SSブログ

東部戦線のSS機甲部隊 -1943-1945年- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴェリミール・ヴクシク著の「東部戦線のSS機甲部隊」を読破しました。

3年前の発刊という、わりと新らしめの武装SS写真集です。
著者はクロアチア人の写真収集家のようですが、未見の写真が満載で、
かなりクリアーな良い写真がほとんど、そしてキャプションもしっかりして
それを読んでいるだけでも勉強になりました。

東部戦線のSS機甲部隊.JPG

登場するSS師団は「ライプシュタンダルテ」を筆頭に、「ダス・ライヒ」、「トーテンコップフ」、
ヴィーキング」など、当時、東部戦線にいた部隊はほとんど出てきます。
ちなみに表紙の写真は「ライプシュタンダルテ」で
隊列の後方に見える隊列は「ヴェスペ」自走砲中隊です。

また、本書の特徴としては、これらの各SS師団ごとに章分けせずに
戦役別に章分けしています。
これらの戦役は裏表紙の帯を見ていただくとして、
実際、この当時は師団単位での戦いが少なくなり、SS軍団レベル、
または混成部隊となっていたことからも、かなり入り乱れて出てきます。

東部戦線のSS機甲部隊_裏表紙の帯.JPG

これは例えば、非常に興味深かった写真の一枚である、
「大型洗濯機に入れるために野戦服を整理する伍長」で良くわかります。
そのカフ・タイトルには「ダス・ライヒ」、「ドイッチュラント」、「アドルフ・ヒトラー」、
さらには「レギオーン・フランデルン」まであったりと・・・。
また、歩兵突撃章が左胸に付けっぱなしだったりして、そのまま洗濯するのか?とか、
こういうのは妙に気になりますね。

Infanterie Sturmabzeichen.jpg

有名な人物では当時「トーテンコップフ」の連隊長で、
その後「ダス・ライヒ」師団長となったオットー・バウムSS大佐をはじめ
オットー・ギレやビットリッヒといったSSの将軍以外にも、
グデーリアンモーデルが申し訳なさそうにチラっと写っています・・。

Otto Baum.jpg

ヴィットマンの有名な写真「88輌撃破のキル・リングを眺めるクルーたち」のキャプションでは、
このティーガー"S04"号が中隊本部のクローンSS曹長のものを撮影用に使用したと
書いてありました。この"S04"号も諸説あるようです。

S04 wittmann.JPG

ネーベルヴェルファーがそのロケットの噴射煙のため、
簡単に位置バレしてしまうことから、撃ったら移動というのが必須だったようです。
そのためか、後半ではしっかり自走砲のパンツァーヴェルファーに変身しています。

Panzerwerfer.jpg

チェルカッシィで包囲される直前の「ヴァローン」もその突撃砲と共に出てきたかと思えば、
エストニア人志願兵で構成された大隊「ナルヴァ」のヴェスペ自走砲中隊という珍しい写真も・・。
かつてのポーランド軍の装甲列車「シミャウィ(勇者)」号という写真も貴重ですね。

戦車もティーガーやパンターの塗装すらわかるほどクリアーな写真が
当たり前のように出てきますし、4号戦車なら20~25人、
パンターには30人の歩兵を鈴なりに乗せている写真も楽しめます。

最近ソ連側から発表された写真というのは大概が、「撃破された」ドイツ戦車ですが、
そういった類の写真はほとんどないのも嬉しいですね。
逆に撃破されているのは、T-34を筆頭に、KV-1B、JS-2、SU-85、ISU-122などの
重戦車や自走砲といった面々となっています。
また、鹵獲したシャーマンを喜んで乗り回すドイツ兵の姿も・・・。

ISU-122.jpg

しかし、この化け物のような姿をしたソ連重戦車を見ると、重心が前がかりからか
「怖いな~・・」と思ってしまうのは自分だけでしょうか?
ティーガーなどのドイツ戦車を見慣れていることもあるかも知れませんね。

