ドイツ戦車軍団 [ドイツ陸軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
F.W.フォン・メレンティン著の「ドイツ戦車軍団」を読破しました。
この抽象的なタイトルから具体的な内容を推測することは大変です。
まず、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・メレンティンという如何にも貴族然とした
名を持つ著者の経歴はというと、
大尉の階級でポーランド作戦に、続くフランス侵攻、バルカン作戦を
前線の情報参謀/作戦参謀として参加し、さらにアフリカ装甲集団の作戦参謀、
続く東部戦線では、南方軍集団隷下の第48装甲軍団参謀長、
西部戦線においてもG軍集団参謀長を勤め、最終階級は少将という人物です。
上巻「電撃進攻編」ではバルカン作戦まであっさりと語られますが、
1938年にベルリンの執務室に入って来た「ヒトラーユーゲント軍事教練指導官」の大佐・・
即ち、エルヴィン・ロンメル大佐とのはじめての出会いから、一気に盛り上がってきます。
砂漠の戦いについて独英双方の戦術などを詳細に解析しているのは当然ですが、
アフリカ装甲集団の作戦参謀としての立場から見たロンメル像が特におかしく
本来の参謀長の責務範囲内のことにもちょくちょく口をはさみ、
また、司令官が不在の時には参謀長が司令部で代理を勤めるのが当然なのに
日々の最前線の視察に必ず参謀長も随行するものと決めてかかっているという
「厄介なクセ」など、参謀経験のないロンメルならではの常識、非常識を語っています。
続く下巻「決戦死闘編」の舞台は、いきなりスターリングラードでの
第6軍敗北の様子から始まります。
その後に連続して起こったコーカサス(カフカス)方面軍の脱出、ハリコフ奪還を指導した
ドン軍集団司令官フォン・マンシュタイン元帥については、最高の戦術家であり
過去においても、この作戦に比肩しうるものがあるかと絶賛しています。
もし、その後の東部戦線の指揮が完全にマンシュタインに任されていたら、
柔軟な戦線の構築によりドイツ軍側の被害を最小限に留めつつ、反撃を繰り返すことで、
無尽蔵といわれるロシアの人的資源も最終的には費え、
違う結果になったかもしれないとしています。
1943年の夏季攻勢「ツィタデレ作戦」からドイツ軍の後退と続き、
解任されたマンシュタインに代わったモーデルという有名な元帥同士の比較も興味深く、
30頁ほどを割いた「ソ連軍の戦いぶり」の章はソ連兵の心理、戦術の変化、
補給など毎にわかりやすく解説していて、特別印象に残りました。
その後、第48装甲軍団司令官であり、非常に優れた野戦司令官として尊敬する
ヘルマン・バルク将軍とともに西部戦線のG軍集団へ転属となると
そこでは敬愛していたロンメル元帥の突然の死を知らされます。
また、ヒトラーの代理として葬儀に出席して行ったルントシュテット元帥については、
その死の真相を知っていたとは考えられないと述べています。
以前のタイトル「ドイツ戦車軍団全史―フォン・メレンティン回想録」が的を得ているように
ほぼ、全ての戦場で戦車を中心とした、その名将たちによる装甲(機甲)部隊の
軍団レベルでの戦いをまじかに見てきたプロの参謀による回想録であり、
敵側を含め、戦術的に非常にバランス良く解説した読み応えのあるものです。
F.W.フォン・メレンティン著の「ドイツ戦車軍団」を読破しました。
この抽象的なタイトルから具体的な内容を推測することは大変です。
まず、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・メレンティンという如何にも貴族然とした
名を持つ著者の経歴はというと、
大尉の階級でポーランド作戦に、続くフランス侵攻、バルカン作戦を
前線の情報参謀/作戦参謀として参加し、さらにアフリカ装甲集団の作戦参謀、
続く東部戦線では、南方軍集団隷下の第48装甲軍団参謀長、
西部戦線においてもG軍集団参謀長を勤め、最終階級は少将という人物です。
上巻「電撃進攻編」ではバルカン作戦まであっさりと語られますが、
1938年にベルリンの執務室に入って来た「ヒトラーユーゲント軍事教練指導官」の大佐・・
即ち、エルヴィン・ロンメル大佐とのはじめての出会いから、一気に盛り上がってきます。
砂漠の戦いについて独英双方の戦術などを詳細に解析しているのは当然ですが、
アフリカ装甲集団の作戦参謀としての立場から見たロンメル像が特におかしく
本来の参謀長の責務範囲内のことにもちょくちょく口をはさみ、
また、司令官が不在の時には参謀長が司令部で代理を勤めるのが当然なのに
日々の最前線の視察に必ず参謀長も随行するものと決めてかかっているという
「厄介なクセ」など、参謀経験のないロンメルならではの常識、非常識を語っています。
続く下巻「決戦死闘編」の舞台は、いきなりスターリングラードでの
第6軍敗北の様子から始まります。
その後に連続して起こったコーカサス(カフカス)方面軍の脱出、ハリコフ奪還を指導した
ドン軍集団司令官フォン・マンシュタイン元帥については、最高の戦術家であり
過去においても、この作戦に比肩しうるものがあるかと絶賛しています。
もし、その後の東部戦線の指揮が完全にマンシュタインに任されていたら、
柔軟な戦線の構築によりドイツ軍側の被害を最小限に留めつつ、反撃を繰り返すことで、
無尽蔵といわれるロシアの人的資源も最終的には費え、
違う結果になったかもしれないとしています。
1943年の夏季攻勢「ツィタデレ作戦」からドイツ軍の後退と続き、
解任されたマンシュタインに代わったモーデルという有名な元帥同士の比較も興味深く、
30頁ほどを割いた「ソ連軍の戦いぶり」の章はソ連兵の心理、戦術の変化、
補給など毎にわかりやすく解説していて、特別印象に残りました。
その後、第48装甲軍団司令官であり、非常に優れた野戦司令官として尊敬する
ヘルマン・バルク将軍とともに西部戦線のG軍集団へ転属となると
そこでは敬愛していたロンメル元帥の突然の死を知らされます。
また、ヒトラーの代理として葬儀に出席して行ったルントシュテット元帥については、
その死の真相を知っていたとは考えられないと述べています。
以前のタイトル「ドイツ戦車軍団全史―フォン・メレンティン回想録」が的を得ているように
ほぼ、全ての戦場で戦車を中心とした、その名将たちによる装甲(機甲)部隊の
軍団レベルでの戦いをまじかに見てきたプロの参謀による回想録であり、
敵側を含め、戦術的に非常にバランス良く解説した読み応えのあるものです。