SSブログ

救出への道 -シンドラーのリスト・真実の歴史- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ミーテク・ペンパー 著の「救出への道」を読破しました。

先日インターネットで何気なくオスカー・シンドラーを調べていた際に、
ロードショーで観たっきりだった「シンドラーのリスト」で最も印象に残った
レイフ・ファインズ演じる収容所所長アーモン・ゲートが
収容者を狙撃するシーンが事実であったということを知りました。
当時は「これは残虐性をアピールした演出だろう」と思っていたので、
かなりショックを受けました。
そしてさらに調べていると、アーモン・ゲートの速記者を務めていた著者による
本書を知りましたので、早速、三○堂へ繰り出し、
使う機会を伺っていた¥1500分の図書カードも利用して、購入。
順番待ちさせることなく、そのまま一気読みしました。

救出への道.JPG

まずは本書の舞台であり、著者の生まれ育ったポーランドのクラクフについて
語られます。第一次大戦後から1939年に至るまでのこの地でも顕著化してきた
反ユダヤ人感情を少年時代のユダヤ人著者と同様に味わうことになります。
なかでも左利きという著者が「当時は左利きというのは、立派な身体障害で・・」
というのはとても印象的な話でした。

ドイツに占領されたクラクフは総督ハンス・フランクが「ダヴィデの星」の着用や
ゲットーの設置と次々に宣言していきます。
今まで3000人が住んでいた区画に15000人のユダヤ人を閉じ込め、
その居住面積は窓1つあたり4人というもの。
1つの部屋に窓が2つという珍しくない場合でも、1部屋に8人、2家族が住むことになります。

Hans_Frank stamp.JPG

総督ハンス・フランク以外にも、ヒムラーとこの地でのSS最高責任者である
フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガーやオスヴァルト・ポールという面々が登場し、
フランク対SSという構図を解説してみせます。

1943年、ゲットーのユダヤ教団事務所で働いていた著者は、
ここで2m近い巨大な親衛隊少尉と出会います。
彼がゲットー破壊の専門家であるアーモン・ゲートで、
容赦なく住民を駆り立て(2000人も殺害)しながらゲットーを解体し、
生き残ったユダヤ人を「クラクフ・プワシャフ強制労働収容所」へ収監して
自らがその司令官として君臨するのでした。

Amon Göth.jpg

ポーランド語はもちろん、ドイツ語も堪能で速記や事務処理にも長けた著者ペンパーは
収容所でも引き続き事務処理を任され、こともあろうに司令官ゲートの執務室で
働くことになります。
ここからは映画「シンドラーのリスト」そのままの虐殺行為が報告され、
ゲートの人間性も詳細に分析しています。
毎日、自ら3人も4人も好き勝手に射殺し、殺した人間の名を調べさせては
不満分子を残さないという理由で、その家族も皆殺しにするという残虐さです。

Ralph 'Raef' Fiennes as Amon Goeth in Schindler's List.jpg

一応、特進を果たして階級は大尉となりますが、自己中心的で上官とも争いが絶えません。
押収した品々や収容者の食料などを闇市で売りさばいて私腹を増やし、
豪勢な食事とコニャックとを毎晩嗜む王様であるゲートに、
東部戦線でドイツ軍の敗走という事態から、収容所の閉鎖の危機が訪れます。
これはすなわち糖尿病持ちの一介のSS大尉として最前線行きということであり、
収容者たちにとっても、噂で知られるアウシュヴィッツ行き=死、に直結します。

amon_goth2.jpg

著者の機転も手伝って、この労働収容所が軍需物資を大量生産しているかのような
報告書を作成し、なんとか閉鎖を阻止することに成功します。
そしてゲートと同い年のオスカー・シンドラーが登場して
「ぼくのユダヤ人」たち1000名を有名なリストと共に救うことになります。

Plaszow.jpg

そして1944年1月、労働収容所から強制収容所へと変わると
ゲートのやりたい放題の虐殺も落ち着くことになります。
これは、強制収容所での囚人の処罰にはベルリンの正式な許可が必要になったからで
鞭打ち刑にしても、所定の書類に「裸の尻に鞭打ち何回」と記載して
ポールのSS経済管理本部に送り、強制収容所総監リヒャルト・グリュックスの部下、
D局2部ゲルハルト・マウラーの処罰許可証が必要となったそうです。

