームローは最後まで
彼ら仲間と交わることが許されず、ひとり寂しく生きてゆくことになるのでした。

大エース、オットー・クレッチマー少佐のカナダでの捕虜生活は実に楽しく書かれています。
1942年の英加コマンドー部隊による、デュエップ奇襲作戦に端を発した
捕虜の手を縛るという問題では、ヒトラーにより連合軍捕虜の手を束縛する命令が出され
その報復によって、ボウマンヴィル収容所のクレッチマーたちも束縛されることに・・。
ここにドイツ人捕虜対カナダ人監視兵による戦争が勃発します。
この話、クレッチマーの伝記「大西洋の脅威U99」にも出ていましたが、
ほとんどスポーツのような、ほのぼのした戦いで実に楽しめます。

U-Boat Commanding Officers imprisoned at the Bowmanville POW Camp.gif

他にも地中海で空母アーク・ロイヤルを撃沈した、U-81のグッゲンベルガーの
捕虜生活と脱走も描かれ、その最後にはアーク・ロイヤルに乗船していた英国人将校から
「あの時は実にお見事でした」と手を差し出されます。いや~、感動的です・・・。

Friedrich-Guggenberger Kommandant von U 28, U 81, U 847 und U 513.jpg

第2章は仮装巡洋艦「コルモラーン」の戦記から、彼らが捕虜となったオーストラリア大陸での話、
アフリカ軍団のエジプトでの捕虜生活の様子と続き、終戦後、
英国での労働に駆り出されたドイツ人捕虜と、英国娘との恋と結婚の話などが紹介されます。
36万人という驚くべき人数の捕虜がアメリカ本土の収容所にばらまかれていたという話は、
意外な感じがしましたが、英国を含めて、ドイツ人捕虜のナチズムからの更生を図る過程は
なかなか興味深いものでした。

基本的に戦局の早い時期に捕虜となった者、例えばアフリカ軍団の兵士たちなどは
ドイツの攻勢の中心であった世代であり、1944年以降の旗色が芳しくなくなってきたことを
知らないことから、捕虜のなかでもいわゆるナチズム信奉者が多かったとしています。

Afrikakorps member.jpg

第3章はライン川からフランスまでの西ヨーロッパでの収容所の様子です。
終戦直後の西側連合軍に投降したドイツ兵たちは、想定しないほどの酷い捕虜生活を
強いられます。これは以前に紹介した「消えた百万人」そのものの悲惨な例が紹介され、
子供から老人、病院から引きずり出された病人から手足を失った者まで、
野ざらしのキャンプに数ヶ月間放置。。。

German POW. He was only 16 years old.jpg

フランスでの捕虜は連合軍の上陸を防ぐために仕掛けられた、ロンメルの遺産とも言うべき?
一千万個という地雷除去作業に4万人の捕虜が駆り出されます。
もちろん全員が元工兵などということはなく、シロウトの彼ら捕虜が
棒や素手で一個一個地雷を探り当てては除去するわけですが、
その失敗による損害も部隊によっては10%を超えています。

第4章は見方によっては中心部分となる章でしょう。
終戦時スウェーデンで捕虜となった3000名のドイツ人捕虜。
しかしソ連からの要請でスウェーデン政府は引き渡しを決定してしまいます。
これに猛反対するのは捕虜だけではなく、スウェーデン市民と監視に当たっていた軍。
スウェーデン将校はドイツ兵との連帯の証に、ベルトに白いハンカチを巻き、
国王へ陳情の手紙を送ります。が、結局は警察が投入されてしまい・・・。

バルカン方面で捕虜となったドイツ兵の運命は実に恐るべきものです。
捕虜に対する、あまりの残忍さにあまり細かいことは書きたくありませんが、
さわりだけをちょっと紹介すると・・
188機撃墜のエース・パイロット、ヨアヒム・キルシュナーはセルビア上空で
パラシュート脱出しますが、捜索隊が発見した彼の姿は、
ノド元を掻き切られ、両目をえぐられた遺体に柏葉騎士十字章が掛けられて・・。

