SSブログ

ヒトラーの戦争〈2〉 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ディヴィッド・アーヴィング著の「ヒトラーの戦争〈2〉」を読破しました。

第1巻の後半からこの第2巻の最初にかけて「バルバロッサ作戦」に挑むヒトラーの
ルーマニアやハンガリー、ブルガリア、フィンランドからトルコ、スペインに対する政治戦略、
イタリアと日本の3国同盟とベルギーやノルウェー、デンマーク等の占領国での政策、
そしてイタリアの暴走によって尻拭い的になったギリシャとユーゴやクロアチアなどの
バルカン問題が詳しく語られています。
もちろん、北アフリカではロンメルが英国との砂漠の戦いも繰り広げており、
この時点での政治家ヒトラーの仕事量は大変なものだと実感しました。

ヒトラーの戦争②.JPG

1941年夏、遂にソ連への侵攻が開始されますが、その順調さゆえ
当初の戦略目標を変更し始めるヒトラーにOKHは混乱してしまいます。
ハルダーは早くも7月の日記に「総統がまたも大将軍の役を演じており、
その口出しには鼻持ちならない」と綴っています。

halder hitler.jpg

占領したウクライナの統治を任されたエーリッヒ・コッホは、
「自由ウクライナ」などという考え方を捨て、英国がインドを統治したやり方をモデルにし、
初っ端から乱暴にやる必要があるとして、これにヒトラーも同意します。

結局はこの攻勢も冬を向かえてしまい、グデーリアンなどの撤退進言などが
発せられますが、ヒトラーの「踏みとどまるのだ」戦術の前に屈する将軍たちと
罷免される元帥たち・・。
中央軍集団司令官のフォン・ボッククルーゲに取って変わられますが、
それでもヒトラーはかなりボックには気を使っています。
ルントシュテットを丁寧に扱っていたのは有名ですが、このフォン・ボックも
実に毅然としていて、さすがにヒトラーがモスクワ奪取を任せただけの雰囲気が出ていますね。

bock.jpg

フォン・レープが包囲するレニングラードでは、以前に紹介した市民による食人だけではなく、
防衛をしているロシア軍部隊でも、捕虜のドイツ兵の人肉を喰らっていたという話が・・。
このカニバリズムは過去に読んだ本でもロシア人は、塹壕で死んだ自軍兵士を・・とか、
収容所でも捕虜が同じ収容者の肝臓を喰うために殺したりと、いろいろ出てきますね。。。

このような戦況の裏ではヒムラーハイドリヒによる、「ユダヤ人絶滅計画」が侵攻しています。
ヴァンゼー会議」からチェコでハイドリヒが暗殺されるまで
SS内でどのような命令が出され、なぜヒムラーがそれほどまでに焦って計画を推進したのか。
また、以前からユダヤ人追放の命令を出していたヒトラーは、
この絶滅計画を知っていたのか?が大きな焦点となっています。
ハイドリヒといえば、彼の死後に東部戦線の1SS連隊に彼の名をヒトラーが付けた・・
という話が出てきました。あのカフタイトルのようですね。

Werner Lorenz, Reinhard Heydrich, Heinrich Himmler and Karl Wolff.jpg

私はヒトラーの秘書だった」のユンゲ嬢が秘書になる以前のこの時期、
クレスタ・シュレーダー嬢の日記が所々に挿入され、総統大本営の様子や
ヒトラーの日常の会話や生活を知ることが出来ます。

Gerda Christian and Christa Schroeder.jpg

また、重要な生き残った証人たちとしては各軍の総統付き副官たち・・・、
海軍のフォン・プットカマー、空軍のフォン・ベロー、そして陸軍のエンゲルの日記
作戦会議の様子を語っています。
この未訳のフォン・プットカマーとフォン・ベローの日記はホント読んでみたいです。

Hitler with Himmler_Bormann,von Puttkamer,von Below.jpg

1942年の仕切り直しの夏季攻勢「ブラウ作戦」では、南方軍集団司令官となっていた
フォン・ボックがまたまた登場し、ヒトラーと揉めた挙句に再度解任されます。
本書では基本的にヒトラーの戦術を将軍たちが守らなかったために作戦が失敗した・・
という解釈で進んで行きます。