ヴィーキングの戦車部隊を率い、のちにSS戦車部隊総監となった
ヨハネス・ミューレンカンプのパンターと指揮戦車の1号戦車がくっついている写真は
パンターの大きさ(1号戦車の小ささ?)が良くわかります。

Johannes Mühlenkamp3.jpg

最前線の兵士たちの服装がホントにバラバラなのも面白いですね。
ハッキリ言って「軍服の規定なんか知ったことか!」という感じで、
特にベルトを2本巻いている擲弾兵は意味不明なだけに印象的です。

そして、騎士十字章を首にから下げた黒の戦車服の戦車長ですが、
夏の暑さのため、その下は半ズボンというこの若干間抜けに見える写真は
松田優作のTVドラマ「探偵物語」のオープニングを思い出してしまいました。

優作.jpg

また、本書のキャプションでは編集部の注)として、
「「パンツァー・ユニフォーム(大日本絵画刊)」によると・・・」とか
「軽駆逐戦車」ならびに「重駆逐戦車」や「重戦車大隊記録集②によると・・・」
などと、他の大日本絵画出版の書籍と比較/検討しています。
少しイヤラシイ感じのする出版社の戦略というのはわかっていますが、
まんまと欲しくなってしまうところは、我ながら悲しいサガですね。。

戦車を中心とした写真集ですが、それに特化したものではなく、
夏から冬、ロシアからウクライナ、ポーランドの泥濘期の凄まじさも
とても良く伝わってくるもので、武装SS兵士と国防軍戦車兵との懇親会の様子など
その兵士たちの喜怒哀楽も充分写し出しています。
値段が高いのがイタいところですが、
ヴィトゲンシュタインは古書でも4000円という妥当な?購入価格でした。



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デーニッツと「灰色狼」 -Uボート戦記- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴォルフガング・フランク著の「デーニッツと「灰色狼」」を読破しました。

読み終えた率直な感想を書くと、「これ以上のUボート興亡史はないのでは・・」。
日本では1975年にフジ出版社から「Uボートの栄光と悲劇」の副題で、
原著「オオカミたちと提督」は1957年の出版という古いものですが、
著者フランクのUボート従軍記者からデーニッツの幕僚、
そして戦隊司令部に所属していたという経歴もあって、
本書のタイトルである2本の柱、すなわち「デーニッツと司令部の様子」と
50人くらいは登場しているんじゃないかという「Uボート艦長たちの戦いざま」を
交互に詳細かつ楽しく読ませてくれる、見事な「Uボート戦記」です。

デーニッツと「灰色狼」.JPG

まずは1775年のアメリカ独立戦争時に登場した、初の潜水艇「タートル号」や
1800年代初頭のフルトンによる「ノーチラス号」など
世界の潜水艦発達史から始まります。

Fulton's Nautilus.jpg

第一次世界大戦になると、ドイツUボートの活躍が取り上げられ、
特にU-9のヴィディゲン大尉が英海軍装甲巡洋艦3隻を立て続けに撃沈し、
ドイツ帝国海軍初のプール・ル・メリット章の受賞者として、
レッド・バロン」リヒトホーフェンと並び賞される英雄であったということを
知ることが出来ました。

Otto Weddigen.jpg

そして1935年、復活となる新Uボート部隊の指令としてデーニッツ大佐が任命されると
理想とするUボート艦隊には程遠いままの状況で1939年に開戦を迎えてしまいます。
海軍総司令官のレーダーとの微妙な関係や、後半、陸のヒトラーとは
最後まで揉め事なしという信頼関係も随所に紹介されながら、
そのUボートの最盛期を築きあげていきます。

Hitler on Uboat, 1938.jpg

ここからは有名Uボート艦長たちの戦記が盛り沢山で、
まず、レンプのU-30が誤って客船「アセニア号」を撃沈してしまうと、
”スカパ・フローの牡牛”となるU-47のプリーンの活躍に
U-99のクレッチマーとU-100のシェプケの勝利と敗北。。。