Richard Glucks2.jpeg

ゲートとシンドラーという悪魔と天使を間近で見てきた著者は交互に2人のその後を語ります。
ゲートは1944年9月、不満を抱いた部下たちに密告され、ウィーンで逮捕、
一方のシンドラーは映画そのもの。ここからは本書のタイトル通りの展開です。

無事、生き延びた著者は戦後、ゲートやマウラーの裁判に証人として出廷します。
収容所内だけで8000人を殺したかどなどで告発されたゲートは、
「尻尾も残らない」と言われていたユダヤ人の証人が多いことに驚きます。
囚人であった著者が機密書類をも盗み見して、シンドラーに報告までしていたことなど
知る由もなかった彼は、その詳細な証言の前に屈服し、絞首刑に。。。

Amon Goeth7.jpg

上官のマウラーも「囚人がそんなことを知りえるハズがない」としていたものの、
強制収容所司令官がユダヤ人囚人を速記者として1年半もの間、
採用していたという前代未聞の事実を知ると、
「ゲートの奴、とんでもない規則違反をやりおって!」と声高に罵る始末。。

Mietek Pemper.jpg

非常にマジメな著者がゲートと直面し、常に死を意識して不安に駆られながらも
収容所生活を送った過程を感情的になることなく、謙虚に伝えています。
最近、いろいろと言われているらしいシンドラーについても尊敬の念は失っておらず、
「多数の命を救ったこと、それが全てです」と擁護しています。

SchindlersList.jpg

「シンドラーのリスト」の原作も読んでみたくなりましたが、とりあえず、
1度観たっきりの映画のほうはDVDで購入しました。
今、観たら、だいぶ違う印象になるでしょうね。



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ヒットラーと鉄十字章 [軍装/勲章]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

後藤 譲治 著の「ヒットラーと鉄十字章」を読破しました。

著者の「おわりに」では「ヒットラー・デザイナー説の書である」と書かれているように、
美術家を目指していたヒトラーが、そのナチ党党首として、第三帝国の総統として制定した
各種の勲章/徽章のデザインや、それらのヒトラーの関与を検証したものです。

ヒットラーと鉄十字章.JPG

まずは赤白黒のナチ党旗のデザインについてです。
これはヒトラーによるデザインとされていて、一見してそれとわかる
優れたデザインだとしています。
また、ヒトラー自身がシンボルや映像などの民衆に対する効果を良く理解していたことから、
自身のイメージについても、逆に勲章で飾り立てることをせず、
党員章」と第一次大戦時の「1級鉄十字章」、「黒色戦傷章」を誇りを持って
付けていたとしています。

50th Hitler´s Anniversay Parade.jpg

1923年の失敗に終わった「ミュンヘン一揆」を記念した、通称「血の勲章」は、
ヒトラーが右胸に着用している写真を掲載して、その着用方法なども解説しています。

Blood Order.jpg

続いては、ヒトラーがデザイン、または関与したとされる勲章類です。
この「独破戦線」でも紹介したことのある「母親名誉十字章」と
ほとんど知らなかったナチ党の最高勲章である「ドイツ勲章」の紹介です。
ヒトラー渾身のデザインともされる「ドイツ勲章」は正式には「大ドイツ帝国ドイツ勲章」というそうで、
等級も1~3級まで存在したものの、わずか10人しか授与されず、
そのうち6人は死後であったことから、別名「死の勲章」とも呼ばれたそうです。

栄えある第1号の受賞者は、飛行機が墜落した軍需大臣フリッツ・トートで、
2番目がチェコで暗殺されたハイドリヒとなっています。
いずれも死後ですから、彼らがコレを着用している写真はあるわけないですね。

Deutscher Orden der NSDAP.jpg

国防軍の軍服の右胸、SS隊員の場合は袖に刺繍されている
国家鷲章「ライヒスアドラー」がシュペーアのデザインである、という話や、
結構有名な「SAスポーツ章」が実はSA(突撃隊)は
表向きは「スポーツ団体」であったためという面白い話も紹介され、
著者の大のお気に入りであるらしい「ドイツ馬術徽章」について、
そのデザインの美しさやカギ十字が入っていない点などを挙げています。
これはヘルマン・フェーゲラインも付けていた写真を見たことがあったような・・。