そして解任されたハルダーが泣きながら会議室を出て行った時、
カイテルらOKWの将校たちにはOKHに勝ったという気分がみなぎり大喜びだった
という話は、この大事な時期においても軍内部における派閥間の争いや
私利私欲が蔓延していたことを感じさせます。
これらは政府や党、または3軍に対して、ヒトラーがワザと仕向けた策略というのが
通説だと思いますが、本書ではあまりそのような感じはしません。
それより、1930年代はそうだったとしても、2面戦争の最高司令官という大変多忙な立場から、
段々と細かいところまで見れなくなっていったという印象です。

Hitler mit Blondi.jpg

スターリングラードの危機では、ヒトラーの人望が厚かったフォン・リヒトホーフェン元帥の
日記が中心となって、ドン軍集団司令官フォン・マンシュタインの精神的/戦術的分析と、
ヒトラーによる将軍たちへの挑発の様子・・、
例えばマンシュタインとあまり仲のよろしくないらしいクライストやクルーゲらを
バトルさせて楽しんだり・・といった珍しい話が出てきます。

wolfram_richthofen.jpg

カティンの森」事件が発覚したときのヒトラーの態度や
東部担当大臣ローゼンベルクリッベントロップツァイツラーゲッベルスを味方にし、
ソ連の国民の指示を得ようとしているのに対して、
ウクライナの子分で大管区指導者のコッホは、スターリングラードの将兵が飢えているのを尻目に
大量のキャビアを集めたり、多数の農民を殺したりと野蛮で手に負えず、
党のお歴々が追放を求めるものの、ボルマンと用心深いヒムラーはコッホ擁護に回り、
ヒトラーの「戦争中の現在は少しでも多くの穀物と奴隷労働者を絞り出すのが
コッホの厳しい任務であり、これを遂行する能力があれば全ては許される」
とする話は、特に印象的です。

Erich_Koch,_Alfred_Rosenberg in Kiew.jpg

このような考え方、すなわちスターリンの悪政に対する解放軍として効率的な占領と
ナチ党のイデオロギー的な要素や戦争経済との両立など、さまざまな問題が入り混じって
混乱と一貫性の無い戦争戦略が取られたという気がします。



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ヒトラーの戦争〈1〉 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ディヴィッド・アーヴィング著の「ヒトラーの戦争〈1〉」を読破しました。

ヒトラーが「ホロコーストに関与していなかった・・」として有名な本書は、
その部分の内容よりも、かなりのボリュームと全般的な戦争の背景を知らないと・・
ということで、独破するタイミングをじっくり図っていましたが、やっとその気になりました。

前書きでアーヴィングは、本書を完成させるにあたり調査に10年を要したとか、
既存のヒトラー本についても調査の足りない手抜き本だとして、
本書の自画自賛からスタートします。
以前に紹介した「狐の足跡」も、この時期のロンメルの調査によって書かれたようです。

ヒトラーの戦争①.JPG

続く「ヒトラー周辺の人々」紹介がとても楽しめます。
また本書の性格を知るうえで重要な気がしますね。
ナチ党幹部や有名な将軍ら、本書の登場人物をアーヴィング的表現で簡単に解説し、
ちなみに何人か抜粋すると・・
コッホ・・「残忍な政治をやったので、親ソ・ウクライナという有り得ないものを実現させ・・」
ヒムラー・・「頭のおかしなところと組織的天才との珍しい結合物である」
マイゼル・・「ロンメルの死に不幸な役割を演じ、戦後、著述家たちからいじめられた」
ルントシュテット・・「後年は歳を取り、いい加減なところがあった」
ロンメル・・「OKWとヨードルに対する憎しみは1944年病的なまでになった」

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1939年9月、特別列車「アメリカ号」でOKW(国防軍最高司令部)の主要メンバー、
カイテルヨードルシュムントとポーランド作戦開始を待つ、
ヒトラーの様子から本文は始まります。