Joachim Schepke.jpg

「独破戦線」で紹介したUボートものの艦長は全員登場すると言って良いでしょう。
U-333 "アリ"クレーマーの「生命保険」ぶりも当然ながら
U-123のハルデゲンによるパウケンシュラーク作戦、
内藤大助似の艦長、ハルテンシュタインの有名な「ラコニア号事件」、
”古武士”ことレーマン・ヴィレンブロックは映画「Uボート」のモデルですね。

ヴォールファルトのU-556と戦艦ビスマルクの非情な運命や
撃沈された仮装巡洋艦アトランティスのローゲ艦長を含む乗員を
壮絶なサバイバルのもとで見事救出した、
U-68のメルテンとUAのエッカーマンといった、他の戦記では脇役だった
Uボート艦長も、その話とともにしっかりとアピールしています。

Merten, conning tower of U-68.jpg

「見てると体が痒くなる部下」を別のUボートに移動させてくれるよう、
シドロモドロ、デーニッツに訴えるヴォルフガンク・リュート
船団攻撃の大先生としても最後まで出てくるエーリッヒ・トップなどの大エース以外にも、
後半には「鉄の棺」のヘルベルト・ヴェルナーまで登場。
凄い名前でビックリしたU-753の艦長の名は・・・フォン・マンシュタインです。
あのフォン・マンシュタイン元帥と血縁関係にあるのかは一切不明ですが、
自分は一瞬、あの元帥がお忍びでUボート艦長をやってる姿を想像してしまいました。
これじゃあ、ほとんど「遠山の金さん」ですね。。。

第3位のエースなのに戦記の出ない、好きなエーリッヒ・トップは、
巻頭の潜望鏡説明におけるイラストでモデルになっている感じです。
イラストもこの有名な写真の決めポーズを取ってます。
映画ではよく、邪魔になるために帽子のつばを後ろにしてかぶりますが、
「潜望鏡を覗く模範的な艦長の図」のためか、ちゃんとかぶってますね。
しかしダラっと引っ掛けた右手がポイントです。

Erich TOPP2.jpg

とても書き切れないほどの艦長たちが入れ替わり立ち変わり出てくる本書のなかで、
個人的に気に入ったのは、補給UボートであるXIV型(通称:ミルヒクー=牝牛)の
U-459の艦長フォン・ヴィラモーヴィツ・メレンドルフです。
著者曰く、唯一の人物かもしれないという、第一次大戦に引き続き
Uボート乗りとして出撃する白髪の老メレンドルフは、
洋上で補給を心待ちにする若いUボート乗組員たちに非常に信頼された人であったようで、
その最後は一冊の本にしたいほど感動的です。

そういえば映画「眼下の敵」のクルト・ユルゲンスも
第一次大戦の生き残り艦長役だった気が・・。
余談ですが、この「眼下の敵」は親父が好きだった映画のひとつで、
ヴィトゲンシュタインは幼少の頃に半ば強制的に観せられた記憶があります・・。

THE ENEMY BELOW.jpg

剣章受章者の割にはあまり知らなかったテディ・ズーレンは本書では主役級のひとりです。
ひょっとしたら著者フランクはズーレンのUボートに乗艦したことがあるのかも・・
というぐらい生々しい戦いと生活の様子が描かれています。

REINHARD SUHREN.JPG

Uボート艦長ばかり書いてしまいましたが、デーニッツの司令部の様子も半分を占めています。
特に部隊創設当初から、その最後までデーニッツを補佐し続けるゴート大佐、
幕僚たちもエースのシュネーやデーニッツの娘婿ヘスラーなどもしっかり登場。
モントゴメリーらとの降伏交渉にあたり、自殺を遂げたフォン・フリーデブルク提督
Uボート組織部長として最初からデーニッツを助け、
「ドイツ海軍が生んだ最も天才的な組織家」という紹介をされています。