Deutsche_reiterfuhrerabzeichen.JPG

逆に「SSスポーツ章」と呼ばれる「ドイツルーン優秀章」は初めて見ました。。。
SS隊員に限定した体力検定章ですが、銀章と銅章のみであるそうです。

germanische leistungsrune.jpg

う~ん、しかしなぜ金章はないんでしょうか?
ひょっとしてヒムラー自らが受章するために制定しなかったのかも・・。

Kugelstoßen HEINRICH HIMMLER.jpg

党大会の記念バッジや労働記念バッジなどの紹介後、いよいよ「鉄十字章」です。
まずは第一次大戦時の「プール・ル・メリット章」についてゲーリングや
ロンメルらが受章したことなども解説し、歴史ある鉄十字章2級、1級がそれぞれ
250万個、30万個と乱発されたことや、女性では2級を39名が受章したということです。

Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes.jpg

騎士十字章」は第三帝国における制定であり、ヒトラーのアイデアと
おそらくゲッベルスが一枚かんでいたと推測していますが、
「柏葉」、「剣」、「ダイヤモンド」、「黄金ダイヤモンド」と詳しく解説しています。
最初の受章者も「柏葉」がディートル、「剣」をガーランドとシッカリ書かれ、
「ダイヤモンド」ではマルセイユの凄さと、唯一の「黄金ダイヤモンド」受章者ルーデルにも
それなりに触れて、彼らの写真も載せています。

Marseille&Rommel.jpg

国家元帥ゲーリングだけが受章した「大十字鉄十字章」や
やや地味ながらも第一次大戦で受章した軍人が再度受章した場合に着用する
2級、1級の「鉄十字副章」も詳しく書かれています。
ゲーリングはアメリカ軍に投降した際にも「大十字鉄十字章」を着用していましたが、
今やこの唯一の「大鉄十字」は行方不明だそうです。

Reichsmarschall Hermann Goering Grosskreuz Grand Cross.jpg

それにしても疑問なのは、第一次大戦後に廃止された「プール・ル・メリット章」を
ヒトラーはなぜ復活させず、新たに「騎士十字章」を制定したのかということです。
これについては本書以外でも書かれたものを読んだことがありません。
憶測ですが、第一次大戦の「プール・ル・メリット章」は
確か将校以上に限定されていたことが原因かも知れませんね。
「騎士十字章」は受章資格に階級は関係ありませんから・・。

Pour le Mérite.jpg

最後は伝統ある「大十字鉄十字星章」の第三帝国版原型(プロトタイプ)が
戦後のオーストリアで発見され、現在、アメリカのウェスト・ポイントに保存されているようです。
これもまったく知りませんでしたが、ドイツが勝利した暁には、
誰かが受章したのかもしれません。それを想像するのも一興ですね。

Größe der Voransicht_1939.jpg

小型で140ページほどの本書はカラー写真も巻頭の2ページのみ、というのが残念ですが、
なかなか面白い観点からヒトラーと勲章を整理しています。
ちょっと説明の重複があったりもしますが、この値段(定価1200円)なら
満足のいくものだと思います。
ちなみに神保町の古書店で偶然見つけて、定価より安く買いましたが、
amazonでは凄い値段が付いている本ですね。実はレア本なのかも・・。

しかしできれば洋書で良くある、オールカラーの強烈な勲章/徽章本のようなものを
どこかで出して欲しいと切実に思う今日この頃です。。


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奮戦!第6戦車師団 -スターリングラード包囲環を叩き破れ- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ホルスト・シャイベルト著の「奮戦!第6戦車師団」を読破しました。

1942年冬、スターリングラードで包囲されたドイツ第6軍を救出するため、
新設されたドン軍集団司令官フォン・マンシュタインによる「冬の嵐作戦」を
その中核で戦車長を務めた著者による、非常に詳細な戦闘記録です。