このヒトラーの最初の戦争であるポーランド戦は、まだまだ
ヒトラーが細かい作戦に関与することもなかったため、
ポーランド降伏に至るまでの戦局はOKH(陸軍総司令部 )の独壇場です。

しかし、その陰ではヒトラーの命により、すでにアインザッツグルッペンによる
貴族や反ナチ勢力といったポーランド人の処刑が行われていますが、
ユダヤ人の虐殺などについては、ハイドリヒの暴走であると読み取れます。

Heydrich_77.jpg

ポーランドで見事な結果を残したOKHですが、宣戦布告をしてきた
英国とフランスに対する西方での戦いについて、ヒトラーに臆病扱いされ、
ベルリン官邸の作戦会議室に陸軍総司令官のブラウヒッチュが入ってくると
「ほら、我が臆病者ナンバー1が来た!」と言い捨て、
続いて参謀総長のハルダーが姿を見せると「・・・そして、ナンバー2だ!」

Walther von Brauchitsch.jpg

1940年に入ると、ヒトラーはまずノルウェー作戦に挑みます。
陸海空3軍の協同作戦で知られるこの作戦から、それを統括するOKWと
戦術に関するヒトラーの関与も大きくなってきます。

特にディートル将軍の山岳部隊がナルヴィクで危機を迎えるとパニックを起こしたヒトラーは、
山岳兵出身でディートルを良く知るヨードルから激しく説得され、やがて落着きを取り戻します。
この件でヨードルのヒトラーの軍事顧問としての権威は大いに上がっていったそうです。

Eduard Dietl.jpg

そしてフランスへの侵攻。
主にダンケルクでの戦車部隊が停止した件について検証していますが、
いつものルントシュテットやゲーリングの発言以外に
英国の派遣軍が撤退しているのをドイツ軍司令部が気づくのが遅かったことを
要因の一つとして挙げています。

あっという間に降伏したフランスに続き、如何に英国を屈服させるか。。。
ここからのヒトラーの戦いは、政治的にもすべてそこに集約されている印象です。
ヒトラーが尊敬するウィンザー公とシェレンベルクも登場の一連の計画が
出てきますが、「ウィンザー公掠奪」という小説もありましたね。
この小説の著者ハリー・パタースンはジャック・ヒギンズの別名ということを
最近知ったので今度、読んでみようと思っています。

Einsamer Fluggast.jpg

また、このヒギンズ繋がりで言うと、超がつく名作「鷲は舞い降りた」の
アイルランド闘士デヴリンで気になっていた、英国とアイルランドの関係にも触れており、
親ドイツ的感情を持つ南アイルランドからの援助要請や、
ドイツによるアイルランド占領の可能性などについて述べられていて、
これはなかなか勉強になりました。

作戦会議では常に各軍のトップが参加するわけではなく、
ハルダーの代理としてパウルスが出席していたり、
空軍もゲーリングがひとしきり怠けていることから、イェショネク参謀長が登場します。
実はこのイェショネクの人間性が書かれた物は読んだ記憶がなく、本書での
「41歳と若いわりに傑出した手腕を持つ、きゃしゃで冷静、冷酷な参謀将校で
ぶっきらぼうで生一本、意見の違う人とは議論する気もない典型的なシェレージエン人」
という紹介は参考なりました。

hermann goring hans jeschonnek.jpg

外相リッベントロップの首席補佐官でヒトラーの連絡係官だったヴァルター・ヘーヴェルは
彼の未公開の日記を著者アーヴィングが大変参考にしていることから、
本文中にも度々登場します。
ルドルフ・ヘスがメッサーシュミットに乗り、勝手に英国に飛んで行った事件については
ヘーヴェルらの文書をもとに、ヒトラーはやはり知らなかったという解釈のようですね。

Heinrich Himmler, Walther Hewel, Martin Bormann sharing a joke on the Berghof terrace.jpg

