SSブログ

オラドゥール -大虐殺の謎- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロビン・マックネス著の「オラドゥール -大虐殺の謎-」を読破しました。

先日読破した「ダス・ライヒ師団の歴史」で触れられていた、武装SSによる
最大の虐殺事件の謎について書かれたものです。
それなりに読み応えがありますが、戦後の著者の体験から始まる本書は
あくまで「推測」という枠を出ないものでもあります。

オラドゥール.JPG

まず、この事件の一般的に言われている概要と経緯について・・

1944年、東部戦線で消耗したハインツ・ラマーディングSS中将率いる
ダス・ライヒ装甲師団はフランス南西部で再編成中でした。
そして6月、連合軍のノルマンディ上陸が始まると、
師団にも一刻も早い移動が命ぜられます。
しかし、この連合軍上陸と連動したフランス・レジスタンスの妨害行動が顕著化し、
道路や橋の破壊工作、SS隊員の誘拐や殺害に悩まされます。

Tulle 1944.JPG

そんな状況に対処するため、テュール村ではレジスタンスへの関与したとの理由から
99人の村人が絞首刑となり、その翌日の6月10日、オラドゥール村では
女子供を含む642人もを惨殺してしまいます。
この惨殺を指揮したのはデア・フューラー連隊のディークマンSS少佐で
その後すぐに軍法会議にかけられますが、師団長のラマーディングは彼を擁護し、
結局、29日にようやく辿り着いたノルマンディにおいてディークマン大隊長は戦死します。

heinz lammerding.jpg

このオラドゥール事件の最大の謎とされているものは、
「なぜ、この村でこのような虐殺が起きたのか」という単純なものです。
ディークマンSS少佐の友人でもあった、ケンペSS少佐が誘拐され、
その友人を救出するためにやり過ぎた・・というのが通説のようです。
それでも女性240名、子供205名を教会に閉じ込めて焼き殺すというのは
いくらSSであっても尋常な行動ではなく、通常、レジスタンスに対する報復は
それを自ら発表して、レジスタンス側に警告を与え、士気を挫くことに意義があるのですが、
この事件は直後からゲシュタポにより隠匿されるという怪しさを持っています。

Oradour.jpg

著者はひょんなことから金塊の運搬を依頼され、その依頼者であるフランス人の
元レジスタンスからこの金塊にまつわる話を聞かされます。
それはダス・ライヒ師団が当時、隠し持っていた金塊の一部であり、
輸送部隊を襲撃した際に奪った物だと・・・。

もともとライヒスバンクの金を準備金として保有していたダス・ライヒ師団は
フランスでの略奪で相当な金塊も発見、没収していたとしていて、
これらの管理はラマーディング以下、ケンペ、そしてディークマンが行い、
その奪われた金塊を取り戻すため、ディークマンがオラドゥール村に目星を付けたとしています。

deikmann.jpg

ルントシュテット元帥から「とっとと来んか!」とせっつかれるラマーディングは
奪われた金塊探しで時間を浪費することも出来ず、
このためディークマンに与えられた時間も12時間というもの。

アルザス出身の新兵たちに根性を叩き込むために、野蛮な行為を命じたり
金塊探しという理由が配下の兵士たちに伝わっていないことから、
勢い余っての殺戮というのを真相だとしています。
なお、本書やその他の書籍ではオットー・ディックマンとなっているものもありますが、
アドルフ・ディークマンが正しいようです。

Oradour_egliseecroule.JPG

まぁ、この金塊によるものという真相を信じるかどうかは読み手の問題ですね。
個人的にはひとつの説としては面白いとは思いました。
また、戦後のこの事件を巡る様々な出来事まで書かれていて、結構勉強になりました。



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