原題は「スターリングラードまで48㌔」で、150㌔を突破し、第6軍との連絡、
救出を目的としたこの作戦が2/3の時点で断念することになったことを
表しています。

奮戦!第6戦車師団.JPG

第1章は、スターリングラードが包囲された状況と著者であるシャイベルト中尉が所属する
第6戦車師団の編成内容(Ⅲ号戦車とⅣ号戦車中心)が紹介されます。

ドン軍集団のある意味、大慌てで寄せ集めた戦力も詳しく語られていて、
ヘルマン・ホトの第4戦車(装甲)軍に配属されたキルヒナーの第57戦車軍団に
本書の主役、第6戦車師団は加わり、休養/訓練も充分で士気も高い
このラウス少将率いる第6戦車師団は、先鋒として突撃を開始します。

Erhard Raus.JPG

しかし、本当の主役はこの師団レベルではなく、ここから更に4つにした戦闘団、
特に第11戦車連隊長フォン・ヒューナースドルフ大佐率いる戦力最強の
「ヒューナースドルフ戦闘団」の戦いを中心に、その模様を一日単位で解説しています。

この「ヒューナースドルフ戦闘団」の戦車中隊長を務めるシャイベルトの戦闘記録も
随時、出てきますが、基本的には第11戦車連隊の戦闘日誌を用いて時間毎に、
また第Ⅱ大隊長Dr.フランツ・ベーケ少佐の報告書も突然出てきたり、
12月9日付のマンシュタインからOKHに宛てた「状況判断」も掲載されています。

Erich_v._Manstein,_Hermann_Hoth.JPG

当初は拍子抜けだったソ連軍の防衛も、深く進むにつれ、激しさを増してきます。
12月14日から始まるウェルヒネ・クムスキヤを巡る戦車戦では、
戦闘団と師団の無線記録も紹介して、最前線での様子をドキュメンタリーのように描き、
Ⅱ号戦車がT-34戦車を撃破した話や、捕虜にした戦車長の女性中尉の話も・・。
しかし基本的にはⅢ号戦車を以ってしてもT-34戦車に対しては劣勢であるとの
分析もしっかりされています。

互いを援護するその他の戦闘団、「ウンライン戦闘団」や
第114擲弾兵連隊長ツォーレンコップフ大佐の
「ツォーレンコップフ戦闘団」の救援や、やっと連絡をつける場面も印象的です。
このツォーレンコップフ大佐は初めて聞いた名前ですが、出てくる度に
髑髏の襟章の部隊」をどうしても想像してしまいました。。。

主役のフォン・ヒューナースドルフ大佐は第4槍騎兵連隊出身だそうで、
暗号名ではないでしょうが、師団からの無線でも
「第4槍騎兵、どんどん進め!」と指示されているところが面白いですね。

von Hunersdorff.jpg

結局は、燃料/弾薬や人員も消耗した第6戦車師団は、
12月23日を最後に、新たな脅威となってきたドン河大屈曲部へ転出命令が下され、
これによって第6軍救出も絶望的となってしまいます。

訳者あとがきによると1955年初版の原著では、軍団または師団諸隊の行動や
同盟国軍に対する悪口もあって批判を浴びたらしく、
今の版ではこれらが削除され、全般の推移も当たりさわりのない表現で、
最後には(第6軍が全滅した要因を)神様まかせにしているということです。

horst scheibert.JPG

改めて著者の「前説」読むと、当初8人いた戦車中隊長のうち、
この1ヶ月の戦闘期間で生き残ったのは著者1人のみであったことや、
スターリングラードに関する既存の出版物はまったくの部外者か、
高級司令部員などにより書かれた物で、最良とは言い難いとしています。

本文中にも第6軍が自ら包囲網を突破し、彼ら救出部隊と連絡をつける
「雷鳴作戦」についても触れていて、
戦友が次々に倒れながらも命がけで救出に向かった著者からしてみれば、
「雷鳴作戦」を実行しなかった第6軍司令部に対する憤りが見え隠れしています。

Stalingard 1943.jpg

190ページという見た目はボリュームの無い本書ですが、
濃密で詳細な戦闘記録なので戦況図や多数の写真を見ながら、
じっくり頭を整理しつつ読まないとなかなか難しい、
好き嫌いが分かれそうな一冊でもありますね。


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