主に一般的な戦記というは、陸戦、空戦、海戦と独立しているものがほとんどですが、
本書の特徴としてはそういうことがないところでしょうか。
例えば、1941年5月に戦艦ビスマルクが撃沈されたそのとき、
クレタ島では降下猟兵による戦いで勝利を収めており、
これをビスマルクが戦艦8隻、空母2隻を含む英海軍を引き寄せたことで
クレタ島侵攻作戦の牽制行動として、大きな役割を果たしたという
面白い見方を提供してくれています。

Fallschirmjäger2.jpg

そして「ロシアを屈服させれば、英国も和平を求めてくるだろう」というヒトラーの判断により
バルバロッサ作戦に向かっていくところで、この第1巻は幕を閉じます。




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スターリンの外人部隊 -独ソの狭間で翻弄された「赤い外国軍」の実像- [欧州諸国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ペーター・ゴシュトニー著の「スターリンの外人部隊」を読破しました。

おかげさまで「独破戦線」もなんとか1年間続けることができました。
これも皆さんから頂く励ましのコメントや、予想以上にアクセスして頂いたおかげです。
この話は長くなりそうなので「リスト元帥のページ」で・・。

さて、本書は2年半も前に購入したものの、674ページというボリュームと
ハンガリー人の著者の「前書き」、そして訳者「あとがき」に書かれている、
「本書のやや「渋い」内容とかなりの分量にたじろがれ・・」
という出版に至るまでの話を読むにつけ、同様にいつもたじろいでしまって
読破するに至っていませんでした。

個人的にはどの本でも、この訳者「あとがき」を最初に読むようにしています。
それは、その本の立ち位置、すなわち国際的な評価や、著者の経歴、
日本人が読むにあたっての心構えや必要な知識・・といったものを
まず理解してから挑むようにしているからです。

スターリンの外人部隊.JPG

1939年にポーランドが独ソによって分割されたことから始まる本書は
1941年の8月にはドイツの攻撃「バルバロッサ作戦」に恐れをなしたスターリンが
早くも「在ソ・ポーランド軍」の創設を命じます。
捕虜収容所から恩赦によって解放されたポーランド軍人たちは
早速、部隊の編成を始めますが、なぜか将校が少ないことに疑問を抱きます。
これはあの「カティンの森」事件で大量の将校が殺されていたからですが、
そんなことをスターリンが教えるハズもありません。

Sosabowski_Browning.jpg

ポーランドは他にもロンドンの亡命政府やポーランド国内の反独勢力と存在し
この主役である「在ソ・ポーランド軍」の運命は政治的にも
かなりややこしい立場であり続けます。
また当時のポーランド軍と言ってすぐに思い浮かぶのがジーン・ハックマンの顔ですね。。
これは映画「遠すぎた橋」の自由ポーランド軍空挺旅団長のソサボフスキー准将ですが、
さすがに本書でも触れない訳にはいかなかったようです。
他にも「鷲は舞い降りた」でもドイツ降下猟兵たちはポーランド落下傘兵に化けていましたっけ。

Michael Caine in the Eagle Has Landed.jpg

東欧諸国の「在ソ軍」の中核となるのは、当然、ほとんどがソ連の捕虜たちです。
「ソ連は嫌いだけれど、収容所よりはマシ」という理由もあって、
その志願者は予想以上だったようです。

寝返ったことでドイツ軍ファンからは嫌われているルーマニアですが、
その寝返りの真相も詳しく書かれていて、本書では一番楽しめました。
国王に罷免されたアントネスク元帥の末路も興味をそそります。

Ion Antonescu.jpg

1942年の夏季攻勢「ブラウ作戦」で、ルーマニアとハンガリーをロシア深くへ
並んで進軍させることで同士討ちになることを懸念したドイツが、
その両国軍の間にイタリア軍を配置したというほど仲の悪いこの2カ国は、
その後、特にルーマニアの心の故郷ともいわれる北トランシルバニア地方を
旧敵ハンガリーから奪還する一連の話は、対ソ戦よりお互いやる気マンマンで非常に熱く、
また、子供の頃からの疑問のひとつを解決してくれました。