Joachim Kirschner.jpg

降伏した武装SS「プリンツ・オイゲン」の兵士1600名が射殺されたり、
通信隊助手の女性は「体を杭に串刺しにされて殺された」。。。
この陰惨なバルカンの戦法については、なにもドイツ軍相手や今次大戦で起こったことではなく、
過去の好戦的なトルコ支配の残影であると詳しく分析しています。

以前に紹介したポール・ブルックヒルの「大脱走」もその経緯が書かれていて、
特に終戦後、捕えた捕虜たちを射殺したゲシュタポに対する裁判まで・・。
他にも「トーテンコープフ」のクネヒラインSS大尉が、降伏して来たロイヤル・ノフォーク連隊の
97名を機関銃で殺害した話と、その当事者クネヒラインの最後までが書かれていました。

Fritz Knöchlein2.jpg

最後の章はロシアの捕虜です。
悲惨ではあるものの最も良く知られた、かの地での捕虜生活ですが、
その悲惨さと絶望ゆえ、ロシア側に転向してしまうドイツ兵たちも紹介されます。
しかし武装SSの兵士と小柄な日本兵は、民族の誇りと団結を守り、
日本人将校が「切腹」した話までも披露しています。

飢えの問題は実に深刻で、スープなどの配給係は最も信頼のある者がなり、
さらに鑑定委員会が配られた食料・・豆の個数から葉っぱの長さまで厳格に測ります。
犬や猫は当然のこと、ネズミやトカゲも調理し、一度食べたものを胃から口に戻すという
「反芻テクニック」なるものも解説。。。

GermanPOWsRussia1944.jpg

やがてバイカル湖沿岸の収容所では「森で死んだ戦友の遺体を・・・」という
カニバリズムまでが報告されています。
エーリッヒ・ハルトマンの「不屈」ぷりが紹介されているのが救いですね。

ヘルマン・ビーラーが単身脱走に成功し、無事故郷へ辿り着いた話など
これらそれぞれが一冊書けそうなテーマであり、優れたドラマでもあります。
また、ルーマニアで捕虜となった国防軍婦人補助員たちの運命・・といった
特に女性の捕虜というのも本書でもいくつか紹介されていますが、
その運命が語られるだけ、まだマシというもので、
悲惨な最期や未帰還となってしまうことも多かったようです。

Queen of Luftwaffenhelferin.jpg

序盤は思わず目元が緩むような楽しい「捕虜生活」も紹介されますが、
読み進むにしたがって、徐々に眉間に皺が寄って来るという構成も見事です。
特に後半の3章~5章にかけては、単に「捕虜」という問題だけではなく、
「戦争」そのものの悲惨さを改めて感じる方もいるのではないでしょうか。

もともとはフジ出版から「捕虜―鉄条網のむこう側の1100万の生と死」というタイトルで
発刊されましたが、自分のは学研のハードカバーです。
数年前に文庫でも発売されたようで、全ての方に読んでもらいたい名作です。




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東部戦線の独ソ戦車戦エース1941‐1945年 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マクシム・コロミーエツ著の「東部戦線の独ソ戦車戦エース」を読破しました。

過去に「クルスクのパンター」を紹介した、「独ソ戦車戦シリーズ」からの一冊です。
副題に「WW2戦車最先進国のプロパガンダと真実」とあるように
独ソ双方の一般的に言われているエース戦車兵たちの戦果について分析を試み、
また知られざる戦車兵の紹介もしています。