Eberhard Godt 3.jpg

そして終戦が近づくにつれ、デーニッツは軍需省のシュペーアとの信頼関係の元、
Uボートの生産量を上げ、また、新型Uボート・・・真の潜水艦の建造に成功します。
このあたりは、ガーランドの「始まりと終り」と同じような展開ですね。

Karl Dönitz9.jpg

全般的な内容は確かに「10年と20日間」と「Uボート・コマンダー」を読んでいれば、
それらに網羅されているという印象もありますが、
逆にこちらを先に読んでから、気に入った艦長の戦記を買ってみるというのも
アリかも知れませんね。
また特に記述はありませんが、デーニッツの「Uボート章」はダイヤをちりばめた
スペシャルのようです。

Special Class of the U-Boat War Badge uniquely awarded to Grand Admiral Karl Dönitz.jpg

いずれにせよUボート好きなら、必ず手元に一冊置いておくべきもので、
読みながら、何度も「スゲ~なぁ」と呟いてしまいました。
ヴィトゲンシュタインは学研の復刊を上下巻セット2500円で購入しましたが、
1000ページ超えでかなり、場所取ります。
これは小学校の教科書並みの1ページあたりの文字数の少なさによるもので、
フジ出版社の旧版なら半分のページ数で、古書でも安いんじゃないでしょうか。







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SSガイドブック [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

山下 英一郎著の「SSガイドブック」を読破しました。

「歴史研究者とSSマニアの隔たりを埋める目的で書かれた」という本書は
特にSSを美化したりすることなく、その複雑怪奇なSSという組織そのものを
解明しようと試みているものです。

巻頭に付いているバルバロッサ作戦当時の地図では
特別行動隊(アインザッツグルッペン)のA~Dの4部隊が
どこで作戦していたかを示しているという、戦争全般や国防軍、
同盟国や占領国についてはほとんど触れず、
SS世界に閉じた本であることが伺えます。

SSガイドブック.JPG

中盤までは一般SS(アルゲマイネSS)について詳細に解説されています。
単にSSと言えば、一般SSのことであり、武装SSと区別するために
便宜的に「一般」と呼ばれているだけで、これこそがSSの中核であり
最強の組織であるということが重要のようです。

Himmler_Heydrich_Heissmeyer.JPG

まるで武装SSの師団を紹介するが如く、SSの各本部を丁寧に紹介しています。
SS本部といえば武装SSの拡大に貢献したゴットロープ・ベルガーが有名ですが、
その前任者であるアウグスト・ハイスマイヤーを知ることができました。
「キング・オブ・アルゲマイネSS」と書かれているハイスマイヤーは
ナチス養成学校「ナポラ」の責任者も務めていたそうです。

Adolf Hitler Visits the National Political Educational Institute [Napola] in Graz (April 1941).jpg

有名なSS隊員の結婚許可における双方の厳格な人種・遺伝的証明では
10万の結婚申請のうち「不許可」はわずかに1000件弱、しかし、「問題なし」も
たったの7500件しかなく、結局のところほとんどが「怪しい状態」で
「暫定的に許可」だったという話は笑えました。

Wittmann Wedding.jpg

他にも、SDやゲシュタポ強制収容所の紹介ではお馴染みの人物たちが登場し、
人事本部、法務本部、作戦指導本部といった地味な部署も
その役割と本部長などをしっかりカバーしていて勉強になりました。

続く武装SSの章ではライプシュタンダルテのカフタイトル「Adolf Hitler」を巡る話です。
部隊章としてエリート師団などが付けるカフタイトルですが、
この「Adolf Hitler」のカフタイトルをヒトラーの主治医、ブラント博士や
SS機関紙編集長のダンカンSS大佐がつけていたことから
ただの部隊章ではなく「ヒトラー直属」という意味もあったとしています。

Josef_(Sepp)_Dietrich.JPG

また、ゼップ・ディートリッヒをはじめ、ライプシュタンダルテは排他的であり、
せいぜい、弟師団である「ヒトラーユーゲント」に天下りする程度であったことから
昇進も他の師団と比べ遅かったと分析しています。