トランシルバニアの名産といえば、ドラキュラ伯爵ですが、
このドラキュラは物心ついた時からのファンでして、1931年の映画「魔人ドラキュラ」は
主演のベラ・ルゴシの批評では必ず「ハンガリー訛りの英語で・・」と書かれていました。
当時の学校で覚えた地理で、トランシルバニアがルーマニアであることは知っていましたが、
なのに、なぜハンガリー訛りが良いのか??
映画を観ても本当にハンガリー訛りかどうかを理解するスキルもなく・・。
このように悶々とした少年時代を過ごしていたので、この地方の歴史的な領土問題を
知ることが出来て、なんとなく、スッキリした気持ちになりました・・。

dracula_Béla Lugosi.jpg

ドイツの同盟国なのにソ連とは戦わず、最後にドイツと戦ったブルガリア
この国の立場も実に大変です。
本書では第1次大戦による敗戦から、国王ボリス3世によって渋々、ドイツとの
同盟関係へとなっていった経緯、そして、そのボリス3世が1943年に
ヒトラーの元を訪れた後に急死し、その原因がいまだに不明であることなど
これまた、いろいろ知りました。

KingBorisⅢ-Hitler.gif

これらの東欧の国々は、過去において親ソであったかなども
この時期の立場を決定する要因のひとつであったようで、
「敗戦国」の烙印を押されることを恐れ、早々に連合軍に寝返ることで
イタリアと同様の立場になることを目指したということです。

ドゴール率いる「自由フランス軍」のYak戦闘機に乗ったパイロットたちによる
戦いの様子も初めて知りました。
ソ連軍では編隊での空戦を行っていたものの、この「ノルマンディ戦隊」の
パイロットたちは、騎士的な1対1の空戦を好んだことから、
経験豊富なドイツ空軍に撃墜されることも多かったとか・・。

normandie_niemen_escadrille.jpg

その他、「春の目覚め作戦」をハンガリー側から描き、
人物としてはホルティ提督やユーゴのチトーなども登場。
対するドイツ軍はシェルナー元帥やフリースナー上級大将といった名前が
200ページに1回出てくる程度です。

このような東欧諸国が大戦中、如何にしてスターリンの元で戦うことになったのかが
時系列で書かれていますが、個人的にはこの時系列が結構しんどかったですね。
ほとんど知識のないこれらの国の国情や過去の歴史が入れ替わり出てくるので
チェコスロバキアがちょっと出てきたと思ったら、すぐ次にはユーゴスラビア・・
といった感じで、せっかく憶えた名前なども訳わからなくなってしまいました。
この方面に明るい方なら問題ないでしょうが、
そのうち、もう一度読み直す暁には、国ごとの単位で読んでみたいと思います。



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ティーガーの騎士 -ミヘル・ヴィットマン物語- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カール・コーラッツ著の「ティーガーの騎士」を再度読破しました。

先日の「東部戦線のSS機甲部隊」で、ヴィットマンのティーガー"S04"号の話が
出てきたこともあって、本書を久しぶりに読み返してみました。

1970年に発刊された本書の原題は「SS少尉 ミヒャエル・ヴィットマン」で、
著者のカール・コーラッツは「ヘルマン・ゲーリング戦車師団史」などで有名な
フランツ・クロヴスキーの別名のようです。

ティーガーの騎士.JPG

また、表紙の副題では「史上最大の戦車エース、ミヘル・ヴィットマン」となっていますが、
本文の副題は「ミヘル・ヴィットマン物語」となっており(珍しいですね・・)、
個人的にはこちらの方が本書の内容にピッタリだと思います。

1941年の対ソ戦開始において、ヴィットマンSS軍曹は、
ライプシュタンダルテの捜索大隊・III号突撃砲の車長として活躍し、
ゼップ・ディートリッヒから「一級鉄十字章」を受章するところから始まります。

young Wittmann.jpg

その後、士官学校を卒業し、新たに編成された
第13重戦車中隊にSS少尉として配属され、いきなり、
パウル・ハウサーの指揮するハリコフ奪回にティーガー戦車と共に参加します。