戦車戦エース.JPG

まずはドイツ軍。「西側でナンバー1の戦車兵と言われるヴィットマン」から
いきなり始まります。
本書では彼の戦果(戦車撃破数)を公式の「138両」、および120両、147両という説も挙げ
クニスペル軍曹の「162」、カリウス少尉の「150」、ベルター中尉の「144」に次ぐ
「第4位」としています。
他にも50両以上の戦車撃破数を持つ戦車兵たちを紹介し、ヴェンドルフヴィリィ・フェイ
バルクマンなど以前にここでも紹介した名前も登場。

wittmann and  crew.jpg

Ⅲ号突撃砲や鹵獲T-34での戦果も紹介され、単なる重戦車による総撃破数での
判断では無いところが本書の楽しめるところでしょうか。
しかし、著者は彼ら戦車長たちの戦果というものには疑問を呈しており
これは特にT-34において戦車長が砲手も務めていたことから
ティーガーやパンターの戦車長は指示するだけで、実際は砲手による戦果」
という認識があるようです。

stugg_ac.jpg

その他オットー・カリウスの本を引用して、当時のソ連側の資料から検証しています。
まぁ、全般的にいろいろ水増しがあったのでは・・的な批判をしていますが、
感じとしては許容範囲内ですね。「撃破」の定義もさまざまで
このあたりはドイツのプロパガンダというよりも、Uボートでも良くあるような
船舶の大きさを間違えたり、駆逐艦から逃れるために沈没まで見届けられなかったりと
実際、損傷程度は負わせたものの、それを撃沈、撃破と報告したことが大きな要因でしょう。
人間、良い方に解釈したいですし、シュタウフェンベルク大佐にしても
「ヒトラーは死んだ」と同様の解釈です。

Burning T-34.jpg

個人的にこの「ドイツ軍の章」で楽しめたのは自走砲、突撃砲、駆逐戦車のエースです。
特に第519ナースホルン重戦車猟兵大隊第1中隊長のアルベルト・エルンストという
人物の戦果は80両という物凄いものです。

Albert Ernst.jpg

続いて、まさしく謎に包まれている「ソ連戦車エース」の紹介です。
こちらのナンバー1は、T-34のドミートリー・ラヴリネンコ中尉という人だそうです。
第4(第1親衛)戦車旅団の一員として、1941年のドイツ軍侵攻を防衛した彼は、
12月18日に戦死する2ヵ月半の間に、ドイツ軍戦車52両を撃破したということです。
この記録にも一応公平にプロパガンダ説を検証はしています。

「ソ連邦英雄」の称号を受けた戦車兵たちの戦記がこの後も紹介され、
だいぶ派手な戦いっぷりもありますが(例えば、フェルディナンド6両を撃破!・・)、
なかには、ソ連戦車の知られざる一面も知ることができて楽しめました。

Koursk_07.jpg

戦車兵の訓練はわずか3発の砲弾を放っただけで卒業・・・とか、
クルスク戦では新型の「鉄芯破甲弾」なるもので、500mの距離でしか
ティーガーを貫通できなかったらしく、さらにこの「鉄芯破甲弾」は
受領証明をしたうえで戦車1両につき「3発」という貴重品だったそうです。

また、この1943年からはドイツ戦車はほとんどが「チーグル」で
自走砲は「フェルディナンド」になったそうです。
これは良くソ連側がティーガーを何百両も撃破したといわれる所以ですね。

Ferdinand in KursK2.jpg

T-34などの戦車以外にもSU-122自走砲などの戦いも紹介され、
その後のソ連の攻勢からベルリン戦まで網羅しています。
戦車兵への「報奨金」という話もあり、ドイツ戦車1両撃破ごとに
戦車長、砲手、操縦手には500ルーブル、装填手と通信手は200ルーブルが支給され
さらにはかなり細かい条件が設定されています。

写真はなかなか良いものが多く、特に「40発もの37㎜砲弾を正面に受けているものの
貫通弾がひとつもないKV-1重戦車」の写真は、
これと対峙したドイツ兵は実に恐ろしかっただろうと想像できます。

KV-1E.jpg

本音を言えば、ロシアの女性戦車長なんかが出てくるのを楽しみにしていましたが、
残念ながら1人もいませんでした。
まぁ、女性の戦車エースなんかが出てきたら、思いっきり「プロパガンダ」臭いですかね。。


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