本書では特に「カフタイトル」を重要視していて、一般SSもそうですが、
そこから読み取れる情報に非常に注目しているため、
連隊単位でのカフタイトルも詳細です。
例えば、第6SS山岳師団「ノルト」の第11山岳猟兵連隊のカフタイトルが
ラインハルト・ハイドリヒ」だったりします。
これについては、その理由が書かれていないのが残念ですが。
憶測ですが、ハイドリヒ暗殺の直後に、この連隊が編成されたことなんでしょうかね。

cufftitle Heydrich.jpg

第10SS装甲師団「フルンツベルク」は当初「シャルルマーニュ」を予定したそうで、
フランス人の名前を嫌ったヒトラーから却下された経緯があったそうです。

終盤までこのように武装SSの全師団が紹介され
(詳細不明となっている師団もありますが・)
各国の義勇軍スペイン、スウェーデン、イギリス自由軍まで出てきます。

20th SS  1st Estonian Division.jpg

さらにSS女性隊員にも触れられています。
戦争の激化してきた1942年から、18歳~35歳の志願制採用がはじまり、
1943年だけで422人が訓練を受けたということです。

SS helferinnen.jpg

SS空挺部隊と特別行動隊(アインザッツグルッペン)は本書の重要な部分です。
特に特別行動隊についてはポーランド戦役、フランス戦役、そしてロシア戦役と
時系列にその規模と指揮官(アルトゥール・ネーベオーレンドルフなど)を掲載しています。

また、特別行動隊=SDというイメージについても1941年の特別行動隊Aの構成
(990人の内訳)を載せて、SDが3.5%、ケシュタポも9%に過ぎないとしています。

Otto Ohlendorf3.jpg

最後はSSの軍装と記章についての解説で締めくくられます。
党員番号10万番目までの古参党員に授与された「金枠党員章」の解説では、
単に入党時期が古いというだけで、無能な党員も多く、
このようなプライドだけは高い無能金枠党員章保持者が上官の命令を聞かない
といったケースも続発したそうで、このようなことに対処するためにも
「金枠党員章総統功労章」が制定され、優秀な党員が授与されたとのことです。

Goldenes Parteiabzeichen der NSDAP.JPG

個人的には前半の一般SSが楽しめました。
未見の貴重な写真も豊富で、今まであまり知らなかった人物や
部署を勉強できたことが一番でしょうね。



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シシリー島空戦記 -航空団指令の日誌- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヨハネス・シュタインホフ著の「シシリー島空戦記」を読破しました。

先日、連合軍モノの「降下目標、シシリー」を読破して
このシチリア上陸の「ハスキー作戦」におけるドイツ空軍の戦いも
読んでみたいと思っていたところ、本書を安く見つけることが出来ましたので
早速、一気読みしました。

シシリー島空戦記.JPG

著者のシュタインホフは以前にも紹介したジェット戦闘団を描いた
最後の反乱」も書いた、撃墜数176機、剣付柏葉騎士十字章の大エースです。
第44戦闘団で離陸時の事故により、顔が変わってしまうほどの
大火傷を負ったにもかかわらず、戦後はドイツ連邦軍の空軍総監、
そしてNATO軍事委員会委員長となった名士でもあります。

Johannes Steinhoff4.jpg

原題は「メッシーナ海峡」で、このタイトルを知れば、この戦記が
シチリア島からイタリア本土へ退却して行くドイツ軍の戦いであることが想像出来ますね。

1943年7月10日に発動される「ハスキー作戦」直前の6月からのこの戦記は、
シチリア島北西のトラパニの空軍基地を舞台に、
第77戦闘航空団のパイロットたちと、その指令であるシュタインホフ少佐の
すでに激しくなった連合軍の空爆による戦意喪失ぎみの状況から始まります。