そして1943年のクルスク戦。ここでの戦車対戦車の壮絶な戦闘の模様は
大変な迫力があり、小説であった「クルスク大戦車戦」を彷彿とさせます。
それどころか似たシーンもあって、あっちはコレをパクッてるのかとも感じました。
特にヴィットマンのクルー達、操縦手、砲手、装填手、通信手の
死に物狂いの戦いは狭い戦車内の様子を良く描き出しています。

View of gunner on German tank.jpg

ここら辺り、登場人物も錚々たるメンバーで、大隊長のマルティン・グロスSS少佐と
マックス・ヴュンシェSS少佐、連隊長のシェーンベルガーSS中佐に
ヨッヘン・パイパーSS少佐も登場。
ライプシュタンダルテ以外にも第11戦車連隊を率いるオッペルン・ブロニコフスキー大佐が
部下のフランツ・ベーケ少佐に出撃命令を下していたり、
フォッケウルフ戦闘爆撃機で支援した、剣章を持つアルフレッド・ドルシェル少佐も
紹介されています。

alfred druschel.jpg

しかし最も良く登場するのは中隊長のクリングSS大尉と同僚のヴェンドルフSS少尉です。
彼らとのやり取りを通じて、ヴィットマンと中隊の戦術を紹介していますが、
ヴィットマンもヴェンドルフも戦死しているため、本書での2人の「貴様」的な会話の内容も
真実かどうかは疑問ですね。それでも本書は堅苦しい師団史ではないので、
こういうのもアリなんじゃないでしょうか。

Wendorff_Kling.JPG

1944年、クリングの後を継ぎ中隊長となったヴィットマンSS中尉は
チェルカッシィの包囲陣への救出作戦に参加します。
ここでは連隊長へ昇進したヴュンシェに代わり、大隊長として
ヘルベルト・クールマン(キュールマン)SS少佐が突然出てきました。
この人は「バルジの戦い」でパイパー戦闘団と同様にキュールマン戦闘団として
有名になり損ねた人物ですね。。

wittmann-Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub und Schwertern.JPG

東部での戦いはこのようにして終り、新設の第101SS重戦車大隊の中隊長として
今や柏葉騎士十字章を持つヴィットマンは、ノルマンディでの最後の戦いに挑みます。
砲手として騎士十字章を受章したヴァルタザール"ヴァルディ"ヴォルと共に
ヴィレル・ボカージュ」で歴史的な戦闘を行った結果、
剣章を受章、そしてSS大尉へと昇進します。

wittmann and his crew shortly after recieving the knights cross after villers bocage.jpg

第12SSヒトラー・ユーゲント師団長のクルト・マイヤーの命令により、
サントーへ出撃するヴィットマン。
このシーンは"パンツァー"マイヤーの回想録からですが、
なにかわかっていてもジ~ン・・としますね。
本書の最初でもクルト・マイヤーの捜索大隊に配属されていたヴィットマンが
その最後も同様なのは運命的ですし、そのマイヤーの回想録を読んだ時にも
ヴィットマンの最後のことを良く書いてるなぁと思ったものです。
2人は将軍と大尉と階級こそ違うものの、歳も4つしか離れていない長い付き合いの
戦友だったということを改めて感じました。

Guderian_wittmann.JPG

「ヴィットマン―LSSAHのティーガー戦車長たち」とカブッたエピソードも多いですが
200ページちょっとの本書はヴィットマンの戦闘シーンを中心とし、
クリアーな写真も多くて非常に読みやすく、数時間で一気読みしてしまうようなもので、
戦車モノやヴィットマンをはじめて読まれる方にはちょうど良いんじゃないでしょうか。

ちなみに訳者あとがきでは「ミヒャエル」を「ミヘル」とした理由について述べられていて、
「何度か発音してみると、「ミヘル」に聞こえてくる」とのことのようです。
そういえば、自分は有名なサッカー・クラブ「バイエルン・ミュンヘン(Bayern München)」を
選手がドイツ語で話するのをTVで観ても「バィヤーン・ムンヒェン」としか聞こえません。。。



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