Johannes Steinhoff_me109.JPG

この「空の要塞」B-17 フライングフォートレスの編隊に対して、
迎撃作戦を繰り返すものの、殆ど戦果を挙げられないことで、
戦闘機隊総監のガーランドからドイツ本土防衛での戦術を説かれますが、
戦地の違い、即ち本土防衛では撃墜されても、
国内に落下傘降下して午後には原隊復帰が可能であるのに対して
この海上が舞台の空戦では帰還できる望みが皆無であることが
心理的にもまったく違うのだ!と語っています。

Sizilien, Ausbildung bei der deutschen Luftwaffe.jpg

面白いのは、頻繁に登場する「ガーランド」はその名前が最後まで一切出ず、
ただ「将軍」や「閣下」とだけ呼ばれていることです。
ガーランドなのは間違いないですが、何か理由があるのか?
と変に勘繰ってしまいますね。

そしてそのガーランドの口から伝えられるゲーリングの命令、
「対爆戦闘における臆病な行為により、各戦闘群から1名を戦時裁判にかける」や
「卑怯者のパイロットは空軍歩兵部隊へ転出させ東部戦線送りとする」
などに対して憤慨し、本書でもゲーリングの「勇敢」か「卑怯」かという古い考え方を
「前大戦で騎兵が勇敢に正面突撃したのと同じだ」と断罪しています。

Goering99.jpg

本書では触れられていませんが、これらのゲーリング発言が
やがて将校団の「最後の反乱」へと繋がって行くことになります。

シュタインホフ自らの空戦記録や部下のパイロットたちとの興味深い対話と
生活の様子も非常にシリアスですが、後半になって登場する
撃墜されたカナダと英国の捕虜2名との晩餐や
イタリア航空団指令と心を通わせるシーンは特に印象的です。

Johannes Steinhoff5.jpg

また、個人的には本書のなかでの回想シーンである、スターリングラードでの
第6軍の攻勢、包囲を空から支援した数ページがかなり得した気分になりました。。
以前にも書きましたが、この第6軍の包囲陣へ無茶な空輸を敢行した
パイロットたちの戦記をもっと読んでみたいですね。

stalingrad-ende023.jpg

高速爆撃航空団指令のテメ少佐が撃墜され、シュタインホフの所を訪れます。
そして彼が撃墜されたのは・・・コルレオーネ村・・・。
映画「ゴッドファーザー」のファミリーの由来となったあの村です。
こういうのが出てくると異様に嬉しくなってしまいます。
「ゴッドファーザー」好きの方はコルレオーネと言ったら、誰の顔を思い浮かべますかね?
マーロン・ブランド、或いはアル・パチーノですか?
自分は、間違いなくロバート・デ・ニーロです。。。。

Vito Corleone vs Michael Corleone.jpg

空戦記としては、まったくと言って良いほどに爽快感がゼロである本書は
バトル・オブ・ブリテンから終戦まで戦い抜いたシュタインホフが
この数週間を戦記にすることに決めた理由から伺えます。
それは「実行不可能な命令により、敗戦を意識しだした」という
彼自身の転機となる戦いであったことによるようです。



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KGBマル秘調書 -ヒトラー最期の真実- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

20世紀の人物シリーズ編集委員会(編)の「KGBマル秘調書」を読破しました。

本書は以前から知っていましたが、このタイトル・・KGBとヒトラーというのは
時代が合わないことから、自分のなかでは繋がらず、
「なんのこっちゃ?」的な扱いにしていました。
しかし先日の「ヒトラー・コード」のコメントを頂きまして、そんな内容だったの・・
ということで、早速、購入、そして、ほぼ一気読みしました。

とにかく世の中には「ヒトラーのほにゃらら」とか「ヒトラーとフニャンフニャン」
とかいうタイトルの付いた本が氾濫しています。
たいがいが名前負けしている感じで、「とりあえずタイトルにヒトラー入れとけ」
といった安易な戦略と疑ってかかってます。

KGBマル秘調書.JPG

本書の成り立ちを説明すると、2000年にモスクワの出版社で発刊された、
20世紀の人物シリーズの「ヒトラー 最後のあがきと死」の翻訳で、
ソ連の崩壊によりKGB(当時のFSB)機密資料が公開されたことで
それらの資料を編集したものです。

4部構成から成る本書は、それぞれ掲載されている資料の位置づけが違い、
これは読み進むにつれ、徐々に興味深くなってくるという、
翻訳版の構成変更の妙もあって、そこがいわゆる「雨の休日の一気読み」へと
まんまと繋がっていくのでした。

第1部「噂と推測」はロイター通信やソ連国営のタス通信などを中心とした、
終戦直後のマスコミ情報を紹介しています。
西側の捕虜となったヒトラー専属運転手のケンプカが記者たちのインタビューに
「エヴァ・ブラウンの遺体を運び出したのは自分だ」と語った話や、
ヒトラーがアルゼンチンへ逃亡・・・とか、
ヒトラーの息子を保護・・・といった有名な噂が満載です。
これは終戦当時、ヒトラーの死についての肯定と否定が、
結構しつこく世界各国のマスコミを賑わせていたかがわかりました。

Erich Kempka 1937.jpg

第2部「機密文書で明らかになった新事実」は
ヒトラーとエヴァ・ブラウン、ゲッベルス一家の焼死体を検死し、
彼らの側近、または歯科医などによる身元確認調書が紹介されています。

他にも、スターリンへのジューコフの特別報告やNKVD長官ベリヤへの報告など、
日付を含め、完全な報告書形式そのままで掲載されているため
生々しくて、結構ドキドキしますね。
また、ゲッベルスの焼死体写真やヒトラーの歯などの写真もあり、
特にこれらは、巻頭のカラー写真でも掲載されています。

Wilhelm Keitel,  Hermann Göring, and Martin Bormann.JPG

第3部は個人的に最も印象的だった「日記、供述書、調書」です。
1945年1月1日~5月1日に書かれたボルマンの日記は
大体は「誰々と会った」というシンプルなものですが、
しょっちゅうヘルマン・フェーゲラインとサウナ行っている感じです。
以前に読んだ、フェーゲラインがヒムラーからボルマンに寄って行った
という話を思い出しました。

「ヒトラー・コード」で最も多くを語った副官オットー・ギュンシェの調書や、
ハンナ・ライチュの米軍の調書を分析したものも出てきます。

Johann Rattenhuber.jpg

ラッテンフーバーSS大将の供述記録は特に注意しながら読みました。
これは彼が1933年からRSD(本書では「ヒトラー専属護衛隊」)の隊長として、
12年間もヒトラーに従えていたことと、
このRSD組織が今ひとつ良くわからなかったことによるものです。

Wilhelm Mohnke&Dog.jpg

この辺り、モーンケヴァイトリンクという、ベルリンを死守した司令官2人という
ビックリする供述が続き、更にはシェルナー元帥の供述と
そのすっかり痩せた、別人のような捕虜の写真は特別印象的でした。

Ferdinand Schörner8.jpg

彼らからはヒトラーの健康状態を聴取するのも大きな観点だったようで、
専属医師のモレルについての証言が度々出てきます。
総じて怪しい薬を処方するヤブ医者というのが全員の評価です。
そういえばヒトラーの秘書だったユンゲ嬢もモレルのことを結構書いてましたね。

Dr. Theodor Morell.jpg

第4部は1970のKGB極秘作戦です。
これは1970年にドイツに移管されることになった東ドイツのソ連軍駐屯地に
1946年にヒトラーらの遺体を埋葬していたことによるKGB秘密工作で、
これらの遺体を発掘、そして焼却処分にして・・という展開です。

第1部と第2部はある程度、知っていたことですが、
第4部はまったく知りませんでした。
しかし個人的に、第3部は凄かったですね~・・。
モーンケの供述書が出てきた辺りからは、「次は誰だ?」と久しぶりに興奮・・。
ちょっと先のページをめくってみたり、目次を読めばわかることですが、
こういうことを意味なく、ガマンしてしまう性格だったりします。
決して「M」じゃあないですよ。楽しみを先に取って置くタイプなんです。。。



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